「何でそんなにぐずぐずしているの。早くしなさい」
せっかちな母に、不器用で運動が大の苦手、動作も鈍くて要領も悪い私は
いつも叱られてばかり。そんな母から逃げるように、大学進学を機に上京。
卒業後ほどなく結婚し、ろくすっぽ帰省もしないままに時は過ぎ。
いつもの年に比べ、天気が悪く寒い日が少なくなかったこの冬。
長い闘病生活の末、2月17日、母は74年の生涯を閉じました。
余命が告知されていた病気でしたが、もし告知通りだったら、
もう少し長く生きられたはずでした。
予定よりずいぶん早く、ほぼ急逝に近い形で、母は他界してしまったわけです。
息を引き取ってから今に至るまで、一連の行事や事後処理に追われる日々。
想定外のことや思うようにいかないこともあり、まだまだ気は抜けません。
完全に落ち着くまでは、もう少し時間がかかりそうです。
さて、明日で開設3周年を迎える私のブログは、今日22時20分現在のアクセス数が
累計196万8,432。母の死で更新休止を余儀なくされていなかったら
「3年で200万アクセス」という目標は、達成できていたでしょうか。
いえいえ、順調に来ていても、このテンポだと目標には到達できないだろう。
このことは昨年末あたりから、うすうす感じていました。
母のことがなくても、私にはひそかに決意していたことがありました。
もし3年で200万アクセス達成できなかったら、私はこのブログの更新を
大幅に控えるようにしよう。そして、かねてからの自分の「夢」の実現のほうへ
努力を傾けることにしよう、と。
いうまでもなく、その決意は、実行に移すことに。
そしてもう一つ、その決意を強固なものにさせた出来事が。
2月13日の土曜日、ブロガー等を招待して、整備工場見学などを行なう
某航空会社のイベントに参加を予定していたのですが、母が危篤ということで
急遽母の入院する病院に行かざるを得なくなり、イベントはやむなく欠席の羽目に。
これも、大の飛行機嫌いだった母が呼んだのかもしれません。
病院で一夜を過ごし、その時はなんとか乗り切ったのですが、思えばそれが
生前の母に会った最後でした。
さらに更新を休んでいる間、あらためて、私がやらなくても、私以上にわかりやすく
簡潔に、また読者を楽しませるマイレージのブログを書いているかたは、
大勢いらっしゃるということも実感しました。
私は、私にしかできない、私ならではのことをやっていかなければと。
ずっとブログ上で「仕事募集中」のようなことを書き添えていた私でしたが
健闘空しく、期待していたほど効果は得られませんでした。
そんななか、3年間でただ1社だけ、具体的に「本を書きませんか」と
おっしゃってきた出版社がありました。
都合を付けて、ご挨拶と打ち合わせを兼ねてその出版社へ。
ところが、言いたいことがうまく伝わらず、誤解された格好で担当者のひとりを
激怒させてしまい、私は意気消沈したままその場を去ることに。
もちろん、その話はそれ以上進展することはありませんでした。
その後、何通かメールをいただき、また私も時々返事を出していましたが
そのうちに事実上の失業状態に陥ったことなどで、精神的にも不安定な状態に。
家に引きこもる日々が続き、「本を書こう」「企画書だけでも書いてみよう」と
いう心の余裕なんて、到底生まれません。
でも。考えを変えれば、時間も十分ありましたし
ブログ等にのめり込む労力を使って、少しでも準備をしておくことはできたはず。
つまり、母の容態がまだ小康状態のうちに、本を出すことも可能だったはずで
結果として昨年一年間を棒に振ってしまったことを、大変後悔しています。
今年の正月。しばらく連絡を断っていた例の出版社のかたから
思いがけずも年賀状をいただきました。その内容は、私の身を案じるもの。
長く待たせてしまったこと、ご心配をおかけしてしまったことを申し訳なく思い
同時期に病状がとみに悪化した母の姿を目の当たりにしたことと相まって
涙が止まりませんでした。
ずっと母から注意されていた、私のぐずぐずした性格が、取り返しの付かない結果に。
振り返ってみれば、出版社で打ち合わせをした日が昨年の2月17日。
はからずも母の命日に当たってしまったわけですが、その時はもちろん、
一年後の悲報など、まったく想像できませんでした。
先にも書いたように今後は、ブログやmixi日記の更新を大幅に控えることにします。
過去記事も極力見直しを図り、ランキングからも徐々に撤退していく予定です。
ただ、ブログ等を閉鎖するわけではありませんので、折を見て身辺雑記や、
ブログの場合はレビュー記事なども書いていきたいと思ってます。
それまで親戚のところにもほとんど顔を出さなかった不義理については、
弁解のしようもありません。
けれど、自分が今、何をしているか。目に見える形で伝えられないもどかしさ。
法要の席などで「フリーのライターをしているなんて、いいわねえ」と
お世辞を言われても、実際はこの3、4年間はライター業も開店休業状態だった。
そんな自分が恥ずかしく情けなく、そして悔しい!
これからしばらくは、自分にとって初めての「本」を出す作業に、邁進していこう。
母が生きているうちには間に合わなかったけど、空の上から、
いや母は高いところは苦手なはずだから、まだ地上をうろうろしているのかな。
生前は決して、仲のいい親子とはいえなかったけど、これからは時々私のところにも
来て、ぐずぐずしていたら叱咤、そして激励してほしいな。
勝手な願いであることは百も承知ですが、
「何でそんなにぐずぐずしているの。早くしなさい」と。
負けず嫌いの性格は、母から受け継いだもの。
絶対に私、このままじゃ終わりませんよ!
