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2009年08月29日

企業とファンの間に…【「NAMCO COMMUNITY MAGAZINE NG」(1983-1993年 ナムコ)】

 さて、今回は1983~1993年に発刊されました「NAMCO COMMUNITY MAGAZINE NG」です。



 ナムコ(現バンダイナムコゲームス)が当初、季刊で発行していたフリーマガジン。その中身は、ナムコのアーケード(業務用)ゲームから、コンシューマ(家庭用)ゲーム。さらには、当時では珍しい独自開発のグッズ紹介。そして、直営店の店舗紹介に社員が描いた漫画の掲載がされていた。
 
その当時にいた、ナムコファンとの交流を目的にしたもので、しかし、予算面で決して潤沢にファンに回る冊子ではなかった。
 
それでも、直営店にファンを呼び込むアイテムとしては絶大な効果を発揮していたのは間違いない。
 
 
 
 今回はフリーマガジンの紹介です。
 
ナムコというゲーム会社は、その黄金期において多くの固定ファンがいたゲーム会社のひとつでした。そのファン…言ってしまえばフリークと呼称しても差し支えがないかもしれません。
今では、珍しくもない独自開発のアイテムも数多く発表し、あまりにも先を行くその営業展開に他のゲーム会社はついてこれない状況であったわけです。
 
一方で、そうしたゲーム会社である以上の行動をするナムコに批判がなかったわけでもないのです。
 
ただ、こうしたゲームファンとの交流が昨今においてなくなっているのも事実。すみわけと言えば聞こえが良いのかもしれませんが、悪く言えば、ファンの声が届きにくくなった…ビジネスライクに傾倒しすぎている感があると言っても過言ではないのかもしれません。
 
その当時、こうしたフリーマガジンと同じようにナムコを支えた出版社に電波新聞社がありました。そこから発行されたアーケードゲームムック「ALL ABOUT NAMCO」も珍しいムック本であったといえるのでしょう。
そうした雑誌もNGが発行されていればこそのアイテムであったのかもしれません。
 
NGの中でも、今でも伝説的な語り草になっているのは、いくつかあるわけですが、その中でも私自身が推したいのは、やはり、漫画の存在ではないのでしょうか。
 
冨士宏氏の「午後の国」そして「迷廊館のチャナ」はその冊子でしか読むことできない漫画であったわけです。ちなみに、冨士宏氏はファミコン版ワルキューレの冒険のパッケージデザインを手がけているイラストレーターさんです。
あの、淡い色使いにやさしい線で表現されたワルキューレは、今でも多くのファンを虜にしています。
 
NG発刊中にあった大きな出来事。それは、筑波で行われた万博「EXPO'85」でしょう。そのマスコットキャラクターであるコスモ星丸のロボットを製作したのも、実はナムコであったわけです。
もともと、デパートにあった屋上遊園地の施設から営業をはじめたナムコは、そこで子供たちを楽しませるロボット開発にも力を入れていた時期があったのです。そうしたノウハウが、コスモ星丸に活かされる事になったというわけです。
 
ASIMOが登場するずっと前に、子供たちにそして世界の人たちに親しまれていたロボットがいた。今では家庭用ゲームを主流にしているナムコにも、そんな歴史があったのです。
 
 
 
 と言う感じで思うところとしては「フリーマガジン」と言う事で一つ。
 
フリーマガジンの現在における利点は、客を呼び寄せることができるという事でしょうか。割引券によって、顧客の最初の一歩を踏み出させる効果を期待するわけです。
 
今回ご紹介しているNGのようなフリーマガジンには、そうした効果は期待できません。最初の一歩というよりも、すでにその一歩を踏み込んだ人向けにさらに一歩を踏み込めるような造りになっているからです。
そう、NGはあくまで固定客を増やすというよりも、ひきつけ続けていくためのアイテムとして活用されていたと言える訳です。
 
今、こうしたフリーマガジンが果たして効果があるのかといわれれば、それはある程度条件が決まってくるのは当然の話です。
 
その店もしくは商品を、長年愛用している人であれば、新しい情報はいち早く欲しいのでしょうし、また、それに連なる情報も欲しいと思います。
そうした情報提供は今、形を変えています。そう、携帯電話のメールです。
 
あれもフリーマガジンであるという事では違いはないのでしょう。不定期であったとしても、情報提供を求める顧客に対して、送信することができる。しかも、人数に応じてのサービス提供や新たな顧客獲得のための行動に移ることできるわけです。
動きという事を考えれば、紙媒体におけるフリーマガジンよりも、的確に情報が得られるのかもしれません。
 
でも、そうならば、すべてメールに切り替えれば良いのに、いまだに紙媒体におけるフリーマガジンがある理由はなんでしょうか。
 
思うに、それは手に取り眺めること、そのゆとりを楽しめるからではないのでしょうか。
メールになくて、紙媒体にあるもの、それは眺めるということかもしれません。
 
アナログであるからこその利点。それがある以上、どれだけ通信機器が進歩しようとも、紙媒体はなくなることはありえない、そんな気がします。
 
 
 
 そんなこんなで本日はここまで。

2009年08月22日

安価であるからこその挑戦【「ムゲンバインG 幻闘士」(2009年 バンダイ)】

 さて、今回は2009年に発売されました「ムゲンバインG 幻闘士」です。

 究極の危機が現実のものになろうとしている今、ムゲンシンオウとムゲンジーファントムの出会いが伝説の聖剣ムゲンブレードを解き放つ!!
 
