TOP>文芸・芸術

2011年12月19日

めれちゃんと玲子さん

 
めれちゃんと玲子さん





Subj:突然のメールで

失礼いたします。




Date: 10/03/2010 5:48:19 PM
Pacific Standard Time
日本時間:3月11日(木曜日)午前10時48分
From: ********@***.biglobe.ne.jp
To: barclay1720@aol.com


デンマンさんにメールを出そうかどうか、ずいぶんと迷いましたが思い切って書くことにしました。
私は小笠原玲子(仮名)と申します。
デンマンさんのブログを3年前より拝見しております。
レンゲさん、めれんげさん、小百合さん、それに卑弥子さん。。。それぞれ皆さん個性的で、いつも楽しみにして読ませていただいております。 私自身も BIGLOBE のウェブリブログでブログをやってます。 デンマンさんのブログを拝見しながら、いつも勉強させていただいてます。

今朝9時半ごろ「次郎のブログ」で『遠い恋・悔恨の涙』を読みました。 文中の『愛の涙』をクリックしたら Denman Blog のページへ誘導されました。 デンマンさんがたくさんのブログをお持ちであることは存じ上げておりましたが Denman Blog を見るのは初めてでした。

源氏物語について書かれていましたが、私も「六条の御息所」には関心を持っております。 東京に住む専業主婦の私にとって、気晴らしと言えばブログに記事を書くこと、それに買い物ぐらいです。 2児の子供の母親ですが、自分だけの時間を持つことがほとんどありません。 子供を保育園に送って、やっと一息つくのが9時半ごろです。

今朝、たまたま「六条の御息所」を読んで、いつか書こうと思っていた自分の肩を優しく押されたような気がしました。 それで失礼とは思いながらメールさせていただきました。

めれんげさんの豊満な肉体に対抗するわけではないですけれど、自己紹介のつもりで私の写真を貼り付けます。



結婚前に撮った写真です。
私のお気に入りの一枚です。
巨乳ブームの昨今、私が誇れるものは、おっぱいが平均よりも大きめなことぐらいです。
「六条の御息所」を読んで勇気が出ました。
また、そのうち、気が向いたらメールを書かせてください。

このメールがいたずらメールや、スパムメールでないことをデンマンさんならば、ご理解していただけますよね。
いづれにしても、失礼を省みず不躾に書いてしまいました。
これも「六条の御息所」の“生霊”のなせる業だと思います。
お笑いくださいませ。

かしこ。




『中年女性の愛の生活』より
(2010年3月19日)




デンマンさん。。。玲子さんの古いメールを持ち出してきて、あんさんは新年も女性関係を広げようとしてはるのォ~?



やだなあああァ〜。。。そないなことを、わては考えてえ〜へんでぇ〜。

そやかて、あんさんは、こうして未練がましく小笠原玲子さんのメールを持ち出してますやん。

あのなァ〜。。。、未練がましく玲子さんに、こだわっておるのんは、わてではないねん。

あんさんでなければ、どなたはんが玲子さんにこだわりはってるん?

次の検索キーワードのリストを見れば、めれちゃんにもはっきりと分かるがなァ。



http://ameblo.jp/barclay/



これは11月15日から12月14日までの1ヶ月の間に、わてのアメブロのブログ (http://ameblo.jp/barclay/) に、どのような検索キーワードを使って読みにやって来たかを調べたものなのや。



あらっ。。。「小笠原玲子」が10人でダントツですやん!

そうやろう! 14番目も見て欲しいねん。 「おがさわられいこ」で検索して、わてのブログを読みにやって来てるネット市民が 二人居(お)るねん。 つまり、合わせて12人が 玲子さんを検索して アメブロのわてのブログにやって来たのやがなァ。

そやけど、あんさんのアメブロのブログを読みはってる人は常連さんがほとんどですやん。

そうなのや。 次の統計を見ても、はっきりと出ておるねん。





これも11月15日から12月14日までの1ヶ月間に、どのページ(URL)からやってきたのかを調べたものやねん。 4,687人の読者が、つまり、87.5%の読者が「お気に入り」と「ブックマーク」からやって来(き)よるねん。



そやけど、検索エンジンの GOOGLE も Yahoo! もリストの中にありまへんがなァ!

そうやなァ。。。実は、わても不思議に思うたのやがなァ。 それで、リストを一つ一つ調べてみたら3番目が、実は、アメブロの携帯用の検索エンジンになってるねん。。。





つまり、GOOGLE と Yahoo! の検索エンジンを使ってやって来た人がおらへんのォ〜?



もちろん、おるねん。。。そやけど、たまたまこの上のリストでは、「その他」の中に入ってしもうとるねん。 そやから この期間の統計では GOOGLE も Yahoo! もリストに登場してへん。

要するに、70人が アメブロの携帯用検索エンジンからやって来て、その残りが GOOGLE と Yahoo! の検索エンジンからやって来たと、あんさんは言わはるのォ〜?

その通りやァ!

。。。で、GOOGLE と Yahoo!で検索しても玲子さんが出てきやはるの?

出てくるねん。 次の検索結果を見て欲しいねん。





「小笠原玲子」を入れて検索すると 9,770件見つかるねん。 2番目に登場するのが アメブロのわてのブログテーマ「小笠原玲子」やねん。



ブログテーマ「小笠原玲子」



上のリンクをクリックすると玲子さんの事が書いてあるたくさんの記事が出てくるの?



そうやァ。 上のリストの中にも出てくる次の記事もテーマのページの中に出てきよる。



『小笠原玲子の正体』

アメブロでは「あのね、玲子さん」

(2011年1月19日)




Yahoo! で検索しても出てくるん?



出てきよる。





そやけど GOOGLE の検索結果と比べると少ない。 GOOGLE では 9,770件見つかるねん。 そやけど、Yahoo! では、たったの 1、050件なのや。



。。。で、玲子さんは、あんさんの他のサイトでも、たびたび検索されて読まれてるん?

いや。。。サイトによって全く違(ちご)うてるねん。 たとえば、わての Denman Blog の統計を見て欲しいねん。





このブログでは「床上手」がダントツで 2年間に 11,426回も 検索されて 次の記事が読まれたのやァ。



『床上手な女の7つの見分け方』



このブログでは「床上手」とか「おばさんパンツ」やとか。。。おシモの話題がよく読まれてるねんなァ。。。



めれちゃん。。。人間は、この世で最も性的な動物やねん。 そやから、人間はたくさん子供を作って地球を征服してしもうたのや。 人間が性的動物やという何よりの証拠やんかァ。 うししししし。。。 それが、このブログの統計にも、よう表れておるねん。

個人名では「島本さちえ」さんが 191回。 「小笠原玲子」さんは、たったの19回やねぇ〜?

そうやろう! ほとんど同じ記事が掲載されておるねんけど、ブログによって、だうぶ違(ちご)うてるねん。

ところで、あんさんは「めれちゃんと玲子さん」というタイトルにしてはりますなァ。

そうやァ。

なして、わたしの名前を持ち出しはったん?

そやから、玲子さんの次に、めれちゃんの名前を入れて検索してみたのやがな。 その検索結果も見て欲しいねん。





見てみィ〜なァ! 1,110,000件も見つかるのやでぇ〜。。。



そやけど、わたしとは違うテレビの「メレンゲ」が有名なだけですねん。

そないなことはあるかいな! 4番目に出てくる記事は、わてが書いためれちゃんと六条の御息所の話やねん。



『めれんげさんと六条の御息所』



読まれてますのやろか?



読まれてるでぇ〜。。。こうして 1,110,000件の中の4番目に表示されてるさかいになァ。。。しかも、あの有名な源氏物語の中に出てきよる「六条の御息所」やでぇ〜。。。日本の古典に関心がある人なら。。。それに、ミーハーと違って教養がにじみ出ておる人なら、絶対に興味を示して読んでくれはる。

そうやろか?

それになァ、めれちゃんにも喜んで欲しいねん。

何を喜べと、あんさんは言わはるのォ〜?

「即興の詩」やないかいな。 次の検索結果を見て欲しいねん。





これだけ盛り返してきたのやでぇ〜。。。



何を盛り返しやはったん?

5,740,000件のうちの 3番、4番。5番目に、めれちゃんの「即興の詩」がこれだけ表示されているのやでぇ〜。。。

そのことをわたしに喜べと、あんさんは言わはるのォ〜?

そうやア!。。。それで5番目に出ている次の記事のタイトルになるのんやア!



『即興の詩バンザイ』



めれちゃんがやっていた「即興の詩」は、かつては次のように断然トップだったのやでぇ〜。。。


即興の詩

のGOOGLE検索結果

約 421,000 件中 1 - 42 件目


1) 即興の詩



2010年3月10日 ... 即興の詩. めれんげの恋の詩と短歌。 そしてちょっとセクシーな画像。 どうぞ!お楽しみくださいね! I wish you enjoy my love poems and little bit sexy photographs! コメントお待ちしてまーす! ♪リンクフリーです! ...
blog.momoiro.jellybean.jp/




2) 即興の詩 | 冷たい雨の降る夜は



即興の詩. めれんげの恋の詩と短歌。 そしてちょっとセクシーな画像。 どうぞ!お楽しみくだ ...
blog.momoiro.jellybean.jp/?eid=968699




3) 即興の詩 | 夏祭り



即興の詩. めれんげの恋の詩と短歌。 そしてちょっとセクシーな画像。 どうぞ!お楽しみくだ ...
blog.momoiro.jellybean.jp/?eid=913920




10) 徒然ブログ:即興の詩



2010年9月13日 ... 1) 即興の詩即興の詩. めれんげの恋の詩と短歌。 そしてちょっとセクシーな画像。 どうぞ!お楽しみくださいね! I wish you enjoy my love poems and little bit sexy photographs! コメントお待ちしてまーす! ♪リンクフリーです! ...
blog.livedoor.jp/barclay1720/archives/51678073.html




11) 極私的詩集 - livedoor Blog(ブログ)



一方の「即興の詩」はあいかわらずの、ラブラブ・セクシー路線・・・って自分で言うなw まあ ...
blog.livedoor.jp/merange_as/




14) 愛と即興の詩 (2009年4月16日)



レンゲ物語 - ビーバーランド
2009年4月16日 ... 7) Amazon.co.jp: 即興詩人 (ノベル倶楽部): 大刀 太郎: 本 - 「ぽえむ」はお客様参加型の詩の喫茶店。リクエストにお応えして4、5分で即興の詩をプレゼントしています。普段は忘れてしまっている詩心が目を覚まし、何かに気づい . ...
beaverland.web.fc2.com/renge/20090416.html




19) 即興の詩 - にほんブログ村



めれんげの恋の詩と短歌そしてちょっとセクシーな画像どうぞお楽しみくださいね! その他ペット,その他ペット 多頭飼い,写真,女性写真(ノンアダルト),ポエム,恋愛詩などのブログランキング参加のブログです。
www.blogmura.com/profile/00531631_2.html




27) 床上手な女とRSS



2010年4月15日 ... 1) 即興の詩 即興の詩. めれんげの恋の詩と短歌。 そしてちょっとセクシーな画像。 どうぞ! .... 73) デンマンの書きたい放題 : 床上手な女紀行 (PART 2) 1)床上手な女ブーム『即興の詩 消せぬ炎』より『萌え萌えの短歌』に掲載(2010 ...
www.edita.jp/infoseek705/one/infoseek7053746.html




42) ブログテーマ[パソコンテクニック]



バークレーの書きたい放題!
徒然ブログ: 即興の詩と成りすまし馬鹿 2009年7月25日 ... 2) 即興の詩 | 新たな気持ちで 読めば分かる ... 17) デンマンの書きたい放題 : 愛と即興の詩 (PART 2 OF 2)2009年4月16日 ... デンマンが日々思ったこと考えたこと感じた事を書きます。 ...
ameblo.jp/barclay/theme-10020732556.html 




2010年12月2日現在

即興の詩 のGOOGLE検索結果』より




『即興の詩バンザイ』に掲載
(2010年12月4日)




ところが、めれちゃんは「即興の詩」サイトを閉鎖してしまった!





閉鎖してから、かれこれ1年になるねん。 でも、めれちゃんは次のような、けなげな詩を書いてくれたなァ。


小さな赤い花
 
 

 
 
わたしをあなたの庭に咲く

小さな赤い花にしてください

そして、お水を注ぎながら

何かお話を聞かせてください

わたしは何も言えないけれど

あなたの言葉を聞きながら

いろんなことを思うのです

あなたに愛されるように

いつまでも綺麗に

咲いています

だからわたしのことを

忘れずにいてください

 

by merange (めれんげ)

2010.02.19 Friday 10:24




『即興の詩 小さな赤い花』より

『永遠の愛のコラボ』に掲載
(2010年2月22日)




それで、あんさんは頑張りはって、わたしの「即興の詩」の炎を絶やさずに守り続けていると言わはるのォ〜?



その通りやないかいな!

わたしは涙を流して喜ぶべきなんやろか?

もちろんやがな!

そやけど、イマイチ、あんさんの話には説得力がないねん。

さよかァ〜。。。そやったら、次の検索結果を見れば、めれちゃんも涙を流して喜びたくなるでぇ〜。。。





『めれちゃんのパンツ』



「めれちゃん」と入れて検索したら、なんとォ〜!。。。「めれちゃんのパンツ」がなんとォ〜ビックリ!!。。。82,500,000件中のトップやないかいな!



あんさん!。。。いい加減にしいやア〜! こないなことで喜べるかいなアぁ〜!!

さよかァ〜♪〜?


【レンゲの独り言】



ですってぇ〜。。。
確かに、あなたの「おばさんパンツ」姿がネットで公開されたらムカつくでしょう?
めれんげさんの気持ちも分かりますわよねぇ〜。
うふふふふふ。。。

とにかく、次回も興味深い話題が続くと思います。
あなたも、また戻ってきてくださいね。
じゃあ、また。。。






ィ〜ハァ〜♪〜!

メチャ面白い、

ためになる関連記事





■ 『きれいになったと感じさせる

下着・ランジェリーを見つけませんか?』


■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

■ 『面白くて楽しいレンゲ物語』



■ 『軽井沢タリアセン夫人 - 小百合物語』

■ 『今すぐに役立つホットな情報』

■ 『 ○ 笑う者には福が来る ○ 』



『夢とロマンの横浜散歩』

『あんさんに会いたい』 

『愛とロマンの小包』

『下つきだねって言われて…』

『銀幕の愛』

『パリの空の下で』

『夢の中華パン』

『愛の進化論』

『漫画家と平和(2011年3月6日)』



『漫画家の壁(2011年3月10日)』

『漫画家と奴隷(2011年3月12日)』

『畳の上の水練(2011年3月15日)』

『パール判事とゴーマン(2011年3月18日)』

『軍隊のない国(2011年3月21日)』

『あんさんに会いたい(2011年10月31日)』

『ロマンと夢とババア(2011年11月4日)』

『愛の地獄(2011年11月8日)』




こんにちは。ジューンです。

小曽根 真さんのように音楽で

海外で活躍している方も多くなりましたが、

日本のアニメや漫画も海外へ進出していますわ。

わたしは「かぐや姫」のお話が好きですけれど、

あなたはいかがですか?

1987年に確か日本で「竹取物語」という映画が作られましたよね。

わたしも観た覚えがありますわ。

かぐや姫の別れ


 
 
なんだか平安時代のサイエンス・フィクションのようで見ごたえがありました。

アニメでも素晴らしい作品がありますわ。

とにかく日本は漫画とアニメの国ですから。。。

アニメ竹取物語



カナダでも日本のアニメや漫画が人気があります。

バンクーバー図書館にも漫画の本がたくさんあるのですよ。 (微笑)

日本のアニメや漫画は世界の文学界とアニメ界にも影響を与えています。

ええっ。。。英語に訳されたかぐや姫のアニメもあるのかって。。。?

それがあるのですわよ。

ちゃんと国際語である英語を使ってアニメが作られています。

あなたも、目の玉をムキムキしてじっくりと観てくださいね。

「かぐや姫」アニメ in English



ところで、卑弥子さんが面白いサイトを

やっています。

興味があったら、ぜひ次のリンクをクリックして

覗いてみてください。



『あなたのための笑って幸せになれるサイト』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょう。

じゃあね。バーィ





2011年08月19日

愛欲 詩 短歌

 
愛欲 詩 短歌






デンマンさん。。。あんさんは、どないな訳でけったいなタイトルをつけはったん?



けったいなタイトルではあらへんでぇ〜。

そやかて、まるで検索エンジンに書き込むような字句を並べておるやないかいなァ。

めれちゃんにも、そう見えるか? その通りやァ。

そやから、けったいと言いましてん。

あのなァ〜、実は、上のタイトルは検索エンジンの小窓に書いてあったものをコピーしたのやァ。

どないな訳で、そないな事をしやはったん?

そやから検索エンジンの結果を見たのやァ。

つまり、あんさんが上の字句を並べて検索しやはったん?

いや、わてではないねん。 8月17日に Denman Blog で記事を投稿する時に統計情報画面を見たら、「リファラ」が目に留まったのや。 





GOO の検索エンジン(http://search.goo.ne.jp/)から二人のサーファーが、わてのブログにやって来たのやァ。



それで、あんさんはリンクをクリックして検索結果を見に行きはたん?

その通りやァ。 めれちゃんも、その結果を見てみィ〜なァ。





あらっ。。。ホンマやわ。 「愛欲 詩 短歌」で検索してますやん。



そうやろう!? 636件見つかった内のトップから7番目に Denman Blog の『萌える愛欲』が表示されてるねん。



『萌える愛欲』

(2010年2月10日)




つまり、検索しやはった人は、そのリンクをクリックして、あんさんのブログの上の記事を読みはったん?



その通りやァ。 めれちゃんも覚えているやろう? 上の記事は、めれちゃんの愛欲の詩と短歌が書いてあるねん。 しかも、8番目に表示されたタイトルも、めれちゃんの愛欲の詩と短歌が書いてある記事やがなァ。



『愛に萌える肌』

(2010年04月21日)




デンマンさん。。。あんさんは自己満足のために、こうして「リファラ」を調べはったん?



ちゃうねん。。。わては、めれちゃんのように愛欲の詩と短歌に興味がある人が居るということを言いたかったのやんかァ。

どないな訳で。。。?

どなも、こないもないやんかァ!。。。めれちゃんは愛欲の詩と短歌を仰山(ぎょうさん)書いてある『即興の詩』サイトを閉鎖してしもうたのやがなァ。

そうですう。 そやから、どうやと、あんさんは言わはるの?

あのなァ〜。。。そないに簡単にあっけらかんと返事されては困るがなァ。 めれちゃんと同じような感性の持ち主が愛欲の詩と短歌に興味を寄せて、こうして検索エンジンで検索して、わてのブログにやって来てるねん。

そやから、どうやと言うの?

そのように他人事のように言うては困るなァ〜!

あんさんが困りはることはないやろう?

あのなァ〜、GOO の検索エンジンからやって来た人は当然、記事の中のめれちゃんの愛欲の詩と短歌を読むねん。


 
 
愛欲



 

キスをして

もっと

この身体中に
 
 ☆
 
揺らして

わたしを

その腕の中で
 
 ☆
 
閉じ込めて

この吐息を

あなたにあずけるから
 
 ☆
 
濡らして

もっと

ふたり溺れるほどに

  

 
   
by めれんげ

2010.02.03 Wednesday 16:13




『即興の詩 愛欲』より

『萌える愛欲』に掲載
(2010年2月10日 水曜日)




ごっついなァ〜!。。。めれちゃんがホンマに萌え萌えになって詠んでる詩やんかァ!



そやから、どうやと、あんさんは言わはるのォ〜?

どないも、こないもないやん! めれちゃんの上の詩を読んだ人は、当然、めれちゃんの愛欲にあてられてしまうねん。

そうやろか?

そないに無感情で言うては困るやんかァ!

あんさんが困ることはないやろう!?

あのなァ〜。。。検索して、わてのブログに読みにやって来た人のためを思って、わては嘆いてるねん。

なして、あんさんが読みにやって来た人のためを思って嘆きはるのォ〜?

その人は、「こないな萌え萌えの詩を詠む人って、いったい、どないな人やろか?」と思うねん。

それで。。。?

そやから、当然、オリジナルの作品が載っている『即興の詩』サイトのリンクをクリックして、めれちゃんのサイトへ飛んで行くねん。 そうすると次のような画面が表示されるのやがなァ。





これを見て、その人はガッカリするねん。 せっかく、めれちゃんの愛欲の詩や短歌がたくさん読めると思うて飛んで行くと、サイトが閉鎖されてるう。



つまり、あんさんは、『即興の詩』サイトを閉鎖してしもうたわたしを攻撃しやはるのォ〜?

別に攻撃するつもりやあらへん。

そやけど、そのように聞こえますやん。

あのなァ〜、フジ子・へミングさんは次のように書いてるねん。

どないな訳でフジ子・へミングさんを持ち出しはるの?

とにかく読んでみィ〜なァ。




何歳になっても、夢に向かえばいい。

遅すぎることはないと思っているわ。

やるぞと決めたときからが

スタートなのよ。

欲ばらず、今よりも

ちょと良くなればいいじゃない。




84ページ 『我が心のパリ』
著者: フジ子・へミング
2005年2月25日 初版発行
発行所: 株式会社 阪急コミュニケーションズ




どうや、めれちゃん?。。。フジ子さんの言葉をじっくりと味わってみる気にならへんか?



