1994年インドのプーナにあるOshoの瞑想センターに出かけた私。
毎日毎日瞑想をして、Oshoの講話を聞いて
様々なセッションを受けて自分と向き合ってきました。
その時に受けたレイキのイニシエーションが
私のサイキックアビリティを開花させ、
人生を一転させる出来事となりました。
(その話はまた別の時に。)

楽しく毎日過ごしている日々の中で
そこで又、又ですよ!又!!
今度こそ人生のパートナー!!と思ったドシ君との出会い。

出会ったその日から一緒に暮らし始め
彼の純粋な少年のような魅力に惹かれ、
一緒に日本に帰り、結婚ということになりました!
ようやく私も一人前~!!
と喜んだものです。
ただ私達の結婚は『お互いに結婚というものが足かせになった時点で別れよう。』
というなんとも子供じみたものでした。

でもドシ君(日本人です)との生活はと~っても楽しいものでした。
プーナで自分の可能性に出会い、
私はシャンソン、ダンス、そしてサーフィンとはじめ
初めて自ら人生の楽しみを謳歌していました。

そんな結婚ごっこも上手く行っていました。
私の自由を尊重すると共に、彼の自由ももちろん尊重していました。
彼はサーファーで春と秋、1ヶ月程度、宮崎に行ってサーフィンをしていました。
そこで彼はもう少しで花が咲きそうな女の子と出会ってしまったのです。

面白いですね。
そういう時って鼻が効くんですよ。
何かおかしい??って。
当時はまだ携帯電話が今ほど普及していませんでしたから
携帯を持っている彼の知人に連絡をしてみるも
彼となかなか連絡できないでいました。

もうおかしい!きっとこの結婚は終わりを迎える。
と直感でわかりました。

その通りに、私達の結婚生活は3年で終りました。
理由は『ダリヤはひとりで自分を表現できる。
シャンソンやダンスで自分を表現できる。
美しく花が咲いている状態。
でも彼女はまだ咲きそうでもう少し誰かの後押しが欲しい。
その手伝いをしたい。
そして飲まず食わずでもサーフィンをしたい。
肉体的に頑張れるのは今だけ。40歳になったらあかん。
シャンソンやダンスで自分の表現場を見つけたダリヤを
自分の勝手な理由で連れていけない。』
というものでした。

勝手な理由。
でも心がない人と一緒に同じ家で過ごすことの
辛さ・・・とても辛く惨めなものでした。

シャンソンとダンスの発表会が控えていたので
それが終った時、私達の別々の旅立ちの日でした。

私は彼に対して何の不満も言わずただ受け入れて別れました。
おかげで急性胃潰瘍にて1ヶ月の自宅療養を強いられました。

二十歳の時に結婚が破談された時も
急性十二指腸潰瘍にて1ヶ月の休職をし
医師の勧められるまま、イギリスで療養をしていたら
それが社長にバレて(上司には伝えていたものの)
殆ど首のようにして仕事を辞めました。
男性ふたりの上司に裏切られた形でした。

せっかく出会った人生のパトナーと思っていた彼との別れ
それは私に何を教えてくれたのでしょうか?


それはひとりで生きていくことでした。
誰かに頼らず、自分の力で生きていくこと。

続く・・・・・


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