各地には、必ずしも事業ベースに乗っているとは言えない伝統工芸が沢山あります。
モノを残していくという作業がある一方で、形の無い技術であるコトを残していく保存活動。
それにまつわる愛着や、郷土のものを守りたいという情熱で受け継がれています。
毎日新聞や西日本新聞の報道で取り上げられたのは「後継者のいない伝統工芸品」。
福岡県などで、後継者の途絶えた伝統工芸品が指定解除になったという話題でした。
宮崎県でも日向焼や日向紬は生産が途絶えていますが、それ自体は指定を解除せずに
後継者が現れるのを待つために、情報発信を続けていくということでした。
今後、このように指定解除の動きが広がる可能性も否めません。
各都道府県のサイトにはそれらの一覧が掲載されていますから、一度ご覧になってみて下さい。
染織に関するものも多く、郷土学習の際に教わったものもあり、良い見直しになります。
しかし一方で、県指定クラスの伝統工芸品に経済的な支援はありません。
情熱を持ってしても、日々の暮らしとの天秤ばかりは余人の想像の及ぶところでは
なく、ほとんどの場合が何も出来ずその風化を見守るばかり。
ありとあらゆる業種が衰退していく上で、その理由の上位に挙げられる「生活の多様化」。
必要でないと判断されたものや、日常使いから外れ、いつしか忘れ去られていったモノ達。
引き戸が少なくなり、ドアノブが現れて、着物の袖口を引っ掛けて傷めることが増えたように、
暮らしの基本がモノにもたらす影響は計り知れません。
そして何より、地域のモノを地域の人が知らない。
これは決定的な危機だと感じています。
例えば、うちで取り扱っている木綿にしても、それが生産されている地域からの注文も多々。
一様に「手に入れる場所が無い」ということを伺います。
また、たまたま会話をする生産もとに住まわれている方(非着物関係)に至っては、よほど
メジャーなモノで無い限り、ご存じないケースがこれもほとんどです。
九州では大島紬・久留米絣・博多織は名前が通っているものと言えるでしょう。
生産総量では、確かに名前が津々浦々に浸透してしかるべきだと感じるそれらですが、
それ以外にも(染織)工芸品は数多存在しています。
保存会を設置して、技術の伝承を守る地域も多いのですが、一様に事業ベースということを
考えると非常に難しいといえるでしょう。
ある意味、呉服業という業種は、日本各地の染織工芸をバックアップする機能を持ちますが、
そのステイタスのみが一人歩きして、伝統工芸品指定や無形文化財指定が商品の単価を
不当に押し上げることに繋がってきました。残念ですが、現にそれは変わっていません。
生産者の出し値は変わらないのに、流通・小売で押し上げられる。
その「膨らまし」のダシにされることが伝統工芸の望ましい姿なのか。
売れる数が減る一方で、その分の穴埋めに走り単価を吊り上げる動きもチラチラ見えています。
そのあたりのカラクリが如実に現れているのがネット通販。
従来の動き
・通常の流通経路を通る間に小売価格が膨らんでいく
インターネット拡大とほぼ比例している動き
・バッタルートに流れたものが極端に安く売られる
・問屋業が小売を始める(問屋在籍者が独立し、少量を安価に仕入れる)
・小売業が流通を省く
適正価格の設定ということ自体が形骸化しているのには、このような状況があります。
いずれが生産を守る方々にベストな形態でしょう。
もちろん、大量現金購入や少なくても確実に現金払いをするパターンもあるにはありますので、
上記の項目をもって即判断とはなりません。
一応、流通の波に乗っている商品群でも現状維持すら難しくなっている現況。
直接販売や、地域の物産コーナーでの紹介や販売に頼るのみの工芸品や、まったく事業化の
目途が立たない(立たなくなった)品々は、この先残していくことが出来るのでしょうか。
それらが残らないとは思っていません。
ですが、残らないものが増えるだろうとは、思っています。
残し、継承していくべきか否かは個々のパターンによりますし、個々では論じません。
しかし、残すことが出来る可能性の模索は、どの品についても共通する光ですから、
なるべく皆さんと一緒に話していきたいと願います。
僕自身、知らなかった郷土のものは数多くありました。
そしてそれらが途絶しているものもあると判明したのは、そう昔のことではありません。
何が出来るか、本当なら背負わなくても何ら生きていく上で支障の無いことかも知れません。
しかし知ってしまった以上、考え、探り、動かねばと思っています。
モノだけではなく、そこにコトがあるから。
一般に認められた工芸品に対してだけ思いを致すわけでもない一方で、僕が抱く葛藤も
ただの感傷なのかもしれません。
未来はそんなに暗くない、と思って生きれば楽なもの。
ただそれが思考停止に過ぎなくなることが怖い。
結局は各人が持てる能力と裁量で、手の届く範囲をカバーするほか無いわけです。
着物に関して言えば、「着て出歩く」。このことが誰にでも可能な応援です。
それは断言できます。
他者の視覚から入って、影響を与える情報である以上、軽視できない手段であるはず。
様々な理由をつけて着ない呉服業者がいるのであれば、その真逆の行為である「着る」ことは、
ロジック的にも着物を現状維持・回復・衰退の遅延に効果があるはずです。
だって彼らが、一体着物産業をどうしてきたっていうんでしょうか。
と、ここまで書くと危険水域になってしまいますが、あえて書いておきます。
今まで何度も何度も議論の題材になって、それを訴えたユーザーの気持ちに「諦め」や「軽侮」
の気持ちを生んできた掲示板などをご覧になった方も多いと思われます。
全く着ない、着る気が無い着物ニートはもう何ともフォローしようがありませんが、それでご飯を
食べようと思っている人にはせめて「お願い」したいくらいです。
話は戻って「地域に根ざす伝統産業」のこと。
ここにもロジックが一つ。
果たして、その産業は今も「地域に根ざしているか」。
これは、地元の方が地元のものを知らないということに通じています。
まずは周りを見回していただきたいのです。
皆さんのお住まいの地域のものを愛することが出来たならば、それはその土地の環境であったり
風土であったり、歴史や文化、人に愛着を持つことに繋がるかもしれません。
三重県民ならば伊勢木綿や松坂木綿を着ることが、デフォルトであっても良いと思うのです。
そこに至らないまでも、それらを使用した製品を使って欲しいと思います。
そうした環境の中から、新たな工芸品も、或いは食なども生まれてくるのではないかと、
そんなことを日々思い続けているところです。
自分で書いていて暑苦しいのは承知しています、が。
「着物の人が増えますように。」
木綿着物!染織こだまS
児玉健作
宛ての無い私信
着物を着始めたころから僕を知っている皆さん、僕の進んでいる方向ってどうなんでしょう?
最近迷走しているような気もしてまして。
出来る範囲でできることをと言いつつも、それも単なる独善に過ぎないのではないか、
また自然淘汰に逆らっているだけではないのか、責任の無い独り言ではないのか。
悩まない、迷わない人だけが成し遂げられる世界というのもある気がしますし。
悩まず、迷わないことによって発生する軋轢もあると思うんです。
肩の力を抜こうとする一方で、自然体で全力を出せるような気がしません。
ある程度追い込んでやらないと出ない知恵もあります。
人は楽で気持ちの良い方向に向かいます。
これは、ある意味本能的なものですので、抗うことは困難でもあります。
着物が楽で気持ちよいものだと思える人は幸いです。それは僕自身も含めて。
この快楽原則を超えて、かつ問題をも包含できる思想ってあるのでしょうか。
この思考の迷路が続くと、ブログ書けなくなってしまうんですよね・・・。


