京の通り名の歌は、江戸時代の文献にも載っているそうであるが、幾つかのバージョンがあるのは、Bachさんのご指摘どおり。メロディーもきっといろいろあるのではないかと思われる。
さて、南北のほうの歌は「てら・ごこ」である。
寺 御幸 麩屋 富 柳 堺
(てら ごこう ふや とみ やなぎ さかい)
高 間 東 車屋町
(たか あい ひがし くるまやちょう)
烏 両替 室 衣
(からす りょうがえ むろ ころも)
新町 釜座 西 小川
(しんまち かまんざ にし おがわ)
油 醒井で 堀川の水
(あぶら さめがいで ほりかわのみず)
葭屋 猪 黒 大宮へ
(よしや いの くろ おおみやへ)
松 日暮に 智恵光院
(まつ ひぐらしに ちえこういん)
浄福 千本 はては西陣
(じょうふく せんぼん はてはにしじん)
こっちの歌は、「丸竹夷」に比べて知名度が低く、わしもラジオで聞くまで知らなかった。ちょっと前まで、京都銀行のCMでよく流れていたのである。
ではこれも、通り名のフルネームを記す。読み仮名を書いてない場合「町」は「まち」と読む。
寺町通 御幸町通 麩屋町(ふやちょう)通 富小路(とみのこうじ)通 柳馬場(やなぎのばんば)通 堺町通
高倉通 間之町通 東洞院(ひがしのとういん)通 車屋町(くるまやちょう)通
烏丸(からすま)通 両替町(りょうがえちょう)通 室町通 衣棚(ころもたな)通
新町通 釜座(かまんざ)通 西洞院(にしのとういん)通 小川通
油小路(あぶらのこうじ)通 醒井(さめがい)通 堀川通
葭屋町通 猪熊通 黒門通 大宮通
松屋町通 日暮(ひぐらし)通 智恵光院通
浄福寺(じょうふくじ)通 千本通
西陣は通り名でなく、地域の名称で、応仁の乱で西軍が陣を敷いたことから付けられている。
このところの歌詞、「はては西陣」でなく、「さては西陣」と歌うバージョンもあるらしい。
その西陣の隅っこに住んでいたことはあるが、こっちの歌の範囲からも、わしははじき出されてる(苦笑)。
それはなぜかと考えてみる。真っ先に浮かぶ理由は、このエリアは家賃が高いのである。代々ここで暮らしている住民の比率が高いので、ヨソサン向けの賃貸物件が少ないし、なにより都市の中心なので地価が格段に上なのだろう。
そして、昔ながらの京都の町家暮らしは、ご近所付き合いのしきたりが高度で複雑で、よそ者はびびってしまうのである。
旅行者や、一時の滞在者である学生に対してはおおらかに接する京都の人々も、ご近所さんになると、厳しいチェックの目を向けてくる、様な気がする(^^;)
それでも最近は、このエリアにもマンションは林立し、町屋暮らしに憧れて東京からやってきはる方も増え、ヨソサンの流入は激しいに違いないが、わしにはいまだ、一種の「聖域」みたいな感じが抜けないのである。



