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2008年09月27日

昔に戻っていくような感じのゲームセンター【「新世代ロボット戦記ブレイブサーガ」(1998年 タカラ)】

 ゲーム業界…最近は家庭用だけがクローズアップされますよねぇ。



 さて、今回は1998年に発売されました「新世代ロボット戦記ブレイブサーガ」です。



 宇宙の果てに封印されていた負の宇宙意識体・絶対悪グランダーク。その封印が解かれし時、宇宙は恐怖に包まれる。その野望の手が遂に地球にまで迫ってくる。
その時、グランダークに対抗するため「大いなる意思アスタル」は聖なる心を持つ聖勇者の一人、バーンを地球へ差し向けた。
 
しかし、バーンはそのままではグランダークに対抗する事はできない。彼の力を発揮できる、聖なる心を持つ地球人に協力を求める必要があった。バーンの力の根源となる聖なる心、それは勇気。
 
かくしてバーンは、勇気を秘めた少年、瞬平の下へ現れる。グランダークの野望を阻止するために。
 
 
…簡単ですが、これが基本的な話となります。この話に、様々な番組のキャラクターが参戦するような形で物語=ゲームは進んでいくわけですが、この形式、バンダイのスーパーロボット大戦の流れそのものです。
 
つまり、この商品はバンダイではなく、タカラが獲得しているロボット物の番組を元にしたスパロボであると言えるわけです。
ただし、この表現がタカラにとって嬉しいのかどうかはわかりませんけどね。
 
スパロボでは、この作品に出てきたロボット番組の登場を待ち望む声が多かったのは事実です。しかし、世の中にはスポンサーというのがあり、それは番組ごとに違っているものです。
別の時にも記載しましたが、少なくとも、過去のロボット番組はその番組のために玩具があったのではなく、玩具を売るための宣伝媒体として番組があったわけです。
 
なので、そう簡単に…といいましても、正直、出来ない話ではないのでしょうけど、色々制約はあるはずです…スパロボに登場すると言うわけには行かなかったわけです。
 
 
ちょっと待った。ガオガイガーはタカラが発売していたはずだけど…スパロボに出てるのは何故?
その理由は至極簡単。サンライズはどこの子会社なのでしょうという話になります。
 
サンライズはバンダイの子会社です。1994年に資本出資を受けて、その傘下となりました。対するガオガイガーは1997年に製作されています。
つまり、1994年以降の作品に関しては、バンダイのものでもあるという構図が出来てくるわけなのです。
 
勇者シリーズ以降、玩具メーカーにおいてバンダイ以外のサンライズ作品は…探すのが難しいのではないかと。特にロボット物も少なくなりましたし。
 
この作品において不思議であったのは、二つの作品群が出ていなかったことです。ガリアンやダグラムが出ているのに、どうして、それよりも有名なこの作品が出ていないのか。
 
それは、魔神英雄伝ワタルシリーズ、そして魔動王グランゾートです。
 
これは推測なのですが、ワタルに関しては、超魔神英雄伝ワタルの玩具の発売権利はバンダイになっているのです。実は、超魔神英雄伝ワタルの放映も1997年。つまりはバンダイ傘下となった時の作品であるわけです。
そして、決定的であったのは、ゲームに関する発売の権利をバンダイ側が持ってしまった事にあります。
 
そうなりますと、これから新規で発売するにあたり(ブレイブサーガの発売は1998年)、前のワタルであったとしても、物語上は繋がっている事になり、面倒な手続きが発生する可能性も出てくるわけです。
 
タカラ側としては、勇者シリーズと同じ様に人気のあった、ワタルとグランゾートを諦めるしかなかったという事も予想できるわけです。個人的には入れて欲しかったのですけど…。
 
 
ちなみに、ゲーム性としては非常にストレスの溜まるものでした。
ただ、こうしたストレス云々は、スパロボの初期にも当然あった話。最初の作品としては、よく纏められた方ではないかと思うわけです。
 
この後に幾つかの作品が続くわけですが、最近ではこうした作品が出る様子はありません。
ユーザーの一人としては、垣根を超えて、作品が出せるようになって欲しいものだと思うのですけどねぇ。
 
