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2008年09月21日

月とすだれ



 
月とすだれ




新盆で実家に




投稿日時: 2008/8/15 8:36 (ロンドン時間)
日本時間: 8月15日 午後4時36分
バンクーバー時間: 8月15日 午前0時36分





はい デンマンさん アツイよー
ここは タイ か バンコクか!
新盆で叔母さんが来るというので、実家にいったまま
結局 泊まってしまいました。


ん。。。?新盆?
聞いたことはあるけれど、意味が良く分からないなぁ〜
“新しい盆”って、どういうこと?
辞書を引けば分かるよね。
調べてみますゥ。





雷の後 とても 気持ちの良い風が入ってきて、
そう 私が使っていた 2階の部屋はとても
風通しがいいのです。 

何だか 帰るのが おっくうになり うたた寝 してしまい、
南の方で花火の音がしていたような、どこだろう?

朝方 下の台所で音が聞こえたけど だれもイナイ。
まだ 父と母が暮らしていて 私たちの為に おにぎりでも
作ってくれてる 錯覚をします。


うん、うん、うん。。。
実家は懐かしいでしょうね。
小さい頃の思い出が一杯詰まっているからね。。。
小百合さんは、優しかった“ばー(おばあさん)”の事も
思い出すのでしょう?





今夜から また 軽井沢にいきます。
明日は矢ケ崎公園の花火です。



時間をつくりCAFE にいってみるね。
そこから、できたら返信します。



では また。。。

小百合より




それにしても、佐野から館林、館林から佐野。。。
そして夜になってから軽井沢。。。

行動派の小百合さんらしいですよう。
その行動力には感心させられますう!



花火を見て
楽しんだあとで
翌朝は“森林浴@軽井沢”を楽しんでねぇ〜。






そして時間があったら、ネットカフェで返信を書いてね。
楽しみにしていますよう。
 
では、今日も一日
暑さにめげずに
元気よくネットサーフィンしましょうね!








投稿日時: 2008/08/15 09:53 (ロンドン時間)
日本時間: 8月15日 午後5時53分
バンクーバー時間: 8月15日 午前1時53分

『美しい村』スレッドより
ロンドンの 『ビーバーランド e-XOOPS』




『さまざまな愛 (2008年8月20日)』より




デンマンさん。。。今日は『月とすだれ』でござ〜♪〜ますけれど、どうして小百合さんのメールを持ち出してきたのですか?



おとといは卑弥子さんと『女性とよしず』のことで語り合ったのですよう。

■ 『女性とよしず (2008年9月19日)』

そうでしたわ。デンマンさんが定説とは全く違う解釈をなさったのですわよね?

僕の解釈を読んでみて、卑弥子さんも少しは読み方を改めてみようと思いましたか?

確かに、興味深い解釈だとは思いますわ。でも、和歌そのものの内容からは著しく離れているような気がするのでござ〜♪〜ますわ。




君待つと

わが恋ひをれば

わが屋戸(やど)の

簾(すだれ)動かし

秋の風吹く


額田王

万葉集 巻第四・488



久しぶりに愛しいあなたにお会いして、

あの不吉な“申”を背負って出てきた亀のお話を

お聞かせしようとしているのに、

あなたは聞く耳を持たずに

大防衛網を構築なさっている。

でも、巷(ちまた)には怨嗟(えんさ)が

満ちているのです。

あなたにとって怨嗟の声は

簾を動かしながら、

私の宿を吹き抜けて行く

秋風のようなものなのでしょうね。

【デンマンによる現代語訳】






風をだに

恋ふるは羨(とも)し

風をだに

来(こ)むとし待たば

何か嘆かむ


鏡王女

万葉集 巻第四・489



その通りですわよう。

愛しい人を思うあなたの気持ちは良く分かります。

でも、あの方は、巷の怨嗟を聞く耳を

持たないようです。

巷の怨嗟は簾を動かす秋風のようにむなしく

吹き抜けてゆくばかりです。

でも、やがて怨嗟の声が無い

世の中が来ると思えば、

それ程嘆く事もありませんわよう。

【デンマンによる現代語訳】


『女性とよしず (2008年9月19日)』より


僕の解釈が和歌の内容とそれ程かけ離れているとは思いませんよう。。。

そうでしょうか?あたくしは、かなりかけ離れていると思うのでござ〜♪〜ますわ。

和歌は、もともと五・七・五・七・七のわずか31文字の歌ですよう。だから、歌の詠まれた背景を考えないと、いく通りにも解釈する事ができる。

つまり、読み手によって解釈が定まらないとデンマンさんはおっしゃるのでござ〜♪〜ますか?

そうですよう。だから、歌の真意をつかむには、詠み手が詠んだ背景を考えなければ、的確な解釈ができないと僕は信じていますよう。

それで、時代的な、政治的な背景も考えなければならないとデンマンさんはおっしゃるのでござ〜♪〜ますか?

そうですよう。僕だけではありません。かつて司馬遼太郎さんは次のように言ったことがありました。




“作品は作者だけのものと違うんやでぇ〜。。。

作者が50%で読者が50%。。。

そうして出来上がるモンが作品なんやでぇ〜”




『ん?社会派? (2008年3月3日)』より


和歌の場合には特にそうだと思いますね。とにかく31文字ですからね。詠み手が何を言いたかったのか?それを突き詰めてゆけば、当然の事ながら、詠み手が詠んだ時代的背景を考えなければならないはずですよう。卑弥子さんも、そう思いませんか?

分かりましたわ。。。んで、先ほどの質問ですけれど、どうして小百合さんのメールが出て来るのでござ〜♪〜ますか?

実は、万葉集にスダレが出て来る歌が他にもあるだろうか?そう思って調べたのですよう。

あったのですか?

ありましたよう。月とスダレが出て来るのですよう。

それで、『月とすだれ』と言うタイトルにしたのでござ〜♪〜ますか?

そうです。

でも、上の小百合さんのメールには月も簾も出ていませんわ。

月が出てくるでしょう?

出ていませんわ。

出ていますよう。次の画像を見てくださいよう。



でも、これはメールの内容とは直接関係無いでしょう?

実はねぇ、『月とすだれ』と言うタイトルに決めた時に、小百合さんが月とスダレについて書いているメールがないだろうか?そう思って探したのですよう。でも、僕がタイトルからすぐに思い浮かんだのは上の画像だったのですよう。なんとなく詩情を感じさせる画像でしょう?

そうでござ〜♪〜ましょうか?

僕には気に入った画像なのですよう。。。それで、この画像のファイルネーム(river20.jpg)で検索したら、小百合さんのメールが載っている次の記事が引っかかったと言う訳ですよう。

■ 『さまざまな愛 (2008年8月20日)』

それで無条件に小百合さんのメールを引っ張り出してきたのでござ〜♪〜ますか?

うしししし。。。そうなのですよう。。。あれっ。。。卑弥子さんは、納得のゆかないような表情を浮かべていますねぇ〜?

だってぇ〜、関係ないようなメールを持ち出してくれば、読む人は、当然、どうしてこのメールなの?。。。あたくしのように、そう不思議に思うものでござ〜♪〜ますわ?

しかし、卑弥子さんが不機嫌になるほど関係ないわけでもないのですよう。かな〜り関係がある。画像は、もちろん月が出ているから問題ないですよね。小百合さんのメールだって、読むと、ほのぼのとした詩情を感じる。僕は、小百合さんのメールを読みながら、懐かしい夏の風物がイメージとして思い浮かんできたのですよう。

それで、写真をベタベタと貼り付けたのでござ〜♪〜ますか?

そうなのですよう。いけませんか。。。? それに、風物を詠んだ和歌を読む時のようなイメージが浮かんできて、上の小百合さんのメールの読後感が『月とすだれ』にふさわしいと思ったわけなのですよう。

つまり、これからデンマンさんが紹介なさる万葉集の中の歌が、なんとなく小百合さんのメールのイメージと似ているとおっしゃるのでござ〜♪〜ますか?

そうですよう。

分かりましたわ。前置きは、これぐらいで結構でござ〜♪〜ますから、さっそくその和歌をお見せくださいませ。

じゃあ、卑弥子さんも、じっくりと読んでみてくださいね。




玉垂(たまだれ)の

小簾(をす)の間(ま)通し

ひとり居て

見る験(しるし)なき

夕月夜かも


詠み人知らず

万葉集 巻第七・1073



この和歌が小百合さんのメールと似ているとおっしゃるのですか?

直感的に雰囲気が似ていると思ったのですよう。どことなく詩情があって。。。なんとなくロマンチックで。。。この歌から受けるイメージが、それとなく次の月が出ている画像とも似ているような。。。



どうですか?。。。卑弥子さんも、そう感じませんか?

あたくしは、全くそのような気がしませんわ。

うん、うん、うん。。。見解の相違と言うよりも、感性の相違でしょうねぇ〜。

。。。んで、デンマンさんは、どのように解釈したのでござ〜♪〜ますか?

だから、直感的に、歌の雰囲気を感じとると、僕は月が出ている上の画像が思い浮かべたのですよう。

なぜですの。。。?

なぜってぇ。。。僕は、まず直感的に次のように解釈したのですよう。




このような素晴しい月夜の晩に、

一人で簾の隙間から月を見ているなんて

なんてつまらないのでしょう。

ああ〜、愛(いと)しいあの人と

今宵(こよい)一緒に、この月を見ることができたら

どんなに素晴しいことでしょう!

ああぁ〜、あの方にお会いしたいわ。




それで、あのォ〜、験(しるし)って、どのような意味なのでござ〜♪〜ますか?

調べたら次のように出ていましたよう。


験 (しるし)

徴とも書く
「しるし(印)」と同源

(1) これから起ころうとする物事の前ぶれ。きざし。前兆。徴候。
「成功の験が見える」
「大雪は豊年の験」

(2) 霊験。御利益(ごりやく)。
「真実微妙の仏の不思議、験を見せしめ給へやと/浄瑠璃・用明天皇」

(3) ききめ。効能。効果。
「薬の験を待ち居りぬ/浴泉記(喜美子)」
「なべてならぬ法ども行はるれど、更にその験なし/方丈記」

(4) 甲斐(かい)のあること。
「験無き物を思はずは一坏(ひとつき)の濁れる酒を飲むべくあるらし/万葉 338」




三省堂「大辞林 第二版」より


僕は4番目がふさわしいと思ったのですよう。つまり、一人ぼっちでこの月を見ても見る甲斐がないと。。。

つまり、女性が詠んだ歌だとデンマンさんは思っているのですわね?

そうですよう。やっぱり、紫式部のような女性が詠んでこそ平安のロマンが感じられるのですよう。男がこのような歌を詠めば、ちょっとサマにならないと思うのですよう。

どうしてでござ〜♪〜ますか?

男が上の歌を詠んだとしたら、僕なら、さしずめ、次のように言うでしょうね。


オマエ、いい年して、それほど女の子と一緒に

月が見たいのなら、

そんなところでじっとしてないで

夜の街に出てナンパしに行けよう。ゴラぁ〜〜




これって、谷岡ヤスジ流の解釈でござ〜♪〜ますわア!

卑弥子さんは、このような現代語訳では不満ですか?

もちろんでござ〜♪〜ますわ。万葉集に載っている歌ですもの、万葉集らしく格調高く解釈して欲しいものですわぁ〜。

いづれにしても、僕には、上の歌は女性が詠んだものとしか考えられないのですよう。

それで、時代的背景は、この場合どうなっているのでござ〜♪〜ますか?

この歌は“詠み人知らず”なのですよう。つまり、誰が詠んだか分からない。だから、この歌が詠まれた背景を探ろうとしても作者が分からないのだから探りようがないのですよう。

それで、デンマンさんは諦めてしまったのでござ〜♪〜ますか?

もちろん、そう簡単には諦めませんよう。実は、上の歌は万葉集の第七巻に載っているのですよう。調べてみたら、この第七巻は、雑歌・譬喩歌(ひゆか)・挽歌の三つの部立となっている。持統天皇の時代から聖武天皇の頃までに詠まれた歌が載っているそうです。つまり、奈良時代の歌ですよう。柿本人麻呂歌集や古歌集から収録した歌も含まれている。そう言う訳で、作者名や作歌事情等が不明なものが多くなっている。

それで、何か時代背景が分かったのでござ〜♪〜ますか?

万葉集第七巻を見てみたら、巻頭の1068番の歌から1088番の歌まで必ず“月”が入っているのですよう。


1068 天の海に雲の波立ち月の船星の林に漕ぎ隠る見ゆ (人麻呂歌集
1069 常はさね思はぬものをこの月の過ぎ隠らまく惜しき宵かも (作者未詳)
1070 大夫の弓末振り起し狩高の野辺さへ清く照る月夜かも (作者未詳)
1071 山の端にいさよふ月を出でむかと待ちつつ居るに夜ぞ更けにける (作者未詳)
1072 明日の宵照らむ月夜は片寄りに今夜に寄りて夜長くあらなむ (作者未詳)
1073 玉垂の小簾の間通しひとり居て見る験なき夕月夜かも (作者未詳)
1074 春日山おして照らせるこの月は妹が庭にも清けかりけり (作者未詳)
1075 海原の道遠みかも月読の光少き夜は更けにつつ (作者未詳)
1076 ももしきの大宮人の罷り出て遊ぶ今夜の月のさやけさ (作者未詳)
1077 ぬばたまの夜渡る月を留めむに西の山辺に関もあらぬかも (作者未詳)
1078 この月のここに来たれば今とかも妹が出で立ち待ちつつあるらむ (作者未詳)
1079 まそ鏡照るべき月を白栲の雲か隠せる天つ霧かも (作者未詳)
1080 ひさかたの天照る月は神代にか出で反るらむ年は経につつ (作者未詳)
1081 ぬばたまの夜渡る月をおもしろみ我が居る袖に露ぞ置きにける (作者未詳)
1082 水底の玉さへさやに見つべくも照る月夜かも夜の更けゆけば (作者未詳)
1083 霜曇りすとにかあるらむ久方の夜渡る月の見えなく思へば (作者未詳)
1084 山の端にいさよふ月をいつとかも我は待ち居らむ夜は更けにつつ (作者未詳)
1085 妹があたり我が袖振らむ木の間より出で来る月に雲なたなびき (作者未詳)
1086 靫懸くる伴の男広き大伴に国栄えむと月は照るらし (作者未詳)
1087 穴師川川波立ちぬ巻向の弓月が岳に雲居立てるらし (人麻呂歌集
1088 あしひきの山川の瀬の響なへに弓月が嶽に雲立ち渡る (人麻呂歌集


第6巻の最後の歌を見ても月は出てこない。つまり、第七巻の巻頭に月の歌を集めているのですよう。上で紹介した歌は、6番目に出てきます。

それで、何か変わった事でも見つけたのでござ〜♪〜ますか?

不思議なのは、巻頭に「人麻呂歌集」から収録した歌を載せている。それなら、なぜ、最後の二つの歌を離して載せているのか?僕が編者ならば、「人麻呂歌集」から収録した月の歌をまとめて載せますよう。つまり、連続して並べると言うことですよう。

離して載せたのには何か理由があるのではござ〜♪〜ませんか?例えば歌を詠んだ日付順とか。。。?

作者不詳なんだから、歌を読んだ日時がはっきりと分かっているはずもないのですよう。

では、何か他に理由があるのでござ〜♪〜ますわ。

そうですよう。だから、僕もそのように考えてみたのです。

それで。。。、何か分かったのですか?

もちろん断定できる確証があるわけではありません。でも、万葉集の編者である大伴家持の意図を推測する事はできます。

どのようにでござ〜♪〜ますか?

大伴家持は日本史では歌人として扱われる場合が多いけれど、この人は反政府活動家としても活躍した。活躍したと言うより、反政府事件に加担して罰せられたと言う事実がはっきりしている。時の藤原政権に反対しているのです。


藤原広嗣の乱のあと、光明皇后の庇護のもとで頭角を現してきた藤原仲麻呂(藤原南家の祖・武智麻呂の次男)の後見する阿部内親王と、橘諸兄の後見する安積(あさか)親王に北家房前の三男八束(母が橘三千代の子である牟漏女王で諸兄の甥に当たる)と大伴家持もグループとして結束し、どちらを次の天皇にするか争いが生じていたのです。




『日本女性の愛と美の原点 (2006年5月28日)』より


それで。。。?

だから、当時の藤原政権に対して批判的だったことは、まず間違いないのですよう。

それで、柿本人麻呂がその事と関係あるのでござ〜♪〜ますか?

あるのですよう。「人麻呂歌集」と呼ばれる歌集は私家版で、7世紀に柿本人麻呂が編者になって集めた歌集なのですよう。この歌集を底本にして、8世紀に大伴家持が個人的な歌集も加えて取り纏(まと)めたのが万葉集だということが通説になっているのですよう。

柿本人麻呂も政府に批判的な人だったのでござ〜♪〜ますか?

僕はそう見ているのですよう。実は、この人麻呂は実に謎めいた人なのですよう。


柿本人麻呂の謎

人麻呂について史書に記載がなく、その生涯については謎とされていた。
古くは『古今和歌集』の真名序に五位以上を示す「柿本大夫」、仮名序に正三位である「おほきみつのくらゐ」と書かれており、また、皇室讃歌や皇子・皇女の挽歌を歌うという仕事の内容や重要性からみても、高官であったと受け取られていた。

江戸時代、契沖、賀茂真淵らが、史料に基づき、人麻呂は六位以下の下級官吏で生涯を終えたとされ、以降現在に至るまで歴史学上の通説となっている。

その通説に梅原猛は『水底の歌−柿本人麻呂論』において大胆な論考を行い、人麻呂は高官であったが政争に巻き込まれ刑死したとの「人麻呂流人刑死説」を唱え、話題となった。
また、梅原は人麻呂と猿丸大夫が同一人物であった可能性を指摘する。
しかし、学会において受け入れられるに至ってはいない。
古代の律に梅原が想定するような水死刑は存在していないこと、また梅原がいうように人麻呂が高官であったのなら、それが『続日本紀』などになに一つ残されていない点などに問題があるからである。




出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


柿本人麻呂は山部赤人(やまべのあかひと)と共に歌聖と呼ばれている。万葉集には長歌19首と短歌75首が掲載されており、万葉集第一の歌人と言っていい。それ程有名なのにもかかわらず、史書には、この人の事が書かれていない。

なぜでござ〜♪〜ますか?

だから、書けない事情があったのですよう。

どのような。。。?

ウィキペディアの次の部分を読むとヒントが得られますよう。


持統天皇の愛人だった?

賀茂真淵によって草壁皇子に舎人として仕えたとされ、この見解は支持されることも多いが、決定的な根拠があるわけではない。
複数の皇子・皇女(弓削皇子・舎人親王・新田部親王など)に歌をたてまつっているので、特定の皇子に仕えていたのではないだろうとも思われる。
宮廷歌人であったと目されることが多い(伊藤博・橋本達雄など)が、宮廷歌人という職掌が飛鳥時代にあったわけではなく、結局は不明というほかない。
ただし、確実に年代の判明している人麻呂の歌は持統天皇の即位からその崩御にほぼ重なっており、この女帝の存在が人麻呂の活動の原動力であったとみるのは不当ではないと思われる。
後世の俗書(『人丸秘密抄』など)では、持統の愛人であったとみるような曲解もあらわれてくるが、これはもとより小説である。

『万葉集』巻2に讃岐で死人を嘆く歌(巻2・220-222)が残り、また石見国は鴨山での辞世歌と、彼の死を哀悼する挽歌(巻2・223-227)が残されているため、官人となって各地を転々とし最後に石見国で亡くなったとみられることも多い。
しかし、この辞世歌については、人麻呂が自身の死を演じた歌謡劇であるとの理解(伊藤博)や、後人の仮託であるとの見解も有力である。
また、文武4年(700年)に薨去した明日香皇女への挽歌が残されていることからみて、草壁の死後も都にとどまっていたことは間違いない。
藤原京時代の後半や、平城京遷都後の確実な作品が残らないことから、平城京遷都前には亡くなったものと思われる。




出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


人麻呂は持統女帝の愛人だったのでござ〜♪〜ますか?

もちろん、そうではないでしょう。でも、持統天皇からかなり目をかけられていたようです。僕は、ある出来事がきっかけで、持統天皇に恨まれて、それで人麻呂の事が史書に書かれなくなったと見ているのですよう。

持統天皇の圧力がかかったと。。。?

そうですよう。そのように考えると、万葉集の第七巻の冒頭の並び方に隠された意図があるように見えてくる。

どのような意図ですか?

つまり、1068番から1088番までの“月の歌”の始まりと終わりは、「人麻呂歌集」から選んだ歌ですよう。その間はすべて“詠み人知らず”の歌になっている。

事実はそうではない、とデンマンさん見るのですか?

その通りですよう。

つまり、“月の歌”には隠された意味が込められているとデンマンさんはおっしゃるのですか?

そうですよう。

つうことわあああぁ〜。。。先ほどデンマンさんが女性が読んだ歌として解釈した1073番の歌も、実は柿本人麻呂が詠んだものだと。。。?

そう考えて読むと全く違った歌物語になるのですよう。どうですか。。。面白いと思いませんか。。。?

。。。んで、そのように考えると、どのように解釈できるのでござ〜♪〜ますか?

それは、またあさって話しますよう。記事が長くなりすぎました。期待していてくださいね。


【卑弥子の独り言】



ですってぇ〜。。。
また、お預けですわ。
デンマンさんの記事は、特に、出だしが長いのですわよう。
あなただって、そう思うでしょう?

とにかく、あさって面白くなりそうでござ〜♪〜ますわ。
あなたも、どうか、読みに戻って来てくださいましね。
じゃあ、また。。。






ィ〜ハァ〜♪〜!

