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2009年12月26日

昔から今、そしてその先へ…【「仮面ライダー×仮面ライダー W&ディケイド MOVIE大戦2010」(2009年 東映)】

 さて、今回は2009年に公開されました「仮面ライダー×仮面ライダー W&ディケイド MOVIE大戦2010」です。



 風都にはびこる悪、ドーパントを追いかけ、追い詰め、倒す。そこにいる者たちが名付けてくれた仮面ライダーであるW。だがしかし、その誕生の影には、Wである左 翔太郎そしてフィリップにも忘れられない夜があった。
 
ビギンズナイト…その日、一人の仮面ライダーが死に、二人で一人の仮面ライダーが誕生する…。
 
 
一方、世界は滅亡の危機を迎えていた。
仮面ライダーディケイド。時空を渡り歩く事が出来る仮面ライダーのために、全ての世界はつながり、崩壊を迎え様としている。
 
だが、仮面ライダーディケイド…門矢士は自分の意思で他の世界の仮面ライダーたちを倒していく。
 
それが友であったとしても…。
 
 
※注意:若干のネタばれは含んでおります。
 
 
 
 二つの映画を流す…今までの仮面ライダーと戦隊シリーズの形かと思えば、何と東映のあの映画の最初の波しぶきを三回も連続で見てしまう作りになっている…その事に「へ?」と思わず声を出してしまいました。
 
感想としては、ディケイドの方が「なんじゃそりゃ」と言いたくなったという感じでしょうか。
Wは良いですよ。正直、Wだけでもう一回でも良いやって感じです。
 
ディケイドに関しての一番の理由は、物語はないと言いきった所でしょうか。これ、ディケイドの物語はないのではなく、少なくとも、仮面ライダーとしての物語などないと聞こえたのは私だけなのでしょうか。
それに、Sプロデューサーがインタビューで言っておりましたが、TVの最終回は最初に繋がる…あれ、嘘でしょう。映画はパラレルだとでもいいたいのでしょうか。むしろ、TV最終話から映画の方がスムーズに、これまでのSプロデューサーが担当した仮面ライダー話しに通じるものがあるのですが…。
 
これを考えずに物語りを見ていると非難されても、困ったものです。
幼児向けの作品に、思慮を深く求めるのが間違っているのだと思うのですけど。一緒に考えることと独自に考えさせること、そして、理解を求める事は大きく違っています。
 
再三、色々な場所で記載しておりますが、別に作り手の思想など、どうでも良いのです。それは生きている以上、主義主張はあるのでしょう。しかし、それを表現する場に幼児向けの媒体を使うとなれば、それはお門違いも甚だしい話しなのです。
 
電王が爆発的な売上を見せ、Wもまた、同じ様に売上を上げている背景には、単純明解なことがあると何故理解できないのでしょうか。
 
それは、敵がいて悪さをするから懲らしめる。これだけです。
戦隊シリーズのそれを一人のヒーローが行う。それが仮面ライダーであるだけの話しなのです。
 
別に大きなお友達向けの作品であれば問題はありません。主義主張をぶつけ合うのが正解なのでしょう。しかし、もう一度記載しますが、仮面ライダーを見せるべき相手は幼児なのです。
仮面ライダーは大きなお友達向けの作品ではなく、幼児がヒーローごっごをするために作られるべき娯楽作品なのです。
 
ディケイドに関して、TV最終話で子供が「なんじゃこりゃ」と言った。そう言う話を周りから聞きます。それを大人に尋ねる、それも一つの手なのでしょう。しかし、何よりも子供たちに少なくとも「何じゃこりゃ」と言わせる作品を作った時点で、反省するべきなのです。
何処に向けて、誰を楽しませるために作品を作っているのか。
 
我々のような大きなお友達…言ってしまえば外野からの声に耳を傾けるのではなく、もう一度、子供たちに目線を会わせて欲しいものだと思う次第なのです。
 
 
そう言う意味では、仮面ライダーWは面白い。中には泣き出す子供もいるそうですけど(ドーパントが怖いそうです)、それは正しいあり方なのでしょう。そこに仮面ライダーがやってきて懲らしめてくれる。
何時でも、仮面ライダーは子供たちの味方であり、正義の人であるべきなのです。
 
 
 