例えば、スパロボでもACEでも、タカラトミーとバンダイナムコが連名になり、勇者シリーズやらエルドランシリーズやら、ワタルやらグランゾートやら…気兼ねなく操縦してみたいものです。
売上げの折半は大人の裁量でどうにかすると言う事で、やってもらえないものでしょうかねぇ。




 最近の記事で驚きましたが、ゲーム会社5社ほどが共同で一つのゲームを作る=ゲーム会社版のスパロボようなソフトを売り出すのだとか書かれておりました。
 
私自身、テレビゲームの初期の方から生存している人なもので、その当時から見ておりますと、コピー問題、ブランド志向、著作権問題ときまして、現在は協力体制といいますか巨頭大戦と言いますか、業界的にはかなり精査されてしまったなぁと思うわけです。
 
本来、ゲームなどにあり方はないわけです。ユーザーが面白ければそれで問題はないわけで、それをどのように宣伝するのかも大した話ではないのだと思っております。
要するに、服飾などと同じく、興味がある方には、どのような情報媒体であろうとも、それを集められるようになる。そんなものだからです。
 
1970年代、ゲームセンターはドラッグのような存在として扱われ、1980年代、不良のたまり場となり、1990年代、市場として注目を受けるようになって、2000年、その形態を変化しなければいけなくなりました。
大雑把にこう捉えているわけですけど、明らかに最近のゲームセンターは私の知っているゲームセンターではなくなってしまいました。
 
テーブル筐体が置かれ、蟹股ですわり、少し猫背になりながらレバーとボタンでプレイする。一見すればなんと暗い雰囲気なのでしょうか。それが今では、歌う踊る叩く投げる、運転するわ、ポーズはつけるは。本当に多種多彩です。
メダルゲームを見てみれば、大型筐体ではかなり派手なギミックを使用して演出などをしています。プリクラにしても、全身をうつすよりも、上半身や顔を写すのを主体にしたものまで登場しているのですから、それは雑誌並みの光源をつかって、瞳の中に光がはいった写真も容易に撮影できるようになるわけです。
 
 
一方でゲームは小型化をしていきました。携帯ゲーム…一般に呼称されている中では、ニンテンドーDSやプレイステーションポータブル。それだけではなく、iPodや各社携帯電話でも、ゲームは可能になっています。
 
特にDSでは、タッチペンを採用して、誰でもゲームが簡単に出来るだけではなく、その利用法、そして利用者の幅を大きく広げる事に成功しました。脳トレ関係や常識、美文字に料理。大人がプレイしても全く違和感がないそうしたゲーム…というよりも、動きや音のある辞書(もしくはクイズ)が数多く出てきたわけです。
 
では子供向けにはどうかと言うと、そのタッチペンを使う事によって、より大胆で繊細な行動をキャラクターに取らせる事が出来るようになりました。
もう発売されているのかはわかりませんが、最新のドラゴンボールのゲームではタッチペンによる如意棒の操作が可能ですし、何かの探偵物では、タッチペンで部屋の中を探すというものにも使われていたと記憶しています。 
 
同じ様な携帯ゲームであったはずの、ゲームウォッチなどとは比べ物にならないほどの多様性です。
 
 
更に一方で、ゲームは同時に多人数と行えるようになりました。パソコンにおけるMMORPGなどはその代表例と言える事でしょう。PS2におけるFF11などは家庭用ゲーム機におけるMMORPGの元祖でもありますね。
 
 
さて、こうした変化の中で、ゲーム会社は淘汰されていると言っても過言ではありません。
一つを作るのに1年では足りず、数年かかるのも当然とされた状況では、大企業のような地力もしくは自力のある企業しか製作する事はできず、新規参入が難しい状況を作り出しているのだと思います。
 
確かに、家庭用においては新機種になればなるほどその性能をリミットまで使う事が難しくなっているのも確かですし、それを行った所で売れるゲームとなるのかも疑問です。
 
更に言えば、業務用…つまりはゲームセンターなどは、その形態が既に小さな遊園地の様相となってきてしまっている状況です。
これは昭和のデパートの屋上にあった屋上遊園地に原点回帰し始めている状況であるとも言えます。ですが、その当時のものと大きく異なるのは、コイン(メダル)ゲームに大きく依存していると言う事でしょう。
これはこの先にある、日本カジノ構想で大きく問題視される状況なのかもしれないとは思っております。元々、ゲームセンターにパチンコやスロットの廉価版が置かれている事自体に疑問がありますし、そこに大きく依存している状況も子供たちにとってどうなのかと思いますし…。
 
