日置の山奥に、今も知られずそびえ立つ「石造の塔」のお話です。
吹上浜に面する、小松帯刀のふるさと、吉利から、日置町、そして、伊集院へと延びる「南薩道路」。
この県道に沿って、かつて、「南薩鉄道」の山越えの道、そして、先の大戦末期、命がけで、山を越えた、太田トンネルがありました。
その峠を控えた、山奥に、「上日置駅」がありました。
非力な蒸気機関車にとっては、水を補給し、汗を流すように、佇む大切な駅でした。
傾斜があるので、当時は、汽車を水平にするため、スイッチバック駅だったという峠越えの駅・・。
今も、「上日置駅跡」には、月日を刻んだ「枕木」が、広い構内に延びています。
この先、森の中に線路の跡は消えて、太田トンネルに向けて延びていっていました。
蒸気機関車は、喘ぐように、この先の「太田トンネル」を越えたと言われています。
「上日置駅」は、もともと1934年までは、「毘沙門駅」と言われていました。
「峠」を控えた重要な駅として、上り伊集院方向の列車は、スイッチバックして、退避線に入り、下り列車を通過させた後、「太田トンネル」に向けて、登っていったのでした。
「太田トンネル」は廃止直前、水漏れが激しく、旅客運転を取りやめた程でしたが、それほど水の便がよかったので、巨大な給水設備が設けられたのでした。
今も「上日置駅」跡には、「石造り」の巨大な「給水塔」が、蔦に絡まりながら、残されています。
かつての電信線の跡、給水バルブの跡・・・。
蒸気機関車への給水のあわただしさが嘘のように、静かにそびえたっています。
そして、ここは・・・。
悲しい歴史がありました。
終戦が近い、1945年3月18日、今は「旧・加世田駅」に保存展示されている「4号機関車」が牽
引する、上り列車が、遅れつつ「旧・日置駅」を発車しました・・。
ピー。シュー、シュー、・・
ガタン、ガタン・・・。
燃料事情は悪化し、敗色濃厚の中、保守も行き届かないのに、大量の物資が滞留していました。
もはや、沖縄では激戦が続き、「薩摩半島」は、「最前線」となっていました。
そんな悪条件でも、「南薩鉄道」は、休む事は許されない重要路線となっていったのです。
当然、「連合軍」からは、「補給路」である「南薩鉄道」は、主要標的となっていました。
シュッ、シュッ・・・
「がっち、こげん石炭じゃ、太田の峠はきつかど・・・」
「きばいやんせっっ!!」
「・・・・Gooooo・・・・」「・・・・ゥーウーウー・・・」

「空襲警報!!!!」
シュッ、シュッ、ピッピー・・・。
「グラマンじゃっどっ!!」
(wikepediaより引用パブリックドメインです)
キィィィィィィン・・・。
ズドドドド・・・・。
キュンキュンキュン・・・。「敵機来襲!!」「うわっっっ!!」
「どこか!!隠れるところはなかか!!」「こいままでは!!」
「そげんいっても、こいあたりは・・・」
「圧が上がらん!!」「もっと焚かんか!!」
シュッ、シュッ・・・
「後方、敵機!!!」
ズドドドド・・・・
キュン!!キュンキュン・・・・。
ピッピー!!シュッ、シュッ・・・。
カーン、キーン、バリバリバリッ!!
「うわっ!!」
・・・この時の銃撃により、四号機関車は哀れにも、被弾・・・。
機関室には、大きな穴があきました。
今も、「旧加世田駅」に展示されている、四号機関車は、当時の弾痕が残されています。
それでも、「四号機関車」は、なんとか森を縫い、カーブをきしませながら、逃げ場を求めて、小さい身体で、峠に向けて、走り続けます・・・。
シュッ、シュッ、シュッ・・・

日置の平野では、列車は、丸見えです。
山へ、・・・
「毘沙門」の山に守ってもらうしかない。
シュッ、シュッ、シュッ・・・。
ピー。
日置駅から、川を渡り、高い鉄橋を超え、県道、今の南薩道路を超えると、山裾の学校沿いに「南薩鉄道」は走り、山影に入り始めます。
「Goooo・・・」
追いかけるグラマン機の編隊・・・。
いつもより、速度一杯で、「四号機関車」は、喘ぐように坂を登り続けます・・。
「毘沙門」の守り神へ・・・。
シュッシュッ・・・シュッ・・。
ピー・・・。ガタン、ガタン・・・・。
いつもは給水して長く停車する「上日置駅」・・・。
しかし、シュッシュッシュッ、ピー・・・と、轟音とともに、通過します。
かたかたかたかたかた・・・。
ゴォー・・・。
今も残る、枕木と犬釘を踏みしめて、どんどん峠に向かって走り・・。
石造りの給水塔が、走りさる列車を見ています。
しかし、間もなく、駅施設も、グラマン機の標的となっていきます。
バリバリバリ!!!
それでも、振りかえらず、峠を目指します・・・。
そして・・・。
間もなく、「黒い谷間」が近づいてきます・・・。
シュッ、シュッ・・・「太田トンネル」・・・。

