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2010年10月06日

旅の目的と妹

今回の旅は、私が私を知るための第2弾の旅でした。
思い立ったがすぐに行動してしまうのは私の悪いくせでもあり、みんなをびっくりさせました。
もちろん仕事中のしろさんにも「今から佐賀に行こうと思うんだけど」とブログを書く直前にメールを送り、「ブログに書いていたような淡い期待を持たないのならば」という条件付きで行ってもいいよという言葉を貰いました。
それから妹にメールで「私も行こうかと思うんだけど」と送ったら「いいよー」とあっさり来たので、突然で悪いんだけど今から行くと母に電話をした次第。
動けると思った時しか動けない自分の病状もあり、前もって計画を立てるとそれがプレッシャーになりその日までが完全に鬱状態に陥る私は「今日がどうか」でしか行動が出来ません。
「明日がどうか」はもう不明で、だからどうしても突然になってしまいます。
どうしようかなと今回の行動も3日程前から頭の中で考えてはいたけれど、予め連絡することは出来ずにいました。

妹が母宅に行った後、広島に来て1泊するとわかっていながらも私が佐賀へ向かったのには理由がいくつかありました。
まずは、親子3人で食卓を囲んだ時どんな雰囲気なんだろうということ。それはどういうものなんだろうという「夢の世界」を体験してみたいという気持ち。
それから、妹がもうビザが発行され次第タイへ飛ぶので当分会えないという理由。発言が変わった妹を少しでも長く見ていたいという気持ち。
もうひとつは、次があるかどうかわからないということ。妹のタイ滞在期間は5年以上10年以内というもので、その間誰かが欠ける可能性が無いとは言えないから。

「ちょっと行って来る」と記事をアップした後に、それまで何ともなかったのに両手両足がぶるぶる震えだし立っていることも困難でどうしようかと思ったけど、行くと既に連絡までしているので自宅から最寄駅までタクシーで移動しました。

妹は結婚が決まって以降、時々話す中でこの家庭での疲弊をつぶやくようになっていました。
私が中学の頃から働き始め、それ以降も家にいる時間など無い程にずっと働き詰めだった時間に、妹が受けてきた母からの依存はあまりにも大きく、ひどく重荷であったと言います。
私が生きるために働き、家を開けていた時間に、どんな生活がなされていたのか。
あれだけ一身に母の愛情を受けて育った妹も、早々と20歳で家を出て、旦那さんと出会うまでの15年間、ずっと一人暮らしをしていました。
私が東京での一人暮らしをやめ、しろさんのいる大阪に移った頃から自活を始めています。
逃げたかったと言った一言がとても気になっていました。
そして、長野に引っ越した時、実家のあった地元からやっと出られたととても喜んでいた事も。

虐待を受けていた私の立場と、正反対の妹の立場。
あれだけ愛されていたのだからすくすくまっすぐ育っているはずだと思っていた私ですがそうではなく、妹は「おかしい家庭」と感じていたことをそれまでの会話の中で知り、妹が母とどんな接し方をするのかを見たいと思いました。
でも、虐待を見ていた可能性は否定できないのだから、何か傷を受けていても不思議はないだろう程度にしか私は考えていませんでした。
しかし以前のように母に優しく、気を遣い、丁寧で、何でも受け入れ「うん、わかった。ありがとう。」とにこにこする妹の姿はどこにもありませんでした。
母は持ち帰らせたい産地のぶどうや好物を手土産としてごっそり用意して嬉しそうに手渡そうとしていましたが、妹は「いらねーよ!」と感情をあらわにことごとく断っていました。
それでも「せっかく用意したのに」と何度も食い下がる母に、「いらねーって言ってんだろ」と。
さすがにこれはヤバいと思い、「持って帰った方がいいんじゃないの?」と妹に耳打ちしたら、「そうだね、これ以上面倒くさいから後で駅で捨てればいいや」と私に言い放ちました。
母はめげずにあれやこれやとお茶菓子を出し、妹にしつこく勧めまくります。
何もいらないと言っている妹に、じゃこれは?と次々と出てくるわ出てくるわ。
「しつけーんだよ!いらねーって言ってんのわかんねーのか!」と、また妹の逆鱗に触れ…。