あんさんはフジ子さんの言葉まで持ち出してきて『即興の詩』を再開しろと言わはるのォ〜?

あのなァ〜。。。フジ子さんは聴力を無くして一時は貧乏のどん底にまで落ち込んでピアニストになることを諦めて、お針子になろうとしたのやがな。 ところが、断られてしもうたのや。 それで死のうと思ったのやけれど、自分が死んだらペットの猫ちゃんたちはどうなるの? そのことを考えたら死ねなかったと言うねん。 なんとのう胸に迫ってくる話やろう?

あんさん!。。。お涙頂戴(ちょうだい)の話をわたしに聞かせて『即興の詩』を再開するように仕向けはるのね?

いや。。。わては急にめれちゃんが飼っている3匹の猫ちゃんのことが思い出されてきたのやがなァ。


さみしがりやのきみへ





きみは涙をためて
立ち尽くす
目覚めたときに
きみはひとりきり

夕べの、あの優しさは
何だったのだろうか?
夕べの、あのときめきは
何だったのだろうか?

だ〜れも居ない部屋の中で
きみは一人になって
涙を流す

でも、きみは一人やないんやでぇ〜
見てみいなぁ〜
ねねが、きみの足元で
幸せそうに
安らかな吐息を立てて
眠っておるがなぁ〜



見てみいなぁ〜
タンタンがきみの足元にすりよって
やさしくなぐさめておろうがぁ〜
 
 

 
 
見てみいなぁ〜
ニコちゃんまでが
またボールをくわえて
きみとあそぼうとしておるがなぁ〜
 
 

 
 
きみは一人やないんやでぇ〜
いつもアルジェの浜辺で
きみのことを
思っている
ムルソーもおるのやでぇ〜
 
 
by デンマン
 


 
 

 
 



(ムルソーのことを知りたいなら、
 次の記事を読んでね。)

『炎の異邦人(2007年3月28日)』

『異邦人の夏(2008年7月18日)』

『萌える慕情(2008年8月9日)』




『ねねと天使』より
(2010年1月7日)




わたしが可愛がっている猫ちゃんたちまで持ち出してきよって、あんさんは『即興の詩』を再開しろと言わはるのォ〜?



ちゃうねん。。。あのなァ〜、フジ子さんは次のようにも書いてるねん。


旅、そして終着駅



懐かしい、パリ北駅。

ドイツからやってくると、ここが終着駅だった。

列車に揺られながら胸をふくらませていた。

生きる勇気がなくなったときでも、

ホームに立つと、希望が生まれてきた。

この古びた駅が私に、

人生は旅だということを教えてくれた。
 
 ☆ ☆ ☆

人の一生は旅のようなものね。

みんな切符を買って、

運命という名の列車に運ばれてゆく。




120 - 121ページ 『我が心のパリ』
著者: フジ子・へミング
2005年2月25日 初版発行
発行所: 株式会社 阪急コミュニケーションズ




フジ子さんの手記を再度持ち出してまで、わたしに『即興の詩』を再開するように強制しやはるの?



いや。。。わては別にめれちゃんに強要しようとしているわけではないねん。 ただ、運命という列車に乗ったつもりになって『即興の詩』を書き続けることが、めれちゃんにとっても大切なのではないかいな? そないに思うているだけやねん。 フジ子さんは、一度はピアニストになることを諦めて死のうとしたけれど、猫ちゃんたちの存在に励まされてピアノを弾き続けたのやがなァ。 それで日本に帰ってきてからNHKのドキュメンタリーがきっかけでブレークしたのやないかいな。 その曲がリストの La Campanella やん。

Ingrid Fujiko Hemming

La Campanella






デンマンさん!。。。あんさんはフジ子さんのピアノの演奏まで持ち出してきて、わたしに『即興の詩』を再開しろ!と言わはるの?



いや。。。わては無理にそのようにしろ!とは言うてないねん。 ただ、「リファラ」を調べたら「愛欲 詩 短歌」が出て来よった。 めれちゃんの愛欲の詩や短歌を読むうちに、ふいにフジ子さんのことが思い浮かんできて、猫ちゃんが登場した。 不思議なもので、めれちゃんが飼っている3匹の猫ちゃんたちが、わてのオツムに急に浮かんできた。 それで、こうしてフジ子さんの話をしたまでやないかいな。 


【レンゲの独り言】



ですってぇ~。。。
そうですねぇ。
フジ子さんの手記は読み応えがありますわ。

確かに人の一生は、旅のようなものですよね。
みんな切符を買って、
運命という名の列車に運ばれてゆく。

あたしも、何度もそのように感じたことがありましたわ。
あなたは、どうですか?

とにかく次回も面白くなりそうですわ。
だから、あなたも読みに戻ってきてくださいね。
じゃあ、また。。。






ィ〜ハァ〜♪〜!

メチャ面白い、

ためになる関連記事





■ 『きれいになったと感じさせる

下着・ランジェリーを見つけませんか?』


■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

■ 『面白くて楽しいレンゲ物語』



■ 『カナダのバーナビーと軽井沢に

別荘を持つことを夢見る小百合さんの物語』


■ 『今すぐに役立つホットな情報』

■ 『 ○ 笑う者には福が来る ○ 』



『夢とロマンの横浜散歩』

『愛とロマンの小包』

『下つきだねって言われて…』

『銀幕の愛』



『パリの空の下で』

『夢の中華パン』

『愛の進化論』

『漫画家と平和(2011年3月6日)』



『漫画家の壁(2011年3月10日)』

『漫画家と奴隷(2011年3月12日)』

『畳の上の水練(2011年3月15日)』



『パール判事とゴーマン(2011年3月18日)』

『軍隊のない国(2011年3月21日)』

『士風と「葉隠」(2011年3月23日)』





こんにちは。ジューンです。

あなたは RSS リーダーを使っていますか?

わたしは、つい最近まで知りませんでした。

使ってみると、とっても便利ですよね。

お気に入りのブログの RSS feedを

リーダーに登録しておけば、

自動的に新しい記事を

読み込んでおいてくれます。

だから、一つのリーダーで

あなたのお気に入りのすべてのブログを

読むことができます。

もちろん、ブログだけではありません。

天気予報だとか最新のニュース。

また、最新の映画情報や

音楽や、ファッション情報など、

RSS feedを探して登録しておけば、

いつでも、最新の情報がゲットできます。

あなたも、試してみたらいかがですか?

RSSリーダーがどういうものなのか?

よく分からない人は次の記事を

ぜひ読んでみてください。

『床上手な女とRSS』



ところで、英語の面白いお話を集めてみました。

もし、時間があったら読んでみてくださいね。

■ 『あなたのための 楽しい英語』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。





2011年07月28日

愛と名声


   
愛と名声




奄美に渡った孤高の花鳥画家



18歳でストレートで東京美術学校に入学するが、3ヶ月足らずで退学している。 その理由がよくわからない。 持病の結核が再発して静養が必要だったのはたしかだが、それなら休学でもよかったし、経済的な理由ならば学費免除を申請するなど、いくらでも方策はあっただろう。

彼がまだ中学生だったころから画会が開かれており、田中一村(当時は田中米邨)の名は「全国美術家名鑑」に載るほど知られていた。 画会とは絵の展示と販売を兼ねたいまでいう展覧会で、細々とではあっても、絵で食べていく道がついていたことがわかる。

また、美術学校に彼の描きたい南画を指導する教授がいなかったことも、理由のひとつかもしれない。

 (中略)

奄美に来る前は千葉に住んでいた。 20代に両親と6人兄弟のうち3人をつぎつぎと亡くし、千葉の田舎に家を建てて祖母と姉妹の4人で移り住んだのだった。
そこで20年ほど暮らして50歳のとき、弟の才能を信じきって結婚もせずに応援してきた姉の喜美子をひとりあとに残して、家を売り払って金を手に奄美にやって来たのである。...40代半ばに2度にわたって日展に出している。 美術学校の同期生が出世して審査員になっていたから、いいチャンスだと思ったのかもしれない。 しかし2度とも落選し、人一倍強い彼のプライドはずたずたになった。 50歳を前にして、このままの人生が終わってたまるかと切迫した気持ちになっただろう。

 (中略)



《パパイア》

一村は子供のときから花鳥画ばかりを描いてきた。...奄美時代の作品は、植物の繁茂するさまが克明に描かれ、息苦しいほどの密度がある。 と同時に一村自身のエネルギーの質のようでもあり、両者が一体となった緻密さを感じる。



《ソテツ残照》

 (中略)

湿度が高いと膠(にかわ)が乾かず変色するので、いつも天気予報を気にしていたという。 日本画を描くには理想の環境とは言いがたかったが、彼は奄美にこだわった。



写生の鬼になったように、エビひとつについてもトゲの数を数えたり、触角の下の色を気にして何度も繰り返し描いた。
「私の絵の最終決定版の絵がヒューマニティであろうが、悪魔的であろうが、画の正道であるとも邪道であるとも何と批評されても私は満足なのです。 それは見せるために描いたのではなく私の良心を納得させるためにやったのですから……」
スケッチブックに、知人への手紙の下書きとしてこんな文章が記されていたという。 画壇を見返してやりたいという闘争心はすでに消えている。 純粋に絵に向かっていこうとする気概だけがある。

(注: 赤字はデンマンが強調
写真はデンマン・ライブラリーより)




133 - 140ページ
『あの画家に会いたい個人美術館』
著者: 大竹昭子
2009年5月25日
発行所: 株式会社 新潮社




デンマンさん。。。どないな訳で奄美大島に渡った孤高の画家などを持ち出してきやはったん?



めれちゃんは田中一村という画家の名前を聞いたことがあるかァ?

ありしませんがなァ。。。それほど有名なお人やのォ〜?

いや。。。わても大竹昭子さんの書いた本を読むまで知らへんかったのや。

それやのに、どうして田中一村のことを引用しやはったん?

実は、田中一村の絵を見て素晴らしいと思うたのや。 奄美大島に渡った孤高の画家というイメージも、なかなかええやんか。 それに残した次の言葉がぐっと胸に迫ってくるやん。

それは見せるために描いたのではなく

私の良心を納得させるために

やったのですから……


こないに、なかなか言えんもんやでぇ〜

そうですやろか?

そやかて、めれちゃんも次のように言うたやんかァ〜。



めれんげは、

それでも詩人


テーマ:文学がテーマっす



混沌とした日々が続いています。
めれんげは、詩のことばっかり考えてます。
いや。考えていることを、
如何にして詩にするかということで
頭がいっぱいなのです。

このブログには詩は書かないけれど、
「即興の詩」
「極私的詩集」には、
ほぼ毎日詩をアップしているのです。


恋愛詩。
ダークな詩。
その両方は、めれんげという車の
別々の車輪みたいなもので、
それらがなければ、わたしの活動はストップ
してしまいます。

世に認められたい気持ちはあるけれど、
自分の詩が、どこまで通用するのか、
さっぱり自信がないんですよね(泣)

ただ書きつづけて、
死ぬまで書き続けて、
わたしの消滅のあとも、
作品だけは残ればいいなあ...
なーんて思っています。
まるで、カフカのように
奇特な友人がいればなあ...
なーんて消極的でへなちょこなわたしです。
 

by merange (めれんげ)

2009-08-21 19:17:19




「めれんげの原材料」
『めれんげは、それでも詩人』より

『名声とは何か?』に掲載
(2010年6月16日)




あんさんは、こないなことまで覚えてはったん?



そうや。。。めれちゃんにも世に認められたい気持ちがあるねんな?

詩を書いたり小説を書いたり、絵を描いたりしている人には心のどこかに世に認めてもらいたいという気持ちが誰にもあると思うねん。

そやけど、田中一村は、そのようには言うておらへん。

苦労しやはってぇ、挙句の果てに到達した境地なんやと思うわァ。

「即興の詩」

「極私的詩集」には、

ほぼ毎日詩を

アップしているのです。


めれちゃんは、こないに言うてたのに、最近では全く詩をアップしてへんでぇ〜。。。しかも「即興の詩」サイトは閉鎖してしもうたやないかいなァ。 いったい、どないしておるねん?

心境の変化ですやん。 あんさんが、わいわい、がやがやとわたしのサイトにしょうもないコメントを書きはったさかいに、わたしのファンの人たちが他のサイトに行ってしまいはったわァ。

それは、めれちゃんの被害妄想と思うでぇ〜。。。それで、もう詩を書いてないのんかァ〜?

いいえ。。。思いついたときに書いてますねん。 ただし、サイトにアップする気になれへんだけですう。

どないな訳で。。。?

心境の変化ですねん。

そう言えば、めれちゃんは次のような事を書いてたなァ〜。



レゾンデートル




見失いそうな
消え入りそうな
自分の存在理由

懸命に鏡を見つめても
そこには何もない

大声で叫んでみても
誰の耳にも届かない

すがりつくものは
あまりに脆弱だ
手を触れることはできないのだから

毎日書き続ける遺書
生きていた証しを記そうと
からっぽの遺書を書き続ける

生まれてきたことに意味などない
死にゆくことにも意味はない
生きていることに意味を見出そうと
もがきあがき疲労する

諦観するにはまだ早いのか

 
 
by merange (めれんげ)

October 26, 2009 19:40




『極私的詩集 - レゾンデートル』より




諦観するのは早いのやでぇ〜。。。



そうですやろか?。。。そやけど、あんさんがそないに言わはる根拠はなんやのォ〜?

めれちゃんの才能を認めている人も居るのやでぇ〜。。。

どこに。。。?

めれちゃんの才能に気づいた読者の一人が次のようなコメントを残していったやないかいなァ。


新しい才能を直感



つまり寂寥感なんですね。
孤独なんですね。
詩は、でも癒してはくれません。
孤独を際立たせるだけです。
他者に訴えるには、それなりのフィクションが必要です。
虚実皮膜の間でしか芸術はありません。

こどくな心情を吐露して、
自分の死にたがっていることを、主張しても、
他人は喜びません。
文学も詩も所詮エンタメですから、
多くの視聴者を得るしかありません。
それ以外は自慰行為です。

孤独な詩は、孤独な死であり、
表現はエンタメ、それほど自分を貶めたくない、
芸人になりたくないのなら、自慰行為をつづけるしかありません。

小説家や詩人にたくさん会いましたが、
彼らは自分を売る芸人でした。
それが悪いとはいいませんが、
それをしたくない人間はブログしかありません。
どこかでだれかが、こころの叫びをきいているかも、
というパーソナルな、しかしみえないつながりしかありません。
でもマスコミのように汚れていない、
ミニコミは、これからの芸術かもしれません。

ネットサーフィンしてたら、
たまたま新しい才能を直感したので、コメントしました。

ブログのタイトルが変わっても、本質はおなじです。
がんばってください。応援します。
 
 
岩下俊三

July 30, 2009 17:00




『「極私的詩集」 極私的詩集にチェーンジ!』
コメント欄より

『美しい愛のコラボ』に掲載
(2009年11月26日)




それで、あんさんはわたしにどないにしろと言わはるのォ〜?



わては、めれちゃんに、ああしろ、こうしろとは言わへんでぇ〜。。。ただ、めれちゃんの次の詩を読んで感じるところがあったのや。


小さな赤い花
 
 

 
 
わたしをあなたの庭に咲く

小さな赤い花にしてください

そして、お水を注ぎながら

何かお話を聞かせてください

わたしは何も言えないけれど

あなたの言葉を聞きながら

いろんなことを思うのです

あなたに愛されるように

いつまでも綺麗に

咲いています

だからわたしのことを

忘れずにいてください

 

by merange (めれんげ)

2010.02.19 Friday 10:24




『即興の詩 小さな赤い花』より

『永遠の愛のコラボ』に掲載
(2010年2月22日 月曜日)




この詩を読みはってぇ、あんさんはどないに思いはったん?



なんだか、しんみりとした寂しい詩やないかいなァ〜。。。そやけど、なんとのう、めれちゃんの気持ちが伝わってきたでぇ〜。。。

わたしの気持ち。。。?

そうやァ。。。そやから、わては庭に咲く小さな赤い花に水をやるような気持ちで、めれちゃんを応援しているのやないかいなァ。

マジで。。。?

大真面目やでぇ〜。。。

それは見せるために描いたのではなく

私の良心を納得させるために

やったのですから……


田村一村がこないに言うたように、後の世の名声などに関係なく、めれちゃんも自分の良心を納得させるために詩を書いたらええねん。


【レンゲの独り言】



ですってぇ〜。。。
そうですよね。
そういう気持ちであれば、この浮世の世界で有名にならなくても、充分に満足して心残りなくあの世に旅立てると思いますわ。
あなたも、そう思いませんか?

とにかく、興味深い話題がさらに続きます。
だから、あなたも、また読みに戻ってきてくださいね。
では、また。。。




メチャ面白い、

ためになる関連記事





■ 『きれいになったと感じさせる

下着・ランジェリーを見つけませんか?』


■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

■ 『面白くて楽しいレンゲ物語』



■ 『カナダのバーナビーと軽井沢に別荘を持つことを

夢見る小百合さんの物語』


■ 『今すぐに役立つホットな情報』

■ 『 ○ 笑う者には福が来る ○ 』





『お受験と教育ママ』

『熊校の先生』

『「田舎教師」再訪』

『四季桜』



『熊校の思い出』

『「田舎教師」と行田』

『小百合さんの存在感』



『大阪の歴史馬鹿』
 
『「蒲団」と「田舎教師」』

『卑弥子さんの存在感』

『ロマンとデジャヴ』



『夫婦風呂』

『露悪趣味』

『カプリ島と香水』

『小百合さんの香水』



『デンマン批判』

『好ましい批判』

『欺瞞の罠』

『馬鹿の一つ覚え』

『立派な反面教師』

『社会的自我の欠如』



『原人ブームと漢字馬鹿』

『また、オマエか!』

『成りすまし馬鹿』

『スカンクと宮本武蔵』

『絶望的な愚か者』




こんにちは。ジューンです。

現在、めれんげさんは

気力をみなぎらせるために

脱力しているのだと思います。

でも、詩や手記や短歌を書き始めると

止まらなくなるのですよね。

いずれまた、どこかで「即興の詩」サイトを

立ち上げると思います。

あなたも、めれんげさんの愛の詩を

早く読みたいと思うでしょう?

そのうち素晴らしい作品を

投稿するだろうと思いますわ。

期待しながら待ちましょうね。

ところで、英語の面白い話を集めました。

時間があったら覗いてみてくださいね。

■ 『あなたのための愉快で面白い英語』

では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょう。

じゃあね。





2011年07月08日

いぬのふぐり

 
いぬのふぐり




春のうた



ほっ まぶしいな。

ほっ うれしいな。

みずは つるつる。

かぜは そよそよ。

けるるん くっく。

ああ いいにおいだ。

けるるん くっく。

ほっ いぬのふぐりがさいている。

ほっ おおきなくもがうごいてくる。

くっくっく。

けるるん くっく。

けるるん くっく。
 
 
by 草野心平






(注: 赤字はデンマンが強調。
イラストはデンマン・ライブラリーより)





デンマンさん。。。あんさん、どうして季節外れな「春のうた」など取り上げはったん?



本を読んでいたら、たまたまこの詩に出くわしたのやがなァ。

。。。で、感動してしもうたのォ〜?

いや。。。感動したというよりも珍しい詩やと思うたのやァ。

どないなところが。。。?

あのなァ〜、「いぬのふぐり」という言葉に出くわして、わてがすぐに思い浮かべたのは「犬の睾丸」やがなァ!

あんさん。。。それってぇマジかいな?

ホンマのことやがなァ!

要するに、あんさんには詩心がありまへんのやねぇ?

やっぱり、めれちゃんは、そう思うのかァ〜?

そうやんかア! 「犬の睾丸」が咲くわけないやん。 「春のうた」というタイトルなのやから、「いぬのふぐり」というのは花にきまってるやないかいなァ!

その通りやァ。 わても不思議に思うて何べんも何べんも読み返したのやがなァ。 それで花のことやとは思うたのやけど、わては「いぬのふぐり」が花やと知らへんかったのやァ。

マジかいなァ?

ホンマやねん。。。で、どないな花やねん?

次のようなきれいな花ですねん。





なるほどォ〜。。。小さな花やけれど、きれいなもんやなァ〜。。。



そうですやろう!?

。。。で、この花がどないなわけで「いぬのふぐり」と呼ばれるねん?

実がワンワンちゃんの「ふぐり」に似てますねん。





ほおォ〜、なるほどォ〜。。。言われてみれば「犬の睾丸」に似ているわなァ。 うししししし。。。



草野心平さんは、この花が好きだったらしいでぇ〜。。。

どないなわけで。。。?

心平さんの詩の中によう出てきよるねん。

さよかァ〜?。。。で、草野心平さんってぇ、どないな詩人やねん?

