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2008年11月08日

尊敬と畏怖【「ワルキューレの栄光」(2008年 バンダイナムコゲームス)】

 感謝と畏れを忘れちゃいけないんですよね。



 さて、今回は2008年より配信されました「ワルキューレの栄光」です。



 どんな願いも叶う平和の象徴「黄金の種」が、ある日、悪の化身カムーズに奪われてしまいます。平和は乱れ、大地は枯れ果て、人々の心がすさんでいったその時、世界を救うべく地上に降り立ったのが、愛と勇気の戦士ワルキューレであったのです。
 
 
実にワルキューレの伝説より18年ぶりになるというワルキューレシリーズの最新版が携帯アプリでの登場となりました。
 
今の主流携帯用ゲーム機器とは異なり、携帯電話のアプリとしてのゲームは、昔のドット絵…言ってしまえばパラパラマンガの要素がありますので、私のような昔から、それこそファミコンでワルキューレの伝説を遊んだものにとっては、馴染みやすいゲームであります。
 
ドコモのiアプリ、auのezでも配信されているわけですが、私が持っているのはYahooケータイですので、その仕様でのご説明になります。
 
ゲーム画面は横スクロール。画面下部にアイテムや体力、お金やEXPの表示がありますので、アクション画面としては正方形よりもやや横長といった感じでしょうか。操作は携帯電話にあるアイコン操作のためのキー、もくしは数字キーなどを利用して操作します。
 
画面モードは二つ。一つは大きなマップを移動するのですが、これは決められた場所へ上下左右のクリックで選択する簡易的なものです。キャンプ場や城、森といったフィールドを選択します。
 
キャンプ場や戦闘フィールドでは、横スクロールが基本となっており、上へはジャンプ、下へは飛び降りるのが基本動作です。
ジャンプは最初1回のジャンプしか出来ません。また、攻撃方法として魔法があるのですが、その魔法もファイアーボールが使えるだけ。その魔法も回数性であります。
 
ジャンプや魔法を増やすには、二つのやり方があります。
その一つは女神像に話しかける事。女神像は様々な場所にあるのですが、始めて出会った女神像からは魔法やジャンプの力を与えられるのです。また、とあるキャンプ場の行き止まりにある場所では魚釣りならぬアイテム釣りが可能になっているのです。
 
そこで一生懸命にアイテム使用回数を増やす楽しみもあります。
 
 
ゲームの目的は黄金の種を奪い返し、そしてその主犯者を断罪する事。ですが、物語は二転三転します。基本的に、敵を撃退すれば物語は進んでいくのですが、それでも最近の深夜アニメぐらいの驚きはありました。
 
その途中で、懐かしい~というキャラも使う事が出来ます。それはサンドラという人ではない別の種族なのですが、彼が妙に強かったりするのです。
坂道だけで使える技なのですが、滑り台のようにスルスル~と滑っていくと、その勢いで敵を倒せるのです。それまで、結構苦労していた敵も一気に片付けられるので、意外な爽快感。
 
ただし、あくまでお遊び的な要素な割には、それ以外の救済措置がないのも事実。あまり気を抜きすぎると、ゲームオーバーにもなりかねないのです。
 
 
魔法を蓄え、レベルを上げて、そして敵を倒して行ったその先にある真実とは…。平和を取り戻すのはプレイヤーの腕次第なのです。
 
 
更に、ゲームには難易度レベルがありまして、アイテム位置や敵出現などには手をつけず、単純に敵の攻撃力=受けるダメージが変更するモードがプレイできるます。
デフォルトを1とすると、エキストラ1で三倍、2で五倍、3が九倍、4が17倍。それらをクリアすると遊べるようになるSPECIALは、なんと33倍にもなります。
 
今、そのSPECIALで遊んでいるのですが、クリアできません。単純にダメージが大きいので、気を抜けば瞬殺になるのは当然の話。しかも、携帯電話での操作には慣れもそうですけど、指の大きさも関係あるのではないのかと。
指が太いので、機敏な操作がしにくいんですよねぇ。…それは愚痴ですけどね。
 
SPECIALをクリアすれば何があるのか…それを確認したいと思うんですけど…頑張るしかないですねぇ。




 恐らくですが、その昔における神の啓示というのは、ある種のスケープゴートであったのだと、最近の事件などを見ていると思うのです。特に、予想が上回るものとされる案件に関してはそう思います。
 
例えば洪水などはあって、被害を受けたとします。昔であれば、川の氾濫は竜神が暴れているからだとなり、そこで鎮魂祭が行われるわけです。どうか、暴れてくれなさるな、私たちは常日頃から恵みを受けております。その恵みをお渡しいたしますので、全てを持っていかないで下さい…と。
 
要するに人知の及ばぬものは、全て神かそれに類する力を持つ何かの仕業とされてきたわけです。
 
ところが昨今では、全てに対して責任の明確化を求め、どうにもそうした人知の及ばぬものにまで誰かのの責任にしたがる様子。それが正しいのかどうかというよりも、可能であるのかどうなのかから議論する必要があるのではないのでしょうか。
 
地震や洪水などの自然災害対策に多額の税金が使われているのは事実。半端にやるよりはある程度余裕を持ってやって欲しいというのは当然の話でしょう。しかし一方で、そこまでやるよりも別のもの。それこそ福祉などに資金を回す方が良いという話もあるぐらいです。
要するに、使える金銭は無限ではないという事なんですよね。
 
日本と言う国は、四季折々の様相だけではなく、それを各地それぞれに楽しめる複雑な地形を持ち合わせている国です。
それだけ山川草木が複雑に絡み合っていると言えなくもないのですが、それを人間の生活という、ありもしない免罪符の下に、様々な手を加えてきたのはこれまでの歴史から見てもわかる話です。
 
