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2005年06月22日

巨樹・14 美女伝説の小町ガヤ

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醍醐の善願寺で、不動尊像が彫りつけられているのは樹齢一千年と伝えられる榧=カヤだが、その樹を含めて山科の小野から醍醐一帯に残るカヤの古木は「小町ガヤ」と呼ばれている。

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小町は無論、平安時代を代表する美女・小野小町である。彼女に関する話はほとんどが真贋明らかでない伝説なのだが、その一つに「深草少将の百夜(ももよ)通い」がある。
若き貴族の深草少将が、小町から、百晩続けて通えば想いを叶えてあげると言われ、誠実に通い続けた。最初戯れで言っていた小町もその誠意にうたれ、カヤの木の実を糸に綴って百晩目を待ったのだが、その最後の夜、吹雪に迷った少将はついに小町の元へ行き着けずに斃れる。悲しみに暮れ、小町は糸に通していたカヤの実を大地に撒き、それが育ったのが小町ガヤだったというのである。

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かつては多数存在し、江戸時代には随心院の周囲に43本もあったらしいのだが、1980年代には山科区小野には4本だけ残存。それも2本が枯れて、今や2本のみ。(小野以外、善願寺に一本あるのは確かだが、他にあるかどうかは知らない)
この一本は、外環状線を南下して名神高速の高架下をくぐり、東に分かれる醍醐へ向かう道に踏み込むと、すぐに見える。樹高12メートル、胸高周囲4・3メートル。
田圃脇の狭い土地に立っているが、堂々たる高木で、善願寺の不動尊が刻み込まれていた樹もこんな感じである。
ちなみに、93年に枯れた小町ガヤの一本は、随心院が譲り受けていて、つい先頃、それを使って念珠=数珠を作ったそうだ。大中小あわせて1130製作されたそうだが、非売品で、お寺に寄進した人への記念として渡されるとのこと。(京都新聞6月6日より)

☆piitaさんの「京都あちらこちら」では、小野に生き残っている小町ガヤの2本とも写真が見れます。

2005年06月22日

智積院の蓮と桔梗

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毎日前を通る、東山七条の智積院。雨上がりの朝、ちょっと寄ってみたら、蓮が花開いていました。

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不動堂の横に、小さな蓮池があります。朝の光の中で一輪が透明な花弁を輝かせ、何輪かがほころんで、これから見ごろでしょう。

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そして、お寺の紋所に使われている桔梗の花が、金堂に続く参道の両脇に並んで咲いています。

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ここの桔梗は、背が高く、涼やかに風に揺れていました。

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金堂前の梅林近辺は、広々とした明るい雰囲気で、湿り気と陰翳に満ちたいわゆる京都らしさとは遠いですが、それだけに梅雨の季節はさわやかさを味わえるかも。

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これは、おまけ。鉢植えの紫陽花が宿坊のレストラン「ききょう」の前に置かれていて色鮮やかでした。

2005年06月21日

巨樹・13 一言寺のヤマモモ

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醍醐の一言寺、山門を入るとすぐ右手にあるのが、巨大なヤマモモ。
養源院に続いて、またヤマモモの紹介になったが、他にも山科の毘沙門堂や勧修寺にもあり、あちこちで大切にされてきた樹のようだ。

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ここのものは京都市天然記念物に指定されている。樹高9・2メートル、胸の高さの周囲3・28メートルである。
おりしも訪ねた6月19日は、びっしりと実った果実が赤く色づいて美しかった。
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びっくりしたのは、主幹のなかがまるでがらんどうで、ほとんど皮だけで立っているのである。ヤマモモはかなり幹に空洞が出来やすいらしい。養源院のもボコボコだったし、勧修寺のは真っ二つに裂けていた。それでも樹としては元気で、とりわけここのは、葉も旺盛に繁り、いっぱいに実を付けている

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この実は、かなり酸っぱいけれどジューシイで、かつては珍重されたのだと思う。
「木に触らないで」と立て札があって、わしもここの実を味わうのは控えたが、地面に散り敷くように沢山実が落ちているのを見て、少しもったいないなあと指をくわえた(苦笑)
改良されたフルーツに比べれば、甘さが全然足りないが、かつて故郷で桑の実を一杯食べた記憶のあるわしには、野趣溢れるまあまあの美味と感じられるのである。

山に近いこのお寺には、沢山の鳥や動物が訪れて、この実を味わい、伸び伸び過ごしているようだ。

☆追記・Bachさんのコメントを見て、検索してみたら、ヤマモモの実は徳島県あたりでは、お店で売られていることもあるようだ。平地で育った樹の実は酸っぱく、山地の樹の方が甘い実を付けるという話もある。

