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2010年01月09日

進化する同時プレー【「マリオブラザーズ」(1983年 任天堂)】

 さて、今回は1983年に発売されました「マリオブラザーズ」です。



 軽快なBGMと共に横スクロールでカメたちを蹴散らしながら進んでいくアクションゲーム…それは、スーパーマリオブラザーズ。今回、ご紹介しているのは、スーパーのない、単なるマリオブラザーズです。
 
このゲーム、記憶が正しければ、最初はファミリーコンピュータ向けに製作されたものではなかったはずです。この1983年に発売というのは業務用(アーケード版)のものであり、画像はファミリーコンピュータ版のものですが、もっと動きも癖が強く、ファミコン版から入ってきた場合にはかない操作し辛かった印象があります。
 
ファミコンという稀代の家庭用ゲーム機の性能を見せるには十分なゲームであり、また、移植という分野を切り開いた作品のひとつでもあるわけです。
 
当然、これまでも移植というのは様々なパソコンの媒体では行われたきたものです。しかし、家庭用ゲーム機というのが、専用カセットもしくはカセットテープの媒体であった時代。基本的には、そのゲーム機用のゲームが出されるのが当然であった時代であり、業務用は業務用、家庭用は課程用と明確な住み分けをしていた時代でもあったわけです。
そう、業務用を遊びたければ、ゲームセンターに行きましょうというのが当たり前であったわけです。
 
所が、ファミコンはその常識を覆しました。
パソコンや業務用、その様々な環境で発売されているテレビゲームを、ファミコンで遊べるようにしましょうと宣伝を打ってきたわけです。今では当たり前のサードパーティのソフト会社。その門戸が開かれたからこそ、今のゲーム機業界があるのは間違いないわけです。
 
 
 
 さて、そんなマリオブラザーズなのですが、主役のマリオ、そして弟のルイージが配管工として登場するのは、実はこれが始めてなのです。それまでは大工であったり、単なるおじさんであったり。
ゲームのイメージが下水管から這い出て来るカメやハエやカニを退治するものですから、確かに配管工であるのが自然なのかもしれません。
 
マリオと言えば、今では様々なパワーアップアイテムが当然でありますが、このゲームにはそんなパワーアップアイテムは一切出てきません。アイテムとして使えるのは、中央付近にあるPOW床だけ。これを下から叩けば画面全体を叩いたのと同じ効果がありますが、それも三回まで。
数ステージで回復すると言っても、その間に使いきってしまえば、回復するためにはステージクリアするしかないのです。
 
また、二人同時プレイが出来るというのも特徴のひとつ。
通常であれば協力プレイが当然ですが、しかし、自然と相手を落とし入れるかのようなプレイになってしまうのも、このゲームの特徴なのかもしれません。そう考えれば、プレイヤーが遊びの幅を広げられるゲームであったと言えるのかもしれません。
 
 
 
 と言う感じで思うところとしては「対戦」と言う事で一つ。
 
今では珍しくなくなった対戦プレイ。この当時は、こうしたひとつの画面で複数のプレイヤーが対戦する事自体が画期的なことであったわけです。パソコンゲームであれば、同時に数万人がプレーしているのも当然の世の中になりました。
 
対戦といえば、争うだけのイメージがあるわけですが、今では対戦プレーというよりも、同時プレーという名称である場合も多い様です。
そうした中から生まれるコミュニケーションもあるわけで、そうした意味では「すれちがい通信」というのも一緒の同時プレーと言えるのでしょう。
 
袖すり会うも多少の縁という言葉があるわけですが、実際の世の中で希薄になりつつある、その言葉も、ゲームの世界ではこれから主流になってくる様相があります。まさに、コミュニケーションツールとして、携帯電話に次ぐアイテムとなるのかもしれませんね。
 
…といいましても、結局は、袖すり会うも…のすり合うだけの状況であるのは間違いなく、そこから一歩進んだコミュニケーションツールとしての様相はまだまだのようです。
当然、人として相対するには、最終的に言葉を交わし、意思を疎通することが大事になってくるのは間違いないわけです。それを忘れて本当のコミュニケーションを取れることはないのでしょう。
 
きっかけとしての同時プレーから生まれるコミュニケーション。それが電気を通じているだけの希薄なものでないようにするにはどうすれば良いのか。それが新しいマーケティングを開拓するひとつの方向性であるように思えてならないのです。
 
冒険が生み出す人とのつながり。いつか、ゲームの世界からでも、そうしたコミュニケーションが広がっていくと面白いのではと思うわけです。
 
 
 
 そんなこんなで本日はここまで。

2009年11月21日

ゲーム=悪?【「Wii fit Plus」(2009年 任天堂)】

 さて、今回は2009年から発売となりました「Wii fit Plus」です。



 「健康を管理するゲームソフト」を目指して設計された家庭用ゲームソフト。それがWii fitです。
2007年12月に発売されたそのソフトには、バランスWiiボードという外部コントローラが付属。そのコントローラが、これまでのゲームとは大きく違うところでもあり、特徴でもあるわけです。
 
プレイヤーは基本、このバランスWiiボードに乗りながら、ゲームを楽しむわけです。
その機能たるや「体重測定」だけではなく、「重心感知」まで行ってくれるのです。それらを組合せる事によって、ゲーム内では上下左右前後の動きを表現し、奥行きのある遊びを提供しているのです。
 
それだけではなく、これまでのように手首より先だけで遊んでいたゲーム機と異なり、身体全体でテレビゲームをするWiiの特性を活かして、ヨガ、筋トレ、そして有酸素運動を行えるミニゲームで遊ぶ事で、自然に自分のリズムで健康管理が行えるのです。
 
そのWii fitにさらに新作トレーニングを21種類増やしたのが、Wii fit Plusです。
 
 
 
 ふとしたきっかけで、我が家にWiiが来る事になりました。元々、ゲームは好きであったのですが、最近すっかりやらなくなったのは、新機種を購入していないのと、ゲームにかける時間が少なくなったからかもしれません。
 
そんな中で、このWii fit Plusに関しては、自分の体重や運動量を管理してくれているので「やらなければ」という意思にしてくれます。
 
またWiiの特性として、一定時間プレイすると休憩を促す画面が出てくるので、これまでのように時間を忘れていて、大事なことをやり忘れたとか、気がつけばこんな夜遅くまで…という事がないのも嬉しいですね。
 
それだけ夢中になれるわけですが…と記載しておりますが、基本やっているのは家族であったりします。
私はWii スポーツリゾートに夢中です。
 
どちらにも言えますが、本当にやりすぎると、腕や腰、足がいたくなるのですね。
それだけ身体に負荷がかかっているのでしょうが、さて、その成果はまた後日。お知らせできれば良いなぁと思っている次第ですw
 
 
 
 と言う感じで思うところとしては「ゲームと効果」と言う事で一つ。
 
もう、既に知られている話のなかで、ゲーム脳は信用が出来ないというものがあります。思うに、こうした、いわゆる悪のレッテルと言うのは、事を性急に結論付けたいため。もしくは理解できないものを排除したいために起こる動きではないのかと思うのです。
同じような話にマンガに対する悪評があります。これは現在でも起こっているのですが、それでも、現在の出版業界における半分以上の売上はそのマンガによってもたらされているわけです。ゲームにしても、売上が落ちたと言われながらも、家庭用ゲームに関しては、決して下火になっているとは思えません。
 
今まで、そうしたゲームに対する正しい評価が得られていなかった状況において、WiiやDSで発売されているソフトには、まさに逆手を取ったかのようなものが多く発売されています。
ゲーム=悪。悪影響だけがクローズアップされる時代は終わったのかもしれません。
 
そうした中で、カードゲームにおける面白いデータが出てきました。
 
子供たちが夢中になっているカードゲームにおける脳の働き具合を調べてみると、その血流の流れ具合は、計算式を解いているときの脳波と差ほど代わりがないそうなのです。
これは、戦術を考える際に現れる脳波なのだそうですが、考えてみれば、数百種類もあるカードの中から決まった枚数を選び出し、そこに自分の求める戦略を込めていく。それは頭が廻らないと出来ない作業です。決して、闇雲に組み立てて勝てるゲームではないと言う話になります。
 