 と言う感じで思うところとしては「シリーズ」と言う事で一つ。
 
そうは言っても、仮面ライダーも戦隊シリーズも、まだまだ続いていく事でしょう。個人的には宇宙刑事物やメタルヒーローを再開するのも面白いとは思うのですけどね。
 
ディケイドは戦隊シリーズと仮面ライダーの開始時期を半年ずらす事で、玩具の売りだしにバッティングしないようにと放送された作品であるわけです。真実はわかりませんが、恐らくそうなのでしょう。
そうした苦労もあって、新製品の何ともサイクルの早い事早い事。今回の戦隊シリーズは一応の終わりを見せましたが、それで新製品が終わりかと言えば、来年そうそうに仮面ライダーの方では売りに出されますし。
 
何とも、親御さんからすれば懐の痛い話しです。
 
そう言う意味では、ガンダムというのも同じかもしれませんね…どっちもバンダイかw
 
 
それは置いておきまして、こうしたシリーズ物というのは、マンネリの安心感があります。あまり逸脱しない路線におけるマンネリは、飽きが来るとは言いますが、路線が順調に伸びていけば、なくなる不安が大きくなるもの。それがマンネリの安心感というものです。
 
いつでも、チャンネルを合わせれば、そこにいる。
考えてみれば、そうした長く続く作品であるからこそ、親子通じて楽しむ事が出来るのだと思うわけです。
 
同じ様にトミカのプラレールにミニカーもそうですよね。更に言えば、そうした実物を題材にした玩具には、歴史が感じられるものです。それを話し合う事も出来るのでしょう。
 
女の子玩具はより顕著であるのかもしれません。
人形を子供に手渡し、その子供がさらに子供に渡す。物の大事を伝える上でも良い教育になるのではないのでしょうか。
 
 
思うに、消費というのがあくまで使い捨てであるというのならば、確かに、当たらしいものに買い換えるのは当然のことなのでしょう。しかし、それだけでは文化や思いを継承させる事など出来ません。
昔があり、今があり、そして未来がある。
 
昔を懐かしむだけではなく、これからを見るだけでもなく。これまでに続いてきた積み重ねがあるのですから、そこにある思いを忘れない様につなげていく事を、今再確認するべきなのかもしれないと思うのです。
 
 
これからの新しい年が決して楽ではないのでしょうが、それでも少し振りかえれる余裕と先を見ることが出来る余裕を持ちたいものだと思う次第です。
 
 
 
 そんなこんなで本日はここまで。また、来年もよろしくお願いいたします。

2009年12月26日

ダウンロードで気軽に楽しめるカセット文庫【「鎧伝サムライトルーパー 鎧伝承篇」(1990年 ムービック/サンライズ)】

 さて、今回は1990年に発売されましたとある冊子の予約特典「鎧伝サムライトルーパー 鎧伝承篇」です。



 ある吹雪の夜。カメラマンを父に持つ真田遼は、玄関を叩く音に戸をあけた。そこにいたのは、白い虎とひとりの雲水であった。
雲水は自らを迦雄須と名乗る。
 
迦雄須は、白き虎・白炎の事を話し、そして、心を諭した。人は業無くしては生きていけぬ。だがしかし、業の深さ故に、落ちてしまう者たちもある。それを救いたいのだと。そして、迦雄須は遼に戦士となれ…と言う。その言葉に動かされた遼は日々、心身を鍛えた。
 
ある日、遼の暮らす山で加治が起こる。心ない者によって起こされた火事に遼の心が動く。
 
遼の心は邪悪に気付く。それが妖邪と迦雄須は言う。それが立ち向かう…いや、救うべき者であるのだと。その魂を救うのだと。
 
その時、遼の耳に何かが聞こえる。音…それは鎧の発する音。烈火の鎧が遼の持つ、仁の心に反応した音。
燃え盛る仁の心を、烈火の鎧と共に、仲間を求めて、遼は旅立っていった。
 
 
 
 上記画像は、この鎧伝承篇というストーリーがおさめられたカセットテープ。それが予約特典であった対象の冊子の表紙「鎧伝サムライトルーパーメモリアルズ」のものです。そう、このエピソード0と言うべき物語は、この冊子を予約して初めて聞くことが出来という、かなり厳しいものであったわけです。
 
