さて、今回は1975~2003年に放送されました「まんが日本昔ばなし」です。

日本各地に存在する民話や寓話、御伽噺といった伝えられている話を特徴のある絵で表現。そして、独特の語り口で知られる市原悦子さんと常田富士男さんの二人だけで全ての登場キャラクターを演じられているのも、その特徴の一つであります。
ぼうや~よい子だねんねしな♪…で始まるオープニングは有名過ぎるほど。その時々の子供たちによって様々な替え歌が作られたのも懐かしい思い出ではないのでしょうか。
日本における民話や寓話などは、同じようなものが多いわけですが、しかし、そのどれもが、その地方独特のニュアンス…味付けと言った方が言いのでしょう。そうしたスパイスが加えられているわけです。
それは方言であり、また、その地方独自の慣習であったりと、様々なのですが、通じて同じなのは、それが人の心根を推し量るドラマであると言う事なのです。
生前、嘘ばかりを言っていると、死んだ後に地獄で舌を抜かれる。雷様が近づいてきたら、おへそを隠さないと行けない。
これらは決して笑い話などではなく、死んだ後まで苦しみたくはないだろう?だから誠実に生きろという事と、雷が近づくという事は、雨が降る可能性が高いと言う事。現在のように機密性の高い言えであっても、急激な温度変化でお腹を壊す人が出てくるわけです。その腹痛が、まるで誰かにへその辺りでもいじられたかのようだ…というわけで、はたた神=雷様におへそを取られたと言う事で戒めをかけたわけなのです。
伝説なども多く取り上げた中には、悲しい話も多くあるわけですが、それも伝え聞く人がいなくなれば、廃れていくもの。言いかえれば、先ほどの戒めも含めて、なくなっていく事になるとも言えるわけです。
そんなこの作品が放映されたのは、1975年1月。今で言うテレビ朝日系列で二ヶ月ほど放送していたようです。その後、1976年1月より、TBS系にての放送なので、上記の期日には空白が含まれると言う事になります。
その記念するべき第一回放送における題材は「こぶとり爺さん」に「笠地蔵」。どちらも有名な話です。そして最後に放送されたのは、1995年の4月におけるスペシャル放送の「里のかたりべ・むかしばなし」。それ以降は、それまでの再放送が流れたと言う事になるそうです。
放送が終わってしまった理由は、有体に言えば時代の流れ。視聴率が稼ぐ事が出来なくなった、というのが一般的な理由かもしれません。ただ、同時にそれまでの多くのキャラを担当してきた市原さんと常田さんがご高齢になったというのもそうではないのか。と個人的には思っています。
それでも長く続いて欲しい。また、放送してほしいという声が、今尚スタッフサイドには届いているのだとか。
長く続いているという事、そして、寓話という観点から公共広告機構のCMも同じスタッフとキャストで作られたのも有名な話ではないのでしょうか。「ツンツン娘」「もったいないお化け」「おてつだい狸」「ごめん鐘」の名前を聞くと、思い出す方も多いと思います。
公共広告機構からすれば、こうした寓話的なCMによって、あまり言われなくなった事を子供に、そしてそれを見ている大人達にも警鐘を鳴らしているのではないのかと思えるわけです。
こうした作品がこれからも続いてくれる事が大事な事であると思うのは、古い考え方なのでしょうかね。
と言う感じで思うところとしては「戒め」と言う事で一つ。
最近、世間をにぎわせている政府関係ですけど、結構乱暴な言葉が見て取れる気がするのは、私だけなのでしょうか。ダム問題もそうですし、沖縄の埋め立て問題、米軍基地移転問題もそうです。
一概に彼らのマニフェストに沿わせるだけの政治を期待して良いのでしょうか。
彼らが4年後に政権を維持する。その前に、何時までも現総理で政権が続くと誰が言いきれるのでしょうか。彼らも所詮は大半が野党になった自民党の出身。その昔のことを忘れて、何を戒めにするつもりなんでしょうかね。
結果的に、そうした問題を置き去り、もしくは店晒しにしたままで何を進めていくというのでしょうか。
有体に申し輪げれば、大半の国民にとって政治家は政治家でしかなく、政府は政府でしかない。勝手に論争を繰り広げるのも結構なのですけど、その根本を忘れている様では、信任を得られるはずがない。それでも政治家になれているのは、現在の政治家自身が行っている保身政策でしかない…そう思われていると何故感じられないのでしょうか。
こうした危機感があれば、もっと進展するべき事もあるのでしょうし、何より、票のための政治ではなくなるのではないのでしょうか。それは聖人君子の如き話であり、到底理解できるものではない…と仰るのかもしれません。
そんな事はわかっています。わかっているからこそ、指摘するのです。
私は後援会なるものは不必要であると思っています。政治家が己の信念にて行動を起こすのに、必要なものは人そのものではなく、人からの信頼であると思っているからです。
当然、それは一部の人が盲信的なまでの行動によって支えられて良いものではないと言う事でもあるのです。
そろそろ本音を言うべきでしょう。政権交代など意味はない。政治家の性根を叩きなおす事が必要なのだと。
政治家たちにおける格差、それは私達の生活における格差と何ら代わりがありません。一部の政治家のために、他の政治家が利用されている…何とかチルドレン、何とかガール。そんな状況が堂々と繰り広げられている中で、日本の格差をどうにかできるものでしょうか。
そうした事が戒めとして理解され、その対策が実行されてからが、本当の意味での政権交代になるのでは…そう思えてならないわけです。