同じように昔からあるゲーム…将棋や囲碁、チェスもそうですが、これらは長い歴史と扱ってきた大半が大人と言う事で、知名度が上がってきたわけです。ならば、こうしたカードゲームも決して同列にならないとは言えないわけで、むしろそうした土壌があってもおかしくはないのでは…とも思うわけです。
 
ゲームを攻略するための思考や物語を読み解くための思考。そうした中に、心身の健康を加味していく教育方針があっても、面白いわけで、要するに道具としてのゲームやマンガをどのように活用していくか…と言う事なのだろうと思うのですが、皆様はどう思われますか。
 
 
 
 そんなこんなで本日はここまで。

2009年04月25日

古くても新しくても、遊びはお手軽が一番【「ワルキューレの冒険 時の鍵伝説」(1986年 ナムコ)】

 さて、今回は1985年に発売されました「ワルキューレの冒険 時の鍵伝説」です。

 『はるか昔マーベルランドの住民達は永遠の命を持っていた。
 
人々は地上に溢れ、飢えと争いで憎しみの日々が続いた。人々の心に悪魔が宿ったのだ。そんな有様を見かねた神は、この地に大きな時計を築き、全ての者に生まれ、そして去るべき“時”を決めた。
神は、人々にその“時”を守ることを約束させると、大時計に“時の鍵”を差し込んだ。そして人々にとりついた魔物達を時の狭間に追いやり、二度と出て来られない様にした。
 
人々は命に限りがある由に、哀れみと労わりを知り、仲良く暮らし始めた。マーベルランドに平和な日々が続いた。
 
しかしある夜、死を恐れた男が“時の鍵”を抜き取ってしまう。
 
程なくして、針がくるくると回り時代が逆流し始めた。そして、時の狭間においやられた悪の化身ゾウナが甦ってしまった。
ゾウナは“時の鍵”を手に入れ、時を思うがままに操り、マーベルランドのあちこちに魔物達を放った。魔物達は町や村を破壊し、人々の魂を奪ってゾウナに捧げた。
 
恐怖と絶望の闇に包まれるマーベルランド。人々の救いを求める声は天を舞い、その声は、神の子“ワルキューレ”の胸に木霊した。
 
ついに、見かねたワルキューレは人間の姿に身を転じ、下界に降り立った。ワルキューレは地上を救うため、そしてゾウナを再び封印するために時の鍵を探す冒険に出る。』(ウィキペディアより)
 
 
 
 ウィキペディアを見て、「そうだったなー」と「そうだったのかー」という感想を持った物語ですね。当然、そのような話はゲーム中には少しも語られることはなく、いきなりフィールドに放り出されると言う点が、当時、難しいという感じを出していたのではないのでしょうか。
 
と言いますのも、その当時は数多くの攻略雑誌が溢れ、ゲーム自体が攻略本ありきで作られている感があったように、今となっては思えるわけです。
当然、今もそうした攻略本は出ているわけですが、それでもこれほどまでに不条理な設定のあるゲームもないでしょう。
 
ヒントがまるでないのですから。
 
不思議なもので、ファミコン全盛期のユーザーたちには、何かを探し出す勘が大変よく働いており、初見のゲームであったりしても、その謎を解いてしまう猛者がいたわけです。今でなら説明不足で駄作のレッテルを貼られそうですけど、当時はそれを挑戦状のように受け止め、探し出す。しかも、その情報を雑誌社に投稿までする…そうした土台があったればこその話なのですけどね。
 
さて、このワルキューレの冒険 時の鍵伝説は、その当時としては斬新とも言える、星座と血液型で初期の性能が決まるシステムを採用していました。と言いましても、体力と魔力の初期値、そして成長パターンが決まるというものでしたが、それによって戦略が変わってくるという要素もあったわけです。
 
リアルタイムアクションゲームでありますので、状況は時間と共に刻々と変わっていきます。それを利用した謎解きもありました。
正直、これは普通に気付くのは無理。本当に偶然から理解するしかありません。それでも、それを読み解いたプレイヤーもいたとか聞いたことありましたね。
 
ゲームの目的は時の鍵というアイテムを奪い返し、ゾウナという悪の親玉と共に魔物を封じる事。それまでにいかにワルキューレを成長させ、謎を解いていくのかがまさに鍵となるわけです。
 
このゲームにおいて、もう一つの大事な要素…と言いますか、こちらのほうがメインではないのかと思う要素に、漫画があります。
 
キャラクターデザインをやられている冨士宏氏。彼によって書かれた漫画は、確実にワルキューレファンを増やしていったのです。ゲームが発売されていた時期、ナムコはNGという冊子を出していました。そこにも冨士宏氏の漫画が描かれていたのを覚えています。
今もし揃えられるのなら、NG、揃えてみたいですねぇ。
 
今のゲームフリークの走りとも言えるナムコマニア。その最盛期が、この少し前からこの辺りの時期までではなかったのかと思うのですが…これはまたの機会に調べてみましょう。拾えれたら、結構、濃い話が出来そうな予感。
 
そんなある意味、時代の先を行き過ぎた時に出てきた作品の一つではないのかと思うのです。
 
 
 
 と言う感じで思うところとしては「ドット絵のゲーム」と言う事で一つ。
 
最近、昔のファッションがまた流行りだしたりしていますけど、ゲームでも同じ様な事が起こっていますね。その媒体は携帯ゲーム機。ニンテンドーDSiのソフトやケータイ電話のゲームアプリです。
 
そうしたゲームは確かにファミコンからすれば色数も増え、音源も素晴しいですので、比べる事が出来ないのかもしれませんが、それでもこれは同じというものにドット表現している事が挙げられます。
いまならポリゴンなどという名称すら出てこない、美麗な3D表現でのゲームが数多に出ているわけですが、それでも、ドット表現のしているゲームの人気が衰えないというのはどういう事なのか…そんな事を考えてしまいます。
 
確かに、飛行機のシミュレータなどもゲームのようなものです。単なるゲームと異なるのは、その仕事に対する真剣さが必要であり、単なる遊戯などではないという事なのですけど、その画像並の素晴しいシミュレーターが家庭でも出来るようになりました。
つまり、素人でもパイロットになれるほどの能力をパソコンが持ち合わせ、場合によっては家庭用ゲーム機はそれ以上の処理をしてくれると言う事なのです。
 
ですが、そうした美麗なものの全てが面白いのかといえば、これは明らかに異なります。
また、捜査が複雑になりかねない、さらには値段がどうしても高くなってしまうという二つの敷居の高さを見せてしまうことになったわけです。
 
そうなりますと、ケータイ電話のゲームアプリで500円ぐらい、携帯ゲーム機でも4000円もあれば購入できるソフトで面白いものがあればそちらに流れるのは仕方がない話なのです。
 
それまで業務用…つまりはゲームセンターに行かないと体験出来なかったゲームが家庭でも同じ様に出来るようになったファミコンの登場に驚きを隠せなかったわけですけど、その感動というのは薄れたわけではなく、何か手軽に出来る娯楽要素がなくなっていったからではないのかと、ふと思ってしまうわけです。
 
あくまでゲームがお気楽にプレイするのが一番のような気がするわけで、そういう意味ではトランプというのは優れたゲーム用の道具であると思いますし、アレを抜くテレビゲームが出ることはないのだろうと同時に思ってしまうわけです。
それも技術革新でいきなり変わる可能性がない…と言えない楽しみも同時にあるのもまた事実。時代に左右されない想像を超えた遊びがどのように出てくるのか、楽しみな事です。
 
 
 
 そんなこんなで本日はここまで。

2008年12月20日

太陽系より離れていく旅の中で【「ジャイラス」(1983年 コナミ)】

 私たち人類が彼らに追いつく事があるのでしょうか…だとすれば、それは何時、どのような形になるのでしょうか。その彼らとは、ボイジャー1号2号と言います。



 さて、今回は1983年に発売されました「ジャイラス」です。



 海王星より始まり、天王星、土星、木星、火星と経て地球へと向かうのがゲームの目的…と言っても、このゲーム、基本的にはインベーダーゲームなので、ボーナスステージ以外、その面に出現する全ての敵を倒してクリアとなります。
惑星間は初めの海王星に向かう2ワープ以外は全て3ワープ…つまり3ステージ構成になっているわけです。
 