「どどどどどど・・・」
トンネルに逃がしてたまるか・・・。
執拗に追いかけるグラマン・・・。
しかし、何とか「四号機関車」の引く、上り列車は、傷つきながら、「太田トンネル」に逃げ込みました。
シュー、シュー・・・。
滴る水の音、真っ黒なトンネルの中は、ここだけは、空襲から無事な空間でした。
「こいで大丈夫じゃ・・」
「後ろをみてこい」
「おーい、みんな無事かぁぁ」
「!!」
「おい、しっかりせんかっっっ!!」
「くぅぅぅぅ・・・」

激しい空襲、徹底的に後方から狙われたため、列車は穴だらけになっていました。
やはり、無きずでは済まなかったのです。
尊い犠牲者が・・・。
・・・19歳の荷扱い車掌が、若い命を散らしていました・・・。
「南薩鉄道」の「悲しい旅路」を、この石造りの給水塔と、今も残る、石のホームは見つめてきました・・・。
虫の声だけが、今は、「上日置駅」を包みます・・・。
ここで死闘を演じた、「鉄道員」達の声なき声も、もはや、ここが駅であった事を伝える何も・・・残されていません。
ただ、緑の森へ、血と汗と涙のしみ込んだ、オイルと、石炭の香りがする、峠路の駅、「上日置駅」は・・・。
今はもう・・・。

誰も訪れる者もなく、静かに、山へ還ろうとしているのかもしれません・・。
ピー・・・ガタン、ガタン・・・。
「秘密の上日置駅は」→FC2 Blog Ranking
「今は森の中に広がる」→人気ブログランキング
「静かな天空の城のように・・・」→にほんブログ村
「ただ、野の花が咲き乱れていました」→九州ランキング
吹上浜に面する、小松帯刀のふるさと、吉利から、日置町、そして、伊集院へと延びる「南薩道路」。
この県道に沿って、かつて、「南薩鉄道」の山越えの道、そして、先の大戦末期、命がけで、山を越えた、太田トンネルがありました。その峠を控えた、山奥に、「上日置駅」がありました。
非力な蒸気機関車にとっては、水を補給し、汗を流すように、佇む大切な駅でした。
傾斜があるので、当時は、汽車を水平にするため、スイッチバック駅だったという峠越えの駅・・。
今も、「上日置駅跡」には、月日を刻んだ「枕木」が、広い構内に延びています。
この先、森の中に線路の跡は消えて、太田トンネルに向けて延びていっていました。
蒸気機関車は、喘ぐように、この先の「太田トンネル」を越えたと言われています。
「上日置駅」は、もともと1934年までは、「毘沙門駅」と言われていました。
「峠」を控えた重要な駅として、上り伊集院方向の列車は、スイッチバックして、退避線に入り、下り列車を通過させた後、「太田トンネル」に向けて、登っていったのでした。「太田トンネル」は廃止直前、水漏れが激しく、旅客運転を取りやめた程でしたが、それほど水の便がよかったので、巨大な給水設備が設けられたのでした。
今も「上日置駅」跡には、「石造り」の巨大な「給水塔」が、蔦に絡まりながら、残されています。
かつての電信線の跡、給水バルブの跡・・・。
蒸気機関車への給水のあわただしさが嘘のように、静かにそびえたっています。
そして、ここは・・・。
悲しい歴史がありました。
終戦が近い、1945年3月18日、今は「旧・加世田駅」に保存展示されている「4号機関車」が牽
引する、上り列車が、遅れつつ「旧・日置駅」を発車しました・・。ピー。シュー、シュー、・・
ガタン、ガタン・・・。
燃料事情は悪化し、敗色濃厚の中、保守も行き届かないのに、大量の物資が滞留していました。
もはや、沖縄では激戦が続き、「薩摩半島」は、「最前線」となっていました。
そんな悪条件でも、「南薩鉄道」は、休む事は許されない重要路線となっていったのです。
当然、「連合軍」からは、「補給路」である「南薩鉄道」は、主要標的となっていました。
シュッ、シュッ・・・
「がっち、こげん石炭じゃ、太田の峠はきつかど・・・」
「きばいやんせっっ!!」
「・・・・Gooooo・・・・」「・・・・ゥーウーウー・・・」