メチャ面白い、

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こんにちは。ジューンです。

わたしは和歌が苦手です。

なぜかと言うと、日常使うような

日本語で書かれてないからです。

だから、わたしの知っている日本語では

万葉集の歌はほとんど理解できません。

もちろん、万葉集の原文は漢字だけで

書かれていますから、わたしはお手上げです。

でも、訓読みで書かれていても

古文で書かれているので

わたしには理解できません。

それで、古典に関することは

歴史のお話として読むことが圧倒的に多いです。

現代文で書かれていますから、

歴史ならば、わたしにも理解できます。

そう言う訳で柿本人麻呂の事は

良く知らないのですけれど、

持統天皇の事はデンマンさんが書いていた記事を

読んだので大変興味深く読めました。

持統天皇は子供の頃から

不幸な目にあっているのですよね。

あなたも、関心があったら読んでみてください。



 女帝誕生
 
 
讚良(さらら)皇女が

皇位を継ぐ。

 
 
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祖母も祖父と共に自殺。
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半狂乱になる。
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建皇子(たけるのみこ)を出産すると
幼少の讚良皇女に我が子を託して
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建皇子は家庭の暗い影の下で
唖者として生まれ
体も不自由だった。
8才の短い命を閉じた。

讚良皇女は女帝になったが、
その生い立ちは不幸の連続だった。


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ところで、英語の面白いお話を集めました。

時間があったら覗いてみてくださいね。

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では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。





2008年09月07日

セレブと碓氷峠



  
セレブと碓氷峠





Subj:明けましておめでとうございます。

Date: 01/01/2008 3:12:13 AM Pacific Standard Time
From: fuji@adagio.ocn.ne.jp
To: barclay1720@aol.com


お正月に何を書こうと迷いましたが
思いつくままに最近感じた軽井沢の不満
について書こうと思います。

題して“軽井沢不満たらたら編”ですう。



私は群馬で上州だから
学生の時から夏は軽井沢に良く出かけました。
(軽井沢は信州ですが)

那須とか日光には、めったにいきません。

私が学生のころ、高崎から横川へ碓氷峠を登り
軽井沢駅まで普通電車で安く行けました。



今は電車は横川止まりです。
子供達はバスで峠を登り軽井沢駅につきます。

大人は高崎から新幹線のホームへ向かい高いお金を払って、
峠を越えるというか
、山の中をくぐってワープします。
長野オリンピックで便利になったけど
あの峠を新幹線でアットいう間にすりぬけてしまって、
釜めしは食べる時間もなく
軽井沢の駅の売店で買って食べたりして、
時間の流れが違ってしまいます。





子供のころ軽井沢ってほんと遠いな〜というか
高い聖地にある町だな〜と思い
楽しみに電車に乗って峠の風景をみていたものです。
私の子供にも経験させたかった。

碓氷峠にはいろいろ思い出があります。

東京も横浜も好きでよくいきますが、
スキーもできてVancouverのように
涼しい軽井沢がいいです。 

佐野はあつい〜。
夏は昼間出かけられません
労働意欲もなくなります。

思いつくままに取りとめも無く書きましたが、
どうかデンマンさんも良いお正月を迎えてくださいね。

2008年元旦

小百合より



『釜飯と小百合さん (2008年1月3日)』より




今日は、デンマンさんの祖先の男の人があたくしの祖先の可愛い女の子に出会うお話をしてくださるのですよね?



そうですよう。そのつもりですよう。

それなのに小百合さんと碓氷峠の思い出でござ〜♪〜ますか?

あのねぇ〜、1000年も前の卑弥子さんの遠い祖先の可愛い女の子を持ち出しても、誰も信じてくれませんよう。

それで、碓氷峠を持ち出してきたのですか?でも、小百合さんは関係ないでしょう?

全く関係ないとは言えないのですよう。僕は、小百合さんの祖先と僕の祖先は同族だったと信じているほどですよう。

どう言う訳でござ〜♪〜ますか?

だから、それを説明するためにも小百合さんの碓氷峠のメールを持ち出してきたわけですよう。

分かりましたわ。では、その碓氷峠の事からお話しくださいな。

卑弥子さんも覚えていると思うけれど、万葉集には碓氷峠が出てくる歌がある。僕は2つの和歌を取り上げて、その歌が刻み込まれている歌碑と共に紹介したのですよう。


釜めしと万葉集





おいしそうでござ〜♪〜ますわ。あたくしは電車の中で待っていますから、デンマンさんが2つ買ってきて下さいな。



あのねぇ、駅弁だけではないのですよう。僕は途中下車して行って見たい所があるのですよう。

どこでござ〜♪〜ますか?

卑弥子さんは忘れてしまったのですか?

忘れたって。。。何をでござ〜♪〜ますか?

やだなあああぁ〜。。。僕は卑弥子さんのために軽井沢と万葉集の事で調べたのですよう。その事で、かつて記事に書いたのですよう。

■ 『夢のホテル (2008年5月8日)』

あらっ。。。いやでござ〜♪〜ますわぁ。。。うふふふふ。。。“夢のホテル”であたくしとデンマンさんがエッチな事をするのでござ〜♪〜ますか?

しませんよう!んもお〜〜。。。そんな事は、どこにも書いてませんよう!たくゥ〜〜。。。

。。。んで、あたくしが何を忘れているのでござ〜♪〜ますか?

防人(さきもり)の歌の歌碑ですよう。



この上の写真を見れば思い出すでしょう?旧碓氷峠の見晴台入り口にあるのですよう。昭和42年に軽井沢町が建てたものです。思い出したでしょう?

ええ、ええ、ええ。。。思い出しましたわ。確かに、デンマンさんが書いていましたわ。
 
『万葉集』には軽井沢は出てこないけれど、碓氷峠が出てきます。奈良時代や平安時代の初期には碓氷峠は「宇須比」とか、「碓日嶺」などと書かれていたようです。上の歌碑には次のような歌が書かれているのですよう。




日の暮れに

うすひの山を

越ゆる日は

背なのが袖も

さやに振らしつ

 
 

(巻第十四 東歌 三四〇二 詠み人知らず)

現代語訳:

日の暮れ時に、碓氷の山の峠を越える日に、
我が夫が、別れの時に目につくほどはっきりと袖を振っていたわ。

峠を越えて去ってゆく夫を慕う妻の心情を詠んでいる。





ひなぐもり

うすひの坂を

越えしだに

妹が恋しく

忘らえぬかも

 
 

(巻第二十 四四〇七
 他田部子磐前 [おさたべの子いわさき])

現代語訳:

ひなくもり(碓氷を導く枕詞)碓氷の坂を越える時は、
国へ置いてきた妻のことが恋しくて忘れられない。

碓氷峠越えの別れの恋歌。


■ 『夢のホテル (2008年5月8日)』より


ロマンチックな歌でござ〜♪〜ますわね?

これはねぇ、実は悲しい歌なのですよう。

どうしてでござ〜♪〜ますか?

もう2度と会えないかもしれないと言う悲痛な思いを込めて詠(うた)っているのですよう。

デンマンさんは、マジでござ〜♪〜ますか?

もちろんですよう。

でも、それ程別れがつらいのならば、一緒に行けばいいではござ〜♪〜ませんか?

しかし、一緒に行けない訳があったのですよう。

どのような。。。?

この別れは、どちらも離れてゆく人が楽しい旅に旅立つ訳ではないのですよう。この別れが相手を見る最後になるかもしれないと言う、まさに悲痛な思いが込められていた。

なぜでござ〜♪〜ますか?

万葉集の「巻第二十」には、防人(さきもり)の歌がたくさん入っているのですよう。

つまり、上の歌で別れて碓氷峠を越えてゆく人は、九州まで歩いていって防人の役目に就(つ)く人でござ〜♪〜ますか?

そうですよう。任期は3年だったのですよ。しかも、この間に税は免除されないから、残された家族は大変だったのですよう。働き者を防人に取られて、家族はその人の分まで一生懸命に働かねばならなかった。だから、残された者にとっても重い負担になった。しかも、この3年の任期は延ばされることもよくあったというのです。更に、任期が終えても、帰ってくる途中で行き倒れになる人もあったと言うのですよう。

マジで。。。?

もちろん、マジな話ですよう。詳しい事は上のリンクをクリックして読んでくださいね。




『ビバ!白鳥の湖 (2008年6月15日)』より


。。。んで、この歌と碓氷峠がデンマンさんの祖先とあたくしの祖先に、どのように関わっているのでござ〜♪〜ますか?

この歌を詠んだ人たちは一体どのような人だったのだろうか?僕は、まずその事を考えてみたのですよう。

アイヌ人の人たちがたくさん住んでいたのでござ〜♪〜ますわ。だから、この歌を詠んだ人たちもアイヌの人だったのですわよう。

それは違うと思いますよう。

なぜですか?

まずアイヌの人たちは日本人に同化した人を除いて明治時代まで文字を使わなかった。和歌を書き残す訳がないのですよう。


アイヌ人は主に東北地方と

北海道に住んでいた。




7世紀頃には、蝦夷(えみし・えぞ【アイヌ人】)は現在の宮城県中部から山形県以北の東北地方と、北海道の大部分に広く住んでいたと推察されている。
大化年間ころから国際環境の緊張を背景とした蝦夷開拓が図られた。
大化3年(647年)の渟足柵設置を皮切りに現在の新潟県・宮城県以北に城柵が次々と建設された。
658年、阿倍比羅夫が水軍180隻を率いて蝦夷を討った。
しかし、個別の衝突はあったものの蝦夷と朝廷との間には全面的な戦闘状態はなかった。
道嶋嶋足のように朝廷において出世する蝦夷もおり、総じて平和であったと推定されている。



蝦夷征討
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


確かにアイヌ人も関東に少しは住んでいたでしょう。でもねぇ、そういう人たちは日本人に同化してしまった人たちですよう。この歌が詠まれた当時はアイヌの人たちのほとんどは東北地方に追いやられていたのですよう。万葉集の編者の大伴家持(おおともやかもち)は、718年に生まれ、785年に亡くなっている。この大伴家持は防人を集めて世話をする役人だった事があるのですよう。だから、彼の手元に集められてきた歌を家持が記録し、取捨選択して万葉集に載せたものと考えられているのですよう。

つまり、上の歌が詠まれたのは750年頃ですか?

そう考えてほぼ間違いないでしょう。

その頃までに、ほとんどのアイヌ人は東北地方に移住していたのでござ〜♪〜ますか?

そうですよう。

。。。んで、アイヌ人の人たちが関東から東北に移住したとして、そのあとに収まったのはどのような人たちだったのでござ〜♪〜ますか?

大伴家持が上の歌を万葉集に載せる約100年ほど前に、日本はたくさんの難民を受け入れたのですよう。

難民って。。。一体どこからの難民でござ〜♪〜ますか?

この事について、僕は以前、記事に書きました。その記事の中から抜粋しますよう。読んでみてください。


東国人は天智天皇によって

防人(さきもり)として狩り出された




天智天皇は百済(くだら)を助けるために古代韓国で戦争に加担した。
それで、663年に白村江(はくすきのえ)の戦いで敗れた!
天智帝(まだ正式には天皇ではありませんが、政治を担っています)にとっては、決定的な痛手だった。
先ず人望を失います。

これとは反対に、多くの人が、大海人皇子(後の天武天皇)になびいてゆきます。
ちょうど、太平洋戦争に負けた日本のような状態だったでしょう。
当時の大和朝廷は、まだ唐と新羅の連合軍に占領されたわけではありません。
しかし、問題は白村江で大敗したという重大ニュースです。

おそらく、天智天皇は『一億玉砕』をさけんで、しきりに当時の大和民族の大和魂を煽り立てたでしょう。
しかし厭戦気分が広がります。それを煽り立てるのが大海人皇子を始めとする新羅派です。

国を滅ぼされてしまった百済人が難民となって続々と日本へやってきます。
天智帝が援助の手を差し伸べます。
しかし戦費を使い果たした上に、さらに重税が割り当てられるのでは、大和民族にとっては、たまったものではありません。
そういう税金が百済人のために使われると思えば、ますます嫌になります。

天智天皇の人気は底をつきます。

そればかりではありません。天智天皇はもう必死になって、九州から近畿地方に至る大防衛網を構築し始めます。



しかし、天智天皇は重大な間違いを犯してしまった。
唐・新羅同盟軍の侵攻を防ぐために、天智帝は上の地図で示したような、一大防衛網を築いたのです。
(現在で言うなら、テポドンに備えるようなものですよ!
その防衛網を実際に構築したんですよ!
その実行力は確かにすごい!)

そのために、一体何十万人の人々が動員されたことか?
しかし、天智天皇の防衛計画を本当に理解している人は、おそらく10パーセントにも達しなかったでしょう。

「何でこんな無駄なことをさせられるのか?」

大多数の人は理解に苦しんだことでしょう。

魏志倭人伝に書いてあるとおり、原日本人(アイヌ人の祖先)というのは、伝統的に町の周りに城壁を築くようなことをしません。
したがって、山城を築くようなこともしません。
これは朝鮮半島的な発想です。
原日本人にとって、山は信仰の対象です!
聖域に入り込んで、山を崩したり、様相を変えたり、岩を積み上げたりすることは、神を冒涜することに等しいわけです。
このことだけをとってみても、天智天皇は土着の大和民族、古代アイヌ人から、総スカンを喰らう。
「今に見ていろ。きっとバチが当たるから!」

しかも、これだけでよせばいいのに、東国から、防人(さきもり)を徴用する。
東国には、当時アイヌ人の祖先がたくさん暮らしていた。
つまり、大和人に同化したアイヌ人もたくさん居た。
この人たちは、文字通り、万物に神が宿ると信じて、平和に感謝して生きる人たちだった。

この防人というのは、九州の防衛に狩り出される警備兵です。
そのような素朴な人たちまでもが警備兵として狩り出される。
往きは良い良い帰りは怖いです。
というのは、帰りは自弁当です。
つまり自費で帰国しなければなりません。

したがって金の切れ目が命の切れ目で、故郷にたどり着けずに野垂れ死にをする人が結構居たそうです。
それはそうでしょう、新幹線があるわけでありませんから、徒歩でテクテクと九州から関東平野までテクシーです。
ホテルなんてしゃれたものはもちろんありません。
途中で追いはぎに襲われ、身ぐるみはがれたら、もう死を覚悟しなければなりません。
さんざ、こき使われた挙句、放り出されるように帰れ、と言われたのでは天智天皇の人気が出るわけがありません。
人気どころか怨嗟の的になります。
「今に見ていろ。きっとバチが当たるゾ!」

それで、バチが当たって(?)天智天皇は暗殺されたわけです。




『万葉集の謎と山上憶良 (2006年7月1日)』より


分かるでしょう。天智天皇は百済を助けるために古代韓国で戦争に加担した。でも、663年に白村江(はくすきのえ)の戦いで敗れた!百済は国が無くなってしまったのですよう。

つまり、百済人が難民になって日本にたくさんやってきたのでござ〜♪〜ますか?

そうですよう。天智天皇は難民を受け入れるより他に仕様がなかった。だから、土地が空いている関東平野に防人の予備軍として送り込んだ訳ですよう。

要するに上の歌を詠んだ人は、この難民の子孫でござ〜♪〜ますか?

その可能性が強いですよう。難民たちが関東平野に移住してから100年経っているから、上の歌を詠んだ人は、おそらく孫の代でしょうね。当時は学校があるわけではないから、漢字は親から教わる。万葉集の歌はすべて漢字で書かれている。日本語の読みに漢字を当てて書いたのが当時の歌ですよう。

分かりましたわ。それで、あたくしの祖先の女の子の事ですけれど。。。どうして京都に居るはずのあたくしの祖先が関東平野に居るのでござ〜♪〜ますか?

次の文章を読んでみてください。


この列島にいつ「武士」が現れたのか



武士はいかにしてこの日本列島に「出現」したのか…。
この謎ときに対して、司馬さんの筆は期せずして一編の壮大な叙事詩をつむぎだしているかに見えます。
『街道をゆく』の第一巻は「甲州街道 長州路ほか」です。「甲州街道」は近藤、土方、沖田、井上ら新撰組の主力メンバーが少年時代をすごした土地を野太く貫く古い街道です。
『燃えよ剣』をおもしろく読む鍵がここにある気がします。
「甲州街道」編には、一炊(いっすい)の夢を見るような、あるいは古代から今日にわたる“時間飛行”のような詩情が潜んでいます。

旅の始まりで『更級日記』にふれます。
父の任地である東国で生まれた13歳の少女が、任期が満ちて京に帰る父に連れられて草深い武蔵野国を通ったのは寛仁四(1020)年のことでした。

たまたま望見した名も知らぬ人物について書き記します。

「馬に騎りて弓持(もち)たる」人物についてです。
広々とした空の下、馬に乗った武人はやがて草むらに消えて行きます。
点景のように草原に現れたこの人物のことを彼女が書きとどめたのは、よほどそのときの光景があざやかだったからに違いありません。
さりげなく書かれたこの一節が司馬さんの記憶に止まります。
そしてその時代から一挙に時間を360年ほど溯(さかのぼ)ります。

それより360年前の西暦663年。
朝鮮半島。
百済(くだら)が滅亡の危機に瀕(ひん)していました。
百済の救援に向かった約二万七千の日本軍は白村江(はくすきのえ)の海戦で大敗北。敗戦の混乱の中で多くの百済遺民を伴って帰国します。
百済人は長年、ツングース系の高句麗騎兵と戦っており、騎射に長じていました。
司馬さんの想像力は、少女が見た「馬に騎りて弓持たる」人物が、土着人と混血した360年後の百済人の子孫ではないかと見るのです。当時、武蔵野には二千余人の百済人が移住し、土着しました。
そして、中国的な国家の「かたち」である律令制を倒し、1192年に鎌倉幕府という日本的な政権を作った新興勢力である坂東(ばんどう)武士団とは、この人たちの後裔(こうえい)ではないかと考えるのです。


「この集団が、日本史上、われわれが誇る、最も典型的な日本人集団とされる坂東武者に変わってゆくことを思うと、東アジアの人間の交流や、文化の発生にかぎりないおもしろさを覚える。」(『街道をゆく』1)


日本人の原型体質とは、坂東武士団の中から結晶のように煮詰って現われ出た生き方であり、その広がりはアジア的スケールを持っていたかもしれないのです。
かれら坂東武士団のモラルこそ、「名こそ惜しけれ」でした。「坂東」とは箱根の東ということです。




(84−87ページ) 『司馬遼太郎の「武士道」』
著者・石原靖久 発行・平凡社
2004年8月25日 初版第一刷発行


つまり、上の引用の中に現れる13才の少女があたくしの祖先の一人だとデンマンさんはおっしゃるのでござ〜♪〜ますか?

直系の祖先ではないけれど、卑弥子さんの遠い親戚筋に当たるのですよう。

『更級日記』を書いた女性は、確かに名前が今日に伝わっていませんわ。でも、彼女の父親は菅原孝標(たかすえ)でござ〜♪〜ますわ。確か4代前には、あの有名な右大臣・菅原道真(みちざね)がおりますわ。

ほおォ〜。。。さすがですねぇ〜。。。京都の女子大学で「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授ですねぇ〜。。。知ってますねぇ〜。。。

こういうところで煽(おだ)てないでくださいましな。

僕は詳しく知らないので調べてみました。ちょっと読んでみてください。


更級日記(さらしなにっき)

菅原孝標女によって平安時代中ごろに書かれた日記。
作者13歳の寛仁4年(1020年)から、52歳頃の康平2年(1059年)までの約40年間の回想録。
全1巻。

作者は菅原道真の5世孫にあたる菅原孝標の次女で、母方の伯母に蜻蛉日記の作者である藤原道綱母がいる。
日記文学に列なるものの、製作形態としてはまとめて書かれたものであろうとされる。
東国・上総(現在の千葉県)の国府に任官していた父とともに寛仁4年9月京の都(現在の京都市)へ帰国するところから始める。

源氏物語を読みふけり、物語世界への憧憬に過ごした少女時代、度重なる身内の死去によって見た厳しい現実、祐子(ゆうし)内親王家への出仕、三十代での橘俊通(としみち)との結婚と仲俊(なかとし)らの出産、夫の単身赴任そして康平元年秋の病死などを経て、子供たちが巣立った後の孤独の中で次第に深まった仏教への傾斜までが平明な文体で描かれている。

書名の「更級」は、古今和歌集の一首「わが心慰めかねつ更級や姨捨山に照る月を見て」に由来する。
逆に更級日記にちなんだものとして、千葉県市原市に「更級通り」がある。

更級日記の現存する写本は全て藤原定家が書写した御物本の系統である。
7か所に及ぶ錯簡を抱えて古来難解とされて来た本文も、大正13年(1924年)、佐佐木信綱・玉井幸助によって訂正・整理された。
爾来、広く楽しまれて平安女流日記文学の代表作の一に数えられる。

菅原孝標女(すがわらたかすえ の むすめ)

寛弘5年(1008年)に生まれる。
没年は定かでないが康平2年(1059年)頃とされる。
平安時代の貴族の女性。
本名は伝わっていない。

10歳頃から50歳頃までの人生を綴った『更級日記』の作者として知られ、更級日記御物本奥書により、『浜松中納言物語』などの物語の作者ともされる。

略歴

彼女の父は、菅原道真の血を引く上総・常陸の受領・菅原孝標であり、母は藤原倫寧の娘で、伯母(母の姉)は『蜻蛉日記』の作者である藤原道綱母であった。
兄定義、甥在良もともに学者である。

彼女は寛弘5年(1008年)に生れた。
寛仁4年(1020年)、父の上総介の任期が果てたので一家で上京し、三ヶ月ほどの旅程を経てようやく京へと入った。
この頃彼女は13歳で、更級日記はこの頃からはじまっている。
当時、物語への熱がさめず、伯母から『源氏物語』50余帖をもらった時は、昼夜を問わず読み耽ったという。
万寿元年(1024年)には姉が二女を残して亡くなり、なお物語に耽読した。
しかし、この頃から「信心せよ」との啓示を夢に見るようになる。

祐子(ゆうし)内親王(後朱雀天皇第三皇女)に仕え、長久元年(1040年)頃、橘俊通(としみち)と結婚。
寛徳2年(1045年)に一子・仲俊(なかとし)をもうけたが、俊通は康平元年(1058年)に亡くなり、子も独立して彼女は孤独になった。
このとき彼女の更級日記は終わりを告げた。




出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


『更級日記』の当時13才の作者の将来の夫となる人が橘家の人なのでござ〜♪〜ますわねぇ。

そうですよう。それで、卑弥子さんの遠い親戚筋に当たる訳ですよう。うへへへへ。。。

デンマンさんがあたくしの親戚とおっしゃるから、もっとずうっと血縁の濃い間柄だと思っていたのでござ〜♪〜ますわよう。例えば、あたくしの大叔母だとか。。。

そんな訳ないでしょう!千年ほども昔なんだから。。。

分かりましたわ。この13才の少女が橘家の者と夫婦になるのですわね。でも。。。、この少女が武蔵野で見た騎馬の上の人物が、どうしてデンマンさんの祖先だと分かるのでござ〜♪〜ますか?

もちろん、確証があるわけではないのですよう。ちょうど上の本の中で次のように書かれている。


司馬さんの筆は期せずして

一編の壮大な叙事詩を

つむぎだしているかに見えます。


だから、僕も司馬さんに見習って一編の壮大な叙事詩をつむぎだそうと言う訳ですよう。

分かりましたわ。それで、どのような叙事詩でござ〜♪〜ますか?

