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2009年11月25日

女の火花

 
女の火花





件名:おはよう!昨日はお袋を見舞った後で、

叔母と「つるや」で手打ち蕎麦を食べました。

きゃはははは。。。♪┌(・。・)┘♪




日付: Sun, 01 Nov 2009 12:32:49 +0900
差出人: "green@infoseek.jp"
宛先: "domini@yahoo.co.jp"
CC: "barclay1720@aol.com"


10月30日の金曜日は盛りだくさんの一日になりました。
僕の実家の近くにある「とんでん」で食べた“茶蕎麦”はメチャうまかった。
10年ほど前に親父がまだ生きていた頃、両親と一緒に食べた茶蕎麦の味でした。



本当に懐かしかった。
小百合さんは伝統的な昔ながらの蕎麦を食べたけれど、今度は、ぜひ僕の好物の茶蕎麦を食べて行田の思い出を懐かしんでね。

蕎麦を食べてから「古代蓮の里公園」へ行って直売店で行田市で取れるいろいろな野菜やお土産物を見たけれど、改めて行田の豊かさを感じましたよう。

“ふるさとは遠くにありて思うもの”

うん、うん、うん。。。室生犀星の言葉だけれど、
こうして故郷にやって来ると改めて故郷の豊かさに気づきます。
小百合さんと一緒に古代蓮の神秘気的な花を見ながら語り合えたら、さらに幸せな気分に浸ることができたかもしれません。
残念ながら古代蓮の花は咲いてなかった。
8月だけでなく、秋にも咲く古代蓮を作れないものか?





もし、秋に古代蓮が咲いているなら、
今度は古代蓮を見ながら“Hよりも感じるハグ”をして
再会を喜び合いたいものです。

\(^ヮ^)/ ギャハハハハ。。。

「古代蓮の里公園」でのんびりと散策した後で「水城公園」へ行きました。
まさか小百合さんがまた“とうもろこし”を焼いてくれるとは思いませんでした。
簡易コンロを持ってきて、刷毛(はけ)でタレを塗りながら旨そうに焼けた“とうもろこし”は小百合さんの真心の味がしました。
マジで。。。!

\(*^_^*)/ キャハハハ。。。





公民館の前の池の端(はた)で、何も知らない人が見たらホームレスのカップルが貧しい夕食を取っているように見えたかもしれません。
ちょうで池に住む一匹のガチョウのために近所で暮らす30代の女性が餌をやりにやって来ていました。
パンの耳とレタスをガチョウにあげていたけれど、とうもろこしの焼ける旨い匂いがガチョウの食欲をそそるのか?小百合さんがコンロでとうもろこしを焼いている池の端(はた)に寄ってくるのでした。

“チョウ助”も、とうもろこしが食べたいの?”

その女性はそんなことを冗談で笑いながら言っていたけれど、小百合さんが答えて言いました。

“このガチョウは、とうもろこしを食べませんよね(笑)”



そうなんだよね。10月16日に小百合さんが初めて水城公園にやって来た時、Pure Whiteのとうもろこしを僕に焼いてくれたけれど、その前に、生のとうもろこしを COB からとって僕は“チョウ助”に食べさせようとしたのでした。
でも、食べなかった。
たぶん、量が少なかったのでガチョウには良く見えなかったのかも?

水城公園で黄色い“とうもろこし”を食べてから小百合さんと一緒にイオン(eaon)モールへ行きました。
“シナモンメルツが食べたいわ。”
小百合さんは、かなりこだわっているようでした。
僕は、別に食べたいとは思わなかったけれど。。。

でも、モールの中にあるマクドナルドの店でのんびりと語り合うことができました。
カナダで食べるシナモンメルツとは形や感じがちょっと違うんだよね。
ほんの少しだけシナモンメルツを小百合さんが食べさせてくれたけれど、
味はシナモンロールとあまり変わらなかった。



小百合さんによると、サワークリームに砂糖を混ぜてあるらしい。
そう言われて味わってみると、確かにサワークリームのすっぱさが舌に感じられたような。。。
でも、言われなければ分からないすっぱさでした。

マクドナルドでコーヒーを飲んだ後で小百合さんと一緒にお袋を見舞いに行田中央総合病院へ行きました。
小百合さんと再会してお袋も喜んでいましたよう。
小百合さん、ありがとう!
お袋は、小百合さんと再会して元気をもらったようでした。

昨日(10月31日)は、叔母と一緒にお袋を見舞いました。
その後で「つるや」で手打ち蕎麦を食べました。
小百合さんも手打ち蕎麦にこだわっているけれど、叔母も蕎麦にはかなりのこだわりを持っています。



それで、10月30日に小百合さんと一緒に見つけた手打ち蕎麦の「つるや」に行ったのですよう。
蕎麦屋らしい昔ながらのインテリアに、日本に居る事を実感させられました。

「つるや」のあとで行田中央総合病院の近くのBelc の敷地内にある Mos Burger でコーヒーとコロッケを食べながら2時間ほど粘(ねば)って積もる話をしたのでした。

ところで、昨日、行田観光協会のフライマップには出ていないゼリーフライの店を見つけました。
お袋を見舞いに小百合さんと行田中央総合病院へ行ったけれど、まだ小百合さんの記憶にあると思います。
国道125号線からそれて病院の駐車場へ行く、その道の角。
つまり、駐車場の前の道に進入する角のすぐ近くの肉屋さんでゼリーフライを作っていますよ。
一枚60円です。
買って食べなかったけれど、多分、衣(ころも)にはパン粉が入っているかも?
今度、行田へ行く機会があったら食べてみたらいいよ。

大体書き終わったので、これから「ネットカフェ・ミルミル」で牡蠣フライカレーを食べ
その後でウィンナコーヒーを飲みながらブログの記事を書きます。
記事のタイトルは「心のぬくもりを感じさせる医療」
小百合さんと再会した幸せを噛み締めながら。。。



ヽ(´ー`)ノ きゃはははは。。。

ありがとう。

じゃあね。

(V__/)
(+'.'+)
(")_(")







『心のぬくもりを感じさせる医療(2009年11月2日)』より




デンマンさん。。。上のメールは11月2日の記事の中で持ち出したものでござ〜♪〜ますわ。



卑弥子さんはよ〜く覚えていますねぇ〜?

まだ今月のことでござ〜♪〜ますから、あたくしの記憶にも鮮明に焼きついておりますわ。

あのねぇ〜、メールの中に書いてある通り、僕と小百合さんは一緒にお袋のお見舞いに行ったのですよう。

どうして小百合さんがデンマンさんのお母様の病院まで行く必要があるのでござ〜♪〜ますか?

小百合さんは僕のお袋に何度か会っているのですよう。

ただそれだけの理由で小百合さんはお見舞いに行かれたのでござ〜♪〜ますか?

あのねぇ〜、僕のお袋はジャガイモが大好物なのですよう。

ジャガイモなど関係ないでしょう!

いや。。。関係あるのですよう。そのジャガイモをフライに揚げた“イモフライ”も好きだということを小百合さんと話したのですよう。実は、イモフライのことでは、これまでにも記事に書いたことがある。


イモフライが運んできた思い出




From: barclay1720@aol.com
To: fuji@adagio.ocn.ne.jp
Date:Thu, 1 Nov 2007 12:06





行田の名物で おいなりさん ってありますか?
佐野は ふみきりずし っていう 駅の近くの
昔からのおいなり 専門の店 おいしいとこあります。
そして イモフライ、 ソースがきめて
是非 一度ご賞味あれ。持って行きます。


(2007年)10月30日、6時間パックでミルミルでメールや記事を書きました。
6時間で1500円です。
昼食がついて、飲み物は飲み放題ですよ。
ウィンナコーヒー(Vienna coffee)が僕のお気に入りです。



ここは挽(ひ)き立てですよ。
注文を聞いてから挽き立てでコーヒーをドリップします。
生クリームの冷たさが自転車をこいで温まった体にはメチャすがすがしいのですよ。
昼食は“具沢山の中華丼”を注文しました。
単独で注文すると税込みで525円です。
もちろん、1500円の中に含まれています。
そのあとで、クリームソーダを飲んで、
一休みして。。。

当然ですが、記事を書きながらアメリカンを飲みます。
それから、ホットミスク。。。
その後でダージリン。。。
ネットやり放題で、昼食がついて飲み放題で。。。
これで1500円ですからね。
チョー得をした気分で帰宅できます。
いま、ウィンナーコーヒーを飲みながら書いています。
\(⌒∀⌒)ノキャハハハ。。。



ところで、30日に帰宅してからテレビを見たら、
6時のNHKの“首都圏ネット”で佐野の“イモフライ”を取り上げていましたよ。
佐野の高校生がオリジナルなソースを開発するというレポートをやっていました。
佐野市にある醤油屋を訪ねて“ピリカラ”のソースを開発したという話です。
実は、子供の頃の神社のお祭りで、よく“イモフライ”を食べました。
多分、佐野市あたりで作っていた人がやって来て屋台を出していたのかもしれませんね。
多分、食べれば、その頃の思い出がよみがえってくるはずですよ。




日光の らっきょ や
こっぺパンの店(すごく噛みごたえのあるパン)
行田にも昔からの老舗 があると思うけど。


行田には“十万石の饅頭”がありますよ。






人間 におい や 食べ物で 覚えてるところが あります。
目より、鮮明にはっきりその時を思い出させてくれて。


そうですよ。
確かに、思い出を食べるのでしょうね。






とろけるように甘〜いエッグタルト

あの あま〜い タルト。ジンジャーのクッキー。
Vancouverに着くと、すぐ思い出の甘い物の店にいきます。
私が年老いて、行ける時までVancouver に行きたいな。


そうですよね。
バンクーバーは良い所ですよゥ。
僕にとってはパラダイスです。

\(^Д^)/ ギャハハハハ。。。。




たいして高いものでもなく、贅沢な食べ物でもなく。
ただ の思い出の 食べ物。これを食べたくて。 
私はいつも思い出を食べている。


なるほど。。。なるほど・・・
よ〜♪〜く分かりますよ。

♪┌(・。・)┘♪




高校の時、館女(館林女子高校)にかよって、
今もある 山屋のうどん家
ここのを 食べると 時間もタイムスリップする。
あの時、あの味 そのまま。
館女のすぐ近くの川魚のすりみ、ごぼうあげ
今もやっていて たまに食べます。

おいしいとかでなく
思い出を口に入れるのです。
父もよく食べました家族の共通の味。

デンマンさんもある?
行田に帰ると かならず食べるもの。


ありますよ。ありますよ。
“行田のフライ”をいつも食べますよ。
夕べも食べました。



ところで、佐野市の“イモフライ”のルポルタージュを見終わったら、
なんと!行田中学校の3年5組の時のクラスメート(女性)から電話がかかってきたのですよ。
名前を聞いた時には全くイメージが思い浮かばなかったのですよね。
彼女が去年、僕の家に電話したときに、“毎年10月か11月に帰省する”という事を僕のお袋から聞いたので、帰っているだろうか?と思って電話したと言うのです。
1時間半ぐらい話し込んだのですが、30分ぐらい話した頃に急にイメージが思い浮かんだんですよ。
“悦子さんの親しい友達です。南小学校時代からの友達です”、と言われて初めて絹子さんの顔を思い出したのです。

この悦子さんが極めてユニークな女性で僕の思い出の中では忘れる事ができない女性です。
その友達だと言ったものだから、絹子さんの顔を思い出すことができた。
この二人はいつも一緒に居たものです。二人とも実に仲が良かった。



悦子さんも絹子さんも美人ですよ。
悦子さんは現在でも都庁に勤めています。
僕は初恋の人が他のクラスに居たので二人に必要以上に接近しなかったのですが、
当時、初恋の人が居なかったら、どちらかを恋人にしていたかもしれません。

そうですよ。
中学校3年の時に僕の家に二人がやって来て白久(秩父市荒川白久)のスケートリンクに行く計画を立てたことを思い出しました。
絹子さんの話を聞いて30年以上忘れていた思い出がよみがえってきました。
30年以上も封印されていた思い出です。

“思い出を食べる”
“イモフライ”がもたらした奇妙な思い出でした。
では、お目にかかることを楽しみに。。。




『懐かしい思い出 (2007年11月5日)』より




。。。んで、デンマンさんのお母様が好きなイモフライを小百合さんは、お土産に持ってきてくださったのでござ〜♪〜ますか?



そうなのですよう。(2009年)10月16日の金曜日に小百合さんがお土産にと、イモフライを持ってきてくれたのですよう。それで、水城公園から家に戻ってから僕はお袋とイモフライを食べたのですよう。

つまり、お母様がそのイモフライのお礼が言いたいだろうと思って、デンマンさんは小百合さんを10月30日に病院へお連れしたのでござ〜♪〜ますか?

いや。。。ただ、イモフライだけではないのですよう。

他にも何か食べ物を小百合さんは差し入れしたのでござ〜♪〜ますか?

食べ物ではないのです。小百合さんの子供の学校の問題ですよう。この事については卑弥子さんとも話したのですよう。思い出してくださいね。


学校の問題



。。。んで、小百合さんの次男の問題はどうなったのでござ〜♪〜ますか?



あのねぇ〜、明らかに担任の先生が悪いのですよう。

つまり、その担任の先生は小百合さんの次男を勉強嫌いにさせ、学ぶ意欲を引き出さず、やる気を起こさせないで、学ぶことの大切さも教えなければ、楽しさも教えない。。。そのような教師失格の先生だとデンマンさんはおっしゃるのですか?

僕が小百合さんの立場であれば、先生と面談して、この記事を読ませますよう。

それでデンマンさんは小百合さんに何と助言なさったのでござ〜♪〜ますか?

そのような学校は辞めてしまえと言いましたよう。

でも、それは言い過ぎでござ〜♪〜ますわ。

実は、僕の弟も同じような問題に突き当たって、結局、埼玉県の不動岡高校を辞めてしまいましたよう。

それで。。。?

それをバネにして頑張って、大学入学検定試験を独学でパスして早稲田大学の商学部に入って修士課程まで進んで卒業しました。

あらっ。。。それはすごいですわね。でも、小百合さんの次男に学校を辞めてしまえと言うのは、あまりにも無責任だと思いますわ。

ダメな先生の下で勉強させる方が親として無責任ですよう。

そうでござ〜♪〜ましょうか?