驚きです。まさかの展開。いい子で、仲良し母子はどこへ行ったんだ?この子は誰?という程。
私よりも早く博多に着いていたにも関わらずホテル泊を選んだ妹は、「なるべく長居したくないけど、一応挨拶しとかなきゃかわいそうじゃん」と話していたのはこういうことだったのか。
やっと吐き出せるようになったのか。ずっとがまんしていたのか。
妹も、苦しんでいたんだろうと思った。健全な家庭に育っていないのは同じこと。
親の言葉にしゅんとなる私と、これでもかという程どうにかして切って捨てようとする妹。
毒になる親は、なにも虐待する親ばかりではないのだと目の当たりにした気分。

結婚が決まって以降母に対する発言がぼろぼろと変わって来たのは気にはなっていたけれど、結婚をし、ある意味母から一線を引くことが出来、嫌な思い出しかない地元を離れたどころか今度は国外に移住し簡単には行き来出来ない距離になり、しょっちゅう送られてきていたらしい母からの愛の宅急便も送られてくることは無くなり、ほぼ完全に逃れられます。
父のお参りもさっと手を合わせただけで出てきたのも、一応行っとかなきゃというだけだったんだなとわかりました。
妹はすべきことだけは必ずします。心の中がどうであろうと筋道だけは絶対に通します。
せねばならないことをこれでやり終え、ノルマを果たしたという感じでしょうか。

ぶどうは結局広島まで持ち帰り、妹の居候先である友人宅に送りました。
自らの手で食べ物を捨てる気にはなれません。
食べる物にあれだけ困った生活をしていた経験が甦ります。

佐賀へ行った理由の、親子3人で食卓を囲んだらどんな雰囲気なんだろうという分は果たせませんでした。
妹が午前10時半頃母宅に到着してから約1時間程しか3人で居る時間はなかったので。
その1時間の中で、前述したぶどうや茶菓子のやりとりが繰り広げられていました。
母はその後すぐに従妹のお姉さんを呼び出し、車を出させて食事〜叔母さんの家〜母宅〜駅までをずっとお姉さんも同行しており、「母と娘たち」が会話をすることはもうありませんでした。
妹の気持ちはともかくとして、母も次にいつ妹と会えるかわからないのだから昼食なんて家で取り、滞在時間をフルに妹とじっくり過ごす時間として大事にすればよかったのになとも思います。
このたった5時間半の滞在で、あと次は10年後かもしれないのですから。

最後の理由である、次があるかどうかわからないという理由。
これは家族が揃い、その中に自分がいる機会がまた今度あるかといえば全く保障は無いと思ったからこの機会に合わせて母宅へ行く事を決意しました。
私がまだ何も気づかずに何も考えずにいた頃、突然に事件に遭い精神病院に入院しました。
それは人から受けた被害によるものでのうつ病の発症であり、自分の幼少時の出来事がこんなにも根強く潜在し、これだけの影響を与えていたとは全く思いもしていませんでした。
解離性同一性障害だと診断を受けたのも、2年ほど前のことです。
その入院中に父は亡くなりました。
私は余命を聞いても会いたくなくて、顔も見たくないと思う程度でしかありませんでした。
しかし今は自分に向き合おうとする以前に突然死なれ、自分を振り返ろうにも会って顔を見ることさえ出来無い事に悔いています。問いたいことを問う事も出来ません。
死んだから罪が消えるわけではなく、受けた傷は生々しく残っているのです。

