京都にいると、どうでも、「よそさん」であることを思い知らされてびびって控えめに生活し続けているわしである。(嘘つけ・笑)
しかし、「よそさん」でありながら、京都人以上に京都らしい生活を謳歌満喫し、それをエッセイなどに書きながら華々しく活躍なさっているお方もいる。
わしなど、到底真似はできないので嫉妬するばかりだが、こういうお方を、京都原住民の方々はどう思っておられるのか、興味があった。
ただ、京都生まれ京都育ちの人の多くは、自分らの街を余り語りたがらないような気がする。考えてみれば、慣れ親しんだものよりも異風のもの、自分にとって目新しいもののほうが情熱を持って表現しやすいのではないだろうか。
だからこそ、わしなども熱意込めて京都のことを書き綴っているのだろう。
そして、そんな「よそさん」をどう思っているのか、本音を明かさぬ京都の人から聞くのは難しい。

そんな中で、入江敦彦さんという京都人は、英国に惹かれ、現在はかの国で生活しておられるが、同時に「京都人だけが知っている」シリーズはじめ、本音の京都案内で、わしの目を大いに開いてくれている。
その著作を片っ端から読んでいるうち、今読んでいる「KYOのお言葉」(発行・マガジンハウス)のなかで、ついに痛快な一節に出くわした。

「京都で育った者はあまり他人を羨ましがらない。羨望は品のない行為だ、己(の利害)に関係ないことはドーでもいいことだと親に叩き込まれるからだ。よそさんが京都人気取りでキモノ着て町家に住んで自分の特別扱いをひけらかそうと歯牙にもかけない。

なるほど!わしが、かの「キモノ着て町家に住んで」活躍されておるよそさんに感じた反発は、嫉妬だけではなかったのだ。
「自分の特別扱いをひけらかしている」姿勢にあったんだなあ。

大阪に行ったりすると、こんなわしでも京都人扱いを受けたりする。「さすが京都人は、京都時間で、約束の時間にルーズやなあ」などと、大体はマイナスイメージなんだけどさ(大苦笑)
まあ、まちがってもわしは京都人気取りなどは出来ないが「自分だけが京都のこんな穴場を知ってるんだ」などと思いあがらぬように気をつけようっと。


■GOOD JOB!
この記事よいネ!クリック!→