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愛のうた / 小田和正
その女性は、結婚をして その結婚した夫からのDV「(ドメスティック・バイオレンス)=夫・彼氏からの暴力の意味」を、うけた。
その女性は、子供を、儲(もう)けた「授(さず)かった」
まぁ、それが、俺だ
俺は、彼女のことを、気遣っていた。
しかし、彼女は、夫婦となって それすらに 安らぎを感じていない。
故(ゆえ)に、子供への愛情の示し方が、うまく出来ない。
うまく出来ない自分を、考えることすらしない。
夫婦間での、心の溝(みぞ)があるからだろう。
彼女は、母であるよりも 女でいたいのだと思う。
彼女の気持ちの中で、すべてを見つめて 見守る行為は、出来やしない。
俺は、家族って、なんだ!
守ってくれる人として 存在しない 父と 母 その存在は リアル(現実だ)
やりきれない心が、俺には、産まれる。
そう、両親への愛憎が、芽生えてるんだ。
両親は、我が子に、どう接すべきかよりも 自分が、どう生きるかが、優先順位であるようだ。
子供に、関心のない親は、親ではないんだよ。
子供を、苦しめる親は、子供を、産んだのではなく 性的快楽の結果
出来た子供のように そこに 存在する物体には、愛情は 注げない。
狂い始めた 歯車は、一生 かみ合うわけはない。
そんな不幸を背負った子供は、自分の存在や、愛されてないという現実と
向き合い 苦悩し続けるのだ。
私は、ACミーティングに、参加したことがある。
AC(機能不全の親たちに育てられた子供)
親の虐待で、体が傷つけられて よく生きてる すごいと 感嘆することが、多かった。
以前、「毒になる親」と、いう本を、アマゾンで、購入して読みあさったことがある。 当事者には、救いの言葉が 散りばめられている。
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私は、親に 翻弄されて 今年(2009)4月 7日に、自殺した 友人がいた。
彼は NETのひきこもりサイトのSNSに、いた人だった。
SNSってのは、ミクシー(MIXI)に代表されるようなサイトである。
彼が、話してくれた中で、父親に 出て行けと 言われ 喪失感の中で なにか、たのしいことを がむしゃらに 見つけ出そうと 病み彷徨っていたようだ。
去年の(2008)5月 2日 コミュで、私が、幹事をして オフ会を開催して、参加してくれたひとである。
たぶん、彼は、練炭自殺を、図って亡くなったと思う。
そろそろ 49日なのかな
ネットの知り合いだと、お葬式にも 参加できないのが 否(い)めない。
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馬鹿親になってしまった母ですが、社会は、孤独な人でも 包容してくれる場合もあることを、伝えたい。
もちろん、絶望と、背中合わせだったり
社会と 断絶した心の閉塞が、死のいざないに気持ちは もっていかれることもあるだろう。 仕方ない その十字架を 背負いたくて 背負ったわけでないが、故に 苦しみが、押し寄せてくる。
人は、落ち込んだ後に、希望のような光を、浴びれることもあるような気がする。断定的な事柄ではないとおもうが、とことん落ち込んだら、あとは、気分が、上がるしかない と、いうような感じだ。
苦して抜いて 現れる 希望というのは、そんなに うれしいわけでもないが、まっしな気持ちではあるのだろう。
家族がいるのに、過剰な孤独に苛(さいな)まれるとは、不幸の髄 極みであろう。
普通なら、助け合える存在が その機能がない 不完全な存在の面倒まで見ないといけなくなる。
自我の キャパシティーで、抱えきれるか 抱えきれないか
抱えきれないなら、自殺しざる終えん。 心の均等が 保てないと 心が ばらばらになるからだ。
不幸の連鎖を、断ち切るのは ほんとに どうしたら いいのか あなたも機会があれば考えてみてください。
増え続ける 自殺者は、ほんとは 自ら 終止符なんて うちたくなかったはずだから
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