現実感のない世の中だと誰かが言ったわけですが、それが指し示すのは、今の若い人たちであったりします。とすれば、そうした若者を育てた親にどんな夢があったのかと聞けば、子供を有名な学校に入れて、有名な会社に入れて…それは夢ではなく、願望というものです。
夢とは自分自身が叶えるためのものであり、託すものではないのです。だからこそ、現実がわかるはずなのですが…。
さて、今回は2007年に放送されました「電脳コイル COIL A CIRCLE OF CHILDREN」です。

舞台は2026年の大黒市という街。その時代、子供達の大半は電脳メガネというネット端末と小型のパソコンの機能を併せ持つ端末装置を当たり前のように持ち歩いていた。そのメガネを通して世界を見ると、実際の世界に類似させたネット世界を見る事ができるようになり、そこでは通常の世界では有り得ない画像がまるで実際の物のように存在していた。
大黒市はそんな電脳技術における特区として制定された都市であり、他の街には存在しない不思議なアイテムが街に氾濫していた。
そんな場所に引っ越してきた二人の「ゆうこ」…それが小此木優子と天沢勇子…ヤサコとイサコであった。ヤサコは父親の転勤についてきたわけだが、しかし、イサコにはある目的があった。その目的と関係するアイテムにメタバグというのがある。それは実際の空間と電脳の空間に生じた捩れに生まれる文字通りのバグであるが、それをうまく加工できれば不思議な事が起こせる道具にも出来たり、また高額で取引できる子供たちにとっても魅惑的なアイテムであった。
だが、それは同時に一つの都市伝説にもつながるアイテムである。メタバグよりも更に希少価値の高いアイテム、それがキラバグと呼ばれるものだ。そのキラバグというアイテムに繋がる噂が「ミチコさん」であった。ミチコさんは子供を異世界に連れて行くという都市伝説のある怖い存在。しかし、そのキラバグを探しているのがイサコであった。
そんな怖いアイテムを探しているイサコにはもう一つ、不思議な噂があった。それはイサコが暗号屋であるという事だ。暗号とは今普及しているメガネにはないイマーゴという機能を使える存在。それは通常のメガネでは出来ない、考えただけで電脳空間内における事を成しえる力の事であった。
だが、イサコの行動を見るとどうやら彼女の探しているのはキラバグではなく、未知の電脳生物イリーガルである事がわかる。
そして、その行動はある一つの目的のために成されている事を後々、ヤサコたちは知る事になるのだった。
昨日最終話を迎えた作品ですが、これほど面白かった作品もなかったので、レビューしてみたいと思います。…といいましても、他のサイトでもレビューされている方が沢山見えますし、出来れば、その観点とは違った方向で出来れば良いかなと思っております。
この作品の面白いのは、ひとえに「現実とは何ぞや」この一点に尽きます。
物語におけるメタバグなどの存在を電脳物質と呼称していますが、この電脳物質の中には、電脳ペットと呼ばれる存在もいるわけで、当然、何かの影響でこのペットも死んでしまうわけです。ヤサコのペット「でんすけ」も物語の途中で死んでしまうわけですが、その際にヤサコはでんすけを最初からいなかった存在と思い込もうとしたわけです。ですが、それも本当に存在する似たような吠え方をする犬によって脆くも崩れてしまいます。ヤサコは大泣きしてしまうのです。
現実とは一体なんであるのか。それを「物」とするのであれば、「心」とは一体なんであるのか。それを通して、この物語における電脳世界とは何なのかという軸に肉付けをしていった作品となっていきました。
毎回、30分(実質25分)が十分に堪能できる作品であったように思います。少年少女たちのひと夏の話は、最終回を迎えたわけですが、それでも其処から先の話はきっとこれからも続いていく事でしょう。本当の意味で現実をしっかりと見つめて生きていくのではないのかと思うのです。
今の子供達が現実世界に生きていないとして、その原因は○○にある…と大人は理由をつけたくなるものです。しかし、その原因が自分にあると考えられない内は、彼等を説得する事など無理な事でしょう。
夢を見る事と幻を見る事は違います。また、夢を見る事が愚かであると言ってはならないのです。何故なら、全て人が作り出してきたものは夢を追いかけた結果の代物であるからです。
では幻とは何か。それはありもしない事柄に過ぎません。決して手につかめない事、それが幻です。夢は崩れ去れば現実を見る事ができます。しかし幻は崩れる事もありません、消え去るのみです。残骸も残らないわけですから、現実に戻れるきっかけがあるわけではないのが幻というものです。
そして何より、夢は自分で掴むものですが、幻は何かに見せられているものであるという事なのです。夢を語れる人は決して恥ずかしい人ではなく、それを夢と認識している人はより道がしっかり見えている人であるわけです。何故ならば、夢に近づく為には幻に惑わされないしっかりと見極める事のできる眼が必要であるからです。つまり、それが現実であり、現実の先に夢は存在すると言う事なのです。
そんなこんなで本日はここまで。