「ムゲンバインシリーズ」が遂にガシャポンで発売!!1つで単体ロボ、3つで3体合体ロボ、5つで5体合体ロボ、さらに武器形態へと変形合体可能!!
5体合体ロボ「ムゲンジーファントム」は、全長約215mmのビックサイズ!!
さらに、変形合体させた武器形態、「ムゲンブレード」は、玩具菓子のムゲンシンオウ(別売り)の武器として合体可能!!脅威の17体合体が楽しめます。ムゲンに集めて、ムゲンに合体!!
 
 
 
 一般的な玩具から玩具菓子へとその舞台を変えてきたムゲンバインが、遂にガチャポンに登場しました。
 
基本5種にそれぞれ2カラーで全10種になっています。それぞれの5種が合体して、ムゲンジーファントム。そして、それが変形しムゲンブレードになるのです。
 
ムゲンブレードは先に発売されているムゲンシンオウ(ムゲン幻聖獣+風龍騎バインズ)にもたせる事を前提にしているのか、そのカラーリングも青となっています。
別カラーである赤は、ムゲンシンオウの前に発売された、ムゲンエンオウ(ムゲン闘神獣+炎龍騎バインズ)にピッタリです。
 
ガチャポンという事もあり、10回回して全部が集まるというのは、難しいのではないのでしょうか。
しかし、そこはムゲンバインという特製を活かし、複数出てしまったムゲンバインはそれも合わせて合体させてみては如何でしょうか。
 
低価格でその展開を広げているムゲンバイン。更に低価格玩具でありながら…いえ、だからこその展開を期待するものです。
 
 
 
 と言う感じで思うところとしては「低価格玩具」と言う事で一つ。
 
ムゲンバインは当初、通常の玩具と同じ様な展開で成されていました。千円代が通常の売値であったと記憶しています。
重量感や電池を使った駆動など、組み合わせるだけではなく、ギミックも凝ったものになっていきました。しかし、結果的に現在は玩具菓子が主流になり、今回はガシャポンでの展開も始まりました。
 
こうした低価格玩具のメリットは、やはり価格の一言に尽きるのでしょう。
 
もし、同じ様な遊びが出来るとするのであれば、低価格の方が手にしやすいのは当然の話です。考えてみれば、これはバンダイが売り出したアニメスケールのプラモデル商品にも言えた話であるわけです。
そう、1980年代に爆発的ヒットを出した、機動戦士ガンダムのプラモデルです。
 
1/144スケールで300円というのは、手に取りやすく、また色々な意味でいじり易いというのがありました。
 
例えば色を塗る、改造をしてみる。こうしたそのプラモデルに手を加える事は、場合によっては取り返しのつかない状況にしてしまう可能性もあるからです。その際に、高価なものであれば、そのショックは大変大きな物でしょう。
別に手を加えなくても良いんじゃなかったのか…などと後悔するばかりではなく、今後そうした手を出しにくくなるものです。
 
そうした手を加えるために…言い方を替えますと、練習用として低価格玩具は適当であると言えるわけなのです。
 
玩具菓子にはシールで色を加えるというのが多いわけですが、色を筆で載せて見るというのも、こうした玩具菓子商品ならしやすいのではないのでしょうか。
 
最近のこうした商品は、価格に見合わないほどの動きが出来るものも少なくありません。それを素体にして大幅な改造をし、まだ商品化されていないキャラクターやロボットを創り出す事も可能です。
これも、安価であるからこそ、出来る事ではないのでしょうか。
 
…とは言うものの、塵も積もれば山となるという言葉もありますし、気が付けば結構投資していた…という状況になりやすいのも、玩具菓子の特徴では有るのですけどね。
全てはほどほどにという事なのかもしれませんね。
 
 
 
 そんなこんなで本日はここまで。

2009年08月22日

色々と見えてくる事があります【「nanoblock」(2008~年 河田)】

 さて、今回は2008年より発売されております「nanoblock」です。

 「nanoblock(ナノブロック)」はダイヤブロックのカワダがお届けする、驚愕のミニサイズブロックです。その大きさは1つのポッチがわずか4mmというミニサイズ…従来のダイヤブロックの半分の大きさしかありません。
しかし、大きさは半分でもダイヤブロックの持つ特長をすべて受け継いでおり、機能は全く劣らないのです。
 
完全日本生産ならではの精密で、形は普通のブロックでも大人が没頭できる全く新しいホビーアイテムです。
 
 
 
 ダイヤブロックという1962年より発売されている商品をご存知でしょうか。コマーシャルではレゴブロックが有名なのですが、このダイヤブロックは、日本が誇るブロック玩具の第一人者・河田社が製作販売しているブロック玩具なのです。
 
その河田が新しいブロック玩具を発売します。それがnanoblock(ナノブロック)です。
 
基本となる4ポッチ正方形のブロック、そのサイズは、縦8m×横8m×高5mという小ささ。しかし、その小ささであっても従来のだ言うやブロックと同じ様にしっかりと互いを組み合わせ、保持していく能力が備わっているのです。
 
現在発売されているのは…
 
 ☆Standard Color Set
 ☆Mono Tone Color Set
 ☆Dark Tone Color Set
 ☆戦艦 大和、航空母艦 赤城
 ☆姫路城、パリのセーヌ河岸、サグラダファミリア、白川郷の合掌造り、南国の大きな木、
  東京タワー、古都奈良の五重塔
 ☆nanoblock コレクション
   北海道犬、皇帝ペンギン、カクレクマノミ、アルパカ、
   キリン、ニホンアマガエル、セキセイインコ、バンドウイルカ
 ☆mamelog
   プレゼント、I LOVE YOU、ハウス、バースデイ、ベビー、ウエディング
   (※カラーバリエーションです)ホワイト、イエロー、ピンク、ベージュ、
   スカイブルー、ライトグリーン、オレンジ、レッド、ダークグリーン、
   ダークブルー、ブラウン、ブラック
 
