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2008年03月30日

本当に危ない運転はやめぃ!【「ナイトライダー」(1982~1986年 NBC)】

 最近、遠出の機会が多いのですが…。
 
高速道路を走っていて、非常に怖い思いをする事が多くなってきました。その一番はまるで踊るかのように路線変更をするトラックが多くなったと言う事です。
 
まるでダンスでも踊っているかのようなその運転。本当に事故に巻き込まれないか心配なのです。



 さて、今回は1982~1986年に放送されました「ナイトライダー」です。

 陰謀と破壊と犯罪の渦巻く現代の蘇った正義の騎士。ドリーム・カー「KNIGHT2000」と共に法の目を逃れる犯罪者たちを追う若きヒーロー、マイケル・ナイト。人は彼をナイトライダーと呼ぶ。
 
「法と政府のためのウィルトン・ナイト記念財団」のその一部門である「F.L.A.G」が作り出したドリーム・カーがKNIGHT2000であり、その内部には人工知能「K.I.T.T.」が組み込まれている。そのために、人が乗らなくても自分で考え動く事が出来る言ってしまえばロボットカーである。
 
元々、敏腕刑事であったマイケル・アーサー・ロングは、産業スパイの捜査中に撃たれ重傷となる。それを救ったのがナイト財団の総帥ウィル・ナイトであった。彼はマイケルが撃たれた顔の形成手術の際、息子であるガースの顔に似せる術式も行い、更には養子縁組もし、その名前もマイケル・ナイトとした。
 
全ては正義のための行い。そして彼は相棒となるK.I.T.T.と共にKNIGHT2000を駆り、悪を倒すために走る。
 
 
あのイントロ、そしてKNIGHT2000の流れる紅いLEDと黒いボディ。初見にしてその破壊力は素晴らしい物でした。
 
当然の事ながら日本で放送された時には、吹き替えが当てられました。
 
主人公であるマイケル・ナイトには数々のアニメソングを歌い、また日本のエルビスとも呼ばれる佐々木功氏が声をあてており、また、ナレーションには小林清、また、K.I.T.T.の声には野島昭生氏、ナイト財団の責任者として活躍するデボン・マイルズには中村正氏と他にも豪華な顔ぶれで日本語版は作られていました。
 
特に開始最初に流れるオープニングのナレーション(上部にも一部記載しております)は世界観を決めるのに十分なものでしょう。
 
 
所で、そのナレーションですが、大抵のアメリカ番組にはこうしたナレーションはありません。キャラクターの声が入っているのも少ない事でしょう。それはアニメにしても同じ事です。
 
しかしながら、それを日本語の吹き替えにした時、説明を入れるというのは恒例のものとなっており、アニメのバットマンにも山寺宏一氏のナレーションが入っていたりしますし、このナイトライダーでもデボン・マイルズの声を当てている中村氏は、奥様は魔女のナレーションをやっていたりするのですが、それもオリジナルには何も声は入っていません。日本独特のものであるといえます。
 
しかし、日本においてはそれが、より印象を植え付けるものになったとも言えます。
 
むしろ、今ではそのナレーションがないと、何か足りない気分にさえなってしまうものです。
 
 
ナイトライダーはシーズン4まで放送された作品なのですが、その後にも幾つかの続編が作られているようです。しかし、あまり評判はよろしくない様で、そこら辺は、海外でも日本でも、最初の作品が良いだけに批判も大きくなってしまったという所なのでしょう。
 
その証拠に、ナイトライダーに関連した車のアクセサリーが出ているわけですが、未だにその人気が高いというのがその証拠ではないのかと思うわけです。



 正直言えば、迷惑千万な話、運転手の生活云々はおいてくとしまして、運転するなと言いたいわけです。
何故か、それは一言で言えば事故につながるからです。
 
どうしても、自身の操っている道具の大きさが体に染み付いていないようで、これで事故らないのは、本当に運だけの話です。対抗速度の感覚がずれたままで運転されても、こちらの予測を超えた場合は接触しますし、場合によっては転倒・破損してしまいます。乗務員の生命の危険すら考えられるわけです。
 
走行機器を操作するに当たって、当然の如く、その機器の推進・重量・接地の各状況を把握する事は、推進剤の状況よりも重要な位置づけであります。ましてや高速走行している以上、対象物との距離・相対に関しては逐一把握する事が当たり前であり、その状況によって予測行動が確実なものになっていくわけです。
 