この物語の主役は、遼たちを導いた雲水、迦雄須。彼が五人のトルーパーに鎧を託していく様が描かれています。
 
鎧伝承の話は、確かノベライズにも記載されていたはず。なので、それとはまた異なった話となっています。今で言うところの、CDドラマ…昔でいえば、カセット文庫の動画がないわけですが、それでも、意外に動いている絵が、勝手に脳内再生されるのですから、予約特典して手に入れただけの価値があるのだなぁと今さらながら、自己満足しております。
 
もともと、カセットテープですので、今はその劣化たるや激しいものです。今回、この機会に、こうしたテープ素材をデジタル化して保管しようと思った次第で、その中に、この鎧伝承篇も入っていたというわけです。
 
久しぶりに聞きましたけど、燃える燃えるw 無条件で燃えますよw
 
この辺りの時代では、主人公が戦う理由などを、語る部分はあるのですが、そうした部分が弾かれる場合が多かったと記憶しています。長寿番組となる場合、もしくはなった場合は、そうした部分も丁寧に語られるのですが、やはり4クールではそこまで語っていては、話が進められないと言う事なのでしょう。ましてや、サムライトルーパーは39話。
五人はすでに、戦士として登場したわけです。
 
当時のファンとしては、どうして戦士になったのか。それを想像して描いていた人も少なくありません。そういう意味で、このドラマは公式の一つの答えとして出てきたものと言えるのかもしれないわけです。
 
ただし、あくまで一つのものとして…です。
 
先ほども記載しましたが、ノベライズである「鎧正伝サムライトルーパー」にもそした件があるわけですが、それとはやはり異なっているわけで(ノベライズ自体がストーリーを少し変えているので仕方がありませんが)、そうした意味では、公式であるにせよ、これもまた一つの物語…つまりは、大きく言えばパロディであると捕らえることが出来るかもしれないわけです。
 
と言いましても、声を担当していた方々が醸し出す雰囲気は、素晴らしいものがあるのは当然。最近、アーマープラスで復活したともいえるトルーパーなのですから、こちらも復刊していただけないものかな…と思うのですね。
 
持っているんですけど、よりクリアな音質で聴きたいなーと思うのがファン心ってものじゃないかなぁと思うのです。
 
 
 
 と言う感じで思うところとしては「ドラマCD」と言う事で一つ。
 
もしかしたら、前にも同じような記載かもしれませんが、ご容赦のほどを。こうしたドラマCDですけど、その中に音楽やサウンドエフェクトを合わせる技術。本当にパソコンで簡単に出来るようになってきました。アマチュアでも、こうした作品が出来るようになってきた時代。より大変なのは、プロの人たちなのでしょう。
 
雑誌などに、今放送している作品のドラマCDが付録として付いてくるわけですけど、本当に採算が取れているのかなぁと思ってしまうわけです。
これまでの話の再録であるのならば…と思うのですが、そんなわけはなく、やはり新たに取られたストーリーであるわけです。
 
その昔、オリジナルストーリーが多くアニメとして放送されていた時代。原作つきというのは、意外にも敬遠されていました。その理由としては、今の状況と同じく、人気のある作品をアニメにする=物語が完結していない。さらに、デザイン的に原作とのキャラが異なる点、そのキャラクターの声などなど。原作に思い入れのあるファンが、それをきっかけに、その企業の他の作品を見なくなる恐れがあったからです。
 
基本的に一話完結の話であればアニメ化にしやすかったのでしょうが、連続的な話では先ほども言った通り、結局終盤がオリジナルになる…今ほど、需要がなかったと言える時代において、ドラマCD…いえ、カセット文庫というのは、当たりをつけるのに丁度良い媒体であったのかもしれません。
 
こうした音だけのドラマは、ラジオでも盛んに放送されていましたし、そうした中からメディアミックスされた作品も数多く出てきたものです。
 
現在は原作つきが大半を占めているアニメ業界ですが、こうした手探りの活動が今の需要を生んでいる可能性があると思えるわけです。
 
カセット文庫が一本46分ほど。アニメで言えば、二話分になるのでしょうが、これで文庫本サイズの小説であれば一冊分とするのも、よくみられました。ラジオドラマでは、一か月~二か月が一つのサイクルであったと記憶しています。
 
漫画も小説も、こうしたカセット文庫も、言えるのはキャラクターの動きは想像で補完するしかないという事です。ただ、小説や漫画と異なるのは、声によって想像を喚起されると言う事。これはさらなる展開を狙っていた業者からすれば、先兵としては十分な効果を発揮してくれたのではないのでしょうか。
 