あのねぇ、最近の先生の中には比較的安定した職業として先生の道を選んだ人が圧倒的に多いのですよう。教えることに熱意を燃やして先生になる人が少なくなった。それで、学校でも先生と生徒の間でいろいろな問題を起こすようになった。僕には、そう思えるのですよう。

そうでしょうか?

だからねぇ、橋本先生のように本心から教えることに熱意を燃やしている人に学校の先生になって欲しいと思いますよう。




『名物先生 (2009年11月19日)』より




僕のお袋も弟のことで同じような問題を抱えていたのですよう。



それでデンマンさんは小百合さんをお連れしたのでござ〜♪〜ますか?

そうなのですよう。小百合さんも僕のお袋の苦労話を聞けば、少しは心の重荷が軽くなるだろうと思ったのですよう。

。。。んで、お母様は何とおっしゃったのでござ〜♪〜ますか?

僕はあまり覚えていないのだけれど、小百合さんは次のように言ってましたよう。




デンマンさんのお母さんも苦労したのですわね。

“いつも子供の味方であげてね”

そう言われて、わたし、ちょっとハンセ〜しました。


ところで、デンマンさん。。。“女の火花”はどこに出てくるのでござ〜♪〜ますか?



やっぱり気になりますか?

気になりますわよう。これまでにも、かなりの次数を使ってきたのですわ。もう、この対談も終わりに近づいておりますゥ。でも、今出てくるか?今出てくるかと期待していたのに、ちいっとも出てきませんわ。あたくし、痺れを切らしてしまいましたわ。んも〜♪〜。。。

あのねぇ〜、上の話に続けて小百合さんは次のように言ったのですよう。


ところで、デンマンさんのお母さんが

さりげなく言ったのですけれど…、

デンマンさんは覚えてますゥ?

“小百合さんの額は狭いのねぇ〜”

額が狭いのは「意地っ張り」とか

「我が強い」ことの証(あかし)ですってぇ…。

デンマンさんのお母さんは私の性格を

見抜いていたのかも…。




小百合さんはマジで気にしていたのでござ〜♪〜ますか?



いや。。。写真を見ても分かるように、小百合さんの額がとりわけ狭いわけではない。気にしていたと言うよりも女同士の会話の中に小百合さんは“女同士の品定め”、“女の視線の鋭さ”。。。そのようなモノを感じ取っていたようですよう。

デンマンさんも、そのモノを感じ取ったのでござ〜♪〜ますか?

いや。。。僕は小百合さんが上のように言うまで全く思い当たらなかった。お袋は、確かに“小百合さんの額は狭いのねぇ〜”と言ったのだけれど、ただ、その事を思いつくままに言ったという感じで他意はなかった。額が狭いのは「意地っ張り」とか「我が強い」ことの証(あかし)だというのは、小百合さんが自分で判断して僕に言ったことで、僕のお袋は、その事については何も言わなかった。僕にとって二人の会話は、ごくありふれた世間話をしているようで、始終和(なご)やかムードだったのですよう。お袋と小百合さんの会話の中には、どこにも“鋭さ”だとか“厳しさ”を僕は感じなかった。

でも、女の火花が二人の間で散っていたのですか?

もし、火花が散っていたとしたら、僕には全く見えなかった。でも、ありそうなことだとは思った。

どうして。。。?

以前、僕は次のエッセーを読んだことがあったからですよう。


なんかにおう

「女子校育ちの女たち」


2008年1月3日

「女子校育ちのにおい」というのがあります。
いえね、私も小学校から高校まで、かれこれ12年間女子校に通っていましたから、同じ種族の者どもを見分ける目は確かなんです。

女社会で生きていくのは大変です。
嫌われ者にならないために、浮いちゃったりしないために、女の子たちが身につけた鎧(よろい)みたいなもんがあるんだな。
それが同じ女子校育ち同士、透けて見えることがあるのです。

たとえば…

● 女の子のランクを一瞬で見分ける

  鋭い「目」を持っている


「はじめまして〜」とお互いペコリと挨拶するとき、女子校女はすでにその1秒で、女性を観察しつくします。
自分より年上か年下か、セレブなのかアンセレブなのか、ぶっちゃけ女なのか鉄仮面女なのか。
もろもろの証拠を集めて瞬時に「敵か味方か」を判断することができるのです。
その目の確かさはけっこうなもんだと思います。

● 女の子の本音に

  敏感な「鼻」を持っている


「え〜、それかわいいっ」
「今日のA子超キレイ」
「やさしそうな彼だねえ」など、女の子は綿菓子のように甘い言葉で社交します。
が、女の巣窟、あけすけトークの連続技にまみれて生きてきた女子校女は、その言葉の真実度がピピッとわかっちゃうのです。
うわ〜、かなり上辺だけで言ってるよねえ。
うわ〜、かなり上から目線だよねえ……。
衝撃的な本音を受け止めつつ、私ら女子校育ちも負けじと、綿菓子にチョコレートを盛りつけたような甘い言葉で女友だちと仲よくしております。

● では男に対してはどうなのか?

ようやく女の牢獄から抜け出した19歳の春。
予備校に通いはじめた私は、男性とうまく話せませんでした。
照れてるんじゃなくて、口開くとよだれが出ちゃうから。
男性に対しては、2パターンあるようで、
不自然にサバサバっとして「私男みたいってよくいわれるのぉ」というタイプになるか、
妙にかたくなになり、男の人におごってもらうと翌日プチプレゼントを渡さないと気がすまなかったり、
いつまでたっても男の人を「さん付け」でしか呼べないような不器用タイプになるかです。
どちらも意識しすぎですな。
青春時代、男の子が日常風景にいなかった結果でしょう。

女子校育ちというと、意味なく「お嬢さんね」などと言われますが、いえいえとんでもない。
みんなかなりシタタカで、不器用なところを抱えています。
ま、そういうところがかわいらしさでもあるんですけどね。
最近では、同じ女子校育ちを見つけると、なんとなく親愛のまなざしを注いでしまうのです。

(霊屋たま/studio woofoo)




『20代働く女子の実態』より

『女の学園 (2008年6月19日)』に掲載




つまり、小百合さんには女子高育ちの“嗅覚”が備わっているとデンマンさんは思ったのでござ〜♪〜ますか?



そうですよう。確かに女同士の見方って、男が女を見る見方とは全く違っているように思いますよう。

そうでしょうか?

そうだと思いますよう。女が女を見る時には、確かに品定めをするような鋭い視線があるように感じます。

男が女を見る時には「鋭さ」はないのでござ〜♪〜ますか?

あのねぇ〜、男が女を見る時には「額の狭さ」というような些細な事など、ほとんど気にしないものですよう。

。。。んで、どこに注目するものなのでござ〜♪〜ますか?

もっと大局的な見方をするものですよう。

大局的な。。。とおっしゃいますとォ〜。。。

だから、僕は以前にも書いたでしょう。思い出してくださいよう。


男の見方



英文法の先生で、とてもユニークな先生が居ましたよ。ユニークと言っても、このエピソードがあったから、僕はこの先生がユニークだと思うようになったのですよう。寺田先生と呼ぶ事にします。僕は名前を忘れてしまったのですよ。思い出せません。まだ入学して日の浅い頃でした。春から夏になる頃の話です。



その寺田先生は女性でござ〜♪〜ますか?

もちろん、男の先生ですよ。女性の先生は一人も居ませんでした。当時、埼玉県の有名校は別学だったのですよ。熊校(県立熊谷高校)は男子校でした。

その先生は、どのような感じの先生でござ〜♪〜ますか?

山岳部の顧問をしている先生でした。また、油絵を描くのが趣味でしたよ。どちらかと言えば寺田先生は、あまりパッとしない先生なのですよ。40代だったでしょうか。。。山岳部の顧問と言う響きから山男か?というと、そういう印象でもない。がさつな感じでもない。そうかと言って繊細で洗練されている印象でもない。ざっくばらんで自然体、と言う感じでしたね。

。。。んで、どのような事があったのでござ〜♪〜ますか?

いつものように、とりわけ変わった事もなく授業は進んでいったのですよ。僕は、寺田先生の教え方がうまいと思った事もなく、とりわけ魅力的な授業をする先生だ、と思ったこともない。いわば、いつもどおりにマンネリ化した、興味のあまり感じられない授業を進めていましたよ。

それで。。。?

ふと、先生は窓の外に眼をやったのですよ。当時の校舎は木造で、僕のクラスは学校で最も古い昭和の初期に建てられた木造平屋の教室だったのですよ。寺田先生は、しばらく黙って外を見ていた。生徒の幾人かは、オヤっと思って先生の目線の行き着くところを見定めるような風でした。でも、ほとんどの生徒は無関心に教科書を見たりノートに落書きをしているようでした。僕は先生が何を見ているのだろか?と思って窓の外を見たのだけれど、僕の座席からでは窓の外の風景は垣根と空だけしか見えない。

それで。。。?

先生は、感極まったように言ったものですよ。

“う〜〜ん。。。いい尻をしているなあぁ〜”

つまり、先生は窓の外を通る女性を眺めていたのですか?

そうですよ。生垣(いけがき)の向こうは砂利道になっていて、そこを女性が歩いてゆくのが見えたのでしょうね。僕の座席からでは人が通る様子は全く見えないのですよ。先生は窓辺に立っていたから見えたのでしょう。

それで。。。?

“オイ、いいケツだとよォ〜” クスクスっと笑って、僕の後ろに居た原島君などは、ポルノ雑誌を見たようなエロい笑いをもらしながら、僕の背中を小突(こづ)いたものですよ。教室の、そこここで、くすくす笑いが起こりました。先生も皆に聞こえるような声を出した事に初めて気づいたかのようにニヤニヤしながら、教壇の方に歩いてゆきました。

デンマンさんは、どう思ったのでござ〜♪〜ますか?

女性の尻を見て、その素晴しさに感極まるような感嘆を漏らす人が僕以外にもやっぱり居るものだ、と僕は半ば同志に巡り会ったような気持ちでしたよ。

つまり、高校1年生のデンマンさんは、すでに女性のお尻を見て“う〜〜ん。。。いい尻をしているなあぁ〜。。。”と、感嘆したことがあったのでござ〜♪〜ますか?

ありましたよ。声には出さなかったけれど、まさに声に出てしまうほど感嘆したことが何度もありましたよ。

。。。んで、そのように感嘆してしまう素晴しいお尻って、一体、どのようなお尻なのでござ〜♪〜ますか?

これは個人、個人によってだいぶ違うと思うのですよゥ。美意識の問題ですからねぇ。でも、卑弥子さんが僕にマジで尋ねるのならば、僕はシャロンさんの次の写真を見せる他に思い浮かびませんよう。



うふふふふ。。。このようなお尻が素晴しいのでござ〜♪〜ますか?

卑弥子さんは、同性として何か感じるものはないのですか?

確かにシャロンさんは、きれいな方だとは思いますわ。でも、特にお尻に魅力を感じる事はござ〜♪〜ませんわ。

そうですかぁ〜。。。でも、着こなしがセクシーだとか。。。そのように思うことはありませんか?

う〜♪〜ん。。。確かに、着こなしが洗練されていると思いますわ。でも、芸能人の写真を見るようで、身近な美しさを感じませんわ。

なるほどねぇ〜。。。そういうものですかぁ〜。。。確かに人体の一部に感じる魅力は人によって違うのでしょうね。寺田先生も、クスクス笑う生徒を見て次のように言ったものですよ。

“まだ、君らには分からないかもしれないなぁ〜”

「いえ、先生、僕には分かりますよ」 僕は手を上げて寺田先生に、そう言いたい衝動に駆られたものですよう。

そのようなエピソードがあったので、デンマンさんは寺田先生がユニークだと思うようになったのでござ〜♪〜ますか?

そうですよ。思っていても、なかなか生徒の前で口に出せるものではないですよ。それを自然体で感嘆し、自然に口に出す。凡人には、なかなかできない事だと僕はその時に思ったものですよ。考えてみたら、寺田先生は油絵をやりましたからね、当然デッサンなどで女性のヌードを描いていたと思うのですよ。

つまり、生垣の外を歩く女性を、寺田先生はヌードをデッサンするような目で眺めていたと。。。デンマンさんは、そう思うのでござ〜♪〜ますか?



そうですよ、常日頃から美術的に女性の美しさを見出そうとしているような習慣ができていない限り、授業中に窓から見えた女性の尻の美しさに感嘆できる人はまず居ないですよ。しかも、生徒の前で、自然に感嘆の言葉を漏らすのですからね。

その事がデンマンさんには、とっても感動的だったのでござ〜♪〜ますか?

そうですよ。




『名物先生 (2009年11月19日)』より


つまり、男はヤ〜らしい見方をするのでござ〜♪〜ますわね!?

違いますよう。。。ヤ〜らしい見方ではありませんよう。男は女性の美しさを追い求めるのですよう。


【卑弥子の独り言】



ですってぇ〜。。。
デンマンさんは大局的な見方だとおっしゃいましたけれど、額がお尻になっただけのことですわ。
確かにお尻のほうが額よりも大きいですけれど、五十歩百歩でござ〜♪〜ますわよう。
そうでしょう!?
あなたは、どう思いますか?

とにかく、面白いお話がまだ続きますわ。
あなたもどうか、また、あさって読みに戻ってきてくださいましね。
では、またぁ〜。。。




メチャ面白い、

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こんにちは。ジューンです。

日本では公立高校でも別学がありますが、

カナダでは公立高校は共学と決まっています。

わたしは幼稚園からずっと共学でしたから、

「女の学園」って、全く経験した事が無いのです。

なんかにおう

「女子校育ちの女たち」


この記事を興味深く読ませてもらいました。

女ばかりの学園で育つと

いろいろと面白い経験もするのでしょうね。

あなたはいかがでしたか?

高校は共学でした?

それとも別学?

