愛とセックスは、もちろん、違いますよね?



愛とセックスは、いわば人類の永遠のテーマですからね、結論を出すつもりでこの記事を書くわけではありません。
そもそも、この記事を書くきっかけとなったのは、レンゲさんが去年の師走に書いた次の手記について彼女と対話を持ったことでした。
この対話は次のリンクをクリックすると読むことができます。
http://barclay.worldfreeweb.com/renge/tree.php?n=2648
『あなたにとって愛とセックスはどのようなものですか?』
(上のリンクはどちらも同じ内容です。)



幼児的な

ふれあいへのあこがれ



わたしのぐずぐず

さびしいよおおおお!

彼氏にあえないからねえ・・・

でも、本当はね、ここがふんばりどころだと気付いてる

遊びだけの男とセックスするのはやめとこう 

連絡したら来てくれるヤツもいるけど・・・

ずるずると同じことくり返して学習しないわたしを変える

誰とでもセックスするヤツやったんや!って

あの人を傷つけてしまった。

さびしさでこわれてるけど、きっと直る、この心。

どうしても、幼児的なふれあいへのあこがれが、

この年になると、イコールセックスになるんやわあ。

Renge 2004-12-27 11:37:24


このレンゲさんの悩みについての記事に対して“いの”さんから次のようなコメントをもらいました。
WABLOGでは語数制限のために3回に分けて書いています。


はじめまして。
「幼児的なふれあいへのあこがれ」
それはだれだって心の中に抱えてます。

携帯からみてるので最後まで読むことは出来なかったんですが、あなたの考えは間違ってないと思います。
ごくふつうの欲求でしょう。

僕はいちゃいちゃが大好きです。
暇があれば手をずっと握ってたりいきなりキスしたり抱き締めたり…
みんな同じです。
なぜならだいたいのカップルは、じゃれあうときは甘えた(赤ちゃん言葉みたいな)声になるからです。
逆に営業トークみたいな口調になることは考えられないですよね。

○「愛=SEX」○
愛の中にSEXは完璧に含まれます。
ただし、この愛とは、人間としての情(例えば友達を思いやったり困った人を助けたり)のことをいっています。
恋愛感情はその中にちりばめられています。

さてSEXというのは、「愛し合っている証拠」ではないと思います。
誤解を招く言葉ですが聞いてください。
SEXはコミュニケーションです。
普通に会話と同じだと思います。
キャッチボールが必要なんです。
考えてみてください。
だれが好き好んで自分の話に興味がないとわかっている人と話をしようと思いますか?

つづく
いの 2005年8月28日 09:49



だれも話す人がいないからとりあえず話す…ことはあるかもしれません。

話がそれました。

SEXに対する考えは個性です。
線引きは不可能です。
僕はあなたの考えを尊重します。
完全同意です。
あなたのような正直な女性はいまあまりいないです。
心のなかで寂しい気持ちをひきずって、それでも意地をはっているんですから。
てか、意地をはらないと生きている自覚が薄れてくるです。
これは社会心理学の話になり長くなるのでとばします。

男のSEXと女のSEXは違います。
「SEX」と言葉でわかろうとすれば、「愛」だって感じられない。

あなたの周りには、あなたの心を満たしてくれる人(=本当に好きな人)がいないか、失うのが怖いのかだと思います。
仲間はずれになりそうな子供が、みんなに一生懸命とりつくろうとするのと同じです。
僕はあなたに健気さを感じています。

以上の事は、いわゆる「表向き」の世界では語られません。
でもあなたはあなたでいいのです。
心が安定すればまたなにか見えるものがちがってきますよ。
自信を持ってください

いの 2005年8月28日 10:10



すみません。勘違いしてました…

別に議論を起こそうとは思いませんが、「そういう人がいるから理解する」ことが大切と書かれたのなら、彼女を否定するようなやりとりをしなくてよかったのでは…と、正直思います。
「この考えは誤解される」
でも
「僕はあなたの事は理解している」
そして
「そういう人もいる」
と思われるのならフォローされなかったのが不思議でなりませんし明らかに矛盾してると思うんですが…
僕はいろんな女性と話してきましたが、けっして少なくはありません。
むしろそれを望んでいる女性は圧倒的に多い。
SEXはふれあいです。ふれあわないSEXはありえないと思います。
そして『彼女は特別じゃない』と深く思います。