去年の母宅訪問は「違うよね?私の記憶が間違っていて、本当は愛されているんだよね?」という気持ちを確認したくて行きました。
今年は自分の記憶をよりリアルにしたかったのと「家族の姿」を見たかったのがメインでした。
思いがけないところで「小さな私の写真」とも出会い、温泉では幼児や少女のしぐさや裸体を目の当たりにし、虐待がリアルなものとして浮かびあがり、新たな感情が芽生えました。
意外にも妹ではなく、私を歓迎した叔母という存在もいました。これには驚きました。
萎縮していた私にとって戸惑いでしかなく、親から植え付けられていたものとは違っていました。
複雑な心境ですが・・。
あわただしく過ぎて、自分がしなければならない記憶と感情の整理がまだ出来ていません。
帰って来てからは、何時間か掛けて記事を作成する以外は寝込んでいます。
これからゆっくり向き合ってみようと思っています。
前回、前々回と記事を書き続けてきましたが、この出来事記事はあくまで「出来事」であり、あくまでも自分のことしか考えずに書いた記事でした。
いつものように読み手がいることを考えながらではなく、記録として書きました。
フラバや辛くなってしまった方もいらっしゃったかもしれません。
ごめんなさい。
これらの記事を書くことで私にとって詳細な記録となりましたが、特にこの記事は「こだま」に2時間程乗車していた間に妹の愚痴に合わせ、その時自分がいくつで何をしていた頃だったのかをそれぞれ妹に聞きながら並べていく事が出来ました。
妹とふたりで過ごした時間も、とても貴重でした。
ぶるぶる震えながらでも、行ってよかった旅でした。

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2010年10月05日

ただいま 2日目の出来事

10月3日の出来事から。

妹から朝10時過ぎに駅に着くと母に連絡があり、母はいそいそとタクシーで妹を駅まで迎えに行き、そのタクシーを待たせ、妹を連れて戻ってきました。
初めて来るわけではないのに、私との扱いの違いはこういう所でも全く違っています(笑)
その間30分ぐらいひとりで留守番をしていました。
前夜のことがあるけれど、妹が来るから気持ちを切り替えなきゃいけなかった私にはちょうどよくひとりになる時間が持てました。
車の免許を持っていない母は前夜温泉に連れていってくれた車を持っている従妹のお姉さんを呼び出し、昼食を食べに出発。着いた場所はオムライス屋さん。
妹はおいしいと喜んでいましたが、私はものすごく複雑。
私にとってオムライスは小さい頃からの憧れであり、妹には出されていたけれど私には決して与えられなかった多くの食事メニューの中でも特別輝いて見えたものであり、それゆえ自分が大切だと思う人としか食べてはいけないとさえ思っているスペシャルな料理。
それをまさかこのメンバーで食べることになるとは。
オムライス屋さんだからオムライスしかない。食べるしかない。
嬉しくない、楽しくない、切なく苦しいオムライス。

店を後にして、向かったのは母の姉宅。叔母さんち。
「結婚式にも来てくれたんだし、ここからすぐ近いんだから挨拶に行った方がいいわよね。せっかく妹が来てるんだし。」と、車は勝手に向かっていました。
妹を連れて、母は自分の姉妹や親戚を全部回りたい勢いです。
妹は母宅に到着した時、頭痛や吐き気が酷く薬も効かないと体調不良を訴えていました。
着くなり横になりながら喋っていたし。
そんなことはすっかり忘れたのか、母はどんどん話を突き進めていきます。
妹と一緒に後部座席に乗っていた私は、妹が喋ってはいるけれどどんどん体調が悪くなっているのがわかっていたので「玄関先で挨拶だけにして」と母に言い「わかった」と言ったので安心していたところ、叔母さんの家に着いたら自分がさっさと上がっていく始末。
結局そこでも歓迎を受け、妹は頑張ってにこにことご挨拶。

私に、小さい頃に来て以来だから何年ぶりやろねと、叔母さんがアルバムを持ってきました。
「これ、あんたよ。かわいかろー」と指を差されたのは、まさに今いる叔母さんの家の庭で遊ぶ幼稚園児ぐらいの小さな子供の写真でした。
「これは私なの?」と聞いたら、「そうだよ」と言って笑いながらその時の話をしてくれました。
もう1枚はその叔母さんに抱きつき、叔母さんに頬ずりしている写真。
写真はもう色褪せていたけれど、ずっと大事に持っていたんだと。
「凛の写真ばちっとも送っても来んけん、これしか無かとよ」と言っていました。
叔母さんにとても懐いていて、叔母さんはかわいくて仕方なかったそうです。
親でさえ写真も残していないのに、私の出生を喜び、かわいいと思っていた人がいたのか!
まさか自分の幼い頃の写真がこんな所にあるとは!
小さい私はこんな顔をしていたのか!
前夜に見たお風呂でのふたりの女の子の身体と、顔がここで合体しました。