あんさんのために、ここに書き出すよってに、じっくり読んだらええやん。


草野心平



出生:1903年(明治36年)5月12日
死亡:1988年(昭和63年)11月12日)
日本の詩人。福島県上小川村(現・いわき市小川町)出身。

宇宙的なまでに広がった世界観のなかで存在の孤独をニヒリスティックに、あるいはまた瑞々しく描いた。
彼の詩には「存在の愛(かな)しさ」と孤独が強調されながら、一方で野性的なまでの生命力に満ちている。
だが、その世界の時空間が宇宙的・太古的に昇華されることで、社会的関係性が欠如しているという批判もかつてはあった。

磐城中学(現・福島県立磐城高等学校)を4年生で中退したのち上京し、1920年、慶應義塾普通部3年次に編入。
同年、同校を中退し、1921年、中国の広東嶺南大学(現・中山大学)に進学する。

1925年(大正14年)排日運動により、帰国。詩作はこの留学中に開始されている。

1923年(大正12年)には、民平と自己の詩をおさめた『廃園の喇叭』を自費出版(この時は一時帰国していたため、出版地は日本)。帰国後、雑誌『銅鑼』を主催し、ここに宮沢賢治や八木重吉らを同人に誘い、彼らの作品の紹介に努めた(彼らの没後まで心平は紹介を続けたが、生前に直接面識を得ることはなかった)。

1928年(昭和3年)、活版刷りとしては初の詩集となる『第百階級』を刊行。全篇が蛙をテーマにしたものであり、以後も、この生物を扱った詩を書き続けた。

1935年(昭和10年)には、中原中也らと詩誌『歴程』を創刊する。

1938年(昭和13年)2月から4月まで、『帝都日日新聞』の記者として満州・中国に渡りそのときの模様を『支那転々』にまとめている(なお、同時期の日記は現存しない。また南京陥落の1937年12月には南京には滞在していない)。その後、南京に成立した汪兆銘の中華民国国民政府の宣伝部長を務めていた大学の同窓生に誘われ、宣伝部顧問として終戦まで南京に滞在する。在中時代は、焼き鳥屋をやっていた経験を持ち、戦後日本に帰国した際にも「火の車」という焼き鳥店を経営していた。

1950年(昭和25年)には、「蛙の詩」によって、第1回読売文学賞を受賞。

1953年(昭和28年)、福島県川内村長福寺の住職矢内俊晃の招聘で同村平伏沼にモリアオガエルを見に行く。

1983年(昭和58年)、文化功労者。

1984年(昭和59年)7月、いわき市名誉市民となる。

1987年(昭和62年)には文化勲章を受章。

1988年(昭和63年)11月12日 没。

詩作品

初期の作品を除くと、ほとんどの詩において、文末に句点が用いられている。
そのかわりに読点はほとんど使われていない。
『第四の蛙』から『侏羅紀の果ての昨今』まで新仮名を採用していたが、それ以前と以後は旧仮名である。

「蛙の詩人」と俗に言われるほどに、生涯にわたって蛙をテーマとした詩を書きつづけた。
この分野では、蛙の鳴き声がさまざまなオノマトペで表現されている一方、いくつかの前衛的な試みが行われている。
たとえば「冬眠」を構成するのは黒丸1文字のみである。
また、「Nocturne. Moon and Frogs」「天気」などでは絵画的な手法が用いられている。

蛙について心平は『第百階級』のあとがきで「僕は蛙なんぞ愛してゐない!」と叫んだことがあった。
実際、蛙についての詩作をやめようと思ったこともあったと詩集『第四の蛙』の「覚え書I」にはある。
1948年(昭和23年)に『定本 蛙』を出したいきさつについて、「もう蛙も年貢の納めどきだろうから」と語っている。
しかしその後も心平は蛙の詩を書くことを止めなかった。

『第四の蛙』の最初の後書きである「覚え書I」は1961年(昭和36年)1月に書かれた。
すぐに出版されたわけでなく、蛙に関する詩を作り続けた結果、同年10月に「覚え書II」を残すことになる。
詩集では、最初の覚え書と2番目の間に8篇の詩が書かれている。
その後も蛙の作品をいくつか作り、結局、「覚え書III」「覚え書IV」を入れて、ようやく1964年(昭和39年)に出版された。
出版によって「一応の終結」(「覚え書IV」)をみせたと語りながら、「III」の中では再び蛙の作品を書きたくなったと告白している。
「IV」においては、蛙の詩に「終り」をつけようとしながら、一方で「蛙に関する詩がこれで終ったとは言い切れないような気がする」とも書いている。
そして、蛙のモチーフはこの後、『こわれたオルガン』や『太陽は東からあがる』などにも現れ、最後の詩集『自問他問』にも2編の詩がある。
「かへるのコはかへる」「性・性」である。

心平が蛙と同様、生涯にわたって追い求めた「富士山」は、やはり最後の詩集にも登場する。
「何何富士」という詩では、富士山が唯一無二であるという前提の下、「富士」という名のつく山を皮肉りながらも、それぞれの山の美しさや独自性などを讃美しようとする。

心平の詩(特に蛙もの)はいくつも曲がつけられている。
例えば「蛇祭り行進」(『第百階級』)は、清瀬保二、多田武彦、堀悦子、南弘明によって男声合唱曲にされ、いずれも出版されている。
「蛙の声明(しょうみょう)」(『こわれたオルガン』)という詩は、石井眞木によって、実際に声明化された。
心平は、詩人と作曲家の共同によって、新しい歌曲を生み出そうとする音楽グループ「ランディの会」に参加していたことがあり、自身の詩の音楽化に関心を持っていた詩人の1人である。
清水脩の「蛙の歌」はここで発表されている。
1992年に三木稔が作曲したフォークオペラ「よみがえる」は、心平のさまざまな詩を素材に、ふじたあさやが物語として構成したものであり、登場人(ではなく蛙)物の「ごびらっふ」「ぐりま」「るるる」などは原作にも登場している。

(注: 赤字はデンマンが強調。
写真はデンマン・ライブラリーより)




出典:
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




なるほどなァ〜。。。蛙にこだわった詩人なのやなァ〜。。。



そうですねん。。。冒頭に、あんさんが取り上げた詩の蛙の鳴き声がいかにも独創的でええねん。

そうやなァ。。。わても蛙の鳴き声が軽快で面白いと思うたでぇ〜。。。

草野心平さんが蛙になって、蛙の目で春の様子を見てますねん。 「いぬのふぐり」から大きな雲へと目線を動かしてゆく。 なんとのう春の気(け)だるい様子が伝わってくるようではおまへんか!

そうやなァ〜。。。

。。。で、あんさんは「いぬのふぐり」という言葉に衝撃を受けてこの記事を書く気になりはったん?

ちゃうねん。。。わては冒頭の詩を読んで、めれちゃんの短歌を思い出したのやがなァ。

どの短歌のことをあんさんは言うてるの?

次の短歌やんかァ。


春待つ





冬の陽の

照らす立木に

枯れ葉なく

春待つ木の芽

風に凍える

 
 
by めれんげ

2010.01.16 Saturday 21:57




『即興の詩 春待つ』より

『春を待つ女』に掲載
(2010年1月19日)




どないな訳で上の短歌があんさんのオツムに浮かんできやはったん?



あのなァ〜、わては次の小文を読んで、詩人である中年女性とめれちゃんが重なったのやないかいなァ。


志集



2008年12月のある晩、東京にある別のターミナル駅前で中年女性を見かけたのだが、慌しい人ごみの中、女性は歩道橋下の柱の前に静かに立ち、「私の志集を買ってください」と書いた、汚れた広告板を手にして、詩集を1冊300円で売っていた。

彼女を見てびっくりしたのは、東京でも路上で詩集を売る人が珍しいからではない。 四半世紀前に、私がその駅を使って日本語学校に通っていた時に、同じ女性が同じ広告板を持って同じ落ち着いた顔つきで詩集を売っていたからである。 当時、彼女の詩集を何回も買おうと思ったが、勇気は出なかった。

しかし、年をとるメリットの一つは、知らない人に話しかけようとすると怖じ気づく気持ちが減っていくことである。 今回は躊躇なく彼女の「志集」を買った。 謄写版のような簡易印刷で刷られ、手作業によりホッチキスで止めたようなその小冊子は、もう第40号に達していた。

その晩は帰りの電車で、また次の日以降は大学の研究室で何回も詩集を読み返して、その詩人のことを思い返した。 この25年間、その駅の周辺は再開発と再々開発ですっかり様子が変わったのに、彼女がそこで自分の言葉を都会人に提供し続けていることは感慨無量である。

(注: 写真はデンマン・ライブラリーより
赤字はデンマンが強調)




150ページ 『英語のあや』
著者: トム・ガリー(Tom Gally)
2010年10月25日 初版発行
発行所: 株式会社 研究社

『共感脳の話(2011年6月3日)』に掲載




あんさん!。。。わたしはまだそれ程、年を重ねてませんのやでぇ〜。。。



分かってるやんかァ。。。わてが感動したのんは、20年以上も詩を書き続けながら同じ駅前に佇(たたず)んで“志集”を売っているということやァ。。。しかも、その詩人のことを覚えていて、25年後に初めてその詩人の“志集”を買ったというエピソードや。 なんとのう心にジ〜ンとくるものがあったのやァ。

それと、わたしの上の短歌が関係あると、あんさんは言わはるの?

そうや。。。わては、めれちゃんの短歌を読んで、かつて次のようなことを書いたのやでぇ〜。。。




久しぶりに めれちゃんにメッセージを送るでぇ〜

\(*^_^*)/ キャハハハ。。。

写真でメッセージを伝えると言うのは、めちゃ難しいと思うでぇ〜
詩や短歌でも、思うことを読む人に伝えると言うのは、かなり難しい。
作者の主観が、読み手に半分でも伝われば いい方かもしれへん。

写真は、読み手の主観や感性に訴える。
だから、写真を見た人がコメントを書くと、その人の
美的感覚、感性がマジでよく表れてしまう。

「春待つ」に添えられていた めれちゃんのヌード写真は、わては実に素晴らしいと思うでぇ〜。。。

どこが素晴らしいのか?

1) 春待つ木の芽 風に凍える

めれちゃんが 春待つ木の芽になって 風に凍えているのやがなァ〜
きゃはははは。。。

2) つまり、めれちゃんの写真は

「春待つ」の短歌と

コラボレーションに

なっておるのやがなァ〜。


それに、次の短歌の続きになっておるのやでぇ〜。


空白の時間





この時間

空白となって

過ぎてゆく

何かを願って

きみを待つのみ

 
 
by めれんげ

2010.01.15 Friday 09:38




『即興の詩 空白の時間』より

『春を待つ女』に掲載
(2010年1月19日)


きみを待つ。。。春を待つ。。。
きゃはははは。。。
めれちゃんの写真は、きみを待つ。。。春を待つポーズなんやでぇ〜。
ええなあああァ〜!

3) 『即興の詩』のテーマに

沿った写真やでぇ〜


つまり、「めれんげの恋の詩と短歌。
そしてちょっとセクシーな画像。
どうぞ!お楽しみくださいね!」
まさに、このテーマに沿った写真なのやがなァ〜。

4) 夢とロマンを感じさせる

ポーズになっている。


わては、すぐに安子さんのポーズを思い出したでぇ〜。



『三姉妹(2010年1月8日)』

安子さんの素晴らしいポーズから、わてはデッサンしたけれど、
まさに、その時の夢とロマンを感じさせてくれたのやがなァ〜

\(^δ^)/ キャハハハ。。。

ええなあああァ〜!

5) アイデンティティ〜を

晒さないぎりぎりのところで

詩的心情を写真に込めている。


たとえば、春を待つ。。。きみを待つ、のように。。。
きゃはははは。。。

ところが、ネットには成りすまし馬鹿のような愚劣な男がたくさん居る!

「春待つ」にコメントを描いた“あずさ”と名乗る男も
そのような愚劣な男の一人やがなァ!




はじめまして。
初めて読んでます。時間をかけてゆっくりと。
めれんげさんって欲求不満なのでしょうか?
なんとなくそういう雰囲気がしますね。
自分の性欲を赤裸々に書かれた文章を期待しています(^^)。
人の心に訴えるようなすごく露骨に出して欲しいです。

例えば、男が欲しいとか、チ○○にむしゃぶりつきたいっていうような。
凄く具体的にグロテスクに。
体験を書かれても素敵ですよ。

めれんげさんの興味は、男の身体でしょ?
そういうのが詩に現れてる気がします。
綺麗ごとのオブラートを破り捨てて欲しい。
 
by あずさ

2010/01/17 3:20 PM

『即興の詩 春待つ』のコメント欄より


この愚劣な「あずさ」と名乗る男は、止せばいいのに5分後に
「しあわせがふえてゆく」という詩に、次のような愚劣なコメントを書いた。




エッチをしてる詩?
抽象的に書いてるけど、エッチしてることを想像してるね。
めれんげさんの頭には、エッチがかなりしめてるね(笑)

by (゜口゜;)うっ・・・・

2010/01/17 3:25 PM

『即興の詩 しあわせがふえてゆく』
コメント欄より


めれちゃんにも、この愚劣な男の正体が分かったと見えて、次のように書いている。




えーっと。
ipアドレスで、わかるんですよ。

by めれんげ

2010/01/17 8:51 PM

『即興の詩 しあわせがふえてゆく』
コメント欄より


めれちゃんが、ちょっとセクシーな詩的なヌードを披露すると、
「あずさ」のような愚劣な男が、必ずやって来るものやァ。

\(^Д^)/ ギャハハハハ。。。

でも、めれちゃん!頑張ってね。
ただし、小学校や中学校のPTAの会長や副会長のオジタリアンやオバタリアンがしゃしゃり出てくると、削除される恐れがあるでぇ〜

/( ̄Д ̄;)\ きゃはははは。。。

そやから、きいつけなァ〜
じゃあねぇ〜。

デンマン

バンクーバー時間:
2010年1月18日 月曜日 午後6時18分




『春を待つ裸女』より
(2010年1月21日)




。。。で、あんさんは、結局、何が言いたいねん?



そやから懐かしかったのやがなァ。。。ちょうど、上のエピソードで25年ぶりに駅前で中年の詩人に出会(でお)うたような懐かしさをわても感じたのやがなァ。

。。。で、その事が言いたくて、あんさんは長々と引用しやはったん?

ちゃうがなァ〜。。。それだけではあらへん。

他に何が言いたいねん?

春を待つめれちゃんの心から、めれちゃんの幸せと愛に触れたように思うたのや。 つまり、男と女の情愛や人生の機微(きび)に触れて短歌や詩や手記を書いているめれちゃんの姿が思い浮かんだというわけやァ。


愛する人と…





しあわせって、

愛する人がいると

何倍にも増える気がします。

それが個人的なことであっても…

 
 
by めれんげ

2010/01/16 9:24 PM




『即興の詩 しあわせがふえてゆく』
のコメント欄より

『春を待つ女』に掲載
(2010年1月19日)

 


この上の言葉がそれ程、あんさんにとって印象的やったのォ〜?



そうやァ〜。。。草野心平さんの「かえる」はめれちゃんの短歌や詩の中では「愛する人」になって「けるるん くっく。 けるるん くっく」といって鳴いてるねん。 うししししし。。。


【レンゲの独り言】



ですってぇ~。。。
なんだか、かな〜り、こじつけたようなオチになっていますけれど分かるような気がしますわ。

それにしても、マスコミや文壇に認められることも願わずに、せっせと20年以上も詩を書き続けて「志集」を駅前で売っている女性には頭が下がります。

「マスコミや文壇に認められることがなくても、

きっと分かってくれる人がいるに違いない」


たぶん、そう思いながら、せっせと詩を詠んで共感する人に「志集」を売っているのでしょうね。
しかも、その詩人のことを忘れずにいた人が実際に居たのです。
20年以上経っているのに同じ人が駅前に立て居るのを見て、1冊の「志集」を買う人。

売る人、そして買う人の心の糸が結び合わされたような、ほのぼのとしたものを感じます。
あなたは、どう思われましたか?

とにかく、次回も面白くなりそうですわ。
あなたもどうか、またあさって読みに戻ってきてくださいね。
では、また。。。






ィ〜ハァ〜♪〜!

メチャ面白い、

ためになる関連記事





■ 『きれいになったと感じさせる

下着・ランジェリーを見つけませんか?』


■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

■ 『面白くて楽しいレンゲ物語』



■ 『カナダのバーナビーと軽井沢に

別荘を持つことを夢見る小百合さんの物語』


■ 『今すぐに役立つホットな情報』

■ 『 ○ 笑う者には福が来る ○ 』



『夢とロマンの横浜散歩』

『愛とロマンの小包』

『下つきだねって言われて…』



『銀幕の愛』



『パリの空の下で』

『夢の中華パン』

『愛の進化論』

『漫画家と平和(2011年3月6日)』



『漫画家の壁(2011年3月10日)』

『漫画家と奴隷(2011年3月12日)』

『畳の上の水練(2011年3月15日)』



『パール判事とゴーマン(2011年3月18日)』

『軍隊のない国(2011年3月21日)』

『士風と「葉隠」(2011年3月23日)』

『アナクロニズム(2011年3月27日)』





こんにちは。ジューンです。

次のような川柳に出くわしました。




大好きよ 

叫んでいます 

心では  

(肩重い)


分かりますよねぇ〜

この“肩重い”さんと言う名前は、

もちろん“片思い”に引っ掛けた

名前ですよね。

川柳にふさわしい、

ウィットにとんだ名前だと思いました。

こういうところが、

いかにも日本語らしいと感じます。

片思いも、思いやりがあれば、

やがては実を結ぶものだと

私は信じているのですよ。

あなたは、どう思いますか?

ところで、英語の面白い話を集めました。

時間があったら覗いてみてくださいね。

■ 『あなたのための愉快で面白い英語』

では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょう。

じゃあね。





2011年06月23日

怒りの柿本人麻呂(PART 1)

 
怒りの柿本人麻呂(PART 1)

 



人麿が見た「かぎろい」とは何か

『万葉集』巻(まき)1の48番に柿本人麿(かきのもとひとまろ)の有名な「かぎろい」の歌がある。

東(ひむがし)の

野に炎(かぎろひ)の

立つ見えて

かへり見すれば

月傾(かたぶ)きぬ


歌意は「東方の野には曙(あけぼの)の光がさしそめるのが見えて西を振りかえると月が傾いて淡い光をたたえている」(『万葉集』日本古典文学大系、岩波書店)というものだ。 ここで「かぎろひ」は「曙の光」とあるが、人麿が見たのはどんな現象なのだろうか。



「かぎろい」は『古語辞典』(岩波書店)では、まず「揺れて光る意。 ヒは火。 炎」とあり、また「立ちのぼる水蒸気に光があたり、光がゆらめいて見えるもの」とし、「陽炎(かげろう)、地面が熱せられたときに見られる」の意をあげている。

さて日の出前には日中われわれがよく見る陽炎のようなものは出現しないので、「陽炎説」は成立しない。 「かぎろい」は万葉集では「炎」という字があてられていることに注目したい。 「かぎろい」にはこれまで天文学的に意味のある説が二つある。

その一つは、戦前、中山正実画伯が「かぎろい」にちなむ大作「阿騎野(あきの)の朝」を描くにあたってなされた考証にもとづくものである(中山説)。 それによれば柿本人麿の「かぎろひ体験」は、場所(東経135°.9、北緯34°.4)だけでなく、日時をも特定できるという驚くべき説で、持統天皇の朱鳥(しゅちょう)6年11月17日(ユリウス暦ではA.D.692年12月31日)、午前5時50分(日本標準時、日の出前約1時間)、月は望(満月)をわずかに過ぎて西の地平線の上10°の高さにあったという。 中山説はこのときの東の空の現象が「かぎろい」だとするものである。

もう一つは黄道光(こうどうこう)説である。 黄道光とは、太陽系の地球の公転軌道の付近に分布している固体微粒子が太陽光を受けて散乱しているものである。 この説を提唱している斉藤国治氏によれば、古天文学にもとづき、「かぎろひ」とは、季節は黄道光がもっとも見えやすい秋の朝とし、東の空に「舌」のような形で、日の出約1時間前に「立って見える炎状の光体」という形であらわれるというものである。

この二つの説はどちらも、主要点として「かぎろひ」は日の出前1時間の東の空の現象としているが、この日の出現象という一連の過程からみると、つぎのような疑問がわいてくる。 日の出前1時間というのは、日本列島の地理的位置を考慮すると、平均して太陽が地平線下12°にあるときということになる。 そのころ、東の空では薄明がはじまってはいるものの、よほど暗く、その色もせいぜい薄く青白いという程度で、当然ながら空全体が静かで何らの動きも感じられない。 また、黄道光も実際にはぼうっとした白っぽいもので、じっとしたまま動きもなく、日本のようにしめっぽい空ではそれを見分けることさえたやすくない。 まして「炎」ないしは「炎が立つ」というような強烈な印象には欠けるように思われる。

ここで私の「曙光説」を挙げてみたい。 私にとっての「かぎろひ」とは、太陽が地平線下約8°から6°にあるあいだで、数分間持続する空の現象の動的過程である。 時間でいえば、日本の各地、季節を平均して、日の出前約40分から数分間ほどになる。 このとき、東の空では、地平線上にまさに暗黒の天と地を切り裂くように、鮮やかな赤い光の帯が真横にあらわれる。 その上に橙色や黄色の帯がつづく。 光の帯はみるみる発達して、その幅も明るさも増し、さらに空気が澄んでいるときには、東の空高く、のし上がるように高度にして50°ぐらいにもおよぶ明るい大きな円形の発光が見えることがある。 その色は透明な赤橙色ないしはサーモン・ピンクで、まさに「炎」ないしは「炎が立つ」というのはこういう光景を指すのではないかと思われる。 「かぎろい」の歌には、火のようにゆれた燃え輝くものに直面したときに湧きいでる歓喜の心情が率直に歌われていると思う。 日の出前40分ころの東の空で一瞬一瞬にあらわれる劇的な変化こそ、それにこたえうるものと思う。

(注: 赤字はデンマンが強調
写真と地図はデンマン・ライブラリーより)




17 - 19ページ 『空の色と光の図鑑』
著者: 斉藤文一・武田康男
2002年8月1日 第8刷発行
発行所: 株式会社 草思社




デンマンさん。。。どうして柿本人麻呂などを取り上げたのですか?


