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2008年01月31日

摂食障害 専門相談 NPO法人 心ざわざわ

摂食障害 専門相談 NPO法人 心ざわざわ
摂食障害のアドバイザー・正看護師で、拒食過食嘔吐、トラウマやパーソナリティ障害諸症状の回復者の精神作家が中心となり、神戸でメール療法や個人・家族面談相談を、大阪でワークショップをご提供、あなたの一歩のお手伝いができればうれしく思います。
 岡本理香著作「死んだら、アカン」〜回復への歩みの中で〜や、サイト編集の克服ヒント冊子が好評です。
http://www.eonet.ne.jp/~kokorozawazawa/

2008年01月31日

いかたろうといかじろう(57)

いかじろう:「おう、お前さん、ちょっくら教えてもらいたいことがあるんだけどさぁ。」 いかたろう:「うん、何だい?」 いかじろう:「いやあね、突然なんだけどさぁ、お前さんのやってる森田療法と仏教とは関係があるのかい?」 いかたろう:「まあ、あるといやあ、あるよなぁ〜。」 いかじろう:「というのはね、先日、本屋で森田療法の本を立ち読みしていたらね、難しい仏教用語のようなのが時々出てくるもんでさぁ、学(がく)のねえオレとしちゃあ、難しくて困っちまったという次第なんだよ。」 いかたろう:「例えばね、曹洞宗...

2008年01月31日

摂食障害ワークショップ 時間変更

摂食障害ワークショップ 毎月第2日曜 大阪
協賛団体カウンセリングサークルワイズ 
大阪府茨木市舟木町15-17 Prefere202 ℡072-633-0212 
時間・11時より2時間 要予約

2008年01月31日

事件分析(親族2人強殺 松村被告)

京都府長岡京市と神奈川県相模原市で昨年1月、親族2人を殺害し、現金を奪ったとして、強盗殺人の罪に問われた住所不定、無職、松村恭造被告(26)の論告求刑公判が30日、京都地裁(増田耕児裁判長)であり、検察側は「人間性のかけらもなく更生など不可能」として死刑を求刑した。 松村被告は意見陳述で、「事件の最大の原因は自分のエリート意識。自分は特別な存在だから何をやっても構わないとの考えが根底にあった」と説明。事件を起こしたことについて「全く反省していない。遺族を悔しがらせることができてうれしい」などと述べた。 「自分は理不尽な目にあった」「より罪を重くして自分を追い込みたかった」とも言っている。 (http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/domestic/murder/?1201697482 YAHOO!ニュース より) 「自分は特別な人存在」という松村恭造被告。 まったく心が育っていない、母親が何も手をかけず世話していないはず。 フロイトのいう口唇期欠損である。 口唇期とは、口と唇の刺激が心地よく、快感を求める0~1.5歳の時期である。 この時期に心地よく母のおっぱいなりミルクを飲み、適切に世話され満足感を味わっていないと、 そこに欠損・欠如感が生じる。 以後この人は口唇の満足を求め続けることになる。 その最たるものが、アルコール、覚せい剤など。(三田佳子さんの二男も同じ) アルコール・覚せい剤に依存し続ける、それは母に依存し続ける口唇期のあり方そのものである。 依存とは人に甘えることであり、口唇期欠損者は、依存と甘えの行動をとる。 その一つには、自分がこうなるのは全て他者が悪いと思う。 自分の快不快は他者に依存しているから、自分を心地よくするのも不快にするのも他者である。 悪いのは外、他者であり、自分は悪くない、間違っていないという独善論にいたる。 このことと、甘えがいろんな構造を生み出す。 甘えとは、みんな自分を許してくれる、自分だけは特別だ、自分を嫌っているはずはない、何でも 自分に与えてくれるはずだと思い込む。 松村被告の「自分は特別な存在だから何をやっても構わない」という言葉はそのものである。 「自分は理不尽な目にあった」とも言っているため、納得のいく世話などされていないだろう。 理不尽に自分を否定され、要求を満たされず、なんで自分だけこんな目にあわなければいけな いんだと思っている。 自分がこんない理不尽な目にあっているんだから、人を理不尽に殺しても何の罪意識も持たない。 それ以前に、彼はもう主体性を認められず精神的に殺されてきているのだから。 適切に世話をし、やさしく育てましょうという。 それは、思いやりや配慮、愛情をかけられることによって、情緒性が育ち、人の痛みのわかる、 思いやりのある人間に育つからである。
ラカン精神科学研究所のホームページはこちらです。