ながながとコメントしてしかも少し感情的になったことを心からお詫びします。ただ彼女の言葉を『間違ったもの』として終らせたくなかった…ただそれだけです。失礼しました。

いの 2005年8月28日 11:03



「幼児的なふれあいへのあこがれ」
それはだれだって心の中に抱えてます。


僕はそのような憧れを持っていません。
だから、“誰だって心の中に抱えている”と言うのは間違いなんですよ。
このことについては僕がすでに書いているんです。いのさんは読まなかったのかもしれません。
読んだのなら、理解力が足りないのでしょう。

念のためにもう一度書きます。
なぜなら、このことが“愛とセックス”の関係を理解するキーポイントになっていると僕は信じているからですよ。



僕は幼児の頃、母親に抱かれた肌のぬくもりだとか、母親のオッパイを口に含んだときの乳首の感触だとか。。。そういうものが今だにおぼろながら記憶の片隅に懐かしく残っています。
僕にとって母親との関係は、この上のジューンさんの絵のようにまさに懐かしくも思いで深い、心の温まるものなんですよ。

つまり、僕の“幼児的なふれあい”というのは幼児の時に充分に満たされているんですよ。
母親とのスキンシップを充分に感じましたからね。
だから、僕には「幼児的なふれあいへのあこがれ」と言うのはないんですよ。
もう、“幼児的なふれあい”は“たくさんです”よ、“ご馳走さんでした”と言う気持ちなんですよ。

そういう僕でしたから、18才の時に父離れ母離れして自分ひとりで暮らし始めました。それ以来、父母と一緒に暮らした事はないんですよ。
僕は世界の放浪の旅に出たんです。つまり“巣立ち”をしたわけなんですよね。バンクーバーに住んでいる現在の僕はその延長線上に居るんです。
その過程で現在の妻とめぐり会って結婚したわけですよ。

“幼児的なふれあい”を求めて現在の妻と結婚したわけじゃないんです。
妻と結婚したのは、“幼児的なふれあい”の過程をすべて終了した次の、次の、次のステップぐらいですよ。

幼児的なふれあいは幼児の時に、“幸せな家庭”で充分に満たすべきなんですよ。
僕が言おうとしている事は、そういう“幸せな家庭”が現在少なくなっていると言う事なんですね。
だから、20代になっても、レンゲさんのように“幼児的なふれあい”を求めている人がいる。
なぜなら、レンゲさんは“崩壊した家庭”に育って“愛を知らなかった。”
このことはレンゲさん本人が言っていることです。

いのさん、あなたは精神的には20代の前半でしょうね。
30代40代になった人は普通次のようには書かないものですよ。


僕はいちゃいちゃが大好きです。
暇があれば手をずっと握ってたりいきなりキスしたり抱き締めたり…
みんな同じです。


みんな同じじゃないんですよ!
少なくとも僕とあなたを同じにしないでくださいね。
僕はすでに書いたように、“幼児的なふれあい”は“たくさんです”よ、“ご馳走さんでした”と言う気持ちなんですよ。
だから、“幼児のようにいちゃいちゃしな!”と言われたら、ちょっと僕は困ってしまいますよ。

もう清水の舞台から飛び降りたつもりで、パンツを脱いで“おしめ”を身に着けて、


“花ちゃァ〜〜〜ん、ボチュとァチョびまちょうねェ。。。アイィ〜、きちゅちまちょうねェ〜〜。”
“デンマンさん、あなた、一体なにをしようとしているの?”
“だから、ようじてきなふれあいを求めてるんでチュよゥ〜。。。きちゅちまちょうよゥ〜〜〜”
“デンマンさん、気は確かですかあああ?”
“たちかでちゅよゥゥ〜〜花ちゃん、ボチュとキチュちまちょうようゥゥ〜〜〜”
“本当に、気は確かですかああああ?”
“たちかでちゅよゥゥゥ〜〜”
“一体、妻も子もある、いい大人が何のまねをしようとしているんですかああ?”
“だからあああ〜、ようじのふれあいでちゅよゥ〜、ぼちゅわあァ、花ちゃんといちゃいちゃしたいんでチュゥ〜。。。”
“何ですよ、急に、おしめなんかしちゃって、。。。本当に気は確かですか?”
“たちかでちゅうゥゥ〜〜”
“マジですかあああ?”
“ボクちゃん、まじでちゅうよゥゥゥ〜〜、”
“あああああ〜〜、キモイ!デンマンさん、それ、キモイワよおおおお!いい加減にしてくださいよ!”
“花ちゃん、キチュちまちょうネェ〜、きちゅちィてェ〜〜ねっ。。。ねったらああ〜〜”
“止めてくださいよおお〜〜、デンマンさん、本当にキモイですよ!そのひげ面ぶら下げて、おしめまでして、何も知らない人が見れば、デンマンさんは気が狂ったかと思いますよ!本当にいい加減にしてくださいよ。”

