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2012年01月15日

スカートをはいた兵隊 (PART 1)

 

スカートをはいた兵隊 (PART 1)







太平洋戦争中のチャンギー捕虜収容所

占領前、チャンギー要塞の中にあった刑務所が、現在は捕虜収容所になっている。
その中で、捕虜どうしの慰安のために、園芸や芝居が行われているという。
進藤に収容所長に連絡して貰い、翌日、小津(安二郎)は厚田と浜田を連れてチャンギーに行った。
「日本側としては見てもらっても結構なのですが、自治組織になっている捕虜の委員たちが、一応お会いしてからご返答するといっています」
少将の階級章をつけた所長はそういうと、案内役もつとめる通訳の大尉を呼んだ。

12畳ほどの部屋に案内されると、ソファーから3人の男たちが立ち上がった。
通訳の紹介によれば、イングランド、スコットランド、オーストラリア各軍の将校だという。
「大尉、皆さんの階級を教えてくれませんか。 失礼があるといけない」
「ジュネーブ協定によって、将校と兵は区別しています。 しかし、この3人は元の階級は持っていても、現在は捕虜です。 階級の区別を知る必要はないでしょう」
小津はやんわりとした物言いで答えた。
いや、それは君の考え方で、こちらの人々には通じないだろう
捕虜は捕虜です
「私は軍人という人間に会いに来たんだ。 捕虜だろうとなんだろうと、軍人を紹介する場合に階級をいわないのは失礼だよ。 そのことを私は最初に遠廻しに言ったはずだよ」
3人は客である小津が立ったままでいるので座れない。
しかも、小津と通訳との間に激しい調子の言葉のやりとりが行われている。 驚いたように、2人の顔を見くらべていた。
「君は今私に敬語で話している。 それはなぜだい」
「あなたは左官待遇の軍属だと聞きました」
「つまり、軍属であっても、軍に関係ある人間である以上、階級を心得てものをいわなければならないと思っているからじゃないかい」
通訳は詰まった。

突然、女のスカートのような軍服を着ていた男が、英語で2人に何か説明しはじめた。
そのしぐさで、小津がこういい、通訳がこう答え、小津がこう反論したといっていることがわかった。
説明された2人が驚きの表情を浮かべて小津を見た。
「小津さん、私はマッコーミック中佐、こちらはハーリントン少佐、それからこちらがタッパー大尉です」
幾分発音に外人特有のアクセントはあったが、完璧に近い日本語だった。
「私は昭和15年まで京都の大学で英語を教えていました。 あなたの映画も見ています。 お会い出来て嬉しいです

赤字はデンマンが強調。
読み易いように改行を加えました。
写真はデンマン・ライブラリーより)




397-398ページ
『絢爛たる影絵-小津安二郎』
著者: 高橋治
2003年3月6日 第1刷発行
発行所: 株式会社 講談社




ケイトー。。。「スカートをはいた兵隊」というのは「キルト」をはいたスコットランドの兵隊さんのこと?



当然そうでしょうね。

「スカート」なんて言ったら、スコットランド兵を侮辱することになるんじゃない?

僕が言ったのじゃありませんよ。 上の本の中に、そう書いてある。

ケイトーは、もちろん「スカート」ではなく「キルト」だと知っていたのでしょう?

もちろんですよ。 カナダにいればキルトをよく見かけますよ。 お祭りと言えば必ずと言っていいほどキルトをはいたスコットランド人が登場してバッグパイプを演奏しますからね。 もう何度も目にしていますよ。 カナダでキルトのことをスカートなんて言う人はまず居ませんよ。


キルト(kilt)

キルトはスコットランドのスカート状の伝統衣装。
通常はタータン柄である。
キルトは英語名で、ゲール語ではフェーリア(Feileadh)と呼ばれる。
もともとはタータンの大きな布を独特の方法で腰に巻き、紐やベルト、ピンで留めていたもので、ハイランドの男性用衣装であった。
元来ハイランド人はゲール語を話したので、単にフェーリアと呼ばれていたが、この古典的なスタイルのキルトは現在フェーリア・モール(Feileadh Mor)またはベルテッド・プラッド(Belted Plaid)、ときにブレアカン・モールと呼ばれている。

18世紀中盤以前のハイランドではキルト=フェーリアを普段から身に着けることは一般的だったが、ハイランド人がみなキルトを着ていたわけではなく、ズボンの類を着用していた記録も少なくない。

1746年、カロデンの戦いの勝利によってジャコバイトの反乱を制圧したものの、反乱の再発を恐れた政府は、ジャコバイト軍の中心となっていたハイランダーの結束を弱めるためにクランの解体を図り、クラン姓の使用やバグパイプの演奏の禁止と共に、キルトやタータンを含む民族衣装の着用を禁止していた。
但し、ジャコバイトの反乱の際政府軍に与するハイランダーによって編成され、反乱の鎮圧にも貢献した第42ハイランド連隊(42nd Highland Regiment)は禁止の対象外とされ、この時代を通して同連隊の制服としてキルトは使用され続けていた。

現在のスコットランドにおいてはハイランド、ローランドを問わず、キルトは催しや祭礼で用いられる民族衣装となっており、最近は女性も身に着けるようになった。
ほとんどの場合はフェーリア・ベックであるが、フェーリア・モールを好んで着る人も見受けられる。
軍隊でのキルトは、ダンケルクの戦いに於いてクィーンズオウン・キャメロン・ハイランダーズ連隊が着用したのを最後に戦場では着られなくなったが、現在でもスコットランドの連隊の正装や礼装及び常装には使用されている。



赤字はデンマンが強調。
読み易いように改行を加えました。
写真はデンマン・ライブラリーより)




出典: 「キルト (衣装)」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




。。。で、どうしてキルトをはいたスコットランド兵を取り上げたの?



本の中に面白いことが書いてあったのですよ。

面白い事ってどういうことよ?

このページの冒頭の箇所に引き続いて次のような会話が出てくるのですよ。


「浜ちゃん、今夜、進藤さんと町に出て、5,6枚パンツを買ってきてくれや」
「え?」
「気がつかなかったのか。 マッコーミックさんソファーに座る時、スカートの下からこのくらいのものが見えたんだよ。 余程、困ってるんだな」
小津は2本の人差し指を立てて、10センチほどの間隔を作ってみせた。
「いえ、優にこのくらいはありましたよ」
全く聞いていないような顔をしていた厚田が20センチほどの長さに指を開いてみせた。

 (中略)

浜田はマッコーミックに小津がそれをどう渡すのかと、興味津々の思い出2人を見まもっていた。
小津はマッコーミックに連れられて、収容所の中を歩いている時を選んだ。
「えーと、……その……マッコーミック中佐、その……気を悪くして頂くと困るのですが、実はですね……さんざ考えたのですが、……どうも、その、……これという、うまい方法がないので……これですが、……受けとって頂けると、本当に有難いと……」
小津は人眼をさけるように、素早く紙包みを鞄から出すとマッコーミックに押し付けた。
「くれるんですか、私に。 なんですか」
マッコーミックは堂々たるものだった。 外人の習慣で、貰ったたものはすぐにあけて見る。
紙包みを破り、中の白い布で作られたものをとり出すと、ぱっと振った。
「おう……」
といったなり、そこに立ち止まってしまった。
見る見る中(うち)に顔が真っ赤に染まってくる。

小津も小津で眼のやり場がないように、その場所に釘づけになったままで顔を真っ赤にしていた。
厚田と浜田は困り果てた。
2人とも、お互いが必死になって笑いをこらえるために体が震えていたのがわかるのだ。
自分もさることながら、相手がそうしていることが、またおかしい。
我慢しきれなくなった浜田がついに吹き出した。
厚田が笑い、当の本人マッコーミックまでが笑い出した。
小津だけがまだ耐えている。
それが、今度は、3人におかしい。
「小津さん……あなた、武士の情け、武士の情け」 そういいながら、マッコーミックが肩を叩いた。
突然、小津が火山が爆発するように笑い声を上げた。



太平洋戦争中のチャンギー捕虜収容所

これには後日譚(ごじつだん)がある。
後年、あの下にはなにもはかないのが正式だと聞かされて、小津は顔色を変え、それは本当なのかと何度も問いただした。
好意でしたことが、マッコーミックを侮辱したことにはなりはしないか、マッコーミックが自分をかばってくれたのではないかということが気になったのだ。

赤字はデンマンが強調。
読み易いように改行を加えました。
写真はデンマン・ライブラリーより)




399-401ページ
『絢爛たる影絵-小津安二郎』
著者: 高橋治
2003年3月6日 第1刷発行
発行所: 株式会社 講談社




うふふふふふ。。。おかしいわねぇ。。。



シルヴィーもおかしいと思う?

それはそうよ。。。うふふふふふ。。。でも、あの下にはなにもはかないのが正式なの?

いや、僕は絶対にそう思いませんよ。 第一、キルトの下に何も穿かないとしたら、クイーンと並んで写真を撮った時に、丸見えになってしまうことだってありますよ。





そうよね。。。クイーンの向かって左に座っている兵隊さんが、もし何も穿いてないのならば、長いものがビローンと垂れ下がって見えてしまうわァ。 うふふふふふ。。。



でしょう!? だから、正式な時には絶対にパンツ穿かなければならないはずですよ。 そうでないとクイーンに対して失礼になりますよ。





だから、ちゃんとこうしてパンツを穿いているのですよ。 (微笑)



そうよねぇ〜。 クイーンが写真を見た時にキルトの中が丸見えになっていたら、やっぱり失礼よね。 うふふふふ。。。で、ケイトーは、このことを言うために「スカートをはいた兵隊」を取り上げたの?

やだなあああァ〜、違いますよ。

。。。で、何が言いたいのよ。

あのねぇ〜、実は、上の場面は大本営の依頼を受けて小津監督が国策映画を作ることになった。 それで日本軍が占領中のシンガポールへ行ったわけです。 英国軍の兵隊を映画の中で使わなければならないので、その役者を探しにチャンギー捕虜収容所に行ったわけです。 そのときのエピソードが上で引用した挿話です。

それで。。。?

僕はバンクーバー図書館でDVDを借りて "The Mystery of Rampo" を観たのですよ。


 


この映画については、すでに2つの記事を書きました。

『拝啓、乱歩先生』

(2011年12月29日)

『スケートリンクと乱歩』

(2011年12月28日)




この映画がどうだと言うの?



この映画の中に日本帝国政府の検閲官が登場して乱歩先生が書いた小説『お勢登場(おせいとうじょう)』を発禁処分にするのですよ。

なぜ。。。?

実は、この小説は『大衆文芸』の1926(大正15)年7月号に掲載された。 でも、映画の中では検閲官が乱歩先生に発禁処分を言い渡す。 その結果、その内容は世間に公開されてないという設定になっている。 それにも拘らず当時の日本で、不倫している妻が病弱な夫を「長持ち」に閉じ込めて殺すという小説と同じ内容の事件が持ち上がる。 その殺人犯である静子という女性が映画のヒロインなのですよ。

映画の中では『お勢登場(おせいとうじょう)』がどういう理由で発禁処分になったの?

要するに妻の夫殺しが当時の日本の風紀を乱すというような理由なのですよ。

でも、そのような内容のミステリーならば欧米の推理小説には数え切れないほどあるじゃない。

その通りですよ。 ところが日本では、愚かとも思える言論統制が真面目に行われたのですよ。 太平洋戦争中に実際に行われた。 その良い例が「竹ヤリ事件」です。


島国根性に凝り固まっていた

帝国政府の政治家と役人は

英語を使うのを禁止した!




知っていますか?
太平洋戦争時代、日本帝国政府は今から考えれば愚劣と言えるほどの言論統制で国民をがんじがらめにしたのです。

その良い例が英語を使うな、という規制です。
野球で英語が使えなかった。
ストライクと言ってはダメなんですね。
じゃあ、何と言ったか?

「当たり」「一本」「良し」とか言ったらしい。
「ボール」も使えない。
「はずれ」とか「ダメ」とか言ったらしい。

愚かと言うより、こうなるともう滑稽ですね。
しかし、戦争当時、みんなが真面目にこう言いながら野球したらしい。
いっそのこと野球も敵性スポーツとして禁止すればよかったと思うのですが、帝国政府の親玉の中に野球の好きな人がいたらしい。

それなら、英語も使わせればよいと思うのに、そうはしなかった。こういうところが片手落ちなんですよね。

アメリカはどうだったか?
すっかり逆でした。

日本人が昔から親しんだ「敵を知り己を知れば百戦危うからず」という『孫子の兵法』の中の有名な格言を忠実に守ったんですね。つまり、戦争に勝つためには日本人を知らなければならない。そのためには日本語を大いに学ばねばならない。と言う事でアメリカ政府は日本語学校を作ってそこで日本語を徹底的に学ばせて、日本人の研究人材を養成したわけです。

『菊と刀』で有名な著者ルース・ベネディクト(Ruth Benedict)さんも政府から依頼を受けて「お国のために」日本人と日本文化の研究をしたんですね。彼女がレポートを提出した時には戦争が終っていた。それで、その研究に基づいて1946(昭和21)年に出版されたのが『菊と刀』です。この本の事を全く知らない人は次のリンクをクリックして僕の書評を読んでみてください。

■ 『「菊と刀」 書評』

現在でも読まれています。すでに90版以上を重ねているはずです。僕は6度程読みましたが、読むたびに新たな感動を受けています。このべネデクトさんは日本で暮らしたことが一度もない人なんですね。もちろん日本へ行ったこともない。そういう人があれだけの研究成果を出したんですから、日本研究がどれだけ進んでいたかが良く分かるんです。アメリカ政府の採った政策は日本帝国政府がやった言論統制と比べると雲泥の差です。

しかし、日本にだって良識を失わない人たちも居たんですね。極めて少なかったですが。。。太平洋戦争下で唯一といってよい言論抵抗事件がありました。このことについて、ちょっと詳しく語ろうと思います。1944(昭和19)年2月23日の『毎日』新聞の竹ヤリ事件というのがこれです。

この記事を書いたのは37歳の新名丈夫記者でした。「竹やりなんかでアメリカに徹底抗戦なんてどうかしている」と言うような趣旨の事を書いてしまったんですね。もちろん、覚悟して書いたんです。うっかりして書いてしまったわけではないんです。

