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2011年01月23日

しゃぶリハ♪

「旬のさかなのしゃぶしゃぶ」

  カンパチは笠沙町野間池の美代丸水産さんの、養殖カンパチ。

「養殖」といっても、外海に面した野間池のきれいな海の中で大切に丁寧意に育てられ、まさに、今が旬!!

 とれたてを活け〆

 「生きのよさ」を保つ「神経抜き」をします。

そして、さばいて刺身にしたものを、串にさします

脂がのって、光ってます。

昆布入りのお湯で、かる~く「しゃぶしゃぶ」

まだ、半生くらいがBEST。

  そして「笠沙のしおっ」をぱらぱらして、「しおっ しゃぶが実はとってもおいしかったです。

       

  

2010年12月26日

南さつま海道を行く

12月24日は、枕崎方面に“雑誌取材”という仕事名目のドライブ。

頴娃町(南九州市)〜枕崎市〜坊津町(南さつま市)

海沿いの南さつまを周ってきました。


上の写真は坊津町の後藤鼻海岸。

この後は厚い雲に覆われ、夕日は見れませんでした。



左の島は沖秋目島。別名は枇榔島。

「007は二度死ぬ」のスペクターの基地として撮影に使われた場所 。


坊津町泊地区。丸木崎展望所から撮影。



白い砂浜は丸木浜。

鹿児島の若者に人気の海水浴場です。



秋目で見つけた「あこうの木」。

デカイ!



秋目で見つけた日本の教育史。




寺子屋から小学校への歴史がココに。

明治の時代、義務教育がスタートしたが、生活貧困者は子供を学校に出せなかったので、

公費で賄う、修業3年の「簡易小学校」を作った。

今では当たり前の義務教育。

日本の教育史の始まりを見たような気がします。




美しい夕日の写真は、こちら

http://green.ap.teacup.com/gojo/

この日、取材でお世話になった、枕崎の『すし匠五条』の女将さんのブログです。

立神岩に沈む夕日が美しいです。



撮影日:2010年12月24日
◆Nikon D700
◇AF-S Nikkor 50mm F1.4G
◇TOKINA AT-X M100 PRO D 100mm F2.8





2010年12月01日

特製みそ漬け♪

「笠沙のしおっ」使用の特製てづくり味噌で、「アラ」をつけこんでみました♪

2010年11月16日

♪梅シソ入り 登場♪♪♪

今年も、熊本県菊池水源村の陽子さんにお願いして、無農薬の梅干しと赤シソに「笠沙のしおっ」で、昔ながらのてづくり梅干しをつけてもらいました。

 とってもきれいな色の、「しょっぱおいしい」梅干し。

この、シソを加工して「笠沙のしおっ」とブレンドして新商品になりました♪

  「笠沙のしおっ 梅シソいり」  

 いわゆる 「ゆかり」の完全手づくりなのですが、「ゆかり」」は某食品会社の商品名なので、使えません。

 本当に、気が遠くなるほど手間と時間がかかるわりに、生産量がほんのちょっぴりなので、販売先は「笠沙恵比寿」さんのほか、限られてます。

しかも、「できたっひこっ」(鹿児島弁で、できただけ)

  梅干しの「汁」で、今年の新ショウガを漬けこみました。

地元物産館から地元の方が作っているショウガを買ってきて、皮をむいて一晩塩漬けした後、真っ赤な「梅酢」に漬け込みます。

上に梅干しの赤シソを広げ、ふたのようにしてから器のふたをします。

年明けくらいから、自家製紅ショウガとして食べれます。♪

2010年10月12日

加世田サンセットブリッジ

加世田の海沿いにあるサンセットブリッジ。
実はまだ通ったことないのです。下まで来ただけ。

この橋は車道ではなくて、歩行者と自転車の橋なんです。
加世田は自転車の街で、サイクルロードが充実してます。
ま、それもまだ通ったこと無いのですが・・。

いつかレンタルサイクルで走ってみたい。


DSC-TX5

下から見上げたサンセットブリッジ。
奥に見える山並みは金峰山(きんぽうざん)です。

スイングパノラマで撮るとこんなになりました↓

DSC-TX5

↑クリックすると大きく表示されます。

2010年07月12日

つかこうへいさん死去

 本名・金峰雄。つかこうへいの名前は、在日として差別された社会が「いつか公平」になることを望んだとも、中核派のメンバーだった奥浩平から取ったとも言われますが、自分にはわかりません。そういう背景もあって、昔は思想的には左翼かと思って敬遠していたんですが、著書の『娘に語る祖国』を読むと、割りとバランス感覚がある方に思えました。括弧付きの『従軍慰安婦』についても、最初は勉強不足で批判していましたが、自分でちゃんと調べてすぐにマスコミからの一方的な情報の誤りを認めて、否定されていましたしね。