いい年をした僕が幼児的なふれあいを求めたら、このような無様(ぶざま)な事をやらねばならないんですよ。へへへへ。。。。
本当に気が狂ってしまわない限り、かなりしんどいですよ。んも〜〜!
僕の相手をする女性は、まさに“キッショイちゅーねん、アホ!”と言うでしょうね。

こういうわけですからね、決して“みんな同じです”ではないんですよ。
この点に関しては、僕とレンゲさんは全く違っています。
その具体的な例として僕はレンゲさんを取り上げているわけなんですよ。

レンゲさんは手記でこのように述べているんですよ。



わたしは生まれた時から、
必要な愛情をあたえらなかった。
両親ともに、こんなめんどくさい生き物の
ニーズなんて考えもしない。
わたしはいつも見捨てられてきた。
わたしの胸には、愛情はない。
だって教わってないから。

わたしは、親を憎んでいました。
今は“血のつながったやっかいな他人”だと思っています。
これからどうなるか分かりませんが、
今の私には親との和解は無理です。

ウチの親を客観的に見れば、
社会性が欠如していたんです。
ふたりともボンボンとお嬢だから世間知らずだし。
で、わたし親から最後の一撃食らわされて、
自分は将来利用するために
育てられてきたことがわかっちゃって。
親はわたしに向かって確かにそう言ったのです。
それで、わたしは親から離れたのです。

http://blog.so-net.ne.jp/denman/2005-08-13-1


レンゲさんは、お母さんが生きているにもかかわらず、もう5年以上も会っていません。
電話で話したこともありません。僕にはとても考えられない事ですよ。

このような“不幸な”家庭環境で育ったために、レンゲさんは母親とのスキンシップを全く感じないで大人になってしまったんです。
そういうわけで、レンゲさんの場合には


どうしても、幼児的なふれあいへのあこがれが、
この年になると、イコールセックスになるんやわあ。


このようになってしまうんですよ。イコールセックスというのは飛躍だと思うのですが、レンゲさんの頭の中では全く矛盾なく受け入れられているんです。

いのさんは次のように書いています。


そして『彼女(レンゲさん)は特別じゃない』と深く思います。


いのさんにとってレンゲさんが特別だと見えないのは、レンゲさんの育った家庭環境がいのさんが育った家庭環境と似ているからだと僕は推測しているんですよ。
だから、いのさん自身も


僕はいちゃいちゃが大好きです。
暇があれば手をずっと握ってたりいきなりキスしたり抱き締めたり…
みんな同じです。


このように書いているんですよ。
レンゲさんといのさんは似ているのかもしれません。
でも、僕とレンゲさんは似ていません。
同様に僕といのさんも似ていません。

つまり、いのさんとレンゲさんが同じグループなら、僕は違うグループなんですよ。
決して同じではありえない。
少なくとも、“幼児的なふれあいへのあこがれ”に関する限り、別グループです。

いのさんも、レンゲさんも「幼児的なふれあいへのあこがれ」を強く意識している、と言う点で共通しているわけですよ。
しかし、だからと言って、そのグループの中に僕まで引き入れる事はできません。
なぜなら、上で説明したように、僕の「幼児的なふれあいへのあこがれ」は僕が幼児のときに充分に満たされたからですよ。
だから、現在の僕には「幼児的なふれあいへのあこがれ」はないんですよ。もし無いと言うのが言い過ぎなら、極めて少ないんです。

ここで、僕が書いた記事の中からもう一点引用します。



>知能指数140あっても、
>抑えられないものなんでしょうか・・・。


そうなんですよ。彼女はとても知的な部分を持っています。ただし、彼女は「崩壊した家庭」に育ったために「愛を知らずに育った」と本人も認めています。つまり、「愛に飢えている」というか、とても愛を求めているところがありますよ。

