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2012年01月20日

ルンルン気分で

 
あなたもルンルン気分で…



こんにちは。。。
ジューンです。
あなたもルンルン気分でネットをやっていますか?



ええっ?
なかなかルンルン気分になれないの?

だったらね、わたしが良いことを教えてあげるわ。

あなたは Windows を使っているでしょう?
10人に9人までが Windows を使っているらしいわよ。
わたしもWindowsを使っています。

そういうわけで、今日はWinodws を使って
ネットでルンルン気分になるお話をしようと思うのですわ。

あなたがWindowsをスタートする時、
電源を入れると短い音楽が鳴りますよね。





このミュージックをあなた好みのルンルン気分にさせるモノに変えるのですわよ。

ええっ?どうやったら代える事が出来るの?

だから、そのお話をしようと思ったわけなのよ。

Windowsを起動すると、短い音楽が鳴ります。
他にも終了時、エラー時、新着メールの通知など、
さまざまな動作で音が鳴るように設定されています。
あなたもご存知でしょう?

どの音も別の音に代える事が出来るのですよ。
ここでは、起動時の音を鳴らないようにしたり、別の音に変更する方法を説明します。
ここでお話しすることはWindows XPの場合です。

では、次の手順に従って代えてくださいね。

1) 「スタート」→「コントロール パネル」をクリックします。

2) 「サウンドとオーディオ デバイス」のアイコンを
   ダブルクリックします。

3) 「サウンド」タブをクリックして、
   「Windows の起動」など設定を
   変更したいイベントとして選択します。

4) イベントの音を変更する場合は、
   プルダウンメニューから任意の音を
   選択します。
   音が鳴らないようにするには、
   「(なし)」を選択します。

5) 再生ボタンを押して、
   どんな音を選択したのか確認します。

6) よければ「OK」をクリックして設定完了です。

どうですか?
簡単でしょう?

イベントの音を選択する際に、「参照」ボタンをクリックして、
プルダウンメニューにない .wav 形式のサウンドファイルを選択することもできますよ。
つまり、あなたが作った音楽を選択することも出来ます。
試しにやってみてくださいね。

ところで話は変わりますが、あなたはブログをやっていますか?
ホムペを持っていますか?
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アクセスアップを考えているならば、ぜひ次の掲示板をのぞいてくださいね。

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ごゆっくり。。。
では。。。



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『スカンクと宮本武蔵 (2009年7月6日)』

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おほほほほ。。。。

また現れて、

くどいようでござ〜♪〜ますけれど。。。

あたくしは寒さに負けずに、

萌え萌えになって

踊りまくろうと思っているのですわ。

だから、あたくしも愛と生命の躍動のために、

美味しいものをたくさん食べて

エネルギーを蓄えようとしているのでござ〜♪〜ますのよ。

そう言う訳で、食欲は大いにござ〜♪〜ますわよォ〜。



あたくしは柿の葉ずしが大好物なのですわよ。

ええっ?マツタケご飯じゃなかったのかって。。。?

そうなのよ。良く覚えているわねぇ〜。

マツタケご飯も大好物なのよ。

でも、柿の葉ずしも大好物なのよゥ。

あなたも作ってみてね。

ええっ?

良い材料が手に入らないのォ〜?

心配する事は無いのでござ〜♪〜ますのよゥ!

貴方もこうしてネットをやって、

あたくしの記事を読んでいるのですから、

クリックするだけで、

すべての材料が手に入るのですわよ!

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でも、食べすぎて太らないようにね。。。

ところで、あなたも笑って

ルンルン気分になってみませんか?

そういうサイトがあるのよ。

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■ 『笑って幸せになれるサイト』

ええっ?どんな面白いことがあるのかって。。。?



どう?この二人が誰だか分かるでしょう?

おほほほほほ。。。

面白いでしょう?

じゃあ、また上のサイトでお会いしましょうね。

貴方、ホントに見てね?

ダメよ!そうやって生返事ばかりして、

この場をうまく誤魔化そうなんてぇ〜

そういうコスイ考え方は、お止めになった方が

良いのでござ〜♪〜ますわよゥ〜。

見てよね。お願いねぇ。

うふふふふふ。。。。

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょう。

じゃあね。






2011年12月23日

仰げば尊し和菓子の音


 
仰げば尊し和菓子の音



おほほほほほ。。。

卑弥子でござ〜♪〜ますわよゥ。

また出てきてしまいましたわぁ〜

どうしてもあなたに

お会いしたかったのですわ。

ええっ?あなたは

あたくしに会いたくないの?

そんな、つれない事を

言わないでくださいましよ。

ねっ?仲良くしましょうね。

ええっ?

下らない事を言ってないで

「仰げば尊し和菓子の音」って

どういうことなのか早く話せ!

あなたは、そのように

きつい事を言うのでござ〜♪〜ますか?

分かりましたわよ。

考えてみたら、今日はそのことについてお話しようと思って

出てきたのでござ〜♪〜ますわ。

うふふふふ。。。




あたくしもデンマンさんに言われてパソコンっつうモンを使い始めて、

こうしてネットをやっているのでござ〜♪〜ますわよう。

国際化しなさい、グローバル化しなさいって言われているのでござ〜♪〜ますわぁ。

だから、あたくしも国際化して、せいぜいキーボードを叩いて、

情報を世界のネット市民の皆様に向けて発信しているのでござ〜♪〜ますわよう。

ええっ?どんな情報を発信しているのかって。。。?

おほほほほ。。。

これから、その面白い情報をここに書くのですわよ。

まず、可笑しなタイトルから書きますわね。

実はね、あたくしがパソコンっつうモンを使っていて出くわした

面白い間違いをここに書こうと思い立ったのでござ〜♪〜ますわよゥ。

うふふふふ。。。

あたくしは、たまには音楽の事でも書こうと思ったのでござ〜♪〜ますわよう。

それでキーボードに向かって打ち始めたのでござ〜♪〜ますわ。

そうしたら、あたくしのパソコンが間違って次のように表示してしまったのですわよう。

仰げば尊し和菓子の音

あたくしが何と書こうとしたのか?あなたにすぐに分かったとしたら、あなたは、かなりの教養がある方ですわ。

あたくしは、そんなあなたを尊敬してしまいますわア。

ええっ?あなたには、まだ全く見当が付かないの?

でもねぇ、そんなにガッカリする事ないわよう。

誰にだって、知らない事ってあるのだから。。。

でも、中学校を卒業していたら、すぐに分かると思うのよね?

あなたは中学校を卒業しているのでしょう?

でも、全く分からないの?

マジで。。。?

あなたは、多分、小学校、中学校で音楽の成績がかな〜♪〜り悪かったでしょう?

ええっ?そんな事はどうでもいいから、早く答えを言え!

あなたは、そのように喚(わめ)き散らすのでござ〜♪〜ますか?

分かりましたわ。そんなにもったいぶる事でもありませんから。。。

実はねぇ、次のように書こうと思ったのでござ〜♪〜ますわよう。

仰げば尊し我が師の恩

懐かしいでしょう?

あなただって卒業式に歌ったことがあるでしょう?

では、あたくしも懐かしいので、ここに歌詞を書いてみますわねぇ。


仰げば尊し



仰げば 尊し 我が師の恩
教(おしえ)の庭にも はや幾年(いくとせ)
思えば いと疾(と)し この年月(としつき)
今こそ 別れめ いざさらば

互(たがい)に睦し 日ごろの恩
別るる後(のち)にも やよ 忘るな
身を立て 名をあげ やよ 励めよ
今こそ 別れめ いざさらば

朝夕 馴(なれ)にし 学びの窓
蛍の灯火 積む白雪
忘るる 間(ま)ぞなき ゆく年月
今こそ 別れめ いざさらば


懐かしいですよねぇ〜
 
もともとはスコットランドの民謡だったのですってぇ〜。

それを1884年(明治17年)に小学唱歌を編集する時に、当時の教育者の伊沢修二が唱歌として加えたのが唱歌としての始まりでござ〜♪〜ました。

しかし、最近では、その歌詞の内容が教師を崇めるものとして反発の対象となっているのですって。

時代が変われば変わるものですわよねぇ〜。

また、2番の歌詞の“身を立て 名をあげ”が立身出世を呼びかけている事から社会情勢の変化に合わないとして、公立学校を中心に卒業式の歌を「旅立ちの日に」に変更する学校が多くなっているそうでござ〜♪〜ますわ。

でも、そんなに深刻に思いつめて歌うこともないと思うのでござ〜♪〜ますわよねぇ。

あなたは、どう思いますか?

