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2007年03月27日

技術の向上=余裕のある生活【「プラレスラーVAN」(2003~2005年 秋田書店/原作:牛 次郎/作画:神矢 みのる)】

 最近、よくお邪魔をするBlogで携帯電話の話がありました。携帯電話と言えば、電話機能だけではなく、カメラにメール、インターネット、電子マネーにクレジット機能、音楽プレーヤーやテレビ放送受信まで実に様々な機能を装備し、まさに携帯できる家電という様相になってきました。
笑い話に将来的に携帯電話で出来ないのは、食品を温めることと冷やす事だ、などといわれたものですが、いえいえ、そんな常識が吹き飛んでしまうようなものも出てくるのかもしれません。
 
 ここまで、携帯に付加機能を付けているのは(もしくは欲しているのは)日本人であると言われています。欧米などでは、未だにカラー液晶の携帯が普及しきっているわけではありません。音楽プレーヤーは音楽プレーヤーとして、インターネットやメールはPDAでと割り切った活用をしているわけです。日本の携帯電話のような形になると、既にスパイ電話の感覚になっているのではないかとも思われます。
 
 こうした技術の進歩は日本人の得意とするところです。手先が器用とかではなく、一つの物を一つの機能ではなく幾つかの機能として使う事が得意な人であるわけです。また、何かにつけコンパクトにまとめることが得意であり、例えば、メモリーカードにしても今ではマイクロSDなどと言う扱いづらそうなものまで出現しているわけです。
 
 携帯電話がこれほど普及すると、今度は身分証明の電子化においても携帯電話が使用されてくるかもしれません。また、現在においては正直、それほど高くない処理能力も更に上がっていくことは予想できる事です。一世代前のパソコンには現状でも匹敵しているのですから、普通に携帯でWORD文章が打てる時も来るのかもしれません。
 
 そうなると、携帯電話が一台あれば、家の中が実にスッキリしてしまう時がくる…のかもしれませんね。
 


 さて、今回は2003~2005年にチャンピオンREDにて連載されました「プラレスラーVAN」です。

 プラモと電子工学の融合したホビー「プラレス」。その進歩はここ二十数年の間に目覚しいものがあり、それまで四角いリングであったメカリングも一新。また、オーナーたちの扱うパソコンもより小型化、個性化し、中にはパソコン自体を一からオリジナルで組んでいるものまで現れていた。
 
 そんなプラレス好きの一人、伴 雄二=VANは、今新たなるプラレスラーを誕生させようとしていた。その名は明王丸。その前に使っていた祝福(ブレス)の後継機で、VANの持つ様々な知識と技術を詰め込んだ分身であった。一方で、VANのライバルたちも独自の創意工夫で、その都度開かれる全国大会のチャンピオンを狙っている。中でもマイケル小川とそのパートナーマッハ・ハヤテは優勝候補筆頭の実力を持っていた。
 
 大会当日。VANと明王丸は並み居る敵を倒して行き、そして決勝戦に望む。その相手はマイケル小川とマッハ・ハヤテ。相手にとって不足はないと意気込み向かっていくVAN。しかし、その試合を影から見ている者がいた。その影は、徐々にVANたちに迫っていく…。
 
 
 
 以前に週間少年チャンピオンで連載していたプラレス3四郎の正式な続編となる作品、それがプラレスラーVANです。前回となるプラレス3四郎で有耶無耶になってしまった軍事産業を今回は早々に出す事によって、その狙いを一本に絞っていこうとしましたが、それが単なる乱戦のようになってしまったのは残念でなりません。元々からして、四角いリングを止めてしまった事が、乱戦とのメリハリをなくしてしまった一要因ではないのかと思うわけです。
 
 ただ、進化している様子はしっかり見て取れます。現在ではパソコンの組立など当たり前の話ですが、ここでは更に一歩前進し、外装までも自分で製作しているユーザーがいるという事にしています。VANたちの使っているパソコンも、それぞれのプラレスラー専用に特化しているもので、大概のユーザーはヘッドマウントディスプレイを使用している状況です。
 
 軍事産業を前面に出してきた事で、科学における表と裏を表現しているわけですが、人死にを出すか出さないかという点で苦労されている様子が途中描かれています。人形を設置したデモンストレーション用の町で、爆破ロボがビルを爆破し、人形たちはそのまき沿いになる。これを人間におきかえたら、どのような事になるのかという事から恐怖を演出していこうとしたようです。
 