この子になんの罪があるというのか。
叔母さんと一緒に映っている写真は安心しきっているじゃないか。
いい子にしてるじゃないか。

私はこれまで自分の幼い頃の顔を、鬼のような形相しか記憶していませんでした。
でも叔母さんの家にある私の写真は、歪んでもいない、歯を食いしばってもいない笑顔でした。
驚きました。
妹が挨拶するために寄ったはずが、ここでも私の記憶に繋がる事実を見聞きするとは。
気持ちの震えをどうにか抑え平静を保ちながら、じっと自分の写真に見入っていました。
頭に焼き付けておかねばなりません。
ここで小さな私の顔に出会えたことはとても重要な出来事だったと思います。

叔母さんの家を後にし、母宅に戻ったらもう広島へ向けて出発する時間が迫っていたので荷物を取って駅に向かました。
妹がもう疲れきってぐったりしていたので、博多からは広島駅からの在来線への乗り換えを避け、速さよりもゆっくり出来る「こだま」を選択。
滞在中は常に従妹のお姉さんが同行していたので妹も結局「親子」で話す時間は無いまま。
母にはいくら移動手段がないとはいえ親子だけになることを避けているようにさえ思えます。
去年私がひとりで行った時もそうだったので。
虐待なんてしたこともないと言い、いくつかの記憶を話して問うても一切否定する母ですが、向き合うことを怖がっているのかもしれません。

実は妹は前日の2日、私が博多に着いた19時より前にもう飛行機で福岡に着いていました。
そのまま後1時間弱電車に乗れば母宅に着きます。
しかし、妹は博多駅すぐ近くのビジネスホテルを航空券と一緒に予約していました。
妹はとても大事にそして愛されていたけれど、それは異常なまでの溺愛でもありました。
私が母宅に着いてすぐ、母は到着時間までは知らなかったけれど妹が今日福岡に来るのになぜ夜中になってもいいから母宅に来ないのかを私に聞きました。
わざわざお金を払ってまでホテルを取るなんてもったいないし、何か理由があるのかと。
なぜここには泊れなくて広島には泊るのかと怒り心頭でした。
特に、あんたのところにはなんで泊るのか!おかしい!と何度も繰り返していました。
私は、話しました。
妹は「ちびまる子ちゃんちみたいな家だったらよかったのにな」「家族が揃ってご飯を食べた記憶がない」「みんなバラバラな家」と言っていたことを伝えました。
これらは妹から聞いていた言葉なので、そのまんまを話しました。
「私は今家庭内で起きた出来事も含め精神を患っているけれど、あの子も見てきたんだよ。うちがおかしかったことはあの子も覚えているんだよ」と言いました。
母はしばらく絶句した後、妹を傷つけるはずがない、信じられないと否定しました。
どれだけ自分が妹を大事に、そして愛してきたかを話し続けていました。
「でも見ていたんだよ、覚えていたんだよ」と言いました。
妹だけは守ると言い続けてきた母にとって、家庭不和を妹が見ていたとは驚きだったようです。
見せないよう必死だったんだろうし、そんなはずないと信じたいんだろうと思います。
同じ家に住んでいれば感づくだろうと簡単に予測できるけれど、母にはわからないようです。

10月4日は午後から妹を連れ、父の墓参りに行ってきました。
体調も戻ったようで、のびのびととても元気にしていました。
妹はしろさんのことが大好きで、とても懐いています。
妹のことだから長く祈るのかと思いきや早々と済ませ、あっという間に納骨堂を出ました。
祈っていたのはわずか3秒。
びっくりして「もういいの?」と聞くと「別に。タイ行くからよろしく!と言っただけ」と。
そのまま空港まで送り、妹は帰っていきました。

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2010年10月04日

ただいま 1日目の出来事

ご報告が遅くなりました。無事に帰ってきております。
2日の夜に母宅へ着いてそのまま泊り、3日の朝に妹が母宅に到着し夕方に一緒に広島へ返ってきました。
妹は昨夜うちに泊り、今日は父の納骨堂にお参りに行き、夕方の便で帰りました。
やっと落ち着いたところです。