では、今日のホットな情報に参りますわねぇ。


今日のホットでお得な情報



夢の副業



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では、また、近いうちにあなたにお会いいたしますわ。
副業で成功をつかんでね。





ィ〜ハァ〜♪〜!

メチャ面白い、

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■ 『きれいになったと感じさせる

下着・ランジェリーを見つけませんか?』


■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

■ 『面白くて楽しいレンゲ物語』

■ 『カナダのバーナビーと軽井沢に

別荘を持つことを夢見る小百合さんの物語』


■ 『今すぐに役立つホットな情報』

■ 『 ○ 笑う者には福が来る ○ 』



■ 『軽井沢タリアセン夫人 - 小百合物語』




おほほほほ。。。。

また現れて、

くどいようでござ〜♪〜ますけれど。。。

ええっ?余計な事を言わずに、

さっさと言いたい事をぬかせ!

あなたは、そのような強い口調で

あたくしにご命令なさるので

ござ〜♪〜ますか?

分かりましたわ。

そのつもりで出てきたので

ござ〜♪〜ますから。。。

おほほほほ。。。

では、あたくしからの今日の一言ですわ。

If you don't conquer self,

you will be conquered by self.

--- Napoleon Hill

自分に打ち克つことができない人は

自分に負けてしまうわよ。


ナポレオン・ヒルというおっちゃんが言ったのですって。

克己心(こっきしん)の事について言ったのよね。

なんとなく分かるでしょう?

ところで、あなたは小百合さんの記事を

読んだことがござ〜♪〜ますか?

ないのォ〜?

ダメよゥ!そいじゃあああ〜〜

実に面白いから次のリンクをクリックして

読んで御覧なさいよう!



『カナダと日本で別荘を持つ夢を膨らませながら

前向きに楽しく生きている小百合さんの物語』


あなたも読んで楽しめるわよ。

ぜひ読んでね。 

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。






2011年12月07日

仙台ジャズフェスティバル

 
仙台ジャズフェスティバル

 

第21回定禅寺ストリート

ジャズフェスティバル 2011






デンマンさん。。。あんさんは、日本に帰省中に仙台のジャズフェスティバルに行きましたん?



いや。。。いけんかったのやァ。

どうして。。。?

つい忘れていて。。。知っていたとしても行く暇がなかったと思うねん。

。。。で、どうしてジャズフェスティバルのことなど持ち出してきやはったん?

たまたま、わては行田市の実家でのんびりとしていたのやァ。 その日(10月21日)は朝からどんよりしておって外に出かける気分ではあらへん。 そやから、わてはNHKの朝の連続ドラマ「カーネーション」を見て。。。

あんさんも見てはったん? 関西が舞台やから、わたしも時たま見てますねん。

けっこう、おもろいなァ。 ゆっくりと朝ごはんを食べながら見ていたらドラマの後の番組『あさいち』に、コシノジュンコさんが出てきよった。 コシノさんのお母さんが「カーネーション」のヒロインのモデルになっているのやがなァ。

あんさんは知らへんかったん?

そんなことまで知るかいなァ。 そのあと、わてのおかあはんが珍しいことに焼き芋を作ってくれたのや。

あんさんのお母さんは焼き芋が好きなん?

そうなのやがなァ。 イモ類がメチャ好きなのや。 それで焼き芋を食べながら、おかあはんと世間話をして、それから小百合さんに電話して10月25日に館林で会おうという話になったのやァ。

 

『また会おうね』

(2011年10月26日)




あんさんは、わたしには電話してくれへんかったな?



わては、めれちゃんの電話番号、知らへんでぇ〜。。。

そないなことは、あらへん。。。あんさんのことやから調べる気になれば、すぐに分かりますやん。

さよかァ〜。。。とにかく、電話をかけ終わったら叔父がやって来たのやァ。 もう退職して行田市の老人会の副会長かなんかやっているけど、暇をもてあましておるねん。

それで、あんさんとカナダの世間話をしやはるために出かけてゆきはったん?

そうやァ。 3時半まで世間話をして帰って行きはったから、また、わてはテレビをつけた。 そしたら仙台のジャズフェスティバルをやっていたのやがなァ。


ろーかる直送便

東北Z▽ぶらバン2011

定禅寺ストリート

ジャズフェスティバル


放送日時 2011年10月21日(金)
(15:15〜16:00)

出演者・スタッフ
住吉美紀 (NHKアナウンサー)
小曽根真 (ジャズピアニスト)


4千人を超える市民が出場する「定禅寺ストリートジャズフェスティバル in 仙台」。

震災から半年の節目と重なった今年、番組は音楽で復興を後押しするスペシャル企画を実現!

世界的なジャズピアニスト・小曽根 真がジャズフェスを“ぶら”歩き、出場する市民バンドを勧誘し1日限りのスペシャルバンド“ぶらバン”を結成。
はたしてどんなバンドが結成されるのか?

東日本大震災の復興への願いを込めたセッションが人々をつなぐ。
案内役は現在フリーアナウンサーの住吉美紀。



定禅寺ストリートジャズフェスティバル

2011年9月10日〜11日

仙台駅前エリア






こういう番組やったのやがなァ。 初めの15分ほど見逃したけど、充分楽しめたでぇ〜。



そら、よろしおましたなァ。

とにかく、仙台はわての第二のふるさとやさかいに。。。学生時代に青春を謳歌したよってに、マジで懐かしいのやがなァ。 第1回定禅寺ストリートジャズフェスティバルは 1991年に開かれたと言うねん。 そやから、わてが学生の頃にはまだなかった。 フェスティバルが開かれてへん時には定禅寺通りは、広い通りやけど、ケヤキ並木がきれいで静かな通りやねん。

 



そう言われてみれば、仙台は「杜の都」と呼ばれていますな?



そうやァ。

わたしも番組を見たかったわァ〜。。。

あれっ。。。めれちゃんは見ィ〜へんかったんか?

その時刻には、平日やったから働いてましてん。

めれちゃんはジャズなど聴かへんやろう?

わたしはジャズも好きですねん。

さよかァ〜? めれちゃんは演歌と流行歌だけしか好かんと、わては思うていたのやァ。

なして、そないに考えはったん?

そやかて、めれちゃんは、こないに言うていたやないかいなァ。


赤ちょうちん

2007-04-14 16:10



あいかわらず、突然ひとりで飲みに行く
一匹オオカミヽ(´ー`)ノプッ
れんげであります。

最近お気に入りのお店を見つけました。
海のものが大好きなわたしには、
とてもうれしいお店なのです!!



お造りが新鮮で、安くてうまい〜!
ママさんの料理が、絶妙すぎる〜!
お酒もなんだか、通なものがある〜!
こんなにうまいのに、なんでこんなに
安いのーーー??

先日、夜中にふらりと来店すると、
時間も遅かったせいか、
お客さんは、三人だけでした。
全員、リタイアされて悠々自適といった感じの、お兄様がたでした。

で、わたしは隅っこにすわって、
お造り、天ぷらなどをいただきながら、
ビール→焼酎へと進んでいきました。
静かーに。
しかし、かなり気持ちよく。





そこで!
「お姉ーーーーっ!!」の声が。
ママさんを見ても、何も反応なしなので、
…わたしを呼んでいるのか?と思い、
声の主を見ると、白髪がステキなお兄様が、
立ち上がってわたしを見ながら、
ニコニコしていらっしゃいました。

そして…
休み前とは言え、明け方近くまで
お兄様たちとの愉快な時間…
話題は政治、歴史からはじまって、
ちょっとアダルトー♪なものまで。
ただでさえ、話好きなわたしは、
お酒を飲むと、スーパーエンターテナーへとヘンシーン!!します。



しかし…
お店には閉店時間ってものがあります。
ママさんは、相当飲んでおられるお兄様に、
「もうやめときっ!!」と、一喝。
ママさんに甘えるお兄様には、
「それはもう聞いたっちゅーねん!!」
と、愛のムチです。



さすがのわたしも、ママさんの苦労を
感じとったので、お兄様たちには、
「もう眠なったし、帰りますわー。」と、
ママさんには、
「ごちそうさまでした!また来ますね!」
そう言って、明け方の道へと…

ホントにいいお店なんですよ。
てくてく歩いて行ける場所だし。
ママさんは、女の生きる道を教えてくれます。
彼女の賢明さには、これまでの苦労を物語っているような印象を感じます。
本当の気持ちで、わたしにアドバイスをしてくれる方なのです。
…お菓子ボリボリしながら、テレビを見ていらっしゃいますが…。
なんと言っても、うざいナンパ野郎がいないのがイイ!!

