二次創作者から見た良い作品の条件とは、やはり物語が見えてくること…いえ、それだけではなく、その物語の先が全く見えない事も良い作品の条件であると考えます。もちろん、その両方には作品が面白いと感じる事が重要なわけですが、それは当たり前すぎるので、省きます。
何故なら、どうして面白いかというのは、その人の感性によることが大きいからです。
となれば、もし、全ての人が面白いと思う作品が作れたら、それは無条件に至上の作品という事になるのでしょうか。それは、二次創作のネタが浮かぶもの、もしくは全く浮かばない完成されたもの…その答えはそうした作品が出てこないとわからないのでしょうが、しかし、これだけは言えます。
その作品を読んだ人の感想は違うかもしれません。しかし、同じ感動は共有できるのであろうと。
さて、今回は2003~2004年にテレビ東京系列で放送されました「カレイドスター/新たなる翼」です。

アメリカにある一大エンターテインメント集団・カレイドステージ。そこでは歌劇、サーカス、マジックを組み合わせた、それまでにはないそこにしかないエンターテインメントを提供していた。しかし、華やかに見える大舞台の影では大勢のスタッフが走り回り、そして数多くの俳優が互いに競い合い舞台を成していた。
そんな過酷な中に憧れを持って突入してきた苗木野そらは当初より遅刻。それを、今の中心人物であるレイラ・ハミルトンに指摘され、入団すら出来ない状況になった。しかし、カレイドステージのオーナーでもあるカロス・永戸はそんなそらに何かを感じてならなかった。紆余曲折ではあったが、何とかカレイドステージに入団できたそらは努力に努力を重ね、次第に主役も出来るようになっていった。
しかし、その中、カロスの親友の息子であったユーリ・キリアンがカロスを追い出し、実質的にカレイドステージのオーナーになってしまう。だが、それはユーリを通じて儲けのみを狙っていた資産家の思惑があった。
そうした思惑は次第にカレイドステージ自体を疲弊させ、ついには売却問題にまで発展する。だが、それを救う手立てが一つだけあるという。結果的にステージによっての失敗は、ステージでしか返せない…カロスは幻の大技の完成をレイラとそらに託した。
だが、幻の大技はカロスにとってはトラウマな技でもあった。ユーリの父でもあり、カロスの親友でもあるアーロン・ブラスはこの大技を行うも失敗、結果死亡してしまったからだ。ユーリは自分でも出来ない技をそらと行おうとするレイラを必死に止めようとする。だが、レイラはそれを跳ね除けた。失敗を恐れるものに成功はありえないと。
幻の大技の特訓は熾烈を極めた。その最中、無理な減量がたたってか、レイラは怪我をしてしまう。その怪我を隠してまで特訓を続けるレイラ。一方のそらはレイラからも何も言われず、遅々として進展しない自分の成果に苛立ち自暴自棄になる。しかし、見えない場所で努力するレイラの姿にそらは自分を取り戻し、ついに、幻の大技は完成を見る。
レイラの肩に問題がある、が、レイラはそれを止める理由とはしなかった。そして幕は上がる…結果、幻の大技は成功するも、レイラの肩はカレイドステージに上がれるようなものではなくなり、夢をそらに託して去っていく事になる。
第一部でもある、幻の大技までの話は、そらがカレイドステージで憧れであったレイラ・ハミルトンとの対等な競演をするまでになる話でした。それまでの確執や陰謀などを考えると、本当によくやってきたという演出がなされています。
尺の関係だと思うのですが、時折、そらの強運によって救われる演出があったわけですが、しかし、それも次第に出てこなくなっていきました。最後の方では、レイラがクローズアップされる回が多くなり、後々思えば、世代交代の演出がうまく成されたのではないのかと思っていました。ですが、それは第二部で叩き折られる結果になるわけです。
順調に成果を上げていくカレイドステージ。そこに新人俳優としてメイ・ウォン、そして助っ人としてレオン・オズワルドが参入してくる。
メイは元々フィギュア出身であったが、その身体能力はカレイドステージでも通用するものであった。しかも、メイが入団してきたときには憧れのレイラはすでにおらず、その最後のパートナーとされたそらに敵意むき出しできつく当たっていった。
サーカス界の貴公子と言われるレオンは、数多のサーカス団から呼ばれるほどの腕の持ち主…しかし、そこでパートナーとなった相手を潰していく事でも有名なプレイヤーであった。だが、レオンの起用は正解でそれまで出来なかった演出が出来るようになっていく。