ここから、10月2日の出来事です。
ブログの記事を投稿してからすぐに佐賀へ向かい、母宅に20時頃に着きました。
用意されていた食事をいただき、一息ついた所で従妹のお姉さんが車で母宅に来ました。
前回行った時と別の温泉に連れていってくれるとのこと。
その近辺は町ぐるみでやってらしく、あちこちに温泉があります。

母はお姉さんとずっと話しこみながらお湯につかっていたので、私は少し離れてぼーっとしていました。
土曜の夜だったこともあり、家族連れが何組も来ていました。
まだ幼稚園ぐらいの女の子もいました。
お母さんにじゃれながら、そして守られながらお湯につかったり、少し上がったり。
その子の姿をずーっと見ていました。
この子のようなつるっつるの子供の身体のうちから、私は父から性虐待を受け始め、母から暴力やネグレクトを受けていたんだなと、自分の持つ記憶と目の前で見ている幼児の裸体が結びつきました。
私には子供がいないし、子供と接する機会もまるでないので衝撃的でした。
こんなに小さな体をした私は、どれだけ痣だらけだったんだろう。
こんなに小さな体をした私は、訳もわからず父の指示通り言われるままに役目を果たしていたんだろう。
子供を見つめていたら、激しいめまいと苦しさで「やっぱり現実だったんだ」と認めざるを得ない、諦めにも似た絶望感でいっぱいになりました。
まだどこかで、「ただの記憶違いで、夢であったらいいのに」と思っていた部分もあったから。だけれど、もうそうはいかない。
私に起きた事実をその子供の身体を通して、頭の中でずっとリピート再生されていました。

その母子が出ていった後、今度は小学校高学年くらいの女の子とお母さんが入ってきました。
胸が膨らみ始めているまだ成熟過程にあるその姿を見て、私はこの時既に父の性交渉の相手であったのだと更に締め付けられるような思いを必死に耐えていました。
私の記憶の上から見ている私と父の姿は、まさにここに存在している女の子の肉体と同じ身体状態の私がもろに受けていた実際の出来事であり、苦痛も感じない離人している記憶ではなく生々しいものへと変わっていくのを感じ始めました。
だんだんと、絶対にありえないことだと、許されないことだと悲しみと怒りがこみ上げて来て、苦しくて苦しくて母達に黙ってお風呂を先に出ました。

お風呂で見たふたりの女の子の裸体は成長過程でのかつての自分の姿であり、その身体それぞれの時期にそれだけのことを私は受けていたんだと、目にしたその子たちと自分の記憶が完全に合体しリアルなものとなり、今体験したばかりのような感覚になり、それぞれの女の子がもし私と同じことを受けていたら・・と考えただけで凍結してしまうほど心は震えてしまい、震えるほどに酷い体験を私はしていたんだとはっきりと目の前に突きつけられたようでした。

その後は母を直視することが全く出来なくなりました。
暴力やネグレクト、おそらく知っていて見て見ぬふりをしていただろう性虐待も、本人である母が目の前にいるのです。
今現実化されたばかりのどう扱っていいかわからないほど溢れ出す感情に対処しきれない状態で母を見てしまったら、何をしてしまうかわからない。
母宅に戻ってからは、話しかけられても相槌程度しか出来ず。
ただ黙って、自分の気持ちの動きの流れを見ていることしか出来ず。

お風呂から帰って来たのももう夜中だったので、お互いに疲れたからもう寝ようと言われ布団に入ったところで母が電気を消し真っ暗になったら半狂乱になってしまいました。
電気はどこ?電気は?とパニック状態に。
母は真っ暗じゃないと寝られないのよ!と文句を言い続けていたけれど、私のその状態が全く治まらないのでやっと豆電球をつけ、私は寝れないなら寝るなと思わず言い返し布団をかぶって携帯を握りしめながら小さく丸まりぶるぶる震えていました。
ずいぶん時間が経った頃そっと眠っている母の横顔を見たら、絶対にしてはいけないことをしそうになる感情がふつふつとこみ上げて来て、「朝になれば妹が来るからそれまでの辛抱だ」と自分で自分に必死に言い聞かせ夜を明かしました。