…と、実に多岐にわたるラインナップになっているのです。また、コラボ展開として、もやしもん7巻限定版にnanoblockが付属しており、それでA.オリゼーを作る事が出来ます。
 
ブロック玩具は子供のもの…ではなく、大人に向けての卓上に表現できる小さくて大きなブロック作品。それがnanoblockなのです。
 
 
 と言う感じで思うところとしては「組み上げる」と言う事で一つ。
 
こうしたブロック玩具には基本的に完成品の図面はあっても、その分解図というのは、まずないものです。その理由は考えながら組み上げることに意味があるから…そう、これらは知育商品であるわけです。
 
とすれば、今回のレビューをしております。、nanoblockなどは中高齢者が行なうのに十分良い商品ではないのかと思うわけなのです。
 
ボケ防止にはゆびさきを動かす事が大事だと言われています。ブロック商品は、指先を動かすだけではなく、自分の思い描いた設計図に沿って、立体を完成させて行く、努力が必要になってくるわけです。
指先も使い、頭も更に使う。しかも、そこそこに小さなブロックですから、その取り扱いも気を付けなければならないわけです。注意力も鍛えてくれる事でしょう。
 
想像する事を創造する。それを成し遂げられた時の喜びは、次の作品への期待と不安につながります。そのストレスは適度なものですから、免疫力の向上になるのかもしれないわけです。
ストレスフリーと言いますけど、まったくストレスに晒されない状況は、あまりよろしくはない状況なのだそうです。
 
ブロック玩具は一度作り上げても、また分解し、別のに組みたてられる。資源を回収し、再利用する。エコ商品であったわけですw
 
さて、こうした組み上げるという事。先ほども言いました通り、その設計図はあくまで自分の頭の中にしかありません。なので、何を組みたいのか、というよりも、どう組んで良いのかを悩む事が多いのではないのでしょうか。
最近では、ブログなどに作品を紹介する例も増えているわけですけど、同じ様なもんが作りたい…という要望に実力がついてこず、挫折する初心者が多い様に思えます。
 
一つ言えるのは、千里の道も一歩から、紆余曲折があって楽しめる玩具であるのは間違いないわけですから、自分の想像を創造してみるのに活用してほしいものです。
 
ブロック玩具で物足りなくなってきたら、身の回りにある廃材を使って組み上げてみるのも一興かと。
 
何を作りあげるのか、どのように工夫するべきなのか、道具を使うとしてどのように使うのか。「物」の正しい有り方も見えてくるのではないのかと思うわけです。それこそ、間違った使い方をさせない教育の一歩になるのではないのでしょうか。
 
つまり、大人が作り、子に教える。その第一歩にこうした玩具を利用するのも、一つの方法であると思うわけなのです。
 
 
 
 そんなこんなで本日はここまで。

2009年08月10日

これも縁なのでしょうが…。【「攻殻機動隊1.5 HUMAN-ERROR PROCESSER」(1991~1996年 士郎 正宗/講談社)】 ※再掲載記事

 形あるものは壊れる。それは当然のお話。有機物と無機物の違いや有機物であっても生命のあるなしの違い、生命があっても大きさが異なればそれだけで時間の流れは変わってくるものです。しかし、それは主体的な視点からのお話でもあるわけです。
 
 例えば入学や卒業、例えば入社や退社。その場にそれまでいなくても、そこからいなくても物事は進んでいくものです。その大きな理由として、そこにはただ一人の自分だけがいるわけではないという事、そして物事はその一つの事だけで進んでいるわけではないという事であるからなのです。
 
 全ては雑にして密につながっているもの。意外に、何かとの縁というのは切れているようで切れていないものです。



 さて、今回は1991~1996年の間にヤングマガジン海賊版、ヤングマガジンに発表されました「攻殻機動隊1.5 HUMAN-ERROR PROCESSER」です。



 物語は前作の続きから始まる。草薙素子が事実上、殺害され9課からいなくなったとしても、日常がそれで終わるわけではなく、日々、犯罪の芽はそこらここらで吹き出ている。そんな中、新巻の元へ一つの依頼…いやお願いをある女性がしにくる。
 
 荒巻の友人であるという彼女の父親の行動がおかしいというのだ。
 
 しかし、おかしいのも道理、彼女の父親は死んでいると隊員の一人であり、一緒に話を聞いてたアズマは言う。それに激怒するがしかし、新巻も単なる冗談ではないと嗜める。
 
 最近、義体のリモートコントロールを行う犯罪があり、彼女の父親がその犯罪に巻き込まれている可能性があるというのだ。
 
 しかし、父親が死んでいるなどと信じられない彼女は、9課を後にする。新巻の命で彼女を自宅の近くまで送ったトグサとアズマは、二手に分かれて内偵調査に入った。自宅に仕掛けられているであろうリモート用の中継器探し、そして父親がどのような行動をとっているのか。
 
 案の定、家には発信器が仕掛けられており、父親の方は莫大な財産を誰かに譲渡しようとしていた。
 
 しかし、それまでの行動がどこかから漏れていたのか、手荒い方法で証拠を消しに来た犯人…と思われたのは、実は爆破するための記憶だけを上書きされた下っ端であった。犯人側のこうした行動に新巻たちは「人形遣い」を思い出す。
 
