お蕎麦で満足した後は、うちへ向かうために竹内街道方面へ車を走らせます。
その途中にあるのが、「叡福寺」です。
こちらは、真言宗のお寺ですが、もとは推古天皇の勅願による聖徳太子の陵墓を守護するために建てられた「香華寺」が前身、その後奈良時代に聖武天皇によって大伽藍の寺院になり、平安期には空海により真言宗に・・・戦国期、織田信長によって全山焼失したせいで、あまり古い建築物はない。
豊臣秀頼による聖霊殿再建に始まり、徐々に回復していき、現在に至る。
境内奥に、聖徳太子陵墓と言われる「磯長御廟」があり、厩戸皇子ご本人と母・穴穂部間人皇女〔あなほべのはしひとのひめみこ〕、妃・膳菩岐々美郎女〔かしわでのほききみのいらつめ〕 の3人が合葬されているため三骨一廟といわれている。

↑皐月満開の境内は、すっきりとしつつ華やかでうつくしかったw
残念だったのは、新型インフル蔓延防止のため、宝物館が閉まってたこと・・・
その途中にあるのが、「叡福寺」です。
こちらは、真言宗のお寺ですが、もとは推古天皇の勅願による聖徳太子の陵墓を守護するために建てられた「香華寺」が前身、その後奈良時代に聖武天皇によって大伽藍の寺院になり、平安期には空海により真言宗に・・・戦国期、織田信長によって全山焼失したせいで、あまり古い建築物はない。
豊臣秀頼による聖霊殿再建に始まり、徐々に回復していき、現在に至る。
境内奥に、聖徳太子陵墓と言われる「磯長御廟」があり、厩戸皇子ご本人と母・穴穂部間人皇女〔あなほべのはしひとのひめみこ〕、妃・膳菩岐々美郎女〔かしわでのほききみのいらつめ〕 の3人が合葬されているため三骨一廟といわれている。

↑皐月満開の境内は、すっきりとしつつ華やかでうつくしかったw
残念だったのは、新型インフル蔓延防止のため、宝物館が閉まってたこと・・・


