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2007年04月10日

サイボーグって夢の話?【「攻殻機動隊 THE GHOST IN THE SHELL」(1989~1991年 士郎正宗/講談社)】

 例えば、現在にサイボーグ技術が無いかと言えば、答えは「ある」と言えます。サイボーグとは、基本的に人の行動を補う人工物のこと。となれば、物が噛み砕けなければ入れ歯があります。人体に入れるものではありませんが、コンタクトレンズも補うという意味では広義すぎますが入れても良いのではないのでしょうか。
 
 実際には、人口骨とうや義肢がサイボーグというものにはより近しいのかもしれません。現在では脳に電極を入れる事によってカメラで捉えた映像を認識できるようになってきたそうです。
 
 人という仕組みがわかるようになれば、より便利になれるように人体に人工物を入れるようになるものです。人を構成する物体はほぼ解明されています。しかし、それを人たらしめる要素は未だ判明していません。ですからあくまで技術的には補うものでとまっているわけです。
 
 もし、そうした技術があうひ卓越したものとして目の前に現れた時…携帯電話が人の手から例えば耳の奥の小型機器として装着可能になった場合、例えば、地デジを見られるための小型デバイスが目に組み込めるようになった時、それを取り入れますか。しかし、それは決して夢物語ではないのかもしれません。
 
 人は想像できるものは実現できるもの。案外、間近に迫っている技術なのかもしれないのです。



 さて、今回は1989~1990年にヤングマガジン海賊版に連載されました「攻殻機動隊 THE GHOST IN THE SHELL」です。
※今回取り上げるのは冊子としての媒体です。尚、冊子としての同作品は、書き下ろしを数点含んでいるもので、ヤングマガジン海賊版にて3ヶ月毎に連載されていた同タイトルを基にし、まとめたものです。

 身体を義体化し、脳に電脳化を施す。それが当たり前になっている未来の世界。それが攻殻機動隊の存在する世界だ。21世紀前、恐らく20世紀末に同じように夢見られていただろう未来の世界は、その想像よりも混沌とした世界であった。強化された身体、更に世界に張り巡らされたネットワークにつながることの出来る電脳。それらを駆使した高機能犯罪も後を絶たない。だが、犯罪は決して高機能化だけしているわけではない。言葉にならない差別が存在する世界でもあった。
 
 警察という組織も現状と変わらず、予防的位置に存在しているわけではない。犯罪の事後を追って、その原因を探している状況であった。それに憤っている人物がいた。通称・少佐=草薙素子。彼女は優秀なハッカーであり、また高性能な義体の持ち主だ。それだけではなく、その下に数人の優秀な個人部隊を従えている隊長でもあった。
 
 そんな中、素子の下に一つの依頼が来る。その時点で彼女たちの部隊は内務省直下ではあったが、傭兵の立場にあった。金額如何によって働く独立部隊として存在していた。彼女に依頼したのは公安部のサル部長=新巻。その依頼内容は、とある施設の内偵であった。
 
 聖庶民救済センター。ここでは戦災孤児を引き取って社会に適応させるための学習をさせていた。しかし、問題は洗脳装置が存在するかもしれないという事。それは、法律で禁止されている事である。例え、政府の施設であろうとも同じことであった。ただ、内偵を行うにしても、巧みな防御の前に小型カメラですら内部映像を捉える事はできない。そこで素子とバトーは電脳を使い、中で学習している子供へとダイブした。直接つながったことによって見たその映像は、正規の学習機器。しかし、バトーはそのリンクが切れる瞬間に違和感を感じる。
 
 3回脱走すれば楽になる…そんな感じがしなかったか…と。
 
 その言葉に素子は強行突入を決定する。自分の魂=ゴーストの命じるままに。結果、その施設は洗脳装置を使っていた。それだけではなく、それを理由に辞職した職員はスパイでもあった。しかし、あまりにも派手に立ち回りすぎた素子たちに対して、内務大臣は素子がかねてより進言していた特殊部隊の設立は見送られる事になると言う。その言葉に見切りをつけた素子は、ボスである内務大臣との決別を決意した。
 