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2010年10月02日

ちょっと

今からちょっと母の所へ行ってきます。
去年は虐待の事実を確かめに行き、「覚えてないわ」と言われ玉砕しました。
でも今回は全然別の意味で行ってみます。
この人が私に何をしてきたのか、冷静に心の中で見てきます。何も言いません。
小さい私とそこに映る母。その記憶を胸に、今の母の顔を見に行ってきます。
そして、「どうしてお姉ちゃんにはごはんがないの?」と首をかしげながら小さな手でポッキーを1本手に持ってきてくれた妹が、明日の朝母の家に来ます。
アルコール依存症で食事も別に取っていた父だったので、明日はものすごく久しぶりに3人だけが揃います。
私はそこで何を感じるのか。
その場に身を置いてみたいと思い、行く事にしました。
頓服も持ったし、大丈夫かな。
結構覚悟しています。
自分の記憶を、直視しに行ってきます。

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2010年09月02日

自分と向き合う。無料説明会の項目(2時間)個人家族要予約

無料説明会の項目(2時間)個人家族要予約

今を知る。5歳児の大人。自分のレベルを知る。感情を知る。
知ると分かる、認める、理解する、受け入れるはまったく違うもの。

アイデンティティの確立=自分という感覚=大人になること
「自分は他者とは違う自身であり、一人しかいない」
「過去、今、未来ずっと自分である」

発達障害、境界線、共依存、愛着(アタッチメント)、無意識を知る。

私OK、だからこそ、あなたOK
他人の気持ちは、親子であってもわからないことを知る。

症状が出た時点が回復。
回復が進むと、しんどくなる、克服すると、もっとしんどい。

妄想の思考の中で、過去と未来に生きている自分を知る。
現実直視をすることができない自分を知る。
常に時差ぼけ状態(車の運転をしている時の意識レベルと一般の方のリラックスした意識レベルが同じ)。

もやもや、苦悩は、一生続くもの。

知るだけ、どうにかしようとしないで、まず知る。
結果は要らない、経過と継続。

言い訳、理由づけ、頭で生きている自分を知る。
人のせい、誰かが何とかしてくれると思う自分を知る。

見えない繋がり、手放すことが、本当の愛であり、信である。



「苦」とは、ご都合通りにならないこと。
「悩」は、自分を知らないこと。

その根底にあるものは、「欲」である。

丁寧に意識して行動する。足元の豆を拾う。
思考と行動と視線を一致させる。
感情を放置して行動できるのが大人。裏表、礼儀、社交辞令。
放置するには、まず感情を知ること。
知ると納得する。

自分と仲良くすること。色々な自分がいる、これもあれも全部私。

○NPO法人心ざわざわ 
http://kokorozawazawa.org/
携帯、http://www.eonet.ne.jp/~kokorozawazawa/

2010年07月24日

8月8日【夏休み企画!ダンボールコンポストをつくろう】

さあ、夏真っ盛り あぶらひまわり


ことしもやりますよぉ ピカーン




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→ 【 グリーンランド・プロジェクト 】 プレゼンツ


“街中から始める菜園づくり”


【 夏休み企画!簡単ダンボールコンポストづくり 】


ハートの点(blue)日時 金魚 2010年 8月 8日 (日)

        9時~11時


ハートの点(blue)場所 金魚 → 【ミドリカフェ】   神戸市東灘区本山北町2-6-24


ハートの点(blue)料金 金魚 一般1500円  GLP会員1200円 お茶付

        (親子一組 or おひとり様)  


ハートの点(blue)ご予約・お問い合わせ 金魚 15litre@greenland-kobe.jp



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講師はわたしです キャッ


百聞は一見にしかず。


ゴミを減らそう【15リットル宣言!】 from 神戸グリーンランド・プロジェクト

ダンボールコンポストって聞いたことあるけど、


実際はどんなものなのかなぁ ?おまめ


そう思っていらっしゃる方は、


ゼヒオススメです kira*


去年のセミナーも大変ご好評いただき、


新聞やラジオなどなどの取材も受けました。


親子で、お孫さんをお連れしてのご参加をお待ちしております ♥akn♥


夏の暑さを吹き飛ばしましょ 矢印


                                  