 
小百合さんは興味がありませんか?

名前を聞いたことはありますけれど、なにぶんにも私は短歌や長歌や詩に、あまり関心がないのですわ。

柿本人麻呂に関心がなくても、上の文章を読めば、「かぎろい」が一体どういうものなのか? ちょっと興味が湧いてきませんか?

そうですわね。。。でも、日の出前の東の空の模様でしょう?

確かにそうなのだけれど、実際にどのような光景なのか知りたくないですか?

知ってどうするのですか?

いや。。。知って、ああするとか、こうするとか、お金が儲かるとか。。。そういう事ではなくて。。。、何と言うか?。。。知的な関心ですよ。 小百合さんだって興味が全く無い訳ではないでしょう?

デンマンさんは、何が何でも私に興味を持たせようとするのですわね。

あのねぇ〜、せっかく柿本人麻呂を取り上げて格調高く飛鳥時代の和歌を取り上げたのですよ。 小百合さんは軽井沢タリアセン夫人として吉永小百合さんよりも格調高いのですよ。 うししししし。。。

つまり、私のために格調高い話題を取り上げたと、デンマンさんはおっしゃるのですか?

そうですよ。。。それなのに、小百合さんが「あまり関心が無いですわ」と言ったら、僕の立場がなくなるでしょう!? そうは思いませんか?

デンマンさんが勝手に私を「軽井沢タリアセン夫人」にしてしまったのですわ。





あのねぇ〜、例え、そうだとしても、すでにネットの世界では小百合さんは「軽井沢タリアセン夫人」として有名なのですよ。



まさか。。。?

まさかじゃないですよ。 マジで有名なのですよ。 その証拠にGOOGLEで検索してみれば、次のような結果になるのですよ。



『軽井沢タリアセン夫人』検索結果



でも、これはデンマンさんがムキになって「軽井沢タリアセン夫人」の記事を書いたからですわ。。。上のリストに表示されたページは、ほとんどがデンマンさんが書いた記事なのですわよ。



やだなあああァ〜。。。いくらなんでも、18,700件もの記事を僕だけでは書けませんよ!

他に誰が書いているのですか?

だから、「軽井沢タリアセン夫人」がネットの世界で有名になったので他のブログにも引用されているのですよ。

マジで。。。?

小百合さんは僕の言うことを信用しないのですか?

信用しないわけではありませんけれど、この記事を読んでいる日本語が分かる世界のネット市民の皆様が信用しませんわ。

小百合さんがそれ程言うのならば証拠を見せますよ。 たとえば次のブログに「軽井沢タリアセン夫人」が紹介されているのですよ。





『ロンドンの軽井沢タリアセン夫人』



でも、これは自動的に“軽井沢タリアセン”で検索して、その結果に、たまたま「軽井沢タリアセン夫人」の記事が表示されたのですわ。 それで自動記事作成プログラムが、デンマンさんの記事のタイトルと概要をページに載せたのですわ。



あれっ。。。小百合さんは、関心がなさそうでいて、結構ネットに詳しいじゃありませんかァ!?

とにかく、「軽井沢タリアセン夫人」はデンマンさんがおっしゃるほど有名ではないのですわ。

あのねぇ〜、有名じゃないとしても、小百合さんの心の問題ですよ。

私の心に問題があるのですか?

もちろんですよ。。。「軽井沢タリアセン夫人」は新宿の西口や、原宿や、秋葉にたむろしているミーちゃんハーちゃんではないのですよ。 格調高いのですよ。 なにしろ“上流夫人”をイメージしたような姿でサロンに立って微笑しているのですからね。。。うししししし。。。





分かるでしょう?。。。この写真の中の軽井沢タリアセン夫人が「柿本人麻呂」にも「かぎろい」にも関心ありませんわ、と言ったら、新宿の西口や、原宿や、秋葉にたむろしているミーちゃんハーちゃんと変わりが無いのですよ。 それでは困るのですよ。



どうしてですか?

あのねぇ〜。。。小百合さんはネットの世界で有名になってしまったのですよ。

だから、それはデンマンさんがムキになって勝手にネットの世界でコラージュした幻(まぼろし)の女なのですわ。

小百合さんは意外にロマンチックではないのですね?

私は現実的な女ですわ。。。で、いったいデンマンさんは私に何を言わせようとなさるのですか?

いや。。。別に何を言わせようとしている訳でもないのですよ。 ただねぇ〜、「柿本人麻呂」にも「かぎろい」にも関心が無いと、小百合さんが言うと僕の立場が無いのですよ。 だから僕はクドクドと御託(ごたく)を並べているのですよ。 うへへへへへ。。。

。。。で、デンマンさんは何がおっしゃりたいのですか?

次の画像を見てくださいよ。





これが僕がイメージしている「かぎろい」ですよ。



つまり、この事が言いたくて、これまでクダクダと御託を並べてきたのですか?

いや。。。もちろん、それだけではありませんよ。 次の歌ですよ。

東(ひむがし)の

野に炎(かぎろひ)の

立つ見えて

かへり見すれば

月傾(かたぶ)きぬ


この歌が、どうだとおっしゃるのですか?

『万葉集』日本古典文学大系によると、上の歌の意味は次のようだと書いてある。



東方の野には

曙(あけぼの)の光が

さしそめるのが見えて

西を振りかえると

月が傾いて

淡い光をたたえている




デンマンさんは、この歌の解釈が気に喰わないのですか?



いや。。。人麿の歌の意味を表面的に解釈すれば、確かに上のような意味になるでしょう。 でもねぇ、はっきり言って、このような和歌ならば誰にだって詠めるのですよ。 僕は初めて上の歌を見たときから、この歌が『万葉集』に取り上げられる程に素晴らしい和歌だとはどうしても思えなかった。 小百合さんはどうですか?

私はもともと和歌には関心が極めて薄いので『万葉集』のことはほとんど知らないのですわ。 うふふふふふ。。。

やだなあああァ〜。。。このような時に「うふふふふふ。。。」と言って笑って済まさないでくださいよ。 日本人のミーちゃん、ハーちゃんが国際的に一番嫌われる悪い癖ですよ。

でも、マジで上の和歌が良いものとも、ダサいものとも私には分かりませんわ。

あのねぇ〜。。。、冷静になって考えてみてくださいよ。 上の和歌が素晴らしいなんて思う人は、まず居ないと思うのですよ。
 もう一度上の和歌の意味を読んでみてください。


東方の野には

曙(あけぼの)の光が

さしそめるのが見えて

西を振りかえると

月が傾いて

淡い光をたたえている


何度読んでみても、とりわけ心が揺さぶられるような素晴らしい歌ではないのですよ。

それはデンマンさんの個人的な意見ですわ。

あのねぇ〜、小百合さんも、もう一度マジで読んでみてくださいよ。 いったい、どこに『万葉集』に載せるほどの魅力があると言うのですか?

だから。。。いいと思った人が昔に居たのですわ。

でもねぇ、その良さを『万葉集』日本古典文学大系を書いた人は全く理解してないのですよ。 だから、月並みな説明をしているだけ。。。 しかも「東方の野に 曙の光が見えて 西を振りかえると 月が傾いて淡い光をたたえている」というような、正に月並みなことしか書いてない。 バカバカしい! こんなバカバカしいことしか書けないから、日本のミーちゃんハーちゃんは万葉集など読まないのですよ。

デンマンさんは、なんだか上の和歌の本当の素晴らしい意味が分かっているようなことを言ってますわね?

そうですよ。。。僕は上の和歌の真意を理解しているのですよ。

マジで。。。?

このような時に冗談やウソが言えますか!?
 
分かりましたわ。 それで、その真意って一体どのようなものなのですか?

あのねぇ〜、それを説明するには、ちょとばかり歴史を知らないと理解できないのですよ。 小百合さんのためにここに書き出しますから読んでみてね。


高市皇子(たけちのみこ)

生年:654年(白雉5年)?
没年:696年8月13日(持統天皇10年7月10日)

日本の飛鳥時代の人物で、天武天皇の皇子(長男)である。
後皇子尊(のちのみこのみこと)と尊称される。

672年の壬申の乱勃発時、高市皇子は近江大津京にあり、挙兵を知って脱出し父に合流した。
若年であったが美濃国の不破で軍事の全権を委ねられ、乱に勝利した。

679年に天武天皇の下で吉野の盟約に加わり、兄弟の協力を誓った。
この後には他の皇子とともにしばしば弔問に遣わされた。
686年に持統天皇が即位すると、太政大臣になり、以後は天皇・皇太子を除く皇族・臣下の最高位になった。

天武天皇の第一皇子で、胸形尼子娘を母とする。
母の父は胸形君徳善である。
正妃は天智天皇皇女御名部皇女(元明天皇の同母姉)で、この間の子が長屋王である。
他に子供は鈴鹿王、河内女王、山形女王。
また万葉集によれば異母妹但馬皇女が邸内にいたという。
これが事実とすると但馬皇女は高市皇子の妻または養女であった可能性がある。
また、異母姉で弘文天皇妃の十市皇女が急死した際に情熱的な挽歌を詠んだために、十市皇女に対して好意を抱いていた(または、恋人、夫婦であった)のではないかとの説もある。

壬申の乱

大海人皇子は高市皇子に、「近江朝では、左右大臣と智謀の群臣が一緒に議を定めている。今朕はともに事を計る者がない。幼少の子供がいるだけだ。どうしたものか」と言った。
高市皇子は腕まくりをして剣を握りしめ、「近江の群臣は多いといえども、どうして天皇の霊に逆らえますか。天皇独りであっても、ここに臣高市、神祇の霊を頼り、天皇の命を請け、諸将を率いて征討します。これをどうやって防げましょうか。」と答えた。
大海人皇子は誉めて高市の手をとり背を撫でて、「慎め、怠るな」といった。
そこで鞍馬を与え、軍事をすべて委ねた。

高市皇子は和蹔(わざみ)に帰り、大海人皇子は野上に行宮を作った。
和蹔は和蹔原(和射見が原)のことで、後の関ヶ原盆地を指す。
不破関はその西方の入り口、野上は東の端にある。
各地から来た大海人皇子の軍勢は、和蹔に集結して高市皇子に掌握されたと考えられる。

28日に大海人皇子は和蹔に出向いて軍事を検校して帰った。
29日にも和蹔に行き、高市皇子に命令を与え、軍衆に号令して、また野上に帰った。
日付は不明だが、6月末か7月初めに、敵の小部隊が玉倉部邑を衝いたが、出雲狛が撃退した。

7月2日、大海人皇子はそれぞれ数万の二つの軍を送り出した。
一方は伊勢から倭(大和)に向かって大伴吹負軍の増援となり、もう一方は不破から出て近江に直に入った。
これ以後の戦闘で、高市皇子の名は見えない。
近江進攻軍とともにあり、指揮の実際は諸将に委ねたとみるのが自然だが、なお和蹔にあってさらに遠方から来る軍を受け入れたとみることも不可能ではない。

7月23日に大友皇子(弘文天皇)が自殺したことで、壬申の乱は終わった。
8月25日に、大海人皇子は高市皇子に命じて、近江の群臣を処罰させた。

天武天皇の時代

乱の終結した直後、高市皇子を除く他の皇子たちはまだ幼く(最年長の忍壁皇子でも10歳前後)、天武天皇の皇親政治のもと、高市皇子が重要なポストを占めていたことは間違いないだろう。
『日本書紀』天武天皇4年(675年)11月4日の条には既に、高市皇子より以下、小錦より以上の大夫らに衣、袴、褶、腰帯、脚帯、机、杖を賜う」とある。この時点で皇族・臣下の序列としては既に最高位だったのかもしれない。

天武天皇8年(679年)5月6日に、天皇、皇后(持統天皇)、草壁皇子、大津皇子、高市皇子、川島皇子、忍壁皇子、志貴皇子は、吉野宮で互いに助け合うことを約束した(吉野の盟約)。
10日に六皇子が大殿の前で天皇を拝した。
天武天皇が自らの死後に壬申の乱のような皇位継承争いが起こることを恐れたためとされる。

この頃から高市皇子は天武天皇の皇子の中で3番目とされるようになった。

皇女を母にもつ草壁皇子、大津皇子に次ぐ。
母親の身分による序列では10人中8番目。

太政大臣

天武天皇が亡くなった直後、皇太子につぐ皇位継承資格を持つと見られていた大津皇子が謀反の罪で死刑になった。
続いて皇太子の草壁皇子が持統天皇3年(689年)4月13日に薨去した。
そのためそれまで天武天皇の皇后として政務を執っていた鸕野讚良皇女が翌年(690年)1月1日に即位した。持統天皇である。
この年の7月5日に全面的な人事異動があり、高市皇子は太政大臣に任命された。このときから薨去まで、高市皇子は皇族・臣下の筆頭として重きをなし、持統政権を支えた。

持統天皇4年(690年)10月29日、高市皇子は多数の官人を引き連れて藤原宮の予定地を視察した。

持統天皇5年(691年)1月13日、高市皇子の封が2000戸を増し、前のとあわせて3000戸になった。持統天皇5年(691年)1月4日、高市皇子の封が2000戸を増し、前のとあわせて5000戸になった。

持統天皇7年(693年)1月2日に浄広壱の位に進んだ。

持統天皇10年(696年)7月10日薨去。『延喜式』諸陵によれば墓は「三立岡墓」で、大和国広瀬郡にあり、東西6町南北4町で守戸はなし。だが、高松塚古墳の被葬者を高市皇子とする説もある。

挽歌

万葉集巻第2の199〜202番に柿本人麻呂作の高市皇子への、万葉集中最長の壮大な挽歌が収められている。



ここに「高市皇子尊」「後皇子尊」と尊称されている。
この尊称から高市皇子が立太子されていたのではないかとの説がある。
また柿本人麻呂がこれほど壮大な挽歌を寄せていることから、この2人は親交があったのではないかと言われている。

高市天皇説

上記の挽歌、高市皇子の長男・長屋王の邸宅跡から発見された「長屋親王宮鮑大贄十編」の木簡、政治情勢、壬申の乱における功績、母の実家の勢力、莫大な資産などから彼が天皇であったという説もあるが、はっきりとはしていない。(参考:九州王朝説)

高市皇子の歌

•万葉集巻第2 156〜158番(高市皇子作の十市皇女への挽歌)
自作の歌はこの3首のみ

(注: 赤字はデンマンが強調
写真はデンマン・ライブラリーより)




出典:
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




つまり、上の和歌の本当の意味と高市皇子が関係しているのですか?



もちろんです。 だから高市皇子の略歴を持ち出したのですよ。

もしかしてデンマンさんは高市皇子が天皇になっていたと考えているのではありませんか?

確かに、そのような説があるのですよ。 上の略歴を読んでも天武天皇の子供の中では「壬申の乱」で高市皇子が一番活躍したのですよ。 だから、天皇になっていたとしても不思議じゃなかった。

天武天皇の長男だったのに、どうして天皇になれなかったのですか?

高市皇子のお母さんが天皇の娘ではなかったからですよ。 母親の身分による序列では10人中8番目だった。 でも、実力はナンバーワンだった。

それで柿本人麻呂が高市皇子を尊敬していたのですか?

そうですよ。 だからこそ、万葉集の中で最長の挽歌を高市皇子のために柿本人麻呂が詠んだのですよ。 つまりねぇ、高市皇子を天皇にしたいと思っていた人がかなり居たということですよ。

実力主義でなかったので高市皇子が天皇になれなかったのですわね?

いや。。。そう言う訳でもない。 実際、天武天皇が天皇になたのは「壬申の乱」というクーデターによって天智天皇の長男である大友皇子を破って天皇になったのですよ。 要するに実力によって天皇になったということですよ。 だから、高市皇子が天皇になっても不思議じゃなかったのですよ。

でも、そうならなかったのはなぜですか?

天武天皇の第一夫人の力が強かったのですよ。 現在で言えばクリントン夫人のようなものです。

クリントン夫人って、それほど実力があるのですか?

クリントンが大統領になたのもクリントン夫人がついていたからですよ。 夫人が居なかったらまず大統領にはなれなかった。

。。。で天武天皇の第一夫人って誰ですか?

天武天皇のすぐ後で持統天皇になった鸕野讚良皇女ですよ。

つまり、クリントン夫人のような、でしゃばっている夫人が居たために高市皇子は天皇になれなかったのですか?

そのとおりですよ。 持統天皇は自分の子供に天皇になって欲しかった。 だから、自分の子供が天皇になる間だけ自分が天皇になって時間稼ぎをしたというわけですよ。

つまり、その間に柿本人麻呂を含めたグループが高市皇子を天皇にしようという動きがあったのですか?

その通りです。

でも、失敗してしまったのですか?

その通りですよ。

どうしてデンマンさんは、そうだと思うのですか?

あのねぇ、そういう動きに参加していたために柿本人麻呂は持統天皇に睨(にら)まれて左遷され、一生を棒に振ってしまったのですよ。

マジで。。。?

もちろんですよ。 柿本人麻呂の略歴を読んでみてください。

 (すぐ下のページへ続く)

2011年06月18日

レオナルドのADHD

 
レオナルドのADHD


 
 

注意欠陥移動性障害(ADHD)

レオナルドは膨大な偉業の数々を残しているが、その数に匹敵するほどの苦悩や奇異な側面をもっていたことも忘れてはならない。 彼は際限のない情熱、比類のない独創性、超越的な意欲をもっている一方で、非常に変わった人格の持ち主であったのだ。 知れば知るほど、いろいろな矛盾と皮肉が見えてくる。 しかし、これらの矛盾の原因について論じたり、彼が偉業のどこまでを意図的になしとげ、どこからは偶然だったのかを推理したりすることは、結局は憶測にすぎない。

 (中略)

締め切りを守らないという困った側面についてだが、彼の移ろいやすい集中力とひっきりなしに新しい活動へ没頭する傾向は、注意欠陥移動性障害(ADHD)の一種によるものだったのだろうか。
それとも単に限られた寿命で多すぎる数の構想を実現させようとしただけなのか。 一般的には、特定の現象にレッテルを貼ると実際よりも単純化されて理解が浅はかになってしまうものだが、レオナルドの行動に短絡的な原因を見いだして説明しようとすること自体、愚の骨頂だといえよう。

 (中略)

レオナルドの人生は、ある瞬間は荘厳な美しさと力強さの吹きこまれた絵画を制作していたかと思えば、次の瞬間にはがらりと変わって川の流れを観察したり、多面体の幾何学を研究したり、人や動物の解剖を行ったり、人の飛翔に思いをめぐらせたり、ぜんまい仕掛けの自動車の構想を練ったり、そして気がつくと再び奇跡的な芸術傑作をつくているというように、まるで万華鏡のようなめまぐるしい変化が常であった。 その負の遺産として、手厚く庇護してくれたパトロンでさえあきれてしまうほど、未完成のまま放置されたプロジェクトも数多い。
あわただしく多様な活動に次々と没頭したレオナルドの活動様式こそが彼の真骨頂である。

 (中略)

レオナルドの取り組んだすべての活動は共益関係にあり、たがいの相乗効果によって高め合っていたのである。 彼のあらゆる創造的活動のなかから、彼の個人としての成長をうかがい知ることもできるが、同時に彼がさまざまな「頭の体操」を自分に課して意図的に成長を促そうと努力していた様子も見受けられる。 「無学の人」であたレオナルドは、己を向上させようと苦労を重ねる独学者の姿勢そのままに、知らない単語にでくわすと、あとで調べるためにそれをノートに書き続けたのである。

 (中略)

レオナルドは絶えず物事のつながりを見いだすことにいそしんだ。 それを後押ししたのは、年齢を重ねてもまったく衰えを見せなかった子どものような飽くなき好奇心であった。 大人になっても好奇心が失せないという性格的な特徴は、ニュートンやアインシュタイン、そしてモーツァルトなど、それぞれの分野の最高峰で活躍した人たちの多くがもち合わせていたものである。



アインシュタインの「私たちが体験できる最も美しいものは、自分にとって謎めいていて神秘的な存在のものである。その神秘性こそがあらゆる真の芸術と科学の源である」という発言には、彼が生涯もち続けた好奇心が現れているといえよう。

(注: 赤字はデンマンが強調
写真はデンマン・ライブラリーより)




301 - 305ページ
『モナ・リザと数学』
著者: ビューレント・アータレイ
2006年5月1日 第1刷発行
発行所: (株)化学同人




デンマンさん。。。あんさんはレオナルド・ダ・ヴィンチがADHDを患っていたと思ってはるのォ〜?



上の文章を読むと、そんな気がしてくるねん。 めれちゃんもそう思わんか?

なんだか、嫌な予感がしてきますねん。

どないな訳で。。。?

あんさんは、わたしのことでかつてADHDの記事を書きましたやんかア。

めれちゃんは、よう覚えておるなァ〜。。。

どうせ、わたしのことをまた書きますのやろう?

