いきなりですが、当たり前の話。
人は、けっして一人で生きているわけではありません。当然ですね。周りを見ても、沢山の人がいて、ショッピングセンターやコンビニでも、人との関わりがあって商品が買えるわけです。
さて、そこで問題。人は人だけいれば生きていけるのでしょうか。
さて、今回は2005~2006年に放送されました「蟲師」です。
普通の人の目に見えるものは虫というが、この蟲というのは言うなれば、自然の摂理に近しい存在。人は知らず知らずのうちに、彼らとの共生をし生きている。当然のようにそれはただあるべきものであり、彼らにとって生きるとは時に人に対して害を成す。
それを取り持ちつつ生活をしているのが「蟲師」と呼ばれる人たち。
この物語の主人公は「ギンコ」と呼ばれる片目、銀髪の青年であるが、しかし、本当の主人公は彼がめぐり合った「蟲」と「人」。それをギンコは見つめ続ける。
時に手を出す事はあっても、それは過分なきももに留めておくのが吉。そうでなければ、いずれは過大に返って来るものとなる。決して、良いばかりではない形で返って来る。
原作は、漆原友紀さん。月刊アフタヌーンに連載中の作品で、基本的には一話完結で物語は進んでいきます。しかし、一話完結であったとしても、そこにあるのはそのキャラクターたちの生活なのですから、連続物のように彼らの生活がリンクしていく場合もあります。
そうした世界観を見事いアニメ化した作品としての評価も高いのでしょう、第二期の期待が高いのも事実です。
話数は26話。本放送では、20話まで放送され、残りの21話以降は、DVDに収録されるものとして製作されました。後に、BSフジにて放送されるわけですが、再放送という形と言えるのかもしれません。
CSでは良くあるのですが、地上波初登場…こっちの方がしっくり来るのかもしれませんね。
物語は大変にゆっくりしたペースで進んでいきます。決してのらりくらりとしているわけではなく、一つの話数を出来るだけ壊す事なくアニメ化しようという意識のもと、無駄にオリジナルの話を加えるのではなく、間でつないでいく方式が取られました。
実際、演劇においてはこうした間というのは大事なものであるわけですが、アニメにおける間は時として手抜きと称される事が多い周防であります。それは、畳み掛けるように進んでいった方が迫力があるという意見もあるのですが、これは間違いです。
その作品の話数がどれだけ少なかろうが多かろうか、最初に作り出した雰囲気が、単に迫力を求めているばかりのものであるのならば、それは一種のジェットコースターと同じものであり、前よりももっと凄いのを…と迫力だけを求めていくようになるわけです。
ところが、この作品ではあくまで雰囲気作りを重視した事によって、そうした迫力だけの要素ではなく、むしろ、より世界観を大事にする動きが加速していったように思えるわけです。結果、最初から最後まで、その世界観を崩す事無く、更に言えば、動きをつけることによって更に楽しめる作品になったと言えるわけです。
当然、音楽や声優の方々と言った「音」の面でも蟲師は大変に苦労された作品ではなかったかと思います。
「阿」「吽」という蟲の出た回には、よりそれが顕著に現れていたように思えてなりません。同時に、その回では、音も溢れすぎれば無音になるという「0=∞」を使って、まるで飽和すればそれは結局無駄と同じと言っているような、そんな良い意味での昔話のアニメを見れた気がしたのです。
バックミュージックに使われるやさしい音。それだけを聞いていると眠くなってくるような音なのですが、しかし、ふと気付くと蟲師の世界に入って、もしかすればギンコに会えるのではないのかと思えるような音。
個人的には音は必須ではないにせよ、必要なものであると思わせてくれた作品であると思ったのです。
もし、未見の方は映像もそうですが、奏でてくる音にも浸ってみて欲しいものです。
至極当たり前の話をしたわけで、人は人だけで生きていけるのかという話ですが、倫理的に言えばそれは「NO」です。倫理的…というのは、これ以上言う必要もないので書きませんけど、つまりは人だけで人は生きていけないというわけです。
人が生きるためには、大変な資源を消費しています。これを「業」と言います。
業…別の言い方をするとカルマとなるわけですが、これは基本的に現世では払いきれない借金のようなものです。それはそのはず、当たり前のように食物を摂取して、服を着て、家に住む。これだけでも、どれだけの生物を殺しているのか。仕方が無い話ですが、つまり、そうした事が業を深めていくというわけです。ですので、修行をする方々はこの業を出来るだけ無くす為に、いろいろ修行をして節制をしているという事なんですね。
それはそれで一つの指針として間違っていません。実際に国民全員で実践している国もあるわけです。それはそれで素晴しいことです。
ですがそれにはやはり宗教観の一致を見なければいけません。今でも新興宗教が出てくるような日本では、まず無理な話ですね。
しかしながら、日本は日本でそうした宗教ではない統一を見ようと頑張っているわけです。つまりはエコというものです。
エコはある意味、素晴しいカルマ落としであるのかもしれません。人が人としての問題を目の辺りにし、かつ、地球には人以外も住んでいる事を思い出すきっかけになったのですから。