僕の生まれたのは北関東の行田市です。



忍十万石として知られている城下町ですよう。もちろん昔の武蔵野国にあるのです。


天正時代のデンマンのふるさと

天正18年(1590年)の小田原征伐のとき、石田三成率いる豊臣軍が忍城を攻撃しました。
この当時、行田周辺を治めていたのは後北条氏でした。
当時から行田一帯は軍事的に最重要拠点のひとつと見なさていました。
忍城は低湿地の沼沢を濠とし、その中に浮かんだ島を曲輪として利用した堅城でした。
そのため、石田三成は優秀な官僚でしたが戦においては三流だったため、城を落とすことは遂にできませんでした。

後北条氏滅亡後、関東に入った徳川家康は忍城に四男の松平忠吉を10万石で入れました。
しかし忠吉は11歳という幼年であったため、松平家忠が1万石で入りました。
家忠は石田三成の水攻めのために荒廃した忍城と城下町を修築し、代官の伊奈忠次の助けも受けて領内に検地を実施した。
結構、やり手だったのですね。




『行田市と大長寺 (2007年10月7日』より


僕の家は徳川時代には忍城下で“木のくりもの屋”をしていた。僕の祖父の代までこれが続いて、大正時代に作品の品評会があって、これに出品して埼玉県知事からもらった2等賞の賞状が家宝のようにして2階の床の間に飾ってありましたよう。つまり、僕の祖父は腕のいい木工職人だったのですよう。家にも祖父が作ったと言う置物がたくさんありました。僕のオヤジが行田市の博物館にすべて寄付したようです。

それで徳川以前はどうだったのでござ〜♪〜ますか?

後北条氏に仕えていた騎馬武者だった。つまり、『更級日記』の作者が見たと言う騎馬武者の末裔(まつえい)だったのですよう。

つうことわあぁ〜。。。デンマンさんの遠い祖先は百済から逃げてきた難民だったのでござ〜♪〜ますわね?

難民と言うと響きは悪いけれど、唐と新羅の連合軍と戦った騎馬隊の一員だった訳ですよう。

それで、戦いに負けて百済の国が滅びてしまったので仕方なしに日本へ逃れて来たと言うことでござ〜♪〜ますか?

そう言う事ですよう。

。。。んで、デンマンさんのご実家には家系図が残っているのですか?

そんなモノは残っていませんよう。

。。。んで。。。、んで。。。、どうして上のような事を、さも史実のように言うことができるのでござ〜♪〜ますか?

僕の体の中にある DNA に僕の祖先から伝わっている遺伝子が刻み込まれているからですよう。

その。。。その遺伝子って。。。いったい、どういうモノでござ〜♪〜ますか?

“海外飛躍遺伝子”ですよう。うしししし。。。

つまり、デンマンさんの遠い祖先は戦い敗れて百済から“海外”である日本へ渡ってきた。それから、京都に下って行ったけれど、生活の糧を得るためには畑仕事でもして食料を得なければならない。でも、近畿地方には土地がないので開拓団に入って関東まで落ちていったのでござ〜♪〜ますか?

そうですよう。

でも、結局、後北条氏に仕えたけれど、秀吉の小田原征伐で後北条氏が滅びると、騎馬武者から“くりもの屋”になって忍城下でお店を開いたのでござ〜♪〜ますか?

その通りですよう。

。。。んで、その“くりもの屋”が大正時代まで続いて、デンマンさんの代になると、1400年近く眠っていた“海外飛躍遺伝子”が眠りから覚めて、デンマンさんは34カ国を放浪した末に、カナダに安住の地を求めて定住した、と言う訳でござ〜♪〜ますか?

全く、その通りですよう。。。うしししし。。。どうですか?。。。これが、僕のつむぎだした壮大な叙事詩ですよう。


【卑弥子の独り言】



ですってぇ〜。。。
こんなお話をあなたは信じることができますか?
馬鹿馬鹿しいと思うでしょう?

それにしても、ずいぶんとこじつけたものですわぁ〜。
呆れかえってしまいますわア.

ええっ?あたくしの祖先の橘三千代というのも同じように怪しいって。。。?
んも〜〜

あたくしの家には、家系図が伝わっているのでござ〜♪〜ますわよう。
デンマンさんのように空想から、つむぎだしたものではないのでござ〜♪〜ます。

とにかく、あさってもメチャ面白くなりそうです。
あなたも、ぜひ、また、戻ってきてくださいましね。
では、あさってお会いしましょう。
じゃあねぇ。






ィ〜ハァ〜♪〜!

メチャ面白い、

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こんにちは。ジューンです。

卑弥子さんの家系は

1300年続いているそうです。

すごいですよね。

カナダは今年の7月1日に

141歳を迎えたばかりです。

日本の天皇家が紀元前660年に

起こったとして、今年で2668年目です。

卑弥子さんの橘家は天皇家の

半分の長さを誇っている訳です。

ところで、アメリカでもカナダでも最近

自分の家系をたどる事が

隠れたブームになっています。

興味のある人は次のリンクをクリックして

覗いてみてください。

■ “genealogy.com”

  (あなたの家系をたどってゆこう!)






これは持統天皇(女帝)を中心として描いた系図です。

興味のある人は次のリンクをクリックして

読んでみてくださいね。

■ 『古代のある女の悲劇』



では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。






2008年09月02日

時代の落とし子

 
 
時代の落とし子





ミシュリーヌ・プレールと

ジェラール・フィリップ

■ 『肉体の悪魔』 (映画紹介)





今日は「肉体の悪魔」を書いたレイモン・ラディゲの事についてお話しするのですか?



そうですよう。わずか20才で亡くなってしまったのですからねぇ〜。

つまり、デンマンさんはラディゲが早死にして可哀想だと思うのですか?

うん。。。確かに同情しますよねぇ。自分の人生を振り返って、もし、自分が20才で死んでいたら。。。?

どうなっていたと思います?

僕は、全く何もしないで死んでしまった事になるのですよう。。。海外にも出てゆく機会を奪われて、バンクーバーのパラダイスも見ずに死んでしまったと言うことになるのですよう。

デンマンさんはバンクーバーで暮らしている事をマジでパラダイスに住んでいると信じているのですか?









僕はマジで信じていますよう。30カ国以上を放浪しましたからね。それは僕が20才を過ぎてからの事ですよう。いろいろな土地を訪れて。。。それで、最終的にバンクーバーを僕のパラダイスだと決めたのですよう。

。。。で、30才を過ぎてからバンクーバーに住んでいるのですか?

そうですよう。だから、僕が20才で死んでいたら、バンクーバーを見なかったどころか、ネットの世界にも、まったく僕が生きていたという痕跡を残さなかったのですよう。考えてみるだけでも、悲惨と言うか。無念と言うか。。。人生の儚(はかな)さをしみじみと感じますよう。

。。。で、今、デンマンさんが小百合さんのために書いている『ロマンポルノ 第3部』は、もしかして「肉体の悪魔」のつもりで書いているのですか?

うへへへへ。。。それ程力(りき)んで書いているわけじゃないけれど、でも、“遺書”のつもりで書いているのですよう。

マジで。。。?

もちろん、半分冗談ですよう。うしししし。。。

デンマンさん、あまり冗談は言わないでくださいね。真面目に読んでいる人の方が多いのですから。

分かりました。

それで、どうして『時代の落とし子』と言うタイトルにしたのですか?

僕は、レイモン・ラディゲが、まさに、“時代の落とし子”だと思うからですよう。

どう言う事ですか?

つまり、第一次大戦中にレイモン・ラディゲが10代を過ごしていなかったら、おそらく世界の文学史の中でも天才中の天才にならなかったかもしれない。僕はそう思っているのですよう。

それ程、ラディゲが第一次大戦中に10代を過ごしたことが重要なのですか?

僕は、そう信じていますよう。久しぶりにレイモン・ラディゲの経歴をもう一度じっくりと読んでみたのですよう。レンゲさんも、ちょっと読んでみてください。


レイモン・ラディゲ

(Raymond Radiguet)




1903年6月18日にフランスはパリの郊外、サンモール・デ・フォッセで生まれる。
1923年12月12日に、まだ20才なのに腸チフスで亡くなる。
フランスで生まれた小説家、詩人。

生涯

幼少の頃は学業優秀でならすものの、思春期にさしかかる頃から文学にしか興味を示さなくなり、
学業そっちのけで風刺漫画家として活動していた父の蔵書を読み耽るようになる。
そのときフランス文学の古典の魅力にとりつかれる。

14才の頃、『肉体の悪魔』のモデルとされる年上の女性と出会い、結果として不勉強と不登校のため学校を放校処分になる。
その後、自宅で父親からギリシア語とラテン語を習いながら、徐々に詩作に手を染める。

15才の時に父親の知り合いの編集者のつてをたどって知り合った詩人のマックス・ジャコブに詩を評価され、同じ詩人のジャン・コクトーに紹介される。
コクトーはラディゲの才覚を見抜き、自分の友人の芸術家や文学者仲間に紹介してまわる。
数多くのコクトーの友人との交友を通して、ラディゲは創作の重心を徐々に詩作から小説に移しはじめ、自らの体験に取材した長編処女小説『肉体の悪魔』の執筆にとりかかる。

途中、詩集『燃ゆる頬』、『休暇中の宿題』の出版や、いくつかの評論の執筆を行ないつつ、「肉体の悪魔」の執筆を続行。
数度のコクトーを介した出版社とのやりとりと改稿の末に、ベルナール・グラッセ書店から刊行される。
このとき出版社は新人作家対象としては異例の一大プロモーションを敢行したため文壇から批判を浴びるが、作品は反道徳的ともとれる内容が逆に評判を呼びベストセラーとなり、ラディゲは一躍サロンの寵児としてもてはやされることになる。

「肉体の悪魔」で得た印税を元手に、コクトーとともにヨーロッパ各地を転々としながらも、
ラディゲはすでに取りかかっていた次の作品『ドルジュル伯の舞踏会』の執筆を続行。
同時に自分がこれまで書いた評論などの原稿や詩作を整理しはじめる。

1923年11月末頃に突如、体調を崩し腸チフスと診断され入院。
病床で「ドルジュル伯」の校正をしながら治療に専念するが、快方には向かわずそのまま20才の短い生涯を閉じる。

遺作の「ドルジュル伯の舞踏会」は、死後出版された。
コクトーはラディゲの早すぎる死に深い衝撃を受け、その後およそ10年にわたって阿片に溺れ続けた。

フランス文学界での位置づけ

ラディゲのフランス文学史全体における位置づけは、作家としての活動期間が短かく、作品の本数も少ないせいもあってか決して高くはない。
しかし処女小説「肉体の悪魔」は、題材のセンセーショナルさに溺れることなく、
年上の既婚者との不倫に溺れる自らの心の推移を冷徹無比の観察眼でとらえ、
虚飾を排した簡潔な表現で書きつづったことで、
今日もなお批評に耐えうる完成度に達している。

「ドルジュル伯の舞踏会」に至っては、
ラディゲ自らが参考にしたとしているラファイエット夫人の『クレーヴの奥方』を、
高度に文学的な手腕で換骨奪胎し、
別の次元の「フランス心理小説の傑作」に仕立て上げていることからも、
「夭折の天才」の名にふさわしい文学的実力の持ち主であったことが容易に推察される。





出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


でも、上の経歴の中には第一次大戦の事はまったく書かれていませんよね。

そうです。この項目を書いた人は、ラディゲにとって第一次世界大戦は、それ程重要でないと思っているのでしょうね。

でも、デンマンさんは重要だと断定するのですか?

そうですよう。ラディゲが書いた「肉体の悪魔」を読めば、第一次世界大戦が彼に極めて重要な影響を与えた、と言う事が良く分かりますよう。

たとえば。。。どういうところがですか?
 
「肉体の悪魔」を書いたレイモン・ラディゲは早熟だった。14才の頃、「肉体の悪魔」のモデルとされる年上の女性と出会った。第一次大戦中のことですよう。婚約者が戦争に行っている間に二人の関係は深まってゆく。

つまり、第一次世界大戦がなかったら、ラディゲは「肉体の悪魔」を書くことはなかったと。。。デンマンさんは、そう思っているのですか?

そうですよう。

でも、「肉体の悪魔」は自伝的要素が強い作品だけれど、ラディゲと実際の年上の女性の関係をそのまま作品にしたのではないと言われていますよね?

その通りです。小説では相手の女性は4才年上になっているけれど、実際には10才ほど年が離れていたらしい。僕は、実際の女性は小説で書かれているマルトよりも、ずっと大人だったよう思うのですよう。

どうしてですか?

僕はその女性こそ、ラディゲにとってラファイエット夫人を想わせるような人物ではなかったかと勝手に想像を膨らませているのですよう。つまり、文学的にも人生的にもラディゲの先生になれるような人物ですよう。作品の中のマルトは、決してそのような人物ではありません。


ラファイエット夫人



ラファイエット夫人マリー=マドレーヌ・ピオシュ・ド・ラ・ヴェルニュ=ラファイエット夫人
(Marie-Madeleine Pioche de La Vergne, comtesse de La Fayette、
1634年3月18日(洗礼日) - 1693年5月25日)、
いわゆる、ラファイエット夫人(Madame de La Fayette)は、フランスの女流作家。

生涯

1634年にパリに下級貴族の家庭で生まれ、若くしてギリシャ語、ラテン語、イタリア語などを学んだ。
少女時代から摂政母后アンヌ・ドートリッシュに仕え、サロンの花形となった。
1655年、ラファイエット伯爵と結婚。
オーヴェルニュの領地に暮らすが、1660年ごろには夫婦仲は疎遠になっていた。

シャイヨのサント・マリー修道院にいる2人の妹達を度々訪ねるうちに、
亡命中のチャールズ1世の未亡人であったヘンリエッタ・マリアと末娘の王女ヘンリエッタ・アンの知遇を得た。
ラファイエット夫人は下級貴族の出身に過ぎなかったが、10才年下のへンリエッタと深い友情で結ばれ、
その友情は生涯変わらず、へンリエッタ・アンの最期も看取った。

義兄ルイ14世とへンリエッタの不倫を擁護するために、小説を刊行する。
『クレーヴの奥方』などの作品を残し、1693年に死去。




出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 
でも、デンマンさんは、どうしてそのように思うのですか?

ラファイエット夫人は、上の経歴を見ても分かるようにギリシャ語、ラテン語を学んでいる。レイモン・ラディゲもギリシャ語、ラテン語を学んでいる。僕は、現実世界でラディゲが出会ったと言う年上の女性もギリシャ語、ラテン語を学んでいる、と憶測しているのですよう。

なぜ。。。?

作品の中に登場するマルトのような女性にはラディゲは、実際にはそれ程の関心を示さなかったと思いますよう。

つまり、ラディゲが現実に出会った女性はマルトよりもラファイエット夫人のような人だったと。。。?

僕は、そう思っているのですよう。しかも、その年上の女性がラファイエット夫人が書いた「クレーヴの奥方」を読むようにラディゲに薦めたのではないか。。。


クレーヴの奥方



『クレーヴの奥方』(クレーヴのおくがた、La Princesse de Clèves)は、ラファイエット夫人が書いたフランスの小説。
フランス文学史においては最初期の小説の一つで、また恋愛心理小説の祖とも言われる。1678年3月、匿名で出版された。
1世紀前のアンリ2世の王宮が舞台で、その時代をきわめて緻密に再現している。ヒロイン他数人を除く登場人物は実在の人物で、
そこで起きる事件も歴史に忠実に展開される。

あらすじ

シャルトル嬢は16才の美しい女相続人。
父親は早くに死に、母親の手で厳格に育てられてきた。
その母親に連れられて宮中に行った時、クレーヴ公が彼女を見そめ、結婚を申し込む。
シャルトル嬢はあまり乗り気でなかったが、母親の薦めもあり、クレーヴ公と結婚し、「クレーヴの奥方」となる。

結婚してまもなくして、奥方はルーヴル宮で催された舞踏会でヌムール公と出会う。
2人はたちまち恋に落ちるが、お互いの思いを打ち明けることはない。
そんな時、母親が危篤に陥る。
母親は奥方がヌムール公を好きなのに気付いていたが、夫に尽くす義務を忘れてはいけないと言い残して死んでゆく。
奥方はヌムール公を避けるようになる。

奥方の肖像画が盗まれる。犯人はヌムール公で、
奥方はその現場を目撃するが見逃す。ヌムール公は奥方の好意に感謝する。

ヌムール公にスキャンダルが持ち上がる。ヌムール公がある女性に宛てたらしい手紙が見つかったのだ。
それを聞いた奥方は激しい胸の痛みをおぼえるが、それが嫉妬だということには気付かない。
しかし、実はその手紙は奥方の叔父であるシャルトル侯のものだとわかり安堵する。
ヌムール公は叔父の窮地を救ってもくれ、2人はこれまでになく親密な関係になる。

夫のクレーヴ公が奥方の挙動を不審に思い、問い詰める。
奥方は身の潔白を証明するために、相手の名を伏せて、好きな男がいることを正直に打ち明ける。
夫は激しい嫉妬におそわれる。
相手はきっとヌムール公に違いないとあたりをつけ、近侍に探らせると、
はたしてヌムール公が夜中に奥方の元に忍んで行ったことがわかる。
この時、奥方はヌムール公と会うことを拒んだのだが、夫はそう思わず、絶望のあまり病に倒れる。
死の床で夫は奥方の不義を責める。身に覚えのないことを言われ、奥方は深い悲しみを味わう。

クレーヴ公の死で障害がなくなったヌムール公は、あらためて奥方に告白する。
奥方もヌムール公をこれからも愛していくだろうことは認めるが、
それ以上のことはできないとヌムール公の元から去ってゆく。
奥方はその後、修道院に入って、若くして亡くなった。

評価

『クレーヴの奥方』は出版当時、商業的に大変な成功をおさめた。
「パリの外側」ではこの本を手に入れるのに、何ヵ月も待たなければならなかったほどである。
この本の著者が誰なのか、奥方はどうして夫に不倫感情を告白する気になったのかなど、さまざまな論争も起こった。

影響

最初の心理小説の一つであるだけでなく、
最初のroman d'analyse(分析小説)として、
『クレーヴの奥方』は、文学史の大きなターニング・ポイントとなった。

それまで、広くロマン(小説)と呼ばれていたものは、
主人公が困難に打ち勝って幸せな結婚をするという信じがたい話で、
しかも、本筋とは関係ないサブプロットが無数にあり、
長さも10巻〜12巻もあるものだった。

『クレーヴの奥方』が小説の歴史を変えたのは、何よりも、現実的なプロットとキャラクターの内面心理を表す内省的な言葉によってであった。




出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


ラディゲの経歴を読んでも分かるように、彼が亡くなる前に書いた「ドルジュル伯の舞踏会」は、『クレーヴの奥方』を読んで、それを参考にして書いた。しかも、高度に文学的な手腕で、別の次元の「フランス心理小説の傑作」に仕立て上げている。そう言われているのですよう。

でも、デンマンさんは、次のように書いていましたよね?


レイモン・ラディゲがフランスの古典に親しみ、

ラファイエット夫人に傾倒した事が、

彼が年上の女性に憧れを持つ直接の原因になった





『肉体の誘惑 (2008年8月17日)』より


考え方を変えたのですか?

う〜ん。。。いろいろ考えてみたのだけれど、僕はラディゲが出会った年上の女性こそ古典に関心があって、ラディゲに文学的な影響を与えたのではないか。。。そう思うようになりましたよう。また、そう考えた方が面白いですよね。うへへへへ。。。
 

【レンゲの独り言】



ですってぇ〜。。。
確かに、その方が興味深いお話になるのですが。。。
でも、根拠が希薄だと思いますわ。
あなたは、どう思いますか?

とにかく、面白い話がまだ続きます。
どうか、また、あさって読みに戻ってきてくださいね。
では、また。。。




メチャ面白い、

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こんにちはジューンです。

堀辰雄は1930(昭和5)年に

『聖家族』で文壇にデビューしました。

でも、その頃から肺を病み、

軽井沢に療養することも多く、

そのために軽井沢を舞台にした作品を

多くのこしたのです。

当時、多くの人が肺結核にかかっていますよね。

今では、肺結核は決して不治の病ではありませんが、

当時は、不治の病と考える人が多かったようです。

1934年、堀辰雄は矢野綾子と婚約するのですが、

彼女も肺を病んでいたのです。

そのため、翌年、八ヶ岳山麓の富士見高原療養所に

二人で入院しました。

しかし、綾子はその冬に亡くなります。

この体験が、堀の代表作として知られる

『風立ちぬ』の題材となったのでした。



もしかすると、レイモン・ラディゲが慕った

年上の女性も矢野綾子のように若くして

亡くなったのではないかしら。

それで、ラディゲはその年上の女性を

「肉体の悪魔」の中で“マルト”として登場させたのです。

彼女のプライバシーを守るために

マルトは4才年上の女性として描かれたのです。

「肉体の悪魔」は、その女性のための

鎮魂の作品のような気がするのです。

あなたは、どう思いますか?

ところで、英語の面白いお話を集めました。

時間があったら、ぜひ覗いてくださいね。

■ 『あなたのための 楽しい英語』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。






2008年08月18日

ん?じょんば?

 

ん?じょんば?



おほほほほ。。。。

卑弥子でござ〜♪〜ますわよゥ〜

あなたにお会いしたくて

また出てきてしまったのよォ〜。

ええっ?あたくしと、

そう度々会いたくないのォ〜?

んも〜〜

そんな、冷たいことを

言わないで頂戴よ!

あたくしは、あなたに

お会いしたいので

ござ〜♪〜ますのよォ〜

ええっ?そんなことよりも

じょんばって何か?早く説明しろ!

そう、おっしゃるのですかぁ〜?

冷たいお方ぁ〜〜

分かりましたわ。うふふふふ。。。

そのために出て参りましたのですから

説明しますわよう。


実は“じょんば”って小樽方言なんでござ〜♪〜ますのよ。
あなた、聞いた事が無いでしょう?
もちろん、あたくしだって耳にした事が無いのでござ〜♪〜ますわぁ。

だから、分かり易く説明するために、
あなたにクイズを作りましたのよ。

次の中から使い方が最もふさわしいと思うものを選んでくださいましね。


1) じょんばに追いかけられちゃったわ。

2) このじょんば、軽くて使いやすいのよ。

3) じょんばすると、お巡りさんに捕まるわよ。

4) じょんば言って笑わせないでね。

5) じょんばしないで。。。恥ずかしいわぁ〜。




分かりましたか?

実は「じょんば」とは「雪かきに使うスコップ」という意味なんですのよ。
小樽以外でも、北海道の日本海側で使われるそうです。
じょんばも昔は重たいものが多かったそうですが、最近は軽いプラスチック製のものが多いと言うことでござ〜♪〜ますわ。



そう言う訳で、このように楽々と雪かきができるようになったのですわ。
ええっ?雪が白くないって。。。?
スモッグで汚れているのですわよ。
おほほほほ。。。

あたくしは“じょんば”という語感というか、響きから“冗談”の事だと思って、4番を選んでしまいましたわ。
あなたは、どうでしたか?