 この軍需産業も一つの実態のある組織として描かれているのではなく、組合=ギルドのような形で描かれている事に別の恐怖も存在する…つまり、どこにでも存在している恐怖を演出しているわけです。実体のない敵にどのように対処するべきなのか。これも物語の柱の一つという事になるわけです。
 
 この作品は続編になるわけですから、前作に登場していたキャラもその世界には存在するわけで、意外な場所で意外な人物を描いていたりします。VANの求めている紙のようにペラペラな基板の製作者が、スパーク石松であったり、また、VANたちを軍需産業=青い蠍から救い出したのは見事に成長した素形3四郎であったりするわけです。
 
 その素形3四郎は青い蠍(ブルー・スコーピオン)と対決しているようですが、科学の知識だけではなく、武術も極めつつある3四郎に敵わない様子であるようで、かなりすっとぼけたキャラとして出てくるのです。そのすっとぼけぶりは分身である柔王丸にも悩みのタネのようで、正体がバレバレなのにオタスケレンジャーなどと言って柔王丸すら巻き込んでいるようなのです。
 
 そんなオールドファンに喜ばしいサービスもあったVANですが…残念な事に物語もはじめの方で打ち切りとなってしまいました。ただ、世界的には確実に進んでいる事を示してくれた事だけでも嬉しい作品であったと思うのです。



 時が進めば技術があがる。それは技術を継承し切磋琢磨していけば当然の話なのかもしれません。しかし、それが人を忙しくしているようでは意味がないのではと思ってしまうのです。
 
 技術とは豊かな暮らしであり、そして、豊かな暮らしとは余裕のある暮らしであると思います。自然に対しても、自分に対しても、他人の対しても、社会に対しても。全てに対して余裕のある生活をする事が技術を活かせる生活ではないのでしょうか。
 
 技術の向上に伴い、日本がより忙しくなるのは如何なものかと思ってしまうわけです。
 
 
 
 そんなこんなで本日はここまで。

2007年03月20日

一つの文化の行き詰まり感を感じています【「FM戦士SUMOキッズ」(1993~1994年 エニックス/原作:牛 次郎/作画:神矢 みのる)】

 例えばの話として玩具というものを取り上げてみます。
 
 玩具業界における玩具の売り方には、玩具だけの展開と何かとのタイアップによう相乗効果を狙う場合があるわけですが、特に後者に関しては、企業とユーザーとの熱の差が出やすいもので、相容れない場合には売上げどころかタイアップした別媒体の作品にも多大な影響が出てくるわけです。
 
 最近では、そういった玩具は限られたものにしか見受けられず、むしろ、玩具は玩具、その他はその他というすみわけが出来てきたように思われます。
 
 それはそれで問題はないのですが、しかし、そうしたタイアップが出来にくくなってきた背景に、他の媒体…特に映像媒体における玩具の絡みがしにくくなっている事が一つの原因ではないでしょうか。映像的には玩具の代わりに本=漫画や小説、時にはネット情報などをネタにし、映像化している事が多く、その映像には玩具にして商品を売り出す事が難しいアイテムが多いのです。
 
 さらに最近の映像媒体では1年間=4クールを放送する番組も少なく、商品展開をして売り出し結果を出すには時間が短いという事もあるわけです。となれば、確実に1年をこなし、そしてある程度の前振りが出来ているネタを玩具にすれば、そこはかとなく商品の情報を送信するだけで、ユーザーは何となくでも理解できる媒体に手を伸ばしたくなるのもわからなくありません。
 
 しかし、それが何時まで通用するのか…いわゆるオタク文化の発信地である日本。その文化が行き詰まりを見せているように思えてならないのです。
 


 さて、今回は1993~1994年に月刊少年ガンガンに連載されました「FM戦士SUMOキッズ」です。

 巷では大相撲ブーム。それを玩具で体験してみようというのがFM=ファンタジーモデルのコンセプト。主人公である大空雷太は大の相撲ファンで、自分オリジナルのFM戦士を作り上げているのだが、少し興奮しやすいところが欠点で、徹夜で組んだプログラムを不注意で消してしまったり、それを悔やんで頭を机にぶつけまくったり…。本人もそういう性格を気にしているようだが、しかし、それよりも強い前向きな思考が言い意味でも悪い意味でも忘れさせてしまうようだ。
 