この日記は研究所の日々の活動内容が綴られています

2008年01月30日

2月分析理論講座日程のお知らせ

2月は12日(火)と24日(日)の2回分析試論講座を開きます。 12日(火)と24日(日)、両日とも 時 間 : 午後1:30~4:00 場 所 : 京都市伏見区深草フチ町14-103 ラカン精神科学研究所 参加費 : 3000円(テキスト代含む) 講座内容は、分離固体化の過程 (1) 正常な自閉期  (2) 共生期  分離固体化の過程は非常に大事で、ほぼこのことの失敗、障害により多くの人は子ども時代、いや赤ちゃん時代に固着し留まっており、病理へと移行していく。 興味・関心のある方は下記へお問い合わせください。 ℡  050-1035-4401 または 075-644-8126    メール lacan_msl※yahoo.co.jp(迷惑メール防止のため、※を@に変えてください)

2008年01月30日

メンタルヘルス事業・復職者支援

メンタルヘルス・ウェブログ/ posted by レオン 急速に増え続ける過重労働等に起因する精神障害に対して各企業も社員の心の健康管理に今迄以上の配慮を実施しつつありますが、そうした社会的な動きにタイアップする形で損害保険会社がメンタルヘルスの分野に力を注いでいるようであります。 企業へのメンタルヘルス支援の提案や長期休業された従業員の復職支援に関するバックアップサービス等・・。 目を背けがちだったようにも思える、この分野の重要性に世の中全体が動き出しているような感想を抱きました。 損保各社、メンタルヘルス事業を積極化(産経新聞) - Yahoo!ニュース tag >>>メンタルヘルス 健康・病気 うつ病 カウンセリング 心と体

2008年01月30日

あれから5ヶ月・・・

あれから5ヶ月・・・

最愛のペットをなくしてからの私はこの悲しい気持ちはいつまでつづくの・・・

もし私も薬を飲んでいなかったら正常ではいられなかっただろう・・・

彼女の死後、薬の量を増やしてどうにか乗り越えたけど、そのときにもし薬がなかったらと考えたら・・・


今、私は「パキシル」「ワイパックス」「ソラナックス」などを毎日服用しています。

それでどうにかもっているみたいです。

それプラス、めまいがすれば「メリスロン」、気分が悪くなれば「デパス」・・・

ありとあらゆる薬に頼っています。

それで今、もっていると思います。


「薬に依存しすぎでは???」

と思われる方もいらっしゃるでしょうね。

それでも私には薬が必要です。

もうあんな具合の悪い毎日は過ごしたくない・・・

もし今度のことでももし薬を飲んでいなかったら、こうしてここにはいないと思います。


私が薬を取り扱っているのもそのせいかもしれませんね。

薬が私の生活を変えてくれました。

依存している訳ではないけど、たぶん一生のみ続けることになったとしてもそれはそれで構わない。。

今の生活が続けていけるのだったら・・・

でも一向に悲しみは癒えません。。

たぶん一生癒えることはないんだろうと思います。


私の大切な犬は今は天国で静かに暮らしているのかな??

きっといつも私のことを見ていてくれるのかな・・・

これからもずっと私の事を見ていてほしい。。

いつか私もあなたのそばにいくからね・・・

そしたらまた一緒に暮らそうね・・・

2008年01月30日

いかたろうといかじろう(56)

いかじろう:「おう、お前さん、この頃の若いヤツは本当にダメだねえ〜!」 いかたろう:「えっ?いきなり、どうしたんだい?」 いかじろう:「いやあね、ウチの若い衆が、掃除や洗濯なんかのこまごまとした雑用を嫌がるんでね、いろいろと困っているんだよ。」 いかたろう:「ほぉ〜。それは困ったもんだねぇ〜。」 いかじろう:「森田療法では、そういう仕事に取り組むことを大切にしてるんだろ?森田療法に取り組んでる人の爪の垢でも煎じて飲ませてやりてえくれえだよ。」」 いかたろう:「う〜ん。人生はそういう雑事の積み重ねな...