2005年06月21日

善願寺の榧の木不動尊像

一言寺もあまり知られていないお寺であるが、善願寺となるともっとマイナーで、ほとんどの観光ガイド本には載っていないと思う。
場所は伏見区の醍醐寺から南へ旧奈良街道を進んでいくと、一言寺へ行く途中にある。道路に面して西側に建っているお寺である。

息子を連れて愛車マーチを乗り入れた駐車場は、小さな墓地に面した真新しい建物の裏手。庫裏?かと思われるその建物の玄関脇に、受付があって絵葉書などが並んでいるのだが、ひと気がない。建物の玄関が網戸になっているので声を掛け、出てきた女性に来意を告げると、本堂のほうへ案内された。
修復中らしくシートが壁に掛かっている本堂の、脇の小さな入り口から入り、説明を受ける。

ここは安産祈願、子授けの「腹帯地蔵」として信仰を集めてきたお寺だそうだ。
江戸時代に再建された本堂には、飛天や雲龍図、120面もの花を描いた天井画など、結構見応えあるものが多い。
さらに、本道を抜けて、庭に出ると、本尊の地蔵菩薩を祀る新築のお堂がある。収蔵庫っぽいガラス張りの建物のなかにおわす坐像は、平安時代後期に作られた丈六(高さ268.2センチ)の端正な木像で、堂々たるもの。腹部に裳の結び目があって、これが腹帯に見えるので、安産の守護佛となったとか。

しかし、ここでわしがなんとしても見たかったのは、「榧(かや)の木不動尊像」であった。

地蔵堂の手前、狭い庭の隅に、太い榧の木が立っている。すぐ塀の向こうは奈良街道である。もっと荘厳な雰囲気を予想していたのでちょっと拍子抜けして、榧の木の前まで行ってみた。
壮烈なものを感じて、全身が震える。
生きている榧の木の幹、目の高さに、不動明王の像が直接彫りこまれているのである。
1メートルほどの大きさの坐像は、力感に満ちてわしを圧倒した。
これは、今から50年前に、西村公朝という仏師が、たったの一日で彫りつけたそうだ。
この樹は樹齢1千年と伝えられ、当時の住職が夢でこの樹に不動明王が立ったので、西村師に依頼したという。

神木にノミを当てるには、凄絶な覚悟が必要だったに違いない。樹の生命力を損なわぬよう、植物学者にも意見を求めての壮挙だったと聞く。
撮影禁止の張り紙もあったし、カメラは取り出さなかった。
この像の凄さは、じかに見ないとわからないと断言できる。
樹は今もたくましく根を張り、風が吹く度にはらはらと葉が、わしの髪に降って来る。不動尊像の周りには、再生した樹皮が巻いてきていて、像はいつか樹の中に隠れてしまうだろう。
これを彫った西村師は二年前に逝かれたそうだ。

髪を逆立て、口から牙をのぞかせる憤怒形の像を見て、息子が説明を求める。
「剣をもってるけど、これ、ヒーローなん?」
「悪いヤツをやっつけ、正しい道へ連れて行ってくれる、強い仏様や」
「世界最強?」
「うん、世界最強のヒーローやで」
この力強さ、荘厳さ・・・こんなにパワーをくれる仏様は、めったにおられるものではない。
是非、見に行かれることをお勧めする。

住所は京都市伏見区醍醐南里町33番地
電話・FAX 075-571-0036
行きかたは、京都市営地下鉄「醍醐駅」下車、徒歩15分。
もしくはJR・京阪「山科駅」や京阪「六地蔵駅」発の京阪バスで「醍醐和泉町」バス停下車徒歩2分。

2005年06月20日

醍醐の一言寺

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伏見区醍醐、ほとんど醍醐山の裾に抱かれて、一言寺(いちごんじ)がある。
空梅雨の暑い日曜日、息子を連れて出かけたが、ほとんど参詣の人影はなかった。

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寺伝によると、建礼門院(平清盛の娘で、高倉天皇の中宮・安徳天皇の母)に仕えた阿波内侍(あわのないし)が建立したとのことで、そうなると、源平争乱ゆかりのお寺ということか。本尊は千手観音で、「一心に祈れば言下に願いが叶う」ので、一言寺の名が起こったそうだ。しかし、明治になって醍醐寺の塔頭のひとつ、金剛王院がここに移転してきて合併。正式名称は金剛王院のほう、らしい。

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門を入るとすぐに目に付くのが、巨大なヤマモモの樹で、ちょうど一杯に実が付いていた。詳しくはカテゴリー「巨樹」のほうで触れるのでしばしお待ちを。

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境内には紫陽花がかなり沢山見受けられたが、二年ほど前に3000本植えられたようだ。これから紫陽花の名所になっていくのかもしれない。