あのなァ〜。。。レオナルド・ダ・ヴィンチがADHDを患っていた。。。そして、めれちゃんも過去にADHDを患っていた。。。つまり、それがレオナルド・ダ・ヴィンチとめれちゃんの共通点なのやがなァ〜。。。要するに、めれちゃんにもレオナルド・ダ・ヴィンチのような芸術的才能があるねん。

そんな事を言ったらADHDを患ってる人は、すべてレオナルド・ダ・ヴィンチのような芸術的才能を持っていることになりますやん。

わては、そこまで敷衍(ふえん)して言うつもりはないねん。 ただ、ADHDと芸術的な才能は、もしかすると関係があるのではないか? そう思うたのやァ。 めれちゃんも次のように書いてたやんかァ。


愛の行為に熱中するのは

わたしのADHDと

関係あるようです。


2007-03-09 04:29



わたしは境界性人格障害をほぼ克服しましたよ!
まだまだ、努力の余地は大いにありますが、
「もう、ボダとは呼ばせないわ!」って感じです。
そして、過去の自分の未熟さを痛感しています。

しかし...
検査の結果わかったのですが、
わたしは、幼児期からのADHD患者だということです。
あれって、治らないらしいんですよね...
でも脳の器質的疾患ですので、
わたしは現在、精神的にはいたって健全であります!

ADHDのおかげで、プラスになっていることもあります。
ある分野での、集中力と記憶力が
過剰なほどに突出しているそうです。

でも、困ることのほうが多いかなあ...
有名な「片付けられない」「飽きっぽい」など、
ADHDの典型的な症状も、
しっかり持ち合わせてますー(泣)

セックスがわたしにとって重要であるというのは、
性行為においては、注意力、集中力の持続がしやすい、ということにあるようなのです。

ADHDであるということが、判明する前からわたしは、本能的にそのことを、知っていたのかもしれませんね。
 
 
by レンゲ


ADHD (attention-deficit hyperactivity disorder) とは、注意欠陥/多動性障害のことで、注意力の障害と多動・衝動性を特徴とする行動の障害です。
具体的な症状としては 以下の症状があると言われています。

1) 注意障害  

注意が持続できない、必要なものをなくす、注意がそれやすい、毎日の活動を忘れてしまう、など

2) 多動性

手足をそわそわ動かす、離席が多い、走り回ったり高いところへ上がったりする、じっとしていない、しゃべりすぎる、など

3) 衝動性

質問が終わらないうちに答えてしまう、順番を待つことが苦手、他人にちょっかいを出す、など

これらの症状が少なくとも6か月以上続き、集団や家庭の中で、あるいは友達関係において不適応を起こしていて、まわりも本人も困り、生活上なんらかのサポートが必要な場合を指すといわれています。 しかし、もともと子どもは好奇心にあふれ行動的です。以上の状況だけで安易にADHDと診断されるものではありません。専門医によって診断されるものです。

SOURSE: 『東京都福祉保健局』


『愛と性とADHD』より
(2007年4月25日)




デンマンさん。。。このような手記を公開して欲しくないわ。



あのなァ〜、わてはめれちゃんのプライバシーを尊重しているでぇ〜。 そやけど、このような手記はADHDを患っている人の心の助けになると思うねん。

それで、わたしの意志に無関係に、こうして公開してしまうのォ〜?

めれちゃんの気持ちが分からんことはないねん。 そやけど、すでに2007年に上の手記は公開してるねん。

つまり、あんさんはわたしのADHDを蒸し返しやはるのォ〜?

いや。。。蒸し返すのではのうてADHDと芸術との関係を解き明かそうとしてるねん。

そやけど、レオナルドの芸術は「モナリザ」や「最後の晩餐」ですやろう。。。





つまり絵画ですやん。 わたしとは関係あらへんと思うわ。



どうして。。。?

そやかてぇ、レオナルドは詩や小説や散文を書いてへんでぇ〜。。。

それは、めれちゃんの独断と偏見というものやァ。 確かにレオナルドは小説を書いてへん。 そやけど、驚くほどの手稿を残しておるねん。 


レオナルドの手稿

国王に即位したばかりのフランソワ一世の招きで、1526年、レオナルドは二人の弟子を引きつれて人生最後の3年間を過ごすことになるアンボワーズへと旅だった。 このときの荷物のなかには、レオナルドが大事にしていた本のコレクション、《モナ・リザ》を含む2,3点の絵画、そしてはちきれそうなほど手書き原稿ををつめこんだ箱があった。 彼は生涯に 13,000枚から 14,000枚ほどの紙葉を書きつづったと推測されているが、現存するものはその3分の1以下である。



一部はミラノやフィレンツェに置き忘れた可能性もある。 しかし、レオナルドは当時「120冊の本を書く」という野望を語っていることから、おそらく大部分はフランスまでもっていったはずである。 これらの紙葉はノートとして綴られていたり、大ざっぱに束ねられていたりしたが、どれもレオナルドの思考の奥深さ、とくに科学・数学・技術への関心の幅広さを浮き彫りにする内容となっている。



また、彼が自然の本質に迫る疑問を見いだし、実験を的確に計画してそれを解決する才能に秀でていたことがありありと見てとれる。 さらに、科学研究に取り組むものにとって不可欠な「偏見のない柔軟な思考」と「知的な正直さ」を、彼は徹底して実践していたこともうかがえる。 レオナルドの探求に制限や限界はなく、彼の書き残した原稿は、それまでの科学と技術が到達しえなかった未開の領域の詳細な地図だといえる。

(注: 赤字はデンマンが強調
写真はデンマン・ライブラリーより)




301 - 305ページ
『モナ・リザと数学』
著者: ビューレント・アータレイ
2006年5月1日 第1刷発行
発行所: (株)化学同人




分かるやろう? こうして多数の手稿を残しておるねん。 レオナルドは当時「120冊の本を書く」という野望を持っていたのやでぇ。。。



。。。で、その事とわたしがどないな訳で関係していると、あんさんは言わはるのォ〜?

めれちゃんはレオナルドのように集中力とひっきりなしに新しい活動へ没頭する傾向があるねん。

その証拠でもあるのォ〜?

もちろんやァ。。。めれちゃんの作品と、わてとのやり取りをちょっと読んでみィ〜なァ。


くちづけ
 
 

 
 
罪深き

ことと知りつつ

この夜も

きみのくちづけ

もとめて止まぬ

 
  

 
 
by めれんげ
 
2009.01.14 Wednesday 14:21




『即興の詩 冬枯れ』より




 
う〜♪〜ん。。。
ええなあああぁ〜
北京ダックのご馳走を見て
ヨダレがたれてくるぐらいに
ええやんかあぁ〜〜



奥深いところにあって、
くすぶり続けている
めれちゃんの愛欲と情欲が
あふれてくるんやなあああぁ〜♪〜
あああぁ〜。。。悩ましいなあああぁ〜

しかも、めれちゃんのビキニ姿は
軽井沢のプリンスホテル・スキー場で
ビキニ姿でスノボする小百合さんに
匹敵するぐらいに、すっげぇ〜♪〜やないかいなぁ〜♪〜
うへへへへ。。。



めれちゃんのビキニ姿を見ると
わては南米のリオのカーニバルを思いだすでぇ〜
めれちゃんの情熱的な妖艶さと豊満さを感じるんやがなぁ〜
ほんに、悩ましいなあああぁ〜〜



短歌にも、ビキニ姿にも
表現者・めれちゃんの表現力が遺憾なく発揮されてるがなぁ〜
2009年は出だしから、めれちゃんは突っ走ってるでぇ〜〜
ええやんかぁ〜♪〜 
\(^Д^)/ギャハハハハ。。。。

めれちゃんのビキニ姿から
わては、しばらく目が離せなかったでぇ〜

この調子だと、年が明けるまでに
めれちゃんは子供を9人産んで
10年後には阪神タイガーズ・ジュニアの野球チームが作れるでぇ〜
うへへへへ。。。
すごいなあああぁ〜

でもなぁ〜、マジになって、
めれちゃんの短歌を
もう一度じっくりと読めば
現代版・源氏物語のエロい雰囲気が漂ってくるでぇ〜♪〜

罪深き

ことと知りつつ

この夜も

きみのくちづけ

もとめて止まぬ


そうやがなぁ〜。。。そうやがなぁ〜。。。
あの源氏物語の「六条の御息所(みやすどころ)」が思い出されてくるのやがなあああぁ〜
わてが『エロい女と六条の御息所』を書いたんは
もう2年前になるんやなあああぁ〜
月日の経つのは、ホンに、早いなあああぁ〜
めれちゃんと仲直りしたのは2006年のクリスマスやったなああぁ〜。
懐かしいなあああぁ〜

めれちゃんとの付き合いも2004年の7月に初めて出会ってからやから
2009年に入って、足掛け6年にもなるんやなあああぁ〜
うん、うん、うん。。。感慨深いなあああぁ〜

ところで、2007年の1月19日に、
わては次のような事を書いてたんやでぇ〜





六条の御息所は
光源氏の初めての恋人。
年上の教養ある女性です。

気位の高い彼女は
源氏の心が自分から
離れそうになると、
自分の方から身を引きます。

でも、心の中では
光源氏への思いを断ちがたく、
生霊(いきすだま)となり、
源氏の正妻「葵の上」を
とり殺してしまいます。

六条の御息所は
それ程の激しい愛情で
光源氏を愛していたのでしょう。

平安の昔、
家柄が高く、
やんごとなき貴家ともなれば、
女児は未通で嫁入りする事が
絶対条件でした。
男児は元服が筆おろしの
目安だったようです。

その“筆おろし”ですが、
天皇や将軍などの場合だと、
その介添えをするのは乳母
の場合が多かったと
言われています。

乳母といっても
だいたい24〜5歳の
当時としては
女盛りの年増。

元服(男児の成人式)が
12〜16歳の間ですから、
互いに理想的な
相手です。

少年の未知への
飽くなき好奇心と
有り余る精力。

女盛りで少年の心を
充分に知っている“熟女”は
勢い教育熱心な余り、
乳母であるよりも女として、
つい愛欲に溺れてしまうのも
自然な成り行き。

その結果、
乳母が妊娠する事も
あったようです。

男にとって最初の女に
特別な思いを抱くのは当然で、
こうして乳母がそのまま
正室になることも珍しくなかった。

入念に手ほどきを受け、
手練手管を仕込まれたら、
男たるもの、
女好きにならないわけがない。

しかも乳母なるがゆえに、
他にさしたる仕事はなく、
男は心置きなく色事に専念できる。

光源氏にとって
六条の御息所は
乳母のような存在だったのでしょう。
それも、乳母と言うより
次第に女として愛してゆく。

六条の御息所も
“乳母”のように
源氏をいつくしみながらも
熟女として
源氏との愛に溺れてゆく。

でも、熟女の思慮と分別に
目覚めて身を引くのです。
しかし、萌え盛った
女の情念は止み難く
生霊(いきすだま)となり、
源氏の正妻「葵の上」を
とり殺してしまう。

光源氏と
六条の御息所の間に萌え盛った
情念の激しさが見えるようです。

by デンマン




『エロい女と六条の御息所』より
 (2007年1月19日)



そうでんがなあああぁ〜
この六条の御息所とめれちゃんが重なったんやでぇ〜
萌え盛った情念の激しさを
わては、めれちゃんの短歌の中に見つけたんやがなあああぁ〜

ああああぁ〜♪〜。。。悩ましいなあああぁ〜♪〜
めれちゃんも魅惑的な“熟女”になったんやでぇ〜
一人寝が寂しくなる事もあるやろなぁ〜

そう言う訳で、また、めれちゃんにインスパイアされて
どうしても返歌を詠みたくなってしもうたんやぁ〜
聞いてやぁ。




罪深き

ことと言えども

きみゆえに

われは求める

熱きくちびる






柔肌に

熱き血潮を

秘めながら

きみは濡れたり

萌え萌えになり





 
 
いつまでも

きみのぬくもり

この腕に

別れがつらい

朝顔のつゆ

 
 






朝まだき

きみは涙で

見送るも

まだ覚めやらぬ

愛のぬくもり






めれちゃんや

ああ、めれちゃんや

めれちゃんや

きみの短歌に

ムレムレになり



うしししし。。。

最後は、関西人のめれちゃんのウケ
をねらって、こころならずも
ギャグをこめた狂歌で閉めくくりました。
じゃあねぇ。

\(^δ^)/ キャハハハ。。。

2009-01-15 07:46 AM




『即興の詩 くちづけ』のコメント欄より





デンマンさん☆
真冬にビキニのめれんげです。

この短歌を読んで、
六条の御息所を思われるとは、
さすがデンマンさんですね。



小百合さんは、ビキニでスノボですか...
その度胸は、さすがにありませんね〜:p
わたしは部屋でビキニですね。
暖かいです(笑

めれんげ

2009/01/15 10:34 AM




『即興の詩 くちづけ』のコメント欄より

『愛のコラボと欺瞞』より
(2010年2月12日)




分かるやろう、めれちゃん? 上の短歌を読むとレオナルドのように集中力と表現力、それに、ひっきりなしに短歌を詠むという活動へ没頭する傾向があるねん。



そやけど、レオナルドは短歌など読みはらへんかったでぇ〜。。。

確かにレオナルドは短歌を詠まへんかった。 そやけど、ひっきりなしに 13,000枚から 14,000枚ほどの手稿を書いたのやがなァ。 ちょうどめれちゃんが短歌を詠みまくったように。。。

それで、あんさんは何が言いたいねん?

あのなァ〜、めれちゃんは確かにレオナルドのような集中力をもっておるのやけれど、同じようにその集中力が移ろいやすいのやァ。

その証拠でもあるのォ〜?

もちろんやァ。 めれちゃんは次のようにブログを書きまくったのやがなァ!

(ブログのスクリーンキャプチャー)



そやから、どないやと、あんさんは言わはるのォ〜?



つまり、レオナルドのように集中力をもってブログをたくさん書いたのやがなァ。 ところがその集中力がレオナルドのように移ろいやすいのや。 それで、めれちゃんの手記にも書いてあるとおり「飽きっぽい」ところもあるねん。 あれだけ一生懸命に書いていた『即興の詩』をめれちゃんは閉鎖してしまった。

わたしは、それほど一生懸命に書きましたやろか?

めれちゃん!。。。何を惚(とぼ)けた事を抜かしてけつかんねん!? 次のような事を書いていたではないかいなァ!

(『即興の詩』が大切だという、めれちゃんの手記の引用) 



言われてみれば、確かにこのような事を書いた覚えがありますわ。



そうやろう!?

。。。で、あんさんはわたしにどうしろと言わはるのォ〜?

別に、ああしろ、こうしろ、と言うつもりはないねんやけど、レオナルドを見習ったらどうやねん? レオナルドも「飽きっぽい」ところがあって、集中力が移ろいやすかったけれど、手稿を書き続けることはやめへんかったでぇ〜。。。

わたしも短歌を書き続けておます。

そやけど、ブログを更新しておらへんがなァ。

ブログはお休みしてますねん。 でも、ちゃんと短歌も詩も小説も書いてますう。

そやから、それをブログに載せればええやん。 詩集を作るとか小説を出版することなど、もう時代遅れやねん。 これからはネットの世界やでぇ〜。。。

そうですやろか?


“信じる者は救われる”


昔の人はこのように言うたのやでぇ〜。。。めれちゃんも自分を信じて作品をどんどんネットで発表すればええのやがなァ。
ネットで発表するだけの値うちがありますやろか?


あるねん。 めれちゃんの作品を注目している人が居るやないかいなァ。

どこに。。。?

もう忘れてしもうたのか?

アメブロのサイトにxxxさんが次のようなコメントを残したやないかいなァ!

(コメントを掲載)



分かるやろう? めれちゃんの才能を見つけた人がこうして居(お)るねん。 そやから、自分を信じてこれから作品をどんどんネットで発表したらええやん。



分かりました。 今晩じっくりと考えてみますう。


【レンゲの独り言】



ですってぇ~。。。
そうですよね。
「言葉狩り」をするなんて時代錯誤もはなはだしいと思いますわ。
あなただって、そう思うでしょう?

それにしても、どの言葉が禁止語になったのでしょうか?
もし時間があったら、あなたも次の記事を読んで探してみてくださいね。



『共感脳の話』

 (2011年6月3日)




とにかく、次回も面白くなりそうですわ。
あなたもどうか、またあさって読みに戻ってきてくださいね。
では、また。。。




メチャ面白い、

ためになる関連記事





■ 『きれいになったと感じさせる

下着・ランジェリーを見つけませんか?』


■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』



■ 『カナダのバーナビーと軽井沢に別荘を持つことを

夢見る小百合さんの物語』


■ 『今すぐに役立つホットな情報』



『夢とロマンの横浜散歩』

『下つきだねって言われて…』



『銀幕の愛』



『パリの空の下で』

『夢の中華パン』

『愛の進化論』



『漫画家と平和(2011年3月6日)』

『漫画家の壁(2011年3月10日)』



『畳の上の水練(2011年3月15日)』

『アナクロニズム(2011年3月27日)』





こんにちは。ジューンです。

かつて、フルーツブログでは「セックス」が禁止語でした。

「セックス」を禁止用語にするなんて、

ちょっと考えられませんよね。

呆れて開いた口がふさがりませんわ。

「セックス」を禁止用語にしたその管理人さんは

性的不能者なのでしょうか?

そのように、かんぐってしまいますよね。

あなたも、滑稽な事をすることはあっても、

そのような愚かな事だけはしないでくださいね。

うふふふふふ。。。


 
ところで、英語の面白い話をまとめました。

興味があったら、

次のリンクをクリックして

読んでください。

■ 『あなたのための 楽しい英語』



■ 『性の俗説 (2008年3月4日)』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。





2011年06月18日

モナリザとキモいパンツ

 
レオナルドのADHD


 
 

注意欠陥移動性障害(ADHD)

レオナルドは膨大な偉業の数々を残しているが、その数に匹敵するほどの苦悩や奇異な側面をもっていたことも忘れてはならない。 彼は際限のない情熱、比類のない独創性、超越的な意欲をもっている一方で、非常に変わった人格の持ち主であったのだ。 知れば知るほど、いろいろな矛盾と皮肉が見えてくる。 しかし、これらの矛盾の原因について論じたり、彼が偉業のどこまでを意図的になしとげ、どこからは偶然だったのかを推理したりすることは、結局は憶測にすぎない。

 (中略)

締め切りを守らないという困った側面についてだが、彼の移ろいやすい集中力とひっきりなしに新しい活動へ没頭する傾向は、注意欠陥移動性障害(ADHD)の一種によるものだったのだろうか。
それとも単に限られた寿命で多すぎる数の構想を実現させようとしただけなのか。 一般的には、特定の現象にレッテルを貼ると実際よりも単純化されて理解が浅はかになってしまうものだが、レオナルドの行動に短絡的な原因を見いだして説明しようとすること自体、愚の骨頂だといえよう。

 (中略)

レオナルドの人生は、ある瞬間は荘厳な美しさと力強さの吹きこまれた絵画を制作していたかと思えば、次の瞬間にはがらりと変わって川の流れを観察したり、多面体の幾何学を研究したり、人や動物の解剖を行ったり、人の飛翔に思いをめぐらせたり、ぜんまい仕掛けの自動車の構想を練ったり、そして気がつくと再び奇跡的な芸術傑作をつくているというように、まるで万華鏡のようなめまぐるしい変化が常であった。 その負の遺産として、手厚く庇護してくれたパトロンでさえあきれてしまうほど、未完成のまま放置されたプロジェクトも数多い。
あわただしく多様な活動に次々と没頭したレオナルドの活動様式こそが彼の真骨頂である。

 (中略)

レオナルドの取り組んだすべての活動は共益関係にあり、たがいの相乗効果によって高め合っていたのである。 彼のあらゆる創造的活動のなかから、彼の個人としての成長をうかがい知ることもできるが、同時に彼がさまざまな「頭の体操」を自分に課して意図的に成長を促そうと努力していた様子も見受けられる。 「無学の人」であたレオナルドは、己を向上させようと苦労を重ねる独学者の姿勢そのままに、知らない単語にでくわすと、あとで調べるためにそれをノートに書き続けたのである。

 (中略)

レオナルドは絶えず物事のつながりを見いだすことにいそしんだ。 それを後押ししたのは、年齢を重ねてもまったく衰えを見せなかった子どものような飽くなき好奇心であった。 大人になっても好奇心が失せないという性格的な特徴は、ニュートンやアインシュタイン、そしてモーツァルトなど、それぞれの分野の最高峰で活躍した人たちの多くがもち合わせていたものである。



アインシュタインの「私たちが体験できる最も美しいものは、自分にとって謎めいていて神秘的な存在のものである。その神秘性こそがあらゆる真の芸術と科学の源である」という発言には、彼が生涯もち続けた好奇心が現れているといえよう。

(注: 赤字はデンマンが強調
写真はデンマン・ライブラリーより)




301 - 305ページ
『モナ・リザと数学』
著者: ビューレント・アータレイ
2006年5月1日 第1刷発行
発行所: (株)化学同人




デンマンさん。。。あんさんはレオナルド・ダ・ヴィンチがADHDを患っていたと思ってはるのォ〜?



上の文章を読むと、そんな気がしてくるねん。 めれちゃんもそう思わんか?

なんだか、嫌な予感がしてきますねん。

どないな訳で。。。?

あんさんは、わたしのことでかつてADHDの記事を書きましたやんかア。

めれちゃんは、よう覚えておるなァ〜。。。

どうせ、わたしのことをまた書きますのやろう?