もう一つ、景品関係の機械でも、初心者が気軽にプレイできるものが少なくなったと思うわけです。
それに景品自体を売っている場所もありますし、本当に欲しければそっちで買えば言いや~などと思っているユーザーもあるわけですから、ゲーム業界にしてみれば頭の痛い話ではないのでしょうか。
 
恐らく、これまで以上に変化の早い状況になるのは必死でありまして、家庭用ゲームの進歩に業務用が追いついていない状況であるのは間違いない話であります。
結果、家族がゆっくりと楽しめる屋上遊園地に戻すのか、それとも、家庭用ゲームやパソコンアプリとうまく連動するゲームセンターを作るのか、もしくは昔のゲームセンターに戻すのか。
 
他の業界のような住み分けが要求されているのは間違いないように思えるわけです。
ただし、それは都会での話。地方では、ゲームセンター自体が少ない状況になっておりますので、淘汰や精査よりも速く衰退が起こっているのは間違いありません。なんせ、ここ数年で私の近くにあったゲームセンター全部なくなりましたから。それ自体が、死語になるんじゃないのかな~と思ってしまったぐらいなのです。
 
 
 
 そんなこんなで本日はここまで。

2008年09月20日

休刊や打ち切りはイカンでしょう【「トライガン/トライガン マキシム」(1995~1997年 徳間書店、1997年~2007年 少年画報社)】

 最近、雑誌の休刊が多いな~と思うのですが…というそんな話。



 さて、今回は1995~2007年に連載されました「トライガン/トライガン マキシム」です。



 人が生き延びるには過酷すぎる二重恒星…つまりは二つの太陽と、五つの月が昼と夜を告げる砂漠の惑星。そこに人が強制的な入植を果たして百数十年。その間、か弱い人が生き延びてこられたのは、一つの奇跡があったからだ。それはプラントと呼ばれる巨大な白熱電球のような形状をした生産工場である。
 
少しの力をもって大量の品物を作り上げるそれは、その時代における錬金術においての哲学者の卵のようなものなのかもしれない。
 
しかし、人はその中であっても、決して協力という言葉で結束しているわけではない。暴力、それも間違いなくその惑星には満ち溢れていた。
 
そうした惑星において、一つの噂が流れる。それは一人の賞金首の噂…その腕前というか壊滅的な破壊力からついた仇名が「人間台風(ヒューマノイド・タイフーン)」。同時に生死を問わずに600億ダブドルという途方も無い金額が賭けられている事。当然、彼の周りには彼の意思などお構いなしで、今日も不毛な争いが巻き起こる。
 
その賞金首の名は、ヴァッシュ・ザ・スタンピード。曰く筋金入りのラブ&ピースである。
 
 
こう記載していくと、実にギャグマンガの様相なのですが、実際には、かなりのハードボイルド・ガンアクションであったりします。
 
当初は徳間書店発行の「月刊少年キャプテン」で連載。それが休刊になると、今度は少年画法社発行の「ヤングキングアワーズ」で再連載という形で続けられました。
徳間時代は「トライガン」であったのを、少年画法社時代からは「トライガン・マキシマム」と題名も若干変わりました。
 
少年キャプテンの休刊には、昨今でも起こっているような書店側の問題が多々あるのではないのかと個人的には考えております…が、ここではその話は置いておくとしまして…。
 
この漫画、実に登場人物が多かった作品であるわけです。しかも、そのほとんど全てに名前が与えられていたんじゃないか~というぐらいに名前を呼び合っておりました。全てを覚えるのは大変ですけど、それでも、何回かで覚えられてしまうのは不思議なものです。
恐らくはリズムが良かったのではないのか…そう感じるのです。
 
例えば、ヴァッシュ・ザ・スタンピード、ニコラス・D・ウルフウッド、メリル・ストライフ、ミリィ・トンプソン等々。大半のキャラの名前が飛び跳ねているように感じるのです。特に、ヴァッシュを代表とする「ザ」が付くキャラは、大抵、そのキャラを象徴する名前になっているわけです。
 