ところで、この冬の小樽は、年末年始にほとんど雪の無い奇妙な日々だったそうですわね。
これも、暖冬異変の影響でしょうか?
でも、こういう時って、思わぬときに“どか雪”が降る事がありますわよね。
小樽地方の人、気をつけてくださいましね。

小樽と言えば、文学少女だったあたくしは小林多喜二を思い出すのでござ〜♪〜ますのよ。
あなたは、あの名作『蟹工船』を読みましたか?


小林 多喜二



1903年10月13日 - 1933年2月20日

日本のプロレタリア文学の代表的な作家・小説家。
秋田県北秋田郡下川沿村(現大館市)生まれ。

4歳の時に小樽に移住。
生活は豊かではなかったが、
伯父からの学資を受け小樽商業学校から小樽高等商業学校へ進学。
在学中から創作に親しみ、文芸誌への投稿や、校友会誌の編集委員となってみずからも作品を発表するなど、文学活動に積極的にとりくんだ。

小樽高商の下級生に伊藤整がおり、また同校教授であった大熊信行の教えを受ける。
この前後から、自家の窮迫した境遇や、当時の深刻な不況から来る社会不安などの影響で労働運動への参加を始めている。

卒業後、北海道拓殖銀行小樽支店に勤務。
この頃、悲惨な境遇にあった恋人田口タキを救う。
1928年の総選挙のときに、北海道1区から立候補した山本懸蔵の選挙運動を手伝い、羊蹄山のふもとの村に応援演説に行く。
この経験がのちの作品「東倶知安行」に生かされている。
同年に起きた三・一五事件を題材に「一九二八年三月十五日」を『戦旗』に発表。
作品中の特別高等警察による拷問の描写が特高の憤激を買う。
後年の拷問へとつながる。

翌1929年に「蟹工船」を『戦旗』に発表し、一躍プロレタリア文学の旗手として注目を集めたが、同時に警察からも要注意人物としてマークされ始める。
同年、『中央公論』に発表した「不在地主」が原因で銀行を解職され、翌年春に上京。
日本プロレタリア作家同盟書記長となる。

1930年5月23日、大阪で日本共産党へ財政援助の嫌疑で逮捕され、額に傷が残るほどの激しい拷問を受けたが、 6月7日、いったん釈放された。
しかし、24日に帰京後、作家の立野信之方でふたたび逮捕され、7月、「蟹工船」の件で不敬罪の追起訴をうける。
8月、治安維持法で起訴、豊多摩刑務所に収容された。

1931年1月22日、保釈出獄。そのあと神奈川県七沢温泉にこもり、英気を養う。
1931年10月、非合法の日本共産党に入党し、11月上旬、奈良の志賀直哉邸を訪ねる。
1932年春の文化分野への大弾圧を機会に、地下活動に追いやられる。
8月下旬、みずからの地下生活の体験を元に「党生活者」を執筆。

1933年2月20日、内通者により赤坂の連絡場所で特高に逮捕される。
同日築地署内において凄惨な拷問を受け皮膚呼吸が不可能となるまでに全身が殴打されて腫れ上がり、獄中死した。
この拷問では縄で縛り上げて宙にぶら下げる「飛行機モノ」もされている。
中央公論編集部は、多喜二から預かったまま掲載をためらっていた「党生活者」の原稿を「転換時代」という仮題で『中央公論』(1933年4-5月号)に、遺作として発表した。




出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


ひどいことをして、有能な人物を殺してしまったものでござ〜♪〜ますわね。
このことだけを考えてみても、太平洋戦争に突き進んでいた1930年代と言うのは
自由のない悲惨な時代でござ〜♪〜ましたわよね。



あの“特高”という化け物は、泣く子も黙ると言われたほどのすさまじい事をしたのでござ〜♪〜ますわ。
あたくしは女性の身なので、その当時、共産党の活動家とみなされて拷問を受けた女性の事を調べた事があったのですけれど、
たいていの女性が、拷問を受けて精神に異常をきたして廃人のようになって余生をすごしたと言う事例を何例も見ました。
あのような時代が再び来ないことを祈りたいものでござ〜♪〜ますわ。
あなただって、そう思うでござ〜♪〜ますでしょう?

蟹工船(かにこうせん)は、1929年に小林多喜二が発表した小説ですわ。
もちろんあなたは読んだ事が無いわよね?うふふふふ。。。
あたくしですか?
読みましたわよ。
読まずに、このような事を書く気になりませんわよ。

ワリィ〜事ぁ〜言わないから、あなたも一生に一度ぐらい『蟹工船』をじっくり読んでみてくださいましね。
いわゆるプロレタリア文学の代表的佳作と言われているのですわよ。
国際的にも評価されて各国語に翻訳されていますわ。

分かるでしょう?
あなたも、自分が国際人だと思っていたら、これは must-read book でござ〜♪〜ますわよ。

ええっ? どんな内容なのかって。。。?

この小説には特定の主人公が居ないのですわよ。
蟹工船で酷使される貧しい労働者達が群像として描かれているのですわ。
カムチャツカの沖で蟹を獲りそれを缶詰にまで加工する蟹工船「博光丸」が舞台ですのよ。
そこは、出稼ぎ労働者を安い賃金で酷使し、高価な蟹の缶詰を生産する海上の閉鎖空間です。
彼らは自分達の労働の結果、高価な製品を生み出しているにも関わらず、蟹工船の持ち主である大会社の資本家達に不当に搾取される、というお話ですわ。
情け知らずの監督者・浅川は労働者たちを人間扱いせず、彼らを酷使するのですわよ。
そう言う訳で、労働者たちは過労や病気で倒れてゆくのでござ〜♪〜ますわ。

初めのうちは仕方がないとあきらめる者もあったのです。
でも、やがて労働者たちは、人間的な待遇を求めて指導者のもとに団結して、ストライキに踏み切るのでござ〜♪〜ますわ。
しかし、経営者側の浅川たちがこの事態を容認するはずもなく、帝国海軍が介入して指導者達は検挙されるのです。
国民を守ってくれるものと信じていた軍が資本家の側についた事で目覚めた労働者たちは再び闘争に立ち上がってゆくのですわよ。

このような事を書いたものですから、小林多喜二は“特高”に目の敵にされたのですわ。
それで、過酷な拷問を受けて獄死したのでござ〜♪〜ますのよ。
お分かりになりましたでしょうか?



狂ったような時代でしたわよね。
あなただって、そう思うでしょう?
でも、現在の日本だって、50歩100歩のようなところがございますわよね。
おほほほほ。。。
でも、拷問死がないだけマシですわ。

それだけはあたくしも認めておりますわ。

このような悲惨でいやな事は、あたくしもあまり書きたくないのですわよ。
でもね、小樽方言を書いていたら、ついつい小林多喜二のことを思い出してしまいましたわ。

ところで、あたくしも、なんだか古(いにしえ)の平安言葉が懐かしくなりましたわぁ〜〜

あなたも、久しぶりにふるさとに戻ってみては。。。?

日本で旅をするのは高くつくんですのよねぇ〜。
旅館やホテル代が高いのござ〜♪〜ますわ。
もちろん、デンマンさんが、そうおっしゃっていたのですのよ。

でもね、日本にだって、安いところもあるのですわよ。
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おほほほほ。。。。

また現れて、

くどいようでござ〜♪〜ますけれど。。。

あたくしも平安の昔に戻って

懐かしい京都に行ってみたいので

ござ〜♪〜ますのよ。

京都の訛りが懐かしいわあああ〜〜

でもね、デンマンさんが生まれ育った

行田にも行きたいのですわよ。

ええっ?どうしてかって?

それはね、デンマンさんは

もちろんですけれど、

あたくしにとって行田とは

切っても切れない縁が

あるのでござ〜♪〜ますのよ。

どうしてだか、お分かりになりますか?

行田は古代ハスの

ふるさとなのでござ〜♪〜ますのよ。



きれいでしょう?

あたくしの初恋の花でござ〜♪〜ますのよ。

ええっ?そんな事はどうでもいいから、

何か面白い話をしろ!

あなたは、そのような事をあたくしに

強要するのでござ〜♪〜ますか?

まるで“特高”のようでござ〜♪〜ますわねぇ。

分かりましたわぁ〜。

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ああああ〜〜〜

初恋の人と会いたいわあああ〜〜!






2008年08月17日

肉体の誘惑

 
 
肉体の誘惑


 
レイモン・ラディゲの『肉体の悪魔』を

読もうと思っている人は

ネタバレに注意!




きみ知らぬ頃
 
 

 

きみ知らぬ

頃の我が身を

忘れ去り

生まれ変わりて

愛と言いたし

 
 
by めれんげ

2008.08.08 Friday 14:44




『即興の詩 きみ知らぬ頃』より



回想



う〜〜ん

実に味わい深い短歌ですよう。

奥が深〜♪〜い。

めれちゃんが到達できた深さに

達することができるだろうか?

そう思いながら

デンマンが詠める歌三首。


肌のぬくもり



まごころは

月日を越えて

伝わりぬ

肌のぬくもり

永久(とわ)に変わらじ




ネットの良さ



きみゆえに

ネットの良さを

知りぬれば

共に見出す

とこしえの愛




とわに…



いつまでも

手を取り合って

歩み行く

いつに変わらぬ

愛あればこそ



てれてれてれぇ〜〜

またしても

デレデレと

詠んでしまいましたぁ〜

深くはあっても

その方向がちょっと違うかも。。。

\(^_^)/キャハハハ。。。

by デンマン

2008/08/08 3:50 PM



『即興の詩 きみ知らぬ頃』のコメント欄より




心とろけて
 
 

 

やわらかく

甘き時間は

きみゆえに

心とろけて

ひとつになりて

 
 
by めれんげ

2008.08.08 Friday 15:04




『即興の詩 心とろけて』より



癒されて…



う〜〜ん。。。

めれちゃんは癒されているんだよね。

うん、うん、うん。。。

んだ。。。んだぁ〜。。。

心とろけて

癒されているのですよう。

では、デンマンも癒されながら

詠める歌三首。


きみと僕



やわらかく

甘き時間に

きみと僕

心とろけて

一つになりぬ




甘くとろけて



癒されて

癒されながら

愛に萌え

心とろけて

デレデレになり




愛を知って…



いつまでも

心とろけて

癒されて

ひとつになりて

愛を知りぬる



ボクちゃんも

完全に

心がとろけてしまいました。

めれちゃんと

ネットで、もっと

とろけたいと思いま〜♪〜す。

よろしくゥ〜。

うしししし。。。

\(*^_^*)/キャハハハ。。。

by デンマン

2008/08/08 4:33 PM




『即興の詩 心とろけて』のコメント欄より




今日はレイモン・ラディゲの「肉体の悪魔」の事についてお話しするのでしょう?



そうですよう。

でも、めれんげさんの短歌を持ち出してきて、それに対してデンマンさんが詠んだ返歌を並べただけですよね?

そもそも、レイモン・ラディゲの「肉体の悪魔」を持ち出したのは、めれんげさんなのですよう。

それで、めれんげさんを紹介する意味で、このページのトップにめれんげさんが詠んだ短歌を載せたのですか?

そればかりではないのですよう。「肉体の悪魔」を書いたレイモン・ラディゲは早熟だったのですよう。14才の頃、「肉体の悪魔」のモデルとされる年上の女性と出会い、勉強しなくなって、不登校!そのために学校を放校処分になってしまう。。。で、その頃から「肉体の悪魔」を書き始めたと言うのですよう。

その事とめれんげさんが何か関係あるのですか?

あるのですよう。実は、めれんげさんも早熟だったのですよう。

どのように。。。?

めれんげさんは、小学生の頃から「チャタレー夫人の恋人」を読んでいた。そう言う訳で、年少の頃から愛や性について、いろいろと考えるところがあった。。。ちょうど、レイモン・ラディゲのように愛と性の対象を求めるようになったのでしょうね。

それで、めれんげさんの場合には。。。どうなったのですか?

16才でボーイフレンドと愛し合い、桜の花びらを散らしてしまったのですよう。

つまり、16才で初体験ですか?

そうですよう。レンゲさんと同じですよう。うへへへへ。。。

デンマンさん!。。。そういうヤ〜らしい笑いだけは止めてくださいな。

とにかく、めれんげさんは文学少女だったのですよう。それは今でも、めれんげさんが書いた詩や短歌を読むと、文学的な才能を垣間見る事ができるのですよう。だから、めれんげさんが本格的に詩や小説を書くならば、必ず日本文学に新風を吹き込むだろうと僕は信じているほどですよう。

それ程デンマンさんは、めれんげさんの文学的な才能を素晴しいと思っているのですか?

そうですよう。そうでなければ、僕はめれんげさんの短歌や詩をこのブログで取り上げないですよう。

分かりましたわ。。。で、今日はデンマンさんがレイモン・ラディゲが年上の女性に惹かれた理由を話してくれるのですよね?

レンゲさんは忘れずに覚えていましたか?

もちろんですわ。楽しみにしていたのですもの。。。

僕もその事について、大いに関心があるのですよう。じっくりとレンゲさんと語ろうと思っているのですよう。ところでねぇ、僕は昨日の『小百合物語』を読んで驚いた。

どうしてですか?

ジューンさんが次のように書いていたのですよう。


マダム・ド・ラファイエットの

「クレエヴ公爵夫人」




こんにちは。ジューンです。

わたしもデンマンさんに言われたので

さっそく上のリンクをクリックして

(堀辰雄が書いた)『美しい村』を読み始めたのですわ。

ビックリしました。

なんと、デンマンさんが上の記事の中で書いている

レイモン・ラディゲの事が1ページに出てくるのです。

その部分を書き出してみますわ。


僕の机の上には、マダム・ド・ラファイエットの「クレエヴ公爵(こうしゃく)夫人」が読みかけのまんま頁(ページ)をひらいています。



はじめてこのフランスの古い小説をしみじみ読んでいますが、そのお蔭(かげ)でだいぶ僕も今日このごろの自分の妙(みょう)に切迫(せっぱく)した気持から救われているような気がしています。この小説についてはあなたに一番その読後感をお書きしたいし、また黙ってもいたい。二三年前、あなたに無理矢理にお読ませした、ラジイゲの「舞踏会(ぶとうかい)」は、この小説をお手本にしたと言われている位ですから、まあ、あれに大へん似ています。


このラジイゲの「舞踏会(ぶとうかい)」と言うのは

レイモン・ラディゲの遺作となった

『ドルジュル伯の舞踏会』のことです。

ところで、卑弥子さんが面白い記事をまとめました。

暑さを笑って吹き飛ばしたかったら

ぜひ読んでみてくださいね。

■ 『笑って幸せな気分になれるサイト』



では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。









『森林浴@軽井沢 (2008年8月16日)』より


ジューンさんが引用した文章は堀辰雄が書いた小説『美しい村』の最初のページからコピペしたものでしょう?

そうですよう。僕が驚いたのは、堀辰雄が『美しい村』を書いて出版したのが1933(昭和8)年ですよう。レイモン・ラディゲの『ドルジュル伯の舞踏会』が出版されたのはラディゲが亡くなった1年後。つまり1924年だった。僕はこの事実を知った時に、パリで1924年に出版された小説が1933年に東京で出版された『美しい村』の中で紹介されるのが早すぎるのではないか?

9年後ですよね?

そうですよう。でも、堀辰雄が読んだのは、当然それよりも3,4年前でしょう。。。と言うことは堀辰雄が『ドルジュル伯の舞踏会』を読んだのは1930年頃ですよう。日本ではまだ翻訳されて出版されていなかったのではないか?

それでデンマンさんは調べてみたのですか?

そうですよう。僕がネットで調べた一番古い本が次の新潮文庫本ですよ。すでに絶版になっているようです。


ドルジュル伯の舞踏会=新潮文庫=
著者名 ラディゲ著/生島遼一訳
出版社 新潮社
発行年 昭和28 (1953)
詳細 初版 帯 元パラ有 ※送料無料
大分類 絶版文庫
中分類 翻訳




【古本・古書 (販売/買取)】より


堀辰雄は原本をフランス語で読んだのでしょうか?

その可能性が大いにありますよう。堀辰雄はドイツ語を主に学校で勉強したようだけれど、フランス語と英語も読めた。僕が調べた限りでは、堀辰雄が『ドルジュル伯の舞踏会』を読んだ当時、堀自身も小説の書き方について、ずいぶんと考えていたようですよう。

どうして、そのような事がデンマンさんに分かるのですか?

ネットで調べていたら、たまたま次のような素晴しい評論に出くわしたのですよう。


堀辰雄、「文化翻訳者」



堀辰雄は早くから西欧現代文芸を「伝統」の上に花開いたものとして見ようとしていた。

〈伝統はいつも思ひがけないところに、みづみづしい姿をして、生き返つているのだから、用心したまへ〉(「フランス文学を如何に観るか」、四-175)と。

彼はコクトーの詩句にも「伝統」を〈蘇らせるに充分な新しさ〉(四-173)を見ている。〈コクトオの新しさを理解すること。彼のクラシシズムを理解すること〉(同前)。

それは彼に、あるひとつの系譜を読みとらせる。

「アルテユル・ランボオ」(一九二六)では、アルテュール・ランボー(J. N. Artur Rimbaud) の詩に強烈な「非欧化」の精神を読み取り、絵画におけるセザンヌ (Paul Cézanne)と同様の[5]、当時は世に容られることのなかった革命家の位置を与え、その詩句について、ほとんど「新感覚派」について解説するような言葉を与えながら、その系譜にダダや現代詩人たちを並べる。

いわば反伝統の伝統を見ているのだ。

「小説のことなど」(一九三四)では、モーリアックが〈われわれの民族の天性に従つて、構成し、秩序づけること〉(三-231)を尊重しつつも、イギリス文学やロシア文学、とくにドストエフスキー(F. M. Dostoevskii)の書く人間の不合理、不確実さ、複雑さを取り入れて、文芸をより豊富にする道を提案していることを紹介しながら、〈丁度、今日のわが文壇はその当時に似てはいないか〉、〈モオリアックの出した問題は私達にもたいへん有益に思へる〉(三-252)という。

これは、日本では明治末に次ぐ第二のドストエフスキー受容の季節にあたる時期の到来を的確に言い当てている。

そして実際、室生犀星の「神々のへど」について、〈ドストエフスキー的な人物を描こうと努力してゐるにせよ〉、モーリアック的に合理的方法ではなく、もっと野蛮で、混沌とした、「ずぼら」な行き方をとっているところに、〈日本人らしい、最も独創的な点がある〉(三-355)と評価している。

そして、この「ずぼら」の認識はプルースト評価と結びついてもいて、彼はそれを〈無構成の構成〉(三-379)と名づけたこともあった。

このように堀辰雄はフランス当代の文芸の背後にある「伝統」と反「伝統」意識、異文化受容の欲求をよく知り、それを自らの同時代の日本文芸の問題として考えていたのである。

堀辰雄は、このような態度を、同世代でいえば石川淳と同様、森鴎外にはじまる西欧文芸翻訳者の系譜に連なる者として身につけていたと想われる。

それゆえ、当代の日本に対しては戦闘的な啓蒙家として振舞わずにはいられなくなることもあった。

他者の作品に温厚柔和な態度で接する堀辰雄の評言が、〈僕らの欲するのは、現在の僕らの作品を一遍に時代遅れにしてしまふやうな、一箇の傑作でしかない〉(四−612)など、思いのほか過激であるのも、そのせいだろう。

また、時として、〈現代の新しい傑作は何等のモダアニズムなしに生まれ得るのであります〉(四-17)というような鋭い警句が発せられるのも、そのためといえよう。

これはレイモン・ラディゲの「ドルジュル伯の舞踏会」(Raymond Radiguet, Le Bal de conte d’Orgel, 1924)をめぐるエッセイ(一九二九)の結びの一句だが、このジャン・コクトーが見出した天才による心理分析小説への礼賛は、堀辰雄のコクトーに対する親しみだけではなく、芥川龍之介への敬愛と結びついて生まれたものといえよう。




『堀辰雄、「文化翻訳者」としての』より


これを読むと、なんと堀辰雄は1929年にレイモン・ラディゲの「ドルジュル伯の舞踏会」について、すでに書いている。つまり、それ以前に読んでいるのですよう。要するに、「ドルジュル伯の舞踏会」がパリで1924年に出版されて評判になると、堀辰雄は、おそらく同人の誰かから聞きつけて原本をフランス語で読んでいる。その心理分析の素晴しさに心を打たれて、自分の小説『美しき村』の中にも本の事を書いたのですよう。

それほどレイモン・ラディゲが書いた「ドルジュル伯の舞踏会」に堀辰雄は感銘を受けたのでしょうか?

そうですよう。自分が求めていた小説の書き方に出会ったようなものでしょうね。

でも、レイモン・ラディゲの遺作となった『ドルジュル伯の舞踏会』と、彼が年上の女性に惹かれるようになった事が何か関連があるのですか?

当然ですよう。関係あるのですよう。

どのように。。。ですか?