あのなァ〜。。。レオナルド・ダ・ヴィンチがADHDを患っていた。。。そして、めれちゃんも過去にADHDを患っていた。。。つまり、それがレオナルド・ダ・ヴィンチとめれちゃんの共通点なのやがなァ〜。。。要するに、めれちゃんにもレオナルド・ダ・ヴィンチのような芸術的才能があるねん。

そんな事を言ったらADHDを患ってる人は、すべてレオナルド・ダ・ヴィンチのような芸術的才能を持っていることになりますやん。

わては、そこまで敷衍(ふえん)して言うつもりはないねん。 ただ、ADHDと芸術的な才能は、もしかすると関係があるのではないか? そう思うたのやァ。 めれちゃんも次のように書いてたやんかァ。


愛の行為に熱中するのは

わたしのADHDと

関係あるようです。


2007-03-09 04:29



わたしは境界性人格障害をほぼ克服しましたよ!
まだまだ、努力の余地は大いにありますが、
「もう、ボダとは呼ばせないわ!」って感じです。
そして、過去の自分の未熟さを痛感しています。

しかし...
検査の結果わかったのですが、
わたしは、幼児期からのADHD患者だということです。
あれって、治らないらしいんですよね...
でも脳の器質的疾患ですので、
わたしは現在、精神的にはいたって健全であります!

ADHDのおかげで、プラスになっていることもあります。
ある分野での、集中力と記憶力が
過剰なほどに突出しているそうです。

でも、困ることのほうが多いかなあ...
有名な「片付けられない」「飽きっぽい」など、
ADHDの典型的な症状も、
しっかり持ち合わせてますー(泣)

セックスがわたしにとって重要であるというのは、
性行為においては、注意力、集中力の持続がしやすい、ということにあるようなのです。

ADHDであるということが、判明する前からわたしは、本能的にそのことを、知っていたのかもしれませんね。
 
 
by レンゲ


ADHD (attention-deficit hyperactivity disorder) とは、注意欠陥/多動性障害のことで、注意力の障害と多動・衝動性を特徴とする行動の障害です。
具体的な症状としては 以下の症状があると言われています。

1) 注意障害  

注意が持続できない、必要なものをなくす、注意がそれやすい、毎日の活動を忘れてしまう、など

2) 多動性

手足をそわそわ動かす、離席が多い、走り回ったり高いところへ上がったりする、じっとしていない、しゃべりすぎる、など

3) 衝動性

質問が終わらないうちに答えてしまう、順番を待つことが苦手、他人にちょっかいを出す、など

これらの症状が少なくとも6か月以上続き、集団や家庭の中で、あるいは友達関係において不適応を起こしていて、まわりも本人も困り、生活上なんらかのサポートが必要な場合を指すといわれています。 しかし、もともと子どもは好奇心にあふれ行動的です。以上の状況だけで安易にADHDと診断されるものではありません。専門医によって診断されるものです。

SOURSE: 『東京都福祉保健局』


『愛と性とADHD』より
(2007年4月25日)




デンマンさん。。。このような手記を公開して欲しくないわ。



あのなァ〜、わてはめれちゃんのプライバシーを尊重しているでぇ〜。 そやけど、このような手記はADHDを患っている人の心の助けになると思うねん。

それで、わたしの意志に無関係に、こうして公開してしまうのォ〜?

めれちゃんの気持ちが分からんことはないねん。 そやけど、すでに2007年に上の手記は公開されてるねん。

つまり、あんさんはわたしのADHDを蒸し返しやはるのォ〜?

いや。。。蒸し返すのではのうてADHDと芸術との関係を解き明かそうとしてるねん。

そやけど、レオナルドの芸術は「モナリザ」や「最後の晩餐」ですやろう。。。







つまり絵画ですやん。 わたしとは関係あらへんと思うわ。



どうして。。。?

そやかてぇ、レオナルドは詩や小説や散文を書いてへんでぇ〜。。。

それは、めれちゃんの独断と偏見というものやァ。 確かにレオナルドは小説を書いてへん。 そやけど、驚くほどの手稿を残しておるねん。 


レオナルドの手稿

国王に即位したばかりのフランソワ一世の招きで、1526年、レオナルドは二人の弟子を引きつれて人生最後の3年間を過ごすことになるアンボワーズへと旅だった。 このときの荷物のなかには、レオナルドが大事にしていた本のコレクション、《モナ・リザ》を含む2,3点の絵画、そしてはちきれそうなほど手書き原稿ををつめこんだ箱があった。 彼は生涯に 13,000枚から 14,000枚ほどの紙葉を書きつづったと推測されているが、現存するものはその3分の1以下である。



一部はミラノやフィレンツェに置き忘れた可能性もある。 しかし、レオナルドは当時「120冊の本を書く」という野望を語っていることから、おそらく大部分はフランスまでもっていったはずである。 これらの紙葉はノートとして綴られていたり、大ざっぱに束ねられていたりしたが、どれもレオナルドの思考の奥深さ、とくに科学・数学・技術への関心の幅広さを浮き彫りにする内容となっている。



また、彼が自然の本質に迫る疑問を見いだし、実験を的確に計画してそれを解決する才能に秀でていたことがありありと見てとれる。 さらに、科学研究に取り組むものにとって不可欠な「偏見のない柔軟な思考」と「知的な正直さ」を、彼は徹底して実践していたこともうかがえる。 レオナルドの探求に制限や限界はなく、彼の書き残した原稿は、それまでの科学と技術が到達しえなかった未開の領域の詳細な地図だといえる。

(注: 赤字はデンマンが強調
写真はデンマン・ライブラリーより)




301 - 305ページ
『モナ・リザと数学』
著者: ビューレント・アータレイ
2006年5月1日 第1刷発行
発行所: (株)化学同人




分かるやろう? こうして多数の手稿を残しておるねん。 レオナルドは当時「120冊の本を書く」という野望を持っていたのやでぇ。。。



。。。で、その事とわたしがどないな訳で関係していると、あんさんは言わはるのォ〜?

めれちゃんはレオナルドのように集中力とひっきりなしに新しい活動へ没頭する傾向があるねん。

その証拠でもあるのォ〜?

もちろんやァ。。。めれちゃんの作品と、わてとのやり取りをちょっと読んでみィ〜なァ。


くちづけ
 
 

 
 
罪深き

ことと知りつつ

この夜も

きみのくちづけ

もとめて止まぬ

 
  

 
 
by めれんげ
 
2009.01.14 Wednesday 14:21




『即興の詩 冬枯れ』より




 
う〜♪〜ん。。。
ええなあああぁ〜
北京ダックのご馳走を見て
ヨダレがたれてくるぐらいに
ええやんかあぁ〜〜



奥深いところにあって、
くすぶり続けている
めれちゃんの愛欲と情欲が
あふれてくるんやなあああぁ〜♪〜
あああぁ〜。。。悩ましいなあああぁ〜

しかも、めれちゃんのビキニ姿は
軽井沢のプリンスホテル・スキー場で
ビキニ姿でスノボする小百合さんに
匹敵するぐらいに、すっげぇ〜♪〜やないかいなぁ〜♪〜
うへへへへ。。。



めれちゃんのビキニ姿を見ると
わては南米のリオのカーニバルを思いだすでぇ〜
めれちゃんの情熱的な妖艶さと豊満さを感じるんやがなぁ〜
ほんに、悩ましいなあああぁ〜〜



短歌にも、ビキニ姿にも
表現者・めれちゃんの表現力が遺憾なく発揮されてるがなぁ〜
2009年は出だしから、めれちゃんは突っ走ってるでぇ〜〜
ええやんかぁ〜♪〜 
\(^Д^)/ギャハハハハ。。。。

めれちゃんのビキニ姿から
わては、しばらく目が離せなかったでぇ〜

この調子だと、年が明けるまでに
めれちゃんは子供を9人産んで
10年後には阪神タイガーズ・ジュニアの野球チームが作れるでぇ〜
うへへへへ。。。
すごいなあああぁ〜

でもなぁ〜、マジになって、
めれちゃんの短歌を
もう一度じっくりと読めば
現代版・源氏物語のエロい雰囲気が漂ってくるでぇ〜♪〜

罪深き

ことと知りつつ

この夜も

きみのくちづけ

もとめて止まぬ


そうやがなぁ〜。。。そうやがなぁ〜。。。
あの源氏物語の「六条の御息所(みやすどころ)」が思い出されてくるのやがなあああぁ〜
わてが『エロい女と六条の御息所』を書いたんは
もう2年前になるんやなあああぁ〜
月日の経つのは、ホンに、早いなあああぁ〜
めれちゃんと仲直りしたのは2006年のクリスマスやったなああぁ〜。
懐かしいなあああぁ〜

めれちゃんとの付き合いも2004年の7月に初めて出会ってからやから
2009年に入って、足掛け6年にもなるんやなあああぁ〜
うん、うん、うん。。。感慨深いなあああぁ〜

ところで、2007年の1月19日に、
わては次のような事を書いてたんやでぇ〜





六条の御息所は
光源氏の初めての恋人。
年上の教養ある女性です。

気位の高い彼女は
源氏の心が自分から
離れそうになると、
自分の方から身を引きます。

でも、心の中では
光源氏への思いを断ちがたく、
生霊(いきすだま)となり、
源氏の正妻「葵の上」を
とり殺してしまいます。

六条の御息所は
それ程の激しい愛情で
光源氏を愛していたのでしょう。

平安の昔、
家柄が高く、
やんごとなき貴家ともなれば、
女児は未通で嫁入りする事が
絶対条件でした。
男児は元服が筆おろしの
目安だったようです。

その“筆おろし”ですが、
天皇や将軍などの場合だと、
その介添えをするのは乳母
の場合が多かったと
言われています。

乳母といっても
だいたい24〜5歳の
当時としては
女盛りの年増。

元服(男児の成人式)が
12〜16歳の間ですから、
互いに理想的な
相手です。

少年の未知への
飽くなき好奇心と
有り余る精力。

女盛りで少年の心を
充分に知っている“熟女”は
勢い教育熱心な余り、
乳母であるよりも女として、
つい愛欲に溺れてしまうのも
自然な成り行き。

その結果、
乳母が妊娠する事も
あったようです。

男にとって最初の女に
特別な思いを抱くのは当然で、
こうして乳母がそのまま
正室になることも珍しくなかった。

入念に手ほどきを受け、
手練手管を仕込まれたら、
男たるもの、
女好きにならないわけがない。

しかも乳母なるがゆえに、
他にさしたる仕事はなく、
男は心置きなく色事に専念できる。

光源氏にとって
六条の御息所は
乳母のような存在だったのでしょう。
それも、乳母と言うより
次第に女として愛してゆく。

六条の御息所も
“乳母”のように
源氏をいつくしみながらも
熟女として
源氏との愛に溺れてゆく。

でも、熟女の思慮と分別に
目覚めて身を引くのです。
しかし、萌え盛った
女の情念は止み難く
生霊(いきすだま)となり、
源氏の正妻「葵の上」を
とり殺してしまう。

光源氏と
六条の御息所の間に萌え盛った
情念の激しさが見えるようです。
 
 
by デンマン




『エロい女と六条の御息所』より
 (2007年1月19日)



そうでんがなあああぁ〜
この六条の御息所とめれちゃんが重なったんやでぇ〜
萌え盛った情念の激しさを
わては、めれちゃんの短歌の中に見つけたんやがなあああぁ〜

ああああぁ〜♪〜。。。悩ましいなあああぁ〜♪〜
めれちゃんも魅惑的な“熟女”になったんやでぇ〜
一人寝が寂しくなる事もあるやろなぁ〜

そう言う訳で、また、めれちゃんにインスパイアされて
どうしても返歌を詠みたくなってしもうたんやぁ〜
聞いてやぁ。




罪深き

ことと言えども

きみゆえに

われは求める

熱きくちびる






柔肌に

熱き血潮を

秘めながら

きみは濡れたり

萌え萌えになり





 
 
いつまでも

きみのぬくもり

この腕に

別れがつらい

朝顔のつゆ

 
 






朝まだき

きみは涙で

見送るも

まだ覚めやらぬ

愛のぬくもり






めれちゃんや

ああ、めれちゃんや

めれちゃんや

きみの短歌に

ムレムレになり



うしししし。。。

最後は、関西人のめれちゃんのウケ
をねらって、こころならずも
ギャグをこめた狂歌で閉めくくりました。
じゃあねぇ。

\(^δ^)/ キャハハハ。。。

2009-01-15 07:46 AM




『即興の詩 くちづけ』のコメント欄より





デンマンさん☆
真冬にビキニのめれんげです。

この短歌を読んで、
六条の御息所を思われるとは、
さすがデンマンさんですね。



小百合さんは、ビキニでスノボですか...
その度胸は、さすがにありませんね〜:p
わたしは部屋でビキニですね。
暖かいです(笑

めれんげ

2009/01/15 10:34 AM




『即興の詩 くちづけ』のコメント欄より

『愛のコラボと欺瞞』より
(2010年2月12日)




分かるやろう、めれちゃん? 上の短歌を読むとレオナルドのように集中力と表現力、それに、ひっきりなしに短歌を詠むという活動へ没頭する傾向があるねん。



そやけど、わたしの短歌というよりも、あんさんが詠みはってますやん。

あのなァ〜。。。めれちゃんが仰山(ぎょうさん)な愛の短歌を詠んださかいに、わてはインスピレーションを受けて詠んでしもうたのやないかいなァ。 めれちゃんの短歌の数に比べれば、わしが詠んだ短歌なんて知れたものやァ。

そやけど、レオナルドは短歌など読みはらへんかったでぇ〜。。。

確かにレオナルドは短歌を詠まへんかった。 そやけどなァ、ひっきりなしに 13,000枚から 14,000枚ほどの手稿を書いたのやがなァ。 ちょうどめれちゃんが短歌を詠みまくったように。。。

それで、あんさんは何が言いたいねん?

あのなァ〜、めれちゃんは確かにレオナルドのような集中力をもっておるのやけれど、同じようにその集中力が移ろいやすいのやァ。

その証拠でもあるのォ〜?

もちろんやァ。 めれちゃんは次のようにブログを書きまくったやないかいなァ!

『即興の詩』サイト









『極私的詩集』



『めれんげの原材料』



確かに、わたしは幾つかのブログを書きましたァ。 それで、それがどないやと、あんさんは言わはるのォ〜?



つまり、レオナルドのように集中力をもって、めれちゃんはブログをたくさん書いたのやがなァ。 ところがその集中力がレオナルドのように移ろいやすいのやァ。 それで、めれちゃんの手記にも書いてあるとおり「飽きっぽい」ところもあるねん。 あれだけ一生懸命に書いていた『即興の詩』サイトをめれちゃんは閉鎖してしもうた。

わたしは、それほど一生懸命に書きましたやろか?

めれちゃん!。。。何を惚(とぼ)けた事を抜かしてけつかんねん!? 次のような事を書いていたやないかいなァ!




デンマンさん♪
ありがとうございます!

このブログも、けっこう長くなって
わたしにとっては、とても大切なものに
なりました。
応援してくださる方の存在は、
何よりの宝物。
これからも、よろしくお願いします!
 
 
by めれんげ

2008/08/21 7:13 AM




『即興の詩 めれんげ便り』のコメント欄より

『即興の詩バンザイ』に掲載
(2010年12月4日)




分かるやろう、めれちゃん!? 『即興の詩』サイトは、めれちゃんにとって大切やったのやがなァ。 



言われてみれば、確かにこのような事を書いた覚えがありますわ。

そうやろう!?

。。。で、あんさんはわたしにどうしろと言わはるのォ〜?

別に、ああしろ、こうしろ、と言うつもりはないねんけど、かつて『即興の詩』サイトには、たくさんのネット市民が訪れたのやがなァ。

その証拠でもあるのォ〜?

もちろんやァ。。。わては根拠の無い事は言わへんでぇ〜。。。次の統計を見たらええやん。





分かるやろう、めれちゃん!? 多い時には『即興の詩』サイトに1日で 2、000人のネット市民が訪れたのやでぇ〜。。。



マジかいな?

マジもヘチマも。。。上の訪問者のグラフを見れば、ちゃんと記録されてるやんかァ! それなのに、めれちゃんは気まぐれから『即興の詩』サイトを閉鎖してしもうた。





気まぐれではないねん。 わたしは十分に考えた末に閉鎖しましてん。



どのような理由であれ、めれちゃんが『即興の詩』サイトを閉鎖して、他のブログを全く更新してへんということは、極めて惜しいことなんやでぇ〜。。。

どないな訳で。。。?

あのなァ〜。。。レオナルドを見習ったらどうやねん? レオナルドも「飽きっぽい」ところがあって、集中力が移ろいやすかったけど、手稿を書き続けることは止めへんかったでぇ〜。。。

わたしも短歌を書き続けておりますゥ。

そやけど、ブログを更新しておらへんがなァ。

ブログはお休みしてますねん。 でも、ちゃんと短歌も詩も小説も書いてますう。

そやから、それをブログに載せればええやん。 詩集を作るとか小説を出版することなど、もう時代遅れやねん。 これからはネットの世界やでぇ〜。。。

そうですやろか?


“信じる者は救われる”


昔の人はこのように言うたのやでぇ〜。。。めれちゃんも自分の才能を信じて作品をどんどんネットで発表すればええのやがなァ。

ネットで発表するだけの値うちがありますやろか?


あるねん。 めれちゃんの作品を注目している人が居るやないかいなァ。

どこに。。。?

もう忘れてしもうたのか? ライブドアのサイトに岩下俊三さんが次のようなコメントを残したやないかいなァ!


新しい才能を直感



つまり寂寥感なんですね。
孤独なんですね。
詩は、でも癒してはくれません。
孤独を際立たせるだけです。
他者に訴えるには、それなりのフィクションが必要です。
虚実皮膜の間でしか芸術はありません。

こどくな心情を吐露して、
自分の死にたがっていることを、主張しても、
他人は喜びません。
文学も詩も所詮エンタメですから、
多くの視聴者を得るしかありません。
それ以外は自慰行為です。

孤独な詩は、孤独な死であり、
表現はエンタメ、それほど自分を貶めたくない、
芸人になりたくないのなら、自慰行為をつづけるしかありません。

小説家や詩人にたくさん会いましたが、
彼らは自分を売る芸人でした。
それが悪いとはいいませんが、
それをしたくない人間はブログしかありません。
どこかでだれかが、こころの叫びをきいているかも、


というパーソナルな、しかしみえないつながりしかありません。
でもマスコミのように汚れていない、
ミニコミは、これからの芸術かもしれません。


ネットサーフィンしてたら、
たまたま新しい才能を直感したので、コメントしました。
ブログのタイトルが変わっても、本質はおなじです。
がんばってください。応援します。

 
 
岩下俊三

July 30, 2009 17:00




『「極私的詩集」 極私的詩集にチェーンジ!』
コメント欄より

『美しい愛のコラボ』に掲載
(2009年11月26日)




分かるやろう? めれちゃんの才能を見つけた人がこうして居(お)るねん。 そやから、自分を信じてこれから作品をどんどんネットで発表したらええやん。



分かりました。 今晩じっくりと考えてみますう。


【レンゲの独り言】



ですってぇ~。。。
そうですよね。
めれんげさんには、もっともと頑張って欲しいと思いますよね。
あなただって、そう思うでしょう?

おそらく、岩下俊三さんは、めれんげさんの作品に共感したのだと思いますわ。
ところで、デンマンさんが“共感脳”のことで面白い話を書いています。
もし時間があったら、あなたも次の記事を読んでみてくださいね。



『共感脳の話』

 (2011年6月3日)




とにかく、次回も面白くなりそうですわ。
あなたもどうか、またあさって読みに戻ってきてくださいね。
では、また。。。




メチャ面白い、

ためになる関連記事





■ 『きれいになったと感じさせる

下着・ランジェリーを見つけませんか?』


■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』



■ 『カナダのバーナビーと軽井沢に別荘を持つことを

夢見る小百合さんの物語』


■ 『今すぐに役立つホットな情報』



『夢とロマンの横浜散歩』

『下つきだねって言われて…』



『銀幕の愛』



『パリの空の下で』

『夢の中華パン』

『愛の進化論』



『漫画家と平和(2011年3月6日)』

『漫画家の壁(2011年3月10日)』



『畳の上の水練(2011年3月15日)』

『アナクロニズム(2011年3月27日)』





こんにちは。ジューンです。

かつて、フルーツブログでは「セックス」が禁止語でした。

「セックス」を禁止用語にするなんて、

ちょっと考えられませんよね。

呆れて開いた口がふさがりませんわ。

「セックス」を禁止用語にしたその管理人さんは

性的不能者なのでしょうか?

そのように、かんぐってしまいますよね。

あなたも、滑稽な事をすることはあっても、

そのような愚かな事だけはしないでくださいね。

うふふふふふ。。。


 
ところで、英語の面白い話をまとめました。

興味があったら、

次のリンクをクリックして

読んでください。

■ 『あなたのための 楽しい英語』



■ 『性の俗説 (2008年3月4日)』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。





2011年06月12日

ピカソと凡人

 
ピカソと凡人




ピカソの秘密



ピカソの絵については、岩田誠・東京女子医大教授が興味深い分析をしています。 例えばキュービズム時代の絵は空間は位置がメチャクチャです。 鼻が横を向いていて、顔が正面向いているというのがザラですから、メチャクチャだと見られても仕方が無い。
しかし、あれは一つ一つのデッサンはかなり正確に描いている。 つまり、モデルである人間や物をあちこちから見て描いたものをゴチャまぜにして合体させたようなものになっています。
通常、デッサンに必要な空間配置の大事な四つの機能のうちの一つです。 それが壊れたままであると、その人にとって世界は、ピカソのキュービズムの絵になってしまいます。 もちろん、ピカソ自身は日常生活を普通に営んでいたし、ご存知の通り、初期には非常に正統派のわかり易い絵を残しています。 では、彼はどうやって、キュービズムの絵を描けたのか。

それは別に、一人のモデルをあちこちから見てデッサンしたものをツギハギであとで組み合わせた、ということではありません。 おそらく彼は意識的に、絵を描く際に、ノーマルな空間配置の能力を消し去ったのです。 ピカソはそれを意識的に行っていた。 病気になると、ある能力が消えて、ひとりでにピカソの絵みたいなものを描くケースがありますが、ピカソ自身は、健康なのに意図してああいう絵が描けた。

(注: 赤字はデンマンが強調
イラストはデンマン・ライブラリーより)




143 - 144ページ
『バカの壁』 著者: 養老猛司
2004年1月30日 第45刷発行
発行所: 株式会社 新潮社




デンマンさん。。。あんさんは、どうしてピカソのおっさんを持ち出してきやはったん?



