京都府笠置町にある国の史跡・名勝、笠置山を発掘調査している府埋蔵文化財調査研究センターは30日、後醍醐天皇が鎌倉幕府倒幕を目指して笠置寺に立てこもった元弘の乱(1331年)前後の排水溝や建物跡が見つかったと発表した。排水溝は岩を削ったり、加工した石を積み重ねて造営している。「太平記」の記述そのものの風景が現れた形で、堅固な寺の様子が明らかになった。(京と新聞電子版から引用)
太平記と言うと、1318年 (文保2)〜1368年(貞治6)頃までの約50年間の出来事などを書き綴った古典文学のひとつどして、軍記物語としてさまざまな戦の詳細など記してあるものとして残っとります。
本日の記事内容は、その「太平記」に描かれている元弘の乱(1331年)前後の排水溝や建物などが実際に見つかった!と言うもので、大変興味深いものになっとります。
「太平記」には笠置山を「岩を切り取って堀とし、石を積み重ねて城壁とする」と記す記述が残っていると言うことなんどすが、今回見つかった堀などがそれにあたると言うものどす。
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見つかったものは、幅約30センチで、石を平らに加工し積み重ねて石組みにしたり、巨大な花こう岩を削って造っていたもので、溝の中には焼土がないことなどから、乱後の再建で整備されたものではないかということどす。
こういった遺跡などは、今回のものとは全くのま逆で、遺跡が先に見つかり、これは一体なんだ?と言うところから調べると言うこともあると思いますが、元々資料があるものを実際に見つけ出すと言うのも中々オツなもので面白いものどす。ある意味トレジャーハンターのようにも感じます。
しかし、今回の発掘は全くの偶然という事ではなく、現在の笠置寺から約300メートル南の約600平方メートルを調査していたもので、2005年の調査でも、元弘の乱に伴う焼土や巨大な堀などもすでに見つかっていたと言うことなんどす。
今からざっと700年近く前のものが実際に見つかると言うは、大変ロマンがありますな^^
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