僕は、この人の話や日記や手記やメールの交換を通して、改めて僕の育った家庭が“愛”にあふれていたことを知らされましたね。

つまり、知能指数と不倫は本質的に関係ないですよ。
仮にですよ。マリコさんがIQ140あったら不倫するかというと、予想は不可能です。マリコさんの育った家庭と関係してくるようですよ。僕のこれまでの経験では、ある人の愛を希求する気持ち(Motivation)というのは、その人の育った家庭から受けた愛と反比例するのではないか?そんな気がしています。

つまり、“家庭の愛”に恵まれた幼年時代と青年時代を送った人は、彼女ほど愛に飢えていないと思いますね。この女性は「崩壊した家庭」に育ったために、“愛”を必要としているのです。この事をIQ140の頭で知的に認識しているために、普通の人よりも、よりいっそう“愛”を希求する気持ちが強いんですよ。そのために、しばしば“愛”に眼がくらんで相手の人間性を見失います。それで、くだらない男にかかわってしまって“殺されそうになった”こともある。この男は、もちろん不倫した相手ではありません。別の人間です。このような男に対しても“愛”を感じてしまう。

この女性はIQが140もあるほど知的であるにもかかわらず、すでに10年以上も精神科に通っています。だから、この人の話を一般論として一般の人に当てはめることはできないんですよ。きわめて特殊な家庭に育ったんです。

(全文は次のリンクをいクリックして読んでください。)
http://blog.so-net.ne.jp/denman/2005-08-10-1


これまでの僕とレンゲさんとのやり取りを見てくれば、レンゲさんは“才能がある人”だと言う事が良く分かると思います。
僕自身、レンゲさんはすばらしい人だと思っています。
しかし、上の引用からも分かるとおり、レンゲさんはもう10年以上も精神科に通っています。
このような人のことを


そして『彼女(レンゲさん)は特別じゃない』と深く思います。


。。。と、いのさんのように断言してしまうのは、認識が甘いとしか言いようがないのですね。
彼女は決して普通の女性ではありえない。つまり、特別な女性です。

僕はレンゲさんの問題を社会問題として見ているんです。
つまり、レンゲさん個人に特有な問題ではないと思うからです。
劣悪な社会環境が劣悪な家庭環境を作り出す。
レンゲさんは、そのような“崩壊された家庭”で育ったんですよ。
だから、レンゲさんのような特別な女性が他にも居るはずです。
(そう、たくさん居ないことを祈っていますが。。。)


残業しても残業手当は出ない!
働きたくはないけれど借金に追われて働かねばならない!
子供の将来、教育費とか結婚の費用とか、そういうことを考えると、もう過労死するほど働かねばならない。
こういう社会環境の中で、子供の家庭教育なんて、かまっちゃいられないのが、ぶちあけた話でしょう?
そんな気持ちのゆとりなんてありませんよ!まず、生活してゆかねばならないんですからね。

こういう社会環境の中で、佐世保の小学生女児殺害事件が起きたわけですね。
こういう社会環境の中で、子供が、のびのびと、すくすくと、健康に明るく育ったら、それこそ奇跡ですよ!

(全文は次のリンクをクリックして読んでください。)
http://blog.so-net.ne.jp/denman/2005-08-25-1


レンゲさんはまさに、このような“崩壊された家庭”で“母親の愛を受けずに”育ったんです。
くどいようですが、レンゲさんは、もう5年以上も母親に会ってもいなければ、電話で話したこともない。
これだけのことを考えても普通ではないんです。
このようなことがレンゲさんの愛とセックスに大きな影響を与えているんです。

劣悪な社会環境、崩壊した家庭環境を考えに入れてレンゲさんの愛とセックスを考えるとき、
いのさんが言うように


愛の中にSEXは完璧に含まれます。


と言えるかもしれません。でも、これはレンゲさんのような人間だけに当てはまる事であって、
幼児期に充分に“幼児的なふれあいへのあこがれ”を満たした人には当てはまらない事です。
少なくとも僕には全く当てはまりません。
愛とセックスが重なる部分はあると思いますが、愛の中にセックスが完全に含まれるなんて、僕にはとても考えられません。

僕にとって愛とセックスの関係は図に示せば次のようになります。



100人の人に“愛とセックスは違いますよね?”と質問すれば、
もちろん違いますよ、と答える人が80人から90人居ると僕は思います。

“愛の中にSEXは完璧に含まれます”と答える人は、2人か3人程度だと僕は考えています。
あなたはいかがでしょうか?
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