せっかちな母に、不器用で運動が大の苦手、動作も鈍くて要領も悪い私は
いつも叱られてばかり。そんな母から逃げるように、大学進学を機に上京。
卒業後ほどなく結婚し、ろくすっぽ帰省もしないままに時は過ぎ。
いつもの年に比べ、天気が悪く寒い日が少なくなかったこの冬。
長い闘病生活の末、2月17日、母は74年の生涯を閉じました。
余命が告知されていた病気でしたが、もし告知通りだったら、
もう少し長く生きられたはずでした。
予定よりずいぶん早く、ほぼ急逝に近い形で、母は他界してしまったわけです。
息を引き取ってから今に至るまで、一連の行事や事後処理に追われる日々。
想定外のことや思うようにいかないこともあり、まだまだ気は抜けません。
完全に落ち着くまでは、もう少し時間がかかりそうです。
さて、明日で開設3周年を迎える私のブログは、今日22時20分現在のアクセス数が
累計196万8,432。母の死で更新休止を余儀なくされていなかったら
「3年で200万アクセス」という目標は、達成できていたでしょうか。
いえいえ、順調に来ていても、このテンポだと目標には到達できないだろう。
このことは昨年末あたりから、うすうす感じていました。
母のことがなくても、私にはひそかに決意していたことがありました。
もし3年で200万アクセス達成できなかったら、私はこのブログの更新を
大幅に控えるようにしよう。そして、かねてからの自分の「夢」の実現のほうへ
努力を傾けることにしよう、と。
いうまでもなく、その決意は、実行に移すことに。
そしてもう一つ、その決意を強固なものにさせた出来事が。
2月13日の土曜日、ブロガー等を招待して、整備工場見学などを行なう
某航空会社のイベントに参加を予定していたのですが、母が危篤ということで
急遽母の入院する病院に行かざるを得なくなり、イベントはやむなく欠席の羽目に。
これも、大の飛行機嫌いだった母が呼んだのかもしれません。
病院で一夜を過ごし、その時はなんとか乗り切ったのですが、思えばそれが
生前の母に会った最後でした。
さらに更新を休んでいる間、あらためて、私がやらなくても、私以上にわかりやすく
簡潔に、また読者を楽しませるマイレージのブログを書いているかたは、
大勢いらっしゃるということも実感しました。
私は、私にしかできない、私ならではのことをやっていかなければと。
ずっとブログ上で「仕事募集中」のようなことを書き添えていた私でしたが
健闘空しく、期待していたほど効果は得られませんでした。
そんななか、3年間でただ1社だけ、具体的に「本を書きませんか」と
おっしゃってきた出版社がありました。
都合を付けて、ご挨拶と打ち合わせを兼ねてその出版社へ。
ところが、言いたいことがうまく伝わらず、誤解された格好で担当者のひとりを
激怒させてしまい、私は意気消沈したままその場を去ることに。
もちろん、その話はそれ以上進展することはありませんでした。
その後、何通かメールをいただき、また私も時々返事を出していましたが
そのうちに事実上の失業状態に陥ったことなどで、精神的にも不安定な状態に。
家に引きこもる日々が続き、「本を書こう」「企画書だけでも書いてみよう」と
いう心の余裕なんて、到底生まれません。
でも。考えを変えれば、時間も十分ありましたし
ブログ等にのめり込む労力を使って、少しでも準備をしておくことはできたはず。
つまり、母の容態がまだ小康状態のうちに、本を出すことも可能だったはずで
結果として昨年一年間を棒に振ってしまったことを、大変後悔しています。
今年の正月。しばらく連絡を断っていた例の出版社のかたから
思いがけずも年賀状をいただきました。その内容は、私の身を案じるもの。
長く待たせてしまったこと、ご心配をおかけしてしまったことを申し訳なく思い
同時期に病状がとみに悪化した母の姿を目の当たりにしたことと相まって
涙が止まりませんでした。
ずっと母から注意されていた、私のぐずぐずした性格が、取り返しの付かない結果に。
振り返ってみれば、出版社で打ち合わせをした日が昨年の2月17日。
はからずも母の命日に当たってしまったわけですが、その時はもちろん、
一年後の悲報など、まったく想像できませんでした。
先にも書いたように今後は、ブログやmixi日記の更新を大幅に控えることにします。
過去記事も極力見直しを図り、ランキングからも徐々に撤退していく予定です。
ただ、ブログ等を閉鎖するわけではありませんので、折を見て身辺雑記や、
ブログの場合はレビュー記事なども書いていきたいと思ってます。
それまで親戚のところにもほとんど顔を出さなかった不義理については、
弁解のしようもありません。
けれど、自分が今、何をしているか。目に見える形で伝えられないもどかしさ。
法要の席などで「フリーのライターをしているなんて、いいわねえ」と
お世辞を言われても、実際はこの3、4年間はライター業も開店休業状態だった。
そんな自分が恥ずかしく情けなく、そして悔しい!
これからしばらくは、自分にとって初めての「本」を出す作業に、邁進していこう。
母が生きているうちには間に合わなかったけど、空の上から、
いや母は高いところは苦手なはずだから、まだ地上をうろうろしているのかな。
生前は決して、仲のいい親子とはいえなかったけど、これからは時々私のところにも
来て、ぐずぐずしていたら叱咤、そして激励してほしいな。
勝手な願いであることは百も承知ですが、
「何でそんなにぐずぐずしているの。早くしなさい」と。
負けず嫌いの性格は、母から受け継いだもの。
絶対に私、このままじゃ終わりませんよ!