面白いエピソードがあったら、

ぜひコメントに書いてくださいね。



ところで、卑弥子さんが面白い話をまとめました。

興味があったら読んでみてください。

■ 『あなたも笑って幸せになりませんか?』



では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。





2009年11月19日

名物先生

 
名物先生





日付: Sat, 1 Aug 2009 15:34:13 +0900 (JST)
(バンクーバー時間:7月31日 金曜日 午後11時34分)
差出人: "domini@yahoo.co.jp"
宛先: "green@infoseek.jp"



件名:バカな日々を送ってましたよ。

\(*^_^*)/



やっと 昨日で長男坊の夏季セミナーも一段落
次男坊も課外授業も、いったん休憩で 残りは8月末に。
それで、 夏休みがやってきました。

明日から 軽井沢にいってきますが・・
すぐ戻る。 
先生が時々 来る。

元気ですから、朝ゆっくり 起きてます。
以前は眠れず、5時か6時に目がさえて しまって、
 
昼間は 早く夜になって 酒を飲んで眠りたい  と思い。
夜は早くから 目がさめて眠れず、
朝になって起きてしまいたい と思い。
バカな日々を送ってましたよ。

(室生)犀星に グチでもたれてきます。

さゆりより






Subj:小百合さんと二人で

また、あのせせらぎのそばを

歩きたいで〜♪〜す。

\(*^_^*)/ キャハハハ。。。




Date: 01/08/2009 11:50:49 AM
Pacific Daylight Saving Time
(日本時間:8月2日 日曜日 午前3時50分)
From: green@infoseek.jp
To: domini@yahoo.co.jp
CC: barclay1720@aol.com





やっと 昨日で長男坊の夏季セミナーも一段落
次男坊も課外授業も、いったん休憩で 残りは8月末に。
それで、 夏休みがやってきました。


軽井沢に行っているものと思っていたけれど、
子供のために頑張っていたんだね!?
それでこそ子供が懐かしく思い出す“まぶたの母”ですよう。

\(^o^)/ キャハハハ。。。

小百合さんが、こうして返信を書く気分になったのだから、以前から比べれば、心配事も少なくなったのでしょうね。




明日から 軽井沢にいってきますが・・
すぐ戻る。


そうです。そうですよう。。。
小百合さんも癒されないと精神的にまいってしまうもんねぇ〜。
何もかも忘れて、小百合さんの“聖地”で思う存分森林浴をしてきてね。
体も心も充電してきてね。




先生が時々 来る。


うjん、うん、うん。。。
母親がどういう精神状態なのか?
それを見れば、先生は子供の状態までが分かるものですよう。
母親がしっかりしているのを見れば、先生も安心するのです。

そう言えば思い出しましたよう。
僕の弟が小学生のとき、隣の“ちいこちゃん”が同じクラスだったのですよう。
菊ちゃんと喧嘩した“おきよさん”の次女ですよう。



『菊ちゃんを旅する(2008年4月26日)』
  (菊ちゃんとおきよさんの面白い話)

確か、弟が小学校4年生か5年生でしたね。
クラス担任が五月女(そうとめ)先生でした。
この先生は僕の親父の従弟です。

家庭訪問のときに、隣まで来たのに僕のお袋に会いに来なかったので
お袋はつい最近の思い出話でも、その事を良く思っていませんでしたよう。
やはり、会いに来るべきだったとお袋は言うのです。

もちろん、親戚だから、五月女(そうとめ)先生は僕のお袋のことを良く知っていました。
小学生時代も中学生時代も、僕の弟は模範的な生徒だったから、
とりわけ、お袋と話をする必要がなかったのです。

その当時、五月女(そうとめ)先生は独身だったので、
お袋と二人で話をすることがなんとなく気恥ずかしい気持ちだったのかもしれません。

でも、お袋が先日、火傷して入院している時に
お見舞いの品が届いたそうですよう。
20年以上経っているのに、お袋の事を忘れていないのですよね。

五月女(そうとめ)先生は、立派な先生でした。
校長先生を最後に退職して悠々自適な生活を送っています。
僕は直接、五月女(そうとめ)先生の教えは受けなかった。

親父も五月女(そうとめ)先生も教科の中では音楽が専門だったから、
五月女先生が合奏部を作った時にコントラバスをやらないかという話が出て、
それで、僕は合奏部に入ってベースをやり始めたのです。

NHKコンクールで関東甲信越地方で3位に入ったことがありました。
そのときの演奏がレコードで残っていますよう。

「ハンガリア舞曲第5番」と「美しく青きドナウ」
なつかしい。



ハンガリーの首都・ブダペストを流れる

美しく青きドナウ川


『暑中お見舞い(2009年8月9日)』

「ハンガリア舞曲第5番」と「美しき青きドナウ」のこと…




元気ですから、朝ゆっくり 起きてます。
以前は眠れず、
5時か6時に目がさえて しまって、


小百合さんは意外に繊細なところがあるのですね?

ヽ(´ー`)ノ うしししし。。。



でも、そう言う繊細な心があったからこそバンクーバーまで「仙台辛味噌ラーメン」を送ってくれたのでしょうね!?
小百合さんの繊細さとやさしさを僕は愛していますからね。

\(@_@)/ キャハハハ。。。




昼間は 早く夜になって
酒を飲んで眠りたい と思い。
夜は早くから 目がさめて眠れず、
朝になって起きてしまいたい と思い。
バカな日々を送ってましたよ。

犀星に グチでもたれてきます。


はい、はい、はい。。。
犀星に たくさんグチをたれてきてね。
そうすれば、小百合さんの気持ちもさっぱりするでしょう!





そう言えば、あの犀星の文学碑ね。
あの場所は夏ならば、めちゃ涼しいだろうね。
あの文学碑は記事でも、ずいぶんと取り上げたけれど、
僕にとっても懐かしい場所になりました。

そうだよね。
あの文学碑は夏には軽井沢で最も素晴らしいスポットだと僕は信じますよう。
それこそ森林浴には絶好の場所ですよう。





あのせせらぎは、「アカシヤの小径」、「恋人たちの小径」のそばを流れてゆくのですからね。
うん、うん、うん。。。小百合さんと二人でまた、あのせせらぎのそばを歩きたいですね。

\(*^_^*) /キャハハハ。。。

は〜♪〜い。
そう言う訳で、小百合さんも文学碑を僕の分まで眺めてきてね。
癒されて、身も心も充電して、元気にたくましく生き抜いてね。

(//\/i/i__/)
(+'.'+)
(")_(")


じゃあねぇ〜






『暑中お見舞い (2009年8月9日)』より




デンマンさん。。。どうしてまた古い小百合さんのメールを持ち出してきたのでござ〜♪〜ますか?



あのねぇ〜、小百合さんも3人の男の子の母親で子供の教育のことでは頭を悩ませているのですよう。

小百合さんは問題児でも抱えているのでござ〜♪〜ますか?

次男のことで特に頭を悩ませているのですよう。

どういう問題なのでござ〜♪〜ますか?

勉強嫌いで先生とうまくやってゆけないのですよう。退学させられそうなので小百合さんも頭を悩めているのですよう。

。。。んで、どうしてデンマンさんまでが問題児のことを取り上げようとしたのでござ〜♪〜ますか?

あのねぇ、僕は日本に帰省している時に、たまたまNHKで次の番組を観たのですよう。


「ザ・コーチ 人生ノ教科書」

横道にそれてもいいんだ

伝説の国語教師 橋本武


2009年10月12日(月) 午後10:45〜11:30

「ザ・コーチ」は、スポーツ、芸術、学問など、さまざまな分野で優れた人材を育ててきた名指導者たちの教えを通して、子育てやコミュニケーションのヒントを探る番組です。

今回の主人公は、元国語教師・橋本武さん(97歳)。
橋本さんは、神戸の中高一貫校、灘中学・灘高校で50年間教壇に立ち、かつては無名だった同校を、私立としては初めて東大合格者数日本一に押し上げた“伝説の国語教師”です。

しかし進学校のイメージに反して、その授業は世の受験勉強とは全く異なるものでした。
教科書代わりに使ったのは、一冊の文庫本。
中勘助の小説「銀の匙」です。
橋本さんは、およそ200ページのこの作品を、中学の3年間かけて読み込む異色の授業を行いました。
国語嫌いだった生徒からも、学ぶ意欲を引き出し、やがて東大へと導いた橋本さん。
その指導法とはどんなものだったのでしょうか?



 
『横道にそれてもいいんだ 〜伝説の国語教師 橋本武〜』より


デンマンさんは、また感動してしまったのでござ〜♪〜ますか?

そうなのですよう。中勘助の小説「銀の匙」を教科書代わりに使っていた、と言うのだけれど、僕は作者の名前もタイトルも全く知らなかった。

あたくしも聞いたことがござ〜♪〜ませんわ。それで、どのようなところにデンマンさんは感動なさったのでござ〜♪〜ますか?

あのねぇ〜、番組の中に登場する橋本武氏は97歳なのですよう。今から20年程前まで、橋本さんは灘中学・高等学校の国語教師だった。灘校の国語教師になって約50年、彼の独創的な授業によって生徒の学力が増進し、東大合格者数が全国1位となった、と言うのです。

東大合格者数が全国1位となった事が素晴らしいのでござ〜♪〜ますか?

いや。。。教育と言うのは、なにも東大合格者数を全国1位にすることではないのですよう。でもねぇ、東大合格者の数を出すと聞く人にも分かり易いから、判断基準として都合がいいのでマスコミも東大合格者数を発表するのですよう。

でも、教育の判断の基準は別のところにあるのでござ〜♪〜ますか?

もちろんですよう。東大合格者を出さないからと言って、その学校の教育がダメな訳じゃない。

。。。んで、デンマンさんにとって教育の判断の基準とは、いったい何でござ〜♪〜ますか?

生徒を勉強嫌いにさせないと言うことですよう。生徒から学ぶ意欲を引き出し、やる気を起こさせ、学ぶことの大切さと楽しさを教え込むと言うことですよう。

橋本先生は、そのような事を国語の授業を通じてなさったのでござ〜♪〜ますか?

そうなのですよう。橋本先生の授業の特徴は次の3点なのですよう。

1) 実体験に基づく授業

2) 横道にそれる授業

3) 手作りの研究資料を用いた授業


まず、文章の中に出てくる様々な文物を、実際に見せたり味あわせたり、体験させたりするのですよう。駄菓子が出てくれば、生徒全員にその駄菓子を与えて食べさせてみたりする。凧揚げが出てくれば実際に凧を作ってあげてみるのです。

マジで。。。?

卑弥子さんだって駄菓子が食べられれば授業が好きになれるでしょう?

もちろんでござ〜♪〜ますわ。京都の“生八つ橋”が出てくれば、もう最高でござ〜♪〜ますわ。ゥふふふふふ。。。

さらに、橋本先生は周辺知識を真面目に取り上げて、どんどん横道にそれてゆくのですよう。文章に干支が出てくれば、干支の説明をしっかりすることに加えて、十干十二支を教えて、「甲子園球場」の名前の由来を教えたりするのです。

面白そうですわ。

それから、橋本先生は自作の研究資料・授業プリントを作るのですよう。僕が驚いたのは小説の中で分からない語句が出てくると橋本先生は徹底的に調べるのです。それでも分からないと作者の中勘助さんに手紙を書いて教えを請うのですよう。

マジで。。。?

僕も仙台商業高校で教えたことがあるし、カナダの大学でも教えたことがあるけれど、そこまでした事は無かった。つまり、橋本先生の生徒に教える熱意が良く分かるのです。

デンマンさんは生徒に教える熱意が無かったのでござ〜♪〜ますか?

もちろんありましたよう。ただし、橋本先生ほどの熱意が無かったのですよう。うしししし。。。僕は反省しています。

それで。。。?

そうやって1年間教え終えたら綴じ込ませて冊子にする。これを3年間続けるのだから、手作りの教科書が3冊できることになる。

それを6年続けたのでござ〜♪〜ますか?

そうなのです。灘中学・高等学校は、ある学年の教科担当は6年間持ち上がりだそうです。つまり、最初に中学1年生の国語を担当したら、その教師は6年間その生徒の国語を教えることになる。したがって、その学年の学力は担当した教師に全責任がかかることになる。

つまり、灘校の教師は、ご自分の全責任で6年間通して生徒の教科を担当するということでござ〜♪〜ますか?

そうなのですよう。つまり、先生も生徒も燃えるのですよう。先生は、いろいろな手法を試そうとする。惰性で教えていたら学力向上は望めない。

つまり、そのようにして橋本先生は生徒を勉強嫌いにさせなかったのでござ〜♪〜ますわね。そして、生徒から学ぶ意欲を引き出し、やる気を起こさせ、学ぶことの大切さと楽しさを教えたのですわね。

そのとおりですよう。

。。。んで、デンマンさんも高校時代にそのような教育を受けたのでござ〜♪〜ますか?

その通りですよう。卑弥子さんも知っているでしょう?

あたくしがですか?。。。あたくしが、どうして知っているのでござ〜♪〜ますか?

やだなあああぁ〜。。。もう忘れてしまったのですね。9月10日に卑弥子さんと語り合ったのですよう。思い出してくださいね。


自由で開放的な

授業の雰囲気




英文法の先生で、とてもユニークな先生が居ましたよ。ユニークと言っても、このエピソードがあったから、僕はこの先生がユニークだと思うようになったのですよう。寺田先生と呼ぶ事にします。僕は名前を忘れてしまったのですよ。思い出せません。まだ入学して日の浅い頃でした。春から夏になる頃の話です。



その寺田先生は女性でござ〜♪〜ますか?

もちろん、男の先生ですよ。女性の先生は一人も居ませんでした。当時、埼玉県の有名校は別学だったのですよ。熊校(県立熊谷高校)は男子校でした。

その先生は、どのような感じの先生でござ〜♪〜ますか?

山岳部の顧問をしている先生でした。また、油絵を描くのが趣味でしたよ。どちらかと言えば寺田先生は、あまりパッとしない先生なのですよ。40代だったでしょうか。。。山岳部の顧問と言う響きから山男か?というと、そういう印象でもない。がさつな感じでもない。そうかと言って繊細で洗練されている印象でもない。ざっくばらんで自然体、と言う感じでしたね。

。。。んで、どのような事があったのでござ〜♪〜ますか?