 荒巻は死体であろう父親がばら撒いていた金の帳簿を持って、裏を取りにいく。結果、犯人側の目的は公安・警察の組織データの全てが記載されているパンドラと呼ばれるシステムのキーであろうという事であるが、しかし、まだしっかりと結びつかないでいた。
 
 だが、事態は急展開を迎える。犯人側からの信号が途絶し、しかも電話することすらも容易ではないはずの父親から、顧問弁護士に保護を求める電話があったというのだ。更に、それを人権問題と捉え、法廷にまで持ち込んできたのは、少佐が法廷で裁かれる事になった事件での担当検事であった楠であった。
 
 結果、法廷闘争として事件は表沙汰になり、父親は電波が遮断された場所での確認という措置がとられる事になった。真犯人の目星がつかない以上、近しい人物に張り込み、とりあえずはパンドラのキーに関して誰にも渡らないようにする事から解決に持っていくつもりであったが、その最重要人物は電話の受話器を上げた途端に誰かに殺害されてしまった。
 
 それと同時に、父親の人権侵害に関する法廷も、電脳倫理に関する件に代わるのだが、係わったかもしれない顧問弁護士に生きていると証言した医者は起訴猶予となる。楠検事も責任の有無を調査されるが結果的に不起訴処分となった。
 
 だが、一体誰が何の目的でという肝心の部分はわからずじまいである。ただ、言えるのは、今の段階ではこれ以上動く事はできないものの、とりあえずの目的は果たされたという曖昧な結果のみが残った。
 
 
 
 四つの短編をまとめたこの冊子には、草薙素子は殆ど出てきません。出てくるにしても、本人(というか、前作で活動していた義体)ではなく、義体(脳がないためにロボットとも言える)を操作するための情報を送り込んだ姿として出てきます。
 
 これは、映画版イノセンスに、そのアイデアが生かされているものです。また、上記に記載している内容は、短編でしかも被害者が大人という観点ではあるのですが、テレビ版の最新作、S.A.C Solid State Societyにそのアイデアが生かされています(正確には、この話と原作の2が合わさっていると言った方が良いのでしょう)。
 
 原作である漫画版においてテレビ版や映画版と大きく異なる点は、バトーの心境ではないのでしょうか。映画やテレビ版ではバトーにおいて素子の存在は絶対です。しかし、漫画版では、あくまで同じ仲間(正直、それすらも怪しい)の一人であり、それ以上の感情はないのです。
 
 ただ、共同する場合には信頼している人間であるのは間違いありません。
 
 しかし、トグサに関しては素子のいた位置に立たせようとしている節が原作からも匂ってきます。ただ、彼はこの作品で義体になったわけではないというのが、テレビ版とも異なります。
 
 
 この冊子における最大の売りは、CD-ROMが付いているという事でしょう。この中には、収録されている作品をパソコンで音付きで見ることが出来ます。さすがにキャラクターボイスは入っていませんが、それでも迫力のある映像が楽しめるのです。



 パソコンがまた壊れました。メインで使っているパソコン…これで6、7回目です。半年に一度、何かが壊れるのですが、人死にが出ていないだけましな問題というだけで、製造責任はあると思っています。
 
 ただ、恐らく私自身はクレーマーであると思われているので、単純に文句を言っても流される可能で胃があります。よって、それまでの故障報告を持って訴えてやろうと思います。単なるクレーマーよりたちの悪いのは、こうした証拠を持っている人間であると知らしめてやる必要があるのでしょう。
 
 なんにせよ、物はいつかは壊れます。その壊れたものを修理する際に部品代や技術料が発生する。その点についても問題はありません。しかし、頻度の問題と態度の問題は到底ゆるせるものではありません。半年におよそ5万~12万ほどの出費となるのです。メーカーサイトの品質保証は一日8時間使用で1ヶ月(25日と設定)使用して5年。どれだけ単純計算をしても半年~1年で壊れる計算にはならないはずなのです。
 
 さて、冒頭に記載しました中で結局は縁であるとしましたが、こうした頻度と態度の問題に関しての縁はどうなるのでしょうか。これを脅しと捉えられても問題があるのですが、しかし、頻繁な故障を起こしているのは事実ですし、こちらは誠意ある態度と対応を望んでいるだけです。
 
 問題はその誠意ある態度と対応なんですけどね。
 
 はっきり言えば、パロマにせよ不二家にせよ、どちらの方を向いて仕事をしていたのか。それによって起こった結果がかのような事であると考えているわけです。それは三菱にしても同じことでした。それがパソコン業界に起こらないと何故いえるのでしょうか。
 
 企業の判定を示すのは経済界でも政治家でもありません。結局は消費者であるわけです。
 
 もう一度記載します。どちらの方を向いて仕事をしているのか…それを真剣に考える必要はあるのではないのでしょうか。
 
 
 ちなみに…というお話なのですが、誠意と誠実という事で言えば、故障を無料修理するだけがソレと勘違いしている節があります。それはそれでありがたいのですが、それだけで終わらされると、流された感覚があって腹が立ちますし、情けなくも思うわけです。
 
 今回もそうなるのでしょうねぇ。どうすれば分かってもらえるのでしょうか。困ったものです。
 
 
 
 そんなこんなで本日はここまで。
 
 
 