ヴァッシュは「人間台風」、ニコラスもニコラス・ザ・パニッシャーで「パニッシャー使い」、レオノフ・ザ・パペットマスターは「人形使い」等とわかりやすかったというのもあります。
 
 
さて、この物語の基本はヴァッシュの復讐劇のように流れていくのですが、実はこの物語の根底にあるのは「調和」です。
 
人が搾取をしなければ生きていけない生き物であるにも拘らず、そこに感謝もなく、当然のように搾取を続けていく。これは今の世の中に通じる話でもあるわけです。そうした現状をヴァッシュの旅を通じて発信していく。
結果的に、人は生かされている事に気付くのですが、その時には何かしら大きな問題が起きている。その事を他人のせいにし、自分だけは惨めなくらいに生き延びようとする。
 
確かに、それが人間の姿であるとするのは問題ない話ですし、その通りです。ですが、そこで停まってしまう事、その事が大きな問題であるわけです。現状を理解し、更にその現状に問題があるのならば、解決する。解決も無理を通すのではなく道理を通す。
 
人が人であり続ける意味を長年に渡り描いていった作品、それがトライガンという作品であるように思えるのです。
 
 
アニメ版に関しても、少し。
この作品のアニメ版がありまして、連載途中で作成したのですから、当然、細部…というか大部分が書き換えられている状況であるわけです。そうした問題に関しても一言言いたいように思うのですが、とりあえず置いておくとしまして。
 
個人的には原作の雰囲気が当初より、ある意味抜け目のない作品であると感じていたために、連載途中でのアニメ用に変換されてしまうのが残念でありませんでした。
 
そういう意味では、現在、OVA展開しているヘルシングのように、原作をある程度(要するにアニメではNGの表現を柔和にするぐらいという意味としてのある程度です)踏襲した作品として再度作って欲しいと思うわけです。
動きの緩急が大変な作品になるのでしょうけど、それが見てみたいと思ったりするのですよねぇ。
 
企画の段階で「トライガンX」としてTVアニメ企画があったようですが、どうやらオリジナルの話としての映画で落ち着く様子。そういう意味では残念だなぁと個人的に思ってしまうわけです。
 
まぁ、それもこれも、T社が最初にほっぽり出しやがったのが問題だと思うんですけどねぇ。どんなり理由があろうともさ…というのはここでは横へうっちゃりましょうか~ね~。
 
 
ちなみにですが、今作品はパイロット版の様相を持つ、一話完結の作品が、連載数ヶ月前にお目見えしたのですが、その時には、すでにキャラが出来上がっておりました。
本編でも、閑話休題の如く、一話完結の話が出てくるのですが、キャラがしっかりと立っていると、余計な説明も必要なく、見せる(魅せるでも問題なし)事が出来るのだなぁと。でも、そうなるとキャラ自身が勝手に暴走する可能性もありますし、そういう意味としては良い意味での作者泣かせの作品ではないかとも思うわけです。




 漫画雑誌と言う事に限定させていただきますが、昨今、休刊が目立っているように思えるのです。少し古くなると幼年誌のボンボン。最近ではマガジンZもそうですし、他にも何冊かあったと記憶しています。
 
そうした場合に困るのは、やはり好きな作品を今後どこで見られるのかという話になります。
当然、描き手さんの生活云々の話にもなるのですが、それは企業同士。要するに作家さんと出版社さんの話でありまして、読者には関係のないといえば関係のない話になるのです。物凄く突き放した言い方をすれば、物語を始めたのならば完結させるのは当然ではないのか…ということになるわけです。
 
同じ様な問題に打ち切りがあります。
文字通り、作品の途中であったとしても、その作品を無理矢理終わらせる手法として広く知られています。
 
こうした休刊や打ち切りに関しては、その大半が出版社の都合によって行われる事が多いわけです。つまりは売上げに結びつかないと言う事。ここで問題は出版社=編集者たちがどのように考えているのかという話になってくるのではないのでしょうか。
 
最近、こういう話があったのをご存知でしょうか。金色のガッシュベルという作品の原作者が小学館という出版者を相手に訴訟を起こしたというものです。
この是非に関しては十人十色、まさにその立場においての意見が違うものでしょうが、読者としてはそれは衝撃的な内容でした。
 