そんな感じで、今夜も行ってしまいそうな、
れんげであります。
ははははははは。
 
 
by れんげ
 
 





『いきいきのびのび小百合さん』より
(2007年11月30日)




デンマンさん。。。あんさんはどこに目をつけてるねん? これは、わたしやのうて、レンゲさんが書きはったものですやん。



さよかァ〜。。。そやけど、めれちゃんも同じような事を言うてたでぇ〜。。。

赤ちょうちんには確かに、わたしは時々一人で出かけるときがありますねん。

そうやろう? そやから、めれちゃんには演歌や流行歌が似合いやと、わては思うておったのやでぇ〜。。。たとえば、美空ひばりが歌っておった『一人酒場で飲む酒は。。。』というような歌やんかァ。。。





ところで、めれちゃんはジャズピアニストの小曽根真さんを知ってるか?



知ってますがなァ。。。けっこう有名なピアニストやんかァ。

そうらしいなァ〜。。。わては全く知らへんかったのやァ。 


小曽根 真(おぞね まこと)

(1961年3月25日 - )



日本のジャズピアニスト。
1961年神戸市生まれ。須磨浦学園須磨浦小学校卒業。父小曽根実の影響で5歳からクラシックピアノを習っていた。
バイエルに挫折し、12歳の時にオスカー・ピーターソンのソロ・ピアノを聴き、ジャズ・ピアノを始める決意をする。
1976年15歳でプロデビュー。
神戸市立葺合高等学校卒業。

1980年に渡米し、ボストンのバークリー音楽大学に入学。

1983年バークリー音楽大学のジャズ作・編曲科を首席で卒業後、同年6月にニューヨークのカーネギー・ホールにてソロ・ピアノ・リサイタルを開く。
このとき、ちょうど見物にきていたクインシー・ジョーンズに見出されて米CBSと日本人初のレコード専属契約を結び、アルバム『OZONE』にて全世界デビュー。

エピソード

16、17歳のときにタモリに会ったことがあり、その際に「まだ顔にあどけなさが残っているけど、この世界はホモが多いから注意しろ」と忠告されたという。

2005年8月、音楽配信サイト『iTunes Music Store』日本版の開始時に、小曽根真の「ドラえもんのうた」のカバー曲がトップ10にランクインした。

2008 - 2009年の『東急ジルベスターコンサート』でのカウントダウン演奏「ラプソディ・イン・ブルー」のピアノ演奏を担当するも、予定時刻を2秒ほどオーバーしてしまった。
小曽根は「(年明けと同時に打ち上げられた)紙吹雪が落ちきる前に終わったから成功、ということで」と言い訳をした。




出典:
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




「オスカー・ピーターソンのソロ・ピアノを聴き、ジャズ・ピアノを始める決意をする」と書いてあるのやけど、わてもオスカー・ピーターソン(Oscar Peterson)のピアノが好きやねん。





トロントに住んでいる頃、CNE(Canadian National Exhibition)で生の演奏を聴いたことがあるねん。 やっぱり、感動したでぇ〜。。。



。。。で、小曽根さんが勧誘して 1日限りのスペシャルバンド“ぶらバン”を結成して何を演奏しやはったん?

まず、坂本九ちゃんの、あの有名な曲『上を向いて歩こう』をジャズ風にアレンジしたものを演奏したのや。 なかなかえかったでえ〜。。。





次にアンコールに答えて"Take The 'A' Train"を演奏しやはった。 これもえかったでぇ〜。





あんさんもピアノでジャズを弾(ひ)きはるん?



とても人に聴かせるようなわけにはゆかんけど、真似事で弾いたことがあるねん。

そう言えば、あんさんは恵美子さんが弾きはった『乙女の祈り』を聴いて独学でピアノを習いはったのやねぇ。。。





めれちゃんは、よう覚えているなァ〜?



次の記事を読みましたよってに。。。



『ん? クラシックで片思い?』

(2006年6月19日)




実は、わたしも、おかあはんにピアノを習わさせられたことがありますねん。



ほおォ〜、ホンマかいなア!? 。。。んで、小曽根さんのようにバイエルに挫折してしもうたんかァ〜?

そうですねん。

マジかいなァ〜。。。?

ホンマですわァ。 そやけど、わたしの場合には挫折したまんまで、2度とプロのピアニストになろうなどとは思いまへんやった。

さよかァ〜?。。。でもなァ〜、めれちゃんは畑は全く違うけど、コンピューターを独学で勉強して情報技術者資格試験に合格し、システムズ・エンジニアとして頑張っているやないかいなァ。 考えてみたら、ピアノの鍵盤やのうてぇコンピューターのキーボードを未だに弾いてるわけやなァ。 うししししし。。。


【レンゲの独り言】



ですってぇ〜。。。
あたしもピアノのことでは同じような経験がありますわ。
やっぱり強制的にピアノを習わさせられると、イマイチはまりませんよね?
あたしの場合もプロのピアニストなんて夢の、また夢になってしまいました。
でも、音楽に飽きたわけではありません。
ピアノを習ったおかげで、未だにクラシックに親しんでおりますわ。

ところで、紅葉(もみじ)狩りの季節もすっかり遠のいてしまいました。
あなたの地方ではいかがですか?
紅葉を見て癒されましたか?

あたしは京都の法然院を訪ねてみました。







10月の下旬、紅葉が見ごろでしたわ。
四国、九州にお住まいの方は、お近くの森に紅葉狩りに出向いてはいかがですか?

とにかく、次回も興味深い話題が続くと思います。
あなたも、また戻ってきてくださいね。
じゃあ、また。。。






ィ〜ハァ〜♪〜!

メチャ面白い、

ためになる関連記事





■ 『きれいになったと感じさせる

下着・ランジェリーを見つけませんか?』


■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

■ 『面白くて楽しいレンゲ物語』



■ 『軽井沢タリアセン夫人 - 小百合物語』

■ 『今すぐに役立つホットな情報』

■ 『 ○ 笑う者には福が来る ○ 』



『夢とロマンの横浜散歩』

『あんさんに会いたい』 

『愛とロマンの小包』

『下つきだねって言われて…』

『銀幕の愛』

『パリの空の下で』

『夢の中華パン』

『愛の進化論』

『漫画家と平和(2011年3月6日)』



『漫画家の壁(2011年3月10日)』

『漫画家と奴隷(2011年3月12日)』

『畳の上の水練(2011年3月15日)』

『パール判事とゴーマン(2011年3月18日)』

『軍隊のない国(2011年3月21日)』

『あんさんに会いたい(2011年10月31日)』

『ロマンと夢とババア(2011年11月4日)』

『愛の地獄(2011年11月8日)』




こんにちは。ジューンです。

小曽根 真さんのように音楽で

海外で活躍している方も多くなりましたが、

日本のアニメや漫画も海外へ進出していますわ。

わたしは「かぐや姫」のお話が好きですけれど、

あなたはいかがですか?

1987年に確か日本で「竹取物語」という映画が作られましたよね。

わたしも観た覚えがありますわ。

かぐや姫の別れ


 
 
なんだか平安時代のサイエンス・フィクションのようで見ごたえがありました。

アニメでも素晴らしい作品がありますわ。

とにかく日本は漫画とアニメの国ですから。。。

アニメ竹取物語



カナダでも日本のアニメや漫画が人気があります。

バンクーバー図書館にも漫画の本がたくさんあるのですよ。 (微笑)

日本のアニメや漫画は世界の文学界とアニメ界にも影響を与えています。

ええっ。。。英語に訳されたかぐや姫のアニメもあるのかって。。。?