【つかこうへいさん肺がんで死去、62歳】日刊スポーツ

 「蒲田行進曲」「熱海殺人事件」など反権力や社会的弱者を題材にした作品を数多く発表、戦後の演劇界を代表する劇作家、演出家で作家のつかこうへい(本名金峰雄=キム・ボンウン)さんが10日午前10時55分、肺がんのため千葉県鴨川市の病院で死去した。62歳。福岡県出身。葬儀・告別式は近親者で済ませた。

 今年1月、肺がんであることを公表。病院で治療を続けながら演出の指示を出し、最後まで舞台への意欲を見せていた。

続きを読む >>

2010年06月29日

Vol.265 南さつま市の麺 満福

今回は久しぶりに南さつま市の加世田でラーメン食べました。
この日は弊社の加世田店のフロアクリーニングして、
夜、みんなで食事会して、締めのラーメンに行きましたww
どこがダイエット中なのかわからんですねww
食べに行ったのも午前1時30分( ´,_ゝ`)プッ


2010年05月24日

Cafe Aoba

もうずっと前に行った記事です・・・




この日は

ソウタの保育参観の日。



午後から全くのフリーだったので

ちょいと足を伸ばしてみようということになり



南さつま市加世田にあります


Cafe Aoba   さんに 行ってきました


南さつま市加世田高橋1934-108



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こんな素敵なとこにあります





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店内もとっても素敵




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だから・・・




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こんな美味しそうな&実際美味しいケーキを前に


おとなしくできるはずもなく・・・






本当に全部食べられそうになったので


取り上げました。



ところ、


ギャン泣きされました


当たり前ですがね。





もっとゆっくりしたかったのに



そそくさと店を後にしました・・・





旦那と


「今度は2人で来ようね」


なーんて話しましたが




またしばらくは無理でしょう。。。






飲みにも行きたいーーー!!!


(お酒が飲みたいというより

飲み屋の雰囲気が好き)











2009年10月13日

大切な人の心を温める炎の秘訣-可憐な花の作る強力アイテム−

稲音館さんの可憐な若き花「昇愛子」さんの美しく輝く、あなただけの「和ロウソク」の物語

DVC00079.jpgさてさて、大切な人との間に、隙間風が吹いた時、そして、寂しい時、実は「大切な働き」をするものがあります。
 
 それは「ろうそく」の「炎のほのかな輝きとゆらぎ・・・」
特に「和ろうそく」は、西洋のろうそくとは違う、不思議な揺らぎを持ちます。

 炎は大きめで・・・あたたかなオレンジ色。

 時おり見せる不規則なゆらぎは、そよ風など自然界のリズムと同じでリラックス効果があると言われています。

 デジタル全盛の今ですが、人間同士も人間の心も「割り切れないもの」・・・だから、炎の魔力に魅かれて落ち着くのですね。

 何か日々の忙しさと、すれ違いで、大切な心と人との間に隙間があいたとき、そっと、「和ろうそく」を灯してみてください・・・。

 ロウソクと人間の付き合いは、なにせ古い・・・。
DVC00082.jpg だから、電気全盛の今でも、私達の心に住みついているのです。

 古代エジプトでは、永遠の命を願う、ミイラ作成などで古くから「ミツロウが使われていました。
あの、2300年前のツタンカーメンの王墓からは燭台が発見されています。

 永遠の幸せを祈るため、玄室を照らしていた事でしょう。

 そして、紀元前3世紀の現在のイタリアの一部の遺跡から燭台の絵が出土しています。

 確実に、この時代にろうそくがあった。また、シルクロードをはるかに離れた、中国の遺跡でも燭台が出土しています。

 もう、貴重品だったロウソクは、世界に炎の揺らめきとともに広がっていきました。


 欧州では、ガス灯の登場する19世紀まで、室内の主な照明として用いられた。キリスト教の典礼で必ず使われる「宗教儀式の道具」としても重要でした。

DVC00136.jpg このため、修道院などでミツバチを飼い、巣板から「蜜ろうそく」を生産することが行われていました。

 華麗なるシャンデリアは、本来、「ろうそく」のためのもの。

 その後、マッコウクジラの脳油を原料とするものが高級品とされ、19世紀にはアメリカ合衆国を中心に盛んに捕鯨が行われました。
 今では反捕鯨といいつつ、捕鯨大国だったのでした。

 そんな中、日本でろうそくが最初に登場したのは奈良時代の事。しかし、当時のろうそくは中国から輸入された蜜ろうそくでした。
 もちろん、超超高級品!!