いつものように、とりわけ変わった事もなく授業は進んでいったのですよ。僕は、寺田先生の教え方がうまいと思った事もなく、とりわけ魅力的な授業をする先生だ、と思ったこともない。いわば、いつもどおりにマンネリ化した、興味のあまり感じられない授業を進めていましたよ。

それで。。。?

ふと、先生は窓の外に眼をやったのですよ。当時の校舎は木造で、僕のクラスは学校で最も古い昭和の初期に建てられた木造平屋の教室だったのですよ。寺田先生は、しばらく黙って外を見ていた。生徒の幾人かは、オヤっと思って先生の目線の行き着くところを見定めるような風でした。でも、ほとんどの生徒は無関心に教科書を見たりノートに落書きをしているようでした。僕は先生が何を見ているのだろか?と思って窓の外を見たのだけれど、僕の座席からでは窓の外の風景は垣根と空だけしか見えない。

それで。。。?

先生は、感極まったように言ったものですよ。

“う〜〜ん。。。いい尻をしているなあぁ〜”

つまり、先生は窓の外を通る女性を眺めていたのですか?

そうですよ。生垣(いけがき)の向こうは砂利道になっていて、そこを女性が歩いてゆくのが見えたのでしょうね。僕の座席からでは人が通る様子は全く見えないのですよ。先生は窓辺に立っていたから見えたのでしょう。

それで。。。?

“オイ、いいケツだとよォ〜” クスクスっと笑って、僕の後ろに居た原島君などは、ポルノ雑誌を見たようなエロい笑いをもらしながら、僕の背中を小突(こづ)いたものですよ。教室の、そこここで、くすくす笑いが起こりました。先生も皆に聞こえるような声を出した事に初めて気づいたかのようにニヤニヤしながら、教壇の方に歩いてゆきました。

デンマンさんは、どう思ったのでござ〜♪〜ますか?

女性の尻を見て、その素晴しさに感極まるような感嘆を漏らす人が僕以外にもやっぱり居るものだ、と僕は半ば同志に巡り会ったような気持ちでしたよ。

つまり、高校1年生のデンマンさんは、すでに女性のお尻を見て“う〜〜ん。。。いい尻をしているなあぁ〜。。。”と、感嘆したことがあったのでござ〜♪〜ますか?

ありましたよ。声には出さなかったけれど、まさに声に出てしまうほど感嘆したことが何度もありましたよ。

。。。んで、そのように感嘆してしまう素晴しいお尻って、一体、どのようなお尻なのでござ〜♪〜ますか?

これは個人、個人によってだいぶ違うと思うのですよゥ。美意識の問題ですからねぇ。でも、卑弥子さんが僕にマジで尋ねるのならば、僕はシャロンさんの次の写真を見せる他に思い浮かびませんよう。



うふふふふ。。。このようなお尻が素晴しいのでござ〜♪〜ますか?

卑弥子さんは、同性として何か感じるものはないのですか?

確かにシャロンさんは、きれいな方だとは思いますわ。でも、特にお尻に魅力を感じる事はござ〜♪〜ませんわ。

そうですかぁ〜。。。でも、着こなしがセクシーだとか。。。そのように思うことはありませんか?

う〜♪〜ん。。。確かに、着こなしが洗練されていると思いますわ。でも、芸能人の写真を見るようで、身近な美しさを感じませんわ。

なるほどねぇ〜。。。そういうものですかぁ〜。。。確かに人体の一部に感じる魅力は人によって違うのでしょうね。寺田先生も、クスクス笑う生徒を見て次のように言ったものですよ。

“まだ、君らには分からないかもしれないなぁ〜”

「いえ、先生、僕には分かりますよ」 僕は手を上げて寺田先生に、そう言いたい衝動に駆られたものですよう。

そのようなエピソードがあったので、デンマンさんは寺田先生がユニークだと思うようになったのでござ〜♪〜ますか?

そうですよ。思っていても、なかなか生徒の前で口に出せるものではないですよ。それを自然体で感嘆し、自然に口に出す。凡人には、なかなかできない事だと僕はその時に思ったものですよ。考えてみたら、寺田先生は油絵をやりましたからね、当然デッサンなどで女性のヌードを描いていたと思うのですよ。

つまり、生垣の外を歩く女性を、寺田先生はヌードをデッサンするような目で眺めていたと。。。デンマンさんは、そう思うのでござ〜♪〜ますか?



そうですよ、常日頃から美術的に女性の美しさを見出そうとしているような習慣ができていない限り、授業中に窓から見えた女性の尻の美しさに感嘆できる人はまず居ないですよ。しかも、生徒の前で、自然に感嘆の言葉を漏らすのですからね。

その事がデンマンさんには、とっても感動的だったのでござ〜♪〜ますか?

そうですよ。ちょうど女性の美しさの話題が出たので、僕はもう一つ心に残るエピソードを思い出しましたよ。

また、女性のお尻でござ〜♪〜ますか?

いや、今度のエピソードは女性の体の一部ではありませんよ。歴史的に超有名な美人の話ですよ。

クレオパトラでござ〜♪〜ますか?

いや、中国の楊貴妃ですよ。このエピソードは、高校1年生の時の漢文の先生のことです。名前がどうしても思い出せません。仮に大島先生としましょう。当時50才を越していたと思うのですよ。校長先生にしても可笑しくないような貫禄のある先生でした。小柄な先生でしたが、威厳があって、どこと無く近寄りがたいオーラを感じたものですよ。

つまり、あまり親しみを感じるようなお人柄ではなかったのでござ〜♪〜ますわね?

そうです。見た目は怖い感じでしたよ。でも、大島先生は教え方が実にうまかった。これほど情熱を込めて教える先生を僕は見たことがありませんでしたよ。

デンマンさんは、何をそれほどまでに感動したのでござ〜♪〜ますか?

大島先生の『長恨歌』の授業ですよ。今でも一週間前の出来事のように鮮明に思い浮かべる事ができますよ。

どう言う所がそれ程素晴しかったのでござ〜♪〜ますか?

この先生自身が、若い頃『長恨歌』の授業に感銘を受けて漢文の先生になろうと決めた、と言うのですよ。だから、とりわけ『長恨歌』には思い入れがあったのでしょうね。実際、素晴しい授業でしたよ。僕も引き込まれるように、この先生の熱のこもった説明に魅了されたものでした。まるで人間国宝級の講談師が講釈をしているような熱の入れ方なのですよ。卑弥子さんも『長恨歌』を知っているでしょう?

もちろん、名前だけは知っておりますわ。でも、あたくしの専門は平安時代の源氏物語でござ〜♪〜ますから、中国文学はイマイチでござ〜♪〜ますわ。おほほほほ。。。


長恨歌(ちょうごんか)



華清池は秦の時代(前221〜前207年)から続く温泉地で、唐代(618〜907年)中期には玄宗皇帝がここに華清宮を建てた。
華清池の中には華清池という池があるわけではなく、この楊貴妃の像は九龍湖の中に立っていた。
(この時、2006年3月、池は改修中で楊貴妃像は引っ越して陸に上がり、花壇の真ん中に立っていた)

九龍湖は規模としては湖と言うより池である。
上の写真の奥には、九龍橋や龍石舫がある。
背後の驪山にはロープウエイが山頂に向かって伸びている。

中国の四大美人(西施,王昭君,貂蝉,楊貴妃)の1人として名高い楊貴妃が華清池で温泉に入り、皇帝の寵愛を受けたことで知られる。
1986年には2人が使用したと思われる浴槽が発掘された。
現在残っている建物は、清朝末期に西太后が築いたもの。

華清池があるのは西安市。
日本語読みでは「せいあん」
中国語では「しーあん」と呼ばれる。
中華人民共和国陝西省の省都であり、古くは中国古代の諸王朝の都となった長安である。

【解説】

長恨歌は中国・唐の時代、白居易(白楽天)によって作られた長編の漢詩である。
唐代の玄宗皇帝と楊貴妃のエピソードを歌い、平安時代以降の日本文学にも多大な影響を与えた。
806年(元和元年)、白居易(白楽天)が盩厔県(陝西省周至県)尉であった時の作。
七言古詩(120句)。

【あらすじ】

漢の王は長年美女を求めてきたが、どの女性にも満ち足りないものを感じていた。
ところが、ついに探し求めていた美女に出会った。楊家の娘だった。
それ以来、王は彼女にのめりこんで政治を忘れたばかりでなく、その縁者を次々と高位に取り上げる。

その有様に反乱(安史の乱)が起き、王は宮殿を逃げ出す。
しかし楊貴妃をよく思わない兵は動かず、とうとう王は兵をなだめるために楊貴妃殺害を許可する羽目になる。
結局、楊貴妃は殺されてしまった。

反乱が治まると王は都に戻ったが、楊貴妃を懐かしく思い出すばかりでうつうつとして楽しまない。
道士が術を使って楊貴妃の魂を捜し求め、苦労の末、ようやく仙界にて、今は太真と名乗る彼女を見つけ出す。

太真は道士に、王との思い出の品とメッセージをことづける。
それは「天にあっては比翼の鳥のように」「地にあっては連理の枝のように」
かつて永遠の愛を誓い合った思い出の言葉だった。

【史実との相違】

時代が唐代から漢代に変えられている。
長恨歌が発表されたのは安禄山の蜂起に始まった安史の乱が終結して間もなくのことであり、現政権に遠慮してのことであろう。
楊貴妃は、そもそもは玄宗皇帝の子息の一人の妃であった。
さすがに息子から妻を奪うのをはばかり、いったん道士となった後で玄宗の後宮に迎え入れられている。
太真は楊貴妃の道士時代の名。

【楊貴妃の美】

■ 「温泉水滑洗凝脂」「雪膚」

温泉の湯水がなめらかに凝脂を洗う、と表現されるように、むっちりとした白い肌の持ち主だった。 



■ 「雲鬢花顏」「花貌」「芙蓉如面柳如眉」

ふんわりとした髪の生え際、芙蓉の花のような顔だち、柳のようなほっそりとした眉、など顔のパーツも重要であったようだ。

■ 「侍兒扶起嬌無力」「金歩搖」

侍女に助け起こされてもぐったり、歩くに連れてかんざしがしゃらしゃらと揺れる、といった感じで、北宋ごろから流行しだした纏足(てんそく)という習慣にも見られるように、いかにもなよなよとした頼りなげな様子が女性らしいしぐさとして愛されたらしい。




出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


「漢詩」と言うのは、日本の若者の間では「浪花節」とか「浪曲」ぐらい人気が無くなっていると思うのですよね。卑弥子さんも『長恨歌』と言う名前は知っていても、内容までは良く知らない。。。そうでしょう?

デンマンさんは、大島先生の授業で聞いたお話を未だに感銘深く覚えていたのでござ〜♪〜ますか?

そうですよ。だから僕は中国に行ったら、ぜひとも古代中国の長安の都で楊貴妃に会いたいものだと思っていたのですよ。

それで、ついにその思いをかなえた訳なのでござ〜♪〜ますか?

そうなのですよ。ついに楊貴妃の像にお目にかかりましたよ。ちょうど小百合さんが中学生の頃『エマニエル夫人』を見て、その時の感動が忘れられずに、パリではなく、バンコクに行ったようなものですよ。





つまり、デンマンさんにとっては、エマニエル夫人よりも『長恨歌』の中の楊貴妃に、すっご〜♪〜く惹かれたのでござ〜♪〜ますか?

そうなのですよ。卑弥子さんだって知らずに、この『長恨歌』の影響を受けているのですよう。




『熊校の先生 (2009年9月10日)』より


つまり、個性的な寺田先生と大島先生の授業を受けて、デンマンさんは学ぶ意欲に燃えて、やる気を起こし、学ぶことの大切さと楽しさを体得したのでござ〜♪〜ますか?

そうですよう。

。。。んで、小百合さんの次男の問題はどうなったのでござ〜♪〜ますか?

あのねぇ〜、明らかに担任の先生が悪いのですよう。

つまり、その担任の先生は小百合さんの次男を勉強嫌いにさせ、学ぶ意欲を引き出さず、やる気を起こさせないで、学ぶことの大切さも教えなければ、楽しさも教えない。。。そのような教師失格の先生だとデンマンさんはおっしゃるのですか?

僕が小百合さんの立場であれば、先生と面談して、この記事を読ませますよう。

それでデンマンさんは小百合さんに何と助言なさったのでござ〜♪〜ますか?

そのような学校は辞めてしまえと言いましたよう。

でも、それは言い過ぎでござ〜♪〜ますわ。

実は、僕の弟も同じような問題に突き当たって、結局、埼玉県の不動岡高校を辞めてしまいましたよう。

それで。。。?

それをバネにして頑張って、大学入学検定試験を独学でパスして早稲田大学の商学部に入って修士課程まで進んで卒業しました。

あらっ。。。それはすごいですわね。でも、小百合さんの次男に学校を辞めてしまえと言うのは、あまりにも無責任だと思いますわ。

ダメな先生の下で勉強させる方が親として無責任ですよう。

そうでござ〜♪〜ましょうか?

あのねぇ、最近の先生の中には比較的安定した職業として先生の道を選んだ人が圧倒的に多いのですよう。教えることに熱意を燃やして先生になる人が少なくなった。それで、学校でも先生と生徒の間でいろいろな問題を起こすようになった。僕には、そう思えるのですよう。

そうでしょうか?

だからねぇ、橋本先生のように本心から教えることに熱意を燃やしている人に学校の先生になって欲しいと思いますよう。


【卑弥子の独り言】



ですってぇ〜。。。
あたくしも京都の女子大学で「日本文化と源氏物語」を教えている准教授としてデンマンさんのお話を興味深く伺ったのでござ〜♪〜ますわ。
学生に教える熱意を持ち続けると言うことは本当に難しいものでござ〜♪〜ます。
教授と言えども人の子です。
ミーちゃんハーちゃんのように50の長所と50の欠点を持っているのですわ。

なるべく長所を前面に出しながら教えていますけれども、時には感情が爆発することもござ〜♪〜ます。
最近の女子大生の中には常識を逸脱した女子も居るのでござ〜♪〜ますわ。
本当にやりにくい世の中になりました。
高校までの教育にも問題があるのでござ〜♪〜ます。
あなたは、どう思いますか?