幼少の頃より漫画に親しんできた身としては、そうした漫画界のグレーゾーンをこれまでも幾度も聞いてきたわけです。しかし、実際に描き手さんから話を聞くと現実味を通り越して、現実として感じてしまうわけです。
何より、結果的に編集者は読者の事を考えていないんだろうという行動もみえてくるわけです。
 
お客様は神様です…かつてはそんなフレーズがあったわけですけど、こんなものは嘘です。お客様の金が神様なのですから。そう指摘しても問題ないでしょ?というぐらいの状況が繰り広げられていたんだなぁと思うわけです。
 
で、最初の方の話にもどりますけど、大規模であれ、小規模であれ、その作品のファンというのはファン以上でも以下でもないのは当然の話です。となるとこうした休刊や打ち切りの問題というのは、編集側からの突きつけのように思うわけです。
 
即ち「お前らが買わないからこういう結果になったんだぞ~」。
 
おかしなもので、漫画を編集している立場からすれば、面白さを加味もしくは是正しているのは編集者だといっているように聞こえるわけです。少なくとも、打ち合わせがある時点で、それは間違いない話なのでしょう。
雑誌の品質云々なども関係あるのでしょうが、どうなのでしょうか?
 
例えば、作家の引き抜きなどそうですよね。とりあえず物語がつたなかろうとも、絵が描ければ良い。場合によっては原作を別につければ良いとか。それはそれで問題ないんですよ。他にも記載している他業種の状況と同じ様に、その漫画家を成長させるつもりであるのならば。
 
ただ、気になった作家さんが、同じ雑誌で再び作品を出すのかと言えば、決してそうではない状況は一体何なのですかね?
 
無数の描き手をいずれは雑誌に載せてやるという言葉で囲い込みしている現状というのはないのでしょうか?
 
そして、結果的にどれだけ連載を抱えていようとも、休刊すればそれで終り…努力不足なのは、作家と読者というのは勝手な話ではないのでしょうか。
 
正直、物語を始めたと言う事はその物語を終わらせる責任というのはあるはずなのです。それは読者に対する責任というのもそうなのですが、それよりもその中で培っていく様々な事が作者を成長させる事になるわけですから。
編集者が作者を育てているのだとすれば、少なくとも全ての作品を終わらせてからの休刊を決めるべきではないのでしょうか。それが無理ならば、一生懸命に売り込みに行き、その場所を確保し更に読者に知らせるというのも編集者の絶対するべき仕事であると思うのです。
 
何故なら、自分の所で終わらせられなかった事。それは恥ずかしい事じゃないんですかね?少なくとも、その尻拭いをするのは、大人として当然の話じゃないではないのでしょうか。
 
 
 
 そんなこんなで本日はここまで。

2008年09月13日

見回せば空回りだらけ【「ダッシュライナーロボ」(2008年 カバヤ)】

 空回り…ダッシュした力が十分に効果を発揮しない場合にこうなりますね。これは何も車などの乗り物だけの話ではないようです。



 さて、今回は2008年に発売されました「ダッシュライナーロボ」です。



 この記事を掲載した日時からほんの一ヶ月前に発売されたばかりの食玩です。このシリーズ…といって差しさわりがないと思いますが、いわゆる、プルバックぜんまいを利用した食玩の最新のものです。
 
それまでのシリーズのように合体が可能になります。
 
今回は4体同じ様な形のタイプが発売されており、それぞれが、チビロボ、リアルロボ、そして合体ロボへとなれる遊びの幅も広がった…かのように見えますが実際にはどうなのでしょうか~。
 
一番の不満は、やはりオフィシャルの4体合体でパーツがかなり余ってしまうと言う事です。
 
目をつぶれば気にならない部分であるのかもしれないのですが、それでも、オフィシャルであまるというのは、本来狙っている年齢のお子様たちには、パーツを失くしてしまう危険性はないだろか、と思ってしまうわけです。
 
もう一つは、ジョイントとして使われているボール。これも改良するべき点ではないのでしょうか。
動かすと、脱落する。動かしすぎるとヘタってくる…飾るよりもガシガシ遊びたいという方には少し不満が残るのかもしれません。
 
