宇田川玄随(うだがわ・げんずい)・岡山の偉人
津山藩藩医の子として江戸藩邸に生まれる。
宝暦5年(1756)12月27日−寛政9年(1798)12月18日 43歳
医学者、蘭学者。
代々江戸詰の津山藩医を勤める家系に生まれる。
元来は漢方医であったが、杉田玄白・前野良沢らと交流するうちに蘭学へと転向する。
宇田川玄真は養子。
幼時より漢学を学び家業の漢方医学を修めた。
のち、桂川甫周(かつらがわ・ほしゅう)、大槻玄沢の説を知り、玄沢の門に入り、さらに、杉田玄白、前野良沢、中川淳庵らにつき蘭学・西洋医学を学んだ。
オランダ人・ゴルテルの内科書を翻訳し、寛政5年(1793)『西説内科選要』18巻を刊行した。
この書で病気を分類して55種をあげ、術語はラテン語と漢方術語との対応に留意し、オランダ内科学を日本で最初に紹介した書となった。
江戸茅場町で開業しながら、『西説内科選要』の改訂を試みていたが、寛政9年(1798)12月18日に43歳で没した。
補注は養子榛斎(しんさい)が完成し、門人藤井方亭(ほうてい)が文政5年(1822)に増補重訂版18巻を刊行し、師弟相承して大成した。
ほかに『西洋医言』『遠西名物考』『遠西草本略』『東西病考』などの著書がある。
浅草誓願寺塔頭長安院に葬られ、関東大震災後に多磨霊園に改葬、さらに平成1年(1989)津山市西寺町・泰安寺に移された。
津山洋学資料館(岡山県津山市西新町5)
宇田川玄随胸像(津山郷土博物館・岡山県津山市山下92)
宇田川家三代(おかやま人物往来)
宇田川玄随墓所・墓碑(泰安寺・岡山県津山市西寺町12)
洋学者 宇田川家のひとびと (岡山文庫)
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