TOP>2007年07月

さて、この日わしが最も感銘を受けたのは、塔頭のひとつ「南禅院」であった。
南禅寺の南禅院・・・なんか紛らわしいのであるが、「別院」という扱いで、亀山上皇の離宮跡だったという。
建物などは、元禄時代に徳川綱吉の母・桂昌院が再興したんだそうだ。

しかし、庭園は亀山上皇の離宮当時の面影を残している。そして深山に抱かれ、自然と一体化した雰囲気が凄いのである。鴨のつがいなんぞがこうしてのんびり池にいるのだ。

池には、ちょうど睡蓮が咲いていた。(だいぶ時間が経ってしまいましたが6月末だったのです)
だが、その背景たる山のそそり立つ緑の迫力に、息を呑む。
離宮当時、あまりの鄙びた山中の生活に、女官たちは恐れをなし寂しがったという話だが、無理もない。

遊歩道を回遊していくと、山肌に石で滝が組まれていた。ここまで山の気配が濃いと、一種凄愴な感じがあるような。

とどめは、池のほとりの楓の樹に、モリアオガエルの卵塊が幾つも産み付けられていたこと。写真を良く見ると、おたまじゃくしのような影さえ見える。豊かな自然に囲まれている証拠であった。
今日の一枚は、遠くの花火。
御手洗祭からの帰りに、出町柳駅前の高野川の橋の上で、信号待ちで停ったとき、ふと橋上の人の視線の先を見ると、遠くに花火が揚がっています。
え?京都市内ではその昔、花火の火の粉が御所(だったと思うのですが..)に飛び、火事になったと言う事で、花火大会はしない事になっています。
花火の見えたのは高野川上流の右岸、丁度五山送り火の「法」の字の在る方角に見えました。そこで慌てて川端通を北へ。蓼倉橋あたりまで来てようやく車を停めて、慌てて橋の上から撮影したのが右の写真です。
撮影ポイントを少し西へ移動しようかと思った時には、もう花火の打ち上げは終わってしまいました。慌てて撮ったので、ちょっと無理の在るデータでお見苦しい点は、お許しください。
ここまで来てよく見ると、花火は松ヶ崎辺りでは無く、宝ヶ池の山の向こう側...宝ヶ池公園辺り?かと思うのですが、コレって何の花火だったんでしょうか?京都新聞にも載ってなかったような...知ってる方賀要らしたら、教えてやってください。
二枚とも_御手洗祭_下鴨神社
話は戻して..御手洗祭は初めてでした。ですので「写真を撮りに行く」などと言う無信仰かつ失礼な私も、「上から風景を撮りに行く」だけでなく、実際に足を浸けてお参りするような流れになっているのは、行って見て初めて解りました。まくり上げやすいズボンと、サンダル履きだったのは幸いでした。一度明るい内に行った時には、この水の冷たさが非常に心地よかったです。夜にもう一度行き上の写真を撮影しましたが、今度はちょっと冷たく思いました。
と言っても、その冷たさも、やはり急に暑くなってきたここ数日、何とも救われるような冷たさですね。
御手洗祭は、明日30日夜まで行われます。
祗園祭も24日夜の還幸祭は撮らずじまいでしたが、この神輿洗でほぼ街中での行事はお終いです。
後は八坂さんの境内での行事を残すのみでしょうか。
左_四条大橋(7時20頃)...我ながら...いいアングルでは?
右_四条大橋上の神輿(8時過ぎ)_左奥は京都南座
丁度日暮れの午後7時過ぎに、四条大橋の上で清めの大松明が点され、四条大橋〜八坂神社までの間を清めます。
そして8時過ぎ、大松明を先導に八坂神社から四条大橋へと神輿がやってきます。
いわゆるお祭りの...ワッショイ!ワッショイ!という感じとはちょっと違って、肩の上ではなく腕を伸ばして神輿を高く掲げ、前後に動きながら、廻って行くような動きです。廻せ廻せの掛け声もありますが、威勢の良さよりも、もう少し厳かな感じに思えました。
実はあんまりワッショイワッショイのお祭りが好きでは無いので、ちょっとほっとした感じもしました...個人的な感想ですが。
帰りの雑踏で、四条川端上がるの八つ橋の「北座」ビルを見た観光客が「南座の北だから北座だって!」と、ちょっと馬鹿にしたように話す声を聞きました。実は本当に明治までココに「北座」があったんですすよ!ビルの角にはちゃんと小さな碑が建っているんですけどねぇ。寂しいですね。






















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