とにかく、興味深いお話がまだ続きますわ。
あなたもどうか、また、あさって読みに戻ってきてくださいましね。
では、またぁ〜。。。




メチャ面白い、

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こんにちは。ジューンです。

「お受験殺人」

聞いたことがあるでしょう?

日本にはすごい殺人がありますよね。

欧米では考えられない事ですわ。

「お受験」がまったく無いわけではありませんけれど、

日本のような過激な「受験戦争」はありませんわ。

考えてみれば、

欧米には「受験戦争」が無いのですから、

考えようによっては、

本物の「戦争」だって、やる気になれば

無くす事ができるのですわよね。

でも、無くならない。

つまり、無くそうとしない政治家が居るのですわ。

だから、無くそうとする政治家を

一人でも多く国会に送り込めばいいのですわ。

それを世界レベルでやる必要がありますよね。

あなたも、そう思いませんか?



ところで、卑弥子さんが面白い記事をまとめました。

時間があったらぜひ読んでみてくださいね。

■ 『笑って幸せな気分になれるサイト』

では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。






2009年09月26日

卑弥子さんの存在感(PART 2)


  
卑弥子さんの存在感(PART 2)


行田蓮 (古代蓮)



行田市の“天然記念物”に指定されている行田蓮(古代蓮)は
原始的な形態を持つ1400年から3000年前の蓮なんですってよ。
この古代蓮が発見された行田市の小針と言う地区は、
なんとデンマンさんが生まれ育ったところから歩いて30分ぐらいの所にあるんですって。

今から約2000年前、この古代蓮の里一帯は、
たくさんの水生植物が茂る湿地帯だったそうです。
そのとき咲いていた蓮の実が地中深くもぐり、
ふたたびあたたかい陽射しをあびる日まで長い長い眠りについたのですね。

1971年(昭和46年)、行田市では小針地区に新しい焼却場施設を建設するために造成工事を始めたのです。
掘削によってできた場所に水がたまって池となり、
地中深く眠っていた蓮の実が静かに目覚めたのです。

1973年(昭和48年)、池の水面に
多くの丸い葉が浮いているのが発見されたのです。
その後、葉の数もふえつづけ、ついに7月13日、
長い眠りから覚めた古代蓮が可憐なピンクの花を咲かせたのです。

ハスの種子は殻が硬く発芽させにくいのですよね。
でも、そういうわけで、条件が良ければかなり長期間保存が効くのです。
だから、2000年前の地層から発見されたハスの種子が、
発芽することもあるのですわ。
ハスの種が、いかに長寿であるかが実に良く分かるエピソードですよね。

行田市ではその後、小針地区に“古代蓮の里”を立ち上げました。
“古代蓮”をシンボルとする公園です。
古代蓮の自生する付近に憩いの場として、
子どもからお年寄りまで楽しめる公園になっていますよ。
ホームページは次のリンクをクリックしてみてくださいね。

■ 『古代蓮の里 ホームページ』

では、ここで万葉集の中の蓮を詠んだ歌を紹介します。
ちょっと面白い歌ですよ。

原文: 勝間田之 池者我知 蓮無 然言君之 鬚無如之

作者: 女性だけれど名前は不明です。

よみ: 勝間田(かつまた)の、池は我れ知る、蓮(はちす)なし、
  しか言ふ君が、鬚(ひげ)なきごとし

意味: 勝間田の池は、私も知っていますよ。
  でも、蓮(はす)はありませんわ。
  そのようにおっしゃるあなた様に
  ひげがないのと同じように。うふふふふ。。。

新田部皇子(にいたべのみこ)が勝間田の池に咲く蓮の花を見て感動したのですね。
その事をこの歌の作者である女性に語ったわけです。
それを聞いて、その女性が戯(たわむ)れに詠んだ歌なのですわ。



外出先で美しいハス(=美人)でも目にしてきたのでしょう、
。。。と皇子の話を聞いた女性がからかったわけなのですよね。
蓮の字は「恋」に通じることから、
この歌には他にもいろいろ恋情にかかわる諸説があるようですわ。

蓮は、スイレン科、熱帯産、多年草の水生植物で、
花托(花の中心部:実がなる)が蜂の巣の形に似ていることから、
「はちす」と呼ばれていたのです。

仏教との関わりもあり、その巨大な花は極楽浄土に咲くとされ、
そのイメージは仏像の台座に使われています。

ところで、現在各地で栽培されているハスは、
仏教の本家インドの原産なんですよ。
縄文末期に日本に渡来していたことがわかっています。

あなたも、懐かしいふるさとの花を探しに
久しぶりにふるさとに戻ってみては。。。?




『卑弥子さんと古代ハス (2009年7月22日)』より




これを読んであたくしにマジでラブレターを書いてくださる殿方が現れるでござ〜♪〜ましょうか?



きっと現れますよう。

でも、あたくしは思うのですけれど、京都の女子大学で「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授はデンマンさんの脳内にだけ存在する架空の女性だと思っている人がほとんどだと思うのでござ〜♪〜ますわ。

卑弥子さん本人がそのような自信の無い事を言っていたら、卑弥子さんの現実世界での存在感がますます薄らいでゆきますよう。

でも、あたくしはデンマンさんの陰のように存在感の薄い女でござ〜♪〜ますわ。

卑弥子さん。。。そのような消極的な考え方に囚(とら)われてはいけませんよう。現実社会では卑弥子さんの存在感はイマイチだけれど、ネット社会では京都の女子大学で「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授の存在感はたいしたものなのですよう。

マジで。。。?

次の検索結果を見てくださいよう。


源氏物語 卑弥子 准教授 の検索結果



約 1,030 件中 1 - 11 件目


1) 室生犀星と卑弥子さんと悪徳ブログ (2008年10月1日) - 小百合 ...2) 恋愛と境界性人格障害 - 性愛 - 僕は上の記事を書くために“デンマン 卑弥子さん”と入れてGOOGLEで検索したのです ..... 京都の女子大学で「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授 . ...
http://beaverland.web.fc2.com/sayuri/20081001.html

2) 露天風呂とよしず (2008年9月17日) - 小百合物語 - ビーバー ...2008年9月17日 ... 京都の女子大学で「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授とも思えないような発言ですね。 あたくしが、また、頓珍漢(とんちんかん)な事でも申し上げたのでござ〜♪〜ますか? そうですよう。万葉集には愛とスダレの有名 ...
http://beaverland.web.fc2.com/sayuri/20080917.html

3) 楊貴妃もペルシャ人? (2008年7月17日) - 小百合物語 ...2008年7月17日 ... つまり、京都の女子大学で「日本文化と源氏物語」を講義している卑弥子・准教授にとっても、楊貴妃の体内にペルシャ人の血が流れていた、と言う事は馬鹿馬鹿しい事なのですか? あたくしは、デンマンさんに向かって馬鹿馬鹿しいなどと。 ...
http://beaverland.web.fc2.com/sayuri/20080717.html

4) 聖徳太子の家庭教師 (2008年7月15日) - 小百合物語 ...京都の女子大学で「日本文化と源氏物語」を講義している卑弥子・准教授にとっても聖徳太子の話題は興味があるでしょう? でも、聖徳太子に家庭教師が本当に居たのでござ〜♪〜ますか? いつの時代でも両親は子供の教育に頭を悩ませていたのですよう。 ...
http://beaverland.web.fc2.com/sayuri/20080715.html

5) 室生犀星の母と娘 (2008年12月30日) - 小百合物語 ...2008年12月30日 ... さすがに京都の女子大学で「日本文学と源氏物語」を講義している准教授の卑弥子さんの良識が見えるような意見ですねぇ〜. このような時に、また、あたくしの職業を持ち出さないでくださいましなア。 しかし、なぜ、犀星の世界の真実は、 ...
http://beaverland.web.fc2.com/sayuri/20081230.html

6) 広い愛と狭い愛 (2009年3月31日) - レンゲ物語 - ビーバー ...卑弥子さんは、すっご〜♪〜いなぁ〜!さすがは、京都の女子大学で准教授として「日本文化と源氏物語」を講義している卑弥子さんですよねぇ〜。。。僕は卑弥子さんを改めて見直しましたよう! ォほほほほ。。。急にあたくしを、そのように持ち上げないで ...
http://beaverland.web.fc2.com/renge/20090331.html

7) 杜の都のおばさんパンツ (2009年3月24日) - 小百合物語 ...卑弥子さんのおばさんパンツ姿も捨てたものじゃない!結婚出来ない男たちは、そう思って卑弥子さんのことを調べ始める。そうすると京都の女子大学で「日本文化と源氏物語」を講義している准教授だという事が分かる。 それで。。。? 卑弥子さんが独身だ ...
http://beaverland.web.fc2.com/sayuri/20090324.html

8) ロマン@幸福の谷 (2008年8月14日) - 小百合物語 - ビーバー ...さすがは京都の女子大学で「日本文化と源氏物語」を講義している卑弥子・准教授だけの事はありますよねぇ〜。読みが深いですよう。僕は、改めて卑弥子さんの文学的な才能を見直しましたよう。 このぐらいの事は、その辺で遊んでいるミーちゃんハーちゃん ...
http://beaverland.web.fc2.com/sayuri/20080814.html

9) 鼾と妊娠 (2008年6月9日) - 小百合物語 - ビーバーランド・ネット ...卑弥子さんは京都の女子大学で「日本文化と源氏物語」を講義しているのですよう。 その事が、どうして不幸のドン底と関係あるので ... 橘卑弥子・准教授のおなか見たア〜?” “見たわよ。見たわよう。。。も〜〜。。。すごいことになってるわよう。。。” ...
http://beaverland.web.fc2.com/sayuri/20080609.html

10) 杜の都の映画 (2009年3月8日) - 小百合物語 - ビーバーランド ...2009年3月8日 ... 卑弥子さんは京都の女子大学で「日本文化と源氏物語」を講義している准教授ですよう。女子大学でも宮城三女の校訓を教え込んでくださいよう。これからの日本を背負う子供たちの母親になる人たちですよう。屁のツッパリにもならないと、 ...
http://beaverland.web.fc2.com/sayuri/20090308.html

11) 猫の記憶 (2009年5月9日) - 小百合物語 - ビーバーランド・ネット ...さすがは京都の女子大学で「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授だけのことはありますねぇ〜。うしししし。。。 大学で源氏物語を講義していなくても、上のコメントを読めば誰にだって、そのぐらいの事は考え付きますわ。 ...
http://beaverland.web.fc2.com/sayuri/20090509.html

2009年8月9日現在

『源氏物語 卑弥子 准教授を入れてGOOGLEで検索した結果(すべてを表示)』より


でも、これはネット社会だけの存在感でござ〜♪〜ますわ。

あのねぇ〜、ネット社会があたかも空想の世界のように考えている人が居るけれど、ネット社会は、すでに現実社会の一部になっていますよう。

そうでしょうか?

ウソだと思ったら「成りすまし馬鹿」を入れて検索してみてください。僕の記事を読んで、この「成りすまし馬鹿」が僕のオツムの中だけの空想上の人物だと思う人はまず居ません。

つまり、あたくしもやがてはネット社会から現実社会での存在感を増すとデンマンさんはおっしゃるのでござ〜♪〜ますか?

だってぇ〜、卑弥子さんは現実社会で生きているのでしょう?

もちろんでござ〜♪〜ますわ。

だから、そのうち卑弥子さんに心を惹かれて必ずラブレターを書く人が現れます。僕の言うことを信じてね。


【卑弥子の独り言】



ですってぇ〜。。。
でも、本当にあたくしが現実世界に生きていると思ってくださる殿方が居るのでござ〜♪〜ましょうか?
あなたは、どのように思っているのですか?

ええっ。。。?あたくしが京都の女子大学でマジで講義していると信じることができるのでござ〜♪〜ますか?
あらっ。。。嬉しいことを言ってくださいますわ。

じゃあ。。。もしかして、あたくしとの結婚を考えてくださっているのでござ〜♪〜ますか?
ええっ。。。あたくしとの結婚は考えられないのですか?
どうしてよう?

モジモジしてないで、細木数子のようにズバリと言ってよう!んも〜〜
ええっ。。。京都の女子大学で源氏物語を教えている准教授は“高嶺(たかね)の花”なの?

そんなことはないわよう。
でも、もし、あなたが成りすまし馬鹿さんだったら、あたしはイヤよう。
成りすまし馬鹿さんだけとは絶対に結婚したくないのよう!

どうしてかってぇ〜?

だってぇ、成りすまし馬鹿さんのジュニアがたくさん産まれるのは日本のネットの悲劇ですわよう。
あなただって、そう思うでしょう?
おほほほほほ。。。

とにかく、デンマンさんのお話は、まだ面白くなるようでござ〜♪〜ますわ。
どうか、あなたも、またあさって読みに戻ってきてくださいましね。
では、またねぇ。。。






ィ〜ハァ〜♪〜!

メチャ面白い、

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こんにちは。ジューンです。

ギリシャ神話を読んでいると

Lotus Eater と言う人種が出てきます。

文字通りに訳せば“ハスを食べる人”です。

北アフリカの島に住む人たちだと言うことになっています。

紀元前4世紀に暮らしていた

有名な歴史家のヘロドトスは

現在の北アフリカにあるリビアの海岸に

ハスの実と花を主食とするLotus Eaterが

生存していたと信じていました。

ハスの実と花を食べると平和な気分になって、

何もする気が起こらなくなってしまうそうです。

そのような麻薬に似た習慣性の成分が

含まれている、と言うのです。

でも科学的には、ハスの実にも花にも

そのような成分は含まれていないそうです。

それで、現在ではハスに似た他の植物ではないか?

そう考えている人が多いのです。



ところで、卑弥子さんが面白い記事をまとめました。

時間があったらぜひ読んでみてくださいね。

■ 『笑って幸せな気分になれるサイト』

では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。





2009年09月08日

お受験と教育ママ (PART 1)


  
お受験と教育ママ (PART 1)




母親たちが「越境入学」で走る、走る。

「学力」「環境」がこんなに違う!

お受験「名門公立小学校」ブームを追う!

シーズン到来!

