笑い話に将来的に携帯電話で出来ないのは、食品を温めることと冷やす事だ、などといわれたものですが、いえいえ、そんな常識が吹き飛んでしまうようなものも出てくるのかもしれません。
ここまで、携帯に付加機能を付けているのは(もしくは欲しているのは)日本人であると言われています。欧米などでは、未だにカラー液晶の携帯が普及しきっているわけではありません。音楽プレーヤーは音楽プレーヤーとして、インターネットやメールはPDAでと割り切った活用をしているわけです。日本の携帯電話のような形になると、既にスパイ電話の感覚になっているのではないかとも思われます。
こうした技術の進歩は日本人の得意とするところです。手先が器用とかではなく、一つの物を一つの機能ではなく幾つかの機能として使う事が得意な人であるわけです。また、何かにつけコンパクトにまとめることが得意であり、例えば、メモリーカードにしても今ではマイクロSDなどと言う扱いづらそうなものまで出現しているわけです。
携帯電話がこれほど普及すると、今度は身分証明の電子化においても携帯電話が使用されてくるかもしれません。また、現在においては正直、それほど高くない処理能力も更に上がっていくことは予想できる事です。一世代前のパソコンには現状でも匹敵しているのですから、普通に携帯でWORD文章が打てる時も来るのかもしれません。
そうなると、携帯電話が一台あれば、家の中が実にスッキリしてしまう時がくる…のかもしれませんね。
さて、今回は2003~2005年にチャンピオンREDにて連載されました「プラレスラーVAN」です。

そんなプラレス好きの一人、伴 雄二=VANは、今新たなるプラレスラーを誕生させようとしていた。その名は明王丸。その前に使っていた祝福(ブレス)の後継機で、VANの持つ様々な知識と技術を詰め込んだ分身であった。一方で、VANのライバルたちも独自の創意工夫で、その都度開かれる全国大会のチャンピオンを狙っている。中でもマイケル小川とそのパートナーマッハ・ハヤテは優勝候補筆頭の実力を持っていた。
大会当日。VANと明王丸は並み居る敵を倒して行き、そして決勝戦に望む。その相手はマイケル小川とマッハ・ハヤテ。相手にとって不足はないと意気込み向かっていくVAN。しかし、その試合を影から見ている者がいた。その影は、徐々にVANたちに迫っていく…。
以前に週間少年チャンピオンで連載していたプラレス3四郎の正式な続編となる作品、それがプラレスラーVANです。前回となるプラレス3四郎で有耶無耶になってしまった軍事産業を今回は早々に出す事によって、その狙いを一本に絞っていこうとしましたが、それが単なる乱戦のようになってしまったのは残念でなりません。元々からして、四角いリングを止めてしまった事が、乱戦とのメリハリをなくしてしまった一要因ではないのかと思うわけです。
ただ、進化している様子はしっかり見て取れます。現在ではパソコンの組立など当たり前の話ですが、ここでは更に一歩前進し、外装までも自分で製作しているユーザーがいるという事にしています。VANたちの使っているパソコンも、それぞれのプラレスラー専用に特化しているもので、大概のユーザーはヘッドマウントディスプレイを使用している状況です。
軍事産業を前面に出してきた事で、科学における表と裏を表現しているわけですが、人死にを出すか出さないかという点で苦労されている様子が途中描かれています。人形を設置したデモンストレーション用の町で、爆破ロボがビルを爆破し、人形たちはそのまき沿いになる。これを人間におきかえたら、どのような事になるのかという事から恐怖を演出していこうとしたようです。
この軍需産業も一つの実態のある組織として描かれているのではなく、組合=ギルドのような形で描かれている事に別の恐怖も存在する…つまり、どこにでも存在している恐怖を演出しているわけです。実体のない敵にどのように対処するべきなのか。これも物語の柱の一つという事になるわけです。
この作品は続編になるわけですから、前作に登場していたキャラもその世界には存在するわけで、意外な場所で意外な人物を描いていたりします。VANの求めている紙のようにペラペラな基板の製作者が、スパーク石松であったり、また、VANたちを軍需産業=青い蠍から救い出したのは見事に成長した素形3四郎であったりするわけです。
その素形3四郎は青い蠍(ブルー・スコーピオン)と対決しているようですが、科学の知識だけではなく、武術も極めつつある3四郎に敵わない様子であるようで、かなりすっとぼけたキャラとして出てくるのです。そのすっとぼけぶりは分身である柔王丸にも悩みのタネのようで、正体がバレバレなのにオタスケレンジャーなどと言って柔王丸すら巻き込んでいるようなのです。
そんなオールドファンに喜ばしいサービスもあったVANですが…残念な事に物語もはじめの方で打ち切りとなってしまいました。ただ、世界的には確実に進んでいる事を示してくれた事だけでも嬉しい作品であったと思うのです。
時が進めば技術があがる。それは技術を継承し切磋琢磨していけば当然の話なのかもしれません。しかし、それが人を忙しくしているようでは意味がないのではと思ってしまうのです。
技術とは豊かな暮らしであり、そして、豊かな暮らしとは余裕のある暮らしであると思います。自然に対しても、自分に対しても、他人の対しても、社会に対しても。全てに対して余裕のある生活をする事が技術を活かせる生活ではないのでしょうか。
技術の向上に伴い、日本がより忙しくなるのは如何なものかと思ってしまうわけです。
そんなこんなで本日はここまで。