そしてやってくるOVAの時代。さらに深夜アニメの時代。でも、個人的には、またこうしたカセット文庫…いえ、ドラマCDが多くの原作小説や漫画などの原作として発表されていくのではないのか。そんな時代が来るように思えるわけです。
 
ただし、今度はドラマCDではなく、MP3媒体としてダウンロード可能という形で。
気軽にドラマをいつでも聴く事が出来る時代。なったら、面白いんですけどね。
 
 
 
 そんなこんなで本日はここまで。

2009年12月12日

作り手の消費【「デュアルマガジン」(1982-1985年 タカラ/丸善)】

 さて、今回は1982~1985年に季刊発行されました「デュアルマガジン」です。

 サンライズとバンダイのヒット作品、機動戦士ガンダムに触発されるように、同業種他社メーカーは、こぞってリアルロボット路線を発表しました。それはタカラも決して例外ではなかったわけです。
 
そうした作品を紹介する上で、当時としてもっとも重要な媒体が、雑誌であったのは言うまでもありません。
 
雑誌社におけるそうした、いわゆるアニメ雑誌、または模型雑誌は当時の少年たちのバイブルにもなっていったわけです。そうした中、玩具メーカーが自社の商品とそれに絡んだアニメ作品を掲載するための雑誌を発行し始めたのです。
最初は、小さなポケットサイズであったそれも、次第にA4サイズの雑誌へとシフトしていき、バンダイからはB-CLUBが、そしてタカラからはデュアルマガジンが発行されたのです。
※デュアルマガジンに関しては、季刊という事もあり、1984年から発売されない月には「3Dジャーナル」という小冊子を発売していました。
 
ただし、デュアルマガジンは季刊の発売で、全十二巻の発売に留まりました。しかし、その内容はマニアをニヤリとさせるだけの力があったのだと思うわけです。
 
当時のタカラが発売していたリアルロボット路線と言えば、太陽の牙ダグラム、装甲騎兵ボトムズ、そして機甲界ガリアンでした。
 
ダグラムに関しては、正直、盛り上がりが少なかったと記憶していますが、ボトムズに関しては、その後独自に展開していく事になる、青の騎士ベルゼルガ物語が掲載されたのが、この雑誌ですし、ガリアンに関してはオリジナルの機甲兵を読者から募集するという、眼D舞うで言えばオラザク(オラのザクは世界一…雑誌上のプラモデルコンテストです)のようなこともやっていました。
 
それだけ、盛り上がりを見せていたわけですが、最初に記載しました、機動戦士ガンダムを追いぬく所か、追いつくのもやっとな状態。
中には玩具の売上が思う様に伸びない作品も珍しくはなかったのです。
 
そうした玩具の売上不審は、こうしたメディアミックス戦略に影を落とす事になります。
 
結果、季刊で十二回を持って休刊。個人的には、休刊になる事が残念でなりませんでした。
 
 
 と言う感じで思うところとしては「メディアミックス」と言う事で一つ。
 
最近の言い回しでは、コラボと言った方が良いのかもしれません。ただ、日本アニメに関しては、これまでの歴史において、目ディミックスではない作品を探すのが意外に苦労するのかもしれないのです。
特に最近はその傾向が強いのではないのでしょうか。
 
深夜アニメの大半はライトノベルが原作ですし、そうでなくても、テレビゲームが原作と言う場合もあります。
これらは立派にメディアミックス戦略と見るのが良いのでしょう。
 
ただ、そうしたアニメに関しては、今が旬=完結していない時にアニメ化する事も多いので、最後は原作の途中で終わるのか、もしくはアニメオリジナルの結びとなります。
こうした状況にある方は「アニメと小説は異なるのだから、終わりが違っていても問題はない」という趣旨の発言をされました。
 
これは本当にそうなのでしょうか。
 
こうした問題…ご当人たちは問題とは見ていないのかもしれませんが、あえて、問題と言う事で…を解決する方法は、ただ一つしかありません。
それは完全なオリジナル作品とする事です。
 