それがあるのですわよ。

ちゃんと国際語である英語を使ってアニメが作られています。

あなたも、目の玉をムキムキしてじっくりと観てくださいね。

「かぐや姫」アニメ in English



ところで、卑弥子さんが面白いサイトを

やっています。

興味があったら、ぜひ次のリンクをクリックして

覗いてみてください。



『あなたのための笑って幸せになれるサイト』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょう。

じゃあね。バーィ





2011年09月05日

タリアセン夫人とリンドバーグ夫人

 
タリアセン夫人とリンドバーグ夫人




女一人の部屋



我々が一人でいる時というのは、我々の一生のうちで極めて重要な役割を果たすものなのである。
或る種の力は、我々が一人でいる時だけにちか湧いて来ないものであって、芸術家は創造するために、文筆家は考えるために、音楽家は作曲するために、そして聖者は祈るために一人にならなければならない。
しかし女にとっては、自分というものの本質を再び見出すために一人になる必要があるので、そのとき見出した自分というものが、女のいろいろな複雑な人間的な関係の、なくてはならない中心になるのである。
女は、チャールス・モ−ガンが言う、「回転している車の軸が不動であるのと同様に、精神と肉体の活動のうちに不動である魂の静寂」を得なければならない。
 
 (中略)

機械的な意味では、私たちはこの何十年間かに多くのものを獲得したが、精神的には、却(かえ)って失ったもののほうが多いと私は思う。 昔は、女がそれを知っていたかどうかは別として、女の生活に一つの中心を与えるのにもっと多くの源泉があった。
女が家の中に閉じ籠(こ)められているということ自体が、女が一人でいられる時間を作った。 女の仕事の多くは、静かに自分というものを眺めてこれを知るのに適した性質のもので、昔の女は今日の女よりももっと多くの創造的な仕事を持ていた。

料理とか、裁縫というようなものさえも、自分というものの糧になる創造的な仕事に属していて、パンを焼いたり、布を織ったり、漬(つ)けものを作ったり、子供を教えたり、歌を歌ってやったりするのは、今日の女が自動車を運転したり、百貨店に買いものに行ったり、各種の機械的な手段で家の仕事をしたりするのよりも、遥(はる)かに多くのものを女に与えたに違いない。

(注: 赤字はデンマンが強調
写真はデンマン・ライブラリーより)
 



45 - 47ページ 『海からの贈物』
著者: リンドバーグ夫人 吉田健一・訳
2000(平成12)年7月15日 第63刷発行
発行所: 株式会社 新潮社




デンマンさん。。。またリンドバーグ夫人が書いたものを引用したのですか?



いけませんか?

ちょっと、しつこいのではありませんか?

でも、読んでみて、なかなか味わいのある文章だとは思いませんか?

確かに、そう言われてみると昔の女は今日の女よりももっと多くの創造的な仕事を持ていたような気もしますわ。

そうでしょう!? それに旦那から離れて自分一人になって考える時間も小百合さんにとって必要だったのですよ。

デンマンさんは、どうしてそのような事を言うのですか?

だってぇ、小百合さんは次のように書いていましたよ。





Subj:長い電話お疲れ様でした。

Date: 01/10/2007 1:52:14 AM
Pacific Daylight Saving Time
日本時間: 10月1日 午後5時52分 
From: fuji@adagio.ocn.ne.jp
To: barclay1720@aol.com


長い電話お疲れ様でした。
良くわかりました。

経理をしなくてはいけない。
それも13年分。
誰にたのもうか?
レシートもなくてと迷って朝方まで寝られない夜が毎晩だった時、
デンマンさんと話して、ここまで経理が進んだことをホットしてます。

いくら 請求がきても カナダに納めるのならいいやと思いはじめました。 
バーナビーで夏休みを過ごすことは
毎年私の支えの時間でした。


あの古い家は、夏休みで休むというより
ペンキ、芝のクローバむしり、
りんごの木の手入れ、
玄関まで高く長い階段のペンキはがしや、
しばらくみがかないガラス、
シミだらけのじゅうたん、
BASEMENTはランドリーのホコリとくもの巣、
行けば、掃除ばかりの家に大変でしたが
また戻りたいと思っていました。

実父の病気に、もう自分勝手にしていては駄目だ。
と今年決意しました。

こんな私でも欲しい物があります。
別荘です。
場所は長野です。
買ったら元家主の藤田桃子さん夫婦も招きたいです。
よかったらデンマンさんも。

日本だったら、親をおいていくことなく、ゆけます。

でも、29才からバーナビーで夏休みを過ごすことができた事は
私の人生にとって良かったと思います。

ではまた。。。

小百合より



『カナダのバーナビー』より
(2008年11月18日)




つまり、夏休みになると、旦那から離れて一人になって“山の家”で小百合さんは人生を深く考えながら生活したのですよ。 そのようにして29才からバーナビーで夏休みを過ごすことができた事は
小百合さんの人生にとって良かったと思います、と言っているではないですか。



そうですわね。。。私は主人から距離を置いて自分の人生を。。。自分自身をリンドバーグ夫人のように改めて考えたのかもしれませんわ。


あの古い家は、夏休みで休むというより
ペンキ、芝のクローバむしり、
りんごの木の手入れ、
玄関まで高く長い階段のペンキはがしや、
しばらくみがかないガラス、
シミだらけのじゅうたん、
BASEMENTはランドリーのホコリとくもの巣、
行けば、掃除ばかりの家に大変でしたが
また戻りたいと思っていました。




小百合さんはこのように書いていたけれど、考えてみればリンドバーグ夫人が書いているように「各種の機械的な手段で家の仕事をしたりするのよりも、遥(はる)かに多くのものを」小百合さんに与えたに違いないのですよ。 そう思いませんか?



言われてみれば、確かにそうかもしれませんわ。

そのように一人になりながら小百合さんは旦那との関係をリンドバーグ夫人のように考えていたのですよ。

リンドバーグ夫人はご主人との関係をどのように考えていたのですか?

次のように考えていたのです。


歓喜はやがて冷める



相手と初めのうち結ばれていた関係は変わって、世間との接触でもっと複雑な、もと厄介なものになる。 ...確かに、この二人が結ばれた当時の関係というのは美しいものである。
それはそれだけで充実したものであって、春になった頃の朝の感じがあり、我々はやがては夏が来るのを忘れて、二人の人間が過去にも未来にも煩わされずに、個人と個人として向き合うこの愛の早春をいつまでも続かせたいと思う。

どんな変化も、それが人生と人生の進展の一部をなしている自然なものであることが解っていても、不愉快に感じられるのであるが、肉欲と同じことであって、人と人の関係も、初めの歓喜の状態が同じ烈(はげ)しさをいつまでも失わずにいるということはあり得ない。
それは成長して別の段階に入り、我々はそれを恐れずに、春の次に夏が来たのを喜んで迎えるべきである。

(注: 赤字はデンマンが強調
写真はデンマン・ライブラリーより)
 



57 - 58ページ 『海からの贈物』
著者: リンドバーグ夫人 吉田健一・訳
2000(平成12)年7月15日 第63刷発行
発行所: 株式会社 新潮社




つまり、私と主人との関係も冷たくなっているとデンマンさんは思っているのですか?



いや。。。特に世間の一般的な夫婦と比べて冷たくなりすぎていると言っているわけじゃないのですよ。

でも、なんだか、そのように聞こえますわ。

いや。。。それは極めて一般的なことなのですよ。 かつて太田老人も次のように書いていたのですよ。


音楽は、世界共通の言語か?



音楽は、けっして、世界共通の言語などではない。
異なる時代にも亘る言語ですらなかった。
それでは、ヨーロッパ音楽の伝統とは、そもそも、いったい何であったのだろうか。

小澤征爾が言っていたことであるが、彼が若い頃、東洋人がヨーロッパの音楽をする意味、可能性について問われたとき
(そういうことを聞く田舎者が
 世界のどこにもいるものである。)、
音楽は、世界の共通の言語であるからと、
(当たり障り無く)返事をしていたところが、近頃では、
何か自分が壮大な実験をしているのではないか、と思うようになってきたそうである。

壮大な実験、これは、彼だけのことではないであろう。
ようやく我々が西洋音楽を扱うことに関して
欧米(を超える)水準に達した今日の、この倦怠は何であろう。
かといっても、我々が邦楽に戻るなどとは、
一般的にいって、非現実的であり、できない相談である。
バスク語を話せ、と言われた方が、まだしも抵抗が少ないのではないか。

(中略)

いつだったか、小澤征爾と H.V.Karajanの指揮する M.Ravel の “Bolero” を聞き比べたことがあった。
小澤の演奏は、英語で言う too square であったが、Karajanのそれは、なんとも sexyで妖艶ですらあった。
フランス人でもないのに。
やはり、小澤のような指揮者でさえ日本人では及びがたいところが今なおある。

(中略)

わたしは、何々至上主義、といったものが嫌いである。
例えば、恋愛至上主義。
大体、恋愛感情などというものは、ある年頃の男女が肉体に触発された心理現象にすぎないのではないか。
そもそも、成熟した夫婦が、夫婦であるのにもかかわらずに仲が良い、などというのは、どこか異常ではないか。
長い間、生活を共にしていて、まだ互いにsexualityを感じたとしたならば、それは近親相姦に近くはないか。




J.S.Bach は、
前妻、後妻と共に仲が良かった様子であるので、
私はここを書いていて、少し、困っているが。

芸術至上主義も同じ。
人生は芸術を演出する時空ではない。

(注: イラストはデンマンが貼り付けました。
改行を加えて読みやすくしてあります。)




pages 5 & 6
『間奏曲集 (主題なき変奏) その2』 
著者: 太田将宏
初版: 1994年1月 改定: 2006年6月




『デンマンと音楽』に掲載
(2011年1月8日)




J.S.Bach のようなごく一部の夫婦を除いて夫婦の関係は新婚の頃の熱々な情熱は冷めてくるのですよ。 つまり、空気のような関係になってくるということですよ。



要するに、夫婦というのはそのようなものだとデンマンさんも考えているのですか?