でも、当時の東条英機首相はこれを読んで激怒した。

それで、頭にきたものですから、できれば書いた記者を死刑にしたい。でもいくらなんでもそんな無茶な事は出来ませんから、赤紙で徴兵して南方戦線に送り込もうとしたわけです。当時の常識として、南方戦線に送り込まれれば生きて帰れないということが分かっていました。つまり事実上の「死刑」です。いづれにしても、無茶な事をしたんですね。

当時軍部と帝国政府に真っ向から反対すれば、このような仕打ちが待っていたんです。だから、分かっていた人もおとなしく黙っていた。でも、新名記者はメディア人としての良識を持っていたわけです。アメリカを例に取れば、あのニクソン大統領を退陣に追い込む事になったウォーターゲート事件を暴露したワシントンポスト記者のボブ・ウッドワード(Bob Woodward)のような人だったわけです。

最近、命を懸けて記事を書くような新聞記者が日本にはいなくなりましたね。残念です。

この記事が発表された頃には、もう戦局は悪化していました。問題の記事が発表された前年、1943(昭和18)年には、まず2月、ガダルカナル島で日本軍の撤退が開始されました。これを契機に、米軍は一挙に攻勢に転じたわけです。以後、5月にアッツ玉砕、11月にはマキン・タラワ全滅と戦局は日々悪化していきました。1944年2月17日には「日本の真珠湾」と米軍から呼ばれた作戦の最重要拠点、トラック諸島が米軍の手に落ちてしまいました。

軍部でも、帝国政府でも太平洋戦争の敗北はすでに決定的となったと考える人がでてきました。しかし国民には「勝った、勝った」という虚偽の情報以外は一切知らされていなかったんですね。そのためにも言論は厳しく統制されたわけです。

新名さんは海軍記者となって以来半年間にわたって主力艦隊に乗り組み、戦況を自分の目で確かめていた。戦況が悪くなっていた事も充分に知っていた。陸海軍が対立し、飛行機生産のためのジュラルミン三十万トンの大部分を陸軍が本土決戦用に抑えて出さないという内幕もキャッチしていたほどです。

マーシャル陥落の発表を大本営が20日間もためらって大騒動を演じているのを見た新名記者は決意を固め、一大プレスキャンペーンを社に上申しました。メディア人としての良識です。「日本の破滅が目前に迫っているのに、国民は陸海軍の醜い相克を知りません。今こそわれわれ言論機関が立ち上がるほかはありません」
そのように便せんに書いて、吉岡文六編集局長に上申したのでした。
「よし、何とかして国民に知らせるほかない」と決意した吉岡局長は社外の大物に書かせようと、まず元中国駐劉大使・本多熊太郎氏に交渉しました。しかし、「検閲があっては書けない」と断わられてしまいました。

結局、編集会議の結果、新名さんが指名されました。当時の記事は、もちろん検閲を受けなければならなかったのです。しかし、海軍担当の新名記者が執筆したものは海軍省の検閲だけでよく、各社のキャップの書くものは無検閲でよいという紳士協定になっており、その特典を利用したのです。

「書けば東条から懲罰召集を喰らうかも知れない。社もつぶされるかも知れない。殺されるかも知れない」
新名記者は悲壮な覚悟で執筆したのでした。実際、その通りになってしまい、ハチの巣をつついたような騒ぎとなったのです。新名記者は責任を感じ辞表を提出しました。しかし、吉岡局長は突き返し、逆に金一封の特賞を出したのです。その代わり、3月1日に吉岡局長、加茂勝雄編集次長兼経理部長は責任をとって辞任しました。

しかし、こんなことで東条首相はおさまりません。東条さんは情報局次長村田五郎を呼びつけて「竹ヤリ作戦は陸軍の根本作戦ではないか。毎日を廃刊にしろ」と指示したのです。村田さんは答えました。「廃刊するのはわけありません。紙の配給を止めれば、毎日は明日から出ません。ただし、よくお考えになってはいかがですか。毎日と朝日は、いまの日本の世論を代表しています。その新聞の一つがあのくらいの記事を書いた程度で、廃刊ということになりますと、世間の物議をかもす、ひいては外国から笑われることになるでしょう」

東条首相も馬鹿ではありませんから、この説得が効いたのでしょう。廃刊は引っ込めました。しかし、陸軍からの新名さんへの執拗な処罰要求が出されたのです。そういうわけで、新名記者に対して陸軍から懲罰召集が強行されたわけです。

極度の近視ですでに徴兵検査で兵役免除になっていた37歳の新名さんへの再度の徴兵でした。海軍省は「新名は報道班員としてパラオ派遣が決定しているので、召集を延期されたい」と陸軍省に申し入れたのです。陸軍省はこれを突っぱねました。しかし、海軍も負けてはいられないと大運動を展開して、なんとか召集を解除させたのです。

ところが、陸軍中央から絶対に還すなという厳命がきており再度召集があり、丸亀連隊へ一人だけの中年二等兵の入隊になったのです。これはもう、海軍と陸軍の対立というところまでエスカレートしてしまったわけです。

これに対して海軍が再び抗議しました。「なぜ、中年二等兵が一人だけ入隊するのか?」
陸軍も黙っては居ません。何とかしようという事で、新名さんと同じく大正生まれの兵役免除者二百五十人を召集したのです。つじつまを合わせたわけですね。「新名記者憎し」の陸軍の執念はすごかった。

さらに、陸軍中央は新名さんを最激戦地の沖縄、硫黄島方面の部隊へ転属させろと厳命してきたのです。やることが汚いです。生きて帰さぬ方針を取ったわけです。こうなると、もう、無茶苦茶ですね。

しかし、陸軍の思い通りには行きませんでした。三ヵ月がたち、結局新名さんは他の戦友と除隊になりました。丸亀連隊報道部の香川進大将は 「この召集は東条大将の厳命だったんだよ。新名は絶対に還すな、重労働を課せとね。海軍や軍令部からもなんども人がきた。われわれは自分らの正しいと思う判断で君を扱った。善通寺師団司令部でも見て見ぬふりをしてくれた」と除隊の真相を説明したのです。

海軍は直ちに新名さんを報道班員としてフィリピンへ送り、陸軍の再召集を防いだのでした。新名記者がフィリピンに出発した直後、新名さんの“とばっちり”を喰らって再召集された丸亀連隊の中年二等兵たち二百五十人は硫黄島に送られ、全員玉砕してしまったのです。全くこれでは、この二百五十人の人たちの魂は泣き切れないでしょうね。ひどいものです。

言論統制から、人の命までが軽々しく一部の人間の思うように処分されてゆく。死ななくても良い人たちまでが、とばっちりを受けて250人もが硫黄島のチリとなって消えてしまう。もし、あなたがこの250人の中に選ばれたとしたらどう思いますか?

ええっ?現在、そんな馬鹿げた事は起こらない?
そうでしょうか?
太平洋戦争が終って戦争放棄を謳(うた)った憲法が出来た時、いったい誰が自衛隊が出来ると考えたでしょうか?
その自衛隊が、イラクに派遣されると誰が考えたでしょうか?

ええっ?でも徴兵なんて日本には絶対にないから、戦争で死ぬ事はない?
そうでしょうか?
あなたと私が声を大きくして、表現の自由と言論の自由のもとで戦争反対を訴えない限り、
一体、誰が徴兵の無い時代を保障しますか?

これまで読んできて、表現の自由と言論の自由の大切さが分からないとしたら、あなたも、あの250人の中に選ばれて硫黄島へ送られるということが、また起こるかもしれないですよ。
そう思いませんか?
ええっ?あなたは女だから心配ない?

しかし、アメリカを見てくださいよ。
アメリカ女性兵士がイラクで救出されたことがありましたよね。あなただって知っているでしょう?
日本はアメリカの真似をしますからね、志願だけではなく女性だって徴兵される時代が来るかもしれませんよ。現在の日本の自衛隊にも男性と同様に実戦訓練を受けている女性自衛官が結構たくさん居るんですよ。

ええっ?もう兵隊にとられるような年齢じゃない?
あなたの子供の事、あなたの孫の事を考えてくださいよ!
表現の自由、言論の自由のもとで、平和な国にしようと主張しましょうね。
とにかく、表現の自由、言論の自由を守りましょうね。




『少しでも日本を良くしたいと思いませんか?』より
(2005年7月3日)




確かに太平洋戦争中に行われた上のような言論統制はムチャよねぇ。 人間無視の言論統制じゃないの。



その通りですよ。 「スカートをはいた兵隊」の挿話は、ちょうどこの時期にシンガポールのチャンギー捕虜収容所でのエピソードなのですよ。

人間的にぬくもりのある交流がなされていたとケイトーは言いたいの?

その通りです。 そればかりではない。 次のようなエピソードも上の挿話に引き続いて書いてある。


 (すぐ下のページへ続く)



2011年11月29日

熟女ヌードとデンマン

 
熟女ヌードとデンマン
 
 

 


ケイトー。。。最近、記事に悩殺的な女性の写真を貼り付けるわね?



ん。。。? 悩殺的。。。?

そうよ。。。上の写真は、まさに悩殺的というのにぴったりな写真じゃない。

女性の目から見ても上のレンゲさんの写真が“悩殺的”に見えるの?

そうよ。。。性的魅力で男心を夢中にさせてしまうようなポーズじゃない。

シルヴィーもそう思う?

だってぇ、そうじゃない。。。それよりも、どうしてまた刺激的なタイトルをつけたの? 先日も「40代女性のヌード」という刺激的な記事を書いたじゃない!?



『40代女性のヌード』

(2011年11月17日)




あのjねぇ、最近は高齢化社会になってぇ、40代、50代はまだまだ若いと見直されてきたのだなァ〜、とつくづく思いながら記事を書いたのですよ。



その事と「熟女ヌード」と関係があるの?

もちろんですよ。。。40代50代の女性と言えば「熟女」ですよ。

でも、高齢化社会になりつつあるのだから、「熟女」は40代、50代から60代、70代に移りつつあるのじゃないの?

シルヴィーもそう思う? 実は、僕もそう思って、もしかしたら「熟女ヌード」で画像検索すると60代、70代の女性が登場するのではないかと思ったのですよ。

それで、ケイトーは画像検索してみたの?

そうなのですよ。。。その結果を見てください。



『現時点での画像検索結果』



60代、70代の女性は登場していないじゃない! でも、どうして “デンマン” を付け足して検索したのよ?



もちろん、最初に検索した時には「熟女ヌード」だけを入れて検索したのですうよ。 でもねぇ、やっぱり60代、70代の女性は登場していなかった。 高齢化の進んだ現在でも、“熟女”というのは40代、50代の女性どまりのようですよ。

高齢化の進んだ現在の社会で 60代、70代が熟女じゃないのは、ちょっと可笑しいわね?

あと20年ぐらいすれば寿命がさらに延びて 60代、70代の女性も“熟女”と呼ばれるようになるかもしれませんよ。 (微笑) とにかく、僕の見た限りでは「熟女ヌード」の検索結果に 60代、70代の女性は登場しなかった。 それで、試しに僕のハンドル名を付け足して検索してみたら、どのような画像が表示されるかと思って、上のようにハンドル名を付け足して検索したわけですよ。

私が出ていないので安心したわ。

いや。。。そのうち検索すればシルヴィーも登場するかもしれませんよ。 うへへへへへ。。。

。。。で、上の結果から何が分かったの?

僕は、かつて「熟女ヌード」をテーマに記事を書いたことがあるだろうか? 。。。ふとそう思ったのですよ。

書いたことがあるの?

だから、それを調べるために「熟女ヌード デンマン」と入れてウェブ検索してみたのですよ。 その結果を見てください。



『現時点でのウェブ検索結果』



あらっ。。。ちゃんと書いているじゃないの!



でも、僕は「熟女ヌード」をテーマに記事を書いた覚えがないのですよ。

でも、上の結果の中に、ちゃんと記事のタイトルが表示されてるじゃない!?

そうなのですよ。 次の2つの記事が間違いなく表示されている。




『不倫とヌード (2006年9月6日)』

『不倫とヌード再訪(2006年9月17日)』




5年枚に書いた記事だからケイトーは忘れてしまったのよ。



「熟女ヌード」をテーマに書いたのならば忘れるはずがないのだけれど。。。

でも、ケイとーは全く思い出せなかったのでしょう?

とにかく、僕は上の2つの記事をじっくりと読み返してみましたよ。 でもねぇ、「熟女ヌード」は出てこない。

マジで。。。?

もちろん、ウソやデマカセではありません。 検索の仕方がまずかったのですよ。 もし「熟女ヌード」を扱った記事を探すのであれば次のようにして検索すべきだったのですよ。 その検索結果を見てください。



『現時点でのウェブ検索結果』



なるほど、熟女ヌードを半角のクオーテーションマークで囲むのね。



そうです。 そうすれば上の検索結果の中に表示されたように熟女ヌードが「熟女」と「ヌード」に分かられて検索されるのでなく、2つまとまった形で“熟女ヌード”として検索されるのですよ。

それで次の記事の中では熟女ヌードが実際に表示されるの?

『グーグル現象にビックリ』

(2008年4月29日)


まず上の記事の中の次の面白い文章を読んでみてください。


性と尻



ヒトの尻は、大きな筋肉があることにより自ずと盛り上がりを見せるものである。
それ以外にも、座位の際に関節や神経等を保護するクッションとなり、体重による苦痛を感じないよう脂肪が多く付いている。
特に女性は、出産に備えた骨盤の形状および位置の関係で、尻の後方が突き出すようになっていて盛り上がりが顕著であるため、乳房と並ぶ重要な身体的魅力(セックスアピール)を発揮する部位となっている。

メスにおいては、四足歩行体形をとった際に尻の中央に外性器を示す。
また、尻が赤く腫れ上がる(皮下の血管が透けて見える)ことがある。
これは交尾の準備ができたことをアピールする、すなわちオスをひきつける効果を外性器とともに担っていると考えられている。



もともとメスのセックスアピールを発揮するのは、外性器とその周辺の尻の役目であったが、ヒトは直立して生活するようになり、尻および外性器がオス(男性)の目に付きにくくなった。
そのため、尻の代替として2つの乳房のふくらみがよく発達したとの考えもある。
これは他の哺乳類においては、ヒトほど盛り上がった乳房を持つものがない。



また、乳房の膨らみは授乳機能には直接の関係がないことを説明するものである。
しかしながら、これは証明されたものではない。



ゲラダヒヒのメス

(female gelada baboon)


ただし、ゲラダヒヒという猿のメスは、胸が性器周辺を模したと考えられるつくりになっている。
ゲラダヒヒは座って過ごすことが多く、尻および尻の中央にある外性器を見せることが少ないため、その代わりとして胸に身体的自己擬態としての外性器のコピーを持ったと考えられる。
このコピーは本物の外性器と同様、いわゆる「さかり」がついたときに色が変化し、オスにそれをアピールする。

このようなことから、ヒトであっても女性の胸が尻のコピーであるということは充分に考えられることではある。
ヒトの場合、女性器のコピーは唇として発達したとの考えもある。
これも乳房同様、他の動物には見られないことなどが理由となっている。
少なくとも文化的にはそう考えられることが多い。




出典:
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

『グーグル現象にビックリ』より
(2008年4月29日)




つまり、上の記事の中のレンゲさんの写真が熟女ヌードだと言うの?