 仏教の伝来とともにやってきました。

 平安時代になり、「蜜ろうそく」に代わって、「松脂ろうそく」の製造が始まり、その後、いわゆる「和ろうそく」と呼ばれる、「はぜの蝋やうるしの蝋」などを使ったものに変わり、江戸時代にはろうそくと松ヤニと混ぜてハードワックスにして広まっていきましたが、それでも貴重品であるのは変DVC00041.jpgわりませんでした。
 商人にとっては重要な交易品であり、産地では特産品でした。

 また、江戸時代には木蝋の原料となるハゼノキが琉球から伝わりました。
和ろうそくは、各地の文化や伝統を融合し進化を続けたのでした。 
 外出用の提灯のための需要が増えたこともあって、和ろうそくの生産量が増えていきました。

 この時代から夜の町をほのかに照らしていたのです。

 和ろうそくは裸で使うより、いわゆる提灯などに入れて使うことが多かったので、蝋が減っても炎の高さが変わりにくいように上の方が太く作られていました。

 これがいまも「和ろうそく」の特徴的な形となっています。

 現在のろうそくは厳密に言うと、「石油」からつくられているので「ろうそく」ではないと言えますね。
DVC00101.jpg 炎もやはり違うのです。

 「和ろうそく」は外国でも驚嘆を持って評価されています。

 イギリスの電気関係の研究で輝かしい研究を残し、偉大なる靴屋の息子から一流の科学者になった、あのマイケルファラデー(1791−1867)も「和ろうそく」に驚嘆しています。

 1861年、日本はお江戸様の時代のファラデーの名著「ロウソクの科学」では・・・。

 どうやら鎖国が解かれたこの時代、はるばる大西洋・インド洋(まだ太平洋航路は整備されていない)を超えて、お土産としてもらった「和ろうそく」。

 東洋の神秘の国「ジパング」の「和ろうそく」に彼は驚いたのでした。

 「和ロウソク」は芯に穴があいているので、「炎」に常に空気が供給されるしくみになっていました。そのため、炎の燃え方もよく、当時の先進文明だった「はず」の「西洋のロウソク」よりも不完全DVC00083_1.jpg燃焼が少ない・・・。

 しかも、芯は、和紙、真綿、灯芯の3つからできていて、灯芯は刈り取った藺草を濡らして一本一本手作業で抜き取るという日本ならではの丁寧な仕事は、産業革命盛んな世界の大英帝国でもマネができない先進的なろうそくであると愛情を示しています。

 「東洋の炎のマジック」は実は世界でも通用するものなのでした。
 
 「和ろうそく」の安らぎの炎に魅せられた彼は、「炎」の持つ、大切さ、美しさ、怖さを理解していた数少ない、平和を愛する科学者でした。激しい戦いで「ナイチンゲール」も活躍した「クリミア戦争」において、「化学兵器」の製作を政府から依頼された時、机を叩いて「つくることは容易だが、絶対に手を貸さないぞ!」と言ったといいます。

 和ろうそくには美しい絵柄が書かれています。これも、日本の「炎」に対する暖かい気持ちが表れています。

DVC00139_1.jpg 北国では冬が長く、お花も少なかったので、貴重なろうそくに絵柄を書いて、大切な祖先に供えました。

 この繊細な柄には、みんなが「輪」になって、「暖かく安らかに」という職人の願いがこもっています。

 さて、「昇愛子」さんは、そんな「和ろうそく」の伝統を引き継ぐ、鹿児島の若く美しく輝く、新鋭の「和ろうそく」職人さんです。

 彼女の実演の様子を「稲音館」さんが紹介しておられますが、実に緻密、かつ伝統を元にして、更に「新しい炎と温まる柄を・・・」と製作にいそしんでいます。

 さて、この「和ロウソク」。

確かに「アクセサリー類」のように、「その場」で身につけたりできるものではありません。
 美しいけれど、縁遠い感じがしますか?