 しかし、腕は確かでしっかりとオリジナルのFM戦士を完成させる。その名は獅子王。
 
 学校に待ってきてのお披露目の際、雷太は一人の学生に獅子王が弱いと指摘された。同じ学校の先輩でもある沢田は岩竜という、やはりオリジナルのFM戦士を作り上げている。様々なゲームでライバルである沢田には負けたくない。その機会が訪れた。
 
 オリジナルのFM戦士を集めた相撲大会が行われ、そこで、獅子王は岩竜と対戦する事になる。獅子王は他のFM戦士と比べてもそれほど大きな体躯ではない。だが、そんな獅子王の二倍はあろうかと言う体躯の岩竜は、下馬評から言っても獅子王を軽く倒すものと思われていた。だがしかし、幕を開けてみれば意外も意外、雷太のテクニックも手伝って、行司が下した岩竜勝利の判定を物言いとし、更に、再戦においては、見事に岩竜を投げ飛ばして勝利を掴んだ。
 
 そのとき、一人の坊主がその大会に乱入する。電脳寺の破戒僧・道妙。彼もまたオリジナルのFM戦士、禅の花を持っている。岩竜戦でボロボロになった獅子王を挑発し、禅の花と対戦することになった雷太はその時、驚くべき光景を目にする。なんと禅の花は指一本で獅子王を破壊してしまったのだ。
 
 そして雷太は道妙和尚に再戦するべく、指一本の謎を解き明かし、そして新たなる獅子王を完成させる決心をするのだった。
 
 
 
 時の相撲ブームにのっかったようなネタであるのですが、原作者である牛次郎氏と作画の神矢みのる氏は、かつて秋田書店の週間少年チャンピオンでプラレス3四郎を連載していたパートナーで、その要素が非常に濃い作品であると言えます。
 
 ただ、相撲に特化したものであるために、読者の選り好みをしてしまう可能性もありました。話の内容的にはプラレス3四郎の話を真似たものになった…言い換えれば、その当時の時代に合わせたリニューアルを試みた雰囲気を感じるのです。
 
 この物語は途中でプラレス3四郎では描ききれていなかった部分、企業が玩具に与えるもの、その中でも悪辣な事を一つのメインとして記載しようとしていました。作品の中で、FM戦士はユーザーが作りだしたホビーという位置づけのようで、それをカルト33というメーカーが食い物にしようとしている構図がそれに当たります。別段こうした話は全く聞かないわけではなく、企業の論理に乗っかった故につぶれてしまったホビーがあるからこそ描けれたものと思うのです。
 
 企業には企業としての、ユーザーにはユーザーとしてのホビーに対するスタンスがあります。その大きな隔たりの一つと言うか根幹は利益です。盛り上がっている「何か」に対してそれを有益とみなせば企業は擦り寄ってくる。価値がなくなれば次のものへ。これは仕方がない話かもしれません。しかし、ユーザーにはそれがありません。好きなものはいつまでも好きでありたい。それは今の世の中でも変わらないものではないのでしょうか。
 
 また、一方で科学と心というものに関しても記載されているわけで、このテーマに関しては、一連の作品に関しての共通のテーマにもなっているものです。科学が決して戦争ではなく平和の下に進歩・進化していくのが望ましい。争うといっても、スポーツと戦争では全く意味も価値も違うのです。一貫したこのテーマは、作品自体の根底にしっかり根を下ろしていると思います。
 
 当初から決めてあったのか、それとも途中からなのか。この作品に、プラレス3四郎で出ていたキャラクターが数名出てきます。しかし、名前は出てきません。企業間の問題もあったのかもしれませんが、しかし、世界としてつながっていると言うのは、ファンとしてはニヤリとさせられるものではなかったのでしょうか。
 
 しかし、残念な事にこの作品は全2巻という短命なもので終わってしまいました。もう少し長くなったとして話の拡張性があったのかと思えば、酷評ですが難しかったのかもしれません。もし、今の世の中で、今のゲーム機でと考えれば考えるだけ、早すぎたと思ってならない作品の一つなのです。
 

 
 こうしたあからさまな企業のやり方は恐らくユーザーから総スカンを食らう原因になりますので、やらないのでしょうが、しかし、ある程度浸透した媒体であれば、決してないとは言えないことも事実です。
 
 企業側から見れば、結局は、利益が優先であり、それがどうして受けたのかなどは後付の理論でかまわないのです。後付でも何でも結果が出れば、とりあえずの成功なのですから、それを分析してどうして受けたのか=利益が出たのかを理解し、次に活かせれば良いわけです。
 