いや、違いますよ。 残念ながら熟女ヌードの写真はないのですよ。

それなのに、どうして「高齢熟女ヌード」が記事の中に現れるの?

あのねぇ、記事の中で検索キーワードをしらべているのですよ。 そのリストの中に次のように「高齢熟女ヌード」が登場するのです。





要するに、「高齢熟女ヌード」を見たさに検索エンジンで検索して僕のブログにやって来たのですよ。 でもねぇ、半角クオーテンションマークで囲まずに検索したものだから、「高齢」と「熟女」と「ヌード」が離れ離れで検索されたのですよ。 そsれで、見たいと思った「高齢熟女ヌード」が登場しない記事に誘導されてしまった。



つまり、ケイトーの記事の中には「高齢熟女ヌード」の写真はないのね?

もちろんですよ。 僕は60代、70代の「高齢熟女ヌード」に興味がないのだから。。。苦笑。。。


【卑弥子の独り言】



ですってぇ~。。。
「高齢熟女ヌード」なんて趣味が悪うござ〜♪〜ますわ。
あなただってぇ、そう思うでしょう?



京都は盆地なので夏は茹(う)だるような暑さだったのですわ。
冷し中華が食べたいと思っていら、
いつの間にか紅葉の季節になってしまいましたわ。
あたくしは久しぶりに京都の法然院を訪ねてみました。







紅葉が見ごろでござ〜♪〜ましたわ。
あなたもお近くの森に紅葉狩りに出向いてはいかがですか?
ところで、シルヴィーさんのことをもっと知りたかったら次の記事を読んでくださいね。



『シルヴィー物語(2011年4月27日)』

『波乱の半生(2011年4月29日)』

『シルヴィーとネット革命(2011年5月6日)』

『シルヴィーとデヴィ夫人(2011年5月30日)』

『シルヴィーとケネディ夫人(2011年6月15日)』

『バンクーバー暴動と平和(2011年6月25日)』

『ビルマからの手紙(2011年7月3日)』

『ブッシュの戦争(2011年7月7日)』

『国際的愚か者(2011年7月11日)』

『あばたもえくぼ(2011年7月14日)』

『あなたも国際市民(2011年7月18日)』

『リビエラ夫人のハンバーグ(2011年7月22日)』

『芸術とブルックリン(2011年7月26日)』

『思い出のパリ(2011年7月30日)』

『海外志向とおばさんパンツ(2011年8月5日)』

『地球の平和(2011年8月9日)』

『愚かな写真狩り(2011年8月13日)』

『死の写真狩り(2011年8月17日)』

『キモい写真狩り(2011年8月21日)』

『生パンツと床上手(2011年8月25日)』

『ヌードと写真狩り(2011年8月29日)』

『あなたの平和と幸福(2011年9月2日)』

『あなたの平和な日々(2011年9月7日)』

『奈良の鹿と憲法9条(2011年9月11日)』

『文は人なり(2011年9月15日)』

『キモい戦争(2011年9月19日)』

『バカの歴史(2011年9月23日)』

『ムカつく検査(2011年11月1日)』

『アッシジからの平和(2011年11月5日)』

『中国からの怪電話(2011年11月9日)』

『気になる英単語(2011年11月18日)』

『戦争を知らないの?(2011年11月23日)』


とにかく次回も面白くなりそうですわ。
あなたも読みに戻ってきてくださいまし。
じゃあ、また。。。






ィ〜ハァ〜♪〜!

メチャ面白い、

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『パール判事とゴーマン(2011年3月18日)』

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こんにちは。ジューンです。

第41代および第43代米国大統領を生み出した

ブッシュ家は、軍産複合体を生業としてきました。

第43代米大統領の曽祖父のサミュエル・ブッシュは

オハイオ州で兵器を製造していた

バッキー・スティール・キャスティング社を

経営していました。
 
 

 
東京大空襲で焼け野原になった江東区
 
 
祖父のプレスコット・ブッシュは東京大空襲で

大量に使用された焼夷弾である

集束焼夷弾E46の製造を

行なっていたドレッサー・インダストリーズ社に

関与していたのです。

第41代ブッシュ大統領は

このド社の石油部門で働いていたのです。

その後、第41代ブッシュ大統領はCIA長官、

副大統領、大統領時代において、

海外との兵器貿易を押し進めており、

副大統領時代には

イラン・コントラ事件が起きています。

この事実だけを見ても、

「軍産複合体」の動きが見えてきますよね。

では、ここで面白いジョークをひとつ。


その大統領は誰?

アメリカのある高官が、イラク戦争についてのラジオ番組に出演した際に、こう語った。

「大量破壊兵器を使用した歴史を持つ恐怖の独裁国家は、国際社会から排除しなければならない。 あの強欲で無能な大統領を拘束することに成功した今、全世界はより安全で幸せになった」

番組終了後、ラジオ局には次のような問い合わせが殺到した。



「いつブッシュが捕まったんだ!?」




『バカの固定観念』より
(2011年5月26日)




ところで、卑弥子さんにもちょっと信じがたいような

恋物語がありますわ。

関心があったらぜひ次のリンクをクリックして

じっくりと読んでみてくださいね。

『平助さんが卑弥子さんに

恋をしたのがウンのつき』


では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。





2011年10月20日

横浜夫人


 
 
横浜夫人
 
 







Subj:小百合さん、こんちわ!

栃木の田舎に住んでいても

小百合さんは確かに

「軽井沢タリアセン夫人」

なのですよ。

きゃはははは。。。




From: denman@infoseek.jp
To: sayuri@hotmail.com
Cc: barclay1720@aol.com
Date: 2011年10月20日
(木曜日)午後0時33分


9月30日の金曜日、NHKの午前8時15分からの「あさいち」で、最近、キッシュが日本で流行っているというようなことを言っていたけれど、ガストにもマクドでもキッシュは置いてなかったよ。
たぶん横浜だとか東京都内のことなんじゃないか!?

昨日(10月19日)ケーヨーD2吹上店の反対側のショッピングモールの中でTullY'Sに立ち寄って小百合さんとコーヒーを飲んだけれど、その店にもキッシュは置いてなかった。



同じショッピングモールのケーキ屋さんにも置いてなかった。
県道ルート66のCocosにも置いてない。
店の人が「キッシュってなんですか?」と聞き返したのには驚いた。



キッシュを知っている人は日本ではまだ少ないんだよね。
しかし「あさいち」を見ていたら日本全国にキッシュが流行っているような印象を受けたのですよ。

ところで昨日の「あさいち」では「セックスレス」の話題でのトークが終わったあとに“ナスのカレー煮”を作って見せていたけれど、調味料に“ガラムマサラ”を使っていた。
“ガラムマサラ”と言えば、去年、小百合さんがバンクーバーのお店で買ってきて欲しいと言っていたものじゃん。


ガラムマサラ

(garam masala)




主にインド料理で使われる混合香辛料の一種である。
マサラと呼ばれる混合香辛料は他にも多種あるが、そのうちで最も代表的なものと言える。

「辛いスパイス」として紹介されることがあるが、本来の意味ではない。
ヒンディー語の "garam" には「暑い」「熱い」という意味はあるが「辛い」という意味はない。
英語訳したときに「熱い」と「辛い」の両方の意味がある英単語"hot" から転じた誤訳であるようだ。
実際にガラムマサラは、料理に辛味よりも香りをつけることを目的に使われる。

熱い香辛料と呼ばれる由来は、作る過程で熱を加えるためである。
インドでは、それぞれの家庭で独自の配合で作られていることから、日本でいうところの『おふくろの味』といったイメージがある」とのこと。

製法

ガラムマサラの材料基本材料は次の3種。

シナモン(肉桂、桂皮)
クローブ(丁字)
ナツメグ(肉荳蒄)
これらのほかにカルダモン、胡椒、クミン、ベイリーフなどが加わることもあれば、ナツメグがメースに替わるなど様々な組み合わせがある。
特に決まったレシピは無く、地域や家庭ごとに配合は異なる。

上記のスパイスを粒や塊のままフライパンなどで空煎りし、砕いて粉にすれば完成する。
香りが命であるため出来立てを使うのが最良だが、瓶などで密閉しておけば数カ月程度はもつ。
市販のものも風味が消えないうちに早目に使いきるべきである。
一方、「ホール・ガラムマサラ」といい、スパイスを砕かずに使う方法もある。
粉末のガラムマサラよりも保存が利くほか、フレッシュな香りが楽しめるという。

使用法

料理に使う場合、香りを逃がさないよう注意する必要がある。
煮込む料理なら火を止める直前に加えて、ダマにならないよう全体を混ぜる。
盛りつけるまでは鍋に蓋をしておければなお良い。
暖め直す場合も、その都度少量を加えるのが良いだろう。
炒める場合も同様だが、オーブンや直火で焼く料理はこの限りではない。
市販のカレールーで作ったカレーでも仕上げ直前に加えると風味が増す。




出典:
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

『アイリッシュ・コーヒーの豆』に掲載。
(2010年9月27日)


栃木の田舎に住んでいても小百合さんは確かに「軽井沢タリアセン夫人」なのですよ。
「キッシュ」を食べ「ガラムマサラ」を料理に使っている人が日本人1億3千万人のうちに一体何人居るだろうか?
調べてみたら面白いだろうね。
きゃはははは。。。



「キッシュ」を食べ「ガラムマサラ」を料理に使っている人が“上流夫人”だと決め付けるつもりはないけれど、“グローバル化夫人”と言うことはできるのではないか?
小百合さんもアンテナをオツムから海外に向けて広げているんだよね。
栃木の田舎に住んでいる女性としては“上流夫人”だと思いますよ。
このような事をブログで公開すると“上流夫人”は差別語だ!とムカつく人が居るかもしれない。

だから、「軽井沢タリアセン夫人」とは“グローバル化した夫人”と言った方がいいのかもしれない。(微笑)

Family Bookに立ち寄って小百合さんが東野圭吾の“横浜なんとか”と言うタイトルの本を買ったのは、ちょっと意外なことでした。
“忙しくてデンマンさんのブログや本を読む暇もない”と言っていた小百合さんが“横浜”がタイトルに入っているので読みたくなったと。。。
僕は作家の名前を宣伝広告か何かで見た覚えがあるけれど、今まで一度も彼の作品を読んだことがないのですよ。



小百合さんから話を聞いてちょっとばかり興味を持ってテレビ番組表を見たら6チャンネルのTBSテレビで午後4時から『白夜行』の第8話を放映していましたよ。
偶然と言えば偶然でした。
見てしまいました。
でも、つまらなかった。
役者が下手すぎた。(苦笑)

多分、演出家が未熟なのかもしれない。
原作が面白くなかったら駄目だけれど、結構有名な作品らしいじゃないの!?

見応えのある役者が一人も出てなかった。
名前を知っているのは金八先生を演じる武田鉄矢だけだったけれど、あの役はミスキャーストじゃないの!?
武田鉄矢を出演させる理由がないような役だよね。

とにかく、第8話に関する限り全く興味がもてないストーリーでした。
あのようなストーリでは原作を読む気にもなれない。

小百合さんは『白夜行』を読んだことがある?
ぜひ感想を聞かせて欲しいよ。(微笑)

「さきたま古墳公園」では、近くの大衆食堂で小百合さんは、ご当地「さきたまラーメン」。



僕は焼きそばの大盛りを食べました。
それにゼリーフライを一つづつ。
帰りに坂本で小百合さんが買ったお土産のゼリーフライ。



その一つを僕に食べさせてくれたけれど、これまで僕が食べた内で、子供の頃に食べた「銭(ぜに)フライ」に一番近いのは坂本のゼリーフライですよ。
でも、もっとオカラが多かったと思う。



また近いうちに会いましょう。
今度は、うな重でも食べましょうか?
じゃあね。






デンマンさん。。。TBSテレビで見た『白夜行』の第8話は、それほどつまらなかったのですか?



役者の演技がへたくそで学芸会を見ているような気持ちがしましたよ。 時間を無駄にしたとマジで感じました。

それは、ちょっと言い過ぎではありませんか?

。。。で、小百合さんは『白夜行』の原作を読んだことがあるのですか?

いいえ。。。

でも、東野 圭吾が書いた作品に関心があるのですか?

ええ。。。結構有名ですわ。 デンマンさんはご存じなかったのですか?

