今まで、わが故郷・伊那谷という風に記してきたが、わしの実家の在所は、長野県飯田市である。
市としては長野県で最南部にあり、天竜川の西岸、木曽山脈の東、独立峰・風越山の麓の扇状地にある地方都市だ。
1600年ごろに、京極氏が城下町を整備し、碁盤状の町並みを作り上げたので、街の風情が京都と似ることになり、いつからか「小京都」の名が冠せられることになったようである。
この写真は、飯田最古の道標で、「南は三河(=愛知県)へ、北は善光寺(=長野市)や甲斐(=山梨県)へ、西は木曽へ通じる」ということが記されている。
道標の置かれた辺りは江戸時代の繁華街の中心で、今も土蔵を持つ古い造りの商家が結構見かけられ、城下町の風情がとどめられている。
しかし、わしが故郷を「伊那谷」と書き、飯田と書かないのは、この城下町の雰囲気の中で育ったのではないからだ。
わしの育った頃、実家は下伊那郡鼎(かなえ)町だった。飯田の街並から、松川の流れを挟んですぐ南側に位置する人口1万ばかりの小さな町。わしが京都に来てほどなく、飯田市に吸収合併されたのである。
小京都としての飯田の風情は、わしにとって「憧れのとなりまち」であって、故郷のものではないのだ。
憧れの街という点で、飯田は京都と重なっているといえるかもしれない。
だが、わしが京都に親しみを覚えたのは、飯田の街と似ていたからではない。
その理由は、再開する「流れのほとりで」で記す事になろう。
・・・って、思わせぶりでかっこつけててすみません(^^;)