 バーで部下と共に飲んでいる素子に、新巻が来る。それは新たな部隊の設立、そしてその部隊へのスカウトであった。犯罪に対して、それが成される前にその芽を摘んでいく攻勢の組織。公安第9課=攻殻機動隊の誕生であった。
 
 
 
 幾つかの事件が描かれており、その大半は義体である事、電脳である事が必須ではないものです。しかし、それがこの世界の現実味を深めているのではないのでしょうか。言い換えれば、そうした特殊要因に特化する必要はないとも言えます。
 
 つまり、根底は人間のしている事であるといえるわけです。
 
 では電脳と義体の意味は何なのでしょう。それは単なる補助的システムであり、その補助であるシステムであるはずの物が、事件を大事にしているという事になるのです。ですので、作画表現は派手になって来るわけです。
 
 アクション性の高い話であるわけですが、どの話においても中心にあるのは人そのものです。人故の葛藤や憤り、怒り、悲しみというのは、機械では補完できないものであると受け取る事も出来るのです。
 
 幾つかの事件、その最後は「人形使い」の話ではなく、その後に素子自身が起こす誘拐事件で幕を引きます。結果、素子はソレを機会に公安9課を去り、ネットの世界を中心に活動していく事になるわけです。



 冒頭に記載しました話は、別段、夢物語ではなく、実際に予想されている技術から想像した話です。しかし、倫理上の問題がありますから、基本的にはコンタクトレンズや補聴器のようなデバイスとなるのが精一杯なのでしょう。
 
 今回、紹介しています攻殻機動隊は自分の肉体のほぼ全てをサイボーグ化している人間も存在する世界での話しです。恐らく20世紀末までは漫画やドラマなどの話であったのが、今世紀に入り技術の進歩と共に現実味を帯びてきたのも事実です。
 
 さて、そんな世界がもたらしてくれるのは何なのか。出来る事なら、一度作品にでもしてみたい話であると思うのです。単純に破滅や幸福ではない、複雑だけど実は単純な答えがそこにはあるような気がしてなりません。
 
 
 
 そんなこんなで本日はここまで。

2007年04月03日

案外難しい事です【「プラレス3四郎」(1983~1984年 東宝/旭通信社)】

 ここでは様々な媒体の作品を紹介しているわけですが、一番の難題はこの前振りとあとがきであったりします。単に作品の紹介サイトでもかまわないのかもしれません。しかし、それは他でもやっていることですし、なにより、自分がそれだけではつまらないと思っている事もあり、こうした一文(?)をつけているわけです。
 
 そこで問題になるのはどのような前振りとあとがきにするのかという事。紹介する内容とあまり差異ある内容というのはどうか…最近、そのように思いまして、出来る限り即した事を記載するようにと思っているのですが、それが大変に苦労するわけです。
 
 というわけで、姑息な手段として使っているのが、いかに関係のない話をどのように関係あるように見せ付けるのかというものです。今、こうして記載している内容も、下記の紹介内容とどう関係しているのかという事を、この後考えるわけです。
 
 言い得て妙な事ですが、全ての事象は断絶されているわけではなく、何かしらつながっているものなのです。こじつけなのでしょうが、そうした観念から行けば、文章としてのまとめはできるもの…ではないのかなぁと思っているわけです。
 
 さて、今回のあとがきはどのようなものになるのでしょうか…って、私はこれから考える立場ですので、とりあえず今回の紹介作品をどうぞ。



 さて、今回は1983~1984年に放送されました「プラレス3四郎」です。

 プラレスとは超LSIを組み込んだバトルマシン同士が四角いジャングルで戦う現代の格闘技である。その中にオリジナルのプラレスで飛び込んでいったのが主人公の素形3四郎である。彼は、JPWA主催の大会に飛び入り参加をしようとしたが、役員に抑えられてしまう。彼の目標としていたのは、黒埼玄剛のマッドハリケーンもしくは成田シノグのイカロスウィング。その試合に勝ったほうとの戦いを狙っていたのだ。そしてその試合の勝ったのは黒崎のマッドハリケーン。しかし、マッドハリケーンがイカロスの放った一撃で、一部の回路がショートしているのを見逃していなかった。
 