名前ぐらいは週刊誌の宣伝広告かなんかで見た覚えがありますよ。 小百合さんが関心があると言ったので僕はウィキペディアで調べてみました。


東野 圭吾(ひがしの けいご)

1958年大阪市生野区に生まれる。
当時の街が1999年に刊行された『白夜行』の舞台となっているなど、作品には自身の体験が幅広く取り入れられている。
また、東野という名字は、最初は『とうの』と読んでいたが、東野圭吾の父親が、『ひがしの』と読み方を変えたらしい。
以来その地で育ち、大阪市立小路小学校、大阪市立東生野中学校に進学。
この頃の体験などを綴った自身の随筆『あの頃僕らはアホでした』などによると、成績は「オール3」であり、また読書少年でもなかった。

その後大阪府立阪南高等学校に入学し2年生になった1974年、偶然手に取った小峰元『アルキメデスは手を汚さない』を読み、推理小説に初めて嵌る。
同時に江戸川乱歩賞の存在を知り、さらに松本清張の著作を読み漁るようになり、やがて推理小説を書き始める。

卒業後は一年間の浪人を経て、大阪府立大学工学部電気工学科に進学。
大学在学中はアーチェリー部の主将を務め、デビュー作『放課後』でもアーチェリーが題材となっている。

その後1981年に日本電装株式会社(現デンソー)に技術者として入社。
勤務の傍ら推理小説を書き、1983年に『人形たちの家』を第29回乱歩賞に応募する。
結果は二次予選通過であった。
この頃結婚するが、当時の夫人の職業が女子高の非常勤教師であったため、『放課後』の主人公、前島を女子高勤務にすることを思い付く。
1984年の第30回乱歩賞では、『魔球』が最終候補作にまで残るも落選。
翌年1985年に『放課後』で第31回江戸川乱歩賞を受賞し、小説家としてのキャリアをスタートさせる。
1986年には退職し、3月に上京。以後は、専業作家としての道を歩むこととなる。

なかなかヒットに恵まれず、また文学賞も15回も落選するなど、厳しい時代が続いたが、1996年に『名探偵の掟』で『このミステリーがすごい!1997』の3位になるなど、にわかに注目を集め、1998年に『秘密』を刊行すると、一気に大ブレイク。
同書は映画・ドラマ化されたほか、第52回日本推理作家協会賞(長編部門)を受賞する。
以後2006年『容疑者Xの献身』で第134回直木賞、第6回本格ミステリ大賞(小説部門)を受賞するなど着実に評価を高めてゆく一方で、作家版の長者番付でも上位に顔を出すようになるなど、人気作家の仲間入りを果たした。

作風

初期の作風は、学園物・本格推理・サスペンス・パロディ・エンターテイメントなど多彩。
エンジニア出身であるためか、原子力発電や脳移植などの科学を扱った作品も多い。
その一方でスポーツにも関心があり、大学時代には部の主将を務めていたアーチェリーや中学時代にやっていた剣道、野球、スキージャンプ、スノーボード等を題材にした作品もある。

『秘密』がベストセラーになる前は、レベルの高い佳作を数多く執筆しながらも爆発的な話題作には恵まれず、特定のセールスポイントを打ちだすこともなかったため、一般的には地味な存在であった。
ただし、ひそかな愛読者は少なくなく、子供時代の東野を熱中させたウルトラシリーズを手がけた一人でもある映画監督の実相寺昭雄は、1993年にパソコン誌の連載エッセイで、私にとって大切な作家と言い切っている。

1986年の『白馬山荘殺人事件』では「密室だとか暗号だとかの、いわゆる古典的な小道具が大好きで、たとえ時代遅れだといわれようとも、こだわり続けたい」と語り、本格推理小説の「お約束事」を好む発言をしていた。
ところがその4年後には『名探偵の掟』のプロローグとエピローグに当たる『脇役の憂鬱』を発表。
そのような「お約束事」に疑問を抱くようになる。

1990年の『宿命』で「犯人は誰か、どういうトリックかといった手品を駆使したそういう謎もいいが、もっと別のタイプの意外性も想像したい」と語り、2人に課せられた宿命という意外性を読者に示した。
それ以降東野の推理小説は『どちらかが彼女を殺した』『私が彼を殺した』などのフーダニットを重視した作品や、『探偵ガリレオ』『予知夢』などのハウダニットを重視した作品などスタイルを大きく転換することとなり、ミステリーの枠を広げる試みを続けている。
近年は、社会性に重きをおいた作品が多い。

赤字はデンマンが強調




出典:
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




推理小説作家なんですよね。 僕は推理小説はあまり好きではないのですよ。



でも、デンマンさんは江戸川乱歩の作品を絶賛していたではありませんか!

うん。。。でも、実を言うと僕は江戸川乱歩の推理小説はほとんど読んでないのですよ。

でも、ブログで何度も乱歩のことを書いていたではありませんか!

うん、うん。うん。。。確かに書いてましたよ。




めれちゃんが気持ちを新たに頑張ると書いていたので、
わても、めれちゃんのために頑張って記事を書きましたでぇ〜

4月26日の記事やぁ〜
題して『ズロースから(江戸川)乱歩』ですう。

『ズロースから乱歩』

(2009年4月26日)


うしししし。。。
決してシモいばかりの記事やないんやでぇ〜
ごっつう読み応えがありますがなぁ〜
誰も褒めてくれんから、自画自賛ですう。

小百合さんのメールを読んだら
“RANPO”という江戸川乱歩の映画ができたようやな?
また、調べて記事を書くつもりやがなぁ。。。
めれちゃんも、多分、観に行くやろうと思うでぇ〜。

ところで、江戸川乱歩の事やがなぁ〜
最近、日本で江戸川乱歩の事が見直されているのかいな?

しかし、考えてみれば、めれちゃんはレンゲさんと同様に小学生の頃から江戸川乱歩の世界に魅せられていたのやな。



江戸川乱歩(左)と三島由紀夫

レンゲさんは次のように書いてたでぇ〜


「エログロナンセンス」の時代特有の、

妖しげな表現に魅せられました。


2007-04-13 13:53



デンマンさん
わたしの言う「エロい」は、
やはり少々お下品だったかな?
この表現って、
わたしにとっては「ギャグ」に近いんですよ
わたしは関西人のなかでも特に?
ウケをねらう傾向が強すぎるものでして、
必要以上に自分をコミカルにデフォルメするという、わるーい癖があるんですよね

で、回答へとまいりますね。。。

江戸川乱歩全集に関してですが、
とにかく横尾氏のイラストが、
エロチックだったのです。
幼いころから、女性の肉体の美しさに
強烈に魅了されていたわたしは、
偉大な画家たちの描く裸婦や、
女性のヌード写真を見て
「わたしも早くこんな風にキレイになりたいなあ!」
と、成熟へのあこがれを強く感じていました。

乱歩の作品自体については、
「エログロナンセンス」の時代特有の、
妖しげな表現に魅せられました。



「人間椅子」での、愛する女性のソファに、
自ら入り込み、悦楽にひたる男の異常な愛などは、
「家畜人ヤプー」に通じるものがあり、
それはむしろ、純粋なものすら感じました。

そういえば…
乱歩の時代のことが知りたくて、
おばあちゃんに
(今は亡き愛するおばあちゃんです!)
「見世物小屋行ったことある?」
「衛生博覧会って、どんなんやった?」
などと、聞きまくっていたものです


「チャタレイ夫人の恋人」ですが…
ぶっちゃけエロい箇所の拾い読み、
というのが事実です!
だってねえ…あの小説の大半は、
ロレンスの思想の
展開だと思いませんか?

小学生のわたしに、そんなものを理解できるような
知性も理解力もなかったっす…
で、大人になってから読み返したのですが、
森の番人の野卑でありながらも、
深い洞察力に満ちた性格に、
恋愛感情にも似た気持ちを感じました。
おまけに、セックスは上手ですしね(キャー!)

女性が自らの性欲を恥じる必要など
ないということを、
わたしは少女時代に、
あの小説によって知ったのかもしれませんね。

フロイトも、ヒステリーの原因は、
性的欲求不満であると、言ってましたよね?
セックスとは、
愛を基盤とした自由なものであるべきだと、
わたしはずーっと信じてます!

by レンゲ




『おばさんパンツ (2007年10月6日)』より


めれちゃんもレンゲさんも「先見の明」があるのやろな!?
わては、改めてめれちゃんの聡明なところを敬愛していますのやがなぁ〜

\(*^_^*)/ うしししし。。。

つまり、乱歩の世界というのは
「ゴスロリの世界」。。。
突き詰めて言えば「ゴシックの世界」やないかいな!
わては、そう思っているでぇ〜
めれちゃんは、どう思う?

記事の中にも引用したけれど、

ゴシックな要素とは。。。?


色ならば黒。時間なら夜か夕暮れ。
場所は文字通りゴシック建築の中か、
それに準ずるような荒涼感と薄暗さをもつ
廃墟や古い建築物のあるところ。
現代より過去。ヨーロッパの中世。古めかしい装い。
温かみより冷たさ。
怪物・異形・異端・悪・苦痛・死の表現。
損なわれたものや損なわれた身体。
身体の改変・変容。


物語として描かれる場合には暴力と惨劇。
怪奇と恐怖。猟奇的なもの。頽廃的なもの。
あるいは一転して無垢なものへの憧憬。
その表現としての人形。少女趣味。様式美の尊重。
両性具有、天使、悪魔など、西洋由来の神秘的イメージ。
驚異。崇高さへの傾倒。終末観。
装飾的・儀式的・呪術的なしぐさや振る舞い。
夢と幻想への耽溺。別世界への夢想。
アンチ・キリスト。アンチ・ヒューマン。
こうした要素を内包していなければ
ゴシック・アンド・ロリータとは呼ばないそうです。




『ズロースから乱歩 (2009年4月26日)』より


これって、まさに乱歩の世界と共通するものがあるでぇ〜
めれちゃんがハマリそうな世界やなぁ〜!?


ゴシック・アンド・ロリータは、少女の夢やそこに潜む心の闇、自己表現するファッションともいわれているが、ロココ調の装いに暗い死の影が浸透しており、それゆえに可憐さが際立っているようなスタイルである、という意見もある。

しかし、奥底に流れる社会に対する冷ややかな眼差しを感じ取らせてしまうため一般の人々に嫌悪されやすい、という指摘もあり、ゴシック・アンド・ロリータのように感情を全身にまとい町を歩く者を受け入れることができないのだろうとも言われている。




『ズロースから乱歩 (2009年4月26日)』より


うん、うん、うん。。。
なんとなく、表現者・めれちゃんの事を言っているような気がするなぁ〜

\(^Д^)/ きゃはははは。。。

。。。んで、どうして、わてがこのコメントを書く気になったのか??



かぼちゃパンツが、やっぱり「ゴスロリの世界」を象徴しているような気がしてきたのやがなぁ〜

写真にハマッている表現者・めれちゃんが
「ゴスロリの象徴」である、かぼちゃパンツを見直さないわけがない!!!

そのうち、かぼちゃパンツを穿いためれちゃんが『即興の詩』のページを飾るだろうと信じているのや!

\(^_^)/ キャハハハ。。。

「気持ちを新たに!」と言うめれちゃん。。。
かぼちゃパンツを穿いて登場するめれちゃんが
「乱歩の世界」、「ゴスロリの世界」を踏み越えて
「めれんげの世界」を詩と短歌と写真で、
どのように創生するのだろうか?!

今から、期待しているでぇ〜

『即興の詩』が、これからもトップを続けるように
わては陰ながら応援していますさかいに、
あんじょう頑張ってなぁ〜。

じゃあね。

愛の天使・心の恋人より

\(^δ^)/ うへへへへ。。。

2009-04-26 06:32 AM
バンクーバー時間: 4月25日 土曜日 午後2時32分




『即興の詩 新たな気持ちで♪』のコメント欄より

『江戸川乱歩の世界』に掲載。
ゴスロリと黒パンツ(2009年5月6日)




確かに、こうして江戸川乱歩のことを書いたけれど、もともと乱歩の作品を僕は読み込んでなかった。 どうして乱歩の事を書き始めたかと言うと、めれんげさんが乱歩に非常に関心を持っていた。 それで僕も乱歩の事をいろいろと調べ始めた。 その過程で乱歩が書いたエッセーなどをたくさん読んだのですよ。 でも乱歩が書いた推理小説はほとんど読んでない。



デンマンさんは推理小説がそれほど嫌いなのですか?

いや。。。毛嫌いしている訳ではないですよ。 松本清張さんが書いた作品はほとんどすべて読みましたからね。。。

要するに好き嫌いが激しいのですわね?

たぶんね。。。アガサ・クリスティーの作品も一度読んで2度と読む気がしなくなったほどだから。。。確かに好き嫌いが激しいのでしょうね。

TBSテレビで見た『白夜行』の第8話のどこがそれ程つまらなかったのですか?

どこがってぇ、見ていて話の中にのめり込んでいけなくて、見た後で時間を無駄にしたという感じしか残らなかった。。。要するにつまらなかったのですよ。 とにかく、つまらないストーリーだったのですよ。。。。ところで、小百合さんがFamily Bookで買った、東野圭吾の“横浜なんとか”と言うタイトルの本を僕は調べてみたのだけれど、そういうタイトルの本はありませんでしたよ。





タイトルの中に「横浜」は入っていませんわ。



じゃあ。。。もしかして小百合さんが買ったというのは「夜明けの街で」というタイトルの本ですか?

そうです。

あれっ。。。じゃあ、それは「東野圭吾が初めて不倫という恋愛をテーマに執筆したもので、横浜を舞台にした大人のラブストーリー」の本なのですか?

そうですわ。。。

う〜〜ん。。。

何で、それほどまでにデンマンさんは唸(うな)るのですか?

だってぇ〜・・・上の検索結果の一番下を見てくださいよ。

当時、私は不倫真っ最り中だったので、

おお東野圭吾、よくぞ不倫をテーマに

書いてくれた!と、ひとり絶賛。


このように書いてあるのですよ。。。つまり、小百合さんも、そのように感じながら絶賛の気持ちで「夜明けの街で」を買ったのですか?

まさか。。。! デンマンさんは、もしかして私が不倫していると思っているのですか?

だから。。。上の検索結果をしみじみと読みながら小百合さんも、そのような気持ちになっているのかと思ったのですよ。 うへへへへ。。。

それはデンマンさんの考えすぎですわ。。。うふふふふふ。。。

そうですよね。。。小百合さんは不倫していませんよね。

そうですわ。 不倫していませんわ。 デンマンさんは不倫しているのですか?

いや!・・・もちろん不倫してませんよ。 僕は不倫できるような状況にも状態にもありませんからね。。。うししししし。。。


【卑弥子の独り言】



ですってぇ〜。。。
。。。つうことは「軽井沢タリアセン夫人」とデンマンさんの関係は不倫ではないということになるのでござ〜♪〜ますわ。
あなたは信じられますか?

ええっ。。。あたくしですか。。。?