「空襲警報!!!!」
シュッ、シュッ、ピッピー・・・。
「グラマンじゃっどっ!!」
(wikepediaより引用パブリックドメインです)
キィィィィィィン・・・。
ズドドドド・・・・。
キュンキュンキュン・・・。「敵機来襲!!」「うわっっっ!!」
「どこか!!隠れるところはなかか!!」「こいままでは!!」
「そげんいっても、こいあたりは・・・」
「圧が上がらん!!」「もっと焚かんか!!」シュッ、シュッ・・・
「後方、敵機!!!」
ズドドドド・・・・
キュン!!キュンキュン・・・・。
ピッピー!!シュッ、シュッ・・・。
カーン、キーン、バリバリバリッ!!
「うわっ!!」
・・・この時の銃撃により、四号機関車は哀れにも、被弾・・・。
機関室には、大きな穴があきました。
今も、「旧加世田駅」に展示されている、四号機関車は、当時の弾痕が残されています。
それでも、「四号機関車」は、なんとか森を縫い、カーブをきしませながら、逃げ場を求めて、小さい身体で、峠に向けて、走り続けます・・・。
シュッ、シュッ、シュッ・・・

日置の平野では、列車は、丸見えです。
山へ、・・・
「毘沙門」の山に守ってもらうしかない。
シュッ、シュッ、シュッ・・・。
ピー。
日置駅から、川を渡り、高い鉄橋を超え、県道、今の南薩道路を超えると、山裾の学校沿いに「南薩鉄道」は走り、山影に入り始めます。
「Goooo・・・」
追いかけるグラマン機の編隊・・・。
いつもより、速度一杯で、「四号機関車」は、喘ぐように坂を登り続けます・・。
「毘沙門」の守り神へ・・・。
シュッシュッ・・・シュッ・・。
ピー・・・。ガタン、ガタン・・・・。
いつもは給水して長く停車する「上日置駅」・・・。しかし、シュッシュッシュッ、ピー・・・と、轟音とともに、通過します。
かたかたかたかたかた・・・。
ゴォー・・・。
今も残る、枕木と犬釘を踏みしめて、どんどん峠に向かって走り・・。
石造りの給水塔が、走りさる列車を見ています。
しかし、間もなく、駅施設も、グラマン機の標的となっていきます。
バリバリバリ!!!
それでも、振りかえらず、峠を目指します・・・。
そして・・・。
間もなく、「黒い谷間」が近づいてきます・・・。
シュッ、シュッ・・・「太田トンネル」・・・。

「どどどどどど・・・」
トンネルに逃がしてたまるか・・・。
執拗に追いかけるグラマン・・・。
しかし、何とか「四号機関車」の引く、上り列車は、傷つきながら、「太田トンネル」に逃げ込みました。
シュー、シュー・・・。
滴る水の音、真っ黒なトンネルの中は、ここだけは、空襲から無事な空間でした。
「こいで大丈夫じゃ・・」
「後ろをみてこい」
「おーい、みんな無事かぁぁ」
「!!」
「おい、しっかりせんかっっっ!!」
「くぅぅぅぅ・・・」

激しい空襲、徹底的に後方から狙われたため、列車は穴だらけになっていました。
やはり、無きずでは済まなかったのです。
尊い犠牲者が・・・。
・・・19歳の荷扱い車掌が、若い命を散らしていました・・・。
「南薩鉄道」の「悲しい旅路」を、この石造りの給水塔と、今も残る、石のホームは見つめてきました・・・。
虫の声だけが、今は、「上日置駅」を包みます・・・。
ここで死闘を演じた、「鉄道員」達の声なき声も、もはや、ここが駅であった事を伝える何も・・・残されていません。
ただ、緑の森へ、血と汗と涙のしみ込んだ、オイルと、石炭の香りがする、峠路の駅、「上日置駅」は・・・。
今はもう・・・。

誰も訪れる者もなく、静かに、山へ還ろうとしているのかもしれません・・。
ピー・・・ガタン、ガタン・・・。
「秘密の上日置駅は」→FC2 Blog Ranking
「今は森の中に広がる」→人気ブログランキング
「静かな天空の城のように・・・」→にほんブログ村
「ただ、野の花が咲き乱れていました」→九州ランキング