僕はレイモン・ラディゲの生い立ちをもう一度読み直しました。


レイモン・ラディゲ (Raymond Radiguet)



1903年6月18日にフランスはパリの郊外、サンモール・デ・フォッセで生まれる。
1923年12月12日に、まだ20才なのに腸チフスで亡くなる。
フランスで生まれた小説家、詩人。

生涯

幼少の頃は学業優秀でならすものの、思春期にさしかかる頃から文学にしか興味を示さなくなり、
学業そっちのけで風刺漫画家として活動していた父の蔵書を読み耽るようになる。
そのときフランス文学の古典の魅力にとりつかれる。

14才の頃、『肉体の悪魔』のモデルとされる年上の女性と出会い、結果として不勉強と不登校のため学校を放校処分になる。
その後、自宅で父親からギリシア語とラテン語を習いながら、徐々に詩作に手を染める。

15才の時に父親の知り合いの編集者のつてをたどって知り合った詩人のマックス・ジャコブに詩を評価され、同じ詩人のジャン・コクトーに紹介される。
コクトーはラディゲの才覚を見抜き、自分の友人の芸術家や文学者仲間に紹介してまわる。
数多くのコクトーの友人との交友を通して、ラディゲは創作の重心を徐々に詩作から小説に移しはじめ、自らの体験に取材した長編処女小説『肉体の悪魔』の執筆にとりかかる。

途中、詩集『燃ゆる頬』、『休暇中の宿題』の出版や、いくつかの評論の執筆を行ないつつ、「肉体の悪魔」の執筆を続行。
数度のコクトーを介した出版社とのやりとりと改稿の末に、ベルナール・グラッセ書店から刊行される。
このとき出版社は新人作家対象としては異例の一大プロモーションを敢行したため文壇から批判を浴びるが、作品は反道徳的ともとれる内容が逆に評判を呼びベストセラーとなり、ラディゲは一躍サロンの寵児としてもてはやされることになる。

「肉体の悪魔」で得た印税を元手に、コクトーとともにヨーロッパ各地を転々としながらも、
ラディゲはすでに取りかかっていた次の作品『ドルジュル伯の舞踏会』の執筆を続行。
同時に自分がこれまで書いた評論などの原稿や詩作を整理しはじめる。

1923年11月末頃に突如、体調を崩し腸チフスと診断され入院。
病床で「ドルジュル伯」の校正をしながら治療に専念するが、快方には向かわずそのまま20才の短い生涯を閉じる。

遺作の「ドルジュル伯の舞踏会」は、死後出版された。
コクトーはラディゲの早すぎる死に深い衝撃を受け、その後およそ10年にわたって阿片に溺れ続けた。

フランス文学界での位置づけ

ラディゲのフランス文学史全体における位置づけは、作家としての活動期間が短かく、作品の本数も少ないせいもあってか決して高くはない。
しかし処女小説「肉体の悪魔」は、題材のセンセーショナルさに溺れることなく、
年上の既婚者との不倫に溺れる自らの心の推移を冷徹無比の観察眼でとらえ、
虚飾を排した簡潔な表現で書きつづったことで、
今日もなお批評に耐えうる完成度に達している。

「ドルジュル伯の舞踏会」に至っては、
ラディゲ自らが参考にしたとしているラファイエット夫人の『クレーヴの奥方』を、
高度に文学的な手腕で換骨奪胎し、
別の次元の「フランス心理小説の傑作」に仕立て上げていることからも、
「夭折の天才」の名にふさわしい文学的実力の持ち主であったことが容易に推察される。





出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


つまり、『クレーヴの奥方』を書いたラファイエット夫人にレイモン・ラディゲは傾倒したのですか?

その通りですよう。

。。。で、ラファイエット夫人って、どんな人だったのですか?

ウィキペディアからコピペしました。読んでみてください。


ラファイエット夫人



ラファイエット夫人マリー=マドレーヌ・ピオシュ・ド・ラ・ヴェルニュ=ラファイエット夫人
(Marie-Madeleine Pioche de La Vergne, comtesse de La Fayette、
1634年3月18日(洗礼日) - 1693年5月25日)、
いわゆる、ラファイエット夫人(Madame de La Fayette)は、フランスの女流作家。

生涯

1634年にパリに下級貴族の家庭で生まれ、若くしてギリシャ語、ラテン語、イタリア語などを学んだ。
少女時代から摂政母后アンヌ・ドートリッシュに仕え、サロンの花形となった。
1655年、ラファイエット伯爵と結婚。
オーヴェルニュの領地に暮らすが、1660年ごろには夫婦仲は疎遠になっていた。

シャイヨのサント・マリー修道院にいる2人の妹達を度々訪ねるうちに、
亡命中のチャールズ1世の未亡人であったヘンリエッタ・マリアと末娘の王女ヘンリエッタ・アンの知遇を得た。
ラファイエット夫人は下級貴族の出身に過ぎなかったが、10才年下のへンリエッタと深い友情で結ばれ、
その友情は生涯変わらず、へンリエッタ・アンの最期も看取った。

義兄ルイ14世とへンリエッタの不倫を擁護するために、小説を刊行する。
『クレーヴの奥方』などの作品を残し、1693年に死去。




出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』



クレーヴの奥方



『クレーヴの奥方』(クレーヴのおくがた、La Princesse de Clèves)は、ラファイエット夫人が書いたフランスの小説。
フランス文学史においては最初期の小説の一つで、また恋愛心理小説の祖とも言われる。1678年3月、匿名で出版された。
1世紀前のアンリ2世の王宮が舞台で、その時代をきわめて緻密に再現している。ヒロイン他数人を除く登場人物は実在の人物で、
そこで起きる事件も歴史に忠実に展開される。

あらすじ

シャルトル嬢は16才の美しい女相続人。
父親は早くに死に、母親の手で厳格に育てられてきた。
その母親に連れられて宮中に行った時、クレーヴ公が彼女を見そめ、結婚を申し込む。
シャルトル嬢はあまり乗り気でなかったが、母親の薦めもあり、クレーヴ公と結婚し、「クレーヴの奥方」となる。

結婚してまもなくして、奥方はルーヴル宮で催された舞踏会でヌムール公と出会う。
2人はたちまち恋に落ちるが、お互いの思いを打ち明けることはない。
そんな時、母親が危篤に陥る。
母親は奥方がヌムール公を好きなのに気付いていたが、夫に尽くす義務を忘れてはいけないと言い残して死んでゆく。
奥方はヌムール公を避けるようになる。

奥方の肖像画が盗まれる。犯人はヌムール公で、
奥方はその現場を目撃するが見逃す。ヌムール公は奥方の好意に感謝する。

ヌムール公にスキャンダルが持ち上がる。ヌムール公がある女性に宛てたらしい手紙が見つかったのだ。
それを聞いた奥方は激しい胸の痛みをおぼえるが、それが嫉妬だということには気付かない。
しかし、実はその手紙は奥方の叔父であるシャルトル侯のものだとわかり安堵する。
ヌムール公は叔父の窮地を救ってもくれ、2人はこれまでになく親密な関係になる。

夫のクレーヴ公が奥方の挙動を不審に思い、問い詰める。
奥方は身の潔白を証明するために、相手の名を伏せて、好きな男がいることを正直に打ち明ける。
夫は激しい嫉妬におそわれる。
相手はきっとヌムール公に違いないとあたりをつけ、近侍に探らせると、
はたしてヌムール公が夜中に奥方の元に忍んで行ったことがわかる。
この時、奥方はヌムール公と会うことを拒んだのだが、夫はそう思わず、絶望のあまり病に倒れる。
死の床で夫は奥方の不義を責める。身に覚えのないことを言われ、奥方は深い悲しみを味わう。

クレーヴ公の死で障害がなくなったヌムール公は、あらためて奥方に告白する。
奥方もヌムール公をこれからも愛していくだろうことは認めるが、
それ以上のことはできないとヌムール公の元から去ってゆく。
奥方はその後、修道院に入って、若くして亡くなった。

評価

『クレーヴの奥方』は出版当時、商業的に大変な成功をおさめた。
「パリの外側」ではこの本を手に入れるのに、何ヵ月も待たなければならなかったほどである。
この本の著者が誰なのか、奥方はどうして夫に不倫感情を告白する気になったのかなど、さまざまな論争も起こった。

影響

最初の心理小説の一つであるだけでなく、
最初のroman d'analyse(分析小説)として、
『クレーヴの奥方』は、文学史の大きなターニング・ポイントとなった。

それまで、広くロマン(小説)と呼ばれていたものは、
主人公が困難に打ち勝って幸せな結婚をするという信じがたい話で、
しかも、本筋とは関係ないサブプロットが無数にあり、
長さも10巻〜12巻もあるものだった。

『クレーヴの奥方』が小説の歴史を変えたのは、何よりも、現実的なプロットとキャラクターの内面心理を表す内省的な言葉によってであった。




出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


レイモン・ラディゲがフランスの古典に親しみ、ラファイエット夫人に傾倒した事が、彼が年上の女性に憧れを持つ直接の原因になったと。。。デンマンさんは、そう考えるのですか?

その通りですよう。

。。。で、その相手が『肉体の悪魔』の中に登場する「マルト」のモデルになった女性だと。。。?

そうですよう。

それで、実際にレイモン・ラディゲが愛したと言う年上の女性は、どのような人だったのですか?『肉体の悪魔』の中で描かれている「マルト」はその女性をそのまま描き出したのですか?




ミシュリーヌ・プレールと

ジェラール・フィリップ

■ 『肉体の悪魔』 (映画紹介)



僕は違うと思うのですよう。

どうして。。。?

ラディゲは自伝的な要素が含まれていることは否定しなかったけれど、登場人物も事件もすべてフィクションであると強調したのですよう。

つまり、ラディゲが実際に愛した年上の女性は「マルト」とは、かなり違うとおっしゃるのですか?

僕はそう思うのですよう。

どうしてですか?

マルトと言う女性は19才と言うことになっているけれど、現実にはラディゲが愛した女性は10才年上の25才だったらしい。

つまり、小説の中では実際の女性よりもずいぶんと若く描き出されているのですか?

そうですよう。その辺が虚構なんでしょうね。だから、ラディゲは登場人物も事件もすべてフィクションであると強調したのですよう。実際、読んでみると、この女性がどことなく子供っぽく感じられますよう。

例えば、どのようなところですか?

主人公の内心が語られているだけで、マルトの心情は何も書かれてないに等しい。でも、女の目で読めばマルトが15才の少年に素直に従うだけだろうか?もっと年上らしく振舞うのではないか?しかも、小説では少年の子供を宿すような書き方になっているけれど、少年の子供だけは産まないようにと考えるのが年上の女性の分別だと僕には思えるのですよう。レンゲさんはどう思いますか?

そうですね。でも、避妊に失敗する事だってあるでしょう?うふふふふ。。。

確かに、人間だから、失敗する事はありますよう。でも、もう一つ子供っぽさを感じたのはマルトに言わせている次の言葉ですよう。

「わたし、あの人と幸福であるよりは、あんたと不幸なほうがましだわ」

これは思慮と分別のある年上の女性の言葉ではありませんよう。

でも、かっこいいですわね。あたしも言ってみたいようなセリフですわ。うふふふふ。。。

レンゲさんにも不幸に耐える事の中にロマンを感じることもあるのですか?

もちろん、そういう状況ってイヤですけれど、でも、現実に不幸になるならば、好きな人と不幸になる事を望みますわ。

でもねぇ、不幸が続けば、その好きな人も嫌いになってゆくのですよう。うへへへへ。。。そう思いませんか?

そうですわね。。。それで、実際にラディゲが愛した年上の女性は、どのような人だったのですか?

もちろん、僕はその女性に会った事がないから何とも言えないけれど、僕がこれまで調べた事に基づいて推測するならば、その25才の女性が15才のラディゲにラファイエット夫人が書いた『クレーヴの奥方』を読むように薦めたのですよう。その女性は文学的にも、人生的にも15才のラディゲを大人に導いてあげるだけの知性と文学的素質のあった女性のように思えますね。
 

【レンゲの独り言】



ですってぇ〜。。。
あなたはどう思いますか?

ところで年上の男性、年上の女性にあこがれた事はありますか?
少女や少年の頃って、多分、誰にでも早く大人になりたいと言う思いがあるのではないでしょうか?

そう思っても、すぐには大人になれないので、憧れの年上の人を見つけるのだと、あたしは勝手に解釈しているのです。

とにかく、面白い話がまだ続きます。
どうか、また、あさって読みに戻ってきてくださいね。
では、また。。。




メチャ面白い、

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こんにちはジューンです。

堀辰雄は1930(昭和5)年に

『聖家族』で文壇にデビューしました。

でも、その頃から肺を病み、

軽井沢に療養することも多く、

そのために軽井沢を舞台にした作品を

多くのこしたのです。

当時、多くの人が肺結核にかかっていますよね。

今では、肺結核は決して不治の病ではありませんが、

当時は、不治の病と考える人が多かったようです。

1934年、堀辰雄は矢野綾子と婚約するのですが、

彼女も肺を病んでいたのです。

そのため、翌年、八ヶ岳山麓の富士見高原療養所に

二人で入院しました。

しかし、綾子はその冬に亡くなります。

この体験が、堀の代表作として知られる

『風立ちぬ』の題材となったのでした。



ところで、英語の面白いお話を集めました。

時間があったら、ぜひ覗いてくださいね。

■ 『あなたのための 楽しい英語』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。






2008年08月14日

ロマン@幸福の谷

 
  
ロマン@幸福の谷




軽井沢で癒されてきてね。




投稿日時: 2008/08/04 08:25 (ロンドン時間)
日本時間: 8月4日 午後4時25分
バンクーバー時間: 8月4日 午前0時25分





明日(8月5日)から 三男坊 次男坊と3人して軽井沢に行ってきます。
やっと 涼しい 軽井沢に行って 自由 勝手にできます。 

パソコンは持っていきません。
今回は洗濯機を入れませんでした。
アレがあると 1日中 洗濯してます。
もうヤダ! ためてやる。


はい、はい、はい。。。。
軽井沢で癒されてきてください。
せっかく念願の別荘をもてたのだから。。。

自分自身へのご褒美ですよう!






どこか インターネットカフェ があったら
ロンドンの『ビーバーランド e-XOOPS』 を開きます。
でも15キロ位 離れた佐久まで行かなければ。


うん、うん、うん。。。
時間があったら開いてみてね。




では 今回は 1週間いません。
デンマンさんも体調を崩さないで!


はい、はい、はい。。。
ありがとう!
僕は体調を崩しませんよう。
安心してくださいね。
もう、20年以上体調を崩していません。

でも、充分に気をつけますよう。
小百合さんも、体調を崩さずに軽井沢で癒されてね。

いずれ、その機会があれば、僕の“体質改善マッサージ”で、小百合さんを“風邪の子”から“夢とロマンの女神”に体質を改善してあげますよう。
うしししし。。。



じゃあね。



では、今日も一日
暑さにめげずに
元気よくネットサーフィンしてね。








投稿日時: 2008/08/04 11:02 (ロンドン時間)
日本時間: 8月4日 午後7時2分
バンクーバー時間: 8月4日 午前3時2分

『おはよう』スレッドより
ロンドンの 『ビーバーランド e-XOOPS』




『念願の軽井沢だから…(2008年8月8日)』より




今日は、また“幸福の谷”のお話でござ〜♪〜ますか?



そうですよう。実に素晴しい名前が付いているでしょう。

でも、あたくしが調べた限りでは、あまり幸せそうな谷ではなさそうでござ〜♪〜ますわ。

ほおォ〜。。。卑弥子さんは調べてみたのですか?

そうでござ〜♪〜ますわ。

どうして幸せそうじゃないのですか?

デンマンさんは堀辰雄の書いた『風立ちぬ』をお読みになった事がおありでござ〜♪〜ますか?

ん。。。? 『風たちぬ』?

そうでござ〜♪〜ますわ。

名前だけは聞いたことがあるなぁ〜 堀辰雄がそういう小説を書いていたんだぁ〜。

いやですわァ〜。。。デンマンさんが書いていたではござ〜♪〜ませんか!

僕が。。。?

そうですわ。次のように書いていたのでござ〜♪〜ますわ。


幸福の谷



これがその場所でござ〜♪〜ますか?

そうですよ。

どのような訳でここが「幸福の谷」なのでござ〜♪〜ますか?

旧軽井沢のはずれ、軽井沢万平ホテルの裏手にあるのが、この谷なのですよ。



美しいカラマツ林の木立のなかに苔むした石垣と焼き石を敷き詰めた石畳の道がずっと続いてます。周囲は静かな別荘地帯で、心静かに散策を楽しむには絶好の場所ですよ。

でも、そこがどうして幸せの谷なのでござ〜♪〜ますか?

「幸福の谷(ハッピーバレー)」と呼ばれるようになったのは明治時代です。

明治時代でござ〜♪〜ますか?いったい誰がそのような名前をつけたのですか?

もちろん、ここに別荘を構えた外国人宣教師たちですよ。この「幸福の谷」にはエピソードがあります。

どうのような。。。?

ここにノーベル賞作家の川端康成が別荘を構えたのですよ。

どのような経緯(いきさつ)なのでござ〜♪〜ますか?

昭和12年、『雪国』が文芸懇話会賞に入賞すると、川端康成は逗留先の軽井沢の宿から東京の授賞式に出席したのですよ。

それで。。。?

授賞式を終えると川端康成は、真っ直ぐ軽井沢に戻ったそうですよ。

それで。。。?

賞金で外国人宣教師から幸福の谷の別荘を譲り受けたと言うのです。

賞金で買ったのですか?それほどの大金だったのですか?

おそらく賞金だけではなかったのでしょう。。。賞金をもらった事がきっかけになって川端康成は「幸福の谷」に別荘を買う気になったと思うのですよ。面白いのは、堀辰雄の『風立ちぬ』の終章が「幸福の谷」の川端康成の別荘で完成しているのですよ。

マジで。。。?

もちろんですよ。その小説を読んでみれば分かります。

それで、この「幸福の谷」が小百合さんとどのように関係しているのですか?

上のメールの中で「よかったらデンマンさんも。。。」と書いてあるでしょう?。。。僕は、その時、ぜひ小百合さんと、この「幸福の谷」の石畳を二人だけで歩いてみたいのですよゥ。




『軽井沢と小百合さん 2007年12月4日』より


このようにデンマンさんは堀辰雄の『風立ちぬ』を持ち出したのでござ〜♪〜ますわ。

卑弥子さんは記憶力が抜群なのですねぇ〜

デンマンさんは忘れてしまったとおっしゃるのですか?

いや、卑弥子さんに見せ付けられて、今思い出しましたよう。うしししし。。。

うししじゃござ〜♪〜ませんわァ。デンマンさんが読んでみたら?と言ったのであたくしはマジで読んだのでござ〜♪〜ますわ。

ほおォ〜。。。卑弥子さんも意外に素直なところがあるのですねぇ〜。それでどうでした?

「幸福の谷」の川端康成の別荘で『風立ちぬ』を完成した、とは書いてござ〜♪〜ませんでしたわ。

もちろん小説の中で、そこまで詳しく書くアホは居ませんよう。でも、読めば分かるのですよう。

そうですわ。だから、あたくしも読んだのでござ〜♪〜ますわ。

それで、良〜く分かったでしょう?

でも、堀辰雄にとって「幸福の谷」は、幸せそうには見えなかったのですわ。

。。。で、どのように見えたのですか?

夏は確かに観光客がやって来て、多少は賑(にぎ)わうのですけれど、冬になると人影もなく寂しい谷になってしまうのでござ〜♪〜ますわ。それで「死のかげの谷」と呼んだ方がよさそうだ、と書いているのでござ〜♪〜ます。

ほおォ〜。。。そうですか?

デンマンさんだって、お読みになったのでしょう?

読んだけれど、僕にとって、それ程思い出に残るような作品ではなかったのですよう。

どうしてでござ〜♪〜ますか?デンマンさんが気に入るような夢とロマンのお話でござ〜♪〜ますわ。

でもねぇ、主人公の男の妻は死んでいるのですよう。ロマンチックと言うよりも、悲しみが小説の底流に滲(にじ)んでいる。僕は20代の頃に読んだのだけれど、ルンルン気分の恋愛に惹かれる若い男には、実に悲しい、やるせない話と思えて、あまり好きになれなかった。卑弥子さんは、そういう悲しい話が好きなのですか?

あたくしは悲しいお話だとは思いませんでしたわ。むしろ男性に、それほどまでに思われている女性がうらやましいと思えましたわ。だから、あたくしもデンマンさんに、いつまでもいつまでも懐かしく思い出されるような女にならねばならないと努力しているのでござ〜♪〜ますわァ〜。ォほほほほ。。。

(半分白けながら。。。) うん、うん、うん。。。見上げた心がけですよう。そんな事よりは「幸福の谷」の話ですよう。

んも〜〜。。。デンマンさんには、繊細な女心が全くお分かりにはならないのでござ〜♪〜ますわね?

あのねぇ〜、脇道にそれると、この記事がまた長くなるのですよう。「幸福の谷」がテーマなのだから、余計な事はなるべく言わないでくださいよね。

分かりましたわ。「幸福の谷」に戻ればよろしいのでしょう。。。確かに夏は木漏れ日が漏れて、それなりに避暑地らしい雰囲気があるようでござ〜♪〜ますわ。でも、冬は人影もなく本当に寂しい厳寒の谷になるのでござ〜♪〜ます。しかも、堀辰雄が小説を書いていた当時は、冬になると水道もとまり、木造の建物は防寒対策もほとんどとられていなかったと言う事です。

ほおォ〜。。。卑弥子さんは、そこまで調べたのですか?

そうでござ〜♪〜ますわ。あたくしも、いつの日にかデンマンさんと二人で「幸福の谷」を訪れるのでござ〜♪〜ますもの。。。おほほほほ。。。

ほらァ〜。。。また、卑弥子さんは余計な事を言うのですよう。。。でもねぇ、言っておきますが、今年の秋ではないですよう。来年の秋ね。

分かっておりますわア。

それで、堀辰雄がどうしたと言うのですか?

「風立ちぬ」を書き上げた堀辰雄は、初めの予定では「幸福の谷」と書くつもりだったそうでござ〜♪〜ますわ。でも、冬の厳しい谷の様子を見て、最終章の題を「死のかげの谷」としたのでござ〜♪〜ますう。

ほおォ〜。。。さすがは京都の女子大学で「日本文化と源氏物語」を講義している卑弥子・准教授だけの事はありますよねぇ〜。読みが深いですよう。僕は、改めて卑弥子さんの文学的な才能を見直しましたよう。

このぐらいの事は、その辺で遊んでいるミーちゃんハーちゃんでも分かりますわよう。

つまり、卑弥子さんは、冬は「幸福の谷」ではなく「死のかげの谷」だと言いたいのですね?





そうでござ〜♪〜ますわ。しかも夏場だって、それ程、幸せそうではないのでござ〜♪〜ますわ。

それはどう言う訳ですか?

だいたい、あの近辺にある別荘の庭はコケで覆われているのでござ〜♪〜ますわ。あの谷の付近だけではござ〜♪〜ませんわ。軽井沢って、どこもかしこも苔で覆われていますわよう。住むには湿気との戦いなんだそうですわ。

ほォ〜。。。卑弥子さんは、そんなことまで調べたのですか?

だってぇ〜。。。いつの日には、あたくしとデンマンさんと二人して「幸福の谷」に行くのですものォ〜、うふふふふ。。。だから、しっかりと下調べをしておこうと思い立ったのでござ〜♪〜ますわ。

なるほどォ〜。。。ごもっともな事ですよう。。。で、卑弥子さんが調べる限り、思ったほど幸せそうじゃないので、僕と一緒に「幸福の谷」に行くのを断念した。。。そう言う訳ですね?

もちろん、デンマンさんとご一緒に行きますわよう。

でも、卑弥子さんにとって「幸福の谷」は「死のかげの谷」なのでしょう?

だから、あたくしはデンマンさんが「死のかげの谷」を一人でお散歩している間、すぐそばの万平ホテルのカフェテリアでお待ちしていますわ。





キャア〜!すてきィ〜。。。そいでぇ、ジョン・レノンがお気に入りだったと言うローヤルミルクティーを飲みながら、デンマンさんがぜひ食べたいと言っていた木の実のタルトをあたくしもいただくのでござ〜♪〜ますわ。



つまり、花より団子ですね?