※こちらの記事は、以前に掲載していた記事です。しかし、スパムコメントの削除がままならない理由より、再掲載として記載いたしました。

2009年08月10日

人生を抱え込む覚悟【「兄弟拳バイクロッサー」(1985年 東映)】 ※再掲載記事

人の泣かせ方にも様々ありますが、最近のあの系統のニュースでは泣く事も出来ないことでしょう。



 さて、今回は1985年に放送されました「兄弟拳バイクロッサー」です。



 子供の泣き声を聞くと口からダイヤモンドを吐き出す魔神ゴーラ。それを手に入れたドクターQはどうにかして子供の泣き声を手に入れようと、怪人たちを繰り出してくる。
それを防ごうと銀河系の守護神ペガサスは、水野兄弟に超能力とスーパーメカを与える。そしてバイクロッサーとして戦い、子供たちを魔の手から守るようにと託した。
 
兄である拳、そして弟の銀次郎は、バイクロッサーケン、そしてバイクロッサーギンとしてドクターQの世界制服の野望と戦い、子供たちを守っていく。
 
 
子供の泣き声を聞かせればダイヤモンドを吐き出す…なんとも凄い設定です。しかし、これが実際の子供たちへの親近感になる…はずでした。実際には、そうでもなかったようです。
 
オーソドックスな特撮ではあったのですが、その当時の玩具の売れ行きは低迷していたのは事実。こうしたオリジナル(つまりは、仮面ライダーやウルトラマンなどのネームバリューのない作品)に関しては、売上げ不振につき、打ち切りが当然のように行われていました。
特撮は一年間行うのが当然の世の中であったからなのですが、それだけ製作者サイドにも販促関係にもプレッシャーであったのは間違いない話でしょう。
 
出来る限り低予算で。しかしこれは、その当時にだけあった話ではなく、東映の特撮作品には共通の命題であったと言っても過言ではありません。そのために、スークアクターの身体を張った演技が、作品に大きく関わっていたわけで、今のようにCGを簡単に使うのではなく、映像テクニックと合わせて肉体で表現する時代であったとも言えるのです。
 
この作品、意外に知られている部分としてOP・EDが取り上げられるのではないのでしょうか。
何故なら、その歌を歌っている人こそ、あの水戸黄門でうっかり八兵衛役として有名な高橋元太郎さんなのです。実に良い声で歌っていらっしゃるのですが、ソレもそのはず、元々からして歌手だったのです。役者はその後の話。そして、忘れていけないのは、ソロ活動における有名なアニメのOP、「マッハGoGoGo」を歌っている方でもあるという事です。
 
 
実はこの作品で最も好きなのは、バイクロッサーの必殺技、ブレイザーカノンを撃つくだりです。これが一番の見せ場であると個人的には思っています。
 
ブレイザーカノンはギンの乗るギンクロンというバイクから発射される太陽光エネルギーを収束させた波動砲であります。まず、お約束として、必ずケンがギンに「ブレイザーカノンだ!」と言うと、親指を立てて「OK!」と遠くに停めているギンクロンに向かってギンが走っていく所から始まります。
そして、何気にケンがジャンプし、ギンクロンが走ってくる方向に背を向け立つ。その姿をあおり加減に回り込んで映していくのがカッコヨイのです。
 
そして、ギンクロンが迫ってきて、ジャンプ!するとケンはおもむろに振り返り、なんと、ギンクロンをギン搭乗したままで肩に担いでしまうのです。
そう、ブレイザーカノン砲は、ギンクロンそのものであるのです。
 
そして「ブレイザーカノン発射準備完了!」とギンが叫び、「OK!」と言って、そこで改めて相手を確認し、そして初めて照準をセットするケン。その間、敵はボーッとしているのはお約束。
ラストは二人同時に「シューティング!」でチュドーンと敵爆破。
 
お約束というのがあるのは当然ですけど、中々強引なお約束がステキな作品であったと思うわけです。




 他人を泣かせて金品など大切なものを奪う犯罪に詐欺があります。思うに最近、犯罪として認識されていないのではないのかと思うご時勢になってまいりました。
例えば、企業の内定取り消しも言ってしまえば詐欺に近しいものではないのかと。当然、年金などは国を挙げての詐欺だと言われても仕方がない状況になっておりましたし。その火消しに躍起ですけどね。
非正規社員の大量解雇など、企業の詐欺が露呈してきた状況ではないのでしょうか。バブル自体が詐欺のようであったのを知っていながら、いざなぎ景気超えの状況でも、何の手も打ってきませんでしたし。
 
日本企業における危機意識の低さは、事ある毎に記載している話です。まぁ、こんなレビュー記載など見てくれるわけではないのですが、それでも記載せずにはいられません。
 
企業とは何ぞやと言う話ですが、勘違いしていてはいけないのが、企業が残る事が正義ではないのです。企業が雇用を養っていける事が正義なのです。その為に仕事があり、業績があるのです。
例えば、私は個人サークルをやっています。これを起業した場合、社員一人である以上は、全て私の責任になります。やめる場合にも、続ける場合にも、私に社会的責任が起こってきます。ですが、一人でも社員を獲得した場合、これは話が変わってきます。その社員の命運を握る事になるのですから。
 
まずは教育も必要でしょうし、何よりその社員に給与を払えるようにしなければなりません。それが経営者としての責任であり覚悟です。社員の数など問題ではありません。多かれ少なかれ、その社員の命運を握っているのは、間違いなく企業であるからです。
当然、正規雇用か非正規雇用か、そんな分け方に意味はないのです。
 