結局、「軽井沢タリアセン夫人」は実在の人物ではないのですし、詮索してみたところで大して意味があるとも思いませんわ。
でも、不倫という言葉にはなんだか魔法のようなモノを感じます。
ちょうど、ビートルズに熱狂するような。。。
うふふふふふ。。。

だってぇ、あたくしはビートルズの熱烈なファンなのでござ〜♪〜ますわ。



“キャ〜 素敵ィ〜♪〜”





お分かりでしょう!?
ビートルズのファンは熱烈するのですわ。
だから、不倫も一時の熱狂のなせる業(わざ)なのかもしれませんわ。

ええっ。。。それは飛躍があるってぇ。。。?
うふふふふふ。。。
そうかもねぇ。



日本も含めて世界中にビートルズの熱狂的な嵐が吹き荒れたのは、あたくしが生まれる以前のことでしたわ。
ところが何度も何度も、あたくしはビートルズの夢を見るのでござ〜♪〜ますう。
軽井沢の万平ホテルに行くと
ジョンレノンとあたくしがカフェテラスで会うような気が、マジでするのでござ〜♪〜ますう。




滞在中のジョン・レノンは朝9時半ごろ、

このカフェテラスに下りてきたのですよ。

わたしたちに「おはようございます」と

日本語であいさつしたものですわ。

いつも庭に面した一番奥の席にすわって、

他のお客様には背を向けるような格好で

腰掛けていました。

ジョン・レノンのお気に入りは

ローヤルミルクティーでしたわ。



『幸福の谷』より
(2008年4月6日)


あたくしは万平ホテルのカフェテラスでマジでジョン・レノンとローヤルミルクティーをいただいている記憶が鮮明に甦ることがあるのでござ〜♪〜ますゥ。
あなたは信じられないでしょう?
あたくしだって信じられないのですから。。。
おほほほほほ。。。

とにかく次回も面白くなりそうですわ。
だから、あなたも読みに戻ってきてくださいましね。
じゃあ、また。。。






ィ〜ハァ〜♪〜!

メチャ面白い、

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■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

■ 『面白くて楽しいレンゲ物語』



■ 『カナダのバーナビーと軽井沢に

別荘を持つことを夢見る小百合さんの物語』


■ 『今すぐに役立つホットな情報』



『夢とロマンの横浜散歩』

『愛とロマンの小包』

『下つきだねって言われて…』



『銀幕の愛』



『パリの空の下で』

『愛の進化論』

『畳の上の水練(2011年3月15日)』



『軍隊のない国(2011年3月21日)』

『アナクロニズム(2011年3月27日)』





こんにちは。ジューンです。

あなたは軽井沢に出かけたことがありますか?

私はデンマンさんとご一緒に

一度だけ訪れたことがあります。



この湖は“Swan Lake”という

英語名がついているのですわ。

昔、宣教師の方が軽井沢に

別荘を持っていたのですって、

その家族の人たちが名づけたらしいのですわ。

10月でしたが、紅葉が見ごろになっていました。
 
 
軽井沢・雲場池の紅葉


 
 
まだ冬景色には程遠かったのですけれど、

湖にしては小さなその池のほとりに立ったら、

どこからともなく白鳥が飛んできそうな

感じがしましたわ。



そう言えば、バンクーバーの

クイーン・エリザベス・シアターで

デンマンさんとご一緒に

バレー『白鳥の湖』を見たことがありましたわ。
 
 

 
 

 
 
あの時のチャイコフスキーの曲が

聞こえてきたものですわ。

それで、私はいつになく

感傷的になったことを覚えています。

ところで、日本に帰省してから

デンマンさんが小百合さんのことで

次のような記事を書いています。

時間があったら覗いてみてください。

『白鳥はどこに?(2011年10月8日)』

『思い出の軽井沢(2011年10月7日)』

『日本は汚染される(2011年10月4日)』

『おばんざい(2011年10月4日)』

『バーナビーと小百合さん(2011年10月3日)』

『杜の都で食べる PART 1(2011年10月2日)』

『杜の都で食べる PART 2(2011年10月2日)』

では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょう。

じゃあね。





2011年06月21日

飛鳥坐神社(PART 1)

 
飛鳥坐神社(PART 1)




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Comments:


はじめまして。
このサイト、楽しませていただいています。
ただ、飛鳥坐神社を「あすかざ・じんじゃ」と堂々と
書いてらっしゃるのは笑えます。



最近のちょっとした歴史ブームで飛鳥を訪れる
人も多く、飛鳥坐神社が「あすかにます・じんじゃ」
と読むのは常識になっていると思います。

このサイト全体のクオリティ評価に影響すると思い
ますので、至急訂正されることをお勧めします。
余計なお世話を申しました。


Thank you for using Bravenet Email Form Processing!




デンマンさん。。。どうして飛鳥坐神社などを持ち出してきたのですか?



もちろん、日本語が分かる世界のネット市民の一人からコメントをもらったからですよ。

。。。で、マジで「飛鳥坐神社」は「あすかにます・じんじゃ」と読むのですか?

コメントをもらって、僕はなんだか青天の霹靂(へきれき)のような気がして、すぐに『ウィキペディア』で調べてみたのですよ。


飛鳥坐神社

所在地 奈良県高市郡明日香村大字飛鳥字神奈備708

飛鳥坐神社(あすかにいますじんじゃ、あすかにますじんじゃ)は、奈良県高市郡明日香村にある神社である。
式内社(名神大)で、旧社格は村社。

祭神

延喜式神名帳には「飛鳥坐神社四座」とある。
現在の祭神は事代主神、高皇産靈神、飛鳥神奈備三日女神(賀夜奈流美乃御魂)、大物主神の四座であるが、多くの異説がある。

•『大神分身類社鈔』 -- 事代主命・高照光姫命・木俣命・建御名方命

•『五郡神社記』 -- 大己貴命・飛鳥三日女神・味鋤高彦神・事代主神

•『社家縁起』 -- 事代主命・高照光姫命・建御名方命・下照姫命

•『出雲國造神賀詞』 -- 「賀夜奈流美乃御魂乃飛鳥乃神奈備爾坐天(賀夜奈流美の御魂の飛鳥の神奈備に坐て)」との記述がある。

また、当社地が天照大神を初めて宮中の外で祀った地「倭笠縫邑」であるとする伝承もあり(有力な説は大神神社摂社の檜原神社である)、近世には元伊勢とも称していた。

歴史

創建の由緒は不詳であるが、『出雲國造神賀詞』に「賀夜奈流美命ノ御魂ヲ飛鳥ノ神奈備ニ坐テ皇孫命ノ近守神ト貢置」とあり、大国主神が皇室の近き守護神として、賀夜奈流美命の神霊を飛鳥の神奈備に奉斎したとある。また『日本書紀』朱鳥元年(686年)7月の条に「奉幣 於居紀伊国国懸神 飛鳥四社 住吉大社」とあり、天武天皇の病気平癒祈願のため幣帛が奉られた。『日本紀略』によれば、天長6年(829年)、神託により、雷丘から現在の鳥形山へ遷座した。

寛永17年(1640年)に高取城に入った高取藩初代藩主・植村家政は、高取城の鬼門に当たる当社を深く信仰した。享保10年(1725年)に里からの火災により社殿の大半を焼失したため、天明元年(1781年)に高取藩8代藩主・植村家利により再建された。平成13年(2001年)再建から200年を経て社殿が老朽化してきたことから、吉野の丹生川上神社上社が大滝ダム建設に伴い移築するに際し、旧社殿を譲り受け再建した。

祭事

2月第1日曜日(元は旧暦1月11日)のお田植神事「お田植祭(おんだまつり)」には夫婦和合の所作があり、奇祭として知られている。
境内には、男性器を模した石が多く安置されている。



(注: 写真はデンマン・ライブラリーより
赤字はデンマンが強調)




出典:
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




あらっ。。。マジで「あすかにいますじんじゃ」、または「あすかにますじんじゃ」と書いてありますわね。



でもねぇ、上の説明を読んでみただけでも2つの読み方があるわけですよ。 だから、「あすかざじんじゃ」という読み方が500年ぐらい経つと3つ目の読み方として定着するかもしれないのですよ。

でも、現在では、「あすかにいますじんじゃ」、または「あすかにますじんじゃ」と読むのだから、やっぱり、それに従うべきだと思いますわ。。。で、どうして記事を書くときに調べなかったのですか?

あのねぇ〜、僕は「飛鳥坐神社」を素直に「あすかざじんじゃ」と読んでいた。 これ以外に他の読み方があろうとも思えなかった。

だから調べなかったのですか?

いや。。。実は念のためにGOOGLEで検索してみたのですよ。

そしたら「あすかざじんじゃ」とう読み方が出ていたのですか?

そうなのですよ。 記事を書いた2003年8月当時は、まだ『ウィキペディア』が今ほど使われていなかった。 少なくとも、僕は『ウィキペディア』よりも、まず先にGOOGLEで検索してみるのが習慣になっていた。

それで、「あすかざじんじゃ」とう読み方が検索結果に出ていたので、疑いなく「あすかざじんじゃ」と書いたのですか?

そうなのですよ。 

それで、デンマンさんが書いた笑える記事って、どんなものなのですか?

いや。。。僕の記事が笑えるんじゃなくて、僕の読み間違いが笑えるとコメントを書いた人は言っているのですよ。 小百合さんのためにここに貼り出しますから読んでみてね。


飛鳥坐(あすかざ)神社の神事と

古代ギリシャの

ディオニソス神話



by Akira Kato (デンマン)


August 2, 2003




Dionysos festival (dithyramb4.jpg--520x409)






ディオニソス誕生祭

(Dithyrambos)



【元々の意味: ディオニソスは2度生まれた】







Mascot girl Himiko as a Greek woman (greek02.gif--212x438)
案内役の卑弥子こでーす。
こんにちは。あたくし、今回は古代のギリシャ民族衣装を着てみました。
どうしてかって、お尋ねですか?

もちろん、気まぐれなどではありませんよ。
ちゃんと理由があります。というのは、ギリシャの神話には欠かせないディオニソスについてお話しするためです。


先ず、この上の絵を見てください。祭りを祝う人の輪の真ん中に置かれている石造物、これ、何だか分かりますか?
もし、前のページを見ているならばすぐに分かると思います。
そうです、飛鳥で見られる「マラ石」なのです。本物は16フィート(4.8メートル)もあるんですよ。



上の「マラ石」と同じものを次の写真で示します。
これはギリシャのデロス島にあります。





Phallus at Delos (phallus1.jpg--208x199)




World map (worldmp3.gif--471x266)



比較のために、飛鳥の「マラ石」をもう一度ここに披露します。




Stone penis (maraishi2.jpg--410x312)



古代のギリシャでは、飛鳥にある飛鳥坐神社と同じように豊饒の儀式を行います。
飛鳥坐神社の神事は神社の舞台で行われますが、ギリシャの場合には屋外です。
この点を除くと、この2つの祭りは非常に良く似ています。
ギリシャでは「マラ石」はディオニソスの化身だと考えられています。



飛鳥坐神社には4柱の神様が祭られています。しかし、2月の第1日曜日に、御田(おんだ)祭と呼ばれる民族学的に、きわめて珍しい神事は、この4柱の神様のなかでも、とりわけ子宝と関係の深い御皇産霊神(たかみむすびのかみ)がギリシャのディオニソスとちょうど同じような役目をするようです。
この御皇産霊神は、飛鳥坐神社の境内の奥に祭られています。そのお姿は次の写真で示すとおり、なんと「マラ石」なのです。




Stone Penis at Asukaza Shrine (tengu07b.jpg--301x375)


奥の大石 御皇産霊神

(たかみむすびのかみ)


確かに似ているようです。古代ギリシャのディオニソスと御皇産霊神(たかみむすびのかみ)、ディオニソス誕生祭と飛鳥坐神社の御田(おんだ)祭。



しかし何と言っても、ギリシャと日本の距離は、ペルシャと日本の間よりもさらに遠いのです。
果たしてこれらのものは関連があるのでしょうか?では、このあたりで加藤さんにバトンタッチいたします。





ディオニソス誕生祭の起源





ディオニソス誕生祭とはディオニソスの生まれを祝うと同時に、豊饒を祝い、また次の年の豊穣を祈ります。
ディオニソスはワインの神でもあります。従って、この時には、飲んで歌って踊って日本で言えば、さしずめ、盆と正月が一緒に来たような気分で愉快に祭りを楽しみます。



この祭りは、紀元前9世紀ないしは8世紀頃に始められたと言われています。ギリシャの部族が“orgia”と呼んで毎年祝っていた祭りがその起源のようです。この時には、飲めや歌えのドンちゃん騒ぎをしたようで“orgy”という英単語は、このorgiaから派生した言葉です。orgasm(オーガズム)も、これに関連した言葉です。


ディオニソス誕生祭は集落の近くの広場で行われるのが普通です。収穫時には、一族がこの広場に集まって、籾から穀物を分けるための共同作業をします。今でも、ギリシャの片田舎にゆくと、このような広場が見られます。
祭りの時には、この広場の真ん中に、上の絵で示したように、マラ石を立てて、その回りに村の人々が集まってワインを飲み、歌って踊ってドンちゃん騒ぎをし、一年のウサを晴らし、それと共に豊饒を祝うわけです。



ディオニソス神話

ディオニソスは、全能の神ゼウスと人間のセメレの間に生まれた子供です。セメレはテーべという王国の姫で、とても美しい女性でした。
夫ゼウスの浮気に気づいた妻ヘラは、セメレを懲らしめるために、いろいろ策略をめぐらしました。



彼女はセメレの乳母の姿に身を変えて、セメレのところにやって来ました。そしてやさしく彼女にささやきました。
「あなた様のところに通っていらっしゃる方は、本物のゼウス様なのでしょうか。なにか証拠となるようなものを、ゼウス様にお願いしてみたらいかがでしょう」



それでセメレはゼウスに、「どうか天上より、光り輝く衣装を着けて来て下さいませ」と頼みました。 ゼウスは、以前に「なんでも望みを聞いてあげよう」と誓っていたので、仕方なく光の衣装をつけてセメレの部屋を訪れたのです。



しかし、生身の人間であるセメレは、それを見たとたん、たちまち焼け死んでしまいました。
ヘラの策略にまんまとはまってしまったのでした。セメレがすでに身ごもっているのを知っていたゼウスは、急いで火の中から子供を取り上げ、ヘラに隠れてニンフたちにその子を預けました。まさに九死に一生を得て誕生したのが、ディオニソスなのです。
一説には、ゼウスの太腿に埋め込んで誕生まで養ったとも言われています。このようなわけで、ディオニソスは2度生まれた、といわれるようになりました。



成長すると、ディオニソスはブドウの木を栽培し、そこから液を搾り出す方法を考えました。また、彼が世界中をさまよっているうちに、女神のレアは彼に宗教の儀礼を教えたのです。彼は母セメレの故郷のテーべに帰って、人々に儀式やブドウの栽培の仕方を教えました。
こうして彼はぶどう酒と祝祭の神としての地位を確立したのです。



マラ石はどのように伝わったのか?

