さて、今回は1995~1996年に連載されました「覇王街」です。

その強さ故、格闘界・武道界からその存在を永久抹消された音固体---何時しか彼らは自分たちだけの闘いの“場”を持った…己が生命と誇りを“旗(フラッグ)”に託して。
その街では、不定期にストリートファイトが行われていた。自分の“旗”を掲げ、闘いに命を賭ける…それはまるで治外法権でも働いているかのような闘いであった。
どの世界にもはぐれる輩は存在する。ただ、規格外であったためだけに、場所を無くした者たちがいる。
闘う事で自分を表現する彼らにとって、その場所がない事は、苦痛でしかない。だがしかし、ある時、彼らの間にふと舞い込んだ噂…千本の“旗”を取れば天下が取れる。
“旗”を取るには、己の“旗”を掲げ、敵の“旗”を奪うしかない。それがフラッグファイトであった。
刺激に飢えていた若者たちの間で、それは熱狂的な人気となる。そして、その中で賭け事も横行していた。
だが、旗闘士(フラッガー)たちにそれは関係ない。飢える心を満たすために、闘い続けるだけなのだから。千本を手にする、その日まで。
そんなフラッグファイトの中に、一人の学生が飛び込む。だが、中学生でありながら圧倒的な彼の強さは、何時しか、フラッグファイトが何たるかを、あからさまにしていくのであった。
その彼の名は、神楽烈破と言った。
月刊少年マガジンで連載されていました、覇王街です。
背は小さく、ほうき頭の中学生、神楽烈破が自分の腕一本だけで、フラッグファイトに飛び込んでいく話です。最初は、彼の素性も何もわからないままで話が始まりますが、その後、烈破が街に現れ、フラッグファイトに参加した理由がわかります。
ストリートファイト物…といっても、ゲームセンターで人気を博したストリートファイターⅡ以降に出てくる、不思議な力を有した普通の人の格闘物。そんな雰囲気は拭いきれません。
正直、内容的にも平凡な話であり、結果的に人気が出たのかどうかも定かではありませんが、逆に捉えれば、こうした設定であっても、圧倒的な魅力が一つでもあれば長続きする可能性があると示した作品であると思うわけです。
それは言葉であるのか絵であるのか。少なくとも、人物設定や基本設定などは、そうそう弄れるわけでもありませんし、また性別だけで変わるようなものであれば、結果的には萌え系の作品としか評価はされないでしょう。
この作品も月刊誌で一年は続きました。ですが、結局最後は作中の文字だけで、結論付けられてしまった作品となっています。
この作品において、恐らく挑戦したかったことは、様々なイジメに対する批判ではないのかと思うわけです。
同世代のイジメ、例えば集団で個をいじめるだけではなく、最近ではプロフによるイジメもあります。また、ハラスメントという言葉をかえたイジメも存在するわけです。
一見、この漫画ではいじめられる方に問題があるとも取られかねない描き方がされています。しかし、実際にはそうではなく、いじめている側は反撃しないいじめられた側を弄んでいるように見えるが、実際は生かされているだけだと言い切っているのです。
それはいじめられた側が傷みを知っているからだと言うわけです。
今、その言葉が当てはまるのかはわかりません。ただ、少なくとも、他人に対する厳しさが裏にある優しさではなく、厳しく言っている側の安息を求める行為の延長である…最近のイジメの話を聞くたびにそう思えてならないわけです。
イジメはどこにも存在します。イジメという言葉を変えたことも沢山あるわけです。
モンスターペアレンツで使われるようになったモンスター何とかという行動、DV…ドメスティックバイオレンスや幼児虐待もそうです。そして先ほども記載しました、セクハラ、パワハラのようなハラスメント。
何もイジメの代名詞が若者ではなく、むしろ、成人した後の社会でも横行していると、伝えているように思えるわけです。
何をして暴力と言うのか…そんなある意味抽象的な言い訳ではなく、力ある者が行使してはいけない行動。単にそれを指摘している漫画ではないのかと思うわけです。