DVC00084.jpg また、どうしても「柄が美しく精密なため」、炎をつけることにためらいを感じる向きもあるのかもしれません。

 「昇愛子」さんも「ぜひ柄だけでなく、炎に親しんでほしい・・・」という想いがおありのようです。

 実は、ファラデーも魅せられた、それこそが、「和ろうそく」の魅力なのですね。

 「たった一つ」「その一本しかない」「和ろうそく」のオリジナルの柄と炎は・・・。

 アクセサリー以上の温かさと輝きを、見る人の心に伝える力があります。

 「潮風」は、たくさんの漁師達が旅立っていった・・・そして、二度とは戻らなかった・・・。
 また、「黎明の志」を持って、幕末の嵐の中、遠く西洋に旅立った若者達が見た・・・。

 その岬に、想いを馳せて、「昇愛子」さんの「和ろうそく」を立ててみました。

DVC00148.jpg
 沈むゆく、「夕日」と紺碧の海。

 その向こうには、この「和ろうそく」の先祖が遠くイギリスに向けて旅立った、「海の路」が続いています。

 着火・・・。

 静かに、炎はゆらめきました。

 岬を渡る風も止まっている凪の夕方。

 なぜか、風もないのに、「昇愛子」さん作の「同じものは、たった一本しかない」「和ろうそく」は、不思議なゆらめきとともに、海と夕日と重なりました。

 その炎は、時には優しく、時には激しく。

 こんな心温まるものだとは、正直思いませんでした。

 もし、大切な人と、また、忙しさと正確さにつかれた時は、この「昇愛子さん」の「和ろうそく」を囲ん 200910132312373287.jpgで、「輪」になって、炎を見つめてください。

 そうしたら、きっと・・・・二人の心に、疲れた貴方の心に、「なごやかな和」をもたらしてくれる、灯台になってくれる事でしょう。

 「稲音館」さんでも、「昇愛子」さんのホームページでも販売されています。
http://warousoku.net/profile.html
 ぜひ一度、大切な人と大切な貴方のために、手にとってみませんか?

11月15日木曜日11時から16時には、その大英帝国を驚かせた、素晴らしい
伝統の技「昇愛子実演会」が大好評につき、再度稲音館さんで実施されるようですよ。


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2009092719360232295.jpg

2009年10月08日

鹿児島の天と心の大嵐に散った路−大風は人の心にも・・・−

「中世」の面影残る武家屋敷と特攻隊の街に伸びていた「鉄路」の最期

DVC00414.jpg「知覧」・・・鹿児島県でも、古い町並みが残る事で有名で、また、悲しい特攻隊の歴史が残る街。
 

 ここに、かつて幻となって戦火に消えた、南さつまのもう一つの地元資本の鉄道会社「薩南中央鉄道」、後に「南薩鉄道」に吸収され、さらに、鹿児島交通となって伸びていた「知覧線」(阿多ー知覧間十六・三キロ)の「終点」がありました。


 元々、「加世田」「万世」地区との対立の中で、「薩南中央鉄道」は「阿多駅」を出発点として建設されましたが、「南薩鉄道」に吸収合併されると、それは著しい「遠回り」となっていきました。  「伊集院駅」方向・・そして、「東京」方面への接続を考えるのであれば、阿多駅での接続も伊集院方向に向いていたのでよかったのですが、「加世田方向」「鹿児島市方向」と考えると、どえらく遠回りになってしまい、峠越えのバス路線や道路が整備されると、「知覧線」はとても勝負になりませんでした。

 元々、低規格で造られた「知覧線」は、元々、風水害にも弱く、ルース台風でも甚大な被害をDVC00349_1.jpg被っていました。 昭和三十九年九月、岩崎グループの傘下となっていた、南薩鉄道は、三州自動車に吸収合併して、鹿児島交通となっていました。もう、鹿児島交通の鉄道部門は、当時の費用で、年間三千万円程度の赤字をでした。

このため、ついに昭和四十年には、「知覧線」は廃止される事になります。
 
「万世線」廃止の時、「線路跡地はバス専用道路にする」という方向でしたが、結局実現せず、跡地は最近の自転車道整備まで、草むらに埋もれていました。
「知覧、川辺」地区は反対運動を展開していましたが、末期の「知覧線」は一日二本程度の運行本数にまで削減されていました。

 そして、そんな中、天災が再び、「知覧線」を襲いました。六月二十日、「豪雨」で、「同線白川駅から川辺駅間」の「シラスの崖」がついに崩れ落ち、運休。 このまま廃止されていく事になります。  
この「天災から廃止」という図式は、後の「鹿児島交通枕崎線」の末路にも重なりました。
DVC00401.jpg
「天にも見放された」鹿児島交通鉄道線・・・元の「南薩鉄道」は、天の災害いだけでなく、地域の人々に見放された事で、人の心の災いという形でも、ついに、後ろに下がれないところになっていくのです。

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