めれちゃんは、ピカソのおっさんが嫌いなのか?

別に嫌いではあらへん。。。そやけど、好きでもないねん。

さよかァ。。。でもなァ、めれちゃんは横尾忠則のファンやからピカソの話もおもろいと思うでぇ〜。。。

あんさんは、どないな訳でそないな事を言わはるのォ〜?

そやかてぇ、めれちゃんは次の手記を書いていたやはないかいなァ!



読書して怒られる





2006/05/11 14:16

子供のころから、
家にはたくさんの本がありました。

わたしは江戸川乱歩の少年探偵団を、
よく読んでいたのですが、
そのうち、飽き足らなくなったのか、
親が持っていた「江戸川乱歩全集」を、
愛読するようになりました。

しかし。
その全集には、
横尾忠則氏の挿絵がついていて、
えっちなんです。
なので、親には読んじゃダメと
言われていました。
(だったら、かくしといてくれ)

わたしはこっそりかくれて、
そのえっちな江戸川乱歩の本を、
読んでいたのでした。
しょっちゅう見つかって、怒られました。

さらに。
印象的なのが
「チャタレイ夫人の恋人」です。
もちろん禁止本です。
禁止されたら、読むに決まってます。

・・・ませガキ。
・・・エロガキ。


by めれんげ




「めれんげの日記」
『だれかつっこみいれて!』より

『エロい文学少女』に掲載
(2007年4月11日)





わたしは横尾さんのファンではあらしまへんがなァ。



そやけど、めれちゃんは横尾さんのエッチな挿絵を楽しんでいたようやないかいなァ。

別に楽しんでいたわけやおまへん。

さよかァ〜。。。?

。。。で、横尾さんがピカソのおっさんのことで何か書きはったん?

そうなのやァ。 次のような事を書いてるねん。


ピカソの四次元論



ピカソの「アヴィニョンの娘たち」はピカソの代表作であるだけではなく、20世紀美術を語る上でももはや最も重要な作品のひとつになってしまった。 この作品はニューヨーク近代美術館の目玉商品として常設展示されているので観た人も多いと思う。 「アヴィニョンの娘たち」について通りいっぺんの解説をしてしまうと次のようになるかと思う。

つまりこの作品によってキュビズムが始まった。 描かれている女性達はバルセロナの娼婦。 その様式はアフリカの彫刻やイベリア半島の古代彫刻の影響を受けたものである。 作品が発表されたのは制作されてから9年後。
というわけで、この絵を初めて見た友人のアンドレ・ドランは、
「ピカソはこの絵のキャンバスの裏側で首を吊って死ぬだろう」
とまで言った。 制作されて9年も経(た)つというのにこのあまりの斬新さ故に画家仲間でさえついていけなかたのである。 マチスなどは怒りをあらわに、「彼を葬(ほうむ)ってやる」とさえ息まいている。

 (中略)

この作品によってキュビズムが誕生することになるのだが、一般的にはキュビズムは二次元という平面において三次元という立体を表現しようという試みだが、ピカソは立体の各面を展開図のように見せることによって、実は四次元を表現してみたかったと語ったことがある。

 (中略)

ピカソがあれほどまでに影響を受けたというアフリカやイベリア彫刻だが、彼が興味を持ったのはあくまでも彫刻の表層部分である。 



ここでぼくにはひとつの疑問と不満が生じるのだった。 あれほどピカソがこれらの彫刻から強烈な霊感を得たのであったら、なぜ彫刻をものした黒人たちの霊感に興味をも持たなかったかということである。 (中略) 宇宙にあまねく存在する情報の記憶装置を回路として、黒人彫刻家の中に伝達されるインスピレーションをキャッチするシャーマンの能力と技術があのような作品を生むのである。 だったらなぜピカソがシャーマンになることを求めようとしなかったのだろうかという疑問なのである。 (中略) ぼくはこのことを残念に思うものである。 芸術は常に受身で迎え入れるもの、つまり「迎術」ではなかったのかというのがぼくの創造の源泉になっているから、ついピカソにも文句を言ってみたくなるのだった。

さて、裸婦について語ることを忘れていたわけではない。 ピカソは当初の目的としては、アヴィニョー街の娼婦を描くつもりであったはずである。 ところが、絵はひとりでにピカソの筆によってどんどんあらぬ方向に走り始めた。 ピカソの思いから勝手に絵が自立していったのである。 こんな状況の中でピカソは「絵は画家より強い」とも述懐している。

(注: 赤字はデンマンが強調
写真はデンマン・ライブラリーより)




45 - 50ページ
『名画裸婦感応術』
著者: 横尾忠則
2001年6月15日 初版第1刷発行
発行所: 株式会社 光文社




横尾さんの書きはったものがどうやと、あんさんは言わはるの?



あのなァ〜、横尾さんはやっぱり画家になろうとしただけのことはあって、作家や学者とはちごうてぇ、観念的な事だけではなく、なるほどと思わせるようなことを言うてるねん。

たとえば。。。?

例えば、次のように書いてるねん。

ピカソは立体の各面を

展開図のように見せることによって、

実は四次元を表現してみたかった

...

ピカソの思いから勝手に

絵が自立していったのである。

「絵は画家より強い」


作家や学者とはちごうてぇ、実際に絵筆を取った横尾さんは目の付け所がちごうているのやがなァ。

四次元を表現してみたいとピカソのおっさんは言うたようやけど、2次元のキャンバスの上で4次元を表現しようということは初めから不可能なことやんか!

そやから、その辺が我々凡人と違うところなのやァ。 芸術家として不可能に挑戦したのやがなァ。

わたしは、その事よりもアフリカの彫刻が大いにピカソのおっさんに影響を与えたと思うねん。

めれちゃんは、どうして、そう思うのや?

アフリカの彫刻を見ると、なんとのう「アヴィニョンの娘たち」に似ているやんかァ!







わてには似ているように思えんなァ〜。。。



わたしはマジで似てると思うねん。 主観の相違ということやわ。 とにかく、ピカソのおっさんの経歴を見るとアフリカの彫刻とキュビスムは切っても切れない関係にあるのやでぇ〜。 あんさんも次の経歴をじっくりと見たらええやん。


ピカソ



生誕: 1881年10月25日
死去: 1973年4月8日

作風
ピカソは作風がめまぐるしく変化した画家として有名であり、それぞれの時期が「◯◯の時代」と呼ばれている。以下がよく知られている。

•青の時代(1901年-1904年)
親友カサヘマスの自殺にショックを受け、青色無機顔料のプロシア青をベースとする暗青色を基調として、軽業師、アルルカン、売春婦、乞食、芸術家などを描いた。

•バラ色の時代(1904年-1907年)
フェルナンド・オリヴィエという恋人を得て、明るい色調でサーカスの芸人などを描いた。

アフリカ彫刻の時代(1907年-1908年)【26−27歳】
アフリカ彫刻の影響を強く受けた。この時期にキュビスムの端緒となる『アビニヨンの娘たち』が生まれた。


•セザンヌ的キュビスムの時代(1908年後半)
アフリカ彫刻とセザンヌを両親として、キュビスムが胎動しはじめた。

•分析的キュビスムの時代(1909年-1912年)
モチーフを徹底的に分解し、絵は極度に抽象的かつ禁欲的なものになった。

•総合的キュビスムの時代(1912年-1918年)
ロココ的キュビスムとも呼ばれる。色彩と装飾性が特徴で、コラージュ技法も生まれた。

•新古典主義の時代(1918年-1925年)
古典的かつ量感のある母子像を描いた。

•シュルレアリスムの時代(1926年)
化け物のようなモチーフが描かれた時期で、妻オルガとの不和が反映していると言われる。代表作は『ダンス』『磔刑』など。

•ゲルニカの時代(1937年)
フランコのゲルニカ爆撃を非難し、『ゲルニカ』と、そのための習作(『泣く女』など)を描いた。

(注: 赤字はデンマンが強調
写真はデンマン・ライブラリーより)




出典:
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




上の経歴を見れば、ピカソのおっさんがアフリカ彫刻の影響を強く受けて、キュビスムの端緒となった『アビニヨンの娘たち』を描いたという事が判るやろう?



確かにアフリカ彫刻はピカソに影響を与えたのやろなァ。

そうですやろう!? あんさんにも判りますやろう?

そやけどなァ、ただ似ているからアフリカ彫刻の影響を受けているというのは安直な考えやと思うでぇ〜。。。

そいで、あんさんは他に何がピカソのおっさんに影響を与えたと思うてるん?

もっと本質的なことやと、わては思うでぇ〜。。。

本質的なことってぇ、具体的にはどのようなことやのォ〜?


本質的な視点とは?



20世紀への変わり目、科学は二つの大きな未解決の問題をかかえて、まったく混沌としていた。 第一に、二つの物理学の体系である古典力学と電磁気学のあいだに不整合が存在していた。 第二に、遠く光を伝える媒体として考えられたエーテルが、宇宙空間に存在するのかという問題である。 この二つの問題による不安定さによって、相対性理論の登場する機が熟したといえるが、その不安定な世相が当時の芸術家たちの作品に反映されたと考えることもできる。

逆に、後期印象派の巨匠たちが物理学における問題を解決する手だてを少しでももっていたと考えるのは、もちろん無理がある。 また、物理学における不安定な状況は、19世紀末にヨーロッパ文化や知識人たちのあいだで蔓延していた世相を反映していただけということもできる。 したがって、芸術が物理学の大発見を予示したというよりは、芸術と物理学の発展が平行して起こったと考えたほうが妥当だろう。

不幸なことに、科学者と芸術家が話し合うことはめったにない。 しかしながら、芸術と科学における変革は同じ根をもっている。 それは、ものごとの本質が従来の見方ではとらえきれないこと、そしてそれらを従来の描き方では描ききれないということへの気づきである。 物理学では、量子力学がまったく新しい見方で物理的問題に迫る方法を提示した。 量子力学を確立した人たちは、今までのニュートン流ではなく、抽象的でもっと「本質的」な方法で現実を表現した。 それに並行する視覚芸術の流れでは、パブロ・ピカソやジョルジュ・ブラックといたキュビズムの例がある。 ピカソの有名な絵画《アヴィニョンの娘たち》(1907)は、見かけの姿ではなく、その本質を反映させた抽象的な姿で女性を表しているといえる。

(注: 赤字はデンマンが強調
写真はデンマン・ライブラリーより)




102 - 103ページ
『モナ・リザと数学』
著者: ビューレント・アータレイ
2006年5月1日第1刷発行
発行所: (株)化学同人




つまりなァ、ピカソはバルセロナの娼婦を描きたかったのやァ。 そやけど、誰もが目にするような。。。要するに凡人が描くような娼婦を描くのではつまらん。 そう思うたのやがなァ。



つまらなかったら描かなければええやん。

そやけど、ピカソはどうしても描きたかったのやァ。

だったら、ゴタゴタ言わずに描けばええやん。

そこでピカソは悩んだのやがなァ。。。つまり、従来の画家が描いているような娼婦を描くのやったらつまらんと思うたのやァ。。。そこで、ピカソは従来の描き方では描ききれないモノを描こうと思うたのやァ。

それで描きはったのが「アヴィニョンの娘たち」ということやのォ〜?

そうやァ。。。結果として「キュビズム」という描き方になったァ。。。要するに、アインシュタインと同じようにピカソも時代の落とし子やったのやァ。





アインシュタインがニュートン力学で考えると、古典力学体系では、どうにも、とらえきれないことにぶつかった。 ちょうどピカソがバルセロナの娼婦を見た時のように考え込んでしもうたのやァ。 アインシュタインは、そこから特殊相対理論を生み出しおった。 ピカソは、バルセロナの娼婦から、従来の描き方とは違う本質的な見方で「アヴィニョンの娘たち」を生み出しおったのやァ。


【レンゲの独り言】



ですってぇ~。。。
なんとなく、こじつけ見たいに聞こえますよね。



いずれにしてもピカソがもし上のようなオーソドックスな絵を描かずに、初めから「アヴィニョンの娘たち」を描いていたら、おそらく周りの人はピカソを精神病院へ送り込んだと思いますわ。
精神病になると、ある能力が消えて、ひとりでにピカソの絵みたいなものを描くケースがあります、とお医者さんも言っているほどです。
あなたは、どう思いますか?

とにかく、次回も面白くなりそうですわ。
あなたもどうか、またあさって読みに戻ってきてくださいね。
では、また。。。






ィ〜ハァ〜♪〜!

メチャ面白い、

ためになる関連記事





■ 『きれいになったと感じさせる

下着・ランジェリーを見つけませんか?』


■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

■ 『面白くて楽しいレンゲ物語』



■ 『カナダのバーナビーと軽井沢に

別荘を持つことを夢見る小百合さんの物語』


■ 『今すぐに役立つホットな情報』

■ 『 ○ 笑う者には福が来る ○ 』



『夢とロマンの横浜散歩』

『愛とロマンの小包』

『下つきだねって言われて…』



『銀幕の愛』



『パリの空の下で』

『夢の中華パン』

『愛の進化論』

『漫画家と平和(2011年3月6日)』



『漫画家の壁(2011年3月10日)』

『漫画家と奴隷(2011年3月12日)』

『畳の上の水練(2011年3月15日)』



『パール判事とゴーマン(2011年3月18日)』

『軍隊のない国(2011年3月21日)』

『士風と「葉隠」(2011年3月23日)』

『アナクロニズム(2011年3月27日)』





こんにちは。ジューンです。

ピカソの生涯は「アヴィニョンの娘たち」のように

常識では考えられないような

起伏に富んだものでした。

ピカソは生涯に2度結婚し、

3人の女性との間に4人の子供を作りました。

ピカソがパリに出て最初に付き合ったのは

フェルナンド・オリヴィエでした。

「青の時代」と「桃色の時代」をへて

富と名声を得ると、つぎにエヴァという名前で知られる

マルセル・アンベールと付き合いました。

ピカソは彼女を讃えるために、作品に

「私はエヴァを愛す」(J' AIME EVA)、

「私の素敵な人」(MA JOLIE)などの言葉を

書き込みました。

しかし彼女は癌を患い、1915年に亡くなりました。

1916年には、バレリーナで貴族出身の

オルガ・コクローヴァと知り合い、

1918年に結婚しました。

オルガはピカソをパリの上流階級の社交界に引き入れ、

ブルジョワ趣味を教えたのです。

二人のあいだには息子、パウロが生まれました。

ピカソは初めの内こそ妻に調子を合わせていましたが、

しだいに生来のボヘミアン気質が頭をもたげ、

衝突が絶えなくなりました。

1927年には、ピカソは17歳の

マリー・テレーズ・ワルテルと出会い、

妻に隠れて会うようになりました。

ピカソはオルガと離婚しようとしましたが、

資産の半分を渡さねばならないことがわかり

中止したのです。 (微笑)

ピカソとオルガの結婚は、

1955年にオルガが亡くなるまで続きました。

マリー・テレーズと密会を続けていた1935年には

娘、マイアが生まれました。

またピカソは1936年から1945年まで、

カメラマンで画家のドラ・マールを愛人にしていました。

彼女はピカソ芸術の良き理解者でもあり、

『ゲルニカ』の制作過程を写真に記録しています。

1943年には、ピカソは

21歳の画学生フランソワーズ・ジローと出会い、

1946年から同棲生活を始めました。

そしてクロードとパロマが生まれました。

しかし、フランソワーズはピカソの支配欲の強さと

嗜虐癖に愛想をつかし、

1953年、2人の子を連れてピカソのもとを去りました。

ピカソは大きなショックを受けました。

フランソワーズはピカソを捨てた

唯一の女性と言われています。

しかしピカソはすぐ次の愛人の

ジャクリーヌ・ロックを見つけました。 (微笑)

彼女は南仏ヴァロリスの陶器工房で働いていたところを

ピカソが見そめたのです。

それで1961年に結婚したのです。

でも、この結婚は、ピカソのフランソワーズに対する

意趣返しと言われました。

当時フランソワーズはクロードとパロマの

認知を得る努力をしていたので、

ピカソはフランソワーズに

「結婚を解消すれば、入籍してあげてもいい」

と誘いかけたのです。

これに乗ってフランソワーズが相手と協議離婚しました。

でも、ピカソは既にジャクリーヌと結婚していたのです。

なんとも波乱に富んだ人生でした。

ところで、英語の面白い話を集めました。

時間があったら覗いてみてくださいね。

■ 『あなたのための愉快で面白い英語』

では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょう。

じゃあね。





2011年04月02日

三島とラディゲ (PART 1)

 
三島とラディゲ(PART 1)





■ 『肉体の悪魔』 - 映画紹介



デンマンさん。。。お久しぶりィ〜。。。わたしのことを忘れてしまいはったん?



おおおォ〜。。。めれちゃん!。。。ホンマに久しぶりやないかいなア!

わたしのことをホンマに忘れてしまいはったと思いましたでぇ〜。。。

そないな事があるかいなァ。。。わては、めれちゃんに会いたいよってに、わざわざラディゲを取り上げたのやないかいな。

それはウソやんかア!

。。。ん? わてがウソついてるう?

そうですう。。。あんさんは3月27日に書きはった『アナクロニズム』の中で、次のようにラディゲを持ち出してきたではおまへんかァ!


23歳の新進作家・三島は短編集『宝石売買』(昭和24年2月)を上梓するに当たって、戦争中から尊敬していたリラダン(長編小説『未来のイヴ』)の訳者、渡辺一夫をたずねて、序文をもらおうとした。ところが、「そこで出る話はもっぱら戦後の食糧難の話で、つまらぬ愚痴ばかり聞かされて、つくづくうんざりした。しかも書いてもらった序文が「偽序」と題されている。どうせ書いてくれるなら、ちゃんとした序文を書いてくれればよさそうなものなのに、いくら謙遜したにしても「偽序」とはひどいじゃないか」(澁澤龍彦「三島由紀夫をめぐる断章」)---というのが三島の言い分である。
その「偽序」の内容とは次のようなものであった。


以前に一度、三島氏には偶然にさる喫茶店でお目にかかったことがあります。その際、三島氏は、平和論者というよりも戦争恐怖患者たる僕に向かい、わざと「僕は戦争がすきなんです」と言われました。僕は大変弱りましたが、三島氏が戦争崇拝者ではないことは知っていますし、氏が戦争によって苦悩する人間を愛して居られることも、氏の哀傷も夢想も推量できます。しかし、氏の愛に価(あたい)する人間性が戦禍中にあるからと言って、「戦争をすきだ」などと仰(おっ)しゃろものではありません。それは悪いレトリックです。


以後、三島はこのフランス文学者が大きらいとなり、この慇懃無礼と紙一重の東大教授の自己卑下を、口をきわめて痛罵することになった。

 (中略)



1945年3月の東京大空襲で

焼け野原になった江東区。


渡辺一夫にしてみれば、空襲を越えて戦中戦後、食うや食わずの生活のなかでやっと貴重な文献類を守り、切り抜けたものの、一番の痛恨事は優秀な学徒が相ついで“天皇”の名のもとに戦陣に散って行ったことだった。 そして渡辺は、出陣学徒兵の遺稿集である『きけ わだつみのこえ』(昭和24年10月)の序文に「人間らしい感情、人間として磨きあげなければならない理性」を備えた若者たちも、戦争に追いつめられれば「獣や機械」になる。そのように追いつめるものの一切を「人間社会から除き去らねばならぬ」と書いた。 渡辺は、日本のあらゆる問題の根底に「天皇制」という岩盤が横たわっているのを三島とは正反対の立場から見つめていた。 「日本には“天子様”がおられますからね…」と食事中でも直立不動の姿勢を取って、にまっと笑うのも、渡辺の精一杯のパロディであった。

その渡辺の前に「戦争は決して私たちに精神の傷を与えはしなかった」(「重症者の兇器」昭和23年)と称するラディゲ・ファンの新進作家が現れて、没落家族の娘たちの遺産物語に「序文」を求めてきたのは、見当はずれではなかったか。 ラディゲにしたってフランス文学はもっと大人で社会性がありますよ、と渡辺は思ったにちがいない。 三島は、人選を誤ったというべきであろう。

(注:写真はデンマン・ライブラリーから貼り付けました。
赤字はデンマンが強調)




106 - 108ページ
『三島あるいは優雅なる復讐』
2010年8月26日 第1刷発行
著者: 高橋英郎
発行所: 株式会社 飛鳥新社

『アナクロニズム』に掲載
(2011年3月27日)




あれっ。。。めれちゃんは『アナクロニズム』を読みよったのかァ?