特筆すべきは、やはり自機の動きでしょう。
それまで、横移動がメインであったインベーダーゲームに円の動きを取り入れたのです。先ほど、横移動と記載しましたが、基本的には直線運動と記載した方が正解なのではないのでしょうか。
 
現在ならば、ポリゴンも使用した三次元的な動きは当然なわけであるのですが、当時の技術からすればそれはまだまだ先の話。出来る事と、商売になる事は決して同じではなかった時の話です。大抵のインベーダーゲームは横向き、もしくは真上からの視点でのつくりとなっているわけですが、このジャイラスは斜め後ろからの視点。円運動をするその動きは擬似三次元と言っても決して過言ではないのです。
 
敵は画面の構成からいえば中心から、しかし見た目には、奥から迫ってくるようにグラフィックされています。
奥のほうでは小さく描かれゆっくりと動き、自機に近づいていくる程、大きく素早くなる。その緊張感は他では味わえないものであったと記憶しております。
 
明確な物語を記載しているわけではなく、基本的には殲滅を目的としたゲームであるために、どうして地球に向かっているのかはわかりません。ただ、そうした物語を想像させるに難くないのが、BGMの存在です。
ジャイラスにはJ.S.バッハのトッカータとフーガニ短調、そのアレンジバージョンが使用されています。スタートボタンを押したときに流れる最初のフレーズ。それは絶望感を表現しているかのよう。
つまり、この戦いというのは、引く事が出来ないほどの切羽詰ったものなのだ…と勝手に想像してしまうわけなのです。
 
そうすると自然と燃えてきます。この戦いは俺だけにしか出来ない、俺がやらねば誰がやる…いや、別にそこまで入り込む事もないんですけどね。思えば、任務達成まで(つまりは地球まで)到達した事がどれだけあったのか……任務失敗=GAMEOVERの文字を何度見たことか。
 
難しいというよりも、慌てる事がやられてしまう可能性の高いゲームでもあります。速度は速いのですけど、決して難しいという部類ではないのです。
 
ボーナスステージは、ギャラガタイプとなっており登場する全ての敵機を倒す事が一番の高得点となるわけです。
その登場方法=敵機のルートは各ステージごとに決まっており、初見では運が、二回目以降では覚える事が高得点につながるようになっているわけです。
こうしたゲーム性は当時、企業間によって独占するわけではなく、同じゲームとして面白いものは取り入れるというスタンスであったわけです。
 
最近ではこうした状況をパクリと言いますが、むしろ、ゲームだけではなくそれこそ、エンターテインメント性のある娯楽に関してはパクリではないものが現状少ないのは事実なのです。
パクリであるのかオマージュであるのか、インスパイアであるのか。結果的には捉える側の許容と、親告する側の許容、更には利用した側のモラルという絶妙なバランスで成り立っているのは今も昔も変わる話ではないのです。
 
アコギな方法ではない限りは、不用意にパクリとして非難するのはエンターテインメントの萎縮を促す結果になる…と思うのですけどねぇ。
 
それはともかく、実はこのジャイラス。とある有名なゲームプロデューサーによって作り出されたものです。それは岡本吉起氏。今ではゲーム会社の代表取締役までやっている方でカプコンで数多くのゲームを作られた方として知られています。
この方がコナミで制作したのが、ジャイラスとタイムパイロット。どちらも有名なゲームですし、当時としては斬新なアイデアで作られていたゲームであるのは間違いないのです。
 
思うに、この二作品はそれまで「こうでなければならない」としたシューティングゲームの枠を更に打ち破った作品でもあると思うのです。



 1977年に打ち上げられた二機の無人惑星探査機ボイジャー。2007年7月の段階で1号は太陽から約154億8000万km、2号は約124億5900万km離れたところにいて、それぞれ秒速17km、15kmで飛行中との事であるから、今は更に遠い場所にいる事なのでしょう。
そんな彼らが、まだまだ地球に近いときに送り届けた一枚の写真の中に、太陽光の中にある青い点のような地球というのがありました。本当に点のような地球。それは、地球にいる我々では決して自分の目で見ることも、それを誰かに語ることも出来ないような、遠い場所での風景であり、同時にどれだけ大きな宇宙の中にあって、どれだけ小さな、そして限られた惑星であるのかを知る一枚ではないのかと思うわけです。
 
今、人類は地球の外へ向け、知性と行動をもって一歩を踏み出そうとしています。それが利権を求めるだけのものであるのか、それとも革新ともいえる不文律を生み出すきっかけになるのか、それは行ってみないと分からない話です。
 
地球は無限ではなく、有限である。その事を知識で知る事と実体験で知る事は当然のように刻まれる衝撃は雲泥の差があるはずです。文化や歴史が限られた空間の中で積み重ねられていくと言う事、それは人類の手で作られた歪な積み木を積み上げていく事であったのかもしれないのです。
良く見れば、その歪さもわかり調整もできるのでしょうが、昨今の時代の速度は、その調整もままならないまま進んでいるように思えるわけです。積み上げる事だけを望む世界。そこに何かしらの不具合があったとしてもおかしい話ではありません。
 
積み上げられた歪な積み木。その上に新たに積み上げられてしまったら、それを直す事は不可能です。抜く事なら出来るのかもしれませんが、それはそれまでの…いえ、これからの先に積みあがるはずの場所を取り上げるだけの覚悟が必要になってくるという事なのかもしれないのです。
 
 
様々な憶測や推測がありつつも、人類はこれまで孤独であり続けてきました。これだけ広大な宇宙の中に、人類以外の生物を目の当たりにする事がないのです。縁がないだけかもしれません。隠れているだけなのかもしれません。しかし、そのどちらであろうとも、人は人以外の人にあったことはないのです。
 
奇跡の惑星、地球。その蒼穹の惑星は、地球のどの宝石よりも輝いて存在しています。
 
ボイジャーが送ってきた点のような地球の写真。それは光が一秒間で駆け抜ける距離=光秒で言うと、約2万1473光秒の彼方からの地球の姿でもあるのです。それでも分かるほど、地球は青く輝いているのです。
 
 
同時に、人類がその上で行っている愚行を、ボイジャーは笑っているのかもしれません。…我らを生んだ父よ母よ同胞よ。君たちはそんなちっぽけな場所で何をいがみ合っているのかい?こんな広大な宇宙の中にあって、蒼穹が輝く、その美しい星で…。そう言っているのかもしれません。
 
そんな彼ら、ボイジャーたちには、我々のメッセージが載せられています。ゴールデンレコードと名付けられた黄金のレコード盤です。そこには、55の言語の音声情報や、90分間の電子情報化された音楽。そして、そのジャケットには地球がどこにあるのかという、言ってみれば宇宙航海地図などが記載されています。
 
そこにあるのは、間違いなく平和に存続する人類の姿。将来、このメッセージを受け取った異星人が来た時に、人類が小さな惑星で争っている姿を見てどう思うのか、そんな事も考えてみるべきではないのでしょうか。そして、そのちっぽけな惑星には、人類だけが住んでいるわけではないと言う事、さらには守らなければならないという事も感じ取るべきなのだと思うのです。
 
 
 
 そんなこんなで本日はここまで。

2008年09月27日

昔に戻っていくような感じのゲームセンター【「新世代ロボット戦記ブレイブサーガ」(1998年 タカラ)】

 ゲーム業界…最近は家庭用だけがクローズアップされますよねぇ。



 さて、今回は1998年に発売されました「新世代ロボット戦記ブレイブサーガ」です。



 宇宙の果てに封印されていた負の宇宙意識体・絶対悪グランダーク。その封印が解かれし時、宇宙は恐怖に包まれる。その野望の手が遂に地球にまで迫ってくる。
その時、グランダークに対抗するため「大いなる意思アスタル」は聖なる心を持つ聖勇者の一人、バーンを地球へ差し向けた。
 