ですが、以前にダッシュビーグルGO!の例もありますので、もし、次回というパターンがあれば、改良されたものが見られるかもしれない。そんな楽しみもあります。
 
 
「連結」というよりも、「合体」の様相が強い、列車ロボの食玩ですが、しかし、そうした中でもチビロボがまずありき、というのは新しい発想ではないのでしょうか。そして、それぞれについてくるライナー=列車をパーツとして合体すればリアルロボになる。
 
しかも、このリアルロボの際には、余剰がないのです。
 
 
考えるに、元々は四対別々で敵味方のような形で売り出そうとしていたのではないかと。そこに、見ていた方の一人が「これ合体できるんじゃね?」という後付の合体を見つけてしまった。
だからこそ、四体合体では部品が余ってしまう…案外、このような話なのかもしれません。
 
 
色々不満は言いましたが、それでも続作を期待する玩具であるのに間違いありません。




 記事はダッシュライナー。でも、どこでもダッシュすれば言いと言うものでもありません。特に公道では…というより、そうでなくても気をつけるべきですね。
これは自戒も含めてのお話。凹みますねぇ、色々と。
 
さて、色々とダッシュしている様子の世の中。でも、空回りが多そうです。
 
自民党の選挙はまさに空回りでしょう。
世間の言う通り、期待感がない所の話ではありません。問題は、やはり国民の声が全く届かないと言う事でしょうか。
そんな中で、とある動画サイトで今回の総裁選は誰が当選するべきかという質問をしたそうです。その結果、麻生氏がダントツの一位。で、こうしたサイトにおける問題として出てきたのは、これは国民の声ではないという話です。
その一番の理由はネットだけのものであるという事、もう一つは選挙権のない方からの意見も受けているという事。実際には、オタの集まりであるだの何だという批判もありますが、それはうっちゃります。ある種のバッシングなので、批判そのものに意味を成さないのですから。
 
選挙権を持たない人は意見をする必要はない。もしこれが今回の総裁選に関係する事柄であるのならば、ニュース報道などは意味を成しません。何故ならば、彼らに選挙権はないはずですから。
個人的な見解としては選挙権はあくまで選挙権であり、それを有するのはある条件を満たしたからであって、特権ではないと考えております。言い換えれば、未成年であろうとも、国政に興味を持ち、場合によっては意見をする事に何の問題があるというのでしょう。
 
むしろ、今まで政治に無関心であった国民がこうして政治に目を向ける。年齢も関係ない状況であるのならば、それは国を憂いての話。素晴しい事ではありませんか。
 
ただ、心配なのはそうした意見が、大人の真似であってはならない=批判だけではいけないという事です。
 
要するに、民主党が自民党の提案を聞かない、載らない、賛成しない。これで政治を行っているというのであれば、大きな間違いであるからです。
これは民主党が政権をとった際にも言える話で、そうなると最大野党は間違いなく自民党になるのでしょうから、政権を担った民主党の意見を聞かない、載らない、賛成しないでは国政が動く事がないのです。それだけではなく、そうした状況を子供に見せ、それが教育となりえるのかをいい歳したオヤジたちには考えていただきたいものです。
 
そしてもう一つ、大きく空回りしていると言えば、食品問題でしょう。
 
日本の自給率は40%未満。ですか、これは全ての食品が均等にあった上での数字ではないという事を理解していますか?
米だけで生活できます…そう言える人がどれだけいるのでしょう。ふりかけもお茶漬けも、それも輸入食品に頼っている状況でありますから、そうした味のレパートリーなど考える必要もない状況なのです。
 
そうした中で次々と起こる食品偽装。ですが、安かろうだけで食品を選んでいたのは誰ですか?そうした指摘を受け、逆切れを起こしていたのは?
間違いなく、我々国民です。要するに、私たちの不勉強がこうした事態を引き起こしているのです。
 
何故なら、安いものばかりを選択すると言う事は、それだけ売り手市場を逼迫する原因にもなります。確かに売り手市場が無碍に価格の上昇を起こしても困るわけですが、しかし、実際はどうでしょうか。
それでも、日本の物よりもより価格の安い輸入品に頼っていた事実はないのでしょうか。
 