今度、日本で地球温暖化サミットが行われるのですが、ここで確実な成果を期待するのはまず難しい話でしょう。
ですが、日本が率先してエコに関する事を行うというのは、憲法第9条に続いて素晴しいことであるわけです。しかし、残念ですが、日本ではエコという言葉ばかりが先行して、その実態が追いついていないという現実問題があります。
その代表はやはりエネルギー問題でしょう。
日本のエネルギーの代表は今や電気です。その電気を作り出す=発電には、火力、水力、原子力によってその大半が賄われています。しかし、火力には二酸化炭素排出の問題がありますし、水力にしても全てを賄えるわけではないのは当然です。では原子力は実際に、今の科学力では完璧なクリーンエネルギーとして期待できるものではありませんし、何より、その元となるウランも無限たる資源ではないわけです。他にもプルサーマル計画や廃棄問題もあるわけで、正直、困った状況ではありますね。
そこで他の国に目を向けてみれば、ドイツにその答えがあるようです。
ドイツでは各家庭に太陽光発電をつける事を半義務化しているようなのです。助成金もでるようですが、価格としては諸経費の7割程度なのだとか。しかし、太陽光発電によって発電され、余分として蓄えられた電気は電力会社が買い取る形になっているそうで、計算では二年で元が取れ、それ以降はプラスに転じるようになっているそうです。
決して全ての電気を賄えるわけではなく、必要に応じて電力会社の負担を減らし、場合によってはその助けとなる構図がここに出来ているわけです。
太陽光発電の開発では日本がトップを走っているわけですが、その取り付け率は決して高くはないわけです。ドイツのような動きがもっと活発になれば、さらに発電効率の良い機種も出てくるようになるわけで、そうすると、いつかはLED(これは発光する側ですが)のような無駄の少ない発電システムも出来るかもしれません。
そのためには、開発する事に意義を持たせなくてはならないというわけです。モチベーションもなく開発を続けるのは、趣味の域を抜けませんからね。商売としてはおかしな事であるわけです。
最近、国民受けばかりを狙った政府の動きが見えているわけですけど、そうではなく、こうした資源小国である事を踏まえた対策も、もっと真剣に取り上げて欲しいと思うのです。
何時までも、有限な輸入資源に頼っていては、本当の意味での自立はなされないと思うのですけどねぇ。
同じ様に減反政策にも反対。食料自給率も衣食住の大事な問題です…が、これはまたいつか、別の機会に記載したいものです。
そんなこんなで本日はここまで。
人は、けっして一人で生きているわけではありません。当然ですね。周りを見ても、沢山の人がいて、ショッピングセンターやコンビニでも、人との関わりがあって商品が買えるわけです。
さて、そこで問題。人は人だけいれば生きていけるのでしょうか。
さて、今回は2005~2006年に放送されました「蟲師」です。

普通の人の目に見えるものは虫というが、この蟲というのは言うなれば、自然の摂理に近しい存在。人は知らず知らずのうちに、彼らとの共生をし生きている。当然のようにそれはただあるべきものであり、彼らにとって生きるとは時に人に対して害を成す。
それを取り持ちつつ生活をしているのが「蟲師」と呼ばれる人たち。
この物語の主人公は「ギンコ」と呼ばれる片目、銀髪の青年であるが、しかし、本当の主人公は彼がめぐり合った「蟲」と「人」。それをギンコは見つめ続ける。
時に手を出す事はあっても、それは過分なきももに留めておくのが吉。そうでなければ、いずれは過大に返って来るものとなる。決して、良いばかりではない形で返って来る。
原作は、漆原友紀さん。月刊アフタヌーンに連載中の作品で、基本的には一話完結で物語は進んでいきます。しかし、一話完結であったとしても、そこにあるのはそのキャラクターたちの生活なのですから、連続物のように彼らの生活がリンクしていく場合もあります。
そうした世界観を見事いアニメ化した作品としての評価も高いのでしょう、第二期の期待が高いのも事実です。
話数は26話。本放送では、20話まで放送され、残りの21話以降は、DVDに収録されるものとして製作されました。後に、BSフジにて放送されるわけですが、再放送という形と言えるのかもしれません。
CSでは良くあるのですが、地上波初登場…こっちの方がしっくり来るのかもしれませんね。
物語は大変にゆっくりしたペースで進んでいきます。決してのらりくらりとしているわけではなく、一つの話数を出来るだけ壊す事なくアニメ化しようという意識のもと、無駄にオリジナルの話を加えるのではなく、間でつないでいく方式が取られました。
実際、演劇においてはこうした間というのは大事なものであるわけですが、アニメにおける間は時として手抜きと称される事が多い周防であります。それは、畳み掛けるように進んでいった方が迫力があるという意見もあるのですが、これは間違いです。
その作品の話数がどれだけ少なかろうが多かろうか、最初に作り出した雰囲気が、単に迫力を求めているばかりのものであるのならば、それは一種のジェットコースターと同じものであり、前よりももっと凄いのを…と迫力だけを求めていくようになるわけです。