しかし、バーンはそのままではグランダークに対抗する事はできない。彼の力を発揮できる、聖なる心を持つ地球人に協力を求める必要があった。バーンの力の根源となる聖なる心、それは勇気。
 
かくしてバーンは、勇気を秘めた少年、瞬平の下へ現れる。グランダークの野望を阻止するために。
 
 
…簡単ですが、これが基本的な話となります。この話に、様々な番組のキャラクターが参戦するような形で物語=ゲームは進んでいくわけですが、この形式、バンダイのスーパーロボット大戦の流れそのものです。
 
つまり、この商品はバンダイではなく、タカラが獲得しているロボット物の番組を元にしたスパロボであると言えるわけです。
ただし、この表現がタカラにとって嬉しいのかどうかはわかりませんけどね。
 
スパロボでは、この作品に出てきたロボット番組の登場を待ち望む声が多かったのは事実です。しかし、世の中にはスポンサーというのがあり、それは番組ごとに違っているものです。
別の時にも記載しましたが、少なくとも、過去のロボット番組はその番組のために玩具があったのではなく、玩具を売るための宣伝媒体として番組があったわけです。
 
なので、そう簡単に…といいましても、正直、出来ない話ではないのでしょうけど、色々制約はあるはずです…スパロボに登場すると言うわけには行かなかったわけです。
 
 
ちょっと待った。ガオガイガーはタカラが発売していたはずだけど…スパロボに出てるのは何故?
その理由は至極簡単。サンライズはどこの子会社なのでしょうという話になります。
 
サンライズはバンダイの子会社です。1994年に資本出資を受けて、その傘下となりました。対するガオガイガーは1997年に製作されています。
つまり、1994年以降の作品に関しては、バンダイのものでもあるという構図が出来てくるわけなのです。
 
勇者シリーズ以降、玩具メーカーにおいてバンダイ以外のサンライズ作品は…探すのが難しいのではないかと。特にロボット物も少なくなりましたし。
 
この作品において不思議であったのは、二つの作品群が出ていなかったことです。ガリアンやダグラムが出ているのに、どうして、それよりも有名なこの作品が出ていないのか。
 
それは、魔神英雄伝ワタルシリーズ、そして魔動王グランゾートです。
 
これは推測なのですが、ワタルに関しては、超魔神英雄伝ワタルの玩具の発売権利はバンダイになっているのです。実は、超魔神英雄伝ワタルの放映も1997年。つまりはバンダイ傘下となった時の作品であるわけです。
そして、決定的であったのは、ゲームに関する発売の権利をバンダイ側が持ってしまった事にあります。
 
そうなりますと、これから新規で発売するにあたり(ブレイブサーガの発売は1998年)、前のワタルであったとしても、物語上は繋がっている事になり、面倒な手続きが発生する可能性も出てくるわけです。
 
タカラ側としては、勇者シリーズと同じ様に人気のあった、ワタルとグランゾートを諦めるしかなかったという事も予想できるわけです。個人的には入れて欲しかったのですけど…。
 
 
ちなみに、ゲーム性としては非常にストレスの溜まるものでした。
ただ、こうしたストレス云々は、スパロボの初期にも当然あった話。最初の作品としては、よく纏められた方ではないかと思うわけです。
 
この後に幾つかの作品が続くわけですが、最近ではこうした作品が出る様子はありません。
ユーザーの一人としては、垣根を超えて、作品が出せるようになって欲しいものだと思うのですけどねぇ。
 
例えば、スパロボでもACEでも、タカラトミーとバンダイナムコが連名になり、勇者シリーズやらエルドランシリーズやら、ワタルやらグランゾートやら…気兼ねなく操縦してみたいものです。
売上げの折半は大人の裁量でどうにかすると言う事で、やってもらえないものでしょうかねぇ。




 最近の記事で驚きましたが、ゲーム会社5社ほどが共同で一つのゲームを作る=ゲーム会社版のスパロボようなソフトを売り出すのだとか書かれておりました。
 
私自身、テレビゲームの初期の方から生存している人なもので、その当時から見ておりますと、コピー問題、ブランド志向、著作権問題ときまして、現在は協力体制といいますか巨頭大戦と言いますか、業界的にはかなり精査されてしまったなぁと思うわけです。
 
本来、ゲームなどにあり方はないわけです。ユーザーが面白ければそれで問題はないわけで、それをどのように宣伝するのかも大した話ではないのだと思っております。
要するに、服飾などと同じく、興味がある方には、どのような情報媒体であろうとも、それを集められるようになる。そんなものだからです。
 
1970年代、ゲームセンターはドラッグのような存在として扱われ、1980年代、不良のたまり場となり、1990年代、市場として注目を受けるようになって、2000年、その形態を変化しなければいけなくなりました。
大雑把にこう捉えているわけですけど、明らかに最近のゲームセンターは私の知っているゲームセンターではなくなってしまいました。
 
テーブル筐体が置かれ、蟹股ですわり、少し猫背になりながらレバーとボタンでプレイする。一見すればなんと暗い雰囲気なのでしょうか。それが今では、歌う踊る叩く投げる、運転するわ、ポーズはつけるは。本当に多種多彩です。
メダルゲームを見てみれば、大型筐体ではかなり派手なギミックを使用して演出などをしています。プリクラにしても、全身をうつすよりも、上半身や顔を写すのを主体にしたものまで登場しているのですから、それは雑誌並みの光源をつかって、瞳の中に光がはいった写真も容易に撮影できるようになるわけです。
 
 
一方でゲームは小型化をしていきました。携帯ゲーム…一般に呼称されている中では、ニンテンドーDSやプレイステーションポータブル。それだけではなく、iPodや各社携帯電話でも、ゲームは可能になっています。
 
特にDSでは、タッチペンを採用して、誰でもゲームが簡単に出来るだけではなく、その利用法、そして利用者の幅を大きく広げる事に成功しました。脳トレ関係や常識、美文字に料理。大人がプレイしても全く違和感がないそうしたゲーム…というよりも、動きや音のある辞書(もしくはクイズ)が数多く出てきたわけです。
 
では子供向けにはどうかと言うと、そのタッチペンを使う事によって、より大胆で繊細な行動をキャラクターに取らせる事が出来るようになりました。
もう発売されているのかはわかりませんが、最新のドラゴンボールのゲームではタッチペンによる如意棒の操作が可能ですし、何かの探偵物では、タッチペンで部屋の中を探すというものにも使われていたと記憶しています。 
 
同じ様な携帯ゲームであったはずの、ゲームウォッチなどとは比べ物にならないほどの多様性です。
 
 
更に一方で、ゲームは同時に多人数と行えるようになりました。パソコンにおけるMMORPGなどはその代表例と言える事でしょう。PS2におけるFF11などは家庭用ゲーム機におけるMMORPGの元祖でもありますね。
 
 
さて、こうした変化の中で、ゲーム会社は淘汰されていると言っても過言ではありません。
一つを作るのに1年では足りず、数年かかるのも当然とされた状況では、大企業のような地力もしくは自力のある企業しか製作する事はできず、新規参入が難しい状況を作り出しているのだと思います。
 
確かに、家庭用においては新機種になればなるほどその性能をリミットまで使う事が難しくなっているのも確かですし、それを行った所で売れるゲームとなるのかも疑問です。
 
更に言えば、業務用…つまりはゲームセンターなどは、その形態が既に小さな遊園地の様相となってきてしまっている状況です。
これは昭和のデパートの屋上にあった屋上遊園地に原点回帰し始めている状況であるとも言えます。ですが、その当時のものと大きく異なるのは、コイン(メダル)ゲームに大きく依存していると言う事でしょう。
これはこの先にある、日本カジノ構想で大きく問題視される状況なのかもしれないとは思っております。元々、ゲームセンターにパチンコやスロットの廉価版が置かれている事自体に疑問がありますし、そこに大きく依存している状況も子供たちにとってどうなのかと思いますし…。
 