上の神話に出てくるぶどう酒というのがキーです。日本へも間違いなくぶどう酒が伝えられたはずです。
なぜ、そういうことが言えるのか?それは、正倉院にワイングラスがペルシャから伝わっているからです。




Wine glass at Shousou-in (winglass.gif--284x360)



このグラスがどのように造られ、どのように大和へ伝わったか、ということは、このページ (飛鳥とシルクロード)で説明しています。
リンクをクリックすると新しいウィンドーが開きます。読んでください。



ワイングラスだけ伝わって、ぶどう酒が伝わらなかったというのもおかしな話です。私は、間違いなく伝わったと思います。ただし、日本の土壌には当時ぶどうの木がうまく根付かなかったのでしょう。あるいは、ぶどう酒が、酒に親しんでいた当時の日本人の口に合わなかったのかもしれません。あるいは、あまりにも高価だったので、庶民の口には届かなかったのかもしれません。



いずれにしても、ぶどう酒が日本へ伝わっていたということは、酒船石などというものが石造物の中にあることからも、傍証できます。
ペルシャ人がぶどう酒を作るために造ったのがこの酒船石ではないか、と私は見ています。
このことについては、このページ (酒船石の謎)で説明します。



ペルシャから伝わったものは、この他にもまだたくさんあります。狛犬や唐獅子も、元はといえば、ペルシャからつたわってきたものです。
このことについては、このぺージ (ペルシャ人の石工が飛鳥にやって来た)で述べています。



ワイングラスも伝わった。ぶどう酒も伝わってきた、狛犬も、唐獅子も、ペルシャから伝わってきた。ペルシャ人の石工さえ流れ流れて、
お隣の中国から半島づたいにやって来た。
聖徳太子の個人教授の中にもペルシャ人が居たほどです
しかも、聖徳太子の体内には、16分の1だけペルシャ人の血が流れていたかもしれない。これまでのページの中で述べてきただけでも、このように、ペルシャ人の存在が、チラチラ古代史の中に見え隠れしているのです。



だとするなら、なぜ「マラ石」だけが、伝わらなかったのか?という素朴な疑問が頭をもたげます。むしろ、伝わってきて当然だ、と言いたいわけです。



だけど、マラ石は日本独自に

作られたのではないの?




もちろん、その可能性が全くないとは言いません。日本には昔から、道祖神といわれる石造物が各地にありました。

しかし、平安時代に始まったということぐらいで、はっきりしたことは分かっていないようです。



平安時代も含めて、それ以降も村や荘園に住む百姓は、自由ではなかったのです。なぜなら地頭や領主の方針で百姓は土地に縛り付けられていたわけです。
そのようなわけで、よそへ行くことに慣れていなかった。だから、よそ者に対しても警戒の目を向けました。
また、よそからどんな悪霊が村に入ってくるかもしれない、という心配もありました。

村の境界は、あの世とこの世の境目だとも考えられていて、常に神聖な場所とされていました。 そこで、村を守るために道祖神がそういう道の分岐点などにまつられたわけです。



道祖神


道祖神は、塞の神(さえのかみ)とも呼ばれていて、疫神や悪霊などが村に入ってくるのをくいとめたり、追い払う神としてあがめられました。また、旅の神、生殖の神ともされたのです。

この道祖神は、元々「マラ石」から派生したのではないかと私は推定しています。
このページの初めに掲げた飛鳥坐神社の近くにあるマラ石は道祖神の先駆者じゃないかと見ています。

なぜか?


飛鳥坐神社の奥に祭られている御皇産霊神(たかみむすびのかみ)の御神体こそ、道祖神の原型で、「マラ石」は集落を守るために道端に置かれたのではないか?そう見ています。




Dousojin (dousojin3.jpg--136x164)Dousojin (dousojin4.jpg--131x201)



従って、「マラ石信仰」が広くその土地の人々に受け入れられている間は、上の左に示すような、立派なペニスの形をとどめていますが、
やがて、「マラ石信仰」が仏教に取って代わられてゆきます。そうすると、時代が下るに従って、この形を目にすることに馴染めないものを感じ始めてきます。
要するに、仏教というニューファションが広まると、「マラ石信仰」の石造物の形がダサイ物に見えてくるわけです。そうなると、左側の道祖神はすたれてゆき、右側の、お地蔵様のような道祖神がニューファションとして登場してくる、とこういうわけです。

ためしに、現在まで残っている道祖神を見渡してください。圧倒的に、お地蔵様の形が優勢です。これはなぜかといえば、見た目が悪いとか、エロチックだから目立つところに置いておけないとか、そのような理由ではなく、むしろ、「マラ石信仰」が廃れたためだと思います。



「マラ石信仰」というのは「ディオニソス信仰」そのものです。これほど分かりやすい信仰はない。日本では何よりも「マラ石」を、いわゆる「子授けの神様」という形で受け入れているようです。




Clean-up of lovemaking (tengu04b.jpg--176x220)

その証拠に、飛鳥坐神社の神事をもう一度見てください。夫婦和合の神事が滞りなく完了すると、役員がお多福の着物のすそを広げて、後始末を手伝います。要するに、おこぼれを拭い取るわけです。この拭い取る紙が非常にえんぎが良いということになっています。



つまり、拭くの紙(ふくのかみ)と福の神(ふくのかみ)をもじっているわけです。神事の後、この紙を何枚となく観衆めがけて撒き散らすのですが、これをとって持ち帰れば、子宝に恵まれ、家内安全、福が訪れること間違いなしということで、写真に見るように、争って「拭くの紙(ふくのかみ)」を奪い合います。




Throwing out luck-inviting papers (tengu05b.jpg--337x240)



信じられますか?これ、お札(お金)を投げているのではないのです。お札なら、私も仲間入りして、共に奪い合ったことでしょう。
お月様に、ロケットで行けるという時代に、子授けの神様をまだかなりの人たちが信じているのです。
この手を伸ばして「拭くの紙(ふくのかみ)」を奪い合っている人たちの中には、おそらく、創価学会の信者、キリスト教徒、イスラム教徒はいないでしょう。



このように「マラ石信仰」、つまり「ディオニソス信仰」というのは、分かりやすい信仰です。この信仰が廃れたのは、ギリシャやローマではキリスト教が起こったからです。日本では仏教が広まったためです。



ではなぜ、飛鳥坐神社には、

この神事が残ったの?




なぜなら、飛鳥坐神社に祭られている神様が反主流派の神様だからです。主流派の神様というのは、天照大神(あまてらすおおみかみ)の系列の神様のことです。つまり、現在の皇室の先祖とされている神様のことです。
現在の皇室の先祖は九州からやってきて、大和にあった古い王朝を倒して新しい王朝をたてました。
これが私たちが学校で教えられる大和朝廷です。この時の天皇が、現在まで続いていることになっています。



現在の皇室の先祖に倒された古い王朝の大王が大国主命(おおくにぬしのみこと)です。この征服の話が古事記の中の神話では、
大国主命が現在の皇室の先祖に大和の国を譲ったことになっています。その後、娘の三日比売命(みかひめのみこと)を大和に残して大国主命は出雲に移ります。
この三日比売命は人質にとられたようなものです。神話の中では、この三日比売命は皇室をお守りしているということになっています。



もっと分かりやすく説明すれば、現在の皇室の先祖は、非常にむごいやり方で、前王朝の大王を殺して大和の国を奪い取ったわけです。
だから、たたりが怖かったのです。それで、前王朝の殺された人たちの霊を鎮魂するために飛鳥坐神社を含め、前王朝の由緒ある場所に、たくさんの神社を建てて鎮魂したというわけです。



「マラ石信仰」、つまり「ディオニソス信仰」は、このような神社が建てられている頃にペルシャ人を通して日本へ持ち込まれたわけです。
まだ仏教が日本へ導入される前です。今でも、子授けの神様を信じる人が居るくらいですから、この当時、仏教も入ってくる前ですから、たくさんの信者がいたことでしょう。「マラ石信仰」は、当時としては、ニューファッションですから、飛鳥坐神社もマラ石を取り入れたわけです。
それが今に伝えられる御皇産霊神(たかみむすびのかみ)の御神体です。



しかし、やがて蘇我氏が政権を握って、仏教を導入します。当然のことながら、仏教以外の宗教を禁止します。
「マラ石信仰」、つまり「ディオニソス信仰」も駄目な宗教の中に入ります。しかし、飛鳥坐神社は例外でした。

なぜか?


この神社には、現在の皇室の先祖にむごい仕打ちを受けて殺された霊が眠っているからです。
このむごいやり方で殺された古い王朝の大王たちの怨霊は、そおっとしておかねばなりません。さもないと、たたりをなして不吉な事件を起こし、現王朝を危機に陥(おとしい)れないとも限りません。



「触(さわ)らぬ神にたたりなし」という言葉を聞いたことがあると思います。
まさにこの言葉どおりです。
飛鳥坐神社は特別な神社です。

従って、もしこの神社が「マラ石」を祭っているのであるなら、当時の朝廷は許すしか仕様がなっかたのです。そのような理由で、この神社には奇祭といわれる神事が今に伝えられているというわけです。



では、次に亀石の謎に迫りたいと思います。



Mascot girl Himiko (himiko6.gif--172x280)

最後まで

読んでくれて


ありがとう。


面白そうなリンクを


下に並べました。


クリックして読んでね。


亀石の謎


猿石の謎


天武天皇と天智天皇は


同腹の兄弟ではなかった。



聖徳太子の母親は


ペルシャ人だった?



蘇我氏は高句麗からやって来た


天智天皇は暗殺された


定慧出生の秘密


藤原鎌足と長男・定慧


渡来人とアイヌ人の連合王国


なぜ、蝦夷という名前なの?



平和を愛したアイヌ人


藤原鎌足と六韜


古事記より古い書物が

どうして残っていないの?



今、日本に住んでいる人は

日本人でないの?



マキアベリもビックリ、


藤原氏のバイブルとは?






『飛鳥坐(あすかざ)神社の神事と
古代ギリシャのディオニソス神話』
より
(2003年8月2日)


 (すぐ下のページへ続く)


2011年05月26日

バカの固定観念

 
バカの固定観念






ジョージ・W・ブッシュがアラビアの砂漠をヨタヨタ歩いていた。
彼は道に迷ってしまったのだ。
ラクダと共に何とかして砂漠から抜け出る道を探そうとした。

腹が減って仕方がなかったが、どう言う訳かムンムン、ムレムレしてきてしょうがない。
もう抑えることができなくなって、ブッシュはズボンとパンツを下ろすとラクダの背後に回った。
しかし、ラクダは後ろ足をバタバタさせてブッシュのヤラシイ行為を妨害した。

ジョージは翌日もヤラシイ行為を試そうとしたが、ラクダはジョージを受け入れなかった。
その翌日もジョージは試したがダメだった。
ジョージは、もう諦めようとした。
その時だった。
ジョージと同じように砂漠で道に迷ってふらついて歩いている美人に目が留まった。



彼女はクタクタに疲れて死にそうに見えた。
それで、可哀想に思ってジョージは水と干し肉をくれてやった。

「どうもありがとう。本当に助かったわ。あなたは私の命の恩人です」

「いや。。。御礼には及びませんよ」

「いいえ。。。これが有難がらずに居られるでしょうか。 あなたが居なかったら私は死んでいたも同然です。 ぜひ、お礼をさせてください。 あなたが言うことなら何でもいたします」

「マジで。。。?」

「ええ。。。もちろんですわ」

それを聞いたジョージは、ムラムラとまた抑えようもなく性欲が体中を駆け巡った。
彼はマリリンモンローと瓜二つの女をしみじみと見つめた。
女もジョージの求める事が判って観念したように見えた。



「あのォ〜。。。私にどうして欲しいのか言ってちょうだいな」

「それなら、お言葉に甘えて言うけれど。。。あのねぇ、ちょっとの間、ラクダの後ろ足を押さえてくれませんか。。。そうすればオイラはラクダちゃんとラクにやれますから。。。うへへへへへ。。。」



"Wind and Water"より
(2011年5月9日)






George W. Bush was wandering in the Arabian desert. Unfortunately, he got lost. So, he had to find a way out with his camel. Although he became hungry, his desire increased somehow. And he couldn't control his desire. After a while, he removed his underpants and walked around his camel, which refused his salicious act by kicking him back.

George tried it the next day, but he didn't succeed. He tried again the following day, but he failed miserably.
He almost gave up his lustful act when he saw an attractive young woman who, like himself, lost her way in the desert and wandered aimlessly.



She seemed exhausted. So, George handed her a bottle of water and several strips of jerky.

"Oh, thank you. You're my lifesaver."

"You're quite welcome, lady."

"I'm very grateful. I owe you my life. Tell me what you want me to do. I'll do anything you want."

"Do you really mean it?"

"Yes, of course, I do."

Suddenly, George recovered his desire and stared at the shapely Marilyn-Monroe look-alike, who seemed to understand what George wanted, and to prepare for whatever he wanted.



"Tell me what you want me to do."

"Well...could you hold the rear legs of my camel for me so that I'd be able to satisfy my desire?"



SOURCE: "Wind and Water"
(Monday, May 9, 2011)




デンマンさん。。。あんさんは、また、しょうもないイラストを持ち出してきやはって、しょうもないギャグを書きはりましたな。



あきまへんか?

イラストのクリントン大統領も上のラクダのエピソードのブッシュ大統領も、今ではもう過去の人やおまへんか!

うん、うん、うん。。。過去の人で思い出したけれど、昔の人は次のように言うたのやでぇ〜。。。

歴史を学ばない者は

過ちを繰り返す


つまり、クリントン大統領もブッシュ大統領も「バカの固定観念」にとらわれて過ちを犯したと、あんさんは言わはるの?

そうやァ。

。。。で、クリントン大統領のイラストは何を物語ってるん?

もちろん、モニカ・ルインスキーのスキャンダルやないかいな。





モニカさんとの破廉恥な行為が「バカの固定観念」やと、あんさんは言わはるの?



