みなさん、こんにちは。日本のW杯が終わりましたね…あーだこーだと言いたい所ですが、とりあえず、選手のみなさんお疲れさまでした。セルジオ越後さんも言っていましたが、日本サッカー協会は、まず、しっかりと反省をして、それを今後の日本サッカー界の糧にして、次に進んで欲しいと思います。

さて、今回は「心の捉え方」について、書いてみようと思います。

最近、また不可解な事件が増えています。その度に、メディアは、容疑者の過去を探り、その心理を暴こうとします。私は心を扱う者として、この事にとても嫌悪感を感じてしまいます。

人の物事に対する考え方はその人の「生育歴」で変わります。その人が、どんな価値観に触れてきたかで、その人の考え方が出来上がります。しかし、このブログでも、何度も書いてきましたが、人の心は他人にはわかりません。もちろん、その人が、その人の言葉で心を伝えてくれればわかるのですが、どんな専門家でも、初めて会った人の心はわかりません。

心理を扱う時には、メディアも精神科医や犯罪心理学の先生に意見を求めていますが、見ている私達が、勘違いしてはならない事があります。それは、その先生方は「こうであろう」という仮定の元に発言をされているという事です。その先生方は、これまでの臨床例から見られる傾向を話しているにすぎません。その為、その先生方が言っている事が、必ずしも今回のケースに当てはまるとは限らないのです。

「心」とは、複雑なものです。それだけで「心理学」という学問ができるほどですから。そんな複雑なものが、生い立ちと容疑者の周りにいた人達の証言と専門家の「仮定」の話だけで、理解できるはずがありません。しかも「殺人を犯す」というリスクを犯すまで追い詰められた「心」は、私たちが想像するよりも、より複雑なものでしょう。

「なぜ、事件がおこったのか?」を突き止める事を否定するわけではありません。しかし、私にはメディアが、容疑者の「心」を勝手に切開して、「結局、真相は闇の中です」で終わらせてしまっているように見えて仕方がありません。私は「心」をそんなに簡単に扱って欲しいとは思いません。「心」を扱うならば、とことん追求するべきでしょう。それができないのならば、最初からやらない方が良いと私は思います。

何度も書きますが、人の心は複雑です。心を扱うことは、まさに「その人、個人」を扱うことです。確かに人の命を奪うことは、許される事ではありません。それに対しては、その行為に匹敵する罰を受けなくてはならないと思います。しかし、その「心」はそう簡単に他人が扱ってよい物とは、私は思いません。

「心の闇」は、誰にでも存在します。他人の闇」「自分の闇」でもあります。視聴者としてのみなさんは、その闇が襲ってきた時に「自分ならどうするか?」という「自分への戒め」として、こういった報道を利用して欲しいと思います。



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大阪のカウンセリングサークルワイズ悩み相談「心ざわざわ」岡本理香です