2010年07月01日

お墓

ブログが、私の悩み相談室になっちゃってるね。ごめんね。
みんなからのコメント読んで、やっぱりそうかぁ…なんてしみじみ納得。ありがとうね。
説得するのが大変そうだけどね(笑)

母は「死んだら父の遺骨が入っている広島の納骨堂に入れてね」と言って来ています。
そうすれば余分なお金はかからないじゃない?って。
理由をよくよく聞いてみると、母は父と離婚していていわゆる出戻りなので実家の墓に入れてほしいって言いにくいからとのこと。
自分の母親も入っている墓なのだから、気にせずに言えばいいと言うと、言いたくないと。
広島に住み、広島で死に、父の入っている納骨堂に入ればそれで済むという考え。
でも父と母は離婚しています。
父は死んでいるけれど、多分いや絶対に一緒の墓は嫌がると思うんだよね。

父の遺骨が広島に来た経緯も、父が突然亡くなり、二男だった父はもう本家を出ているので本来ならば自分たちで墓を用意しなければならなかったものをしておらず、親戚の人たちに本家の墓への納骨を断られたんだよね。
父の希望は、日記によると長男のお兄さんと同じ墓に入りたい、または海に散骨してほしいだったんだけどどっちも認められず、いったん妹が遺骨を東京に持ち帰ったものの、たった一代を突然受け入れてくれるお寺も無く、広島でも探したところ納骨堂があったのでそこを買ったといういきさつ。
だから広島と言う土地は、父にとって足を踏み入れた事も無く何のいわれもない場所だけど、骨壷を持っていつまでも妹が路頭に迷ってるわけにもいかないので、急いで探してやっと見つけた場所だっただけのこと。

都合よく母はそれを利用しようとしているけれど、私にとって性虐待を繰り返してきた父の墓がすぐ近くにあるというのも重いのに、そこに母も入るというのはなお重い。
父の骨は何回忌かが過ぎたら散骨をしたいと思っていたくらいだったのに。
本人の希望でもあるし、直筆で残っているしね。

私はやっぱり母を許せない出来事がたくさんある。幼少期の虐待だけではない。
母のヒステリーのおかげで、高校時代に心から大切だった人を失った。今でも忘れられない人。
同性の友人も大勢失った。男女問わず、誰に対しても残虐なまでのヒステリーは向けられた。
母に最初に殺意を抱いたのはこの高校1年の頃だ。
母には何もかもをぶち壊された。私はやっぱり恨んでいるし憎んでいる。許そうとしても。
最終的に手を差し伸べようとしないのは、それがあるからだろうと思う。
許せるのならば、身を粉にしてでも保護ではなく自分の力で支えようとするだろう。
でも私にはそこまでして母を支える気にはなれない。申し訳ないとは思うけれど。
マリアにもマザーテレサにもなれない。 私の失ったものは大きい。

2010年06月30日

マイペースでいいのだよ。

井波合宿で木彫りの「吉祥天さま」をはさんで親子ほど歳の違う、 きょうこりん と。さりげなく気の利くきょうこりんは、息子のお嫁さんにしたいタイプですが...

2010年06月29日

選択肢

ずるいの記事でみんなにたくさんコメントをいただき、私ひとりの親ではないので妹に電話をしました。

母の今後の生活についての選択肢について話しました。仕送りか、生活保護か。
広島での同居は、多分私が壊れるので無理だと話しました。妹もそう思うと言ってました。
それから生活保護の仕組みや、母と私の会話も全部話しました。
2〜3万円でも毎月送ったらいいか?との私の問いに、母は「そんなんじゃやっていけるわけないじゃないの」と笑い飛ばした事、3万もあればひとりで光熱費と食費は何とかなるんじゃないか(田舎なので、米や野菜は親戚が持ってきてくれるので)と私は思っていた事、母はそれじゃそれ以外何にも出来ないじゃないのと嘆いていた事、広島に来れば好きなことをしながら不自由なく暮らせると思っている事。
妹が可愛いくて、妹にはかわいそうで負担をかけたくないから絶対に言わないでと言っている事。
私はいいのか?と言ったら、私は障害年金をもらっているからいいんだと言っている事。
障害年金については、2年に1回審査があり病状によって等級が変わるので非常に不安定な手当てである事を何度も説明しているのに、母は私の年金に期待をしている事。
本人の頭にはもう既に広島で暮らす以外は選択肢に無い事。