そうやァ。

どないな訳で、あんさんはそうやと言わはるの?

あのなァ〜、クリントン大統領はケネディー大統領を尊敬していたのやがなァ〜。。。それで、わざわざ大統領に会いに行って、こうして握手をしたのやがなァ。





マジかいな?



こうして写真が残っているやないかいな。

。。。で、何が「バカの固定観念」やの?

クリントン大統領はケネディー大統領を尊敬していたのやけど、どうやら悪い所ばかりを真似したようなのや。

ケネディー大統領の悪い所って何やの?

ホワイトハウスで妻以外の女性と破廉恥行為を行ったのはケネディー大統領が初めてやと思うでぇ〜。。。


ケネディー大統領と女性関係



1950年代後半から、妹パトリシアの夫でハリウッド俳優のピーター・ローフォードから紹介された映画女優のマリリン・モンローとの不倫関係を持ち、就任後に至るまで不倫の関係にあったことが、ローフォードやモンローの家の家政婦のレナ・ペピートーンなどにより証言されている。

大統領予備選挙前の1960年2月には、マフィアのボスのサム・ジアンカーナの指示を受けたフランク・シナトラから、シナトラの元恋人のジュディス・キャンベル(ジアンカーナの愛人でもあった)を紹介され、その後の大統領予備選挙時においてモンローと並行して不倫関係を持っていただけでなく、その後もたびたび会っていたことが明らかになっている。

ケネディ暗殺後に公開された資料によると、ホワイトハウスでのキャンベルとの通話記録は70回を数え、2人っきりの食事が20回はあったという。

なお、モンローとの関係は、ケネディがマフィアと関係の深いシナトラを介してモンローと知り合った上に、ジアンカーナらのマフィアが2人の関係を知っており、このことをマフィアの取り締まりを強化しようとしていたケネディ政権に対する取引に使おうとしていたことを憂慮したフーヴァーが、司法長官を務めるロバートに強く忠告したことで終焉を迎えた。

同じくキャンベルとの関係も間もなく終焉を迎えることになった。なおロバート自身も一時期モンローと不倫関係を持っていたことが明らかになっている。

モンローは、その関係が終焉を迎えた直後の1962年5月19日に、ニューヨーク州のマディソン・スクエア・ガーデンで行われたケネディの45歳の誕生日パーティーに、体の線が露わになったドレス姿で赴き、「ハッピーバースデー」の歌を披露した。



なおこの際に、ケネディとモンローの関係を快く思っていなかったジャクリーン夫人は、パーティーにモンローが来ると知ってあえて欠席した。




出典:
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
写真はデンマン・ライブラリ−より




あらっ。。。ホワイトハウスで堂々と浮気をしてはったん?



知る人ぞ知る公然の秘密だったらしいでぇ〜。。。

。。。で、クリントン大統領がモニカさんと破廉恥行為に及んだのはケネディー大統領の欠点を見習ったと、あんさんは言わはるの?

そうやァ。。。クリントン大統領の固定観念になってしもうたのや。。。それで、ヒラリーさんに見つかってイラストにあるように貞操帯を穿かねばならない羽目になってしもうたと言う訳やァ。(爆笑)

そやけど、ブッシュ大統領のラクダのエピソードは、どう言う訳で「バカの固定観念」やのォ〜?

それは次の歴史的解釈を読むとよく分かるねん。


代用品の方を気に入ってしまう

アメリカはこの点でも先進国であるが、恋愛の練習は注意しないと、10代で父親になるという危険をはらんでいる。 いや、はらませる危険性を持っている。 練習には練習台は必要であるが、それが本物である必要はない。 前述のコンニャクもそうであるし、いろいろなお人形さん、人間男性用蛸壺(たこつぼ)、女性用バイブレーターなど練習用の道具はいろいろある。 携帯用とか緊急時のための道具もあった。 携帯用で軽いといっても長い旅行となると、その重さはこたえる。 ましてや移動の手段としてウマやラクダしかなかった時代は大変であったろう。





蒙古帝国は、そうした時代に遊牧民がユーラシア大陸の隅々にまで征服旅行をして作り上げた国であった。 彼らの移動はウマに頼り、それ以外はヒツジに頼って生きていた。 ジンギスカンという焼肉料理がヒツジの肉を用いているのはそのためである。 遠征は何年もかかるが、女性を連れて行くことはできなかった。 ダッチワイフの役割もヒツジが行っていた。



このダッチワイフの長所は、本物と同じで、自分で歩くことができ、本物とは異なり、文句を言わない点であった。 妻と一緒で、兵隊も、族長も自分専用のヒツジを持っていた。 その点では平等であった。 ただし族長用のヒツジは長持ちせず、やせ細って弱ってくるので、すぐに食用にされてしまい、次々と新しいヒツジを用意しなけらばならなかったという。 それは族長が精力絶倫でヒツジが疲れ切ってしまったせいではない。 族長用のヒツジは歯が抜いてあったので、草を食べられず衰弱してしまうのであった。

代用品を用いることの最大の欠点は、本物よりも代用品のほうが気に入ってしまう個体が出てきてしまうことであろう。 人間でも二次元コンプレックスと言って、印刷されたものとか映像、わかりやすくいうとビニ本とかアダルトビデオでしか興奮しない新種人類が増えてきているのもその現れであろう。

(注:写真はデンマン・ライブラリーから貼り付けました。
赤字はデンマンが強調)




59 - 61ページ
『チョウのフェロモン・キリンの快楽』
2004年8月31日 初版第2刷発行
編者: 赤池学・田仲義弘
発行所: 株式会社 講談社




つまり、代用品の方が気に入ってしまうと言うのが「バカの固定観念」やの?



そういうことやがなァ〜。

そやけど、新人類の中に、そないな人がホンマに増えているのやろか?

増えているのやがなァ!

その証拠でもあるの?

あるがなァ! すでに何度も記事で取り上げたことなんやけど、次の破廉恥な事件を読むと「バカの固定観念」が実によく分かるねん。


生パンツ強盗!

女子高生に「パンツよこせ!」




暗い夜道で女子高生を襲い、身に着けていた下着だけを奪って逃走する“生パンツ”強盗が出没した。

神奈川県警宮前署によると、事件が起きたのは21日午後9時半ごろ。
川崎市宮前区の路上で、近くに住む高校2年の女子生徒(16)がアルバイトを終えて徒歩で帰宅する途中、前から来た若い男にすれ違いざま、襲われた。

男は、女子生徒の首を道路脇のフェンスに押し付けながら「パンツをよこせ!」と脅迫。
女子生徒が抵抗するとスカートの中に手を入れ、パンツをむりやり脱がして強奪。
“戦利品”を手に、そのまま逃走した。

女子生徒にけがはなく、そのまま自宅まで逃げ帰り110番通報した。
調べによると、男は20歳前後で身長170センチくらいのやせ形。
黒っぽいスエットのズボンをはいていたという。

宮前署関係者は「女子生徒の体をもてあそんだり、危害を加えたわけではない」として、下着マニアによる強盗事件として捜査を進めている。






SOURCE: スポーツ報知 2006年04月23日

『生パンツ強盗に思う事…』に掲載
(2006年4月28日)




信じられん事件やけれど、こうなってしまうとマジで本末転倒してるねんなァ。 うふふふふふ。。。



そうやァ。。。「バカの固定観念」は、現在生きている我々の精神を知らないうちに汚染しているのかも知れへん。

そやけどブッシュ大統領がラクダにヤラシイ事をするような「バカの固定観念」にとらわれているとは誰も信じへんと思うわ。

確かにブッシュ大統領がラクダにヤラシイ事をした事実はあらへん。

それなのに、どないな訳で上のようなエゲツない小噺を持ち出してきやはったん?

あのなァ〜、ブッシュ大統領は人類にとって、もっと迷惑な「バカの固定観念」にとらわれていたのやァ。

ブッシュ大統領がとらわれていたという「バカの固定観念」ってぇ、いったい何やの?

「単独行動主義」と「覇権主義」やんかァ!


ブッシュ政権

政権スタッフ

ブッシュ政権の外交政策は、ネオコンと称される閣僚が要職を多く占め、さらにキリスト教右派を支持母体にしているため、中東の原油をめぐる利権の追求、それに伴うアフガニスタンやイラクの民主化などに関して、対外的な武力行使も辞さないアメリカの覇権の追求(単独行動主義、覇権主義)が顕著であった。

このようなタカ派ともとれる姿勢は、アフガニスタン侵攻、イラク戦争など戦時のたびに、ブッシュ大統領本人のみならず、閣僚・政権関係者が所有・関係する企業などに莫大な経済的利益をもたらす構造が疑問視された。

政策

経済政策上は減税、企業活動重視、自由貿易(グローバル資本主義)推進、福祉削減など新保守主義に始まる新自由主義的政策、「小さな政府」の方針と重なるところも多い。
しかしながら、クリントン政権が大きな財政黒字だったのに対し、ブッシュ政権は2つの大きな戦争に参加するなどして膨大な軍事支出を生じさせたため、実際の財政支出はかなり大きくなり、2004年には史上最大の4130億ドルもの財政赤字に苦しんでいる。
ブッシュ自身は、かかる自らの政策を「思いやりのある保守主義」(Compassionate Conservatism)と称している。

外交面では政権内のネオコンと呼ばれる人々によって特徴付けられ、武力によって他国に介入し、民主化するというタカ派戦略を採り、イラク戦争・アフガン戦争を引き起こした。




ブッシュを支持する共和党支持者の中には、キリスト教福音派の原理主義者が多く含まれ、ブッシュは彼らの道徳や倫理観に配慮した政策を打ち出す傾向があるという意見もある。
旧知のハリエット・マイヤーズをアメリカ最高裁判所の判事に指名した際、マイヤーズが弁護士時代に中絶に関する質問に対して曖昧な答えを残していたことなどから反発を受け、断念せざるを得なくなるという事例もあった。

出典:
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
写真はデンマン・ライブラリ−より




なるほどォ〜。。。「単独行動主義」ちゅうねんは、戦争を引き起こしてブッシュ大統領本人のみならず、閣僚・政権関係者が所有・関係する企業などに莫大な経済的利益をもたらすことなんやねぇ。



めれちゃんも、そう思うのかァ?

そやかてぇ、そう思わせるように、あんさんは『ウィキペディア』から引用してますやん!

あきまへんか?

誘導尋問のようなことをやったらアッカ〜ン!

さよかァ。。。じゃあなァ、この記事をブッシュ元大統領の小噺で始めたよってに、最後もブッシュ元大統領の小噺で終わりにするわなァ。


その大統領は誰?

アメリカのある高官が、イラク戦争についてのラジオ番組に出演した際に、こう語った。

「大量破壊兵器を使用した歴史を持つ恐怖の独裁国家は、国際社会から排除しなければならない。 あの強欲で無能な大統領を拘束することに成功した今、全世界はより安全で幸せになった」

番組終了後、ラジオ局には次のような問い合わせが殺到した。



「いつブッシュが捕まったんだ!?」



【レンゲの独り言】



ですってぇ~。。。
そうですよね。
戦争は誰もが嫌いなはず、と言うのはあまりにも単純で素朴は「バカの固定観念」なのかも知れませんよね。

この世界には戦争をやりたくて仕方がない人たちが結構たくさん居るのですわ。
そうでも考えない限り、戦争が未だに無くならない事をどう理解したらよいのでしょうか?
あなただって不思議に思うことがあるでしょう?

でも、ブッシュ大統領の政策を見ていると、戦争がどうして無くならないのか分かるような気がしますよね。
そう思いませんか?

とにかく、次回も面白くなりそうですわ。
あなたもどうか、またあさって読みに戻ってきてくださいね。
では、また。。。






ィ〜ハァ〜♪〜!

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こんにちは。ジューンです。

確かに、「戦争は誰もが嫌いなはず」なのです。

でも、それは庶民のあなたやわたしが考えることです。

デンマンさんに言わせると

それは「バカの固定観念」なのかもしれません。

アメリカには軍産複合体と呼ばれる協力体制があります。

ロッキード社、ボーイング社、レイセオン社といった

巨大兵器メーカーは全米で多くの工場を持っています。

また、陸海空海兵隊、四軍の基地は

それぞれの地元にとって

他に代わりのない有力な就職先です。

無くなっては困るのですよね。

地元の雇用とアメリカ議会議員の選挙時の支持票とが

密接に結びついているために、

兵器工場閉鎖や基地閉鎖などは、

たとえそれが平和のために合理的だと考えられても

議員にとっては最大限に避けなければなりません。

だから、戦争は無くならない方が良い、

と考える人も居るわけです。

巨大軍需企業は、自社の製品やサービスが

国防予算内に有利な条件で

組み込まれることを望むため、

シンクタンクやロビーストを通じてアメリカ議会議員に

さまざまな働きかけを行っています。

また同時に、これらの企業から合法や違法の献金が

議員の政治活動資金として支払われています。

また、米国製兵器は、

映画や一部のコンピュータ関連製品、

航空機、農産物と並んで、輸出する事で

ドルを稼げる数少ない商品です。

だから、戦争のない世界になると

アメリカの兵器産業は困るのですよね。

そう言う訳で、戦争はなかなか無くならないというわけです。



ところで、卑弥子さんにもちょっと信じがたいような

恋物語がありますわ。

関心があったらぜひ次のリンクをクリックして

じっくりと読んでみてくださいね。

『平助さんが卑弥子さんに

恋をしたのがウンのつき』


では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。





2011年04月07日

Love & Death of Cleopatra (PART 1)

 
 
Love & Death of Cleopatra

   (PART 1)

 
 







Alexandria, the birthplace of Cleopatra, is located on the western edge of the Nile that flows into the Mediterranean. Stretching 20 Km along the coast, it was one of the largest cities in the world. Surrounded in the north by the Mediterranean, in the south by Lake Mareotis, in the east by the the Nile River, the city served as a perfect base for international trade among Europe, Asia and Africa.

But it was 69 BC, when Cleopatra was born. When Kato visited Alexandria last summer, he couldn't see the the glory of those days anymore.



Seen from the window of the hotel room where Kato stayed is Pharos Island that was once offshore from the city but now connected to the mainland.



Currently, the old fortress stands where once existed the ancient lighthouse---one of the Seven Wonders of the World. This huge lighthouse had a four-layer height of 130 meters. It is said that the light was visible from 55 km at sea.




