さて、今回は2008~2009年に放送されました「とある魔術の禁書目録(インデックス)」です。

超能力が科学によって解明され、なおかつ、開発までされるようになった時代。その開発を授業として行なう学園都市がある。そこでは能力の開発具合によってランク付けがされており、学園都市に存在する学生の六割はレベル0=無能力とされていた。
科学で解明されたがしかし、能力開花が全ての者に間違いなく出来る…というわけでもないらしい。
そうしたレベル0の一人に、高校生・上条当麻がいた。だがしかし、彼には隠された能力が秘められていた。
その名は幻想殺し(イマジン・ブレイカー)。
効果範囲は右手の手首から先に存在し、右手で触れたありとあらゆる魔術・超能力など、それが異能の力であれば問答無用で打ち消す。だがしかし、それは同時に自分に振りかかる幸運までも打ち消しいている事になり、その結果、彼の口癖である「不幸だ…」の通り、不幸なものになっている。
朴念仁の当麻の周りには、多くの女性が集まってくる。その一人が、インデックスであった。
彼女の頭の中には十万三千冊もの魔道書が記憶されており、歩く図書館といえる。だが、その膨大な冊数が彼女を苦しめている事を、彼女と同じ「必要悪の教会(ネセサリウス)」の魔術師から聞く。彼女の命を救うためには、その記憶を一定期間で消すしかないと…。
当麻は自身の担任に尋ねる。記憶を留めておく事は出来ないのかと…だがしかし、その教師から聞かされたのは、意外な言葉であった。
そして、当麻はその理不尽な幻想を打ち消すために立ち上がった。
原作はライトノベルのこの作品、アニメ化に当たっては、原作六巻までをほど忠実に再現しているそうです。
ただ、やはりアニメ化…期間が決められた話数の関係で、一部、原作とは異なる物語になってしまったエピソードもあるとの話なのだとか。
この作品は原作を読んでいないまま放送を見ていたのですが、魔法物が好きなので大変に楽しめました。それだけではなく、人が超能力でレールガンが使えるとか、通信が出来るとか…ある意味、昔の何でもありな超能力作品をこの時代にアレンジしてみている、そんな気もしたわけです。
と言いましても、決して主人公が無敵ではない所が、この作品のミソなんでしょう。
彼の持つ最大の武器は幻想殺しなどではなく、その決して折れる事のない心です。人を助けたい、安易な動機かもしれませんが、それでも身体だけではなく心を助けようとしているその姿は決して愚かではないと思うわけです。
自分の能力に溺れている者、または理念に溺れている者にとってはこうした愚者は恐ろしい事でしょう。
人にとって恐ろしいのは、倒されても置きあがってくる者ではなく、決して倒せない心を折る事が出来ない者なのかもしれません。
彼がどうしてそんな強さを身につけたのか…こればかりは、原作を良く読んでみるしかなさそうです。
原作を読みたくなる様なアニメ作品…しかも、この作品のスピンオフ「とある科学の超電磁砲(レールガン)」もアニメ化されるとの事。
アニメから入った自分としては、このアニメを見てから原作を読むべきかどうか…と悩んでいる最中であります。
何も情報がないからこそ、楽しめたアニメ。そう思いますと、原作を読まない楽しさをそのまま残しておくべきなんだろう…か?という風に楽しみに身悶えしているわけなのです。
と言う感じで思うところとしては「超能力」と言う事で一つ。
昔から人は、超能力にあこがれを持っていたわけです。超能力をESP…つまりは超感覚的知覚だけに言及しないのだとすれば、錬金術や魔術も超能力の一種であると考える事が出来ます。
人の常識を超えた能力…ある人は元来備わっていた力が、文明によって退化したのだと主張しています。つまり開発は可能なのだと。
ただ、こういう人もいます。科学が進歩していけば、それはまるで魔法を使っているかのような技術が生まれてくるだろうと…。
例えば、魔法使いの杖や箒。確かに、魔術師が魔力を持っているから使えるのかもしれませんが、それでも、道具を媒介にして使っているわけで、そう考えますと確かに技術がより進歩していけば考えられない様な、それこそ魔法使いの杖や箒が手に入るのかもしれません。
セグウェイという乗り物がありますが、あれも、少し前の技術者からすれば魔法のようなものでしょう。それに携帯電話。あんな小さな箱から彩り豊な画像や、澄んだ音色、それに人と話しが出来るのも驚きといえばそうですよね。
今、私達が使っているパソコンにしても、そうです。文章を打てたり絵を書いたり。また、仮想空間でお買い物や友達と会うことも出来るわけです。
電子世界のミッドランドがそこにあるような気がしませんか。
水泳競技ではどれだけ速く泳げるのか。人の力と、水着の進化によって、記録は縮められています。そして、医療ではまず、救う事ができなかった病が技術革新によって救える様になってきています。
ただ、同時に人は苦悩も手に入れるようになりました。
人の力なのか技術の力なのか。その境がはっきりしなくなった事。そして、命とは何かという事です。
ある意味、今、人は岐路に立たされているといっても、決して過言ではありません。技術の進歩をが同時に人の進歩ではない。人はあくまで己の足で進歩していくのだ…改めて、それを心に留めておく必要があるのではないのでしょうか。
そんなこんなで本日はここまで。