雇う事。これは経営者が事業を見据えて行う事でありますが、同時にそれは、その人の人生を預かる事でもあるのです。
 
 
経済は需要と供給によって賄われています。極々自然な当たり前の話です。
では、安易に雇用を切った場合、その需要がどうなるのかを考えた事があるのでしょうか。ない袖を振ることなど誰も出来ないのです。
 
貧乏人を相手にしない、それでも結構な話です。ですが、どのような形であれ、雇用すると言う事。それは経営者一人で売上げを上げる事が出来ないという事であるのです。それを忘れてはいけません。
大企業でリストラと簡単に言いますが、その大企業にしてきたのは経営者一人であるのであれば、雇用など必要ではありません。する方が間違っています。では、雇用しそれを脈々と続けてきたからこそ、大企業になった場合、経営難にしたのは誰の責任になるのでしょう。
 
誉れは経営者、非難は従業員。これで企業が賄われているのであれば、そんな企業は潰れるのが吉です。
少なくとも、そんな企業との付き合いをしようものなら、約束を守りそうにありませんからね。企業の状況によって、直前にそっぽ向くに決まっているのですから。
 
 
要するに覚悟もなく、理念もなく。人を雇う事の意味も知らずで給与を貰っているのですから、恐れ入るばかりです。
そうした企業が中核を成している以上、日本景気は必ず誰かのせいにし、そして他人任せで回復を待つだけの状況であるのは間違いない話なのでしょう。
売上げだけではなく、雇用においても経営の責任を取れない経営者など、電動の招き猫以下だと知るべきなんですけどねぇ。
 
右手で招いても金は集まらず、左手で招いても人も集まらず、結果的に両手を挙げ続けているだけ。要するにバンザイしているだけという事ですな。
 
 
 
 そんなこんなで本日はここまで。

 
 
 
※こちらの記事は、以前に掲載していた記事です。しかし、スパムコメントの削除がままならない理由より、再掲載として記載いたしました。

2009年08月09日

人は汎用か万能か【「機神兵団」(1992-1993年 パイオニアLDC)】

 さて、今回は1992~1993年に発売されました「機神兵団」です。

 時代は第二次世界大戦の頃。中国大陸…満州地区を走る列車の中に、一組の家族がいた。両親と少年が一人のその家族には、何かしら緊張感が漂っている。その夜、列車の急ブレーキに少年が目覚める。すると父親が、この人を尋ねるのだと、いきなり鞄と名前の書かれた紙マッチのケースを渡した。そして、少年には隠れているように指示する。

部屋の隣では何者かが、両親と言い合いになっている。いや、言い合いですらない。いきなりの発砲音。それが父親の命を奪ったのを少年は知る。
その発砲した人物…軍人は少年の前に立ち、鞄を渡せと迫ってきた。

しかし、その時、空が紅く光る…そして、空から異形の人形をした何かが降ってきた。

それは手に銃を持ち、誰であろうとも、発見した人を片っ端から撃っていった。その異形の者に恐怖した軍人の一人が銃で対抗する。しかし、衝撃は異形の者を自爆へと追いこんだ。

爆発により背中に重症を負う少年。さらに異形の者に囲まれ絶対絶命となる。

その時、列車の線路を震わす何かが近づいてきている事に気付く。それは確実にこちらに近づいてきており、尚且つ、戦闘体勢に入っていた。
それは巨大な機関車。何かと対抗するために作られた戦闘機関車であった。

機関車の先頭に装備された機関銃が火を放ち、少年は九死に一生を得る。だが、それだけで戦闘が終わる事はなかった。更に異形の者が空から降ってきたのだ。
それに対抗するために、機関車より降り立ったモノ。それは巨大な戦闘ロボットであった。その胸には雷の文字。
だがしかし、背中の傷や緊張感から、少年の意識は薄れていき、しかも、近くにあった川へと転げ落ちていく。そこに停留されていた小さな舟の中に転がり込んだ少年は、岸を離れどこかに流されていった。

それから2ヶ月後。あの時の少年は、とある町にいた。戦災で両親を失った子供達と一緒に暮らしているのだ。その少年の命を救ってくれた医者が会いに来る。
その少年…鷹村大志は元気良く、アパートを飛び出していくのだった。
 
 
 
 原作は、山田正紀氏の同名小説(全10巻)ですが、内容は大きく違っており、また、主役が鷹村大志という少年であり、本作は基本的に彼の視点で語られています。
元々は機神兵団VSエイリアン軍団という図式なのですが、このアニメ版では、((関東軍VSドイツ軍)×エイリアン)VS機神兵団という少し面白い図式になっているのです。

関東軍は強力な兵器である機神を奪取もしくは製造したい。でも、エイリアンの技術“モジュール”を使っているので、それを手にいれるのも難しければ、手に入れたとしても実用化には時間がかかる。

その間、ドイツ軍は総帥によって、エイリアンとのコミュニケーションに成功し、独自の機神=パンツァーカバリエの製造に成功する。しかし、搭乗者がバタバタと死んでいく事がクリアできない。

唯一機神という兵器(といっても、対人用ではなく、あくまで対エイリアン用)の運用に成功しており、これ以上、エイリアンのオーバーテクノロジーが蔓延するのも、エイリアンに大地を蹂躙されるのも防ぎたい。