親子で必読 PART II


「中学受験に有利」「設備が充実」「自由な校風」
入学のためには「住民票の貸し借り」までも。。。

小学校は自宅から最も近いところへ徒歩で通う
そんな“常識”は通用しなくなりつつある。
親たちのあくなき教育熱は、私立を目指す「お受験戦争」のみならず、人気公立小への「越境入学ブーム」を生んでいる。






45ページ 『週間ポスト 2008年11月14日号』

注: イラストはデンマンが貼り付けました。

『弘中先生と熊谷 (2009年9月6日)』に掲載




デンマンさん。。。「坊っちゃん」のお話から急に「お受験」でござ〜♪〜ますか?



あのねぇ〜、おととい(9月6日)の記事『弘中先生と熊谷』の中で、たまたま「お受験」について触れたのですよう。

覚えていますわ。記事の中でデンマンさんが上の『週間ポスト』のページのタイトルを引用したのでござ〜♪〜ますわ。

そうですよう。。。そうしたら小百合さんもメールの中で「お受験」について書いていたのですよう。

それで、急に「お受験」について書こうと思い立ったのでござ〜♪〜ますか?

そうなのですよう。とにかく、そう言う訳なので小百合さんからのメールを読んでみてください。



日付: Wed, 26 Aug 2009 22:23:59 +0900 (JST)
(バンクーバー時間: 8月26日 午前6時23分)
差出人: "domini@yahoo.co.jp"
宛先: "green@infoseek.jp"



件名:デンマンさんの

「人間の証明」の記事を読みました。

\(*^_^*)/





昨日 今日と山小屋の苔の様子を見て
がっくり、 ゼニゴケが占領。
いのししが ホジクッテ まくれてるが〜

まくれてるのを 戻して ゼニゴケを取り去って
まだまだ あと 2週間 かかるー
明日も行きたいけど、おじいちゃんの医者があって、

週末はずーっと 山小屋に泊って、ゼニゴケ退治です
自分の子供、そしてゼニゴケ、時間が足りない。

そんなの 誰か お手伝いを〜と思っても、
私の思う通りに草取り、しないの!
バカたれ 手伝いなんて。

いらない 草、 
残したいコケ、 
私しか 分からないの。 

なんだか メール来てたね。
デンマンさんの「人間の証明」の記事を読みました。



私もうるさく感じる、子供を自分から切り離したいっと思う時がある
映画的、現実から違う・・っと思われる。
そこが 生臭い、人間の浅はかさ。
自分の子を殺すなんて、道徳的には許されないけど、
この子をずーっと、生かすには 母親として「申し訳ない」
自分の産んだ子だからこそ、その最後を見取って、っと思う。

峠から袖を振るように、子供を見送る。
見送ってしまう。
母親の後始末ですよ。

ブログであまり 批判しなように。
デンマンさんは自分が批判されると、すぐに
ネットで 言い返す癖
やめた方がイイ。

他人は関係ない
人には 冷たく。 強く。 熱くならず。
血が引く位に・・
いやでしょうー

さあ どんな 返信?

さゆりより






Subj:小百合さんから長〜い返信をもらって、

めちゃウハウハと喜んでしまいましたよう!

\(*^_^*)/キャハハハ。。。




Date: 26/08/2009 2:36:57 PM
Pacific Daylight Saving Time
(日本時間:8月27日 木曜日 午前6時36分)
From: green@infoseek.jp
To: domini@yahoo.co.jp
CC: barclay1720@aol.com


今朝メールをチェックしたら、意外にも小百合さんからの返信があったよう!
日本時間で午後10時23分に送信のクリックボタンを押したんだよねぇ〜。

\(^▽^;)/ うしししし。。。

こういうことって、珍しいねぇ〜。
いつも、朝9時から11時までに返信を書くのが小百合さんの習慣になっていたのだから。。。

小百合さんが、子供を寝かせつけて、やっと自分の時間を持って、
メールを読んで。。。、そしてブログを読んで。。。
うん、うん、うん。。。
久しぶりに夜一人になって、
パソコンに向かいながら一人の「女」になって考えながらキーボードをたたいている小百合さんの姿が思い浮かんできて。。。、
僕は妙にワクワクしてきましたよう!

\(*^_^*)/ キャハハハ。。。




昨日 今日と山小屋の苔の様子を見て
がっくり、 ゼニゴケが占領。
いのししが ホジクッテ まくれてるが〜


今時、ゼニゴケと戦っているのは、日本狭し(広し)と言えども、小百合さん一人か、他に居たとしても2人か3人でしょうね?
そうですよう。。。そうですよう。。。
小百合さんも言っていたけれど、「こんな無駄な事をしている人は居ないでしょうね。」

\(^▽^;)/ きゃはははは。。。

その通りですよう。
日本人の1000人のうち998人までが、そう考えるでしょう!

でも、無駄と分かっていて、無駄をしている人は貴重な存在なのですよう。
なぜなら、世知辛(せちがら)い厳(きび)しい日本で、無駄な事をしていたら、生きては行けないのだから。。。!
1000人のうち990人までが、生きるために齷齪(あくせく)と働いているのですよう!

つまり、ゼニゴケと格闘していられるのは、心に余裕があって、財布にも余裕があるのですよう!

ヽ(´ー`)ノ キャハハハ。。。

そうして、こうして僕に返信を書いてくれるのは、
小百合さんの心に夢とロマンがあるからなんですよう!
つまり、小百合さんは間違いなく「軽井沢タリアセン夫人」なんですよう!

♪┌(・。・)┘♪ キャハハハ。。。

小百合さんに日本政府が文化勲章を上げなくても、
僕が間違いなく、小百合さんのために文化勲章を上げますからね。。。

\(^Д^)/ ギャハハハハ。。。。




まくれてるのを 戻して ゼニゴケを取り去って
まだまだ あと 2週間 かかるー
明日も行きたいけど、おじいちゃんの医者があって、
週末はずーっと 山小屋に泊って、ゼニゴケ退治です


はい、はい、はい。。。
僕のためにも、一生懸命にゼニゴケと格闘してくださいね。
10年後。。。20年後。。。
小百合さんと一緒に、そのすばらしい苔庭を眺めたいですよう!






自分の子供、そしてゼニゴケ、時間が足りない。


そうです。。。そうです。。。

時間はいくらあっても足りないものです。
そういう貴重な時間を割(さ)いて、小百合さんが僕に返信を書いてくれたのだから、僕は感謝、感激、雨、アラレ!ですよう。。。!

\(@_@)/ キャハハハ。。。

マジで感謝しているのですよう!
感激しているのですよう!
うれしいなあああァ〜♪〜!




そんなの 誰か お手伝いを〜と思っても、
私の思う通りに草取り、しないの!
バカたれ 手伝いなんて。


それは、そうですよう。
お手伝いさんを雇っても、ゼニゴケを取らせたら、最近の若い人は辞めてしまうでしょうね。
人間のすることではない!そう思って、すぐに辞めてしまいますよう!
きれいで、雅(みやび)やかな苔庭を見て楽しむという優雅な「大和心」なんて、最近の日本人にはありませんよう!
1000人のうちで990人までが、齷齪(あくせく)と生きるために働いているのだから。。。

それで、多少金がある主婦は「お受験、お受験」と馬鹿の一つ覚えのように、それこそ子供に無駄な人生を歩かせようとしているのだから。。。
馬鹿馬鹿しい!
しかも、気づいていないのですようねぇ〜
(哀れな日本人が多いのですよう!)

でも、分かっているけれど、その哀れな人生を歩かねばならない日本人も多いのですよう。
だから、僕は、バンクーバーで、こうして小百合さんにメールを書いていて、十分に幸せを感じるのですよう。

こうして、メールの交換するなんて、40代の普通の日本人はやらないからねぇ〜。。。

\(^▽^;)/ うしししし。。。

そう言う訳だから、日本政府が小百合さんに文化勲章を上げなくても、
僕は、必ず小百合さんに大きな文化勲章を上げるからね。。。
きゃははははは。。。




いらない 草、 
残したいコケ、 
私しか 分からないの。 


僕も分かっているよう!
10年後。。。、20年後。。。小百合さんと一緒に、ぜひ、きれいで雅やかな苔庭を見ようね。
僕は、楽(らく)して見たいよう!

♪(*^▽^*)ノ うしししし。。。


なんだか メール来てたね。
デンマンさんの「人間の証明」の記事を読みました。



私もうるさく感じる、
子供を自分から切り離したいっと思う時がある
映画的、現実から違う・・っと思われる。
そこが 生臭い、人間の浅はかさ。
自分の子を殺すなんて、道徳的には許されないけど、
この子をずーっと、生かすには 母親として「申し訳ない」
自分の産んだ子だからこそ、その最後を見取って、っと思う。


う〜〜ん。。。
めれんげさんのお母さんも、おそらく小百合さんのように考えていたんだろうねぇ〜?

“親の心、子知らず。”




峠から袖を振るように、子供を見送る。
見送ってしまう。
母親の後始末ですよ。


う〜〜ん。。。なるほど。。。
子を持つ母親の悩みを感じますよう!

“我が子のために。。。”

小百合さんには、まだ、そう考えることができる!
しかし、本当にそのように思う母親が最近の日本には少なくなっている。

母親が自分の事しか考えられないようになってしまった。
「苫小牧密室見殺し事件」の悲劇はそこにある!
この事では次の記事を書くことができましたよう。
小百合さんのメールも使わせてもらいました。
ありがとね。



『母親心 (2009年7月24日)』

『ワガママなママ (2009年7月28日)』


小百合さんの「麦わら帽子」の思い出からは次の記事を書くことができました。
本当にありがとね。

『人間の証明(2009年7月19日)』

『女の証明 (2009年7月21日)』

『母の証明 (2009年7月25日)』




小百合さんの「麦わら帽子」のおかげで八杉恭子(やすぎきょうこ)という人物を知ることができました。
「人間の証明」の小説の中で次期政権リーダーを狙う辣腕代議士・郡陽平の妻として登場するのですよう。
セレブの妻というだけでなく、本人もセレブで、物語の「現在」では、ファッションデザイナーとして活躍している。
ところが、この恭子には過去があった。
ホテルのエレベーターの中で殺されていたハーレム出身の黒人であるジョニー・ヘイワードは、実は、彼女が戦後まもなく黒人の男ともうけた我が子だった。

その我が子・ジョニーが「麦わら帽子」の詩が載っている西条八十詩集を胸に抱いたままエレベーターの中で倒れて死んでいた。
殺したのは実の母親の恭子だった。

ジョニーが子供だった頃、黒人の夫とジョニーがアメリカに渡って別れ別れに暮らさなければならないと分かった時、思い出にと親子3人で霧積(きりづみ)温泉へ出かけた。
しかし、その後、代議士・郡陽平の妻となり、有名デザイナーとなった恭子にとって、それは葬(ほうむ)り去らねばならない暗い過去でしかなかった。

小百合さんの思い出の「麦わら帽子」が出てくる西条八十の詩集と、恭子が買い与えた麦わら帽子こそ、ジョニーにとって「瞼の母」の象徴だった。
ジョニーはニューヨークからはるばるお母さんに会いたいと日本にやって来た。
日本に居る母に、もう一度会いたいと。。。

でも、有名デザイナーになっている八杉恭子にとって、黒い肌を持った息子は、名声を脅かす邪魔者でしかなかった。
それで我が子を殺してしまった。
この事実を知った棟居(むねすえ)刑事はムカついた。




「私はね、このごろジョニーがロイヤルホテルのスカイレストランへ胸にナイフを差し込まれた瀕死の身で上がっていった心根が哀れでたまらなくなったんです。
もの心ついたかつかないころ、父親と母親に連れられて行った霧積(きりづみ)温泉は、ジョニーの記憶に焼き付けられた。
おそらく彼の想い出の中で最も貴重で美しいものだったでしょう。

実の母によって胸に刺し込まれたナイフ。
これがはるばる日本へ母をたずねて来て得たものか。
ジョニーはどんなに絶望的なおもいでナイフを受けとめたことだろう。

それを八杉恭子は保身のために虫のように殺してしまったのだ。
自分の腹を痛めた子供を殺したんだ。
私はあの女が憎い。彼女は人間じゃない。母親の仮面を着た獣なんだ。
あの女には、人間の心なんかないんだ」


棟居の胸に、父と自分を見捨てた生みの母への憎しみが交錯する。
そんな棟居は、捜査部長に申し出る。




「彼女の中に人間の心が残っているかどうか賭けてみましょうか」

「人間を賭ける?」

「八杉恭子にもし人間の心が残っていれば、必ず自供せずにはいられないように追い込んでみるのです」

「どういう風にするつもりだ?」

「麦わら帽子を彼女にぶつけてみたいのです。私も、幼いころに母親から捨てられたのです。私は、自分を捨てた母が憎い。でもその憎しみの底に、母を信じようとする心があるのです。いや、母を信じたい。八杉恭子の中にも、きっと母親の心があるはずです。私はそこに賭けたいのです。人の子の母ならば、きっと自供するはずです。私は、自分を捨てた母親と対決するような気持ちで、八杉恭子と対決してみたいのです」




しかし、僕は考えるのですよう。
八杉恭子(やすぎきょうこ)は戦後のドサクサの中で一生懸命に生きたのですよう。
あの戦後のドサクサの中では、恭子にできることは、あのような形でしか生きられなかったのかもしれない!
とにかく、恭子は努力しながら有名ファッションデザイナーになった。
その地位と名声を守るために、我が子を殺した。
しかし、皮肉にも“母心”に目覚めた時に、すべてを失ってしまった。

それでも、八杉恭子の人生には同情できるものがある!
だから、「人間の証明」はベストセラーになった。



『苫小牧密室見殺し事件』

 (2009年7月28日)


しかし。。。、しかし。。。、
現実に起こった「苫小牧密室見殺し事件」のヒロインの悲劇には、同情できるものが極めて少ない!

なぜ。。。?

自分勝手な、自分の事しか考えられない、オツムが子供のままで母親になってしまった女が、起こした悲惨な見殺し事件だったから。。。




ブログであまり 批判しなように。
デンマンさんは自分が批判されると、すぐに
ネットで 言い返す癖
やめた方がイイ。

他人は関係ない
人には 冷たく。 強く。 熱くならず。
血が引く位に・・
いやでしょうー

さあ どんな 返信?