だってぇ、そうでしょう! 40代、50代の成熟した夫婦が20代の新婚のカップルのようにベタベタ、ルンルン気分でスキップしながらキスしていたら、ちょっと滑稽ではありませんか!?

まさか、それほどアツアツにはならないでしょうけれど、世の中には40代、50代になっても仲の良い夫婦はいるものですわ。

でもねぇ、外から見るのと内から見るのでは大違いなのですよ。

その根拠でもあるのですか?

ありますよ。 ジューンさんが次のように書いていました。




こんにちは。ジューンです。

リンドバーグ夫人は

1906年6月22日に生まれました。

亡くなったのは2001年2月7日です。

94歳の長寿でした。

1929年に、あの飛行士で有名な

チャールズ・リンドバーグと結婚しました。

夫人は夫の勧めでパイロットや

無線通信士の技術を身につけ、

乗務員として調査飛行に

同行するようになりました。



1歳8ヶ月の彼らの息子ジュニアは

1932年3月1日に自宅から誘拐され、

10週間に及ぶ探索と誘拐犯人との

身代金交渉の後に、

ニュージャージー州ホープウェルで

5月12日に死んでいるのが見つかったのです。

夫人の悲しみは想像に難(かた)くありません。

彼女は後年、作家となり、

さらに5人の子供をもうけました。

世間ではリンドバーグ夫妻は

おしどり夫婦で通っていましたが、

2003年11月、リンドバーグと

ミュンヘンの帽子屋ブリギッテ・ヘスハイマーの間に

3人の非嫡出子が生まれていたことが

DNAテストによって証明されました。

3人は、それぞれ1958年、

1960年、1967年に

ドイツで生まれました。

リンドバーグとヘスハイマーの関係は

1957年に始まり、

彼の死まで継続されたということです。

ヘスハイマーは2001年に74歳で亡くなりました。

ちなみにリンドバーグ大佐は

1974年8月26日に亡くなりました。

72歳でした。

人生というのは表面からだけでは

見えない部分があるものですよね。







『愛と孤独』より
(2011年8月31日)



【卑弥子の独り言】



ですってぇ〜。。。
そうですわよねぇ。
夫婦の間のことは外からではなかなか見えないものでござ〜♪〜ますわ。
あなただってぇ、そう思うでしょう?

だから、あたくしも結婚してよいものかどうか、最近、改めて考えさせられているのですわよう。
生涯独身で通そうか?

でも、一度は結婚してみないことには解りませんものね?
うふふふふふ。。。

とにかく次回も面白くなりそうですわ。
だから、あなたも読みに戻ってきてくださいましね。
じゃあ、また。。。






ィ〜ハァ〜♪〜!

メチャ面白い、

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こんにちは。ジューンです。

話はガラリと変わりますけれど、

道鏡さんについて次のような川柳が知られています。





つまり、生涯を独身で貫いたと言われている称徳女帝は

実は道鏡さんと、あらぬ関係になってしまった。

なぜ?

それで江戸時代の人々は、道鏡さんの一物が

素晴らしかったので称徳女帝を

虜にしてしまったのではないか?

そのように勘ぐって上の川柳を考え出したのです。

ずいぶんと笑い者にされた道鏡さんですが

実は優秀な人だったそうです。

語学にも才能があったと見え、

留学僧でもない道鏡さんが兄弟子・良弁に付き添って

唐招提寺に居る鑑真さんを訪れた時、

二人の会話が理解できたと言います。

道鏡さんはさらに難解なサンスクリット語にも

精通していたのです。

辞書も教科書も、ましてやテープもない時代に

異国語を習得することは大変なことでした。

あなただって、想像がつくでしょう?

だから、道鏡さんが相当の頭脳の持ち主であったことは

まず間違いないようです。

でも当時、悪い僧侶も確かに居ました。

仏教が隆盛するに伴い、

様々な問題も現れ始めていたのです。

まず、僧侶としての戒律を守る者が少なくなってきました。

生活の苦しい多くの庶民が、税を免れるために、

勝手に出家し僧を名乗るようになってきたのです。

これに困った朝廷は、正式に僧侶としての資格を与える

“受戒”を行える僧を、唐から招請することを決めました。

それに応え、鑑真和上が多くの困難を乗り越えて

日本にやって来たというわけです。

以来、僧侶として認められるためには、

“受戒”の儀式を受けなければならない決まりとなりました。

この“受戒”の儀式を行える場所=「戒壇」(かいだん)を

持つ寺院が、畿内の東大寺、九州諸国の筑紫観世音寺、

そして東国の下野(しもつけ)薬師寺の

3カ所と定められました。

これらは、総称して「三戒壇」と呼ばれました。

道鏡さんのレベルの僧侶になると、

セックスにむちゃくちゃをするような僧は

まずその地位を保つことが出来ません。

この当時の宗教界は、それ程腐ってはいません。

とにかく鑑真和上が居た頃の話ですから。。。

だから、称徳女帝と道鏡さんのあらぬ関係は

後世の作り話だとわたしは考えています。



ところで、卑弥子さんにもちょっと信じがたいような

恋物語がありますわ。

関心があったらぜひ次のリンクをクリックして

じっくりと読んでみてくださいね。

『平助さんが卑弥子さんに

恋をしたのがウンのつき』


では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。





2011年08月16日

カセットの音楽をPCで


 
カセットの音楽をPCで残したい!



こんにちは。ベティーです。
青春の思い出が詰まったカセットテープの音楽をパソコンで聴けたらと思ったことはありませんか?
そしてPCでいつまでも残したい。

たとえば、部屋を片付けていたら、学生の頃に録りためたカセットがごっそりと出て来ました。
「あ~、あの時、流行ってた曲だ…」なんて青春時代を懐かしんでしまいますよね。

捨てるにはもったいない。
でも、そうかと言って保存するには、かさばるんですよね。

確かに邪魔だし、でも捨てるのは寂しいし。。。
なにかいい方法ないのかな?

あなただ、そう思うでしょう?
さて、あなたは、どうしますか?
(^_^;) 

やっぱり、泣く泣く処分してしまいますか?

実は、パソコンでカセットテープの音楽を音楽データにする方法があるのですよ。
青春の思い出が詰まったカセットって、捨てられないですよね。
そこで、おすすめなのがカセットの音楽をパソコンに取り込んで保存する方法です。
デジタル音源に変換する機器を使えば意外に簡単なんです。



どうするの。。。?

1) まず、カセットデッキやラジカセなどを用意します。

2) アナログ音源をデジタル音源に変換する「アダプター」を使って、
   カセットの音楽をパソコンに取り込みます。

3) パソコンや携帯音楽プレーヤーに転送して懐かしい音楽を楽しむ。

変換用の「アダプター」は、「オーディオ・インターフェース」(USB接続)を使用すると、ノイズの影響を受けずに取り込めます。
取り込む時の「サウンドソフト」の操作方法などは、次のリンクをクリックして読んでみてくださいね。

■ 『懐かしいカセットの音楽をパソコンに移す方法』

■ 『「USBオーディオ・インターフェース」をいろいろチェック』

もちろん、無料ですよ。
登録する必要もありません。
読んですぐに使えますよ。

これで、懐かしい音楽が詰まっているカセットテープをあなたのパソコンに取り込むことができますよ。
青春時代に聴いた懐かしい音楽をパソコンで楽しんでくださいね。



Good luck!