そうですう。 読みましてん。。。わたしのことが書いてあるやろか?。。。そう思ったのですやんかァ。 そやけど、最後まで読んでも、わたしの事はついに出てきよりまへんかった。 わたしは、えろうガッカリしましたでぇ〜。。。

さよかァ〜?

さよかァ〜、じゃありませんがな。 わたしはマジで落ち込みましたのやでぇ〜。。。

あのなァ〜、わては、めれちゃんの事を忘れてはおらへん!

そやけど、あんさんは、しょうもない漫画家を取り上げて大東亜戦争肯定論などというアホらしい事を、クダクダ、クダクダと書き続けたではおまへんかァ!

『漫画家と平和(2011年3月6日)』

『漫画家の壁(2011年3月10日)』

『漫画家と奴隷(2011年3月12日)』

『畳の上の水練(2011年3月15日)』

『パール判事とゴーマン(2011年3月18日)』

『軍隊のない国(2011年3月21日)』

『士風と「葉隠」(2011年3月23日)』

『アナクロニズム(2011年3月27日)』


あのなァ〜、大東亜戦争を肯定するなんていう気が狂ったような事を見過ごすわけにゆかへんかったのや。 それで、わてはちょっとばかりムキになって批判したのや。

あんさんがしょうもない事を書き続けておるのでぇ、あんさんの読者は退屈していましたのやでぇ〜。

そやから、わては三島さんを持ち出してきて方向転換しようと思ったのやァ。

三島さんを持ち出してくると、どう言う訳で方向転換できはるのォ?

あのなァ〜、三島さんは愛読書としてレイモン・ラディゲ、上田秋成(あきなり)、そして『葉隠』を。。。この順に挙げてるねん。


『葉隠』は、「武士道といふは死ぬ事と見つけたり」で知られる、18世紀佐賀の隠士・山本常朝が口述し、その部下の中堅武士・田代陣基(つらもと)が記述した鍋島藩の武士道論書である。
名誉を重んじ、主君のためにはいかなる自己犠牲をも惜しまない古武士の人生哲学を記したもので、冒頭に、この11巻は追って「堅く火中に」焼却すべし、と書かれていた。
しかしその後、誰も焼かなかったという奇書であるが、三島は『葉隠』を、ラディゲ、上田秋成(あきなり)につぐ愛読書にあげている。

だが、常朝の説く「死に狂い」には、徳川泰平ムードへの警世(けいせい)の書とはいえ、理念もなければ、意義も、ロマンもなく、「救済」もない。
あらゆる思索を捨て去って、ひたすら死へと向かわせる指南書と言ってよい。

 (中略)

ついでながら、語り主の山本常朝は、暗君・鍋島光茂にひたすら迎合した武士と言われ、主君の死後、殉死禁止令が出されたのをよいことに61歳まで生きながらえて、無事、畳の上で死んだと言われている(山本博文 『「葉隠」の武士道』)。

 (中略)

丸山真男は『葉隠』と三島の関係について、次のように語っている。


加藤周一の『日本文学史序説』に即していえば、『葉隠』の「武士道」がいかに武士道ではないか、つまり江戸が天下泰平の時代に入って、かつての戦国武士の行動様式を追想し、美化した「イデオロギー」にすぎないか、これはちゃんと歴史を学んでいる人にとっては常識なのです。

 (中略)

ですから、三島由紀夫などが『葉隠』などを読んで武士道をかついだのは、私に言わせれば二重の悲喜劇なんです。(「文学史と思想について」)




要するに、三島の歴史感覚の欠如が『葉隠』愛読というアナクロニズム(時代錯誤)を招き、人生設計を誤らせたと言っても過言ではない。

(注:写真はデンマン・ライブラリーから貼り付けました。
赤字はデンマンが強調)




58 - 61ページ
『三島あるいは優雅なる復讐』
著者: 高橋秀郎
2010年8月26日 第1刷発行
発行所: 株式会社 飛鳥新社

『士風と「葉隠」(2011年3月23日)』に掲載




つまり、三島さんを持ちだせば遅かれ早かれラディゲが出て来るねん。 そうすれば、めれちゃんにまた会えると思うたから三島さんを取り上げたのやないかいな。



マジかいなァ?

わては取って付けたようなウソなど言わへん。 わては、めれちゃんの次の詩を今でも覚えておるでぇ〜。。。


小さな赤い花
 
 

 
 
わたしをあなたの庭に咲く

小さな赤い花にしてください

そして、お水を注ぎながら

何かお話を聞かせてください

わたしは何も言えないけれど

あなたの言葉を聞きながら

いろんなことを思うのです

あなたに愛されるように

いつまでも綺麗に

咲いています

だからわたしのことを

忘れずにいてください

 

by merange (めれんげ)

2010.02.19 Friday 10:24




『即興の詩 小さな赤い花』より

『永遠の愛のコラボ』に掲載




あんさんはマジで上の詩を覚えていてくれはったん?



もちろんやァ!。。。覚えておらへんかったら、ここに引用できへんがなァ〜。。。

それで、お花にお水をくれるようなつもりで三島さんを持ち出して気やはったん?

そう言うこっちゃァ。

でも、どうして三島さんはラディゲにハマッたのやろか?

実は、三島さんはラディゲのように20歳で亡くなることが理想だったのやァ。


レイモン・ラディゲ

(Raymond Radiguet)


1903年6月18日にフランスはパリの郊外、サンモール・デ・フォッセで生まれる。
1923年12月12日に、まだ20才なのに腸チフスで亡くなる。
フランスで生まれた小説家、詩人。

生涯

幼少の頃は学業優秀でならすものの、思春期にさしかかる頃から文学にしか興味を示さなくなり、学業そっちのけで風刺漫画家として活動していた父の蔵書を読み耽るようになる。
そのときフランス文学の古典の魅力にとりつかれる。

14歳の頃、『肉体の悪魔』のモデルとされる年上の女性と出会い、結果として不勉強と不登校のため学校を放校処分になる。
その後、自宅で父親からギリシア語とラテン語を習いながら、徐々に詩作に手を染める。

15歳の時に父親の知り合いの編集者のつてをたどって知り合った詩人のマックス・ジャコブに詩を評価され、同じ詩人のジャン・コクトーに紹介される。
コクトーはラディゲの才覚を見抜き、自分の友人の芸術家や文学者仲間に紹介してまわる。
数多くのコクトーの友人との交友を通して、ラディゲは創作の重心を徐々に詩作から小説に移しはじめ、自らの体験に取材した長編処女小説『肉体の悪魔』の執筆にとりかかる。



途中、詩集『燃ゆる頬』、『休暇中の宿題』の出版や、いくつかの評論の執筆を行ないつつ、「肉体の悪魔」の執筆を続行。
数度のコクトーを介した出版社とのやりとりと改稿の末に、ベルナール・グラッセ書店から刊行される。
このとき出版社は新人作家対象としては異例の一大プロモーションを敢行したため文壇から批判を浴びるが、作品は反道徳的ともとれる内容が逆に評判を呼びベストセラーとなり、ラディゲは一躍サロンの寵児としてもてはやされることになる。

「肉体の悪魔」で得た印税を元手に、コクトーとともにヨーロッパ各地を転々としながらも、ラディゲはすでに取りかかっていた次の作品『ドルジュル伯の舞踏会』の執筆を続行。
同時に自分がこれまで書いた評論などの原稿や詩作を整理しはじめる。

1923年11月末頃に突如、体調を崩し腸チフスと診断され入院。
病床で「ドルジュル伯」の校正をしながら治療に専念するが、快方には向かわずそのまま20歳の短い生涯を閉じる。

遺作の「ドルジュル伯の舞踏会」は、死後出版された。
コクトーはラディゲの早すぎる死に深い衝撃を受け、その後およそ10年にわたって阿片に溺れ続けた。

フランス文学界での位置づけ

ラディゲのフランス文学史全体における位置づけは、作家としての活動期間が短かく、作品の本数も少ないせいもあってか決して高くはない。
しかし処女小説「肉体の悪魔」は、題材のセンセーショナルさに溺れることなく、年上の既婚者との不倫に溺れる自らの心の推移を冷徹無比の観察眼でとらえ、虚飾を排した簡潔な表現で書きつづったことで、今日もなお批評に耐えうる完成度に達している。



「ドルジュル伯の舞踏会」に至っては、
ラディゲ自らが参考にしたとしているラファイエット夫人の『クレーヴの奥方』を、
高度に文学的な手腕で換骨奪胎し、
別の次元の「フランス心理小説の傑作」に仕立て上げていることからも、
「夭折の天才」の名にふさわしい文学的実力の持ち主であったことが容易に推察される。

(注:写真はデンマン・ライブラリーから貼り付けました。
赤字はデンマンが強調)




出典:
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

『肉体の悪魔』に掲載
(2008年8月15日)




三島さんは、どないな訳でラディゲのように20歳で死にはることが理想やったん?



それは次の小文を読むと見当がつくねん。


実在の(三谷)邦子は(『仮面の告白』の)「園子」ほど精神性も感受性も持ち合わさないと故意に貶(おとし)めながらも、三島は彼女の素直さと情熱に惹かれ、邦子との恋愛が自分にポエジーの意味を教えてくれたことを認めている。
三島は邦子が結婚した夜(昭和21年5月5日深夜)、激しく号泣し、泥酔、自殺未遂まではかったという(村松剛『三島由紀夫の世界』)。

三島は、5月5日の日記に、


俺は彼女の死を選択したのだ。よく考えてみると、俺自身の死を選択したことでもあったのだ。人生よ、さらば!つまりこれが失恋自殺という奴である。


と記し、のちに、こうも記している。


妹美津子の死(昭和20年10月)と邦子の結婚、この二つの事件が私の以後の文学的情熱を推進する力になったように思われる。
昭和21年から2,3年というもの、私は最も死の近くにいた。
未来の希望もなく、過去の喚起はすべて醜かった。

(安藤武『三島由紀夫「日録」』)


『仮面の告白』は、三島のヰタ・セクスアリスというふれこみで、グイド・レーニ(1575-1642)描く『聖セバスチャン』への射精に象徴されてきたが、ホモセクシャルは明らかに作者のフェイント(見せかけ)であった。



グイド・レーニ 『聖セバスチャン』

自慰行為の陰に、真剣な初恋の思いを意図的に消してしまったのだ。
三島はある意味で男色を面白がっていて、『禁色(きんじき)』第2部を執筆の頃、編集者の何人かに「これは絶対口外(こうがい)してくれるな」と言って、秘かに自分がホモであることを耳打ちしたところ、その効果は絶大だったという。

その最大の被害を被ったのは、レーニの殉教複製をイタリア旅行の土産に買ってきた三島の父・梓(あずさ)で、息子の異様な性生活については、その噂を信じないまでも、結婚という事実によって否定してほしいと願っていた。

モデルの邦子は『仮面の告白』について、「三島さんはとっても素直なまじめな方で、“性的倒錯”を装ってみただけじゃないかしら」とあっさり語っている(猪瀬直樹『ペルソナ - 三島由紀夫伝』)。

(注:写真はデンマン・ライブラリーから貼り付けました。
赤字はデンマンが強調)




26 - 28ページ
『三島あるいは優雅なる復讐』
2010年8月26日 第1刷発行
著者: 高橋英郎
発行所: 株式会社 飛鳥新社




三島さんは、めれちゃんのように自殺を考えたことがあるねん。 そして、昭和20年代の初期に三島さんは最も死の近くに居やはったのやァ。 つまり、20代に自殺することを考えたというわけや。 それで、どうせ死ぬのやったら、人間がまだ若くて美しいときに死ぬべきやと思いはったのやァ。



つまり、老いた姿やのうて『聖セバスチャン』のような若い姿で死にたかったと三島さんは思いはったん?

その通りや。

でも、どうして20代で死にはらずに40代で死んでしもうたん?

三島さんの世界がどんどん閉ざされていって、抜け出せる道は自決の道だけになってしもうたのや。 次の小文を読むと、その辺の心境が判るねん。




三島由紀夫の遺作となった小説『豊饒の海』第一巻『春の雪』は、作者が美智子妃への思いをもとに、想像力の赴くままに書き上げた私小説である。
その結末は破天荒で、これが戦前ならば不敬罪に当たることを、作者は百も承知で書き進めた。 そしてその頃、生涯の計画として、人の意表を衝く「死に場所」を求めていた三島は、その完成の日こそ己れの自決の日であると、秘かに心に決めていた。



その執筆と併行して彼が組織した「楯の会」は、“左翼革命”が起こるであろう日、自衛隊を先導して、硝煙けむる二重橋を渡り、火傷するほど熱い握り飯を捧げ持って、意中の人に献上するための私兵であった。
ところが、三島の期待に反した“左翼革命”は、待てども起こらなかった。
昭和43年、44年と学生デモ隊は警察機動隊の力で徹底的に鎮圧され、自衛隊の出動は見送られ、憲法改正の機会も見失われて、ついに「楯の会」は栄えある出陣の場を失ってしまったのである。
三島由紀夫が自由に生きた時代、それは昭和20年8月15日、敗戦の日で終わった。


次郎 …女はシャボン玉、お金もシャボン玉、名誉もシャボン玉、そのシャボン玉に映っているのが僕らの住んでいる世界、そんなこと、みんな知ってらあ。

 ただ言葉で知っておいでなだけでございますよ。

次郎 うそだ。 僕はみんな知っちゃったんだよ、だから僕の人生は終わったのさ。

(『邯鄲(かんたん)』昭和25年)


三島は、現人神(あらひとがみ)が「人間天皇」となった昭和の御代(みよ)を怒り、呪った。
大正10年(1921)11月25日は皇太子裕仁が大正天皇の摂政に就任し、事実上、昭和の御代が始まった日であるが、三島はこの11月25日という日を決行の日に選び、自衛隊に突入したのではないかと考えられる。

 (中略)

現代において、何かを創造するには、歴史感覚の欠如や社会性への無視は許されないが、三島が生涯にわたって愛読した『葉隠』には、ある種の時代錯誤を感じないではいられない。 この書は、真の武士道とはほど遠く、三島の人生誤算の大きな原因となったのではあるまいか。

(注:写真はデンマン・ライブラリーから貼り付けました。
赤字はデンマンが強調)




280 - 283ページ
『三島あるいは優雅なる復讐』
2010年8月26日 第1刷発行
著者: 高橋英郎
発行所: 株式会社 飛鳥新社

『アナクロニズム』に掲載
(2011年3月27日)




つまり、三島さんの世界は昭和20年8月15日までで、戦後の世界は三島さんにとって空虚の世界やった、生きがいのない世界やったと、あんさんも思うていやはるのォ〜?



そうやァ。 三島さんが自決した動機はそれ以外に考えられへん。

。。。で、三島さんの生き方もわたしに似ていると、あんさんは言わはるのォ?

そうやなァ〜。。。めれちゃんは次のように書いていたやないかいなァ。。。覚えているかァ〜?




「ペスト」が終わったら
ラディゲの「肉体の悪魔」でも読もうかと
考えています(^ω^)

「肉体の悪魔」は、
ずっと前に読んだのですが、
やたらおもしろかったことを
おぼえています

わたし、最近書けないんです(ノд<。)゜。
めれんげサバイバルで書いていた
「猫小町手習い日記」も
全然進まないし…

スランプかな?

by めれんげ

2008/07/31 11:22 PM




『即興の詩 指きり』のコメント欄より





「肉体の悪魔」を書いた

レイモン・ラディゲは早熟だった。

14歳の頃、『肉体の悪魔』の

モデルとされる年上の女性と出会い、

勉強しなくなって、不登校!

そのために学校を放校処分になってしまう。

『肉体の悪魔』は、

彼の自伝的要素が強い作品なのだ!

\(@_@)/ キャハハハ。。。

ところで、めれちゃんも早熟だった。

小学生の頃から「チャタレー夫人の恋人」を読んで、

それで、16歳で桜の花びらを散らしてしまったのだから。。。

んも〜〜。。。

めれちゃんは文学少女だったんだよねぇ〜

めれちゃんが、ひとり寝の夜の長さに

寂しくなって

枕に残り香を感じて涙ぐむ。。。

その「残り香」とは

『肉体の悪魔』ではないのか?

\(^Д^)/ギャハハハハ。。。。

そう言う訳で8月15日の

『レンゲ物語』は題して「肉体の悪魔」。

これから書き始めて

ライブドアで予約投稿しますよう。

例によって15日の午前0時20分から読めます。

めれちゃん!ぜひ読んでね。

めれちゃんの「愛の正体」に

肉迫するつもりで

マジで一生懸命に書きたいと思いま〜♪〜す。

♪┌(・。・)┘♪ うしししし。。。

では、楽しみにしていてね。

by デンマン

2008/08/13 04:30 AM




『即興の詩 残り香』のコメント欄より

『肉体の悪魔(2008年8月15日)』に掲載




三島さんのように、めれちゃんもラディゲ・ファンなのやがなァ。



そやから、わたしの生き方が三島さんに似ていると、あんさんは言わはるのォ〜?

自殺願望があったということもよく似ているねん。 めれちゃんは次のように死にたいと言うてたのやでぇ〜。




空が青くてウンザリする
車が通ってイライラする
生きてることがめんどくさい

ああ。
血管が細すぎる。
早く早く冷たくなりたい。

やっと入った。
冷たくてゾクゾクする。

でもそんなのも飽きてきた。
どうしてこんなもので破滅できるんだろう。
せめて社会的に抹殺されたいよ。

慣れてしまうなんてことあるんだ。
こんなものなくても平気さ。
退屈しのぎにもならなくなってきちまった。

結局死んじまうしかないのか。



by merange (めれんげ)

August 19, 2009 23:29




『極私的詩集 死んじまうしかないのか』より

『愛のコラボ (2009年9月29日)』に掲載




あんさんは、またずいぶん古い手記を持ち出してきやはったわァ。 今のわたしと上の手記を書いた時のわたしは全く違っておりますねん。




そうやァ。 その通りや。 三島さんとめれちゃんの大きな違いは、めれちゃんの世界は閉じてない、と言う事やねん。 そやから死ぬ必要がないねん。

わたしの世界がどうして閉じてないと、あんさんには分かりはるのォ〜?

それはなァ〜。。。次のめれちゃんとわてのやり取りを読めばハッキリと判るねん。 めれちゃんも、もう一度じっくりと読んだらええやん。


カミュの「ペスト」





めれちゃんとの「指きり」のつもりで

カミュの「ペスト」を読み出したけれど

マジで、しんどいねぇ〜

うへへへへ。。。

この本をかつてボクちゃんが

投げ出した気持ちが

よみがえりましたよう。

love interest

が皆無に等しい!

つまり、“この人を大切にしたいなあぁ〜”

と思わせるような登場人物が

作品の中に見当たらない。

ボクちゃんの読み方が

表面的だからだと思うけれど、

でも、小説家と言うのは

ミーちゃんハーちゃんの関心も

ひきつけなければならない!

そう考えるとき、たとえば、

ムルソーのガールフレンド(?)の

マリーのような人物を

登場させて欲しいよね。



とにかく、全部読みますよう!

今回は決して投げ出しませんからね。

でも、カミュがこの作品を書いたのは

テレビがなかった時代ですよう。

今時、このようなトロい作品を書いたら

読んでもらえないような気がします。

うしししし。。。

英語で読んでいるのだけれど、

言葉の問題じゃないのですよう。

39ページまで読みました。



めれちゃんとの「指きり」がなければ

ボクちゃんは投げ出しますよう。

書評をかなり読んでいるので

筋も、カミュが言いたい事も

すっかり分かっているつもりになっているから、

なおさら退屈しています。



 Albert Camus

 (アルベール・カミュ)


でも、絶対に全部読みますう。

\(@_@)/ キャハハハ。。。

めれちゃんの心を読むつもりで。。。

同時に読み始めた

大岡信の『拝啓 漱石先生』が

面白くなってきましたよう。

これは日本語です。

第1部の65ページまでは、

全くつまらない漱石研究の本だと思って

ボクちゃんは投げ出すところでしたよう。

こんな下らない書評をよく書けるなぁ〜

そう思ってすっかり馬鹿にして

投げ出すところでしたよう!

ところが第二部、68ぺーじからの

『漱石と「則天去私」』になって、

面白くなってきた。

この著者の大岡信という男は

ボクちゃんは知らなかったのだけれど、

1931年生まれの詩人で

評論家と言うことだよ。

今でも生きているみたいだ。

やっぱり人生経験をつんでいるんだね。

本もたくさん読んでいる。

充分に読み応えがあると感心しながら

漱石先生を見直しているところです。



このことについては、後で

『小百合物語』で書こうと思っています。

■ 『夫婦関係 (2008年8月2日)』

■ 『ロマンと悪妻 (2008年7月31日)』

■ 『女と味噌汁 (2008年7月29日)』

めれちゃんも楽しみにしていてね。

『ペスト』は、とにかくしんどい小説です。

でも、次女猫の“ねね”を

思い浮かべながら

ゆっくりと読むつもりですよう。

うしししし。。。

♪┌(・。・)┘♪ キャハハハ。。。

本当に、あの“ねね”は

熟睡しているよねぇ〜。



今夜は、僕も熟睡しよっとォ〜。。。

うへへへへ。。。

by デンマン

2008/07/26 6:18 AM



 (すぐ下のページへ続く)


【広告】

サイト内検索

メンバー紹介

このサイトに自分のブログを載せたい!
(ブログの登録は無料です。)


アーカイブ

Hit Graph