そんな中、カレイドステージにも大切な日が刻々と近づいてくる。三年に一度のサーカスフェスティバルの開催であった。前回の優勝者であるレイラとユーリには優先的に参加できるチケットがそれぞれに配られている。そのチケットを賭け、メイとそらはレオンのパートナーになるべく争っていく。結果、レオンが選んだのはメイであった。
しかし、チケットはまだ一枚存在する。それはユーリであった。ユーリを追いかけパリに降り立つそら。そこでユーリと再開し、サーカスフェスティバルに一緒に出てくださいと頼む。そこでユーリはそらに提案する。天使の技をやってみないか…。
天使の技はそれまで誰も完成させたことのない技。それを完成させれば、フェスティバルでの優勝は間違いないだろうという事であった。天使の技を特訓するそら。そしてフェスティバル当日…そらは自分の考えていた以上の光景をそこに見る。
自分の夢をかなえるという事は誰かの夢を潰す事…フェスティバルで感じたそらのその思いは、カレイドステージからそらを離れさせることになった。つまり契約解雇となる。そして日本に帰ってきたそらは魂の抜けたような生活を送る事になる。だが、そんな時、日本にいる友人から「そらは凄い」と言われる。だが、そこでそらは思う、自分の夢とは一体何なのだろう…。
そして思い出す、初めてカレイドステージを見たあの日のことを…更に、今は提供側にいるそらは思う。共演者も、観客も、みんなが楽しめるステージにすれば良い。それがそらの新しい一歩となった。
カレイドステージに帰ってきたそらを待っていたのは、雑用であった。しかし、それもそらは楽しむ。まずは自分のやれることをやろうと思ったからだ。その間にもカレイドステージはレオンとメイを中心に新しい作品を提供する事となる…が、その時、雑用であるそらに声がかかる。メイは争いたくないというそらがどう出てくるのか…どう演技するのかを期待していた。しかし、そらはそれを断った。
その事でメイにも、そして久々に姿をみせたレイラにも軽蔑されてしまうそら。だが、レオンは違っていた。レオンはそらに言う、自分のパートナーになれ…。その鬼気迫る状況から逃げ出そうとしたそらは車にひかれそうになるが、レオンが身体を張って助ける。その時、レオンの口から出てきたのはそらではなく、ソフィーであった。
そしてついに事件は起きる。新しい舞台でレオンは半ば強制的にそらをステージにあげる。しかし、雑用であると認識しているそらはそのステージから逃げるように退散していく。その姿が自分からソフィーが離れていくように見えたレオンは無謀にもバーから飛び出し、そして落下。大怪我をするはめになった。
レオンの怪我でカレイドステージは休業となり、その間、出稼ぎをする事になった先で、そらたちはレオンの過去を知る事になる。レオンの言うソフィーはレオンの妹であった事。そして、レオンとソフィーが天使の技を特訓していた事。そしてソフィーも信じていた争いのないステージの事。そらは改めてそのステージを実現させる決意をする。
そしてついにそらはレオンの元、完璧な天使の技を完成させるべく特訓を開始する。しかし、バランスの悪いそらでは天使の技を完成させることは出来ない…そう考えたレオンはバランスを力でねじ伏せる特訓を始める。そのまがい物にそらは疑問を持ちつつも、レオンに言うとおりに特訓は続いていった。
その最中、彼女が帰ってくる…レイラ・ハミルトン。彼女はステージに残してきたもののためにカレイドステージへ戻ってきたのだ。そして、カロスに話す。天使の技でそらと対決する。
天使の技のお披露目ともなる舞台「白鳥の湖」。大体の構想がまとまりつつあるなか中、カロスは言う「オデットのオーディションを行う」。そしてそらとレオンの相手はレイラとユーリであった。天使の技が完成に近づいているのはそらだけではなかったのだ。そしてオーディションが始まる。
天使の技を見事に見につけたレイラの演技。それはとても肩を負傷しカレイドステージを去った者の演技とは思えないほどの見事なものであった。一方そらも、それに負けないほどの演技であったが、レイラのそれとは何か違っていた。そしてそれはレイラも感じていたのだ。
天使の心…天使の技がみせたのは一人一人が持つ天使の心を呼び覚ます事であった。その人が一番に持つ、楽しい思い出…争いもなくわくわくと胸躍らせたときの思い出を呼び覚ます心。それをそらは技を通じて与えていたのだ。共演者まで観客にしてしまうそらの演技にレイラは敗北を認める。レイラの忘れ物というのは、全力でそらにぶつかり負けるという事であった。それは、そらがレイラを超えた事でもあり、それまでレイラにもたれかかっていたそらの心が卒業した証でもあった。