いいえ、団子だけではござ〜♪〜ませんわ。あたくしはホテルの中を散策したいのでござ〜♪〜ますわ。レトロな雰囲気に満ち満ちていてシックで素敵なのでござ〜♪〜ますう。



こういう時代がかった雰囲気が卑弥子さんは好きなのですか?

そうでござ〜♪〜ますわ。「大正デモクラシー」の頃の自由でのびのびとしていて、それでいて古風な感じがメチャいいのでござ〜♪〜ますわ。

そういうところは京都生まれの京都育ちの影響でしょうね。

。。。んで、「幸福の谷」のあと、どこへ行くのでござ〜♪〜ますか?



小百合さんの別荘がある近くに「ささやきの小径(こみち)」と呼ばれている散歩道があるのですよう。



これがその小径でござ〜♪〜ますか?

そうですよう。中央を流れている“せせらぎ”は矢ケ崎川です。堀辰雄の小説「美しい村」にも登場する小径ですよ。

ずいぶん狭い散歩道ですわね?

左右には別荘や木立が続き、小鳥のさえずりが聞こえてきます。なんとなくロマンチックな感じがするでしょう?ここを小百合さんと二人で散歩したいのですよう。うしししし。。。

あたくしとは。。。?

来年の秋ですよ。だから、今年の秋には邪魔をしないでくださいね?

どうして「ささやきの小径」なのでござ〜♪〜ますか?

実は、他にも呼び名があるのですよう。「アカシアの小径」、「恋人たちの小径」。。。なんとなく分かるでしょう?愛する人と甘くささやき合いながら散歩する小道ですよう。

つまりデンマンさんは、この小径を小百合さんと夢とロマンをささやきながら散歩するのでござ〜♪〜ますか?

そうですよう。いけませんか?

。。。んで、あたくしとは。。。?

来年の秋ね。だから、今年の秋は邪魔をしないでね。

んも〜〜、いちいち余計な事を言わないでくださいましなァ。。。んで、どうしてこの小径が特別なのでござ〜♪〜ますか?

実は、この小径にも英語の名前があるのですよう。サナトリウム・レーンと言うのですよう。

なぜ、そういう名前が付いているのでござ〜♪〜ますか?

大正10年に軽井沢避暑団、現在の軽井沢会、の要請で療養所が造られた。この療養所が「軽井沢サナトリウム」と呼ばれるようになったのですよう。

その療養所が「ささやきの小径」のそばにあったのでござ〜♪〜ますか?

そうなのですよう。イギリス人のニール・ゴードン・マンロー博士が病院長だった。だから、この人の名前を取って「マンロー病院」とも呼ばれたのです。このマンロー博士は、人類学者としても有名で、アイヌ研究の第一人者として日本では良く知られていた。

日本人もその療養所で治療を受けたのでござ〜♪〜ますか?

そうですよう。特に肺結核治療が得意と言われ、堀辰雄や土井晩翠なども通院して治療を受けたのです。堀辰雄の小説「美しい村」でも、このサナトリウムはたびたび登場しています。小説の中で「レイノルズ先生」として登場するのが、実はこのマンロー博士なのですよう。

。。。んで、今でもその療養所はあるのでござ〜♪〜ますか?

残念ながら建物は取り壊されてしまった。だから、もう見ることはできません。雲場池(くもばいけ、別名、スワンレイク)の近くにある外人墓地ではマンロー博士が今も静かに眠っていますよう。

「ささやきの小径」には、何かロマンチックなエピソードでもあるのでござ〜♪〜ますか?

堀辰雄の小説「美しい村」では、実際の婚約者だった矢野綾子との想い出が綴られているのですよう。なかでも、サナトリウムのあった道を2人で腕を組んで散歩するシーンは幻想的に書かれています。堀辰雄はこの道に沿って並ぶアカシア並木を愛したと言うことですよ。

それで別名「アカシアの小径」でござ〜♪〜ますか?

たぶんね。。。堀が「美しい村」を書いた当時、そのアカシアは背丈ほどだったらしい。現在は、上の写真でも分かるようにアカシアが成長してアーチのようになっていますよう。

。。。んで、デンマンさんも堀辰雄と矢野綾子の真似をして、恋人同士のように小百合さんと「ささやきの小径」を甘くささやきながら散歩するのでござ〜♪〜ますか?

そうですよう。いけませんか?

。。。んで、あたくしとは。。。?

来年の秋ね。だから、今年の秋は邪魔をしないでね。


【卑弥子の独り言】



ですってぇ〜。。。
やっぱり、あたくしを仲間はずれにするのですわ。
これって、大人のイジメですわよね?
イジメでないのならば、嫌がらせですわよう。。。

デンマンさんは、何が何でも小百合さんと二人きりで、ロマンチックな気分に浸ろうと妄想しているのでござ〜♪〜ますわ。
いけすかないこと。

でも、あたくしにだって考えがありますわ。
今年の夏は、バンクーバーに行ってデンマンさんを驚かせようと思いますわ。

とにかく、また、あさってが面白くなりそうです。
だから、あなたも読みに戻ってきてくださいましね。
じゃあねぇ。






ィ〜ハァ〜♪〜!

メチャ面白い、

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別荘を持つことを夢見る小百合さんの物語』


■ 『今すぐに役立つホットな情報』

■ 『 ○ 笑う者には福が来る ○ 』




こんにちは。ジューンです。

軽井沢と言えば、明治の頃から

外国人の別荘地として発展してきたので

未だに外国の影響を受けた建物が

たくさん建っていますよね。

その中でも、言わば軽井沢のシンボル

となっているのが聖パウロカトリック教会です。



アメリカの有名な建築家アントニオ・レイモンド氏が

1930年に建設したことで知られ、

簡素で傾斜の強い三角屋根に

ひときわ大きい尖塔の姿が緑に映えて美しく、

落ち着きのある姿を見せています。

堀辰雄の「木の十字架」にも登場しています。

また、数々の著名人がこの教会で

挙式を挙げたことでも有名ですよね。

この教会で結婚式を挙げるのが

今でも多くの女性の憧れになっているようです。

現在は軽井沢の名誉町民でもある

カルロス神父が守っています。



ところで、卑弥子さんが面白い記事をまとめました。

暑さを笑って吹き飛ばしたかったら

ぜひ読んでみてくださいね。

■ 『笑って幸せな気分になれるサイト』



では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。






2008年08月13日

なぜペスト?

 
 
なぜペスト?



アルベール・カミュの『ペスト』を

読もうと思っている人は

ネタバレに注意!



指きり
 
 

 

離れない

夕べかわした

指きりは

見えぬ絆と

ひそかに祈る

 
 
by めれんげ

2008.07.25 Friday 17:27




『即興の詩 指きり』より




デンマンさんは、めれんげさんと「指きり」したので『ペスト』を最後まで読んだのですか?



その通りですよう。めれんげさんと感想を語り合う事がなかったら、最後まで読む気にはならなかったでしょうね?

それ程つまらなかったのですか?

いや。。。決してつまらないと言うほどではなかったですよう。

でも、つまらなそうな事を言っていますよね。うふふふふ。。。

あのねぇ。。。アルベール・カミュが『ペスト』を書いたのは1947年ですよう。まだテレビが今のように家庭に入り込んでいなかった。つまり、競争相手がなかったようなものですよう。今どき、あのようなペースののろい、アクションの少ない小説を書いていたら、読者は本など放り投げて、テレビを見てしまいますよう。

それで、デンマンさんもテレビを見てしまったのですか?

だから、僕はテレビを持ってないのですよう。

マジで。。。?

大真面目ですよう。僕はもう20年近くテレビを買ったことがないのですよう。海外でテレビを持ったことがない。

今どき、デンマンさんのような人も珍しいですわね?うふふふふ。。。

とにかく、めれんげさんに感想を書くつもりがなかったら、3分の1読んだところで僕は投げ出していたはずですよう。あまりにも退屈なので、『ペスト』を読み終えるまでに他の本を8冊読んでしまいましたよう。

デンマンさんにとって『ペスト』って、それ程つまらなかったのですか?

いや。。。、すでに言ったように、最後まで読めば、読んで無駄になる本ではないのですよう。でもねぇ、現在書かれている本と比較すれば、一気に読ませるだけの魅力がないのですよう。だから、最後まで読むまでに、僕は8冊の本を読み終えていたのですよう。うしししし。。。

つまり、もっと一気に読ませるような面白い本がたくさんある。。。デンマンさんは、そうおっしゃりたいのですか?

その通りですよう。やはり時代の影響ってありますよね。現在、カミュが生きていて『ペスト』を書くとしたら、もっとペースを早くして、アクションをもっとたくさん盛り込むだろうと思いますよう。とにかく、『ペスト』より面白い本がたくさんありますよう。

要するに、現在同じ内容で出版されたら、読者に受けないと。。。?

多分、受けないでしょうね。。。カミュはノーベル賞ももらえないでしょうね。僕はそう思いますよう。

つまり、あの時代に『ペスト』を書いたからノーベル賞がもらえたと。。。?

もちろんですよう。カミュの経歴を読むと、実にその事がよく分かりますよう。


アルベール・カミュ (Albert Camus)

1913年11月7日 アルジェリアに生まれる。
1960年1月4日 自動車事故によって死亡。
フランスの小説家、劇作家。



フランス系アルジェリア人の子としてモンドヴィ(Mondovi 現ドレアン, Dorean)で生まれる。
1914年9月、幼くしてマルヌ会戦(第1次世界大戦)で父 ルシアン(Lucien)を失う。
聴覚障害を持つスペイン系の母と、アルジェのベルクール地区で幼少期を送る。
17歳の時に結核にかかるが一命をとりとめ、アルジェ大学を卒業。
21歳の時アルジェ地区の共産党に入党し、アラビア人達に共産党の宣伝活動をするがその翌年離党する。

1940年にパリの雑誌社『パリ・ソワール』の編集部員となるがドイツ軍がパリを制圧すると9月にアルジェリアに帰国する。
1942年にカミュは再びフランスの地を踏み非合法誌『コンパ紙』を発行するなどレジスタンス活動に参加する。
第二次世界大戦終結後はアメリカに渡りニューヨークで学生達を前に講演し熱烈な歓迎を受ける。

『異邦人』や『シーシュポスの神話』、『ペスト』などの著作で、人間存在の不条理さに光を当て、1957年にはノーベル文学賞を受賞した。
受賞の理由は次のようなものだった。
『この時代における人類の道義心に関する問題点を、明確な視点から誠実に照らし出した、彼の重要な文学的創作活動に対して』
"for his important literary production, which with clear-sighted earnestness illuminates the problems of the human conscience in our times."
 
哲学者、文学者ジャン=ポール・サルトルと共同で文学活動を行ったが、1951年に刊行した評論『反抗的人間』における共産主義批判を契機として雑誌『現代』においてサルトルらと論争になったことで決裂した。
かつて実存主義者とみなされることが多かったが、実際には実存主義提唱者サルトルなどと文学的内容は異なっており、本人も実存主義者とみなされることを強く否定していた。
1960年、自動車事故死。
遺作は『最初の人間』。




出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


つまり、カミュがレジスタンス運動に参加した。その事がノーベル賞受賞と関係しているとデンマンさんは見るのですか?

当然ですよう。はっきり言って『異邦人』と『ペスト』を読んでも、たいした作品とは思えなかった。僕はあまり感動しなかった。でも、カミュの経歴を読み、作品が生み出された時代背景を考えるとき、改めて読み返すと、作品が言おうとしていることが見えてくる。当時、ノーベル賞の選考委員もその事を考慮してノーベル賞を与えていますよう。

なぜ、デンマンさんは、そのように断定なさるのですか?

だって、次のようにノーベル賞選考委員が決定理由を述べている。


...illuminates the problems of the human conscience in our times.

人類の道義心に関する問題点を明確にしている。


僕自身も改めて読んでみて、そう思いましたよう。

そう言えばデンマンさんは、めれんげさんの『即興の詩』サイトに、そのようなコメントを書いていましたよね。


カミュの「ペスト」



めれちゃん!『ペスト』を

ついに読み終えましたよう!

。。。てか、やっと読み終わりました!

バンザ〜♪〜イ !

\(^o^)/キャハハハ。。。

やっぱり、現代の他の読み物に比べると、

ペースが遅くて、一気に読ませるだけの

魅力に乏しいよね。

『ペスト』を読み終えるまでに

他の本(評論、エッセー、ノンフィクション)を

8冊読みましたよう!

でも、『ペスト』を読み終えた読後感は

良かったですよう。

書評では、かなりネガティブな事が

書いてあるのが多かった。

例えば。。。、

運命に身を任せてじっと耐えている。

カミュは、『ペスト』で、そのような事を言ってない!

むしろ、全く逆だよね。

理不尽な事に対して、

例えば、ナチズムだとか、ファッショだとか。。。

そういうものに対して、あくなき戦いを挑め!

カミュのスタンスは、地味に書いているけれど、

正に、挑戦者、反抗者のそれですよ!

勇ましい事は言わなくても、

心の底には、例え報われなくても、

断固として理不尽なものに対して立ち向かう。

そういう、雑草のような、

しぶとい意思を僕は感じましたね。


でも、現在の目から見れば、

『ペスト』は、小説としてイマイチだと思いますよう。


1) テンポがのろい!

2) 読者を釘付けにするアクションが少ない!
   だから、一気に読めない!

3) ナレーターなど登場させる必要は全くない。
   舞台裏をどうして書く必要があるのか?


271ぺーじになって、ナレーターは

Dr. Rieux です、とカミュは書いている。

そんな事は分かりきっているじゃないか!

アホかいなぁ〜! (爆笑)

僕は、すっかり呆れてしまいましたよう!

でも、やっぱり、ノーベル賞作家だから、

くだらない事は書いてないよね。

うしししし。。。

もう、事件はないだろうと思ったら、

最後になって、コタールが拳銃をぶっ放して

つかまってしまうんだよね。



笑ってしまいましたよう!(苦笑)

コタールが何かやるだろう!

とは思っていたけれど、

まさか、最後の最後で拳銃をぶっ放すとは

思いませんでした。

でも、『異邦人』の中でムルソーが

“太陽がぎらぎら照り付けるから”、

と言って、拳銃をぶっ放したのと、

なんとなく似ているよね。(爆笑)

それでも、『ペスト』を読んで、

時間を無駄にしたとは思いませんでした。

めれちゃんが、どうして『ペスト』に惹かれるのか?

分かったような気がしました。

めれちゃんは愛の短歌、恋の短歌を

書いていることが多いけれど、

意外に、めれちゃんには“社会派”の

部分があるんだよね。

それを感じましたよ。

でも、涙を流さずには居られないという所に、

なぜ、猫を三匹飼っているのか?

その理由が分かったような気がします。



長女猫タンタン



次女猫ねね



三女猫 にこちゃん


めれちゃんには“情にもろい”ところもあるんだよね。

とにかく、時間をかけて読んだだけの

収穫がありましたよう。

次は、めれちゃんがメチャ面白かったと言う

レイモン・ラディゲ(Raymond Radiguet)の

「肉体の悪魔」を読むつもりですよう。



この本を読めば、めれちゃんの“愛と性”に

もっと肉迫できるような気がして

今からワクワクしていますよう!

\(@_@)/ うしししし。。。

by デンマン

2008/08/09 8:28 AM




『即興の詩 指きり』のコメント欄より


書評ではかなりネガティブな事が書いてあるとデンマンさんはおっしゃっていますけれが、どのような事が書いてあったのですか?

『ウィキペディア』には、次のように書いてありましたよう。


『ペスト』 (フランス語:La Peste)

アルベール・カミュが書いたフランスの小説。
出版は1947年。
ペストに襲われたアルジェリアのオラン市を舞台に、苦境の中、団結する民衆たちを描き、無慈悲な運命と人間との関係性が問題提起される。
医者、市民、よそ者、逃亡者と、登場人物たちはさまざまだが、全員が民衆を襲うペストの脅威に、助けあいながら立ち向かう。

よく言われるのは、この作品は第二次世界大戦時のナチズムに対するフランス・レジスタンス運動のメタファーではないかということだ。
さらに、実存主義文学の古典とも言われるが、カミュはこのレッテルを嫌っていた。
語り口は、個々のセンテンスが複数の意味を内包し、その一つが現象的な意識および人間の条件の寓意である点で、カフカの小説、とくに『審判』に通じるものがあると言われている。

カミュのアプローチは非情で、語り手である主人公は、自分たちは結局何もコントロールできない、人生の不条理は避けられないという考えを力説する。
カミュは不条理に対する人々のさまざまな反応を例示し、いかに世界が不条理に満ちているかを表している。




出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


人生の不条理は避けられない。結局何もコントロールできない。そういう諦めがネガティブだ、とデンマンさんはおっしゃるのですか?

そうですよう。僕が読んだ限りでは、主人公でもあり語り手でもある Dr. Rieux は、そのような事を言っているようには思えなかった。

つまり、リウー医師の心には不屈の精神が宿っている、とデンマンさんには見えたのですか?

そうですよう。その通りですよう。その精神こそノーベル賞選考委員の心を動かしたのだと僕には思えるのですよう。


『ペスト』 登場人物

語り手:その正体は最後になって明かされる。

ベルナール・リウー (Bernard Rieux): 医師。実質的な主人公。
ジャン・タルー (Jean Tarrou): よそ者。
ジョセフ・グラン (Joseph Grand): 作家志望の役人。
コタール (Cottard): 絶望に駆られた男。
カステル (Castel): 医師。
パヌルー (Paneloux): 神父。
オトン氏 (Monsieur Othon): 予審判事。
レイモン・ランベール (Raymond Rambert): 新聞記者。

あらすじ

はじまりは、リウーが階段でつまづいた一匹の死んだ鼠だった。
やがて、死者が出はじめ、リウーは死因がペストであることに気付く。
新聞やラジオがそれを報じ、町はパニックになる。
最初は楽観的だった市当局も、死者の数は増える一方で、その対応に追われるようになる。
コタールは自殺しようとする。でも、未遂に終わる。

やがて町は外部と完全に遮断される。
脱出不可能の状況で、市民の精神状態も困憊してゆく。

助けられて以来、コタールは死ぬのを諦めて生きようとする。
新聞記者のランベールが妻の待つパリに脱出したいと言うので、コタールが密輸業者を紹介する。
しかし、コタールは逃亡者として町を出る気はなかった。

パヌルー神父は、ペストの発生は人々の罪のせいで悔い改めよと説教する。
一方、リウー、タルー、グランは必死に患者の治療を続ける。

ランベールは脱出計画をリウー、タルーに打ち明けるが、彼らは町を離れる気はない。やらねばならない仕事が残っているからだ。
ランベールは、リウーの妻も町の外にいて、しかも病気療養中だということを聞かされる。
ランベールは考えを改め、リウーたちに手伝いを申し出る。

オトン氏の息子、ジャック少年が苦しみながら死んだ。
それも罪のせいだと言うパヌルーに、リウーは抗議する。
確かに罪なき者はこの世にはいないのかも知れない。パヌルーもまたペストで死んでしまうのだから。

やがてペストは突然潮が退いたように終息する。
人々は元の生活に戻ってゆく。
ランベールは妻と再会する。
しかし、コタールは狂ったかのように家の窓から外を通りかかる人に発砲する。
でも、結局、警察に逮捕される。

ペストは終焉したと思われたのに、タルーは病気で死んでしまう。
そして、リウーは療養中の妻が死んだことを知らされるのだった。



【レンゲの独り言】



『ペスト』の背景にナチスドイツの魔の手が伸びていたなんてちょっと意外でしたわ。
アルベール・カミュがレジスタンス運動に加わっていた事も初耳でした。
ペストを“ナチズムの浸透”として考えるのは面白い発想だと思います。

あたしも、レジスタンス運動を考えながら、もう一度読み直してみようと思います。
あなたも、まだ読んでなかったら、この機会に読んでみたらいかがですか?

とにかく、面白い話がまだ続きます。
どうか、また、あさって読みに戻ってきてくださいね。
では、また。。。




メチャ面白い、

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こんにちはジューンです。

アルベール・カミュの作品では

なんと言っても『異邦人』が有名ですよね。

わたしも読んだことがありますわ。

でも、それ程感動しませんでした。

やはり、時代背景を考えないと

イマイチ、作品の良さが

伝わらないのかもしれません。

ナチズムの時代背景が

もろに作品に影響しているもの。。。?

そう考えて、まず第一に挙げられるのは

『アンネの日記』ではないでしょうか?

感動的な作品ですよね?

この作品を読めば、

ナチズムがどういうものであったかが

伝わってきますよね。

あなたは読んだことがありますか?




いつでも、こんな風に写ってたらいいなぁ。

私のお気に入りの写真ですよ。

これだったらハリウッドも夢じゃないと思う。

1942年10月10日 アンネ・フランク

【ジューン意訳】


ところで、英語の面白いお話を集めてみました。

もし、時間があったら読んでみてくださいね。

■ 『あなたのための 楽しい英語』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。






2008年07月18日

異邦人の夏


 
 
異邦人の夏




蝉の声
 
 

 

思い出は

夏の暑さを

逃れては

涼しき部屋で

聞く蝉の声

 
 
by めれんげ

2008.07.11 Friday 15:40




『即興の詩 短歌「蝉の声」』より






めれちゃんもレンゲさんのように

サンフランシスコへ

2度行ったことがあるんだよね。

あの西海岸の雰囲気は

めれちゃんと、なんか水が合う。

。。。でしょう?



髪の毛も、お肌もめっちゃ調子よかった!

でしょう?

でも、不思議と蝉の声が聞こえない。

めれちゃんは、サンフランシスコで

蝉の声を聞いた?

実は、バンクーバーでも僕は

蝉の声を聞いたことがない。

郊外の森にでも行かないと

聞くことができないのかなあ?

じゃあ、サンフランシスコの

めれちゃんを夢に見ながら

デンマンが詠める歌三首。




水を得て

生き生きルンルン

輝いて

メキシコ人に

思われしきみ






シスコにて

花を咲かせる

ラブロマン

浪速(なにわ)生まれの

大和撫子(やまとなでしこ)






夕暮れに

きみと手をとり

パラダイス

シスコの夜は

甘く更けゆく



夏と言えば、

『異邦人』

めれちゃんは、

もう読んだかな?