妹はタイに「扶養家族」として行くので、就労ビザではないから働いてはいけないんですね。
だから彼女も収入は無く、ご主人の収入のみで生活していかなければなりません。
母を双方の家庭で死ぬまでお金を出し合って生活させていくというのも大変なことです。
医者にかかったり、予定外の出費があるたびに仕送り額を増額しなければならなくなります。
やはりいくらプライドの高い母でも、生活保護を受けてもらうのが全員が共倒れしない一番の方法だと私は思うのです。
それを妹にも話しました。
妹も自分の家庭を1番に考えたい事や、生涯仕送りを続けられるかは難しいと答えました。
旦那さんと相談してみると言っていましたが、しろさんももちろんそうだけど妹の旦那さんもきっと「じゃ、生活保護で」とは言えないだろうと思っています。
男の人だからね。なんとかしなきゃみたいな思いがあるだろうし、それで心労をかけたくないし。

どうすべきかは先に姉妹で決めておかないと、きっと母が行動を起こすのはタイに行ってすぐじゃないかと思うんです。
私が母に言わなきゃいけなくなるからね。
妹夫婦がどういう結論を出すのかわからないけれど、タイから毎月送金するのも大変だろうしね。
わがままな母のことだから、その金額に耐えてくれるとも思えないし、生活保護課へ本人が出向き、高いプライドを捨てて手続きを自分でしてくれるとも思えないし。
説得はきっと大変だろうと思います。

本当は、それを言った事で自殺されるのが一番怖いのです。
「あんたがあんな事件に遭ってからお母さんも軽い睡眠薬と安定剤を処方してもらってるのよ。心配で心配で。」なんて言いながら「いつ死んだっていい。妹の結婚が決まったから死んでもいい。」を私に連発します。
事件に遭ったことは事実だけれど、母親自身が私を虐待した事は記憶に全く無いと言います。
それが原因で精神科に今も通い続け、解離性同一性障害になっている事を伝えても他人事なの。
母をつき放す事で自殺されるんじゃないかと、それが怖くてそして反面うっとおしくて辛いの。

2010年06月13日

性暴力が与えた後遺症

小さい頃から何度も性暴力を受け続けてきて、私は自分の身体と心が別のものだと思ってきました。
なんて言ったらいいかな、心は自分のものだけど、身体は借り物。着ぐるみ?切り離されたもの。
だから身体を提供することは何の苦にもならなかった。もちろん嫌だ!と思う事はあるけど、その場になってしまえば逃げることは不可能だし、心は解離してしまえば済むから。
私の性体験は常に天井から自分を見下ろすものだった。
だから相手が誰だか覚えていなくても部屋の間取りや壁紙、家具の配置等ははっきり記憶している。
そういう付き合い方しか出来なかった。性というものはそういうものでしかなかった。
被告のレイプも、逃げまどうところははっきり覚えているけれど、力ずくになって諦めてからは被告の顔なんて覚えていない。でも会社の天井の模様ははっきりと覚えてる。被告の背中も。上から見ているから背中が見えるんだ。

でも精神障害者になって自傷行為や自殺未遂をすることにより「痛い」ということがわかった。
これは自分の身体なんだと。
心が痛いと身体を痛めつける、痛めつけると身体も痛い。痛いってことは自分の身体だから。
それが初めてわかった。
「自分を大事にする」ということは未だわからずにいるけど、でも確かに心と身体は繋がっていた。
私が病気になってから性行為が出来なくなったのはそれに気付いたからだと思う。
身体を捨てるように投げ出すのではなく、繋がっている事に気付いてしまったからだと思う。
過去を悔んでいるわけではない。ただ気付かなかっただけだから。
でも、本当にあるべき性の姿に近づいていかなければならない。
それには性虐待やレイプも含め、苦しくても向き合っていかなければならない。
ずっと置き去りにしてきたけれど。

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大阪のカウンセリングサークルワイズ悩み相談「心ざわざわ」岡本理香です

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