いま、いろいろなところで、格差という自己防衛のための
小さな優越心に陶酔している群像を目にします。
学生自身、巷で作られた「学校間の偏差値」をもとにした、
相対的な価値判断を当たり前のように取り入れているように見えます。
その意識はしっかりと、見えない価値観の軍門に下っています。
いまだに、「東京大学」は最高学府という幻影を誇示し、
マスコミもそれにならい、社会の格差を容認しているのです。
一般企業もどこの出身の大学が出世しているか、
コネがあるか、人生を有利に展開できるか、
世間一般、誰もが狭義の世界に満足しオタクになっているのです。
昨年、高校の必修科目履修問題が取り沙汰されましたが、
いくら、教育関係の基本法を作っても形骸化は免れません。
自己防衛のために人々は、格差を作りたがり、縄張り争いを繰り返す。
代議士の選挙でもそれぞれのエリアの既得権益が
この世からなくならない限り、
いくら永田町でやらなくてもいい代表質問が
繰り返されているとしても、
選挙民同士の確執は未来永劫無くなりはしないのです。
差別や格差は生じるのではなく、
私たちの悪の無意識が作り出しているのです。



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