 しかし、これを酷い話だとは思わないように。幾らなんでも、利益が上がらない作品を提供し続ける事は不可能ですし、何より企業はボランティアではないのです。となれば、ボランティアでも良いから作品を続けるためにはアマチュアであれば良いのかという事になります。それも半分は「イイエ」です。何故なら、それを運転する資金はどうするのでしょうか。コンスタントに情報を提供するというのはそれだけ多大なエネルギーが必要になってくるとも言えるのです。
 
 言い換えれば、この話はしっかりとした結論のでないジレンマのような話であるわけなのです。
 
 
 
 そんなこんなで本日はここまで。

2007年03月13日

ロボットは人間の友達です。【「プラレス3四郎」(1982~1985年 秋田書店/原作:牛 次郎/作画:神矢 みのる)】

 毎号雑誌についているパーツを組み立てるもしくは集めていくと、一つの物体になるもしくはコレクションとして飾る事ができるというのが、当たり前の世の中になりまして、遂に、今年1月から二足歩行ロボットの雑誌が発売されております。
 
 二足歩行ロボは、未だに完成していないわけですが、しかし、それでも十分に楽しめる域にはなっています。また、それだけに留まらず、更なる進化を続けているわけです。
 
 元来、日本には宗教的な制約も関係なく、二足歩行ロボットに対する憧れは強いものがありました。対して海外では非人間的なロボットが好まれたようです。日本におけるロボットの元祖と言えば、鉄人28号になるのかもしれません。そのコントロールは二本レバーのコントロールボックスでしたが、それでも複雑な動きを見せたものです。
 
 今では、ラジコンのプロポやモーションキャプチャーなどを利用して、ロボットを動かすようになっています。しかし、やってみたい操縦法があるとすれば、それはやはりパソコンを利用した操縦なのかもしれません。



 さて、今回は1982~1985年に週間少年チャンピオンに連載されました「プラレス3四郎」です。

 近未来、電子工学の成長は、ホビーと言う分野までその勢いを伸ばし、その二つが融合した結果生まれたのがプラレスです。しかし、その分野は未だに優先となる企業がなく、基本的にはユーザー独自のハンドメイドが主流となっており、その技術を個人レベルで切磋琢磨している状況にあったのです。
 
 その中、古参企業の一つが、JPWA=日本プラレス協会に対して大々的なセレモニーも兼ねた大会を行う事にしました。そこに颯爽を登場した…では、なく初戦から遅刻したのが、この物語の主人公でもある素形3四郎です。その愛機、柔王丸は3四郎が精魂こめて作り上げたハンドメイドのプラレスラーであり、その戦闘スタイルは柔術を元にしています。
 
 その大会、3四郎は順調に勝ち続けていき、遂に決勝戦までやってきます。対戦相手は稀代のプロもデラーでもあり、後の好敵手ともなる黒崎玄剛の作り上げたマッドハリケーンであったのです。ジュニアヘビー級の柔王丸に対するスーパーヘビー級のマッドハリケーン。下馬評はマッドハリケーンにあったその不利な状況を3四郎と柔王丸は覆すべく、正に体当たりで戦っていきました。しかし、最後に放った背負い投げは、マッドハリケーンを作動不能にするものの、柔王丸自身にも多大なダメージを与えてしまったのです。遂に、マット上に残ったのは柔王丸であったわけですが、柔王丸もまた、作動不能になってしまったのです。
 
 自身の心血を注いだ分身でもあるプラレスラーに対する思いやりのなさに、3四郎は打ちひしがれ、そして柔王丸をそっと眠りにつかせたのです…が、しかし、動かないはずの柔王丸が3四郎に対して語りかけてきたのです。真のプラレス、その究極を見せてくれ…と。
 
 3四郎と柔王丸の果てしない道がそこから始まりました。
 
 
 現在、ROBO-ONEという二足歩行ロボットによる格闘競技を中心としたものが存在しますが、それを十数年前に漫画化したのがこの作品であるわけです。漫画当初より、プラレスという競技は完成された媒体として描かれていますし、プラレスラーも自由気侭に動き回っています。
 
 これらプラレスラーを操作するのは当時大変に流行っていたマイコンと呼ばれるものです。マイコン=マイクロコンピュータは、その当時、それすらも基盤から作り上げるもの(※マイコンの意味合いとして組み込まれたCPUそのものを指すのが通例ですが、ここでは、部品によって組みあがる包括的な簡易計算機を示しています)として存在しており、時代にマッチした作品ではないかと思うわけです。
 