と言う感じで思うところとしては「力」と言う事で一つ。
神崎氏の作品で「KAZE」と言う漫画があります。その中で記載されている台詞にこういうものがあります。
『権力とは“力”とは金や富ではない、「滅び」をあたえる立場に立てるか否かだ!!』
確かにその通りです。イジメとはある意味、こうした滅びを与える側に立てる簡単な行為であるのは間違いありません。その快楽はしている側にとって途方もないものでしょう。
ですが、イジメという物が大概は、そこまでになるとは思わなかったという状況にまで容易に達してしまう行動であるのも、知るべきなのでしょう。つまり、滅びを与えていた側が、ある日、滅ぶ側に容易になってしまうということなのです。
これは企業においても、同じことが言えるのでしょう。
最近では、使い込みがばれるケースがありますが、これも一種の力の使い方を誤った結果であると言えます。しかも、企業側においても、これは滅びを招く結果になりかねない事であるわけです。
同じ様に簡単にリストラを発表している企業が多いわけですが、これも安易な企業計画におけるイジメであるのは間違いない話ですし、好景気といわれた中でこうした状況を考えなかったのも一種のハラスメントであるのは間違いない話なのです。
こうした企業の行動が結果的に自分に返って来るのは理解できないのでしょうか。
無い袖を触れるはずが無いのです。リストラをして、金銭を世間に戻さない状況が、景気を良くするとは到底思えないわけです。これは明らかに温存している力の使い方を間違っていると言う状況であるのは言うまでもない話であるわけです。
力の使い様によって、良くも悪くもなる。戦争から遠くはなれてしまった感のある日本ですが、しかし、そうであったとしても、結果的に勝ち負けを決めたがっている状況が、何か力の使い方や使いどころを間違えているように思えて仕方が無いわけです。
どんな形であれ、イジメは良くありません。
そんなこんなで本日はここまで。

その強さ故、格闘界・武道界からその存在を永久抹消された音固体---何時しか彼らは自分たちだけの闘いの“場”を持った…己が生命と誇りを“旗(フラッグ)”に託して。
その街では、不定期にストリートファイトが行われていた。自分の“旗”を掲げ、闘いに命を賭ける…それはまるで治外法権でも働いているかのような闘いであった。
どの世界にもはぐれる輩は存在する。ただ、規格外であったためだけに、場所を無くした者たちがいる。
闘う事で自分を表現する彼らにとって、その場所がない事は、苦痛でしかない。だがしかし、ある時、彼らの間にふと舞い込んだ噂…千本の“旗”を取れば天下が取れる。
“旗”を取るには、己の“旗”を掲げ、敵の“旗”を奪うしかない。それがフラッグファイトであった。
刺激に飢えていた若者たちの間で、それは熱狂的な人気となる。そして、その中で賭け事も横行していた。
だが、旗闘士(フラッガー)たちにそれは関係ない。飢える心を満たすために、闘い続けるだけなのだから。千本を手にする、その日まで。
そんなフラッグファイトの中に、一人の学生が飛び込む。だが、中学生でありながら圧倒的な彼の強さは、何時しか、フラッグファイトが何たるかを、あからさまにしていくのであった。
その彼の名は、神楽烈破と言った。
月刊少年マガジンで連載されていました、覇王街です。
背は小さく、ほうき頭の中学生、神楽烈破が自分の腕一本だけで、フラッグファイトに飛び込んでいく話です。最初は、彼の素性も何もわからないままで話が始まりますが、その後、烈破が街に現れ、フラッグファイトに参加した理由がわかります。
ストリートファイト物…といっても、ゲームセンターで人気を博したストリートファイターⅡ以降に出てくる、不思議な力を有した普通の人の格闘物。そんな雰囲気は拭いきれません。
正直、内容的にも平凡な話であり、結果的に人気が出たのかどうかも定かではありませんが、逆に捉えれば、こうした設定であっても、圧倒的な魅力が一つでもあれば長続きする可能性があると示した作品であると思うわけです。