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本堂は江戸時代を代表する寺院建築の一つだそうだが、そのきざはしに座っていた、ご住職らしいお坊さまが、気さくに声を掛けてくれ、すっかり話しこんでしまって、内部を拝観するのを忘れた(^^;)

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静かな境内に、何度も澄んだウグイスの声が響く。醍醐寺から程近く、奈良街道を横道に入って、坂道と石段を登ればすぐなのだが、本当に山懐にいるような感じだ。夜になるとイノシシがやってくるそうで、タヌキなどは昼間から見ることが出来るとか。

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周りは深い竹林で、太い竹が高く伸びていた。
実は息子に「カブトムシとりたい」とせがまれて、山に行こうとこの辺にやってきたのである(汗)が、ご住職に「カブトムシは7月になってからやな、セミはそろそろ鳴き始めてるけど」と笑われた。
でも、来てよかったと思った。古い彫刻に飾られた本堂のきざはしに座り、森の息吹を吸い、ウグイスの声を聴いただけで十分に値打ちがあった。

2005年06月18日

小説「流れのほとりで」第十六回

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 恩田と美沙子が去って、翌日は寒波が訪れ、京都は薄い雪に覆われた。
 英輔はまた、出町柳で川を見ていた。ふさいだ気持ちを少しは晴らそうと、歩いてやってきたのである。
(ここから仰ぐ比叡山は、故郷飯田の風越山に似ている、と思うのは、自分だけだろうか・・・)
 共に飯田から京都に来た沢井は、故郷を捨てている。言葉も京都弁を使い、京都人になりきろうとしている。だが、英輔にそれは出来ない。
(あいつのやり方は、間違っている。どんなに金を稼いで、京都に人脈を作っても、あいつは京都を好きなわけじゃない。京都に溶け込もうとしているわけではないんだ)
 しかし、省みて自分はどうなのか、という問いが、英輔をさいなむのだ。
 美沙子を見て思い出した、かつて自分が恋した舞妓・・・彼女とは無残に訣別を迎えるしかなかった。その時点で英輔は京都を去っても良かった・・・いや、そうすべきだったかもしれない。
 亀の形の飛び石を、無邪気に跳ねて行く少女たちを眺めながら、英輔は、封印していた記憶を掘り起こす。
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2005年06月16日

京の雪舟寺・芬陀院

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天得院で桔梗を見た後、近くにあるやはり東福寺塔頭の一つ、芬陀院(ふんだいん)を訪ねてみた。かねてから「雪舟寺」と案内が出ていて気になっていたのである。

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元享年間(1321~22)に、時の関白・一条内経が創立し、以来一条家の菩提所となっている・・・とのことで、建物は桃園天皇(在位1747~62)の皇后の御所を一棟下賜され、明治の末に改築したものだそうだ。

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さて、ここが雪舟寺と呼ばれるのは、画家として著名な雪舟が築いたと伝えられる庭園を持つからである。わしは最初、雪舟の絵があるものとばかり思って探し回った(苦笑)
作られたのはかの、応仁の乱の辺りで、長く荒廃していたものを、昭和12年(1937)から重森三玲氏が復元し、更に昭和30年代に白砂などを整備して往年の面影を取り戻したという。
写真右の亀を模した石組みは、夜中に這い回ったので雪舟が背の甲羅に大石を突きたてて動かないようにしたという伝説を持つ。枯山水としては京都最古で、雪舟が作った庭としては近畿で唯一残存、とのこと。

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その枯山水の庭も、閑雅でよろしいのだが、隅っこに建つ茶室が、わしの興味をいたく引いた。

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図南亭(となんてい)といい、茶道愛好家として知られる一条昭良が好んだものだが、宝暦5年(1755)に焼失。それを昭和44年(1969)に再建したそうだ。掲げられている額には、詩仙堂のあるじ、石川丈山の名が刻まれているではないか。

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茶室というものにあまり縁がないので、しっかりと見せていただいた。無駄のない空間に美的洗練が研ぎ澄まされていて、さすがである。

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そして、この茶亭の円窓が、なんとも印象深かった。ここから覗くと、なにやら別世界、異次元を見るような気がするから不思議だ。

知らなかった京都のベールを、またひとつめくることが出来たと嬉しかった。まだまだ京都には、わしの知らない世界が幾重にも待っているんだ・・・

2005年06月14日

桔梗の寺・天得院

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京都市東山区本町の、東福寺の塔頭の一つ、天得院は、桔梗の寺として知られている。
今、その青と白の花が咲きそめて、特別拝観(7月9日まで)を行っているので訪れてみた。

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南北朝時代に開創され、安土桃山時代、ここの住持である文英清韓という僧が、例の方広寺の「国家安康 君臣豊楽」の銘文を作ったために、豊臣家滅亡のいくさを招いたと罪を着せられ、一度この寺は取り壊されたそうだ。
今の建物は天明9年(1789)に再建されたもの。華頭窓がかつての栄華の跡であるかのよう・・・