 物語的には、あくまでプラレスを中心とした作風になっているわけですが、その関係で、人物エピソードの消化までに手が回らず、結果的に柔王丸が戦い続けるというマンネリ的な作品になっていくのです。全14巻あるわけですが、それでも消化し切れなかったエピソードは多く、そこに関しては残念でなりません。
 
 当初よりその時代における最新技術もしくは、その先に開発されるような技術をところどころに掻い摘んで紹介する事もありましたが、実際にはその技術の説明をするのではなく、柔王丸に必要な技術として紹介しており、あくまで技術参考書ではないという姿勢は初志貫徹されていました。むしろ、そうした技術云々よりも、ギャグになる傾向が強く、どんな綺麗なあるいは格好良いキャラであろうとも、ずっこけギャグの洗礼を受けていたのも印象的です。
 
 ただ、そうしたギャグも楽しく見えるのは、真剣に締めるべきと所は締めているわけで、そうしたメリハリが楽しさを倍増させていたわけです。
 
 先ほど、消化し切れなかったエピソードと記載したわけですが、その理由は原作の打ち切りによってそうならざろうえない状況になったわけで、そのまま続いていれば、倍以上に巻数が伸びたのではないのかという濃厚な話であったわけです。



 マイコンからパソコン。言葉も変わり、専門性から汎用性へと変化していった電子計算機ですが、現在ではその入力方法も計算方法も出力方法も変わってきました。大容量でありながらコンパクトな中央処理装置という頭脳と、その計算を元に動きを再現するステッピングモーターなどの特殊なモーターがより安価で手に入るようになってきたからこそ、ホビーとして楽しめるようになってきたわけです。
 
 しかし、現在行えているのは、あくまで静歩行と呼ばれる歩行であるわけです。人間は動歩行で歩いていますから、より人間に近づけていくのは、場合によっては今までの研究をゼロに戻す必要があるのかもしれないのです。
 
 それほど、人間というのは精密にして大胆なつくりをしているともいえます。言い換えれば、それだけの能力を再現できた時、人と機械の新たな道が見えてくるのかもしれません。ただ、それが戦争などの行為に結びつかないように、我々は技術という「力」を間違った方向に向かないように強い心を持つ必要があるのではないのでしょうか。
 
 何故人型を作り続けるのか。それは夢だからであり、決して暴力のためだからではないからです。
 
 
 
 そんなこんなで本日はここまで。

2007年03月06日

打ち切り作品って本当に駄作?【「忍者戦士 飛影」(1985~1986年 スタジオぴえろ)】

 世にある作品の全てが綺麗に完結している物ではなく、むしろ、打ち切り作品の方が数多く存在するわけです。だからこそ、それを勝手に補完するアマチュアが存在し、それが同人誌になっている場合も存在するわけです。
 
 ですが、打ち切りになった作品なのですから、それは面白くなかったのではないのでしょうか…いいえ、そうではありません。そうした中にも何かしら心に残るものは確実にあるのです。それがアマチュアながらに自分なりの補完を行わせる原動力になっているとも言えるわけです。



 さて、今回は1985~1986年に放送されました「忍者戦士 飛影」です。

 西暦2200年。人類は異常気象、人口増加、それを起因とした犯罪増加、食糧不足から逃れるために月と火星を新たな大地として開拓を行う。そしてこの物語は火星から始まる。16歳になると徴兵制により軍隊の採用試験を受けなければならない火星にあって、軍隊に入る事はエリートコースを進む事につながるが、しかし、それに乗らなければ開拓民として一生を送る事になる。そんな大事な選択を主人公であるジョウ・マヤは無視をしつつ生活していた。
 
 そんな自分の行くべき道を決めかねている彼らの前で異星人同士の戦闘が繰り広げられた。それは、遥か遠いラドリオ星から地球を目指して旅をしてきたロミナ姫の乗るエル・シャンクとそれを追いかけてきたザブームとの戦闘であった。
 
 そのどさくさの中、ジョウとその仲間は、エル・シャンクの中に入り込み、その格納庫で三体のロボットを見つける。そして、戦闘に巻き込まれたジョウたちはそのロボットに乗り込み、ザブーム軍と戦う事になった。
 
