
東山の京都国立博物館、ここの西側の通り、大和大路通りを北上すると、博物館に隣接して豊国神社、方広寺があるが、この神社、お寺を囲んで巨大な石で積まれた石垣がある。その石垣に、八重桜が咲き誇っていた。

一本だけであるが、艶やかに花開いているその背景は、豊臣秀吉が日本最大の寺を作ろうと築いた、方広寺大仏殿の遺跡である。

石垣は高さはあまりないのだが、使われている石はどれもすこぶる巨石で、かなりの距離続いているので異様に目立つ。
秀吉がここに大仏殿を築きはじめたのは1588年で、1595年にとりあえず完成するが、この大仏は難儀に遭い続けた。完成間もない大地震で、急造の張りぼてだった大仏は倒壊し、それならちゃんと銅で作りなおそうと鋳造する途中、1602年に失火で大仏殿は焼失。それでも秀吉の息子・秀頼が再建にとりかかり、1612年に第二次大仏殿が出来上がる。しかしその二年後、この大仏殿=方広寺の鐘に刻まれた銘が、徳川を呪うものだと家康が言いがかりを付け、大阪の陣に至って豊臣家は滅亡してしまうのだ。
覇権を握った徳川家は、秀吉の墓である豊国廟を荒廃させるが、大仏殿は生き残り、江戸時代には京都の名所のひとつとして人気を博す。しかしながら、1798年、落雷によりこの大仏殿も失われたのである。その後、天保年間に、旧大仏の10分の1の木造半身像が作られたそうだが、1973年に再び火災に遭ってついに大仏は跡形もなくなった。
それでも、ほんの30年ほど前までは、「大仏」がここに在ったのだ。いまだにここから程近い本町通正面上ルの郵便局は「大仏前局」と名乗る。その正面通も、大仏の正面の道だったからその名前なのだ。
栄華の跡に咲く桜。京都の春の終わりにふさわしい風景の一つではないか。