Diane..., have you been to Alexandria?



No, I haven't. Have you, Kato?

Yes, I have. As a matter of fact, I've travelled around over 30 countries.

Oh..., so, you're a world traveler, aren't you?

Yes, I am. I visited the famous Egyptian city in the summer of 2010.

Did you really visit the city last summer?

Oh, yes. I met Cleopatara. he, he, he...

You must be kidding.

I know you cannot believe it.

Nobody can, Kato. Cleopatra has been long dead. Everybody knows that.

I know, I know..., but I met Cleopatra. Actually, the woman I met believed that she was a born-again Cleopatra.

So, you met a crazy woman..., or at least a feeble-minded woman, didn't you?

C'mon, Diane. She wasn't crazy at all. Actually, she turned out an intelligent woman.

By the way, Kato, you told me last Saturday (April 2, 2011), you would tell me a story that was based on the brochure I'd handed out to you.

Oh, yes, this is the story based on your brochure.

But the brochure I gave you has nothing to do with Cleopatra.

No, it doesn't mention the name of Cleopatra. However, when you read the story to the end, you will know for sure that the nitty-gritty of the brochure has something to do with the love and death of Cleopatara.

Do you really mean it, Kato?

Yes, of course, I do. You'll definitely find the story thought-provoking.

Then, tell me.

Actually, I posted the story on January 27, 2011. I translated it into English for you. So, take your time and enjoy reading it:


Kato woke up at 9:00 am, then went over to McDonald's near the hotel and took a late breakfast.



Kato ordered something like a shish kebab and ate it curiously. Then, with a guidebook in hand, Kato walked to the fortress. After viewing the old fortress, he ventured south into a back street, on both sides of which stood small houses and shops closely packed like sardines. Kato thought that he'd stepped into the world of Ottoman Turkey that had flourished between the 16th and the early 20th century.

The shops sell various kinds of colorful spices and herbs. Kato sensed the indescribable smell mixed with dusty air like the quirky "smell of Egypt".

Near the canal that flows south of the city of Alexandria stand the tenements where the poor people live. The windows seem to be decorated with a colorful laundry. When Kato saw a donkey pulling a cart in the narrow passage, he thought he'd flown back into the ancient days. However, he couldn't find any remains or past glory that reminded him of Cleopatra. He just felt quite tired of walking through the narrow back streets.

When Kato felt hungry, it started to gather darkness. Fed up with fast food, he went to one of the ubiquitous Chinese restaurants and ordered both "a bowl of noodles in a brisket soup" and "a dish of fried rice with eggs, greens, and beef". Eating like a starving pig, Kato could hardly move, but managed to walk back to his hotel room, and lay down on the bed. He soon dropped into a deep sleep.

Middle in the night, Kato suddenly woke up, and rubbed his eyes.
Then, he was startled!
A naked woman sitting on a chair by the window was staring at Kato.
He thought he was still in a dream.
He rubbed his eyes again. However, the woman didn't disappear.

In fact, she was smirking with her mouth covered by her right hand as if to show politeness.
Kato rubbed his eyes again.
However, the naked woman didn't dissapear.
She didn't look like an Egyptian woman he often saw in Alexandria.
Even in the moon-lit hotel room, her skin gleamed whitish-blue like that of a French or German woman.
The naked woman gave him a discreet smile.



“Who ... who the hell are you?"



“Cleopatra...hu, hu, hu...”

“No kidding!”

Rubbing his eyes again, Kato stared at the woman, who laughed merrily as ever.
He turned on the light at the bedside stand.
The light turned her white skin into light-orange color.
With an ornamental cobra in the center, a golden hairband held her black hair like an Egyptian queen.
Slightly below the shoulder, her left arm showed a gilt bracelet that looked like a coiling cobra.
Except for the hairband and the bracelet, she wore nothing.

To his surprise, the naked woman remained still in the antique armchair like a nude model with her left leg drawn up on the edge and right leg stretching out. Naturally, the clean-shaven ripe peach between the legs was on full display.



Although Kato considered it rude to be staring between her legs, he couldn't help but hold his peering eyes.
From the crack of peach bloomed a pair of pink petals that looled like a cockscomb.
With the petals Joining together at the top, the peach boasted a gleaming pearl.
The woman really looked like a voluptuous Venus.
Wow! What a woman!
Kato gulped down a thick drop of saliva or two.
"But..., but, she cannot be that famous Cleopatra," thought Kato.
"Does she tell me that she is a descendant of Cleopatra?"
As if to read his mind, she stood up and stepped forward.
Smiling like an innocent girl, she stopped in front of Kato.



“What are you thinking of?”



“How... how come you're here with me?”

“'Cause you've been thinking of me for so long.”

“How do you know?”

“You've been looking for me in this town, haven't you?”

“Give me a break. If you were Cleopatra, how could you possibly speak English?"

“I learned English for you."

The woman sat down right beside Kato.
A sweet smell of perfume tickled his nostrils.
"What kind of smell?" He thought.
It definitely stimulated him sexually.
He had never sensed it before.
However, somewhere in his heart, the watchful self told him, "Do not be fooled!"



Are you still in doubt?



Well...don't you think, you're a bit out of your mind when you meet me like this...in the stark-naked for the first time?

Jeez...are you saying, I'm out of my mind?

Yes, I am. If you aren't out of your mind, you don't have commen sense.

You're talking nonsense. I have more common sense than you have.

Oh, yeah?

Yes, of course. You don't have a common sense to attend the funeral of your own father.

How do you know?

I told you. I've been watching you such a long time that I know everything about you.

But why have you been watching me?

'Cause you wrote about me.

Did I write about you?

Yes, you did. Don't you remember it?

Give me a break. I met you tonight for the first time. How could I possibly write about you?

Actually, I've seen you so many times that you're quite familiar to me...so much so that you're like my husband. hu, hu, hu... Otherwise, I wouldn't be able to appear in the buff like this.

Do you really want me to believe all this?

So, you're thinking I'm telling a fib, aren't you?

The smile vanished completely from the face of the woman for the first time. The cold look floated up on her face as if to face her cheating husband.
Kato pulled himself from her for a moment.
But the woman got closer to challenge him.
Although it was hot and humid in Alexandria, Kato felt a chill deep inside.
Her breasts hardened slightly with the nipples turned up.
The big nipples were those of a mother who gave birth to a child.
Kato saw goose bumps on the skin around the nipple, it was not that cold, though.
He wondered if its cause was anger or lust.



Since you don't seem to believe me, I jot down the story right down here so that you can recall.




When I was an adorable third-grade pupil, 350 pupils of the same grade went to the movie theater near my elementary school to view the animation film called "Son Goku", which is a story about an adventurous monkey. One of the unforgettable scenes was as follows:



The monkey stands on the palm of the giant Buddha who remains seated. The monkey looks up and talks to him. "Hey, you! I'm a great monkey just like a superman. I flew to the end of the world and now I'm back on your palm.



Full of friendliness and mercy, Buddha smiles. "Oh, are you? You can fly from one end of the world to another like a superman, can't you? Why don't you show me some proof?"

"No problem. I can show you the proof. I flew over to the end of the world and wrote my name on the stone pole that stood like a giant finger. If you don't believe it, you should also travel to the end of the world. But I don't think you can do it 'cause you're always sitting like this."

Buddha keeps smiling. "Well, some people see me fly like a superman."

"Don't be silly. You're always sitting like this. How could you possibly fly like a superman?"

"So you've only seen me sitting like this, haven't you?"

Then Buddha slowly expands the palm of the other hand. The middle finger shows the name that the monkey wrote some time ago. "Is this the name you wrote when you flew to the end of the world?"



Dum-founded, the monkey stares at the name, which in deed he wrote, thinking that he reached the end of the world.
But it turns out to be the middle finger of Buddha.

"You said you flew over to the end of the world, but in my eyes you just jumped from my right hand to left hand."

It was such a thought-provoking scene that I can still remember it clearly.

If I were Buddha, I might have told Cleopatra the following:



"You certainly enjoyed a string of love affairs, soaked and immersed in politics, gathered a great deal of power, and boasted the unmeasurable treasure. But, after all, you are not so different from the monkey. In my eyes, you have been moving around on my palm."

"Is that so? Anyway, I'm so tired."

"Are you really tired of living in this world? If you say so, you might as well kill yourself. I wouldn't prevent you from doing so. It's up to you."

"I'm tired anyway. I did do my best. In your eyes, I might have done as the monkey did on your palm. Although all my effors seem to be a futile struggle, I cannot think of any other way to lead my life. And now I'm really exhausted."

"Every man or woman dies soon or later. Simply, it's the difference between being early or being late. You think you did do your best, don't you? If you really think so and there's nothing you want or desire, it might be a good idea that you finish your life and take it easy at this point. Nobody has a right to say otherwise."

Even if you lead a flashy, colorful life of Cleopatra, your life is nothing more than that of the monkey who, from the Buddha's point of view, only wriggles around on his palm.
Although Cleopatra did her best, she didn't achieve what she really wanted.
Nobody is perfect; so yo might feel hopeless and sigh in disappointment from time to time.
You might say, "I'm really tired to death." just as Cleopatra did.
And if you ask Buddha what to do, he has to say the same thing:

"Every man or woman dies soon or later. Simply, it's the difference between being early or being late. You think you did do your best. If you really think so and there's nothing you want or desire, it might be a good idea that you finish your life and take it easy at this point. Nobody has a right to say otherwise."




SOURCE: "Love Affairs"
『不倫にこだわっていませんわ』
(September 21, 2006)




I accept what Buddha said. But, Kato, you fogot the important thing.



Important thing? What's that?

So, I have come out this way. I stay here with you until I tell you the important thing. Then I'll go home.

You go home? but where?

Of course, back to Heaven!

Do you really want me to believe this?

"Those who believe will be saved."

Kato, there must be the same saying in Japan, is there?

Yes, there is the same saying in Japan, but I'm free of dire lament, great distress, acute regret or anything like that. I feel fairly contented with myself. So I don't have to join Heaven. By the way, where did you get the above article?

I searched for it on the net, of course.

But the original article is written in Japanese. Did you learn Japanese?

Yes, of course, I did.

Look! Cleopatra didn't speak English nor Japanese!

You're right, Kato. Cleopatra didn't speak both languages till her death in 30 BC. However, she spoke many languages of her neighboring countries. Indeed, without an interpreter, she communicated with Ethiopians, Arabs, Hebrews, Syrians, Medes, Parthians...You see, I have a talent for languages. Naturally, I've got a knack to learn Japanese.

And do you really believe, you're Cleopatra?

Yes, of course. Do you, Kato?

Listen! We are in the year of 2010. Cleopatra died in 30 BC. And if you are the real Cleopatra, your age is 2040 years old. Who would believe such a nonsense story?

I'm not saying I've been here in Alexsandria for all those years. I was born again as Cleopatra. Kato, have you ever heard of "reincarnation"?

Yes, I have. But I don't believe in reincarnation.

Then, start believing it. Judging from all those articles you wrote, I thought you should be able to understand reincarnation.

Yes, yes, yes... I understand reincarnation, but understanding is one thing; believing is another. Anyway, I've never thought that Cleopatra would read my articles on the net.

So, I told you I was reborn.

Don't be silly! No jokes anymore, please. You're suffering from delusion. You're talking gibberish. Is there a mental hospital near this hotel?

There isn't such a thing! Have you ever thought, Kato, why I know the article you wrote?

By intuition?

No, not by intuition. I've been watching you for a couple of years. Think about why I showed up in the nude.

Why?

'Cause I know you. You aren't an indecent womanizer, are you?

No, of course not. But, what you're saying is misleading my readers. Do you know that?

Why?

'Because you're saying there's no chance for you and me to get romantically involved. Some readers may think that I am impotent.

Are you?

No, of course not.

You don't have to worry about such a thing. hu, hu, hu...

Since I arrived here in Alexandria, I've been thinking about a romance with a charming woman like Cleopatra. And here you are. I might just as well hold you in my arms, and wanna turn tonight into a memorable night.

I know, I know...

Then let's make it!

...make what?

Let's make love, shall we?

Don't be ridiculous, Kato. You're here to search for Cleopatra, aren't you?

Oh, yes, I am...but your nude is too much for me.

Okay. Then get up and stay away from the bed.

What do you think you're doing?

I'm gonna take off the bed sheet, then wrap myself with it like this. Voila! How do I look now?





I don't think you're a reborn Cleopatra, but I can sense that you're quite knowledgeable about the queen. Tell me how you became intelligent enough to attract Caesar and Antony.



It's a long story. Here's an excerpt from the book you might be interested in:




Cleopatra had passed her early childhood in the royal women's apartments. She was educated according to the centuries-old program established for the pharaoh's daughters, who were raised to rule alongside their brother-husbands---the girls' curriculum was, in fact, the same as the boys'.

The pharaotic tradition had given a great deal of importance to scholarship, and the Ptolemies honored and even intensified this tradition. Like all the Hellenistic rulers, they sought to nurture the child's general culture, or enkukleios paideia---the phrase from which we get the word "encyclopedia."

The Ptolemies developed a nationwide system of primary and secondary schools, for the Greek elite of girls and boys who would be called upon to maintain the pharaoh's power over the native masses.

In Cleopatra's time, the course of study was based on Greek literature, especially the works considered masterpieces, which scholars had painstakingly assembled into a fixed canon, or collecction of texts.

Thus, the child read and studied Homer's epics, which were much admired at court; the poems of Hesiod and Pindar; the tragedies of Euripides, considered superior to those of Aeschylus and Sophocles; the comedies of Menander; and the Histories of Herodotus and Thucydides; Cleopatra learned the art of rhetoric from the speeches of Demosthenes. Her education in the sciences was equally thorough: she took courses in arithmetic and geometry, astronomy and medicine, disciplines that flourished in the Alexandrian schools. A gifted amateur, the young queen also learned to draw, play the seven-stringed lyre, and sing. She was an excellent horsewoman---a sure sign of Hellenism in a "barbarian" land.

Her intellectual abilities were remarkable, but the queen displayed a particular talent for foreign languages, though Plutarch, the Greek historian, may have exaggerated somewhat.






pages 32 - 34 "Cleopatra"
Author: Edith Flamarion
Published in 1997 by Harry N. Abrams, Inc.



(To be continued)

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