もう一つ、景品関係の機械でも、初心者が気軽にプレイできるものが少なくなったと思うわけです。
それに景品自体を売っている場所もありますし、本当に欲しければそっちで買えば言いや~などと思っているユーザーもあるわけですから、ゲーム業界にしてみれば頭の痛い話ではないのでしょうか。
 
恐らく、これまで以上に変化の早い状況になるのは必死でありまして、家庭用ゲームの進歩に業務用が追いついていない状況であるのは間違いない話であります。
結果、家族がゆっくりと楽しめる屋上遊園地に戻すのか、それとも、家庭用ゲームやパソコンアプリとうまく連動するゲームセンターを作るのか、もしくは昔のゲームセンターに戻すのか。
 
他の業界のような住み分けが要求されているのは間違いないように思えるわけです。
ただし、それは都会での話。地方では、ゲームセンター自体が少ない状況になっておりますので、淘汰や精査よりも速く衰退が起こっているのは間違いありません。なんせ、ここ数年で私の近くにあったゲームセンター全部なくなりましたから。それ自体が、死語になるんじゃないのかな~と思ってしまったぐらいなのです。
 
 
 
 そんなこんなで本日はここまで。

2008年05月10日

無駄な労力使ってまで…【「Another Century’s Episode 3 THE FINAL」(2007年 フロム・ソフトウェア/バンプレスト)】

 今回は何を記載しようかと悩んでいたのですが、どうにも昨今の世情を考えてみると、不穏な空気が流れているように思えてなりません。そこで、今回、たまたま見つけたネタを基に話をしてみたいと思います。
 
そのネタの名前は「DHMO」…ihydrogen Monoxide(ジハイドロジェン・モノオキサイド)と言います。



 さて、今回は2007年に発売されました「Another Century's Episode 3 THE FINAL」です。

 突然の隕石落下。それは一人の少年「バレル」をその意思とは無関係に戦場へと向かわせる。彼の目の前に現れたのは、「抗体コーラリアン」と「イクスブラウ」そしてそれに乗り込んでいた少女「フェイ」であった。フェイに誘われるがまま、抗体コーラリアンを相手に戦闘するバレルたちの前に、所属不明のロボット群が現れる。
 
そして、少年は戦争の深み…いや、真実へと向かって、知らず知らずの進んでいくのであった。
 
 
その副題にあるTHE FINAL。一区切りの作品として登場したのが、このAnother Century's Episode 3です。
 
ロボットアクションゲームで定評のあるフロムソフトウェアが、アニメなどの既存の作品を元にしたもので、文字通り、この作品で三作目。一応、それまでのものも、この作品に通じているかのように描かれていますが、それでもあくまで物語の端っこがくっついているかのようなもの。
恐らく、これが更に新作が続いたとしても、これまでの話はリセットされる事になるのでしょう。
 
今回のゲームで一番の売りは、やはり、各種ロボットにおけるテーマソング。その大半が歌唱されると言う点です。
 
例えば、オーバーマン キングゲイナーは福山氏の歌う「キングゲイナー・オーバー!」、機甲戦記ドラグナーは鮎川さんの歌う「夢色チェイサー」、∀ガンダムであれば、西条氏の「ターンAターン」と、そのアニメには欠かせないBGMやOPなどが起用されているのです。
こうした音楽というのはアニメには切っても切れないものとなっており、特にこうしたロボットアニメではOPによって期待感が高まり、場面によるBGMによってテンションが高まるという事もざらにあったわけです。
 
こうした演出は、プレイヤーの熱気を自然に上げるだけではなく、その世界観に引きずり込むきっかけにもなると言うわけです。
 
 
操作関係では細かい部分は訂正されているとしても、それまでのシリーズとは違和感のない操作性となっており、むしろ機体数の大幅な上昇によって、それぞれの戦術も変わる事によって、同じミッションでも違った手ごたえを感じる事が出来るようになっています。
 
なれてしまうと、どうしても同じ機体で戦いに赴く事が多いのですが、出来れば満遍なく使って行く方が、後々、楽しくなる事間違いありません。
シークレットの関係もありますし。
 
個人的に笑ってしまったのは、その昔、今はなくなってしまったコミックボンボンで一世風靡したプラモ狂四郎のパーフェクトガンダムが参戦している事です。しかも、この機体が初代ガンダムよりも使い勝手が良いのです。
背中に背負っている大砲からは、水が飛び出し、外部装甲をパージすれば、その必殺技はプラモスピリッツと言う、得体の知れないサイコ攻撃。
 
当時の作品を知っている人がみれば、笑うしかありません。
 
でも、残念な点が一つ。せっかく、狂四郎が出るのであったら、エキストラステージにサーキット竹田が出ても良いじゃないか!
 
 
さて、このシリーズ、今の所この作品で最後と言う事になっています。しかし、出来れば、また出して欲しいというのが願いでもあります。しかも、スーパーロボット系の作品も併せて出してくれれば面白いのにと思うわけです。
実際に出来ない話ではないのでしょうが、さて、実現のほどは如何に。出てくれる事を願いつつ、それを楽しみにしていきたいものです。



 このDHMOとは日本名で言う所の「一酸化二水素」と言いまして、その性質としては下記のようになります。
 
 ・水酸と呼ばれ、酸性雨の主成分である。
 ・温室効果を引き起こす。
 ・重篤なやけどの原因となりうる。
 ・地形の侵食を引き起こす。
 ・多くの材料の腐食を進行させ、さび付かせる。
 ・電気事故の原因となり、自動車のブレーキの効果を低下させる。
 ・末期がん患者の悪性腫瘍から検出される。
 
 しかしながら、その危険性に反して、DHMOは頻繁に用いられているそうです。
 
 ・工業用の溶媒、冷却材として用いられる
 ・原子力発電所で用いられる
 ・発泡スチロールの製造に用いられる
 ・防火剤として用いられる。
 ・各種の残酷な動物実験に用いられる
 ・防虫剤の散布に用いられる。洗浄した後もDHMOは残留し、産物に悪影響を与える。
 ・各種のジャンク・フードや、その他の食品に添加されている。
 
 聞いただけでは、なんと危険な物質なんでしょうねぇ。これは一般的にこの話を聞き手に聞かせ、最後に「この物質は法で規制すべきか」と聞くそうです。すると、聞き手の大半は賛成するのだとか。
 
そこで種明かし。このDHMO=一酸化二水素…つまり、一つの酸素と二つの水素によって構成する物質。酸素はO、水素はH。つまり、水素は二つなので、H2O…つまりはこの話「水」の事を話していたわけです。
 
 
さて、これはかなり有名なジョークとして使われるわけですが、しかし、本来の目的としては、その説明の仕方によっては悪意ある言い方になる可能性もあるという事、また、言い方によっては良く聞こえるという事であるわけです。
 
環境問題、食の安全、それだけではなく、人権運動にしてもそうですが、本来あるべき姿を歪めてしまう可能性がある…それが説明であるとも言えるわけです。
 
当然、聞き手に対して肯定的、否定的に聞こえるように技術が使われているわけですが、つまりは、証拠もないままで完全に鵜呑みにする必要はないとも言えるわけです。
 
 
人一人に真偽の確認をするのは出来る事よりも圧倒的に出来ない事が多いわけです。だからこそ、昨今の情報はそれだけ確認する事の出来ないものばかりであるわけですが、当然、真実だけではありません。
だからと言って、疑え!とは言いません…が、少なくとも「金」に関わる事は疑った方が良いのでしょう。
 
つまりは「振り込め詐欺」「健康詐欺」などの詐欺行為です。
 
昨今の状況では、あまり取り上げられませんが、それでも決してなくなったわけではありません。こうした状況が未だに続いているのがおかしいわけですが、それでも何時自分がどのような詐欺に出会うのかもしれない。その危険性を頭の片隅において置くべきなのでしょう。
 
 
ま、自分がまさかそうした詐欺と話す事になるとは思わなかったので、ある意味忘れないようにするためにも、今一度、気を引き締める意味でも記載したと言うわけなんですけどね。
その時は、バレタと悟られてさっさと切られてしまいましたけど…。あの労力使って、詐欺じゃなくて真っ当な仕事すれば良いのにねぇ。
 