それは言葉であるのか絵であるのか。少なくとも、人物設定や基本設定などは、そうそう弄れるわけでもありませんし、また性別だけで変わるようなものであれば、結果的には萌え系の作品としか評価はされないでしょう。
この作品も月刊誌で一年は続きました。ですが、結局最後は作中の文字だけで、結論付けられてしまった作品となっています。
この作品において、恐らく挑戦したかったことは、様々なイジメに対する批判ではないのかと思うわけです。
同世代のイジメ、例えば集団で個をいじめるだけではなく、最近ではプロフによるイジメもあります。また、ハラスメントという言葉をかえたイジメも存在するわけです。
一見、この漫画ではいじめられる方に問題があるとも取られかねない描き方がされています。しかし、実際にはそうではなく、いじめている側は反撃しないいじめられた側を弄んでいるように見えるが、実際は生かされているだけだと言い切っているのです。
それはいじめられた側が傷みを知っているからだと言うわけです。
今、その言葉が当てはまるのかはわかりません。ただ、少なくとも、他人に対する厳しさが裏にある優しさではなく、厳しく言っている側の安息を求める行為の延長である…最近のイジメの話を聞くたびにそう思えてならないわけです。
イジメはどこにも存在します。イジメという言葉を変えたことも沢山あるわけです。
モンスターペアレンツで使われるようになったモンスター何とかという行動、DV…ドメスティックバイオレンスや幼児虐待もそうです。そして先ほども記載しました、セクハラ、パワハラのようなハラスメント。
何もイジメの代名詞が若者ではなく、むしろ、成人した後の社会でも横行していると、伝えているように思えるわけです。
何をして暴力と言うのか…そんなある意味抽象的な言い訳ではなく、力ある者が行使してはいけない行動。単にそれを指摘している漫画ではないのかと思うわけです。
と言う感じで思うところとしては「力」と言う事で一つ。
神崎氏の作品で「KAZE」と言う漫画があります。その中で記載されている台詞にこういうものがあります。
『権力とは“力”とは金や富ではない、「滅び」をあたえる立場に立てるか否かだ!!』
確かにその通りです。イジメとはある意味、こうした滅びを与える側に立てる簡単な行為であるのは間違いありません。その快楽はしている側にとって途方もないものでしょう。
ですが、イジメという物が大概は、そこまでになるとは思わなかったという状況にまで容易に達してしまう行動であるのも、知るべきなのでしょう。つまり、滅びを与えていた側が、ある日、滅ぶ側に容易になってしまうということなのです。
これは企業においても、同じことが言えるのでしょう。
最近では、使い込みがばれるケースがありますが、これも一種の力の使い方を誤った結果であると言えます。しかも、企業側においても、これは滅びを招く結果になりかねない事であるわけです。
同じ様に簡単にリストラを発表している企業が多いわけですが、これも安易な企業計画におけるイジメであるのは間違いない話ですし、好景気といわれた中でこうした状況を考えなかったのも一種のハラスメントであるのは間違いない話なのです。
こうした企業の行動が結果的に自分に返って来るのは理解できないのでしょうか。
無い袖を触れるはずが無いのです。リストラをして、金銭を世間に戻さない状況が、景気を良くするとは到底思えないわけです。これは明らかに温存している力の使い方を間違っていると言う状況であるのは言うまでもない話であるわけです。
力の使い様によって、良くも悪くもなる。戦争から遠くはなれてしまった感のある日本ですが、しかし、そうであったとしても、結果的に勝ち負けを決めたがっている状況が、何か力の使い方や使いどころを間違えているように思えて仕方が無いわけです。
どんな形であれ、イジメは良くありません。
そんなこんなで本日はここまで。