追越車線側へ重量級の車両が来る場合、通常車線で加速し、その勢いをもって出てくれば速度に乗れるというものを、追越車線に入ってからでは加速が遅くなり、場合によっては後続の接近車両に無理な制動を行わせる事になります。これは事故につながる危険な行為の何者でもなく、また、通常車線で加速が出来ない理由は、その状況下における先行する車両との車間距離が十分ではない故に加速すら出来ないわけです。
 
また、車間距離が十分ではないという事は、先行車両が不慮の故障によって蛇行運転などを起こした場合、対応が出来ない距離となっているわけで、危機回避の条件が全く揃っていない…いえ、揃えていないという事になるわけです。
 
危機意識の低さは、その運転手の「自己責任に対する意識のなさ」「根拠のない自信」「重大な事故に遭遇した経験の無さ」が起こしているものですが、何より想像力の欠如であると言えるわけです。
 
他人の痛みが理解できれば、自分がする事・している事に対しての痛みは想像するに難くありません。それが出来ないという事は、実年齢よりも精神年齢の低さを窺い知ることが出来るというものです。
 
更に言えば、重量級の車両を動かした際の錯覚が問題でもあります。
 
大きな車両を自分の力で動かす事による「自分の力であると言う錯覚」は、車に乗り違反する人に多いものです。また、そういう方に限って、車両の力を十分に引き出していると勘違いしているようですが、高速道路はサーキットにおける直線ではありません。道路表面も平らになっているわけではありませんし、何より、タイヤのグリップ力はサーキット用のそれと比べるまでもなく、何より、高速道路は以外に傾斜が付、かつ、カーブが多い作りになっているのです。
 
その中を障害物の多い状況で車両の能力を引き出しているわけがありません。
 
というよりも、通常の人にそれだけの力を引き出せませんし、また、トラックの状況によっては、それ自体が事故に直結する危険な行為となるわけです。
 
 
ご自分の私道で好きに運転なさるのなら兎も角、他の人も同じ様に利用している中で、状況確認も出来ないまま運転している人がいるのは、本当に嘆かわしい限りです。
 
実際、ここ最近、200キロ以上の行程を進んでいると、二回は事故現場に遭遇します。中には、処理に数時間もかかる事故もあり、他の利用者の迷惑になっているわけです。
 
パーキングエリアやサービスエリアに掲載している事故写真は決して伊達や酔狂などではなく、気をつけるべき状況を知らしめているわけです。
 
公私に関係なく、高速道路や一般道路にも関係なく、自分の力のように勘違いする運転は迷惑である事を気付いて運転してほしいものです。
 
 
ちなみに、もし、そうした運転をしたいのなら、サーキット場を借りてやってください。どうすれば借りられるのかは、各サーキット場でお尋ねを。少なくとも、タイヤは用意しなければなりませんし、サーキットの借り賃も必要ですね。
後は規約の通りにすれば、好きなだけアクセルと踏める状況に出来ますよ。公道で暴れるり、よっぽど健全です。
 
 
 
 そんなこんなで本日はここまで。

2007年08月20日

影響力と責任【「マックス・ヘッドルーム」(1987年 アメリカABC放送)】

 普段であれば、作品を決めてから記載する内容を考えるのですが、今回は逆で行ってみようかと。


 最近、何かと騒がせている…いや、騒いでいるマスコミでありますが、相変わらずその横柄な態度に苦笑する日々であるのは言うまでもありません。しかも、そんな彼等が言う事には、表現の自由を守れというわけで、まあに片腹痛いというのはこの事なのでしょう。

私は自由というのは権利であると主張しています。何故なら、自由は奔放と取り違えてはならないからです。それは無法と言います。となればそれは権利と言う事になるわけですが、権利を主張する為には義務を果たさなくてはなりません。この場合、義務とは何か、それは発言に関しての所在にあります。そしてそれには責任を負わなければならないわけです。

ですが実際はどうなのでしょう。間違いとされた発言に対して、それをしっかり謝罪したマスコミはこれまでにどれだけあり、それを踏襲した上で尚、権利を施行しているといえるのでしょうか。