 
 
 そんなこんなで本日はここまで。

2008年05月03日

てーのひらをー太陽にー♪【「Another Century’s Episode 2」(2006年 フロム・ソフトウェア/バンプレスト)】

 日本で開発が進んでいながら、その活用が遅れているのは太陽光発電です。
 
一番進んでいるのはドイツだとか。各家庭に発電パネルなどの設備費用を国が負担する代わりに、設置を半ば義務化し、尚且つ、そこで発電し余剰分を電気会社に売れるシステムまでバックアップしているそうです。



 さて、今回は2006年に発売されました「Another Century's Episode 2」です。

 連邦軍は新型機の訓練をトリトン基地で行っていた。同時にその基地にはガンダム試作1号機、2号機も格納されていた。新型機であるガンアークの訓練中に事件は起こる。それはガンダム試作2号機の奪取。そしてそのガンダムには核が搭載されていた。
 
その追撃任務を受けたアルビオン隊は、奪取されたガンダム試作2号機を追い始める。それが新たなる戦いの始まりでもあった。
 
 
前作とはストーリー上のつながりはない…としながらも実は、次作となる三作目でつながっているようだと匂わせる状況になっているわけですが、本作でそこまで理解はできないようになっています。
 
新たに、コンビネーションアタックが可能になり、また、各作品のボーカルがBGMとして流れるようになりました。これによって、戦略も多彩になり、また、思い入れのある音楽によって盛り上がり方が前作に比べて格段の上がったわけです。
 
操作性については、さほど変化は感じられません。むしろ、こうしたロボットアクション系を作っているフロム・ソフトウェアが手がけている関係で、確かにアニメ内における縦横無尽な動きは出来ないものの、それを思わせる動きは可能となっています。ゲーム内における制約によっての話なのですが、それでも十分に楽しめるように出来ています。
 
反面、やはりその制約が各種機体の格差を感じさせにくくしている現実もあります。
 
どうしても、リアルロボットに分類されるものが、こうしたゲームとしては作りやすいのでしょう。そのために、似通ったものになってしまったのではないかと思うわけです。
 
ただ、こうした作品にいわゆるスーパーロボットを出しますと、その「溜め」や「見栄」の動作のために、テンポが狂ってくるわけです。もし、今後この作品を新たに出す場合には、こうしたスーパーロボットをどうやって演出するのかが問題になるのではないのでしょうか。
 
と、言いましても、実際にスーパーロボットのような作品が一つだけありまして、それが「機動武闘伝Gガンダム」のゴッドガンダムであります。
 
戦いの基本は拳と拳で戦いあう接近戦。そして、必殺技のように叫びまくり、演出のために止りまくり。本当に使いにくい機体でした。ただ、こうした機体も必要であると示してくれたものであるとは思うのです。
 
先ほども記載しましたが、どうにもリアル系のロボットは操縦法が似通ってくる。それを変化させる実験をするには、やはりこうしたスーパー系のロボットを実際に出して、プレイしてもらい、その感想を聞くしかないわけです。
 
私的には使いにくかったのですが、それでも、好んで使っている人もいるそうですので、つまりは操作に難しい機体ではあるがそれが出てくる事が良いという事になったわけです。
そしてこれは次作にも活かされる結果になるわけです。



 この自然燃料における発電。同じ様に車においても、日本での開発はかなり進んでいるはずです。しかし、これが広まる事はまずないのでしょう。その一番の理由は推進していくはずの方々に利益が少ないから。
 
しかし諸外国においてもそれは同じはずです。つまり、結果を残して支持を受ける事を選んでいると言うわけですね。
 
これは、国民一人一人が大統領を選択できる制度所以でもあるのでしょう。日本も総理大臣ではなく…というより名称などはどうでも良いので、大統領制の仕組みを活用するべきです。
日本における一番の弱点は、国の中枢に国民が選択した方が一人もいないと言う事なのですから。
 
 
その話はとりあえず置いておくとしまして、現状、ガソリン価格は右肩上がり。恐らくは200円突破もあながち無い話ではありません。しかも、日本は京都議定書の関係もありますから、CO2削減でも頭を悩ませなければなりません。
 
これは密接な関係があります。それは日本の運搬は基本的に車に依存している現状があるからです。
 
正直、運搬においては、日本は車ではなく出来る限り電車に任せ、車は都道府県内に留める整備にした方が良いと思うのです。つまり、道路整備よりも電車整備。
ですが、電車も文字通り電気を活用するわけです。そこで、最新の新幹線などで想定されている機能の改良を進めてみては良いのではないのでしょうか。つまり、走行することで発電を促すというものです。
 
当然、各駅にも貼れるだけのパネルを貼り付ける必要もあるのでしょう。出来る限り、自分で賄う必要がある時代になってきたと言う事だと思うわけです。
 
 
同じ様に、日本の個人宅にもパネルをより推進し、それを電力会社に売ることで少しでも生計を助ける状況にするべきでは。
出来れば、宇宙から日本の住居地域を見ればキラキラと黒く輝いているぐらいにするべきなのかもしれません。
 
日本には有効な天然資源は期待できません。それほど、国有面積は少なく、また、深くまで掘り進んだとしても、その資源を活用できるところまで技術が確立しきってはいないのです。
 
それを待つ…いえ、待てる時代と言えるのでしょうか。残念ですが、ワーキングプアを出している日本政府に期待は出来ません。
 
そうなると上記の話も期待は出来ないのですが、それでも何とかやってくれと言うしかないのでしょうね。太陽は誰の上にも同じ様に降り注いでおり、それをエネルギーとして活用できる技術を日本は有しているのです。
世界に遅れる事のない政策を期待したいものですね。
 
 
 
 そんなこんなで本日はここまで。

2007年09月02日

リアルが現実になる日【「アナザーセンチュリーズエピソード」(2005年 フロム・ソフトウェア/バンプレスト)】

 最近、リアルロボットというものに、ふとした疑問を感じるようになりました。その一番の理由は、どうやらレイバーに似たものが出てきたこと、どうやら義体に似たようなものが出てきたこと、どうやらアンドロイドに似たようなものが出てきたことがその原因であるようです。

何が疑問かと言えば、それらが一概に二次元の嘘で括られる存在ではなくなってきたようだという事なのです。

ガレージキットメーカーでSTUDIO HALFEYEさんが見えますが、そこから発売された完全変形ゲッターロボなどを見ますと、中に機構を組み込むには、まだ様々な問題があるとしても必ずしも不可能ではないなと思うわけです。

となれば、リアルロボットと称されるものなど、スーパーロボットよりも無理はあっても無茶な変形は決してしていないわけで、より、実現不可能ではないという話になってくるのではないのかと思うわけです。

ただ、全てのそうしたロボットは基本的に兵器なわけで、実現できるようになってきた代わりに、物語までも現実となってくるのかと思えてくるようになったわけです。


 さて、今回は2005年に発売されました「アナザーセンチュリーズエピソード」です。

 統一地球暦045年1月。人々にとて忘れがたい事件が発生する。それは、時代の移り変わりの始まりなのか。それとも、粛清の始まりなのだろうか。時のUCEの若き代表、リリーナ・ピースクラフトが声明した宇宙難民受け入れ計画。しかし、それは結果、大規模な犠牲者を出す事となった。その数、およそ90万人。その事件の首謀者とされているのが、同じUCS所属であるラー・カイラム。

だが、その真実は、未だ誰の目に、耳に入る事はなかった…。


 アーマード・コアで有名なフロム・ソフトウェア、そして、数多くのアニメ・特撮を媒体にゲーム展開をし、中でもスーパーロボット大戦という一つの結果を出しているバンプレストがタッグを組み世の出してきたのが、アナザーセンチュリーズエピソードです。

ゲーム内容としてはフロム・ソフトウェアの得意とする、第三者視点からのリアルタイム操縦によるバトルアクション。それを、数々の有名なロボットアニメで行っているのですから、好きな人にはたまらない話です。