結果から言いますが、こうした商品の品質や値段を育てていくのは、売り手市場ではありません。買い手である私たちが育てていくものなのです。
最近、それをうまく表現した言葉が地産地消であるわけです。地元で獲れたものを出来る限り地元で消費する。これによって、商品の安定した需給が可能になる。まさに、買い手が売り手を育てていく事になるわけです。
 
危険であると批判するのは必要な事です。しかし、それは日本の農業や酪農、漁業が頼りないからだと批判するのはお門違いな話です。今、少なくとも、日本の農業が弱くなった事に悲観し憤る事が出来るのは、農家、漁師や酪農家などの方々だけです。
 
こういう話があります。
日本におけるニンニクの大半は中国産になりました。その理由は安いというだけの理由です。ある日、別の野菜で農薬問題がでた時、日本産のニンニクが求められました。しかし、その時、ニンニク農家の方は、もう生産していない状況であったのです。
その理由は…
 
「こういう状況(農薬問題で必要とされる)のは今だけ、暫くすれば、また安いもの(海外物)に移っていくに決まっている」
 
…裏切られるのは、もう沢山なのだそうです。
その現状を作り出したのは政府でしょうか。それとも業者なのでしょうか。それに気付かない限り、自給率を上げることなど不可能であるのではないのでしょうか。
 
 
 
 そんなこんなで本日はここまで。

2008年09月06日

誰のために何があるのか【「狂科学ハンターREI (1)」(1996年 中里融司/電撃文庫/メディアワークス)】

 今回の突然の辞任劇。様々な場所での感想が、的外れに思ってしまうわけです。



 さて、今回は1996年に発行されました「狂科学ハンターREI (1)」です。



 若いながら優れた鑑定眼を持ち、芸術界にその名を知られる、実業家・姫城玲。彼の画廊ギャラリーである「ギャラリー・HIME」には、世界から不明になった絵が普通に飾られており、知る人ぞ知るギャラリーとして銀座でも知られている。
 
だが、彼には裏の顔があり、その仇名は「狂科学ハンター」。
 
超科学、擬似科学、異端科学と言われ世間からは爪弾きにされる科学技術。しかし、それらを実際に活用し暗躍する組織があった。
 
「黄金の薔薇」…表向きには世界に進出している大企業「ギア・グローバル」の本当の姿でもある。
彼らは日毎に様々な異端科学…いや、彼らの言う所の秘宝科学の成果を挙げ、それを組織のために活用している。
 
実は玲もその成果の一つであった。
彼の父、姫城正樹に改造されたその能力は、人類の持つ力としてあまりにも強大なものであった。そこで、父と同じく黄金は薔薇で科学者をしていた姉・茉莉香によって安全装置が設定された。
 
それは玲に沸き起こる純粋な怒りにのみ作動するとうリミッター。
そのリミッターが外れるとき、彼の能力は解放され、その手に持つ魔玉を持って奇跡のような「魔玉操」を繰り出す。
 
玲の敵である「黄金の薔薇」そして父である正樹を追い詰め、姉の仇を討つために。
今日もその形見である白いマフラーを風になびかせ、都会の闇の中を飛翔していく…。
 
 
この小説の扉絵・挿絵、実はデスノートで御馴染みの小畑健氏です。
主人公である姫城玲が美しいわけですねぇ。
 
狂化学ハンター…思うに、こうした「○○ハンター」ネタには結構はまる方です。その昔、週間少年チャンピオンで連載されていた魔界都市ハンターもそうですし、鈴宮和由氏の悪業ハンターに、安永 航一郎氏の巨乳ハンターも見てました(古いな~)。
 
それにプラスして嵌った原因になったのは、秘宝科学=狂科学です。
 
うまく命名したものだなぁというのがまず最初の感想で、うまく利用したものだなぁというのが次の感想。
劇中にある狂科学は、結構名の通っている有名なものが多かったですし、そういうのが好きならば、読んで楽しい作品ではないかと思います。
 