玩具が元媒体になっているアニメ作品、特撮作品のほとんどには、原作作品がありません。それ自体が物語としての原作になるからです。
 
 
ハリウッドでもそうですが、既にマンガとして人気のあるもの、あったものを映画化する傾向にあります。
その理由としては、脚本化の才能不足と資金調達のスムーズ化のためというのを耳にするのですが、それは長期的に見れば、緩やかな破滅を目指しているに他なりません。
 
物語を作ると言う事は、想像を掻き立てる事そのものであるはずです。それは決して、それに関わった方全てが楽になれる方法ではないのです。…しかし、今、求められているのはその楽であるように思えてならないわけです。
 
想像が創造を生む。
 
その想像が様々な意味で貧困のであり、そうあり続け様とするのであれば、それは創造ではなく、浪費でしかないのです。浪費の果てにあるのは、廃棄される媒体のみ。それこそ、深夜アニメのような貴重な財産を散在していく事に他ならないわけで…と、これ以上はデフレスパイラル並みの繰り返す話になりますので、ここら辺で。
 
 
言い得て妙であるのは、こうした事実に気付いている人も多いはずなのに、何故にそれを破壊する人が出てこないのだろうかという事なのです。そこにも、現実的な問題が多数あるのだろうと言う事はわかりますが…さて、国は一つの有益な輸出産業に関して、同考えているのでしょうかねぇ。
 
結局こうした問題は、伝統産業となんら変わらないわけで、後継者問題に保護問題。それが有益「だったのか」…では、まさに先見の明も省みる目もないわけで…。
こうした分野に、国からの援助と監視と保護の手が早急にして的確に入ってくれる事を願うばかりなのです。
 
 
 
 そんなこんなで本日はここまで。

2009年12月12日

変身という見得を切る!【「仮面ライダー SPIRITS」(2001-2009年 講談社)】

 さて、今回は2001~2009年に連載されました「仮面ライダーSPIRITS」です。
 ※現在、「新仮面ライダーSPIRITS」として月間少年マガジンで連載中ですが、今回は、月間マガジンZで連載されていた作品です。

 ジンドグマという秘密結社があった。少なくとも、それが日本で確認された最後の秘密結社であった。彼らの目的…いや、それまでにあった幾つもの秘密結社の目的は、世界征服であった。世の中からすれば荒唐無稽も話であったのだろう。今の世の中でそれを信じるものは少ない。
 
だが、それを目の当たりにしてきた人物がいる。滝 和也…FBI捜査官でありあながら、しかし、その話をホラ話として笑い飛ばされてきた男であった。
 
しかし、彼は知っていた。ゴリゴリとする体の中に、人の心を燃やし、遥かに強靭な力で正義を成す男たちの事を…。
滝は彼らを友と呼ぶ。今も尚、どこかで戦い続けている男たちの事を、語り続けながら…。
 
だがしかし、悪夢は再び滝の前に舞い降りてきた。人ならざる者たちが、人を蹂躙し始めたとき、滝は彼ら友の名を語り立ちはだかる。
 
仮面ライダー。それは正義の名、悪への反逆の名前であった。
 
しかし、滝は人間。彼らとは違う。
脆弱な人の肉体を捨て、鋼鉄の皮膚、機械の内臓、そして人ではない動物の姿に変わり、強大な力を得た怪人たちに、滝の力は無力に近いものであった。悔し涙を流す滝…しかし、その時、一人の男が風と共に現れた。
 
男は言う。今日は俺とお前でダブルライダーだと。その男の名は、本郷 猛。またの名を仮面ライダーと言った。
 
 
 
 昭和より平成の時代を経て尚、作品が続けられている仮面ライダー。その中でも、いわゆる昭和ライダーの作品を再編集し、マンガと言う領域で作品にしたのが、この仮面ライダーSPIRITSです。
 
1971年に放送が開始された仮面ライダーから、10号ライダーである仮面ライダーZXまでを題材にした本作品は、全ての仮面ライダーを主役としながらもその中心に仮面ライダーZXを持ってきており、その世界に連なるものとして、これまで登場した悪の秘密結社を、ZXで登場したBADANにつなげるという形にしました。
 
これは、AXのストーリーを踏襲するものとなっており、それまでの仮面ライダーとの特撮という世界では難しい、コラボレーションを実現したものとなっているわけです。
ちなみにZXは映像化はされておりますが、「10号誕生!仮面ライダー全員集合!!」というテレビスペシャルの一回のみとなっています。後は雑誌企画での連載となっていた仮面ライダーであるわけです。
 