ところが、この作品ではあくまで雰囲気作りを重視した事によって、そうした迫力だけの要素ではなく、むしろ、より世界観を大事にする動きが加速していったように思えるわけです。結果、最初から最後まで、その世界観を崩す事無く、更に言えば、動きをつけることによって更に楽しめる作品になったと言えるわけです。
当然、音楽や声優の方々と言った「音」の面でも蟲師は大変に苦労された作品ではなかったかと思います。
「阿」「吽」という蟲の出た回には、よりそれが顕著に現れていたように思えてなりません。同時に、その回では、音も溢れすぎれば無音になるという「0=∞」を使って、まるで飽和すればそれは結局無駄と同じと言っているような、そんな良い意味での昔話のアニメを見れた気がしたのです。
バックミュージックに使われるやさしい音。それだけを聞いていると眠くなってくるような音なのですが、しかし、ふと気付くと蟲師の世界に入って、もしかすればギンコに会えるのではないのかと思えるような音。
個人的には音は必須ではないにせよ、必要なものであると思わせてくれた作品であると思ったのです。
もし、未見の方は映像もそうですが、奏でてくる音にも浸ってみて欲しいものです。
至極当たり前の話をしたわけで、人は人だけで生きていけるのかという話ですが、倫理的に言えばそれは「NO」です。倫理的…というのは、これ以上言う必要もないので書きませんけど、つまりは人だけで人は生きていけないというわけです。
人が生きるためには、大変な資源を消費しています。これを「業」と言います。
業…別の言い方をするとカルマとなるわけですが、これは基本的に現世では払いきれない借金のようなものです。それはそのはず、当たり前のように食物を摂取して、服を着て、家に住む。これだけでも、どれだけの生物を殺しているのか。仕方が無い話ですが、つまり、そうした事が業を深めていくというわけです。ですので、修行をする方々はこの業を出来るだけ無くす為に、いろいろ修行をして節制をしているという事なんですね。
それはそれで一つの指針として間違っていません。実際に国民全員で実践している国もあるわけです。それはそれで素晴しいことです。
ですがそれにはやはり宗教観の一致を見なければいけません。今でも新興宗教が出てくるような日本では、まず無理な話ですね。
しかしながら、日本は日本でそうした宗教ではない統一を見ようと頑張っているわけです。つまりはエコというものです。
エコはある意味、素晴しいカルマ落としであるのかもしれません。人が人としての問題を目の辺りにし、かつ、地球には人以外も住んでいる事を思い出すきっかけになったのですから。
今度、日本で地球温暖化サミットが行われるのですが、ここで確実な成果を期待するのはまず難しい話でしょう。
ですが、日本が率先してエコに関する事を行うというのは、憲法第9条に続いて素晴しいことであるわけです。しかし、残念ですが、日本ではエコという言葉ばかりが先行して、その実態が追いついていないという現実問題があります。
その代表はやはりエネルギー問題でしょう。
日本のエネルギーの代表は今や電気です。その電気を作り出す=発電には、火力、水力、原子力によってその大半が賄われています。しかし、火力には二酸化炭素排出の問題がありますし、水力にしても全てを賄えるわけではないのは当然です。では原子力は実際に、今の科学力では完璧なクリーンエネルギーとして期待できるものではありませんし、何より、その元となるウランも無限たる資源ではないわけです。他にもプルサーマル計画や廃棄問題もあるわけで、正直、困った状況ではありますね。
そこで他の国に目を向けてみれば、ドイツにその答えがあるようです。
ドイツでは各家庭に太陽光発電をつける事を半義務化しているようなのです。助成金もでるようですが、価格としては諸経費の7割程度なのだとか。しかし、太陽光発電によって発電され、余分として蓄えられた電気は電力会社が買い取る形になっているそうで、計算では二年で元が取れ、それ以降はプラスに転じるようになっているそうです。
決して全ての電気を賄えるわけではなく、必要に応じて電力会社の負担を減らし、場合によってはその助けとなる構図がここに出来ているわけです。
太陽光発電の開発では日本がトップを走っているわけですが、その取り付け率は決して高くはないわけです。ドイツのような動きがもっと活発になれば、さらに発電効率の良い機種も出てくるようになるわけで、そうすると、いつかはLED(これは発光する側ですが)のような無駄の少ない発電システムも出来るかもしれません。
そのためには、開発する事に意義を持たせなくてはならないというわけです。モチベーションもなく開発を続けるのは、趣味の域を抜けませんからね。商売としてはおかしな事であるわけです。
最近、国民受けばかりを狙った政府の動きが見えているわけですけど、そうではなく、こうした資源小国である事を踏まえた対策も、もっと真剣に取り上げて欲しいと思うのです。
何時までも、有限な輸入資源に頼っていては、本当の意味での自立はなされないと思うのですけどねぇ。
同じ様に減反政策にも反対。食料自給率も衣食住の大事な問題です…が、これはまたいつか、別の機会に記載したいものです。
そんなこんなで本日はここまで。