しかも、この作品、スーパーロボット大戦と同じようなクロスオーバー作品=様々な設定の垣根を超えたものとして、オリジナルのストーリー構成になっています。全くのオリジナルではないのですが、他の作品が関わってきますので、知っている話でも意外性を持って楽しめるようになっています。ただ、これには賛否両論があるのでしょうが、クロスオーバー作品の宿命と言う事もあり、純粋に楽しんだ方が勝ちのような気もしないでもありません。


 話の展開は古い作品といえど、やってらっしゃらない方も見えると思いますので、詳しくは記載いたしませんが、我が家の感想としては「救われねぇ」というのが最後のストーリーまでやった感想でした。正直、泣きそうになりました。そして、ヒーロー物は主人公がどういう形でも救われないとイカンとも思ったわけです。

ゲームシステムとしては、同じようなクロスオーバー作品であります、スーパーロボット大戦よりはすんなり入り込めるものです。その一番の理由はリアルタイムで進んでいると言う事なのでしょう。

アニメ作品としても、確かにスーパーロボット物に関しては、技の発動に時間がかかりますから、それこそ歌舞伎のように見得をするように時間が必要なのでしょう。しかし、このゲームにおける主役は大半がリアルロボットと称されるものです。「ちぃっ!」とか「なんとぉっ!」という攻撃時の台詞はあるのでしょうが、それこそ、ゲームから聞こえれば楽しく、そうでなければ自分で補完すればいいわけです。むしろ必要なのは、攻撃の連続性であり、それはしっかりと再現されているように思います。


 登場する作品が好きな方、またフロム・ソフトウェアのアーマードコアシリーズが好きな方には十分に楽しめるゲームと思います。


 前振りの文章は半分冗談で聞いて置いてくださいませ。とは言うものの、実際に日本の技術は決して世界に遅れるものではなく、結果的に9条の壁があるからこそ、大々的に行っていないだけのような気がするわけです。今、模型であはありますが、純国産のステルス戦闘機の開発も行われております。更に言えば、日本ではテレビの向こうで起こっている戦争は今、この瞬間も確実に行われている行為であり、また、その兵器開発も滞ることなく進んでいるのです。

兵器開発をする事が決して悪ではないとする人もいます。ただ、作られた兵器はどうにかして使ってみようとするのも人間の性であると言えなくもありません。それはこれまでの歴史が証明している事でもあります。

願わくば、物語の中だけで行われる戦争が現実世界に漏れでないように…人が争うだけの生き物である事の否定を求めて止みません。
 
 
 
 そんなこんなで本日はここまで。

2007年07月22日

リメイク作品がいけない!…わけじゃない【「エメラルドドラゴン(PCエンジン版)」(1994年頃 アルファ・システム/NECホームエレクトロニクス)】

 最近のリメイク品。特にロボットジャンルにおいては不満いっぱいの感じです。一言で言えば、何故にあれだけつまらないのか。一つは話数が短い!一つは玩具展開をしていない!一つは現在の作画技術は間違いなく昔よりも下がっている!という感じなのでしょう。これでDVDを買ってくれなんて甘い事を言っていてはいけません。オリジナルではなく、リメイクなのです。特に昔の作品を知っている方にアピールするのであれば、それなりではいけないのです。もっと、当時の魂を思い起こさせるような展開にしなければね。

暴走しかけているのでクールダウンしまして、確かに、アニメ作品の深夜枠移動やWOWOWなどの衛星番組への移行は放送権料の安さを狙ったものでしょうが、それ以前に昔のように玩具として出さなくなった玩具業界にも問題があるのではないのかと思っている最中、今度はリメイク版の嵐です。こうなると、嵐というよりも荒らしと書いた方が良いのではないのかと思うほどです。

人間性のあるドラマのような作品も確かに必要なのですが、ロボットでもスーパーロボットのような荒唐無稽な作品は必要なのです。グレンラガンはそういう意味では楽しいのですが、しかし、やはり王道というには少し足りないと思う次第。スーパーロボット大戦に出てくるようなスーパーロボットの出現は今後、リメイク以外にありえないんでしょうかね。

ただ、リメイクがいけないというわけではないのです。

上にも記載しました通り、やるのならばオリジナル以上の情熱を持って制作してほしいわけですが、情熱だけあっても仕方がなく、やはりそれなり以上の実力と資金は準備もしてほしいものです。できなければ、オリジナルを作っていた方がマシなわけで、その方がソレから以降の展開も見えてくるものなのです。

まぁ、同人やっている立場から言わせて貰えば、二次創作なめるなという事でしょうかね。

特にそれを商業でやるっていうのなら、尚更の話。誤魔化しがあっちゃいけんのですよ。それは結局、信用を落とす結果になりますし、それ以降、作れなくなる可能性が出てくるわけです。作る以上はしっかりと最後まで気を抜かずにやってほしいものなのです。


 さて、今回は1994年頃にPCエンジン版として発売されました「エメラルドドラゴン(PCエンジン版)」です。

 聖地イシュ・バーン。そこはかつて人間とドラゴンが共存する理想郷であった…ドラゴンに呪いがかけられるその日までは。その呪いとはドラゴンがそのままの姿でいる限り、必ず絶命する強力なもので、結果、彼らは新しき国ドラグリアに移り住む事になった。
 
それから2000年の後、ドラグリアの近くで船が難破し、その中から一人の少女が助け出される。しかし、その少女の記憶はなくなっており、自分の名前すら覚えてはいなかった。ドラゴンは大変な長寿であるが故に子供が出来にくく、一族にいる子供を大切にする。それはドラゴンだけではなく、他の生命であっても同じ事。もちろん、人間の子供とて例外ではない。記憶のなくしたその少女は長老である白龍によって「清き者」の意味である「タムリン」という名前をつけられ、大切に育てられた。
 
しかし、龍の年月と人の年月はやはり異なるもの。日々成長する中で美しい娘に成長していくタムリンは、やはり人の世界で暮らす事に幸せがあるのではないのか。そう考えた白龍はタムリンに人間の世界へ帰る様に促す。それに反対するのは、タムリンと仲良く成長してきたブルードラゴンの青年アトルシャンであった。白龍に抗議に向かおうとするアトルシャンをタムリンは引き止める。それはドラゴンよりも短命である人の子、タムリンがアトルシャンを思っての決断でもあった。決意が固い事を知ったアトルシャンは、自分の角を自らの手でへし折り、それを手渡した。
 
いつか、自分の助けが必要になったら、この角で作った角笛を吹いてくれ。どこだろうと必ず助けに行く…それが約束であった。

そして、タムリンがイシュ・バーンに旅立ってから数年後、アトルシャンは角笛の音を聞くことになる。それは間違いなくタムリンからの助けを呼ぶメッセージであった。そして、若きブルードラゴン、アトルシャンの旅立ちが始まる。だが、その時、その向こうにある邪悪な野望をアトルシャンはまだ知りえなかった。


 というわけで、自分の中でリメイク版を要望したいソフトの一つであります「エメラルドドラゴン」です。今回掲載しておりますのは、PCエンジン版です。元々、パソコンソフトで出た作品でありますが、私的にはこのPCエンジン版が一番面白かったので、これを選びました。

アトルシャンの旅立ちまで記載しましたが、この話、ドラマCDとしても展開しておりまして、その声優さんが実に豪華であります。ただ、実は声優さんが起用されたのはその前に発売されましたFM TOWNS版でして、このPCエンジン版では大幅に変わってしまったのですが、そちらも豪華なのですよ。

当時のゲームではまだ一般的ではなかったフル画面におけるアニメーション(といっても今から見ればパラパラ漫画のようですが)に驚きで、それが声優さんの声にあわせて動くなんていうのは感動ものでした(別の機会の話にりますが、PCエンジン版のパトレイバーも面白かったのですよ)。その原画には木村明弘さん(今、月刊コミック電撃大王でスーパーロボット大戦OG ディバインウォーズ連載中)が起用されておりまして、大変に美しい絵柄でした。

