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2005年07月30日

僕が僕であるために

このblogを始めた頃は、なんの方針も持っていなくて、ただ思いついたことを記していました。
やがて、小説をここで連載し始めました。
まだ自称小説家の域を出ないわしのでも、多くの人に読んでもらえるからです。
なかなか、書くことへのテンションを維持できない怠惰なわしでも、反応がもらえると励みになると、
「背水の陣」で始めたつもりでした。
自分で撮影したデジカメ写真と組み合わせることで、思いもかけぬ作品が生まれて、わしは夢中になりました。

同時に、デジカメを通して、自分の住む京都の魅力を再確認しました。
京都の写真を掲載するblogが幾つもあったことに大いに刺激されたこともあります。
中でもilikewalkingさんの「京都・哲学の道案内」の作り方に影響されました。
わしもそれに習って、京都の美しい景色や風物を発信すると、敏感に反応が返ってきて手応えを感じました。
そんな中では、「わしにしか書けないモノ、独自の視点」と突っ張って、存在感を主張してきたつもりだったのです。

気がつくと、blogに載せる写真を撮ることを最優先に考えている自分がいました。
なかなかそれが出来ないことに苛立っていました。
わしがなすべきこと、わしが、最優先すべきことから逃避して、京都の写真を撮りに行きたがっていました。
京都の写真を載せると、何よりも・・・小説よりもずっと、たくさんの反応が返ってくるからです。
その、快感に取り付かれて、わしがわしであるためになすべきことから、目をそらしていました。

ほったらかしにしていた、書くと約束した小説があります。
ひとつは、ここで連載している「流れのほとりで」ですが、
もうひとつは、歴史・時代小説です。
枚数は四百字詰め原稿用紙500枚。
それを、なんとしても書き上げなければなりません。
それこそが
「僕が僕であること」の証なのです。
わしの志は、小説家として立つことにあるのです。

このblogを見てくださった方、コメントやトラックバックを下さった方々、
深く感謝しています。
しかし、怠惰なわしは、皆さんとの交流の楽しさに「逃げて」しまっていました。
小説を書くことは、自分の力量の限界と、真っ向から向かい合うことで、
大変苦しいのです。
書くたびに、もっと上手く書けるはずだと、原稿を破き、煩悶し、諦めと戦い続けるのです。
そのしんどさから、目をそらして、
「今日だけは楽をしよう」と、blogに浸り、約束の原稿にはいつまで経っても取り掛かれず。

そんな中、最近交流した「コトモノBLOG」のモヨコさんが、blogを締めて、新たな出発をされたことに衝撃を受けました。
「僕が僕であるために」の歌が、わしの胸に響き始めたのです。

今は亡き歌手・尾崎豊が作った歌です。
歌詞を紹介したいところですが、著作権侵害になるので、まだご存じなくて、知りたい方はCDを買うか、レンタルして下さい(苦笑)

僕が僕であるために、わしは、小説の完成に向けて、もがきながら突き進みます。
しばらく、このblogは休止します。
でもほどなく、わしの文章を、お目に掛けることが出来るようにしたいと思います。
逃げない自分を、確信できたら、戻ってきます。

このblogを見てくださった方
コメント、トラックバックを下さった方
本当にありがとうございました。

祇園祭の七月も終わります。
京都の華やかさと陰翳に魅かれて
ここを住処と定めたわしです。
ここで、小説を書いていきます。

2005年07月26日

ちょっと避暑

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山科に住んでいて良いことの一つは、すぐに琵琶湖へ行けることです。
大津市の湖畔に立つ「浜大津アーカス」は、京都中心部に行くよりも便利に映画が観れることに最近気がつきました。で、これはその四階からの眺め。

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出航していく観光船・ミシガンを噴水がお見送り。

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琵琶湖畔から、比叡山ドライブウェイに駆け上れば、涼風に吹かれてこういう景色も楽しめるのです。通行料は高いけど(^^;)

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ミシガンとか、ビアンカとかの観光船は、まだ乗ったことがありませんが、観ているだけでも楽しい。
かつては、京都から水泳に行く人で夏の琵琶湖は賑わい、湖西にはいまも水泳場がいくつもあります。今は「バーベキュー」を楽しみに行く人が多いのではないかと思われ、夏の琵琶湖畔は、京都の庶民の手軽な避暑地なのです。

☆ポレポレまるこさんの「まるこの京都散策日記」に、琵琶湖の水泳場のことが書かれています。

2005年07月26日

随想・祇園祭 その五

祇園守(ぎおんまもり)
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 炎暑の中に出かけるとき、首に手ぬぐいを掛けるとなにかと助かる。汗が拭けるし、首筋の日焼けを防げる。
タオルよりも軽くて暑苦しさがないので、とてもいい。
 この間、東京在住の妹から貰ったこの手ぬぐい、洒落た紋様が付いているが、これ、「祇園守」というそうだ。