今なら、深夜枠アニメ1シーズンでも十分に表現出来そうな作品だなぁと思うんですけどね。
 
魔界都市ハンターを出しましたが、ある意味、それに類した作品であるといえます。R.O.Dにも雰囲気が似ているかもしれません。でも、それは似ているという話であって、真似をしているというわけじゃありません。
内容は、突き詰めていけば復讐劇。自分の生い立ちや姉への愛情から動いているのが、主人公である玲の原動力なのですから、物語としては先ほど似ている雰囲気の作品とした物とは一線を画しています。
 
この作品を見ていると、意外な物まで狂科学とされているのがわかります。
これって、モンスターじゃないの?…でも、考えてみればその分類は間違っておりません。確かに狂科学です。
 
同時に、そうした狂科学を手にする事ができた人間。そこに野心が加わればどうなるのか。
単に立ち回りの激しいアクションだけではなく、そうした人の内面にまで話が及んでいると言う所が更に面白いのではないのかと。
 
惜しむらくは、現在、本編5巻、外伝(EX)が1巻で停まっているという事。
出来れば、また再開して欲しいなぁと思っている次第です。




 最近、政治が慌しくなっているわけですけど、本当にそれで良いの?と問いたくなってしまうのです。
 
福田氏が首相になり、そして任期満了前に突然辞任しました。民意は怒っているそうです…私はそうでもないのですが、民意は怒っているそうです。
 
野党も当然起こっています。民意からすれば、野党に政権を渡せと言う事のようです…私はそうでもないのですが、民意はそうらしです。
 
福田政権は無責任なのだそうです。年金問題も全く解決していないし、高齢者問題も解決していない。これで一生懸命だったというのは、おかしいのだそうです…私は(以下略)。
 
 
前にも何度も記載しております。我々が民意を託しているのは、一票を投じた方に対しての話です。それが国民の責務なのです。
今回のこの騒動をテレビで拝見しておりますと、テレビはテレビの責任をすっ飛ばし、国民は国民の責任をすっ飛ばして、人の責任を追及しているようにしか見えないわけです。
 
普段から政治に関心もなく、その内容にも疎いくせに、よくもまぁ、それだけ文句を言えたもんだと呆れてしまうほどです。
 
「政治が関心を持たせないのが悪い」という本当に頭の悪い意見もチラホラ聞こえる場合がありますが、関心を持つのは持つ側の意識であり、持たせる側になんら責任はありません。
ましてや政治はファッションでもなく、音楽でもないのです。興味が持てないから関心がないと言うのは、自分の権利を放棄したのと同じ事です。
 
それで権利がないと文句を言っても当たり前の話なのです。
 
 
一番の事例で言えば、正に年金問題がそれです。
社会保険庁は確かに、仕事をサボっていました。遊んでいました。いい加減でした。そのツケが今、まわっています。
 
ですが、それはここ数年の話なのでしょうか?
 
これまでに…問題が提起される前にはなかった話なのでしょうか?
 
それを監視するための機構が何故作られなかったのでしょう?
 
不思議な事ばかりです。今、60歳を過ぎ、いざ自分の番になった時に騒ぐ。これでは、遅いわけです。
仕事が大変だったから、仕組みが複雑だったから…残念ですが、言い訳にすらなりません。それを理解して彼らはズルをしていたのですから。
これは政治不信が起こしたわけではなく、政治への無関心が起こした事。まずそこを反省するべきではないのでしょうか。
 
 
恐らく、与党の総裁選が終了後に選挙が行われる事になるはずです。
その際に、投票率80%もいかないとすれば…正直、現状からすればこれでも低いわけですが、日本の国を捨てたのは、国民であると理解するべきなのでしょう。
 
国を捨てた民がどこへ行くのか、何が出来るのか。今の世の中で考えれば、決して多くはないと思いますし、楽ではないはずです。
 
政府が無責任と蔑む前に、自分の責任を果たした上で、文句を言うべきではないのでしょうか。そして、これは国民である以上、連帯責任でもあると考えるべきなのだと思うわけです。
 
誰に投票するのか…ではなく、投票所へ行き、一票を投じたのか。その投じた信念は自分の中にあれば良いのです。それをとやかく言う必要はありません。
そして、自分が監視しているのだと、だからしっかり働けと政府に圧力をかけるべきなのです。
 
政府のために国民があるのではなく、国民のために政府はあるのですから。
 
 
 
 そんなこんなで本日はここまで。

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