…まさに三者三様の有様であるわけです。

その争いの中に、巻き込まれてしまうのが、主人公である鷹村大志。父がモジュール研究の第一人者である事から、関東軍に狙われてしまい、その命を奪われてしまうわけです。
モジュールとは、アニメの中で詳しくは語られていませんが、襲ってきたエイリアンの一部、もしくは根底を成す何かである事は示唆されています。これを利用すると、エネルギー効率が飛躍的に上がり、莫大なエネルギーを必要とする機械を動かすだけではなく、その機械とのシンクロも可能になっていくという代物であるらしいのです。

その負の描写といえる部分が最終話にあります。関東軍の新開というキャラがパンツァーカバリエに乗りこむのですが、モジュールに乗っ取られていく描写があるのです。
機械を支配するのか、それとも機械に支配されるのか。言い替えれば、それは力に溺れていくのか否かを示している事でもあるように思えるわけです。

何かを支配するというのも、傲慢なように思えるわけですが、それでも、その有り様にもよるのではないのでしょうか。
支配というより、何かの指示を出すに辺り、明確にして揺らぐ事のない意思を見せる事。それは指示を出す側にとって、大事な事なのですし、受ける側にとっては安心してその指示を受け取る事が出来るわけです。

道具を使う際に迷いが出ると、怪我をする事がある。大工さんでは良く言われていた事と記憶しています。気の緩みではなく、その道具は何をするためのものであるのか。それをしっかりと理解して使う事。そして、使う側もしっかりと意識をして使う事。その一例をこの作品は示しているように思えるわけです。
 
 
 
 と言う感じで思うところとしては「汎用」と言う事で一つ。
 
機神兵団では、雷神は列車で地上を、風神は飛行艇で空を、竜神は単独で水中を進んでいきます。それぞれ、陸海空を担当しています。決してどの場所でも十分に行動できる=汎用には作られてはいないわけです。
一方、ガンダムはどうでしょう。リアルサイズ=18mのガンダムを観ていたという話をしましたが、そのガンダム、いずれ動いたとして、もしアニメ通りであれば、陸海空全てがカバーできる=汎用という事になります。
 
汎用とは、様々な場所、状況に対応が出来ると言う事であり、決して万能ではありません。
 
例えば、車を生産する工場があります。Aという車だけを作る工場「あいう」とAとBとCを作る工場「いろは」があり、それぞれに一種類の工作機器で製造したとします。Aという車を作るにあたっては、「あいう」は「いろは」よりも、効率が良い=沢山の車を素早く作れるという事になります。しかし、BやCを作る場合には、「あいう」の工作機器は、再度調整するかもしくは破棄して新しい機器をいれなくてはなりません。一方、「いろは」では、問題なくAと同じ様に生産が可能なわけです。
 
この場合、「あいう」の機器は専用、「いろは」は汎用という事になります。
じゃ、万能という場合はどう言えば良いのでしょうか。それは、何も教えなくても、Dという車を作れる工作機器があったとします。それは確かに万能です。既に、対応が出来ているという事なのですから。
しかし、汎用は対応できるのでしょうが、出来るように慣れさせなければならないわけです。
 
では、人は汎用なのでしょうか、万能なのでしょうか。あくまで人は汎用。様々な事に対応できるだけであり、それを習得するにはそれなりの時間がかかるというわけです。
 
ガンダムが汎用であるという理由には、その動作を行なうには、人の経験が必要になってくると条件があるわけです。それが、すぐに慣れるという事は、主人公がどれだけスゴイのかを物語っているわけです。
 
機神兵団では、それを操作するには、特別な何かが必要なのでしょうが、それぞれの得意フィールドにより特化した=専用の操縦技術が必要になってくると言う事になります。
 
どちらが、大変な事なのかは、時と場合によって異なるのでしょうが、少なくとも人が万能ではない以上、それを得意とする人の協力を得る事も時としては必要になると言う事になります。
それによって、効率良く結果が出るのであれば、それは良い事でありますし、それを自分の中に経験として取り込めるというのは、貴重な事であると思うわけです。
 
教える事、教えられる事、助け合う事、手を差し伸べる事。それは人が出来る、人との付き合い方、互いを成長させるための手段、その一つであると言う事なのです。
 
万能である=一人で大丈夫と思いこんでいるよりも、誰かを助け、誰かに助けられる方が、より成長が早く、しかも深く濃く出来るのではないのでしょうか。私はそう思うのです。
 
 
 
 そんなこんなで本日はここまで。

2009年08月01日

実物が動き出す時…【「GUNDAM 30th ANNIVERSARY」(2009年 GREEN TOKYO ガンダムプロジェクト)】

 さて、今回は現在開催されています「GUNDAM 30th ANNIVERSARY」です。(2009年8月31日まで開催)

 財団法人東京都公園協会などで構成するGREEN TOKYO ガンダムプロジェクト実行委員会は、緑あふれる都市再生と魅力あふれるまちづくりに向け、お台場 潮風公園を中心に、都民と企業・行政が一体となって東京のメッセージを発信していく新しいプロジェクト”GREEN TOKYO ガンダムプロジェクト”を2009年7月11日(土)~8月31日(月)に開催致します!
 