 その指摘に対して何より驚いたのは黒崎であった。圧倒的な力を誇示する武闘派モデラーの筆頭である彼が、圧倒的な勝利を収められない事、それは屈辱であった。何より、それを乱入者に見破られるというのは、彼にとってあってはならない話であった。
 
 そこで、黒崎は3四郎とのデスマッチを行う事にした。しかし、その目的は柔王丸を完膚なきまでに叩き潰す事。罠を張り巡らせたジオラマの上でマッドハリケーンによる猛攻は次第に柔王丸を壊していく。そして、シンナーの池に叩き落され、柔王丸は動作不能になった。
 
 自信を持って戦ったはずであった3四郎も敵の策略にはまり、それを阻止・脱出できなかった自分のふがいなさを恥じた。そして、何時如何なる時も負ける事のない最高のプラレスを作り上げる事を、そしてチャンピオンを目指してJPWAへと入る事を決意する。
 
 
 
 原作ともいえる漫画版とは大きくかけ離れた作品として描かれたのがアニメ版のプラレス3四郎です。これほど設定を変えた作品も珍しいのではないのでしょうか。
 
 まず、3四郎の立場が違います。漫画版では仲間堂(ナカマ・プラモ)はあくまで3四郎とのモデラー契約を結んでいるだけの会社であったわけですが、アニメ版では社長である故健一の会社になっています(実際にはここら辺は、かなりあやふやなものであるわけですが)。
また、3四郎にはメカニックとプログラムのサポートメンバーがついているというのもアニメオリジナルの設定です。
なにより一番異なるのは柔王丸の姿でしょう。原作が柔術家のイメージが強いのと違い、アニメ版ではロボット色の強いものとなっています。
 
 更に、3四郎の目的も大きく異なっています。原作では(有耶無耶になりましたが)3四郎は父の事故死の謎を切欠に裏組織との対決を見せていくのですが、アニメ版では、足の不自由な子のために作るシステムを敵の組織との争奪戦も含めた製作競争をしていく事になるのです。これは、原作でもやろうとしていた事らしいのですが、原作では見事に回避してしまいました。
 
 アニメ版はそれなりに一貫したテーマで進行していたわけですが、恐らく、迫力云々の話もあったのでしょう。途中からミサイルは出るわ、ビームサーベルは出るわ…まぁ、兵器の話が絡んできたその辺の事ですし。ふと思い出したのが、ゴルゴバリの殺し屋も出てきましたね、そういえば。
 
 良い意味でも悪い意味でも雑多な設定も多々あったような気がします。
 
 それでも、その当時のアニメ水準をしっかり使って製作された最終話。その画質は素晴らしいものでした。柔王丸の動きが良く、また、3四郎の表情も生き生きしていたものです。
 
 こうした話は恐らく製作される機会がありながらも、中々難しい点があるのは間違いありません。言ってしまえば等身大のサイズで玩具が作れるという事です。となれば、やはり劇中のように動くものがほしくなるのは当たり前の話ではないのでしょうか。今ではROBO-ONEのような大会もありますが、しかし…という声も少なくともあるのも事実だったりするのです。
 
 でも、その世界は決して遠い先の話ではないのかもしれませんね。



 …と言うわけであとがきです。こうしてあとがきに関して悩んでいるわけですが、同じように原作付きの作品をアニメ化等の別媒体にて展開する場合、どこまで原作を再現するのか、それは大変考える作業になるのでしょう。
 
 言ってしまえば、このHPを同じようなものです。基本的にここは作品紹介のサイトですので、それがメインになります。それが原作と言えるものになります。しかし、私自身はそれでは面白くないという事になるわけで、オリジナリティを出すために前振り、あとがきを記載しているわけですが、それが別媒体での変更点になるわけです。
 
 私のサイトでは成功していないと思うのですが、世の中では成功した別媒体作品に出会う場合もあります。しかし、そうした挑戦はこれからも続けられていくのでしょうね。
 
 こんな感じでいかがでしょうか。何とかこじつけれたとは思うのですけど、いかがでしょうか。結局何のためにと言われれば精進のためとしか答えようがありませんが、それでも楽しめてやり続けられれば御の字であると思います。そのためにも自分の幅を広げる努力はしないといけません。それがこうした結果につながっていくと思っていますので。
 
 
 
 そんなこんなで本日はここまで。

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