バ~♪~イ


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■ 『漢字馬鹿さん元気?(2009年3月25日)』




おほほほほ。。。

卑弥子でござ~♪~ますわよ。

くどいようですけれど、

また現れましたわ。

やっぱり、ベティーさん

ぱっかりに任せていると

退屈するのよねぇ~。

それで。。。つい、つい、

出て来てしまうので

ござ~♪~ますわよ。

ええっ、余計な事は言わなくてもいいから、

さっさと言いたいことを言って消えろ!

あららあああぁ~

あなたはそのような厳しいことをあたくしに

言うのでござ~♪~ますか?

いけすかないことォ~♪~

分かりましたわ。

では、今日の一言を。。。

うふふふふ。。。

Motivation is what gets you started.

Habit is what keeps you going.

--- Anonymous (詠み人知らず)




事を起こすにはやる気が必要です。

ひとたび習慣になれば、

それを続ける事ができます。


あたくしは、このように訳しました。

あなたなら、どう訳しますか?

素晴しい訳があったら教えてくださいませ。

では、今日も楽しく元気よく

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあ、バ~♪~イ。





2011年05月22日

ロマン・ロランも理解した(PART 1)

 
ロマン・ロランも理解した(PART 1)





デンマンさん。。。上の写真は花魁(おいらん)の写真ではありませんか?



そうですよ。。。よく分かりましたね?

女性の服装を見ればすぐに判るではありませんか!

うん。。。確かに、そうですよ。

あのォ〜、フランス人のロマン・ロランが日本へやって来て花魁と遊んだことがあるのですか?

いや。。。ロマン・ロランは日本に来たことはないですよ。

それなのに、どうして花魁の写真などを持ち出してきたのですか?

実は、倉田百三の『出家とその弟子』を僕は読んだのですよ。

それってぇ、ずいぶん昔の戯曲でしょう!?

あれっ。。。小百合さんは知っているのですか?

戯曲のタイトルだけは有名だから知っていますわ。 でも読んだことはありません。

僕も読む気はなかったのだけれど、たまたま、「あらすじで読む日本の名著」の中に入っていたのですよ。 その冒頭に倉田百三のことが書いてあったのですよ。


倉田百三 (1891 - 1943)



広島県生まれ。 劇作家・評論家。
旧制一高在学中に西田幾多郎に師事する。
数編のエッセーを発表するが結核を患い退学。
帰郷してキリスト教や仏教を学び、思索に励んだ。
自由な恋愛観と宗教観を描き、作品は世に評価されるに至るが、今度はカリエスで病床に臥す。
その生活の中から戯曲に『俊寛』『布施太子の入山』、感想文集『愛と認識との出発』などを生み出した。

作品の背景

病魔と闘いながらも、26歳のとき(1917年)、この戯曲を発表。
たちまちベストセラーとなり、当時の親鸞ブームを巻き起こし、大正宗教文学流行の機縁をつくった。
その反響は海外にまで及び、英訳を読んだロマン・ロランは「現代世界の宗教作品の最も純真なものの一つである」と評した。
なお、同作品は親鸞の弟子である唯円が書いた『歎異抄』に取材したものである。

(注: 赤字はデンマンが強調)




つまり、英訳を読んだロマン・ロランは「現代世界の宗教作品の最も純真なものの一つである」と評したのでデンマンさんも読む気になったのですか?



その通りですよ。 しかも、僕はかつてマンガの解説書『歎異抄』を読んで親鸞と唯円のことを記事で取り上げたことがあるのですよ。


それ程、極楽浄土が

素晴しいのなら、

なぜ今すぐに逝かないの?




唯円(ゆいえん)、今日のおまえはおかしいぞ。いったいどうしたのじゃ。



こんなことを申し上げると、もしかして聖人さまのお側(そば)におられないかもしれませんが、どうか私の心の内を聞いてくださいませ。

帰ってからではいかんのか?

いえ、意を決した今こそ、お聞きせねば!

よくよくのことじゃな。申してみよ。

私は聖人の教えを信じお念仏しております。救われるはずのない私が救われるわが身をありがたく思っております。しかし、本当にそう信じているなら踊りあがってこの上もない喜びをかみしめることでしょう。なのに私はいつまでたってもそこまでの喜びがわき上がってまいりません。さらには娑婆(しゃば)が無明(むみょう)の世界と知りながら一刻も早くお浄土へ参りたいという心が起こってこないのです!唯円は。。。唯円は。。。聖人のお側におりながら心底(しんそこ)み教えをいただいておりませぬのか?!



もはや私には阿弥陀様のお心が届いておらぬのではと毎日毎日苦しむばかりです。(号泣)

唯円よ。私もそれをいぶかしく思っておったが、そなたも同じ心であったか。

“同じ心”でございますか?

そうじゃよ。唯円よく申してくれた。ありがとうよ。

聖人さま、もったいない!

よくよく考えて見ると躍り上がるほど喜ばねばならぬことを喜ぶことのできないわが身を思うにつけ、いよいよ往生(おうじょう)が定まった身といただけるのう。

なぜでございます?!阿弥陀様のお救いにあずかりながら、それにふさわしい喜びがわいてこないのは本当に救いを求めていないからではありますまいか?

そうじゃな。それはどうしようもない恩知らずで浅ましいことじゃ。

うわぁ。。。やっぱり。。。

ここにも、そういう恩知らずがおるがな。

そんなぁ。。。聖人さまは違いますぅ。

唯円よ、悲しいのう。。。

はっ。。。?

この世におると愛憎の渦に巻き込まれ欲得にふりまわされる。右も左も煩(わずら)わしいことだらけじゃ。

ですから。。。

まあ聞きなさい。お釈迦様はそんなものを捨て去って真実に目覚めなさいとお示しくださった。



ハイ。

しかし、愛憎の中でしか生きていけないのも事実。。。誰も彼もむなしい名利(みょうり)にすがってこの世に執着(しゅうちゃく)しておる。真実、すなわち阿弥陀様のみ光、に背を向け煩悩(ぼんのう)の闇へ闇へと向かっていくのが。。。

凡夫(ぼんぷ)。。。でございますね。

そうじゃ。そのあわれな凡夫を阿弥陀さまは見捨てられたかの?

い。。。いえっ。。。あっ。。。!もしかして私が急いでお浄土にお参りしたいと思わないのは煩悩のせいだとおっしゃるのでしょうか?!

おーっ、さすがじゃ、唯円。尊いみ教えをいただきながら喜べないのは、まさしく煩悩のせいじゃ。じゃが、そんなことはずっとずっと前から阿弥陀様はお見通しじゃよ。。。よいか唯円。その凡夫だからこそ阿弥陀様の救いの目当てなのじゃ!

(ガーーン)。。。阿弥陀様は急いで参りたいとも思わない私のような迷いとまどう者こそ不憫(ふびん)と思うてくださる。。。そうですね。

のう唯円。。。私たち凡夫も娑婆という所も一筋縄(ひとすじなわ)ではいかないのじゃ。愛する者と出会(でお)うたかと思えば別れ。。。今上(こんじょう)の喜びを得たと思うたら、それ以上の苦しみがくる。。。なんとか命ながらえたと思えば老いてゆく。ただ老いるのではないぞ。病にもかかるし税金も払わにゃならん。

ホンマ、つらいですね。

しかし、お浄土は安らかな所じゃ。早く行きたくならんか?

イエ。。。ですから。。。その。。。それでも娑婆に。。。その。。。未練(みれん)が。。。

やっぱり、一筋縄ではいかないのう。。。はっはっはっ。。。

面目ありません。

いやいや。。。そういう者のための阿弥陀様の救いじゃ。おまえのように仕事も一生懸命な者ほどこの世にしがらみは多いじゃろ。

ハァ。。。

私がもし、お念仏の教えをいただいてすぐ「ああ、お浄土はすばらしい!早く参りたい!」と思ったならば、もしかして自分には煩悩はないのだろうかと、かえっていぶかしく思うのではないか。。。のう、唯円。

ハイ!

お念仏の教えをそれこそ何万遍(なんまんべん)も聞かされながら「急いでお浄土に参りたいという気持ちが起こらない」という問いは、一見お念仏をいただいていないように思えるが、お念仏をいただいたからこそ、このような浅ましい本当の自分の姿が見えてきたと思わんか?凡夫と気づいたのは阿弥陀様のみ教えが心に響(ひび)いてきたからじゃないのか。。。どうじゃ?