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 歌舞伎の名門・成駒屋の家紋として有名で、江戸時代、歌舞伎役者関係の図柄は「粋」の極みとしていろいろなものに使われ、手ぬぐいの柄としても定番となったらしい。
 祇園守というからには無論、「祇園社のお守り」という意味なのだが、起源はあまりはっきりせず、巻物がクロスしている柄から、キリシタン信仰との関連も考察されている。
 祇園社=八坂神社の祭神は恐怖の疫病神「牛頭天王」であり、異国の神であったのを、日本のあらぶる神・スサノオノミコトと習合。以来、様々な神や仏を取り入れて複雑な信仰を形作っているので、想像力が掻きたてられるのだろう。中には祇園祭は古代イスラエルのシオン祭が伝播してきたもの、という説まである。
 そうした幾多の考察や想像を呼ぶのも、祇園祭の持つ豊穣な力のなせるものに違いない。

 ところで、祇園守は、槿(むくげ)の花の品種名にもなっている。
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          大仙祇園守
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           赤祇園守 

 槿の咲く中、7月31日の疫神社夏越祭をもって、祇園祭の行事は終わる。疫病や災いから免れて、楽しい夏を過ごせますようにと、祈ろう。

☆ 槿の祇園守については、
 yumeさんの「yume_cafe」「目疾地蔵さん・祇園守のむくげ」
 piitaさんの「京都あちらこちら」「祇園守」
で紹介されています。

2005年07月24日

大和大路七条上ル・百日紅の道

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三十三間堂と京都国立博物館のある、大和大路七条を北へ上がると、百日紅(さるすべり)の並木が続いていて、梅雨明けから鮮やかな花を咲かせています。

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大和大路の西側の歩道に沿って、豊国神社の前まで赤、ピンク、白の花が暑い日ざしに輝いています。また、豊国神社前から西に向かう正面通にも、中央分離帯に百日紅が植えられていますが、こちらの樹はまだ若く細いです。

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くらくらするような、真夏の陽射しの下で見る百日紅の赤は、なんだか南国じみているのですが、京都の夏の過酷さを象徴するにはいいかもしれません。

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いかめしい国立博物館の建物と百日紅の花は、不思議と似合うような気がします。


松風さんの「京・壷螺暮」では、京都御苑の百日紅が紹介されています。

2005年07月22日

随想・祇園祭 その四

宵山追慕

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 宵山も山鉾巡行も過ぎてしまったけれど、僕の胸の中にはまだ、祇園囃子が鳴り続けている。
 そして、忘れられない歌声が響いている。
 七月のあいだ中、祇園囃子とあの歌声は、僕の胸をうずかせるのだ。

 「・・・常は出ません、今晩限り
 ご信心の、おん方さまは・・・
 ろうそく一本献じられましょう
 ろうそく一本、どうですか~」

 宵山に、粽やお守りを売る、鉾町の子供たちが歌う歌だ。
 けれど、僕の耳に残るその歌は、乙女の声なのである。
 可憐な容姿に、強い意志を秘めて、なおかつ優しかった人だ。

 京都で学生生活を始めたばかりの僕に、あの人は「京おんな」の理想と映った。手もなく心惹かれ、憧れた。あの人が主催していたサークルに入り、文学を論じた。コンパに繰り出し、酒を飲んだ。酔ってあの人にからむ奴には鉄拳で応じた。いつもあの人を見ていた。あの人に認められたいと、背伸びして沢山の本を読んだ。
 そして、あの人が活動していたから、学生運動にも身を投じたのである。

 ささやかなる疾風怒濤の時代。
 高揚もあれば挫折も経験した。友情も培ったが裏切りもあり、傷もいっぱい残る。
 その、どちらかといえば苦かった「青春」の只中で
 蒸し暑い夏の夜に、あの人がこう言った。
「そういえば、今日は宵山やなあ・・・うちも、子供の頃、浴衣着て粽売ったことあるんよ」
 そして、あの人の唇から流れた、あの歌。
 細く、透き通った声が、どんなにか甘く、僕の心に染み透って行っただろう。
 その頃、僕は知っていた。
 あの人に恋人がいることを。

 やがて、あの人は卒業し、数年して僕も社会に出た。
 消息を知るすべはあったけれど、特に連絡などもしなかった。
 歳月は流れて、ある春の日の円山公園野外音楽堂。
 人込みの中に、あの人の姿があった。
 生き生きした目の光も、小鹿のような容姿も変わっていなかった。
 僕はその頃、結婚したばかりだった。
 そう伝えるとあの人は笑顔を見せて、屈託なく話した。

 それから、どれほど経っているだろう。
 宵山を彷徨い、子供たちの歌声を耳にするたび
 僕の胸は甘美にも痛い。おそらく、いつまでもそうだと思う。

 ☆今、本で調べるとあの歌は「占出山」の町内に伝わる歌のようだ。

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