自分が書いているブログの「アクセス解析」は、なかなかに興味深いものである。
2月5日のそれには、
「土木の仕事て経験いるの?」という検索キーワードがあった。
「仕事って」ではなく「仕事て」という言い回しから推測するところ関西方面の方なのだろうが、そんなことはおいとく。
お答えしよう。
「経験」があったほうが雇う側としては好都合ですし、圧倒的に有利でしょう。
しかし、なければ出来ないかといえば必ずしもそうではありません。
「土木の仕事」は良くしたもので、「アホにはアホの役割があり、カシコにはカシコの役割がある」(byひの)。それがチームプレイでモノづくりをする「土木の仕事」というやつのイイ所だと私は思っております。
現にかつて公共事業華やかなりし時代は、そうやって未経験者を一定の戦力として雇い入れることで、地域の「雇用の確保」の一担を担ってきたのが、地場中小零細公共建設業です。
ウチの会社でも60を過ぎてドカタを始めた、なんて人がゴロゴロしていましたし、
かくいう私も、いささかトウが立ってからのスタートでした。
しかし、「とうが立つ」ということは別の世界で人生を送ってきているわけで、そのことは「土木の仕事」を生業(なりわい)とするうえで有形無形の財産となりましたし、
「土木の仕事」というやつは、未経験とはいいながら、他所での経験というその経験を土木の経験と同じようにカウントすることが出来得るという、そういう部分もあるのでございます。
しかし今となってはそれも昔。
この仕事を取り巻く環境はずい分と世知辛くなってしまいました。
「自前で育てる」のが少々面倒くさい(というか、そんな金も時間もない)ようになって来ており、そうなると、
「経験がない」というのは(職探しの場合は)少々辛いのかも知れません。
(年齢にもよりますがネ)
どんなもんだろこの答え。
言わずもがなのことではあるが、技術職とか技能職とかいうものは(一般的にも)「経験」が大きなウエイトを占めており、一朝一夕に一人前になるものではなく、その道にショートカットは存在しないものだと私は思っている。
そういう文脈から言えば、経験がなくても仕事は出来るが経験がなくてはちゃんとした仕事は出来ない、てなふうな答えがいいのかもしれないが、それもそれ、土木だけの話ではないのである。
わかったようなわからないようなことを書いてしまった。
そうだ。こういう時にはあの詞である。
此の道を行けば どうなるのかと
危ぶむなかれ 危ぶめば道はなし
ふみ出せば その一足が道となる
その一足が 道である
わからなくても歩いて行け 行けばわかるよ
(『道』、清沢哲夫)
といっても、「土木の仕事て経験いるの」サンが再び訪れてくれるかどうか、そんなことは定かでない。
ま、いつのもの独白である。