ああっ。。。

愛憎の煩悩に惑(まど)わされて、いそいでお浄土に参りたいという心が起こらない浅ましい身に気づくならば、その身をなげくより、そんな私を捨てずに救うという阿弥陀様の大悲(だいひ)のたのもしさを仰(あお)ぎ「わが往生は一定(いちじょう)なり」と思いとるがよい。

はい!

ありがたいのう。ナマンダブ、ナマンダブ。唯円よ。名残り惜しくも娑婆と縁がつきたその時こそ、お浄土に共に参らせてもらおうじゃないか。



ありがたいことです。聖人さま、唯円を救っていただきありがとうございます。



なにを言う。私も凡夫じゃ。救ってくださったのは阿弥陀様じゃよ。

【デンマン注: 読み易く句読点を加えてあります。
画像はすべてデンマンの趣味により加えてあります。
赤字はデンマンが強調】




199-211ページ 『漫画 歎異抄』
作: 岡橋徹栄 画: 広中建次
発行: 本願寺出版社
2003年9月30日 第二刷発行

『愛憎と極楽浄土 (2008年10月9日)』に掲載




親鸞と唯円が出てくるのでデンマンさんは読む気になったのですか?



うん。。。そういう事なのだけれど、ロマン・ロランが評した「現代世界の宗教作品の最も純真なものの一つ」とはどういうものなのか? 僕は興味が湧いてきたわけですよ。

ロマン・ロランってぇ、それほど有名な人ですか?

あれっ。。。小百合さんはロマン・ロランの作品を読んでいないのですか?

読んでませんわ。 名前がロマンチックだったので覚えていましたけれど、どのような作品を書いた人なのかも、まったく知りませんわ。 うふふふふふ。。。

そうだったのですか。。。

。。。で、デンマンさんはロマン・ロランの作品を読んだことがあるのですか?

もちろん。。。読んだことはありませんよ。 うししししし。。。

じゃあ、私と同じではありませんか!

まあ。。。そう言う事ですよね。 ロマン・ロランのことを知らずに読んでも面白くないだろうから、調べたことをここに書き出しますよ。


ロマン・ロラン(Romain Rolland)



誕生: 1866年1月29日
死没: 1944年12月30日
代表作 『ジャン・クリストフ』、『ベートーヴェンの生涯』
ノーベル文学賞(1915年度)

ロマン・ロランは、フランスの、理想主義的ヒューマニズム - 平和主義 - 反ファシズムの作家。
戦争反対を世界に叫び続け、国際的に多くの知友を持った。

級友のポール・クローデルと音楽会に通い詰め、1886年(20歳)に2年後れてエコール・ノルマル・シュペリウール(高等師範学校)へ進学し、哲学と歴史を学ぶ傍ら文学・美術・音楽に没頭しピアノをよくした。1887年にはトルストイ『戦争と平和』を読んで、トルストイと文通までしている。
1889年に高師を卒業すると同時に歴史の教授資格試験に合格、1891年までローマのフランス学院へ留学する。そこでドイツの女流作家、マルヴィーダ・フォン・マイゼンブーク(Malwida von Meysenbug(1816 - 1903))と知己となり、彼女を介してニーチェやワーグナーに関心を持つと共に、国際関係に目を開いた。

1892年(26歳)に言語学者ミシェル・ブレアルの娘クロチルド(Clotilde)と結婚するが、1901年に離婚。
1894年からアンリ4世高等中学(Lycée Henri-IV)で、翌年からルイ大王高等中学で教鞭をとる。
1895年に『近代叙情劇の起源』と『16世紀イタリア絵画の凋落』とにより文学博士の学位を取得、エコール・ノルマルの芸術史講師となった。
この頃から、戯曲や音楽評論を発表し始める。1902年からは、「社会学大学」(École des hautes étude sociales)で音楽史を担当した。

1903年(33歳)、高等師範学校時代の教え子であるシャルル・ペギーの個人雑誌『半月手帖』(Cahiers de la Quinzaine)に『ベートーヴェンの生涯』を発表。
これが反響を呼び、翌1904年にソルボンヌで音楽史を担当し始めると共に、『ジャン・クリストフ』を『半月手帖』に掲載し始め1912年に脱稿。
同じ頃にヨーロッパ各地を旅行し、シュヴァイツァー、ヴェルハーレン、R.シュトラウス、ツヴァイク、リルケ、シンクレアらと知り合う。
1910年(44歳)にレジオンドヌール勲章を受章、1912年に『ジャン・クリストフ』を脱稿すると、文学に専心すべくソルボンヌを辞しスイスの雑誌に芸術時評を書き始める。
1913年には『ジャン・クリストフ』が『アカデミー・フランセーズ文学大賞』を受賞する。

1914年8月に勃発した第一次世界大戦に対しては、たまたま滞在中のスイスから、仏独両国へ「戦闘中止」を訴える。このことから祖国への反抗と受け取られて帰国できない状態になったが、その反面アルベルト・アインシュタインやヘルマン・ヘッセ、エレン・ケイらと意を通じ合うことになる。
こうした国際的には評価される一方で、母国では好感されぬ傾向は、生涯にわたることになる。
1916年(50歳)に1915年度のノーベル文学賞を受賞。
1917年にロシア革命が勃発すると早くも支持を表明し、レーニンの死やロシア革命10周年に際してはメッセージを送った。
白色テロに反対する『国際赤色救援会』(International Red Aid)にも参加し、『ソ連邦建設科学アカデミー』の名誉会員に選ばれるなど、ソビエト連邦や共産党への共感を鮮明にした。
2度目の妻(1934年に再婚)マリー・クーダチェヴァ(Maria Koudacheva)はロランがモスクワから招いた秘書であり、再婚の翌年には夫妻同道でソ連を訪問し、マクシム・ゴーリキー宅に滞在してスターリンとも会見。

戦後の1919年(53歳)に母親が死去したことから一時パリへ戻り、1921年タゴールを迎えたりしたが、1922年、父および妹マドレーヌと共にスイスのレマン湖東岸ヴィルヌーヴ(Villeneuve))に定住。
1923年に雑誌『ヨーロッパ』(Europe)が創刊した際にはこれを援助し、ロンドンの国際ペンクラブ大会にも出席した。
翌1924年にはマサリク大統領に招かれてプラハを訪れ、ジュネーヴの国際連盟総会に出席。
その一方でムッソリーニの『ファシスト党』の暴行を非難している。
1926年、雑誌『ヨーロッパ』が生誕60年記念号を出した。
タゴールやネルーがロランの許を訪問。
1927年にはアンリ・バルビュスの反ファシズム宣言に賛同者として名を連ね、1932年にアムステルダムの『反戦全世界大会』が挙行されると、バルビュスと共に主導役となっている。

1936年にアラゴン、アンドレ・マルローらの発議、アンドレ・ジッドの司会により、生誕70年の祝賀会がパリで挙行。
レオン・ブルムの第一次人民戦線内閣の後援のもとに『七月十四日』がパリで上演され、ミヨー、オネゲルが曲を付し、ピカソが幕絵を描いた。
1938年(72歳)にスイスからフランスへ帰国し、故郷に近いヴェズレーを終生の住処とする。
ミュンヘン会談における仏英の弱腰に抗議し、1939年にナチス軍がチェコスロバキアへ侵入すると、ダラディエ首相に非難書簡を送っている。

第二次世界大戦が勃発すると、ヴェズレーはナチス占領地域内となり沈黙を強いられるものの、それでも旧友のクローデルが来訪している。1943年から病床に就き、1944年のパリの解放を知り、ソヴィエト大使館の十月革命祝賀会に出席。レジスタンス犠牲者追悼会にメッセージを送り、年末には原稿の校正を終えると永眠した。
故郷クラムシーで葬儀が行われ、近くのブレーヴ(Bréves)の墓地に埋葬された。

日本人との交流

1918年、成瀬正一が、日本人として初めて、ロランを訪れたと言われる。
1925年、高村光太郎、倉田百三、尾崎喜八、片山敏彦、高田博厚らが『ロマン・ロラン友の会』を作り、一部はロランと文通した。
1928年には中村星湖が、1929年には片山敏彦や松尾邦之助が、1930年には片山に連れられた高田博厚が、ヴィルヌーヴのロラン邸を訪ねた。
高田は翌年あらためて招かれ、ガンジーに引き合わされた。塑像作りを頼まれた。

1937年、倉田百三の『出家とその弟子』の仏語訳を松尾邦之助らが出版したときは、ロランが序文を寄せた。
みすず書房第3次全集、第43巻に訳文あり。

1971年、仏文学者の宮本正清が『ロマン・ロラン研究所』を設立し、現在に至っている。

出典:
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
赤字はデンマンが強調。




ノーベル賞をもらっているのですわね。。。それに、名前も日本語だとロマンチックに響くから有名なはずですわね。



たぶんねぇ。。。僕は作品は読んでいないけれど、ロマン・ロランが平和主義、戦争反対を貫いていることには好感を持っていましたよ。

。。。で、1918(大正7)年に戯曲が発表されると、たちまちベストセラーとなり、当時の親鸞ブームを巻き起こし、大正宗教文学流行の機縁をつくったと書いてありますけれど、『出家とその弟子』はどのように始まるのですか?