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枯山水の庭は、決して広くなく、桔梗の可憐さに会わせたような繊細な雰囲気である。
しかし遠景では、桔梗が貧弱に見え、最初は、正直がっかりしたのだ。

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軒に立って眺めても、桔梗の美しさはわからない。花の高さまで視線を落とさなければ。
杉苔のなかに、凛として立つ桔梗が、なんとも清しい。

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出来ることなら庭に降り、はいつくばって写真を撮りたかった(^^;)が、これが限界。

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庭園の門には、桔梗紋が彫りこまれていた。初夏だけでなく、秋にも桔梗は咲くという。

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杉苔と桔梗の取り合わせは、京都のお寺ならでは、だと思う。

ちなみにこのお寺は「東福寺保育園」も運営していて、すぐ隣から賑やかな音楽が響いていた。

piitaさんの「京都あちらこちら」でも同じ日の「天得院の桔梗」が紹介されています。
らくたび 涼さんの「京都の旅『らくたび』コラム」では、桔梗を紋所にした明智光秀や、桔梗名所のお寺が紹介されています。

2005年06月13日

紫陽花の三室戸寺へ

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この季節、あじさいを観に行かないと!と、唐突に嫁さんが言い出し、家族で出かけたのは、宇治市莵道滋賀谷にある、三室戸寺(みむろとじ)でした。

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車で出かけたわしらは、11時頃に着いたのですが、既に駐車場(旧来の参道をよけて恐ろしく回り道をさせられる)は満車状態。あじさい園は、本堂に登る坂道の右手の谷にあって、杉木立の中で鮮烈にして幽玄な別世界を作っています。その紫陽花の数、1万株!しかし今日は、人のほうが多かったのではないだろうか(苦笑)

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咲き始めらしく、どの花も瑞々しかったです。そして、紫陽花ってこんなに青かったのか!と嘆声を挙げずにはいられません。青の次には白い花が多かったです。

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ところどころ、こんな緋色めいた花もあって、いいアクセントになっていました。

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紫陽花に埋もれて堪能したあと、急な石段を登ると、新緑の山をバックに、優美な本堂があり、前庭には、沢山の鉢や水槽が並んで、蓮の葉が鮮やかな緑。蕾も伸びていて、花が咲けばまさに極楽の景色かもしれません。

それにしても、沢山の参拝客・・・というか、花見客の中で疲れてしまい、本堂前の休憩所で休みました。いちおう境内は飲食禁止ですが、休憩所の隣にはなぜか、ハーゲンダッツのアイスクリーム自販機が(^^;)。
あじさい園の中にも、「花の茶屋」があって、茶そばなどもメニューにあります。わしらは、ひやしあめやカキ氷(あじさい氷と銘打ってた)をいただきました。

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昨日の雨のおかげで、紫陽花たちも、カタツムリもご機嫌のようでした。

で、午後1時過ぎに帰ることにし、駐車場を出てびっくり!
駐車場へ入るために待っている車が物凄い列を成しているのです。その反対車線をとばしながら、どこまで行っても終わらない渋滞に、恐怖しました。
「この人たち、お寺の閉門時間に間にあうんやろか?」
「夜間拝観もあるから、大丈夫やとは思うけど」
「バスも立ち往生やね・・・」
「早めに来て、ほんまによかったな!」

あじさい園の公開は7月10日までだそうですが、休日の車の渋滞は恐るべきものとご留意のほどを。

らくたび涼さんの「京都の旅『らくたび』コラム」「厚い雲に覆われた季節」では、京都のアジサイ名所について知ることが出来ます。
松風さんの「京・壺螺暮」でも「三室戸のアジサイ」が詳しく紹介されています。

2005年06月12日

入梅(つゆいり)の木陰に

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近畿地方梅雨(つゆ)入りと宣言された。うちのマンションの生垣の下、こんな生き物を見つけた。
写真のネジの長さが大体2センチくらいか・・・可愛いでしょ?
「紫陽花にカタツムリ」が風物詩ともてはやされるけど、ナメクジだって梅雨空の下、生き生きとしてます。

oom
そのナメゴンのすぐ近くにいたのが、この王蟲だ。(笑)
こいつは、上の写真のネジの半分くらいもありました。正式な和名はダンゴムシ。つかまえるとボールみたいに身体を丸めるやつです。

曇り空でも、雨に打たれても、日々の暮らしをしっかり営んでいこう・・・

☆注 
ナメゴン
  =昔「ウルトラQ」という特撮番組に出てた怪獣
王蟲
  =オームと読む。
   「風の谷のナウシカ」に出てくる巨大節足動物

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