いつかイングリッシュ・ベイの

遊歩道を

めれちゃんと一緒に

歩いてみたい。



♪┌(・。・)┘♪ キャハハハ。。。

ルンルンル〜♪〜ン

ランランラ〜♪〜ン

by デンマン

2008/07/11 6:11 PM






サンフランシスコでは、
蝉の声は聞きませんでしたね…

今年は「異邦人」
ではなく「ペスト」を
読もうかと思います
あの作品は、泣けます…

うちの母親は、患者の描写が気持ち悪いと、
わたしが読むのを、よく思っていませんでしたが
例によって、こっそりと
読みましたね〜

by めれんげ

2008/07/11 11:33 PM




日本の夏はミンミンゼミと共にやって来る!

そうなんだよねェ〜。

アメリカの夏も、カナダの夏も

なんか、もう一つ物足りない!

なぜ?

ミンミンゼミが居ないからだよう!

ミ~ン、ミ~ン、ミ~ン、ミ~ン、ミ~ン、ジ~♪~

ミ~ン、ミ~ン、ミ~ン、ミ~ン、ミ~ン、ジ~♪~

あのギラついた太陽の下で

脂汗をタラタラたらしながら、

タンモ(補虫網)をもって、

蝉を追いかけた子供の頃の夏!



ふるさとの日本の夏は、

やはり懐かしいィ!

めれちゃんも、やっぱりシスコで

蝉の声を聞かなかったんだぁ〜

今年の夏には「異邦人」

ではなく「ペスト」を読むの?

La Peste かぁ〜。。。

でも、やっぱり、アルベール・カミュなんだね!

めれちゃんはカミュにハマッているようだね。

なんか、分かる気がするよう。

あの異邦人の主人公が

拳銃をぶっ放す。

めれちゃんは、むしろ、被害者の目で

読んでいるのかも?

ボーイフレンドに殺されそうになった

めれちゃんのエピソードを聞いて

僕は、銃口の向こうに

めれちゃんのイメージを見ましたよう。



今の僕にとって『異邦人』は懐かしい。

去年だったかな?

めれちゃんにインスパイアされて

ずいぶんと『異邦人』の事を書きましたよう。

『ペスト』は、書評はずいぶん読んだけれど、

本をじっくりと読んだためしがない。

ペストに襲われたアルジェリアの

オラン市が舞台なんだよね。

苦境の中、団結する民衆たち。

無慈悲な運命と人間との関係性が問題提起される。

医者、市民、よそ者、逃亡者と、

登場人物たちはさまざまだけれど、

全員が民衆を襲うペストの脅威に、

助けあいながら立ち向かう。



これって、第二次世界大戦時のナチズムに対する

フランス・レジスタンス運動のメタフォーではないか?

そう言う人が多いんだよね。

カフカの『審判』に通じるものがある、と言う人も居る。

カミュのアプローチは例によって非情で、

語り手である主人公は、

自分たちは結局何もコントロールできない、と言う。

人生の不条理は避けられない、と言う。

カミュは世界が不条理に満ちている、と言う。

僕はなぜ読む気にならなかったのか?

ナチズムは結局終焉を迎えた。

不条理に満ちているから立ち向かわねばならない!

不条理の前になすスベが無い!

そう言う主人公に、まだ若さに満ちて

これから世界に羽ばたこうとする

20代の僕は抵抗を感じたのです。

でも、めれちゃんが『異邦人』のように、

『ペスト』を読むのであれば、

僕も、一度、全文を読まねばならないと思っています。

なぜなら、めれちゃんの心を読むことになるからですう。

うしししし。。。

\(^o^)/キャハハハ。。。

by デンマン

2008/07/12 4:14 AM




『即興の詩 短歌「蝉の声」』のコメント欄より



今ここに
 

 

今ここに

きみがいること

この胸を

驚かしては

ときめかしては

 
 
by めれんげ

2008.07.14 Monday 13:30




『即興の詩 短歌「今ここに」』より



夏は、いつも「異邦人」を読んでいるのに

今年の夏は「ペスト」を読むと言う

めれちゃんですゥ。

La Peste かぁ〜。。。

全文を読んだ事の無い

ボクちゃんは、さっそくネットで

バンクーバー図書館に予約しました。

日本語の訳本は無いんだよね。

英語では“The Plague”



中央図書館から

ボクちゃんのマンションから歩いて5分の

分館まで届けてくれます。

明日か、あさってには電話で到着した事を

知らせてくれるはずです。

全部読み終わったら、

また記事を書くつもりですよ。

めれちゃんも楽しみにしていてね。

今ここに

きみがいること

この胸を

驚かしては

ときめかしては


めれちゃんの恋の短歌

愛の短歌から

めちゃインスピレーションを

もらっていますよ。

さらにインスパイアされて

デンマンが詠める歌三首。




叶(かな)うなら

きみと行きたし

異邦の地

愛を奏(かな)でる

アルジェの浜に






夢にまで

ビキニ姿の

きみを見る

北アフリカの

白い砂浜







銃声を

聞いたと思い

目覚めれば

きみは眠れリ

天使のように



アルベール・カミュの『異邦人』に

ハマッタ訳でもないのに、

なぜか、『異邦人』と

めれちゃんが手に手をとって

アルジェの浜を歩いてゆくんだよね。

うしししし。。。



そう言う訳で、

アルジェ風短歌でした。

\(^o^)/キャハハハ。。。

by デンマン

2008/07/14 3:32 PM






「異邦人」は、本当に
長い間読み続けてきて、
去年の夏は、読まずに
今年もそんな気分じゃないんですよね…
多分、卒業したのかも。

わたしは、ずっと長い間
ムルソーと自分を重ねて
きました

思った以上の感情表現をしない
自分の欲求のままに生きる
世間の慣習にしたがわない

…などなど、わたしとムルソーには、
共通することが多いのです

わたしは「ペスト」の中にヒューマニズムを
読み取ります
カミュの作品の中では、
いつもの身も蓋も無さが
上手く隠されていると思います
でも、抵抗しがたい状況
に置かれた人々の感情が
見事に描かれている…

すごい作品だと思います

by めれんげ

2008/07/14 4:38 PM




僕も実は、ムルソーと

共通するものを感じます。

つまり、どこまでも自分を押し通す生き方は

僕とそっくりですよう。

\(^_^)/キャハハハ。。。

でも、一つだけ違っているところを感じます。

僕は死刑にもなりたくないし、

自殺もしたくありません。

( ̄Д ̄;) それはイヤなのだぁ!

めれちゃんは「ペスト」の中に

ヒューマニズムを読み取るの?

書評を読む限りでは

不条理の前に

おとなしくなってしまうような

諦観を指摘しているよね。

諦観はイヤなのだ!

まるで死刑になるような

気持ちになってしまう。

それで僕は全文読まずに

投げ出してしまったのでした。

でも、めれちゃんがすごいと言う作品なので、

なおさら読まねばと思っていますよう。

めれちゃんの心を読むつもりで。。。



♪┌(・。・)┘♪ キャハハハ。。。

by デンマン

2008/07/14 6:30 PM




『即興の詩 短歌「今ここに」』のコメント欄より



【レンゲの独り言】



今日も、めれんげさんとデンマンさんの短歌とコメントのやり取りだけになりました。

■ 『パンツブログ (2008年7月14日)』



7月14日は、題して『パンツブログ』です。
でも、パンツブログを紹介している訳ではありません。

めれんげさんが飼っている生後3ヶ月の“ちび猫タン”の可愛い写真で始まります。
コメントの中でデンマンさんが“パンツブログ”ってどう?
そう言って、かつて、めれんげさんがフォトアルバムにアップしたパンツのことを話題にしたのです。

それから“パンツブログ”に話が発展して、記事のタイトルにまで“パンツブログ”を付けてしまったのです。
内容は、めれんげさんの短歌の紹介という形をとっています。
でも、デンマンさんの短歌もたくさん載っています。

今日(7月18日)は、紀行風、短歌で織り成す物語という形になりました。
それにしても、良く続くものですわ。

半分呆れながら、感心しております。
あなたは、いかがですか?

とにかく、面白いお話がまだ続きそうですわ。
あなたもどうか、また、あさって読みに戻ってきてくださいね。
では、また。。。




メチャ面白い、

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■ 『きれいになったと感じさせる

下着・ランジェリーを見つけませんか?』


■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

■ 『面白くて楽しいレンゲ物語』



■ 『カナダのバーナビーと軽井沢に別荘を持つことを

夢見る小百合さんの物語』


■ 『今すぐに役立つホットな情報』

■ 『 ○ 笑う者には福が来る ○ 』




こんにちはジューンです。

短歌は海外ではあまり知られていませんけれど、

Haiku は海外でも結構知られています。

すでに英語の普通名詞のように扱われていますわ。

GOOGLEで haiku を入れて検索すると、

なんと、 16,700,000件見つけることができます。

古池や蛙飛込む水の音

松尾芭蕉の有名な俳句です。

いったい、英語ではどのように訳されているのでしょうか?

次のように英訳されています。

old pond

a frog jumps

the sound of water


でも、やっぱり、日本語でないと

ピンと来るものがありませんよね。



ところで、英語の面白い話をまとめました。

興味があったら、

次のリンクをクリックして

読んでくださいね。

■ 『あなたのための 楽しい英語』



とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。





2008年07月14日

パンツブログ

 
 
パンツブログ




最近のめれちゃんは

人が違ってしまったように

元気よくなったね!

うれしいなあああぁ〜

めれちゃん!バンザ〜♪〜イ

\(@_@)/ キャハハハ。。。

創作意欲に燃えて

ますます短歌と詩を書きまくってね。

ところで、

『ちび猫物語』書きましたよう!



■ 『ちび猫物語 (2008年7月8日)』

すでにライブドアで予約投稿しました。

7月8日の『レンゲ物語』として

書きました。

ライブドアの語数制限を

オーバーしてしまうほどの

大作になりましたよう。

2ページになりました。

PART 1 と PART 2

ちび猫ちゃんの表情が

もっと分かり易いように

画像を大きくして明るくしました。

ホントにかわいらしくって、

めれちゃんも涙が出るほど

かわゆいなあああぁ〜と感嘆して

うれしくなってしまうはずですよう!

\(^_^)/キャハハハ。。。



めれちゃんの“アイコラ”も

かわいらしく仕上がりました。

『きみ思う』の写真がベースになってます。

めれちゃんの短歌と

僕の短歌をまとめて、

一つの物語になるように

編集したようなものです。

とにかく、めれちゃんが楽しんで

読めるような物語になってますよ。

楽しんでね。

じゃあねぇ〜。

*´ー`) フッ

by デンマン

2008/07/06 5:00 PM




デンマンさん♪
ブログ読みましたよ!
あらためて、うちの子の
可愛さにニコニコしちゃいました!

でも、わたしのアイコラ
可愛すぎます(笑
わたしはあんなに美人じゃないです…
いや。うれしいんですけどね♪

わたしと猫のことを、
大々的に取り上げて下さって、
ありがとうございます!
またよろしくお願いします♪

by めれんげ

2008/07/08 1:35 PM





> デンマンさん♪
> ブログ読みましたよ!
> あらためて、うちの子の
> 可愛さにニコニコしちゃいました!


うん、うん、うん。。。

メチャかわゆいですよね!

あのバッグに入っているのが

実にいいよねぇ〜。

思わず笑っちゃいますよゥ。


> でも、わたしのアイコラ
> 可愛すぎます(笑
> わたしはあんなに
> 美人じゃないです…
> いや。うれしいんですけどね♪


謙遜しなくってもいいよう!

めれちゃんからインスピレーションを

たくさんもらっている僕にとって

めれちゃんは、正に

“詩と短歌の女神”ですよう!


> わたしと猫のことを、
> 大々的に取り上げて下さって、
> ありがとうございます!
> またよろしくお願いします♪


はい、はい、はい。。。

こちらこそ。。。

よろしくね。

めれちゃんからもらう

インスピレーションがなければ、

あのように長くは書けないですよう。

ちび猫の写真が実に良かった。

ヽ(´ー`)ノキャハハハ。。。

じゃあね。

by デンマン

2008/07/08 2:46 PM




『即興の詩 短歌「待ちぶせ」』のコメント欄より




しあわせ遠く
 
 

 

別れ際

いつもくちづけ

交わしたあの頃

きみを見送り

しあわせあふれ

 
 
by めれんげ

2008.07.07 Monday 16:24




『即興の詩 短歌「しあわせ遠く」』より





めれちゃんの歌は

すばらしいけれど、

デンマンの感性に合うように

ちょっと変えてみました。




別れ際

いつもくちづけ

交わしけり

きみを見送り

しあわせあふれ






別れ際

いつもくちづけ

交わしたね

きみを見送り

しあわせあふれ



めれちゃんらしい歌に

感動して

嬉し涙に

わくわくしながら

デンマンが詠める歌三首。




しあわせは

君の心に

ありにけり

ちいさな幸(さち)を

とわに温(あたた)め






しあわせを

感じて欲しい

めれちゃんへ

萌えて贈れリ

熱い口づけ






いつまでも

君の心に

住みにけり

天使のように

笑う幸せ



歌を詠むめれちゃんは

しあわせです。

その幸せを温めながら

さらに素晴しい歌を

詠(うた)ってね。

デンマンはいつも

幸せな気持ちで

見つめていますよう。

。。。といいながら、

いつものように照れてますう。

てれてれてれぇ〜♪〜

\(^_^)/キャハハハ。。。

by デンマン

2008/07/08 3:29 AM




デンマンさん
返歌を送ります…




くちづけは

もはや我には

遠き夢

今なお残る

きみの面影



ちょっと悲しい恋歌です

by めれんげ

2008/07/08 1:42 PM




めれちゃんらしい感じが

よく出ていますゥ。

そのインスピレーションを受けて

さっそくデンマンが3首、

詠んでみました。




面影を

胸に抱いて

浪速路(なにわじ)を

涙に濡れて

歩むきみかな






夢なれど

君の思いは

わが胸に

熱き息吹(いぶき)を

よみがえらせて






くちづけに

思いを込めて

君を抱く

とわに幸あれ

みどりの黒髪



恥ずかしげもなく

よく書けるなあああぁ〜

デンマン、

ますますテレてますうゥ〜。

\(@_@)/ キャハハハ。。。

by デンマン

2008/07/08 3:22 PM




『即興の詩 短歌「しあわせ遠く」』のコメント欄より



この世の果て
 
 

 

終わりある

ものを愛しく

思う今

この世の果てに

ふたり逃れん

 
 
by めれんげ

2008.07.08 Tuesday 18:13




『即興の詩 短歌「この世の果て」』より



めれちゃんの写真を

これまでにたくさん見たけれど、

ちれいなおべべを

たくさん持ってるなあああぁ〜、と

半分以上呆れながら

感心して見てましたよう。

うしししし。。。

\(@_@)/ キャハハハ。。。

衣装代が大変だろうなあああぁ〜

このぶんじゃあ、きっと、

おびただしい数のパンツも

持っているんだろうねぇ〜。

うへへへへ。。。



“パンツブログ”ってどうだろうか?

キャハハハははぁ〜〜。。。

まず間違いなく

削除されちゃうよねぇ〜。

でも、めれちゃんだと、

365日、毎日変わったパンツを

アップするだろうなあああぁ〜〜

考えただけでも楽しいよう!

終わりある

ものを愛しく

思う今

この世の果てに

ふたり逃れん


う〜ん。。。

めれちゃんのパンツのバラエティーも

多いけれどォ〜、

\(>_<)ノ うしししし。。。

短歌のバラエティーも幅広いねぇ〜

どことなく形而上学的な

趣(おもむき)を感じますゥ。

その、めれちゃんの心に触れて

デンマンが詠める歌三首。




命ある

ものを愛しく

思う今

きみを想いて

命の限り






うたかたの

世を儚(はかな)んで

悲しめど

きみとの愛は

とわに輝く






幾億(いくおく)の

夜空に輝く

星あれど

とわに煌(きらめ)く

きみとボクかな



もう、こうなったら

150%照れてしまいますねぇ〜。

てれてれてれぇ〜♪〜

照れ屋の専売公社!

\(^Д^)/ギャハハハハ。。。。

by デンマン

2008/07/09 7:09 AM




パンツブログですか…
(ΦωΦ)フフフフ
flickrなら、平気ですね

では、返歌を…




世の果ては

命あれども

終わりなく

きみと手を取り

永遠に睦みて



by めれんげ

2008/07/09 11:05 PM




そう言えば、思い出しましたよう。

もう2年ほど前になるかな。。。?

Infoseek だったかな?

フォトアルバムにめれちゃんが

セクシーなパンツ写真を

アップしていた事があったんだよう!

ボクちゃんは、あの時の

キュートな写真を

未だに大切に保存してありますよう!

サービスが終了したのか?

めれちゃんが自主的に削除したのか?

あるいは削除されたのか?

いつの間にか無くなっていたよう。



フリルがかわゆい大きなハートの

アップリケがついた黒いパンツ!

\(^_^)/キャハハハ。。。

あれはよかった!

ホットパンツ姿のめれちゃん。

これもかわいかった!

うん、うん、うん。。。

なつかしいなぁ〜

ボクにとっては、メルヘンチックで

ロマンを感じさせる

パンツ・フォトアルバムだったけれど、

あれは、道徳にうるさい

オバタリアンや

オジタリアンが見たら

絶対にエログロナンセンスだと

言われるね。。。

\(^Д^)/ギャハハハハ。。。。

でも、ボクには夢とロマンのアルバムでした。

めれちゃん万歳!

ハートのアップリケ・パンツ!

バンザ〜♪〜イ!

うしししし。。。

では、真面目になって

厳(おごそ)かに短歌を三首、

デンマンが詠(うた)いま〜すう〜♪〜。




この世にて

尽きぬ思いは

あの世にて

愛はきらめく

永久(とわ)の夜空に






果てるとも

愛はかがやく

天の川

きらめく流れに

きみと二人で






星空を

見上げる君の

黒髪に

唇寄せて

永遠(とわ)に願いを



では、ここで

めれちゃんとパンツにささげる

川柳を一つ!

\(>_<)ノ うしししし。。。



めれちゃんや

嗚呼、めれちゃんや

めれちゃんや

パンツアルバム

おお、なつかしや!


あの、すばらしかった

パンツアルバムは

今ならば、子供の教育上

良くないと言うことで、

バッサリと削除されてしまうかも。。。

う〜〜ん

表現の自由は

どこまで許されるべきか?

むずかしいよねぇ〜。

( ̄Д ̄;) うん、うん、うん。。。

by デンマン

2008/07/10 3:24 AM




infoseek…
なつかしいですね〜
あのアルバムって、
わたしのセルフポートレイトのきっかけでしたよ
この数年間で、わたしが
撮った写真ってすごい数
になりますね
今はケータイで撮っているので、
何かと不十分ですが…

by めれんげ

2008/07/11 10:51 PM




『即興の詩 短歌「この世の果て」』のコメント欄より



きみを待ちわび
 
 

 

夜を待ち

きみを待ちわび

窓の外

薄紫に

染まるを見つめ

 
 
by めれんげ

2008.07.08 Tuesday 17:58




『即興の詩 短歌「きみを待ちわび」』より



夏はめれちゃんの

好きな季節なんだね。

そう言えば、夏になると

めれちゃんの創作意欲は

活発になりましたねぇ〜。

夏の思い出。。。

うん、うん、うん。。。

めれちゃんには

冬の思い出よりも

夏の思い出が多いはずですゥ。

夜を待ち

きみを待ちわび

窓の外

薄紫に

染まるを見つめ


う〜〜ん

いいねぇ〜

窓辺に寄り添って

窓の外を夢見心地で

見つめるめれちゃんが

目に浮かびますゥ。

薄紫に染まる

空を見ながら

ロマンに胸ときめかせる

めれちゃん。

そんな情景を想い浮かべながら

デンマンが詠める歌三首。



きみが待つ

愛の巣めざし

急ぎ足

夕闇迫る

浪速の空に





きみは待つ

ロマンに胸を

ときめかせ

うす紫に

染まる夕暮れ






恋しくて

君に会いたく

いそぎ足

はやる気持ちを

おさえつ歩む



時空を越えて

4次元の世界で

めれちゃんと

愛をささやく

悦びに

デンマンは

やっぱり照れてます。

てれてれてれぇ〜〜

\(^_^)/キャハハハ。。。

by デンマン

2008/07/09 6:35




照れ屋のデンマンさん♪
お察しのとおり、
わたしは一年の中で夏が
一番好きです!
わたしが思い出を残すのは、
夏が断トツ多いです

そのかわり、寒くなると
ほぼ冬眠状態です…

by めれんげ

2008/07/09 10:52 PM




うん、うん、うん。。。

そうでしょう。。。そうでしょう。。。

夏とめれちゃんが強烈に結びついている。

殺されそうになりながらも

彼と仲直りして

海で遊んだ真夏のめれちゃん。



めれちゃんが精一杯生きた夏!

生と死が隣り合わせの夏!

ぎらぎら照りつける浜辺で

華やいだフラワー・プリントの水着をきて

ちょっと深刻な表情を浮かべて

カメラに向かっためれちゃん!




“あの写真って笑ってないので

見た目、よくないでしょう?

でも、わたし、笑うと

目が無くなるんですよう。。。”


そう言っていためれちゃん!

振り返ってみれば、

ボクとめれちゃんがネットで

出会ったのも夏でした。

そうですよう。

確か、7月15日。。。?

うん、うん、うん。。。

しかし、冬でも、めれちゃんは

冬眠してなかったよう!

思えば、めれちゃんとボクが

劇的に仲直りをしたのは

12月でした。

真冬でしたよう。

仲直りのクリスマスプレゼント!



素敵でしたねぇ〜♪〜!

うしししし。。。

では、その時の感動を思い出しながら

デンマンが詠める歌三首。




冬が過ぎ

夏来たれども

なつかしや

きみにもらった

愛のぬくもり






白い浜

きみは走りて

水しぶき

愛を振りまき

天使のように






夏は今

君と一緒に

来たりけり

まぶしいほどの

ロマンと共に



バンクーバーで

さんさんと輝く

太陽の輝きを

顔一杯に受けながら

めれちゃんをしのび

詠んでみました。

いつものように

てれてれてれぇ〜〜

\(^_^)/キャハハハ。。。

by デンマン

2008/07/10 4:03 AM




『即興の詩 短歌「きみを待ちわび」』のコメント欄より



ふたりのはじまり
 
 

 

新しい

朝をふたりで

はじめよう

夕べの名残

素肌ふれあう

 
 
by めれんげ

2008.07.09 Wednesday 22:29




『即興の詩 短歌「ふたりのはじまり」』より



う〜♪〜ん。。。

実に、いいねぇ〜

愛の喜び!

性の悦び!