第一幕は次のように始まるのですよ。


第一幕 日野左衛門の屋敷



左衛門の妻・お兼が息子・松若の正月の晴着を縫っている。 そこに松若が帰宅、書道の帰りに小作の子にいじめられたと嘆く。 お兼は、その原因が父・左衛門の横暴さの仕返しであることに気づき胸を痛めた。

吹雪の中、左衛門が帰宅する。 手酌で酒をチビリチビリ飲みながら、強引に小作の家の集金をしてきたことを話す。 お兼は「あなたは昔はそんな人ではなかった」と諭すが、左衛門は「今までは人がよすぎて騙された。今度は悪人になってしたたかに生きよう」と豪語する。

家の外は吹雪が続いている。 托鉢行脚中の親鸞と弟子の慈円と良寛が、左衛門の家に一夜の宿を請う。 しかし、左衛門は「あいにく私は坊さんが嫌いでしてな」と、かたくなに拒むばかりである。 仕方なく親鸞と弟子たちは戸外で石を枕に眠る。

家の中では、左衛門が夢にうなされている。 お兼が揺り動かすと、恐ろしい不気味な夢を見たという。 酔いも醒め、、ひどいことをしたと恥じた左衛門は、親鸞一行を家に招き入れる。



左衛門: どうそ、上がって下さい。 昨夜は心の中に不思議な力があって、私にそのような所業をさせてしまいました。お許しください。



親鸞: それを業(ごう)の催しというのです。 人間が罪を犯すのは皆その力に強いられているのです。 あなたはむしろ純な人です。 でも外に出されたとき、私の心は怒りと肉体的な苦痛で圧倒されそうでした。

左衛門: あなたのお話はこれまでのお坊さんと違います。 あなたは自分を悪人のようにお話されます。 ご出家、教えてください。 極楽と地獄はほんとうにあるのでしょうか。

親鸞: 私はあると信じています。 私は他の運命を傷つけたとき、、私を鞭打ってくださいと叫びたい気がするのです。 これは私の魂の実感です。 地獄はなければならぬと思いますが、同時にそこから逃れる道がなくてはならぬと思うのです。 その道は愛です。 許しです。 仏様は私たちを悪いままで助けてくださいます。 罪を許してくださいます。

左衛門: 今夜はうれしいです。 何年か私の心を去っていた平和が帰ってきたような気がします。



お兼: ほんとうにそうですわ。……ところで、あなたにはお子様がおありですか。

親鸞:はい、京に残してあります。 (松若に) おいくつにおなりかな。



松若: 十一。

親鸞: よいお子じゃの。 大きく偉くおなりなさいよ。 私は皆様をけっして忘れません。

(注: 写真とイラストはデンマン・ライブラリーから)




58 - 59ページ
『出家とその弟子』 倉田百三・著
「あらすじで読む日本の名著 No.2」
編著者: 小川義男
2003年11月13日 第2刷発行
発行所: (株)樂書館




この戯曲は史実に基づいて書かれたのですか?



いや。。。史実というよりも倉田百三が『歎異抄』を勉強して書いたのですよ。

つまり、ほぼ史実に近いのですわね?

うん。。。そう言えるかもしれないけれど、厳密には創作ですよ。


つまり、実際にあった事と言うよりも、事実がかなり脚色されているということですか?

僕は、そう思いますね。 第二幕以降を見てください。


第二幕 西の洞院御坊

15年後、左衛門の息子・松若は唯円と名を改め親鸞の弟子になっている。 秋の法然上人御法会(ごほうえ)も盛況に終わったあと、唯円が柱に身を寄せ、ぼんやり下の道を見ている。



親鸞: 唯円、そんなところでなにをしている。



唯円: ぼんやり街を通る人を見ていました。

親鸞: ここから世のさまざまな相が見られるな。 私は昔から通行人を見ていると淋しい気がしてな。

唯円: 私もさっきからそのような気がしていました。 今日もひとりでに涙が出てきました。

親鸞: 淋しいのがほんとうだよ。 淋しいときは淋しがるがいい。 運命がおまえを育てているのだよ。 ただ何事も一筋の心で、まじめにやれ。 ひねくれたり、自分を欺いたりしないで、自分の心の願いに忠実に従え。 運命にまっすぐに向かえ。 智慧は運命だけが磨き出すのだ。 (両人しばらく沈黙。 本堂より読経の声が聞こえる)



唯円: お師匠様、あの……恋とはどのようなものでございましょうか。

親鸞: 苦しいものだよ。

唯円: 恋は罪の一つでございましょうか。

親鸞: この世で罪をつくらずに恋をすることはできないのだ。 しかし、だれも一生に一度は恋をするものだ。 人間の一生の旅の途中にある関所のようなものだよ。 まじめにこの関所にぶつかれば、人間は運命を知る。 愛を知る。 すべての智慧の芽が一時に目ざめる。




第三幕 三条木屋町・松の家の一室



親鸞の息子・善鸞は、その不幸な境遇と諸天の恵みに浴している父への反抗心から身を持ち崩し、黒染めの衣のまま遊郭・松の家に入りびたっている。 唯円は親鸞父子の和解を企てようと遊郭に親鸞を訪ね、慰め、さらに親鸞に会って懇願する。

唯円: あなたの愛にすがって頼みます。 善鸞様を許してあげてください。 善鸞様は淋しいのです。

親鸞: 人生の淋しさは、酒や女で癒されるような浅いものではないからな。 強い人はその淋しさを抱きしめて生きていかねばならぬ。 その淋しさを内容として生活を立てていかねばならぬ。 宗教生活とはそのような生活のことをいうのだ。 耽溺と信心との分かれ道はきわどいところにある。 しかし、私は許しているのだよ。 あの子を裁くものは仏様のほかはないのだ。 私は朝夕あの子のために祈ります。 ああ仏様。 どうそ、あの子を助けてやってくださいませ。




第四幕 黒谷墓地



善鸞に会いに松の家に行った唯円は、遊女かえでと出会い恋に陥ってしまう。 一年後の春の午後、二人は墓地で忍び会っている。



かえで: 私はあなたと付き合っているうち、だんだん娘らしい願いがよみがえってきました。 雨のようにあなたの情けに潤って、私の胸の願い、喜び、いのちが一時に綻(ほころ)びました。 しかし、あなたの玉のような運命を傷つけてはなりません。 私はあきらめます。 楽しい夢の思い出を守って生きてゆきます。 

唯円: 夢ではありません。 私は私たちの恋をなによりも確かに実在にしようと思っているのです。




第五幕 親鸞上人居間



僧たちは唯円に、遊女などを相手にして僧として浅ましいと責め立てる。 その声は親鸞にも届く。

親鸞: おまえたちが唯円を非難するのを聞きながら、私の罪が責められるような気がした。 しかし、裁かずに許されなければいけない。 ちょうどおまえたちが仏様に許していただいているように。 私は唯円のために祈る。 縁あらば二人を結びたまえ。

(注: 写真とイラストはデンマン・ライブラリーから)




59 - 61ページ
『出家とその弟子』 倉田百三・著
「あらすじで読む日本の名著 No.2」
編著者: 小川義男
2003年11月13日 第2刷発行
発行所: (株)樂書館




ここに描かれたことは事実というよりも創作だとデンマンさんは言うのですか?



あのねぇ、ロマン・ロランが「現代世界の宗教作品の最も純真なものの一つ」と言っている事からも明らかなように、“純粋”と言う事は世間的な汚れがないということで、現実には有り得ないと受け取ることもできる。

実際には上のようなことはなかったとデンマンさんは主張するのですか?

あったかもしれないけれど、事実は脚色されていると僕は思いますね。 終わりの第六幕を見るとその事が良く判りますよ。

 (すぐ下のページへ続く)

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