 同プロジェクトは、都市の緑化推進及び公園の活性化、各種の文化発信を図ることを目的にしております。これにバンダイナムコグループも賛同し『機動戦士ガンダム』アニメ放映30周年を記念した世界初※1の約18m 1/1ガンダム立像を製作し、サポーターとしてプロジェクトを盛り上げます。同立像を通じて、”緑あふれる都市東京の再生”と、2016年のオリンピックをその環境都市・東京で開催する”緑のオリンピック”の実現へ向けたメッセージを子供から大人まで幅広い世代へ発信していきます。
 
(公式サイトより)
 
 
 
 お台場、潮風公園にRX-78・ガンダムが登場。このニュースにガンダムファンは、驚きと喜びと苦笑いを同時に感じたのではないのでしょうか。
今、何故…ガンダム?お台場?実物大?…本当に色々な疑問が出てくる事でしょう。
 
しかし、そんな言葉は現場に行けば、一蹴されてしまいます。
 
会場案内の看板やスタッフの指示通りに公園を進んでいきますと、左手の立ち木の間から、見慣れた背中が見えてきます。バックパックにビームサーベル。見えているのは一部だけ。でも、何故か歓声をあげたくなってしまいます。
 
そして、道を進んでいくと、次第に見えてくる全体像。全長18m。今まで不可能であろうと思われていた実物大のガンダムがそこにいたのです。
 
 
実は、この場所に行く機会があったのはこれで2回目なのですが、最初の時は自分の体調管理を失敗し、行けなかったのです。そして今回は我が家の嫁が…
 
 「行くしかないでしょ!」
 
…の一言によって現場に向かう事になりました。
 
夜出発し、早朝に到着。夜にライトアップされているのは記事で知っていたのですが、それも時間内の話ですから、きっと真っ暗では…と思いきや、なんとライトアッ…プ?いえいえ、それよりも燃えるシチュエーションがそこにありました。
 
それがメンテナンス中であった、その姿なのです。
 
実際に重機が三台、クレーンを伸ばしてガンダムを整備。足元からライトアップされたその姿は、昼間には決して見る事ができないのでしょうし、何より、重機を利用したメンテナンスの姿など、普通は見る事が出来ません。
それだけ開放的な会場であるので、これまでも見た方がいるのかもしれませんけど、いきなりでコレは、無条件で燃えるしかありませんでした。
 
惜しむらくは、メンテナンスハッチが開いていなかった事。しかし、そこまで望むのは無理な話ですし、そうでなかったとしても、それを妄想するには十分なものでした。
 
しばらくその場所にいたのですが、一端離れ、車を移動。再び朝10時以降に会場入りをし、実際に手で外装を触ってきました。
股の下を通り抜けていくのですが、動く筈もないその巨像に、駆動するかもしれないという力強さを感じた次第です。
 
このガンダムで実際に動くのは、頭の方向と全身から吹き出る水蒸気。効果音に合わせて動くわけですけど、それだけでも、結構な迫力です。
 
期間限定のイベントですが、ガンダム好きな方であれば、オススメのイベントです。
 
 
 
 と言う感じで思うところとしては「実物」と言う事で一つ。
 
この1/1ガンダム。18mの設定資料通りの採寸で作られており、言ってしまえば「実物」であるわけです。
その実物に近づく事が出来た方が、本日、いらっしゃったわけですけど、出来ればコックピットに乗ってみたいとか、ワイヤーで股の間を通りぬけてみたいとか、色々と要望はあることでしょう。
 
ただ、このガンダムが実物であったとしても、本物ではないのは、動かないというのが理由の一つに挙げられるのかもしれません。
 
日本におけるロボット…特に二足歩行のロボットの進歩は凄まじいものがあります。前の記事にも記載しましたが、民間レベルで二足歩行ロボットが組み立てられる時代になったと言っても、過言ではないのです。
 
しかしながら、こうしたガンダムに代表するアニメのロボットが、実際に歩行するためには、様々な難題があるのは周知の事実です。…が、それも「今だけ」としておくのが吉なのかもしれないと言うのも、付け加えておきます。
 
何が言いたいのかといえば、三十年かかり実物大を組みたてる事が出来、巷には実際に動く二足歩行ロボットがいる。後、三十年後にそれらが組み合わさらないと誰が言えるのでしょう…という事なのです。
日本には不思議な話ですが、そうした技術革新に躍起になる技術者が実に多いのです。となれば、ガンダムが歩行出来るようになる日も差ほど遠い話ではないのかもしれないわけです。
 
ただ、それが出来るとすれば、それは世界から見ても日本の稀有な状況が続く事が前提にあるのは言うまでもありません。それは戦争放棄です。
 
日本には戦争アニメが溢れ返っている訳ですが、それでも、現実の戦争には抵抗があるわけです。
このガンダムも元々は、戦争のための道具として開発されたもの。ですが、今、お台場にあるガンダムは、そのアニメを楽しんでくれた人たちのために、そして東京の緑化のため、2016年に行なわれるオリンピック招致のためと、感謝と平和のためのものなのです。
 
戦争の話に登場しながらも、実際に作られたとして、それは絶対に戦争に加担するためのものではない。実に面白い話ではありませんか。
 
ヒーロー物やヒロイン物が、主人公から見た悪と対峙し戦い合う。これは物語として一つの筋道です。
ただそれが、現実ではそうであっておかしい部分があるのか…それをリアルタイプロボットのはしりである機動戦士ガンダムは示唆していると言っても良いでしょう。
 
勧善懲悪などはない…と切り捨てるのではなく、では、本当の意味の勧善懲悪とは、正義とは何か。それを実践するためには、どうするのか。
そのようなきっかけが、こうしたアニメからも発信される事が大事な事であり、そのために、実際にガンダムが一歩を踏むのであれば、嬉しい限りです。
 
平和とは何か。それこそ、実物…いえ、現実として確実に手に入れる必要のある、無形であっても大きな物、大切な物であると思うわけなのです。
 
 
 
 そんなこんなで本日はここまで。

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