人間として間違っていることは間違っていると!
人間としてやってはいけないことはやってはいけないと。。。!
そう言える言論の自由と、表現の自由があることは素晴らしい!

“批判のないところに進歩なし!”

“愛なき批判は空虚にして

批判なき愛は盲目なり”


これが僕ちゃんの座右の銘ですよう!

\(*^_^*)/ キャハハハ。。。

今の日本の政治家を見てください!
命を懸けて批判している政治家が居るのか?

居ません!



 板垣退助

昔は“板垣死すとも自由は死せず”と言った政治家が居た。
現在は、何度も何度も漢字を読み間違える首相が居る。



いったい、真面目に批判している政治家が何人居るのか?

批判などどうでもいい!
日本などどうでもいい!
我が身が大切!
自分さえよければそれでいい!
そう思っている政治家が多すぎる!
批判をすっかり忘れて馴れ合いで政治をしている!
だから、年金をごまかすような政治家が今でも国会の中を歩いている!

つまり、「苫小牧密室見殺し事件」のヒロインのように、自分だけの事しか考えられない“お坊っちゃん、お嬢ちゃん”のままで大人になってしまった世間知らずな政治家が多すぎる!

だから、せめて、デンマンのような“批判する”人間が、一人でも二人でも多く出て来ることは、
日本の将来にとって、決して悪いことではない!

“批判のないところに進歩なし!”

“愛なき批判は空虚にして

批判なき愛は盲目なり”


とにかく、このようなことを言う機会を作ってくれる小百合さんと、めれんげさんに僕は感謝しているのです。
そして、広いおおらかな愛で小百合さんも、めれんげさんも僕は同様に愛しているのです。

“批判のないところに進歩なし!”

“愛なき批判は空虚にして

批判なき愛は盲目なり”

ヽ(´ー`)ノ きゃははははは。。。


(//\/i/i__/)
(+'.'+)
(")_(")


じゃあねぇ〜






日付: Thu, 27 Aug 2009 11:02:57 +0900 (JST)
(バンクーバー時間:8月26日 水曜日 午後7時2分)
差出人: "domini@yahoo.co.jp"
宛先: "green@infoseek.jp"



件名:日本は 皆

受験、受験でたいへんです

\(*^_^*)/



おはよう ございます
そうそう 夕べは長男坊と進路の事で もめて。
それで 遅くメールしたのです。
普段 おとなしい 長男坊だからこそ
怒鳴ったり 怒ったり しないのですが
夏休み 何を集中して 勉強していたのか?
ねてたのか?
クーラーをかけっぱなしで!

進路が 決定しない。 
受験 なんてと思われるでしょうが、
遠いカナダだから…

でも日本は 皆がそうなんです。
大学へ行かせる為、親が働いて
食費よりも 子供の学費の方が高い
また税金や国民保険税がバカ高いのです。

まあ〜イイや、 朝から 熱くなってしまう、
血が登っては ダメだ。

そんな訳で夕べ 遅くメールしたんですよ。


日付: Thu, 27 Aug 2009 11:31:24 +0900 (JST)
(日本時間:8月26日 水曜日 午後7時31分)
差出人: "domini@yahoo.co.jp"
宛先: "green@infoseek.jp"



件名:デンマンさん 熱くなってますね!

\(*^_^*)/



また 熱く 語ってますねェー
あッちっち・・
熱いの 苦手。

こうゆう所を、パパが「子供だー」 とか
母親でなく 「一番上の いばってる姉ちゃんだー」
とか言います。

昔から 「ワガマのてんじょ(天井)なり」っと
ばーが言いました。
あまり イイ事と思ってませんでしたが
意味を聞く気にも ならないほど ワガママで、
大人に成って やっと意味を理解しました。

(さっき送ったのは おじいちゃんに医者に行く前の 朝の下書きヨリ)

さゆりより






Subj:小百合さんから2通も返信をもらって、

スキップしたくなるぐらい喜んでいますよう!

\(*^_^*)/キャハハハ。。。




Date: 26/08/2009 11:57:25 PM
Pacific Daylight Saging Time
(日本時間:8月27日 木曜日 午後3時57分)
From: green@infoseek.jp
To: domini@yahoo.co.jp
CC: barclay1720@aol.com





おはよう ございます
そうそう 夕べは長男坊と進路の事で もめて。
それで 遅くメールしたのです。


なるほどねぇ〜。。。




普段 おとなしい 長男坊だからこそ
怒鳴ったり 怒ったり しないのですが
夏休み 何を集中して 勉強していたのか?
ねてたのか?
クーラーをかけっぱなしで!

進路が 決定しない。 
受験 なんてと思われるでしょうが、
遠いカナダから…

でも日本は 皆がそうなんです。
大学へ行かせる為、親が働いて
食費よりも 子供の学費の方が高い
また税金や国民保険税がバカ高いのです。

まあ〜イイや、 朝から 熱くなってしまう、
血が登っては ダメだ。
そんな訳で夕べ 遅くメールしたんですよ。


うん、うん、うん。。。
分かりますよう。
日本で子供の進路を考えると、どうしても熱くなってしまうよね。

6才年上の叔母が、僕には物分りのよい理解のある母親のようなことを言っていましたが、
一番年上の子供(長女)には、ずいぶんと期待をかけて、
埼玉大学付属小学校を受験させたのですよう。
落ちました。

その長女(僕の従妹)が僕に言っていましたよう。
“他人(僕を含めて)には進路はすべて子供に任せているようなことを言っているけれど、まったく教育ママゴンなんだから。。。”

叔母は、かなり厳しい教育ママだったらしい!
その母親が決めた進路を半ば強制的に従妹は歩かされようとしていました。
中学校でもイジメにあったらしくて。。。
「世界は日本だけじゃない!
いっそのことカナダへ来させたら。。。?」

僕がそう言ったのがきっかけで、中学を卒業するとカナダの私立高校に留学させたのです。
書類審査だけでパスしました。(難しくない。学業よりも課外授業や部活などを重視した。)
世界に200校、幼稚園から大学まである Waldorf school です。
ドイツに本部がある学校で、カナダには10校ぐらいあるかもしれません。



『シュタイナー教育 (Waldorf school)』

高校を卒業すると、日本のテンプル大学に入学したけれど、
自分の思ったイメージと違うと言うので1年で退学。
結局、アメリカのオハイオ大学に留学しました。



卒業してから、香港、シンガポールで勤めて、それから、東京の外資系の会社に秘書として働き始め、副社長に見初(みそ)められて結婚し、現在ロスアンジェルスで暮らしています。

小学校、中学校では、パッとしなかったけれど、
カナダで高校生活をしてから逞(たくま)しくなりました。
日本人だからって、人生は日本だけじゃない!

小百合さんだって、海外のことを少しは知っているはずです。
そうでしょう?!
日本の教育制度は、どこか狂ってしまっていますよう。
子供の才能を自由に伸ばすような教育になってない!

とにかく、本当に子供が望むことをさせてあげてね。

僕の両親は2人とも小学校だけしか出ていなかったけれど、
上の学校へ行けとは一度も言いませんでしたね。
それだけは、実にえらかったと思っていますよう。
僕の好きなことをさせてくれました。
両親には本当に心から感謝しています。

この両親には心の中で文化勲章をあげていますよう!

\(*^_^*)/ キャハハハ。。。




また 熱く 語ってますねェー
あッちっち・・
熱いの 苦手。


うん、うん、うん。。。
小百合さんはラブレターを書いたことがないと言っていたから。。。
(マジかいなァ〜!?)
だから、熱く語る事が苦手なのかもねぇ〜

僕はラブレターを書くことが好きだった。
多い時には1日に2度も初恋の人にラブレターを書いたものですよう。

\(@_@)/ キャハハハ。。。




こうゆう所を、主人が「子供だー」 とか
母親でなく 「一番上の いばってる姉ちゃんだー」
とか言います。


うん、うん、うん。。。
小百合さんらしいところですよう。




昔から 「ワガマのてんじょ(天井)なり」っと
ばー(おばあちゃん)が言いました。
あまり イイ事と思ってませんでしたが
意味を聞く気にも ならないほど ワガママで、
大人に成って やっと意味を理解しました。

(さっき送ったのは おじいちゃんに医者に行く前の 朝の下書きヨリ)


僕は小百合さんを見ていて、決してわがままだとは思わないですよう。
なぜなら、僕がわがままだから。。。

\(^▽^;)/ うしししし。。。

僕のわがまま振りから比べれば、小百合さんは、かなり自分を殺してまで家族のために動き回っていますよう。
結婚してから、かなり変わったのでしょうね。
女は結婚することによって世界が広がるのでしょうね。良くも悪くも。。。

小百合さんは、間違いなく良い方向に広がっていますよう!

子供には自由にさせてあげてね。
日本がダメでも、世界があるのですよう。
世界に羽ばたけばいいのですよう!

\(^Д^)/ギャハハハハ。。。。

(//\/i/i__/)
(+'.'+)
(")_(")


じゃあねぇ〜




 (すぐ下のページへ続く)

2009年09月08日

お受験と教育ママ (PART 2)

  
お受験と教育ママ (PART 2)



日付: Fri, 28 Aug 2009 12:47:31 +0900 (JST)
(バンクーバー時間:8月27日 木曜日 午後8時47分)
差出人: "domini@yahoo.co.jp"
宛先: "green@infoseek.jp"



件名:山小屋で BBQ します。

\(*^_^*)/



はい おはようございます
Yahooで ゼニゴケ退治、ゼニゴケ駆除 をみると

あれ〜 なにこれー 急に絵文字が出たー 好きなものだけ、クリックしたら
かわいー

ゼニゴケに困ってる人、かなりいますねー
ほとんどの人が薬や酢で枯らしてますが、また出るという事でした。
一人、ゼニゴケだけ駆除して 回りのいいコケは残したい と言ってますが
回答は無理という事でした。
私のように 手作業しか ないようです。

では 夕方から 山小屋にいきます。
BBQ の用意もして、
午前中は買出しに行ってきました。
重い重い・・

また 来週もどります。
よーし コーンを焼くぞーッ

さゆりより






Subj:今夜は、小百合さんと山の家で

BBQする夢でも見ますよう!

\(*^_^*)/ キャハハハ。。。




Date: 27/08/2009 9:29:32 PM
(日本時間:8月28日 金曜日 午後1時29分)
Pacific Daylight Saving Time
From: green@infoseek.jp
To: domini@yahoo.co.jp
CC: barclay1720@aol.com





はい おはようございます
Yahooで ゼニゴケ退治、 ゼニゴケ駆除 をみると

あれ〜 なにこれー 急に絵文字が出たー 好きなものだけ、クリックしたら
かわいー

ゼニゴケに困ってる人、かなりいますねー


小百合さんのように心と財布に余裕のある人が、他にも居るのかねぇ〜
良いことですよう。
お受験に追われて、子供の人生を無駄にし、自分の人生を無駄にしているよりは、
優雅に苔庭でも作っていた方が、生きている実感を感じ取れると言うものですよう!

\(@_@)/ キャハハハ。。。




ほとんどの人が薬や酢で枯らしてますが、
また出るという事でした。
一人、ゼニゴケだけ駆除して
回りのいいコケは残したいと言ってますが
回答は無理という事でした。
私のように 手作業しか ないようです。


良い運動になるでしょう。
でも、きっと肩が凝るよねぇ〜
しゃがんでする作業だから大変でしょう。
ブログ書いている方がよっぽど楽だよねぇ〜。

「デンマンさん!ブログを書きまくってないで、

ロブソンストリートでも散歩してよね!

そうじゃないと、早く死んでしまうかもよう!」


小百合さんがそう言うのが聞こえてきますよう。
うしししし。。。

でもねぇ〜、何が老化を防ぐかってぇ〜〜
つうかあああァ〜、若さを保つかってぇ〜、手作業をするのが一番、老化を防ぎ、若さを保つのですよう。
つまり、常にオツムに刺激を与えて、若さを保つホルモンの分泌を促すのですよう。

草取りもいいけれど、草取りは無理な姿勢で手を動かすからね。
ブログを書く場合は、自然な姿勢で手を動かすので、
草取りよりも、よっぽどオツムにも、若さにもいいのですよう!

だから、小百合さんも、若さを保つために、パソコンに向かって、長〜いメールを書いたらいいんだよう!

\(^▽^;)/ うしししし。。。






では 夕方から 山小屋にいきます。
BBQ の用意もして、
午前中は買出しに行ってきました。
重い重い・・

また 来週もどります。
よーし コーンを焼くぞーッ




うん、うん、うん。。。
食べることになると小百合さんは元気が出てくるんだよねぇ〜!?

う〜♪〜ん。。。
懐かしいねぇ〜。
露天風呂も懐かしいけれど、
小百合さんが焼いてくれたBBQの肉はうまかったなあああァ〜。。。
僕は、めったに肉は食べないのだけれど、山の家で食べた肉はうまかったですよう。

また、機会があったら食べたいですよう。
今夜は、小百合さんと山の家でBBQする夢でも見ますう。

\(^Д^)/ ギャハハハハ。。。。

(//\/i/i__/)
(+'.'+)
(")_(")


じゃあねぇ〜






デンマンさんは日本の「お受験」システムには反対なのでござ〜♪〜ますか?



反対ですよう。

どうしてでござ〜♪〜ますか?

あのねぇ〜。。。僕は、かつてジューンさんと対話したことがあるのですよう。その時の記事を書き出します。ちょっと読んでみてください。


自分に自信と誇りが持てない日本人





デンマンさん、日本人は本当に自分に対して自信と誇りが持てないのですか?



もちろん日本人すべてが自信と誇りを持っていない、と言うつもりはありませんよ。ただ、欧米人と比べて自分というものを前に出そうとしない所がありますよ。

確かに自分の意見をはっきりと述べない人が多いですよね。

ジューンさんもそう思うでしょう?

でも、そのことと自分に自信と誇りを持つことと関係があるのですか?