 戦いの中、ジョウたちは三体のロボット、黒獅子、爆竜、鳳雷鷹では叶わない力を持つ敵ロボットに幾度かやられそうになる。その都度、どこからか飛来する忍者ロボット。それが飛影であった。飛影の圧倒的な力はザブーム軍を容易に倒していく。それだけではなく、飛影は三体のロボットに合体する事で更にパワーアップすることが出来るのであった。
 
 
 
 物語的には非常に単純な構成となっている作品です。征服されようとしている星があり、その星で救世主とされているのが地球に住む忍者。その忍者の力を借りて、かつて、窮地を救われた伝説のあるその星のお姫様が再び忍者の力を借りるために地球に来た。正確には地球ではないのですが、火星で主人公たちに出会い、忍者でなければ動かせないというロボットを彼らは乗りこなした。
 
 ここまでは、所謂、救世主伝説+ロボットを組み込んだ物語になっています。そして謎のロボット飛影ですが、この存在も、元は地球の忍者をもし製作されたロボットであるとなっています。
 
 基本は忍者ロボット物を草案していたのかもしれません。しかし、結局は冒険活劇…になるはずでした。つまり、物語の始めから終わりに掛けて、どこに中心を持っていくのかに関して失敗した作品であるといえるわけです。
 
 まずは火星の横暴な軍部を倒す事。これは敵軍と結託した悪い将校を倒すという話でした。そして、謎に包まれた忍者たちの話の解明をすること。実際、その時点で忍者は完全に廃れています。いない存在に助けを求めている事に対する物語を作り語ったのでしょう。そして、エル・シャンクと飛影の何故です。エル・シャンクの危機にどこからともなく現れる飛影は一体どこに隠れているのか。
 
 他にも、何故ジョウたちはラドリオの人たちに動かせなかった黒獅子を動かせたのかなどの話があったわけですが、それが全て希薄なまま話が進んでいったわけです。何より、最後には飛影の謎を解明するだけで唐突に終わってしまった。しかも、その謎も何か的を得ていないものになってしまったのです。
 
 
 
 正直に言って、私はこの作品が大好きです。上記でそれだけコケおろしておきながら何を言うのかとお思いかもしれませんが、しかし、大好きなのです。何故か、一つはロボットのバンクアクションがカッコいいのです。これだけでもかなりのヒットなのですが、それにプラスして忍者をモチーフにしたロボットである事が重要です。
 
 実際、こうした作品は後にも先にも例がありません。ギャグ系、もしくは脇役としては存在するのですが、忍者の格好をモチーフにした主役ロボは存在しないのです。そして、主人公たちの乗るロボットとの合体。それも飛影は一体しかいませんから、三体いても、残り二体はそのままで戦い続けなければならないのです。なんと不便な事でしょう。でも、その不便さが良いのです。
 
 この物語、最初から負けの様相が非常に濃いままスタートします。主人公にしても、姫にしても、もう少しで負ける所からスタートしているのです。しかし、上記に記載した通り、それもこれもと手を出した結果が希薄なストーリーになってしまっており、印象があまりないのが残念であるわけです。
 
 その理由としては打ち切りも関係あるのでしょうが、結局はキャラを立たせられなかったという感じもあるのです。異星人と忍者、そこに火星の軍部における暗躍を加味させてしまい、しかもそれを延々と続けてしまったので、姫がどうして地球に来たのかがわからなくなってしまった。結果的に自分の星はどうするの?という疑問が残ってしまうわけです。
 
 ともあれ、面白い合体変形を見せてくれたアニメであり、そうした印象を残しているのだという事は、ガレージキット界などで出てくる作品や発売されたDVD-BOXの絵柄を見て思うわけです。



 それほど物語の印象が残っていないのに、ロボットは良く覚えている。またはその逆として…というのは案外多いものです。同じように、物語の流れがわからないのに、ロボットの印象が強い作品というのは、何作かありますし、流れはわかっていても細部を覚えていないとかもあります。
 
 考えてみれば、その作品がどっぷりつかるほど好きであれば、覚えているものなのです。確かに、どっぷりつかっていた作品の内容は今でも思い出せます…となれば、この作品はそれほど好きではなかったのかと言われればそうではないのですね。
 
 その作品における何が好きなのかによっても、印象は変わって来る物です。そうした印象を残せる作品は、その方との縁があったという事になるのでしょう。それは互いに幸せな事なのかもしれないのですね。
 
 
 
 そんなこんなで本日はここまで。

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