そのしっぺ返しが本格的に襲ってこようとも、それは必要な行為であったと主張する人が大勢いる事でしょう。
 
結果的に人は他の動植物と同じ様に、自然から離れて生きていく事は出来ないのです。自然を否定する事は、生きる事を否定する事と同じ。どれだけ都会になろうとも、便利になろうとも、それを忘れて生きていく事は、自殺する事と同じになってしまうのです。
 
命は奇跡であり、同時に我々を生かしてくれる物全てが、私たちにとって神と同じであるわけです。
そうした命の輪廻というものを実感する事が、結果、自分の周りの脈動を感じ取り、自然に逆らわない生き方を教えてくれるのかもしれません。
 
それは力で抑え込もうとした、それまでの生き方からの脱却になるのかもしれませんが、それでも人は人である事をやめられない以上、あくまで人の範囲としての責任を取っていく必要があるのではないのかと思うわけです。
あんまり、ドカドカと埋め立てたり、整備するというのは、よろしくないと思うのですけどね。そこに住まわせてもらっている事を自然に感謝する事を忘れてしまってはいけません。
 
これは宗教でも何でもなく、ただ、実に単純な事実であるのです。
 
 
 
 そんなこんなで本日はここまで。

2008年04月05日

何事も単純明快に【「ワルキューレの冒険 -時の鍵伝説-」(2006年 バンダイナムコゲームズ)】

 昔より、どんどんと複雑になっていく世の中…このフレーズ、かなり昔から使われていたように思えるのですけど、最近は頓にそう思うようになってきました。
 
…が、振り返れば、本当に世の中が複雑になっているのか…ちょっと疑問です。



 さて、今回は2006年に配信が開始されました「ワルキューレの冒険 -時の鍵伝説-」です。

 紹介している画面のものはiモード用。しかし、自分が遊んでいるのはソフトバンクのもの。見ると少し画面が違いますね。
 
非常に懐かしいし、大好きなゲームであったので、即効でダウンロード。まず、気になったのが、コンティニューはどうなっているのか!という話。実は、この索引、最初にでたファミコン版の時にはコンティニューが英数文字の入力だったのです。当然、自動で記録してくれるという時代でもありませんでしたし。
 
でも、そのおかげで、ちょっとしたウラワザが使えたりしたのです。今回はそれが出来なくてちょっと残念。
 
また、ケータイ用のノーマルモード。昔懐かしいオリジナルモードの二つで遊べるのが嬉しいですね。音楽も、オリジナルとケータイ用の二つが自由に選べますし。
 
でも、一番変わったのは、やはりワルキューレをはじめとするキャラクターの容姿。こんなに小さな画面なのに、ファミコン版より数十倍かわいい。これは遣り甲斐がありますねぇ。
 
始めたばかりなので何が違って、何が同じなのかわかりません。でも、それはそれ。やっていく内にわかる事でしょう。
 
いずれにしても、こうした懐かし新しゲームがイッパイでている中で、思い入れのあるゲームが出てくれるのは本当にうれしいものです。
 
一応、ワルキューレシリーズとしては冒険、伝説、そして栄光があるそうですが、徐々に制覇していきたいものです。
(これを書いた後でわかったのですが、ソフトバンク関係には冒険はなさそうです。いつかリリースしてほしいものですねぇ)



 昨今の年金問題にしても、今度の高度老人保険制度にしても、そこまで難しく考える必要があるのかと思ってしまいます。こうした難しく考える要因はすべて、政界・財界の方々の小難しい言い回しに原因があるように思えてなりません。
 
こうした文章を記載するのは、確かに言葉が好きでだからのですが、さりとて難しい言葉を使う事が良い事であるとは思っておりません。むしろ、本当に自分が理解している言葉をつむいでいく方が人には伝わりやすいものです。
 
ニュースでも良く使われる言葉になったコンプライアンス。日本はカタカナ文化は存在しますが、決して英語圏で暮らしているわけではなく、独自の文字文化があるわけです。つまり、コンプライアンスではなく法令順守とすれば、よりイメージしやすい言葉になるのではないのでしょうか。
 
言葉や文字というのは、相手に自分の意向を伝えるものです。
 
こうした言葉を好んで使う人に限って、若者文化がわかりづらいと文句を言います。ですが、決して今の年寄り文化がわかりやすいかといえば、そうではないのです。そして、その方々が若かりし頃には同じ様な事が言われていたはずなのです。
 
なにより、そうした時代を自分たちが進んでいながら、より難しく考えより難しく実行しようとするのは、おかしな話ではありませんか。
 
暫定税率にしてもそうです。暫定…とりあえずのという意味のものが既に何十年。そして更に何十年と続けて行きたいとしている。とりあえずのものにそれだけ依存しているから、税金の使い方における是正が出来ないと考えられないのでしょうか。
 
道路財源として徴収したものを他のものに使用しておきながら、法律的には問題がない。おかしな話です。実に単純ではない。
 
こうした言葉を単純明確にしないままで、どうしてそれを施行する際に単純に出来るのでしょうか。
 
 
今まで上記で使ってきた単純というのは、決して中身のないものではなく、中身を吟味し精査し、その上で明確にするものであると言う事です。つまり、無用に難しいものというのは、その実、中身が存在しないという事でもあるというわけなのです。
 
見直すべきは見直し、存続するべきは存続させ、新設するべきは新設し、廃止するべきは廃止する。
その理由が明確であればあるほど、説得力も増し、結果、自己の利益になるとは思わないのでしょうか。
 
目先の状況に振り回されるようでは、望むべくもないのでしょうが、その狼狽が最もわかりやすいというのも皮肉であると言えばそうなのかもしれません。
 
 
 
 そんなこんなで本日はここまで。

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