全ては決まり、いよいよ天使の技を見せ場とする新作「白鳥の湖」の初日公演が幕を上げる事となった…。
第二部でそらはレイラとの対決をし超えていきます。それは決して蹴落とすものではなく、追い越していくものであり、その瞬間、そらはレイラの夢から誇りとなったのです。
スポ魂物というのは数多くありますが、今ではその様相も変わってきたものです。このカレイドスターもその変わって来た中に入るのかと思いきや、やっていることは巨人の星の強制ギプスとなんら代わりがないものでした。つまり、正当なスポ魂路線を最終的に歩んできたともいえます。
作品自体は二部からの盛り上がりがあったそうですが、恐らくは、二部を見た人が再度一部を見て更に盛り上がっていったというのが正しいのかもしれません。また、最終的にどのようになってくのかわかっているのに、それでももう一度見直してしまうほどの魅力をこの作品は持っています。単なるサクセスストーリーというだけではなく、また、単なる根性物というだけの話ではないのです。
最終的にそらは真のカレイドスターになれたのでしょうか。それはわかりません。何故なら、物語上そらはレイラの言われた自身の最後を見せていないからです。それは後ろから来る新たなカレイドスターに対して時がきたら全力で戦い、そして敗れる事。当然そらの話は今尚続いているのでしょうから、そんな最後の話などあるわけないのです。
ですが、一視聴者からすれば、いずれ彼女もそうなっていくのだろうという予感はあります。その話を見ることは叶わないのでしょうが、それはそれ。それまでのそらの話を見ていればおのずと予想できそうなもの。あとはそれを自分なりに纏め上げれば良いのではないのでしょうか。
はまると案外癖になってしまう作品、それがカレイドスターであったように思えるのです。
上記文章の最後に二次創作のススメのような記載の仕方をしていますが、どうにもそれが難しくなりそうな世の中が来るかもしれません。いわゆる著作権法に関係することですが、確かに、現状の同人誌がそのまま良い物かと言われれば疑問が残ります。それを儲けにできるからと言う理由で助長している商業も賢いとは言えません。
やおい、今で言うBLは1980年ぐらいから活発になってきました。一時期はコミックマーケットに男子がいなくなるのではと囁かれた時代もあったほどです。しかし、バブル崩壊後はむしろ男側の活性化によって萌え現象が起こり、以降、エロ系が台頭してくる事になります。つまり、コミックマーケット開催日全てにおいて、エロがない日がなくなってしまったわけです。
人が性を欲する事が当然あるべき事です。それをあるキャラクターに投影する事もわからなくもありませんが、しかし、それだけで終始しているようでは結局ポルノ雑誌となんら代わりがないのです。
厳しい言い方をしますと、それは一過性のものであり、結局、キャラクターの衰退をもたらすものであるのです。
キャラクターにも生活がありますから性と死があって当然なのですが、それだけを誇張する昨今の同人誌系は、今の過激な表現が好まれる世の中の代弁者であると思えてなりません。
私自身はエロはパロディではないと思っています。それは一つの根本的活動のものであり、人の仕組みに代わりがない以上、キャラクターが代わったとしてもやることは同じ。つまり、マンネリであるとからです。
パロディにマンネリはありません。マンネリだとしてもその先に新しい表現が見えれば、それはマンネリではなくなり定番に変わったという事になるからなのです。しかし、定番における前と先は同じものではなく、別の存在です。つまり定番とは期待の現れであり、マンネリは繰り返しの作業という事なるわけです。
話が少しずれますが、同人誌がここまで成長した背景には、一つの勘違いがあります。それは作品を愛しているという事です。ですが、作家の中には、それは陵辱されていると感じている方が見えるわけで、それが規制のきっかけにもなっているわけです。
大きな渦は結局、大きすぎると身の破滅を迎えるだけです。暴走するのはかまいませんが、二次創作活動が続けられるためにもその方向性だけは間違えないようにと参加者の一人として願うばかりです。
そんなこんなで本日はここまで。
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