夕べの官能の歓びを

もう一度たどろうとする

めれちゃんのセクシーな姿。

う〜♪〜ん。。。

メチャなやましいなあああぁ〜

\(@_@)/ キャハハハ。。。

では、そのめれちゃんの

喜びの夜にインスパイアされて

デンマンが詠める歌三首。




悦びは

夕べにまさる

いとおしさ

愛のぬくもり

きみの柔肌






官能の

尽きぬ悦び

肌に秘め

きみは乱れて

愛に濡れたり






熱き肌

きみは萌えつつ

乱れつつ

夕べの名残(なごり)

更にかきたて



嗚呼、めれちゃん!

デンマンは完全に

鼻血ブ〜♪〜でし。



完璧に照れてま〜♪〜すう。

こうして、いつも照れてると

全く信じてもらえないよねぇ〜。

でも、鼻血ブ〜だけ信じてねぇ〜。

\(^_^)/キャハハハ。。。

by デンマン

2008/07/10 5:01 AM




この歌はエッチです(笑
ズバリ昨夜の余韻に浸り
つつ、裸で寝乱れてます
しかも、このふたりは、
初めて結ばれた翌朝です

そんなシチュエーション
を思い描いて詠みました

by めれんげ

2008/07/11 11:00 PM




『即興の詩 短歌「ふたりのはじまり」』のコメント欄より



【レンゲの独り言】



今日は、めれんげさんとデンマンさんの短歌とコメントのやり取りだけになりました。
それにしても、良く続くものですわ。

半分呆れながら、感心しております。
あなたは、いかがですか?

とにかく、面白いお話がまだ続きそうですわ。
あなたもどうか、また、あさって読みに戻ってきてくださいね。
では、また。。。




メチャ面白い、

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■ 『 ○ 笑う者には福が来る ○ 』




こんにちはジューンです。

短歌は海外ではあまり知られていませんけれど、

Haiku は海外でも結構知られています。

すでに英語の普通名詞のように扱われていますわ。

GOOGLEで haiku を入れて検索すると、

なんと、 16,700,000件見つけることができます。

古池や蛙飛込む水の音

松尾芭蕉の有名な俳句です。

いったい、英語ではどのように訳されているのでしょうか?

次のように英訳されています。

old pond

a frog jumps

the sound of water


でも、やっぱり、日本語でないと

ピンと来るものがありませんよね。



ところで、英語の面白い話をまとめました。

興味があったら、

次のリンクをクリックして

読んでくださいね。

■ 『あなたのための 楽しい英語』



とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。





2008年07月11日

推理小説ブームとロマンポルノ


  
推理小説ブームとロマンポルノ







明日は早くから軽井沢へ移動




投稿日時: 2008/06/27 06:43 (ロンドン時間)
日本時間: 6月27日 午後2時43分
バンクーバー時間: 6月26日 午後10時43分



はい ただいま
今日も無駄に動いてます、はあ〜
今 ご飯食べた
2時ごろのは美味しいというか 
お腹すいてて、よく 食べられます。


食べる事が大好きな小百合さん!
ゆっくりと時間をかけて食べてね。




昨日 途中まで読んだけど、子供がうろうろ 後ろを
通るから 画面変えたり、Yahoo いったり


うん、うん、うん。。。
そうでしょう。。。そうでしょう。。。
僕も、ちょっと気になりながら、迷いながら写真を貼り付けたのですが。。。

これからは、投稿の初めには絶対に写真を貼り付けないようにします。
もし、エロい画像を貼り付ける時には次のように小百合さんの注意を促すようにします。

【注意】

これが出てきたら、ちょっぴりエロい画像が現れると思ってください。


今も具合の悪い長男坊が後ろで横たわってます。
私の部屋には パソコンつなぐのも 無いし
いつも 二階の広いテーブルです。


小百合さん専用のパソコンルームが必要でしょうね。。。
軽井沢の別荘には、そう言うパソコンルームのスペースはないでしょうね。

小百合さんが熱中して読んでいるところを子供が通りかかって

“ママはエッチな写真を見てるゥ〜〜!”なんて言われるのは可哀想だから、
僕も少し何か良い方法を考えようと思います。




後で ゆっくり 読みますが、
明日は早くから軽井沢へ移動、
来週もどります。最後の引渡し。


はい、はい、はい。。。
小百合さんも、何かと大変でしょう!
時間ができたときにゆっくり読んでみてね。

何事もマイペースでね。
義務感で読むのはつまらないからね。
楽しみながら読んでね。


やる事いっぱいで、カーテンのサイズはかったり
家電をそろえるにも 軽井沢には 大型家電SHOP
大型家具屋もありません。

となり町の佐久までいきます。
ここは大きいホームセンターや
トーイザラス、スポーツSHOP、100円SHOPがあります。


しばらくは軽井沢の別荘にハマッテください。
小百合さんの気持ちがブログどころじゃない事は良く分かっていますよう。

それにしても、ほぼ毎日、返信を書いてくれるので、感謝していますよう。

でも、マイペースでね。
無理をしないように!


私がデンマンさんのなが〜い 頑張った メールを見ないで、
一人で気持ちが 軽井沢にいってるから
つまらないでしょ〜。


うん、うん、うん。。。
でも、人生って、そう言うものですよね。
人それぞれに、集中できるものがあって。。。
それが人によって違っているのが当たり前!

むしろ、これまでのように、僕と小百合さんが、ほぼ毎日、投稿の交換をしていた方が極めて珍しいのですよう。
僕も、これまでのネット経験から、充分に分かっているつもりです。

だから、小百合さんも、それ程気にする事はありませんよ!
とにかく、マイペースですよ!




日活ポルノって、ビデオ用に作られたの?


AV(アダルトビデオ)と違って、それ程出回っていない。
もともと、映画館向けに作られました。

AVと比べるとセックスシーンが少ないから、最近の若者には受けないかも。。。
日活ロマンポルノって、結構、芸術的ですよう。
AVには、ストーリーらしいストーリーってないけれど、
日活ロマンポルノには、しっかりとしたストリーがありますよう。
女性が観ても、充分に楽しめる作品が多いと僕には思えます。

「軽井沢夫人」は、東大出身のポルノ作家・宇能鴻一郎が書いた同じタイトルの推理小説を原作にして作られたロマンポルノ映画です。
ストーリーは、ユニークではないので、つまり、アメリカの推理小説の物まねのようなもので、イマイチだけれど、
AVの H シーンばっかりの低級な作品よりは、見ごたえがあります。

AVが10点ならば、日活ロマンポルノは60点から70点の作品です。


あれは 1度もTV でやらないでしょう?


日活ロマンポルノはテレビではやらないはずです。



出演者もちっとも 知らない人。 


僕はポルノ女優・宮下順子さんのファンですが、
この人は普通の映画にも出るようになりました。

昨日書いた投稿の中でも僕は書いていますが、順子さんが出演した「火まつり」と言う映画はNHKで放送され、僕は日本に帰省した時に見て驚きました。
やっぱり、順子さんにはポルノ女優ではあっても、他のポルノ女優と比較したらば、抜群の演技力がある!
僕はそう思ったものです。
だから、この人のファンになったのですが、
この人が出た映画をNHKで見たときには、“役者を見るオレの目は確かだ!” と自慢にならない“うぬぼれ”を感じたものでした。
うしししし。。。


そう言う訳で、ロマンポルノは馬鹿にできません。

AV女優は演技力はほとんどありませんよね。
なぜなら、AVの作品にはストーリーがほとんどない。
H だけのシーンで終わっています。

ストーリーのないAV作品を見るのは、ワンワンやニャンニャンの交尾を見ているようで、あれは、マジで観る気になれないですよね。
ついつい、噴出したり、馬鹿馬鹿しくて観ていて笑ってしまったりしますよう。
観るだけ時間の無駄だと感じる事が多いです。


なにしろ また 出かけます、
車を洗って GAS満タン
明日の準備。荷物のPack しないと!
では デンマンさん一人で 突っ走って ください。


はい、はい、はい。。。
一人で突っ走りますよう。

小百合さんが帰ってくるまでに、
ぜひ、“小百合とデンマンのロマンポルノ”を書き上げたいと思います。

小百合さんが読んでも、充分に楽しめて。。。しかも。。。ふ〜♪〜ん、と納得できるような、違った角度から「女の小百合」を考える事ができるような。。。
もちろん、ちょっぴり、ヤ〜らしくなりますが。。。(ちょっとだけよ。。。うしししし)

そう言うわけですから、期待しながら、軽井沢の別荘で大いに動き回ってくださいね。
疲れて帰ってきた小百合さんが読んで癒されるような。。。そんなロマンポルノを書きたいと思います。
じゃあね。



【注意】

では、恒例になりましたが、僕のオツムの中の小百合さんの素敵なイメージと共に“さよなら”します。



いいなあああぁ〜!

小百合さんには

こういう女っぽさが

あるのですよう!


Viva!小百合さん!

Viva!夢とロマンの女神!


じゃあね。






投稿日時: 2008/06/27 08:58 (ロンドン時間)
日本時間: 6月27日 午後4時58分
バンクーバー時間: 6月27日 午前0時58分

『Beaverland e-XOOPS』より
Fuji & Kato Private Forum 『夢の出会い』スレッド




デンマンさんは、小百合さんがヒロインのロマンポルノを書いているのでござ〜♪〜ますか?



いけませんか?

それって、ヤ〜らしいのでしょう?

卑弥子さんは、すぐに、何でもヤ〜らしく考えてしまうのですねぇ〜

だってぇ〜。。。ロマンポルノってヤ〜らしいと相場が決まっているのでござ〜♪〜ますわ。

あのねぇ〜。。。ロマンポルノをAV(アダルトビデオ)と同じようなものだと思っている人が多いので誤解してしまうのですよう。

でも、ロマンポルノもAVも似たようなものでござ〜♪〜ますわ。

確かに、チャンバラ映画とAVのどちらに似てるか? そう聞かれたらロマンポルノはAVに似ていますよう。でもねぇ〜、ロマンポルノとAVを比べると“全く違う”と言うこともできるのですよう。

例えば、どういうところでござ〜♪〜ますか?

アダルトビデオには、まずストーリーが無い。はっきり言って、ワンワンちゃんやニャンニャンの交尾を見ているのとあまり変わりがないのですよう。AVを見た後で、心が洗われたような気分になって、人生が豊かになった。。。そういう気分になる事ってまずないですよう。少なくとも僕の経験では、時間の無駄!と思うことが実に多い。

それなのに、デンマンさんは懲りずに見るのでござ〜♪〜ますか?

だから、1年に1度か2度ぐらいは、最近は少しはましなモノができてるかな?そう思って、帰省した時にAVを見てみるのですよう。

。。。んで?

いつも期待を裏切られますよう。

だったら、見なければいいじゃありませんか?

見れば、こうして記事が書けるでしょう。。。うへへへへ。。。見ないで“AVは下らない”、と書くのは無責任ですよう。

つまり、“下らない!”と書くために見るのでござ〜♪〜ますか?

もちろん、いいモノができてるかな?。。。と期待しながら見るのですよう。

でも、いつもがっかりするのでござ〜♪〜ますか?

そうですよう。

だったら、今度はあたくしと一緒に見させてくださいな。

卑弥子さんはAVを見た事が無いのですか?

ありませんわ。だいたい日本でAVコーナーに足を踏み入れる女性なんて居ないのでござ〜♪〜ますわ。

よく知ってますねぇ〜

同僚の准教授がそのように話しておりましたわ。

それで僕と一緒にAVを見たいのですか?

よろしくお願いいたします。

やだよう。

どうしてで、ござ〜♪〜ますか?

卑弥子さんと一緒にAVを見たら大変な事になると僕にはすぐに想像ができるからですよう。

どのように大変になるのでござ〜♪〜ますか?

ヤダぁ〜〜 デンマンさんは、

こういうヤ〜らしいモノを

平気で見ているのでござ〜♪〜ますか?




卑弥子さんは絶対にこう言って騒ぎ立てるからですよう。卑弥子さんと一緒に心静かに見られるとは思えないのですよう。

そ。。。そ。。。そんなに。。。ヤ〜らしいのでござ〜♪〜ますか?

卑弥子さん!。。。いつまでもアダルトビデオの事を話している訳には行かないのですよう。そろそろ本題に入らないと僕の記事がまた長くなりますからね。

分かりましたわ。それで今日は何をお話になるのでござ〜♪〜ますか?

タイトルに書いたでしょう。。。

『推理小説ブームとロマンポルノ』

ロマンポルノがどのような訳で推理小説ブームと関係しているのでござ〜♪〜ますか?

だから、上の投稿を持ち出したのですよう。


「軽井沢夫人」は、東大出身のポルノ作家・宇能鴻一郎が

書いた同じタイトルの推理小説を原作にして作られた

ロマンポルノ映画です。

ストーリーは、ユニークではないので、

つまり、アメリカの推理小説の物まねのようなもので、

イマイチだけれど、AVの H シーンばっかりの

低級な作品よりは、見ごたえがあります。


日活ロマンポルノ「軽井沢夫人」は、同じタイトルの推理小説を原作にして作られたロマンポルノ映画なんですよう。

どうして推理小説なのですか?

だから僕は調べてみました。ちょっと読んでみてくださいよう。


「軽井沢夫人」と推理小説ブーム



高田美和という女優は、とっても懐かしい。
なぜかというと、僕が小学生の頃よく彼女のお父さん(高田浩吉)が出ていたチャンバラ映画を行田の映画館でよく観たものでした。
昔は現在の秩父線の行田市駅(高崎線の行田駅ができたので行田市駅に名前が変更された)が“行田駅”だった当時、
駅前に“中央映画館”という映画館があったのです。
現在は駅前広場が拡張されて、その広場の一部になって影も形もなくなってしまいました。

その映画館で近所の友達(菊ちゃんをいじめた幸雄君たち)とよくチャンバラ映画を観たものです。
月形龍之介、堺駿二、片岡千恵蔵、中村錦之助、木暮三千代、東千代之介、志村喬、美空ひばり、左ト全、丘さとみ、進藤英太郎、大友柳太朗、市川右太衛門、山形勲、高田浩吉、。。。
こういう役者さんが出ていました。

高田美和は高田浩吉の娘なので、僕よりは年下かと思ったら、先に生まれているのですよう。
ちょっと意外でした。1947年(昭和22年)生まれです。
美和さんは日本大学鶴ヶ丘高等学校の1年生だった1962年に大映に入社したのです。
時代劇で可憐な娘役として活躍していたらしいのだけれど、僕は中学生の頃からチャンバラ映画は見なくなっていたので、時代劇で美和さんを見た記憶がないのです。

現代モノでは、「高校三年生」「青いくちづけ」「十七才は一度だけ」「わが愛を星に祈りて」「限りある日を愛に生きて」などの映画に清楚な現代娘の役で出た、と言うのだけれど、やっぱり僕の記憶にない。
でも、ネットで調べてみたら「わが愛を星に祈りて」のYouTubeの動画が見つかりました。

■ 『「わが愛を星に祈りて 1965(昭和40)年」(YouTube)』

18才当時の可憐な美和さんの映像を見ることができます。
17年後に日活ロマンポルノにヌード出演するなんて、この時の美和さんには思いもつかなかった事でしょうね。

この「わが愛を星に祈りて」の歌ができた前の年、1964年、には吉永小百合さんと浜田光男さんのコンビの『愛と死をみつめて』が大ヒットして、青春モノ、純愛モノの爆発的ブームを呼び起こしたんですよね。
美和さんが出た映画「わが愛を星に祈りて(1966年)」も、このブームに乗って作られたようなものでした。
だから、あらすじが良く似ていますよう。

■ 映画『わが愛を星に祈りて(1966年)』 あらすじ

1968年の大映退社後は、美和さんはテレビと舞台に仕事の場を移しました。
今思い出すと、テレビで見た記憶だけが鮮明に残っています。
お父さんと一緒にコマーシャルにも出ていました。
「一の糸」「女系家族」「おんなみち」などのドラマに出演したのです。
僕は「一の糸」で美和さんを見た覚えがあります。
清楚で可愛らしい感じの女優でしたよね。



ここでちょっと寄り道をします。
松本清張さんが1958年に発表した推理小説『点と線』『眼の壁』の2長編はベストセラーとなって、「清張ブーム」を巻き起こします。
どうして推理小説のことなど、とあなたはいぶかしく思うかもしれませんが、
実は美和さんが初めて日活ロマンポルノに主演する事になる『軽井沢夫人』の原作は嵯峨島昭(さがしまあきら)の同名の推理小説を映像化したロマンポルノなのです。
この嵯峨島昭という一般の人にはあまり知られていない作家名は、実は、あの有名なポルノ作家・宇能鴻一郎の別名です。
そう言う訳で、清張さんと推理小説についてちょっとばかり書いてみます。

この「清張ブーム」によって推理小説が大衆に読まれるようになったのです。
推理小説が庶民の間でも親しまれるようになったというのは清張さんの功績だと思います。
また、清張さんは『昭和史発掘』『日本の黒い霧』などのノンフィクションで現実世界にも目を向け、多芸多才な作家活動をおこないました。

『小説帝銀事件』であつかった現実世界は、『日本の黒い霧』にまとめられ、「黒い霧」は流行語になったほどです。
『わるいやつら』、『砂の器』、『けものみち』、『天保図録』を発表後、1964年から「昭和史発掘」の連載を「週刊文春」に開始しました。
『古代史疑』で古代史にも目を向けたのです。
まさに多彩と言う印象を受けますよね。
1970年、『昭和史発掘』などの創作活動で第18回菊池寛賞を受賞しました。

清張さんは「自分は作家としてのスタートが遅かったので、残された時間の全てを作家活動に注ぎたい」と語り、広汎なテーマについて質の高い作品を多作したのです。
このように多作の作家のなかでコンスタントに質の高い作品を出し続けた例は極めて稀で、このため複数の助手作家を使った工房形式で作品を作っているのではないか、と平林たい子・女史は韓国の雑誌『思想界』で指摘したほどです。
これに対し清張さんは、『日本読者新聞』において反論しています。

僕自身は推理小説よりも清張さんのノンフィクションを好んで読みました。
推理小説は、考えすぎて書いているところが不自然で僕はあまり好かないのです。

宇能鴻一郎さんは大学院在学中の1961年(昭和36年)、『鯨神』で第46回芥川賞を受賞しました。
嵯峨島昭のペンネームは推理小説を書くために使ったものです。筆名の由来は、当初、覆面作家として登場したため「探しましょう」にシャレたものです。
芥川賞受賞後、しばらくは性的純文学を書いていたのですが、次第に独特の官能小説を量産するようになります。
ところで、嵯峨島昭の推理小説『軽井沢夫人』ですが、『点と線』と比較すると、あまりにも単調で浅い感じがしてしまうのですよね。
なぜ?

推理小説のタイトルのネーミングを見ても分かるように安直に名前をつけているのですよね。
作品を量産する時には、いちいちユニークな名前をつけるのが面倒になる。
そう言う訳で似たようなタイトルになってしまう。
ちなみに、清張さんは作品に名前をつける時、ずいぶんと考えた末に決めると言うことを僕はどこかで読んだことがあります。

嵯峨島さんの『軽井沢夫人』に至る推理小説のタイトルは
『札幌夫人』
『湘南夫人』
『軽井沢夫人』
この辺の名前のつけ方にも安直さが伺えます。
当然の事ですが、話の筋も同じようなのでは。。。?と読者の方も安直に無視してしまう。




『軽井沢夫人 (2008年7月7日)』より


松本清張さんの起こした“推理小説ブーム”と関係あるのですよう。

でも、時代が少し違うと思うのでござ〜♪〜ますわ。

確かにそうですよう。『点と線』で始まる「清張ブーム」は1958年からですからね。推理小説『軽井沢夫人』が出版されたのは1979(昭和54)年です。

約20年の開きがありますわ。

でもねぇ〜、「清張ブーム」によって推理小説が大衆に読まれるようになったのですよう。

デンマンさんも推理小説を読むようになったのですか?

僕は推理小説はあまり好きではなかった。だから清張さんの推理小説は、ほとんど読んでいないのですよう。

。。。んで、どうして推理小説『軽井沢夫人』が日活ロマンポルノに選ばれたのでござ〜♪〜ますか?

ポルノ作家の宇能鴻一郎さんが書いた推理小説を原作としてロマンポルノを作れば映画が当たると思ったのでしょうね。

宇能鴻一郎さんのポルノ小説は面白いのですか?

僕は本を買ってまで宇能鴻一郎さんのポルノ小説を読んだことはないのですよう。でもねぇ、1970年代には宇能鴻一郎さんの官能ポルノ小説は大衆芸能誌や男性週刊誌などで、よく連載されていましたよう。

つまり、そのジャンルでは結構人気があったのでござ〜♪〜ますわね?

そうです。それで、「軽井沢夫人」ならば、間違いないと思ってプロデューサーが選んだのでしょうね。

。。。んで、映画の反響はどうだったのでござ〜♪〜ますか?

映画の内容よりも、それまで清純女優として人気があった高田美和さんがヌードになって濡れ場を見せると言うので話題を振りまいた。それで観客が詰め掛けたような印象を僕は持ったのですよう。

実際は、どうだったのでござ〜♪〜ますか?

やっぱり、内容よりは、美和さんがヌードになると言うセンセーショナルな前評判が観客を呼んだようですよう。僕もこの記事を書くまでは、この映画がポルノ作家の宇能鴻一郎さんが書いた推理小説を原作として作ったものだとは知らなかった。

。。。んで、デンマンさんが観てストーリーはどうだったのですか?

僕はもともと推理小説は好きではないから、イマイチだった。

。。。んで、そのあらすじは。。。?

それは、あさって話しますよう。でもねぇ、美和さんのヌードは素晴しかったですよう。うしししし。。。


【卑弥子の独り言】



ですってぇ〜。。。
つまり、デンマンはヌード以外には、あまり興味が無いのですわよねぇ〜。
推理小説が嫌いなのだから、スジを追うのに退屈して美和さんのヌードだけを目をぎらつかせながらヤ〜らしく観ていたのでしょうね?

でも、やっぱり、あらすじが気になるのでござ〜♪〜ますわ。
とにかく、また、あさってが面白くなりそうです。
だから、あなたも読みに戻ってきてくださいましね。
じゃあねぇ。






ィ〜ハァ〜♪〜!

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こんにちは。ジューンです。

推理小説といえば、

なんと言ってアガサ・クリスティの

『オリエント急行殺人事件』ですよね。

1934年に出版された

推理小説の古典です。

名探偵エルキュール・ポアロシリーズの一つ。

あまりにも意外な犯人、意外なトリックにより

数あるクリスティの著作の中でも評価が高く、

ミステリー史上最高傑作と言われています。

1974年、シドニー・ルメット監督、

アルバート・フィニー主演で映画化されました。

あなたは観たことがありますか?



ところで、卑弥子さんが面白い記事をまとめました。

時間があったらぜひ読んでみてくださいね。

■ 『笑って幸せな気分になれるサイト』



では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。






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