PCエンジンはCD-ROMでしたから、音楽もOPや移動画面などは通常の音楽…つまりは電子的なピコピコ音ではないのも感動でした。フルボイスではないのですが当時としては画期的なものなのです。ロード時間が遅いのでPCエンジン自体を敬遠しているゲームファンも大勢いたのですが、それでもやる価値はありと思っていました。


 今でも、ゲームの本体、そしてソフトはありますので設置すればプレイ可能です。しかしそれよりも、やはりリメイク希望!ですね。今人気の声優さんが起用されるのでしょうが、原画が木村さんであれば何の問題もありません。現在はメディアワークスがその版権の統括をしているそうなので、やってもらえないものでしょうかねー。絶対に何としても買いますよ。

物語はものすごくオーソドックスな物語です。しかし、ソレが良い。最近、ロードオブザリングやダレン・ジャンなどの作品が日本でも当たり前に見られるようになったからこそ、こうしたオーソドックスなファンタジー物が良いと思うようになりました。確かに、小難しい専門用語や独自の設定も楽しいのですが、やはり根本を忘れてはいけません。こうした作品にも慣れ親しむ事で、そうした今風の作品もより楽しめるのではないのかと思うわけです。

んー時間が出来たら、もう一度やってみよーっと。


 リメイク作品自体にそれほど違和感は感じません。例えば、声優が変わっていようとも、作画が変わっていようとも、それはそれで受け入れる事が出来ます。その理由は一度流れを切った作品は例え続きであろうともやはり異なるものであるからです。例えば、第一期を放送し、DVDなどの発売やインターネットラジオでおまけ話をつけ、そしてそれらの終了までに第二期を始める。これはぶった切っているとはしません。完全にぶった切っている作品として例に挙げるのならば「ガイキング」や「ジーグ」「星矢」などがそれにあたります。

特に、何年も経ってしまった作品に関して、そのリメイク版を作る際に、かつて人気のあった元作品にあやかろうとしている傾向が多分にあるわけですが、それでしたら作る意味はありません。また、リメイク作品では、往々にして前作のイメージを大幅に崩す事になるのですが、それならば作る必要はありません。

その昔、セルに起こす為に一枚ずつ描いていた雰囲気を壊してまでリメイクする必要はないと言う事なのです。

ですが、声優さんはそう考えないのです。ゲームのスーパーロボット大戦をやったからかもしれませんが、やはり当時のままでいられるほど人間は高等に出来ていないのです。その当時の声をそのまま出す。これは特に修練を詰まれた声優さんであればあるほど難しい話なのです。となれば、それを聞いて育っていた当時の人にしてみれば、違和感を感じて当然の話。だからこそ、あえて新規の配役でやる事に違和感を感じないというわけなのです(実際、知り合いの人とその昔、スパロボ…確か第4次のSをやった時に、「こんなにうまくなかったよね」と話した事があります)。

リメイクをするのであれば、それは今の時代の話。やはり、今という規制のかかる作品が出来上がるわけですから、全てが当時のまま…というわけには行かない話なのでしょう。
 
 
しかし、それにつけても、「星矢」に関しては言いたい事があるとすれば、何故に最初からアニメ化しなかったのでしょうかね。それぞれの括りごとでOVA化すれば良いじゃないですか完全な新規作品として。CDドラマで済まそうという浅はかさが本来期待できるはずの作品を駄目にしたと思えるのです。

私としては「サムライトルーパー」のリメイク版を見てみたいです。でも、かつての声優さんを必ず!とかは思いません。今のサムライトルーパーを見て、それで一喜一憂したいのです。ただ、昔も見ていたのだよというある意味のアドバンテージを持って見るのは間違いない話なのですが、それでも頭から批判はしないでしょう。

なぜなら、それは昔見たトルーパーではなく、今の世代に向けたトルーパーであるからなのです。それが面白ければより楽しめますしね。本当にリメイクしてくんないかなぁ。
 
 
 
 そんなこんなで本日はここまで。

2006年10月29日

皆様!始めましてぇ! 【「封神領域エルツヴァーユ」(1999年 ユークス)】

 えー、始めまして。このたびKLEINES KISTEを始める事にしました、六甲 武人(ろっこう たけと)と申します。
このようなポータルサイトをやってみるのは初めてですので、何かと不安で不勉強な点がありますが、もしよろしければ、ご教授いただければなどと、思っております。
 
 このサイトのコンセプトとしては「おもちゃ箱」とイメージしております。新旧にとらわれずに玩具やゲームの関連を記事にしていく事が目的です。玩具といってもアダルト系の淫猥なのはやりませんけどね。私自身が玩具が好きですので、こうしたサイトで記事にしていければなと思っておりました。見ての通り、今の所、編集者は私一人ですので、更新はゆっくり目にですが出来る限り放置にならないようにやっていこうと思います。
 
 もし参加希望の方がいれば、是非、ご連絡くださいませ。
 


 
 さて、そんな訳で今回は六甲 武人が紹介するものは、プレイステーション用ゲーム「封神領域 エルツヴァーユ」です。
 

 1999年ユークスより発売された3D格闘ゲームで、必殺技の操作方法はヒット条件だけが違っているが全キャラ共通というシンプル操作を前提に開発されたものです。キャラによるコマンドを覚える事よりも、そのキャラの技発動時の効果を見て欲しいということがヒシヒシと伝わってくるようなゲームです。
 
 キャラの基本コンセプトはテレビ番組の主人公。それぞれに番組を持っており、選択したキャラクターの番組が進む形で対戦が進んでいきます。最終回が全キャラに存在し、それをクリアすれば番組も終了するというものです。番組というからにはまず、新番組予告があり、放送時における予告があり、尚且つ、番組がすすむとプレゼント企画というのがあるのですが、それが発売当時に応募できると言う凝ったものでした。
 
 残念ながら、発売本数が振るわず、以後、ユークスは得意としているプロレスゲームに的を絞る結果となり、続編発売の目処が立っていないのが現状です。しかし、それまでの格闘とは異なり、コマンド優先でもなく、演出に拘ったつくりにはコアなファン層がいるのもまた事実。格闘ゲーム系の「スパロボ大戦」となった可能性もあったのではないのかと思います。
 
 
 
 このゲームで覚えているのは、ゲーム屋で最後の一本が売られているのを見つけて即買いし、その日のうちに半数のキャラをクリアした事です。別にそれだけ簡単で面白くないと言うわけではなく、やりこめばやりこむほど、自分の中の戦いに対する見せ方に拘るゲームとなっていました。
 
 例えば、対戦相手と同時に技を繰り出した場合、いきなり横走りを始めるシチュエーションになったり、また、吹き飛ばした相手に追加攻撃を加えると、相手を空中で連続攻撃するようなシチュエーションになったり…そうすると、吹き飛ばした瞬間に、必殺技を決めるとどうなるのかとか、こいつとは、ワザと引き分けにするべきだとか、テクニックが上がっていく事になるのです。特撮系が好きな方には堪らないゲームであるのかもしれません。
 
 惜しむらくは、技の種類が少ないことと、その見せ方が単調であるという点です。例えば、主人公の一人であるダンザイバーは設定上以前にその姿から、宇宙刑事系のインスパイアであるのがすぐにわかるのですが、彼の必殺技はやはり剣を使ったぶった切り系なのです。となれば、夕日を背負い、キラキラを流しながらのスローテンポでの演出というのが決まりではないのかと思うわけですが、それを要求するのにスペックが足りなかったのか、通常のゲーム画面のままで行われてしまうのです。演出に拘っているのは理解できるのですが、その全てが少し中途半端と思ってしまうのです。
 
 ただ、そうした不満はあるのですが、それ以上に嵌れるゲームであるのは間違いなく、できれば、DSやPSPに移植、欲を言えばPS3などで続編を希望したいと思うのです。
 
 …でも、製作会社がダメ出ししている作品ですし、その可能性は薄いのですけどね。



 そんなこんなで始めまりましたKLEINES KISTE、不定期連載になりますが、以後宜しくお願いいたします。

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※2009年4月19日 19:00より開始

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