そんなこんなで本日はここまで。

日本各地に存在する民話や寓話、御伽噺といった伝えられている話を特徴のある絵で表現。そして、独特の語り口で知られる市原悦子さんと常田富士男さんの二人だけで全ての登場キャラクターを演じられているのも、その特徴の一つであります。
ぼうや~よい子だねんねしな♪…で始まるオープニングは有名過ぎるほど。その時々の子供たちによって様々な替え歌が作られたのも懐かしい思い出ではないのでしょうか。
日本における民話や寓話などは、同じようなものが多いわけですが、しかし、そのどれもが、その地方独特のニュアンス…味付けと言った方が言いのでしょう。そうしたスパイスが加えられているわけです。
それは方言であり、また、その地方独自の慣習であったりと、様々なのですが、通じて同じなのは、それが人の心根を推し量るドラマであると言う事なのです。
生前、嘘ばかりを言っていると、死んだ後に地獄で舌を抜かれる。雷様が近づいてきたら、おへそを隠さないと行けない。
これらは決して笑い話などではなく、死んだ後まで苦しみたくはないだろう?だから誠実に生きろという事と、雷が近づくという事は、雨が降る可能性が高いと言う事。現在のように機密性の高い言えであっても、急激な温度変化でお腹を壊す人が出てくるわけです。その腹痛が、まるで誰かにへその辺りでもいじられたかのようだ…というわけで、はたた神=雷様におへそを取られたと言う事で戒めをかけたわけなのです。
伝説なども多く取り上げた中には、悲しい話も多くあるわけですが、それも伝え聞く人がいなくなれば、廃れていくもの。言いかえれば、先ほどの戒めも含めて、なくなっていく事になるとも言えるわけです。
そんなこの作品が放映されたのは、1975年1月。今で言うテレビ朝日系列で二ヶ月ほど放送していたようです。その後、1976年1月より、TBS系にての放送なので、上記の期日には空白が含まれると言う事になります。
その記念するべき第一回放送における題材は「こぶとり爺さん」に「笠地蔵」。どちらも有名な話です。そして最後に放送されたのは、1995年の4月におけるスペシャル放送の「里のかたりべ・むかしばなし」。それ以降は、それまでの再放送が流れたと言う事になるそうです。
放送が終わってしまった理由は、有体に言えば時代の流れ。視聴率が稼ぐ事が出来なくなった、というのが一般的な理由かもしれません。ただ、同時にそれまでの多くのキャラを担当してきた市原さんと常田さんがご高齢になったというのもそうではないのか。と個人的には思っています。
それでも長く続いて欲しい。また、放送してほしいという声が、今尚スタッフサイドには届いているのだとか。
長く続いているという事、そして、寓話という観点から公共広告機構のCMも同じスタッフとキャストで作られたのも有名な話ではないのでしょうか。「ツンツン娘」「もったいないお化け」「おてつだい狸」「ごめん鐘」の名前を聞くと、思い出す方も多いと思います。
公共広告機構からすれば、こうした寓話的なCMによって、あまり言われなくなった事を子供に、そしてそれを見ている大人達にも警鐘を鳴らしているのではないのかと思えるわけです。
こうした作品がこれからも続いてくれる事が大事な事であると思うのは、古い考え方なのでしょうかね。
と言う感じで思うところとしては「戒め」と言う事で一つ。
最近、世間をにぎわせている政府関係ですけど、結構乱暴な言葉が見て取れる気がするのは、私だけなのでしょうか。ダム問題もそうですし、沖縄の埋め立て問題、米軍基地移転問題もそうです。
一概に彼らのマニフェストに沿わせるだけの政治を期待して良いのでしょうか。
彼らが4年後に政権を維持する。その前に、何時までも現総理で政権が続くと誰が言いきれるのでしょうか。彼らも所詮は大半が野党になった自民党の出身。その昔のことを忘れて、何を戒めにするつもりなんでしょうかね。
結果的に、そうした問題を置き去り、もしくは店晒しにしたままで何を進めていくというのでしょうか。
有体に申し輪げれば、大半の国民にとって政治家は政治家でしかなく、政府は政府でしかない。勝手に論争を繰り広げるのも結構なのですけど、その根本を忘れている様では、信任を得られるはずがない。それでも政治家になれているのは、現在の政治家自身が行っている保身政策でしかない…そう思われていると何故感じられないのでしょうか。
こうした危機感があれば、もっと進展するべき事もあるのでしょうし、何より、票のための政治ではなくなるのではないのでしょうか。それは聖人君子の如き話であり、到底理解できるものではない…と仰るのかもしれません。
そんな事はわかっています。わかっているからこそ、指摘するのです。
私は後援会なるものは不必要であると思っています。政治家が己の信念にて行動を起こすのに、必要なものは人そのものではなく、人からの信頼であると思っているからです。
当然、それは一部の人が盲信的なまでの行動によって支えられて良いものではないと言う事でもあるのです。
そろそろ本音を言うべきでしょう。政権交代など意味はない。政治家の性根を叩きなおす事が必要なのだと。
政治家たちにおける格差、それは私達の生活における格差と何ら代わりがありません。一部の政治家のために、他の政治家が利用されている…何とかチルドレン、何とかガール。そんな状況が堂々と繰り広げられている中で、日本の格差をどうにかできるものでしょうか。
そうした事が戒めとして理解され、その対策が実行されてからが、本当の意味での政権交代になるのでは…そう思えてならないわけです。
そんなこんなで本日はここまで。





