確かに警察が犯人を追いかける、この部分に関しては問題ない話ですが、実のところ、警察組織は「予防のために存在しているわけではない」のです。
さて、今回は1984~1985年に放送されました「宇宙刑事シャイダー」です。

そうした中で地球もフーマに狙われている事を知ったコム長官は、沢村大にシャイダーのコードネームを与え、地球警護の任務に就かせる。同じ訓練生のアニーと共に、バビロスを駆って地球へと赴く沢村大ことシャイダー。
その敵である不思議界フーマは大帝王クビライが率いる集団で、かつてはムー帝国の帝王であったという。
コンバットスーツを焼結し、地球を守るためにシャイダーは戦う。
宇宙刑事シリーズの三弾として登場したシャイダーは、それまでの作品とは大きく違う事で知られています。
その一番は、それまで主役級の人物をアクション俳優から起用していたのですが、このシャイダーでは一般俳優をオーディションで選択したのです。しかもその俳優は東映にとってはライバルである円谷の御曹司。これは当時の特撮ファンの間で話題になったものです。
確かに、それまでのギャバン、シャリバンとはアクションの質がどうしても落ちてしまいます。
しかしこれは、意味のあることで、実はギャバンのシャリバンもみっちりと訓練をこなして任務についているのに対して、シャイダーは訓練生で任務につかざろうえなかったのです。それは未熟な部分があっても仕方がない話。そこがかなりマッチしていたと言える作風でありました。
ですが、では今までの作品と違い迫力がないのかと言えば、それは違います。やはり一年一年の積み重ねでココまで来ているのですから、それまでの作品を上回る迫力を出していました。
何より、その不思議な感じを出すために音楽がすばらしいものでした。
不思議ソング。ダラスゥテトゥルサラ、シギシギシギシギ♪で始まる音楽はまさにシャイダーの敵、不思議界フーマの世界をよく表現していると思います。一度聞いたら結構耳に残りましたし。
また、最終話(正確には特別に組まれたおまけの一話)にはギャバン、シャリバン、シャイダーの三役揃い踏みによる、変身~口上までをやってくれたというものがありまして、それはゾクッとくるぐらい嬉しいものでしたが、同時にそれで終わりという寂しさもあったものです。
この作品を最後に宇宙刑事シリーズは以後作られていませんが、メタルヒーローシリーズとしての枠を作り出していく事になります。そのきっかけとしての三作品は、後の特撮作品にも大きな影響を与えたものであるとも言えるわけです。
ちなみに、この宇宙刑事に使われているメタルブレードの音楽や演出はその後のアニメ作品にもインスパイアされている事が多く、それだけ印象に残るものであった事がうかがい知れるわけです。それだけ格好良かったのですから当然といえば当然でしょう。
警察の存在はあくまで、起きてしまった出来事の後処理であり、その本来の目的と思われている予防ではありません。予防はあくまで一人一人が行うものであり、その責任は全てその私たちにあるわけです。
例えば、警察が予防の組織であった場合、私たちの生活に自由はなくなります。何故なら、彼らの主観において危険と判断されたものを監視するようになるからです。誰も危険なものを向き身で持ち歩くような事はしませんし、何かを企んでいる人がそれを公言するなどありえません。
つまりは、誰もが怪しく見えるようになってしまうと言う事です。
となれば、結果的にそれは国家としての束縛になります。これが予防というものです。危険であろう事を危険がないように予測するとうのは人では不可能な事です。だからこそ、事件は起こります。こうした予測不可能な事を警察に任せるわけにはいきません。というよりも、警察だって困ってしまうわけです。
当然、何かしらの問題が起きた場合には警察が動くべきですし、それが予見される事であれば真摯に受け止めるべきなのでしょう。
そのためにも、警察に対しての情報提供は必要になってくるわけです。
ところが、その昔にありました向こう三軒両隣は、今となっては個人情報の保護に劣ってしまっているために、隣は何をする人ぞというものに変わってしまいました。
こうなると、例えば潜伏している逃亡者にとっては都合が良くなってしまいます。これを予防してくれ…というのは無理な話ですね。
せめて隣が何をしているのか、ぐらいは知っておくべきなのでしょうが、隣人トラブルにもなりたくないという事から敬遠してしまうのも仕方が無い話なのでしょうか。
結局、危機回避の基本は自分で身の回りをよく観察する事、これに尽きるのかもしれません。しかしながら、相手を最初から疑ってかかるのも寂しい話です。それは逆に言えば自分が疑われている可能性があるという事。
そんな疑いの眼差し同士で笑顔を作っても、可愛く見えるはずないのです。だからこそ、相手を疑わないようにそして自分も疑われないように生活をしていく必要がある…結果的には道徳のような話になってしまうと言う事なのでしょう。
そんなこんなで本日はここまで。