コラボレーションと言う話しですが、実際、改造人間である彼らは年を取ると言う事はないのでしょう。しかし、特撮と言う世界では、役者さんも年を取ります。その昔、ライダー集合の話も幾つかありましたが、やはりそこに全員を集合させるのは、難しいものであります。
思えば平成ライダーでも同じように兆戦しましたが、それが成功したものであったかどうかは…受取りて次第なのかもしれませんね。
 
さて、そんなライダー大集合な作品なのですが…少し、というか一人足りないなぁと思う次第なのです。
それは、仮面ライダーブラック、およびRXです。
 
平成の仮面ライダー作品の一つである仮面ライダーディケイドにも出演していたのは記憶に新しいのですが、しかし、このマンガの中では出てくる事はありません。
 
その理由はただ一つ、ブラックとRXはZXの後になるという事なのです。
これは仕方がない話しなのですが、それはそれとして、原作者である石ノ森先生とは異なる、この作品を描き続けている村枝先生版のブラック…いえ、南幸太郎を、その変身を見てみたいと思うのです。
 
何故なら、この作品。仮面ライダーが必殺技を使うシーンにも迫力があります。また、その変身後の姿も、特撮で見なれたスーツの特色を良く掴んでいます。
ですが、何より心を掴んで離さないのは、彼ら仮面ライダーの変身シーンなのです。
 
そう、変身ベルドがあれば尚良し、なくても、腰にそれがあるつもりでやった変身ポーズ。それが、彼らの覚悟と共にマンガとして描きつづられている。
そこにあるのは憧れであり、そして必ず何処かにいるはずの正義の味方。その登場シーンであるのです。
 
 
 
 と言う感じで思うところとしては「変身」と言う事で一つ。
 
その昔、例えば紫頭巾とか月光仮面とか、僕等を守ってくれるヒーローはテレビの中に必ずいまして、それを真似してみたものです。
 
年齢によって、それが仮面ライダーやウルトラマン、変身忍者嵐であったり、忍者部隊月光とか、宇宙刑事ギャバンだったり、超人機メタルダーであったり…平成になってみても、それは変わらないと思うわけです。
 
しかし、最近の変身シーンは、正直、結構淡白だなぁと思う次第。でも、ロボットアニメでも、いわゆるリアルロボットがより多く出てくると、必殺技も叫ばなくなりましたと思うのです。
 
そうした背景にあるのは、恐らく、時代劇が少なくなったからなのだろうなぁと、個人的には思っております。
 
最近、水戸黄門の再放送で、第一部から始まっているのですが、「この紋所が目に入らぬか!」って印籠を出すのは、三部以降からなんですよね。しかも、台詞が微妙に違う。
何かしっくり来ないものを感じる次第です。面白いのは面白いんですよ。でもねぇ…って感じになるわけです。
 
日本は見得を切るという芝居に親しんできました。言い方が悪ければ、マンネリと言う奴です。
しかし、そこには安心感があったわけです。ただし、単なる安心感ではないのは、これまでの芸能の歴史が証明している事なのです。
 
見得とは見せ場でもあります。その見せ場をどうやれば、より素晴らしく見せる事が出来るのか。まさに、それが芸事の本懐でもあるわけです。
同じ様に、特撮の世界における見得、アニメやマンガに世界における見得というのがあるわけで、それが如何に素晴らしく見せる事が出来るのかが技術の進歩でもあると思うわけです。
 
決して複雑が良いのではなく、例えば、仮面ライダー1号と2号の場合は、技の1号に力の2号の異名がつけられた様に、その変身ポーズも少し違っているものになりました。
それこそ、見得を切ると言う事でもあり、舞台であれば掛け声の一つでもかかるような場面でもあるわけです。だからこそ、絶対にその場面は手を抜かずに放送していたのだと思うのです。
 
最近は見得を切る場所が変わってきました。必殺技の場面で多くなってきたわけですが、それも決して間違っているとは思えません。しかし、少なくとも、今やっている仮面ライダーWのように、少し変身ポーズに意味を持たせて見るのも良いのではないのかと思うわけです。
 
子供って案外そう言う事に敏感な部分がありますし、それがより真似やすい真似への第一歩にもなるのだと思うのです。
 
 
 
 そんなこんなで本日はここまで。

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※2009年4月19日 19:00より開始

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