ハッキリ言えば、それは存在しないわけです。

そんな彼等自身がどれだけの影響を与えているのか、実際の所彼等もそれはわかっているようなのです。


 さて、今回は1987年にアメリカABC放送で放送されました「マックス・ヘッドルーム」です。

 時は近未来。そこには電源スイッチの存在しないテレビがあり、全ての物事が数千にも昇るテレビ局の視聴率によって決定される世界。その中でトップを走っている「ネットワーク23」に調査報道番組を任されている凄腕のレポーター、エディスン・カーターはいた。彼がその時に追っていたのは視聴者の連続変死事件。しかし、その取材は何故か局上層部から指し止めを食らってしまう。

それもそのはずで、実はこの事件の犯人は正に局内に存在していたからだ。

その首謀者は社長であるグロスバーグ。そして、その原因となったのがとあるCMであり、それにはチャンネルを変えないようにするため=ザッピング防止ためのCM圧縮技術「ブリップバード」が仕込まれていた。それは確かに視聴率を上げる効果はあったものの、しかし副作用として不活発な視聴者には爆発死する結末が待っていたのだ。

当然、その事をひた隠しにしている局であったが、ついにその原因となる技術を開発した天才少年の存在に、カーターは気付く。しかも、その少年は局の企画開発部門のチーフであった。そしてついに、副作用の決定的な場面を抑えたカーターであったが、録画は失敗。カーター自身も捕まっていまう。

グロスバーグはカーターがどこまで調査したのかを知る為に、天才少年ブライスに記憶を数値化し映像化する事を命じる。その結果、ブライスにも予想もしない出来事が起こる。それは実験を行った結果、カーターの分身、そして独自の人格を持ったCGが誕生したのだ。それが「マックス・ヘッドルーム」であった。


 日本語版ではあの七色の声を持つ山寺氏がマックスをやっているわけですが、本当におしゃべりなマックスには最適なやくではないのでしょうか。CGとは言いましても、カーター役のマット・フリューワーが特殊メイクでそれらしいバックの前で演技をするというアナログな方法で撮影はされているものです。

その話の一番となるのは、あくまでマスコミという存在の影響力であり、それをコミカルに批評している作風なのです。

一生懸命に不正を暴こうとするカーター。しかし、局の上層部はあくまで視聴率にこだわり、ある種面白さだけを追い求めている。そしてそれを見ている視聴者の大半は面白さだけを求め何も考えないようになっている。まるで現代を予見していたかのような作品ではないのでしょうか。

確かに、マスコミの影響力は凄まじいものがあります。それによって冤罪となった事例も少なくはありません。もちろん、それを報道することなどまずありえないわけですから、知る事も少ないわけです。

カーターのような正義感の溢れる記者などつまはじきにされる世界なのでしょうが、それは何もマスコミだけの話ではないのです。そうした本当の意味での問題意識を持たないままで繰り返される歴史は決して誇れるものではないわけです。


 この番組ではマックスの軽快なしゃべりが一つの売りになっているわけですが、それも決して笑うばかりではないのです。マックスの役どころは滑稽なピエロのようなもの。つまり、笑いの裏に悲哀が隠されているわけなのです。そういう意味は、単なる近未来を舞台にしたドラマというわけではなく、その当時からあったのだろうある種の警告が含まれていると見ても良い、そう思うのです。


 今の世の中でマックスに似たようなものはないかしらと考えてみたのですが、ある意味、某巨大掲示板はそれに近しいと思うのです。世の中を皮肉り、少し斜めから話をする。とは言いましても、その大半が人を馬鹿にするような発言なのですからマックスよりは役に立っているのかいないのか、微妙な所ではありますけど。

冗談はさておき、今から20年も前にこうした作品が作られるほど、マスコミの影響力は目に付くものであった、そう考えるのが妥当なのでしょう。そしてそれは今でも変わらず…いえ、より酷くなってきていたのかもしれません。Blogの出現により、マスコミの影響力が下がる、もしくは下がったと言われるのでしょうが、それも一時的なこと。結局、それすらも巻き込むだけの技術を持つことになるのではないかと思うのです。

だからこそ、そのモラルはしっかりと率先として誠実になくてはならないはずなのです。昨今の発言に対する責任のあり方は、やはり視聴者として納得できるものばかりではないのが多く、結果的に報道としていてもそれはバラエティの域を抜けないものであると感じてしまうのです。

ならば、そんな無責任の集団のどこに報道の自由、言論の自由があるのか。疑問になるのは当然の話ではないのでしょうか。影響力のある分野であるからこそ、責任の重さをしっかりと認識してほしいものです。
 
 
 
 そんなこんなで本日はここまで。




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