2008年01月30日

インテグレーター養成講座(自己愛論Ⅱ 自己愛の構造)より

第六回インテグレーター養成講座の内容より、質問のあった箇所を一部抜粋し解説します。 <講座テキストより> 自己意識によって自己像をとらえられない段階においては、自己像を他者の眼の中に発見する以外にはない。 その起源は母のまなざしの中にある。 <解説> 母は自分の子どもに、こういう子になって欲しいと、自分の理想を子どもに投影する。 子どもは母のまなざしの中に映った自分、母が思い描いたイメージを自己像として受け取る。 本来自己像とは、自分でつくらなければいけない。 こういう人間になりたいと、子ども自身の象徴界(言語)でつくった自己像であるべきである。 例えば、3歳は3歳なりに言葉を使い、これが欲しいという自己像を持っている。 ところが子どもが、「あれも、これも、それも欲しい」というと、母は「どれか一つにしなさい」と言う。 すると、本当は3個欲しいのに、1個を選ぶ自分が母親が自分に求めた自己像となる。 そして、それを自分の自己像にしなければならなくなる。 そうしなければ自分を受け入れたもらえないから。 こうして、3個を選ぶ自分は排除さる。 これは子どもにとっては不本意。 「3個欲しい」といって、母が「いいよ」と言ったときには、自分の欲求と一致し、「私は3個欲していいんだ」となる。 この一致の喜びが子どもの自己愛を形成し、その再現を求め、一致は繰り返されて自我が形成されていく。 子どもに健康な自己愛をつくるのも、親の子どもに対する 『 ALL OK 』である。 子育て中のお母さんにいうのは、子どもへの対応法 『 ALL OK 』 頭でわかっていても、それがなかなか実行できないと言われる。 それはよくわかる。私自身がそうだったので。 それでも、分析により自分を知っていくうち、できていく。 もちろんそれには個人差があり、私などは大変な時間がかかったが。 理論的にかみ砕いて説明してもらうことも、私はとても良かったと思う。 今またこうしてクライアントに解説しながら、あらためて 『 ALL OK 』の意味をかみしめている。 ラカン精神科学研究所ホームページ http://lacan-msl.com/contents.html

2008年01月30日

参観日



◇どーも。朝4時に目が覚めて、2度寝をした、うつらうつらです。

◇今日は長男の参観日。前日から準備していたVTRとデジカメを持ってGO!としようとしたら、妻から待ったがかかった。当日、撮影禁止とのこと。とほほ…。

◇椅子に腰掛けた長男をみてびっくり。長男の机だけ、他は女の子3人が椅子に座っており、ハーレム状態。うらやましいぞ。息子よ。こんな環境で日々の活動をしているのか。ちっ。

◇英語の授業は不満だった。妻も同感。あんなに同じフレーズを繰り返しているだけでは何も残らないのでは?まぁ、ノリはよかったが。

◇英語の授業の後、妻から次男を受け取り、妻は写真を買いに、私は引き続き参観。しかし、うけとった次男が眠っていたので重い、重い…。

◇節分が近いということで、今日は外にでて、豆まきごっこをした。鬼の顔を描いたダンボール箱を先生が背負って走り回り、子供達はその箱の中に豆にみたてた新聞紙の塊を投げ込むのだ。

長男はあんぽんたんだ。胸にたくさんの新聞塊(豆)を抱え込み、先生の後を追っていた。それでは豆を投げ入れられねぇだろ!
叫びそうになるのを抑えて参観を継続。無事に終了。

◇長男の幼稚園での様子が見られたのは大きいが、あんなにあんぽんたんだとは…。製作とはは得意でも、運動系はダメ。しかし、もう少し運動系なんとかならないものであろうか…(^^;)


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