日本人が自分を前に出そうとしない、自分の意見をはっきりと人前で言わない、というのは日本人の気質にも関係するけれど、自分自身に自信と誇りを持つことができない、という事とも大いに関係があると思うよ。この事をジューンさんに分かりやすく説明するために数年前に起こったある殺人事件のことをここで話そうと思う。

殺人事件ですか?その事件が日本人の自信と誇りに関係あるのですか?

ちょっと見ただけではあまり関連性がないと見えるけれど、じっくり見てゆくと大いに関係がある。

どのような事件なの?

もう、多くの日本人の記憶から忘れ去られているかもしれない。春奈ちゃん(2歳)殺害事件というのがこの事件の呼び名ですよ。またの名を“お受験殺人事件”。 この名前を聞けば思い出す人もいるかもしれない。

2才の女の子が殺されたの?どうして?

この事件は平成11(1999)年11月に起きたんだ。加害者は山田みつ子という当時35才の主婦。その動機や背景事情は、いろいろとマスコミでとりざたされた。

まだ2才という、いたいけな子供をどうして殺したりしたの?とても信じられないわ。

春奈ちゃんには5才のお兄ちゃんがいる。その子と加害者の息子がおない年で、同じ幼稚園に通っていたんだ。ところが春奈ちゃんのお兄ちゃんは、なにかにつけて良くできるのに、加害者の息子はできが良くなかった。母親どうしのサークルでは、そのことが加害者に劣等感を植えつけた。しかも加害者の目には春奈ちゃんのお母さんが彼女をのけ者にしているように思えた。

さか恨みじゃないの?

そんなわけで二人の母親は仲が悪かった。そんなある日、二人は激しい口論になった。とにかく加害者はもう我慢がならない限界にまできていた。本来ならば春奈ちゃんの母親を殺すところなのだが、それができずに憎悪の対象が春奈ちゃんに向けられたらしい。

そんな!それは、あまりにひどすぎるでしょう。子供には何の落度もないわ。

11月22日、東京の文京区にある音羽幼稚園から春奈ちゃんを連れ出し、近くの公衆便所へ連れてゆきスカーフで絞め殺したんだ。

いやだわ!普通の神経の持ち主には、とてもできないわ。被害妄想に陥っていたんじゃないの?

そうかもしれない。しかし裁判を受けられないほどの精神異常者ではなかった。死体を旅行カバンに詰めて静岡県の田舎にある実家へ行き、裏庭に穴を掘って、そこへ春奈ちゃんの遺体を埋めた。

計画的な犯行だったのね?

そういうことのようだ。彼女の裁判は世間の注目を集めた。

それはそうでしょう!そんなひどいことをしたのだから。。。

58人だけしか収容できない傍聴席に、なんと800人近くの人が押し寄せたんだ。

一体なぜ、そんなひどい事したのか、本当に知りたかったんでしょう?小さい子を持つ親にしてみると他人事ではないわ。

そうかもしれない。しかし、ずいぶんと暇な人がいるんだね?

それで、本当の動機はなんなの?

加害者は春奈ちゃんのお母さんとの精神的なもつれ、不和だと言っている。

もっと深い理由があるんでしょう?

しかし、裁判では加害者はあまり詳しいことを言ってないんだ。

でも、この話しを持ち出したからには当然『お受験』との関わりがあるんでしょう?

もちろん!実は春奈ちゃんは有名な幼稚園の『お受験』に合格していたんだ。一方、加害者の娘は落ちてしまった。

加害者はひけめを感じ、劣等感に悩まされていたわけね?

たぶん、そうだと思う。

でも、そんなにしてまで有名幼稚園に通わせねばならないの?

一部の母親はそう思っている。ジューンさんは受験戦争ということ聞いたことあるだろう?

ええあるわ?それに、デンマンさんと、そのこと話したことあるじゃない。

そうだった。何年か前は一流大学を出れば一流会社に就職できた。でも今は、一流大学を出ても、昔みたいに絶対安泰な会社はなくなっちゃった。一流会社も倒産する時代だからね。

それなのに、まだお母さんたちは幼稚園から子供に一流のところに行かせようとするの?

日本のほとんどのお母さんたちは、それほどの教育ママではない。ただ東京、横浜、大阪などの大都市に住んでいるお母さんたちの中には、とりわけ教育に熱心な人たちがいる。

それ、本当に子供のためを考えているのかしら?母親自身の見栄じゃないの?

ジューンさんもだいぶ日本人の心が分かるようになったんだね?

それはそうよ。最近、日本人のことについて書かれた本をかなり読んでいるもの。でも、あたしは、受験戦争というのは大学へ入学する時だけだと思っていたわ。

そうじゃないんだ。幼稚園からある。もちろん、だい部分の親たちは、そんなに有名な幼稚園に子供を入学させるわけではない。近くの幼稚園や保育園で充分だ。義務教育制度があるから入学試験など受けずに誰でも小学校や中学校にゆける。

それなのに、幼稚園から入学試験を受けさせて有名校へやる親たちがいるのね?

そうなんだ。数は少ないとはいえ、そのための準備を引き受ける『お受験』のための塾がかなりある。そのような塾がやってゆけるというのだから、かなりの親たちが子供を塾に通わせていることになる。

いったい幾らぐらいかかるの?

参考までに、ある『お受験』準備サイトの御案内情報をここに載せてみるね。


●どうしても合格させたいコースは2歳からあります。
 (入学金7万円・月謝2万円)

●完全必勝コースは月謝10万円(入学金別)。
 塾生は模試の費用が割引されます。

●どんな様子か体験したい方は冬季講習会や
 模擬テストを受けることができます。

●春休み・夏休みの集中コースもあるので参加するのも一つの方法でしょう。

●毎月ある模擬テストは1回8千円、4回2万8千円、8回4万8千円です。

●春季講習会は6日で7万円、3日で3万円。塾生には約2割引の特典があります。

●入試直前講習、1回体験教室もあります。
 しかし、定員があるので事前申込みが必要です。

●特定の有名私立校コース、特別強化コースもあります。入会金7万円、月謝6万円。

●国立小週2回コースは入学金7万円、月謝5万円です。

●必勝コースなら入学金・月謝・特別講習・強化コース(合宿)と
 模擬テスト・直前コースなどあわせて1年間で約150〜200万円ほど必要でしょう。






どうですかジューンさん?



なんだか、すごいですね!どうも、うまい言葉が見つからないわ。あきれるというか、驚きとういか……カナダの幼稚園は只ですよ。もちろん教育委員会が運営しているんだけれど。幼稚園のための塾もないし、特別な教育費は全くかからない。

日本もそうなるといいんだけれど。しかし、そうなったところで、教育ママゴンは依然として私立の有名幼稚園へ子供をやるだろうと思う。

どうして?

何年か前は一流大学を出れば一流会社に就職できた。だから一流会社を望むなら、一流幼稚園から始めることも理屈に合う。でも今は、一流大学を出ても、昔みたいに絶対安泰な会社に就職できなくなった。前にも言った通り、一流会社も倒産する時代だからね。

それなのにどうして?

ジューンさんが言ったように、親の見栄が大きな理由だとおもう。一流大学を出たところで何の保証があるわけでもない。それでも一流幼稚園から始まって、一流大学を出させるということは、自分が果たせなかった夢を子供に託すという意味があると思う。

しかし、それにはずいぶんと時間とお金がかかるでしょう?

しかし母親たちはそのことに意義を見い出している。有名幼稚園に子供が受かったということが親には喜びであり誇りとなる。その当時『お受験』という映画までできた。このことからみても『お受験』というのは多くの日本人にとってかなりの関心事なんだ。

でも、有名幼稚園に入っても、子供が果して一流大学を出るかどうかは全く分からないでしょう?それなのに200万円も出して塾へやるだけの値打ちがあるのかしら?

ジューンさんはブランド思考ということを知っている?

ええ、聞いたことあるわ。イタリアへいって、GUCCIのハンドバッグを買ってそれを持ち、いい気分にひたる。そういうことでしょう?

その通り。

カナダ人やアメリカ人にもそういう人がいないわけではないけれど、日本人はそれが特にひどいわね。あたしなんかブランド品なんて一つも持っていないわ。安くていいもの、ただその一言につきるわ!だいいちGUCCIのハンドバッグを持ったからっていい気分になれないし、そんなものを持ったところでステイタス・シンボルにはならないもの。

たぶん多くの日本人が自分に対して自信を持てなくなったんだと思う。自分に一体誇れる物があるだろうか?多くの人がそんな風に自問しているんじゃないかな?

それで。。。?

てっとり早く誇れる物を持つのはブランド品を買うことだ。ブランド品を持っていれば他人が羨ましがるのではないか? 生活が豊であることを認めてくれるのではないか? そんな風に考えてブランド品を買うのではないだろうか?

そんなに日本人は単純なの?

なかには、そういう人もいる。しかしブランド品では満たされない人もいる。そういう母親はどうするかというと、有名幼稚園へ我子をやる。ブランド品にお金を使うよりも有意義だと思うからだ。

でも結局ブランド指向と変わりないでしょう?

でも『お受験』に夢中な親にはそのことが分からないに違いない。そんなわけで、相変わらず子供を有名幼稚園にやる親があとをたたない。

有名幼稚園って、本当に良い幼稚園なの?

中には良い幼稚園もあるだろうとは思うけれど、本当に幼稚園の良さを理解してん入園させている親が一体何人いることか?僕は疑問に思っている。

たとえば、どういう幼稚園が有名なの?

お茶の水大附属幼稚園などは知名度がある。

どんな利点があるの?

学校の授業で脱落しなければ、女の子はお茶の水附属高校へ無試験で入学できる。男の子の場合は、中学3年で放り出される。

どうして?

お茶の水附属高校は女の子だけ。しかし入試を受けずにエスカレーターに乗るように上級学校に進むということは生徒にとって楽ではない。

なぜ?

幼稚園とか小学校から無試験で上がってくる生徒は、中学入試、高校入試を経て入ってくる秀才には、とてもじゃないが太刀打ちできない。なかには、みじめな思いで学校生活を過ごさないといけない生徒もでてくる。それに国立の学校(教育学部の実験校)というのは、受験対策など全然しないのが普通。担任の教師は実験授業で忙しいか、出張不在。こんな状況下でもなおかつ大学入試において抜群の成績を上げるのは、ひとえに高校入試や中学入試で学力の高い生徒を集めるからなんだ。

お茶の水大学というのは女の子にとっては憧れなんでしょう?

ある種のブランドとして考えている親たちもいるらしい。でも、お茶大ブランドはあてにならない。それは、自信のない男子大学生は、自分より明らかに優秀な女子学生を好まない。花嫁修行のつもりで娘を大学にやるというのは時代錯誤もはなはだしい。

それでも、お茶の水大附属幼稚園へ入園させるという親たちがいるわけね?

もちろん、なかには教育の内容の良さを理解して入園させるという親たちもいるかもしれない。しかし、問題なのは、娘のために『お得』だとおもって『お茶大附属』を『お受験』させる親がいることだ。『お茶大附属・父母サロン』に親たちが憧れを持ち、夢を見ようとしているなら、それは見栄、虚栄心以外の何ものでもない。それは不幸の始まりだとしか言いようがない。

つまり、自分に自信と誇りを持つことがどういうことなのか?そういうことをじっくりと考えてないってことなのね?でしょう?

そういうことです。

日本人の精神レベルが向上しないと、また第二の春奈ちゃん事件が起きるかもしれない、ということですね?

僕もそう思いますよ。




コメント



日本人が妙に小金持になっていて、ブランド品も買えるし、子供の教育にもお金をかけられるってことですね。
欧米人に比べるとあまり合理的な価値観でないのは確かだと思います。
日本人が自分の意見を言わないのは、他の人と違うのは悪いこと、というような社会通念がいまだにあることが大きな要因だと思います。
アメリカなんかはまったく逆に、人と違うことに価値がある、感じがしますよね。
ホリエモンや村上ファンドなんかに反発するのも、今までのやり方と違う、ってことがベースにあって、それなりに影響力のあるスポーツ新聞やバカなレポーターなんかが騒ぐのも同じように見えます。

いずれにしても、そんな社会で小さい時から人と違うことを言ったりしないような教育を受けて、大人になっても意見のない人間になってしまうのです。

by matt (2005-10-07 11:28)

『SO-NET デンマンのブログ (オリジナル記事)』のコメント欄より


『自分に自信と誇りが持てない日本人』より
 (2005年10月7日)




どうですか、卑弥子さん。。。?



そうですわねぇ〜。やっぱり、「お受験」そのものよりも、それに関わる人たちの心の問題を考えないといけませんわねぇ〜。

その通りですよう。「お受験」という制度があったために、死ななくてもよい子供が殺されてしまった。欧米では、まず考えられないことですよう。

カナダには、「お受験殺人」というようなものは無いのでござ〜♪〜ますか?

「お受験」が無いのだから、「お受験殺人」もありませんよう。

じゃあ。。。日本でも「お受験」を無くせば良いのですわね?

でも、日本では今後100年ぐらい「お受験」は無くなりません。

どうしてでござ〜♪〜ましょうか?

この世界から戦争がなくならないのと同じ理屈ですよう。

なぜ戦争がなくならないのでござ〜♪〜ますか?

戦争によって権力を維持しようとする人間が居る。それに、戦争が無くなると困る武器商人、軍需産業がある。現在の世界の政治家は地球レベルで政治を考えることができない。それで一部の人間と結びついた政治を行っている。でも、戦争は無くすことができるのですよう。

『戦争は無くす事ができるものです (2005年10月10日)』

日本では「お受験」が無くなるなんて、まず考えることができないでしょう。でも、欧米には、日本のような悲惨な「お受験」はない。だから、やる気になれば日本だって、「お受験」を無くす事ができる。

なぜ無くさないのでござ〜♪〜ますか?

戦争が無くなると、この世界の一部の人間が困ってしまうように、「お受験」が無くなると日本では困ってしまう人たちがいる。そのような人たちと有力な政治家が結びついているから、いつまでたっても、日本ではお受験が無くならない。


【卑弥子の独り言】



ですってぇ〜。。。
そのような事があるのでござ〜♪〜ましょうか?
でも、欧米には「お受験」が無いのだから、やろうと思えば「お受験」を無くす事ができるのですわよね。
ちょうど、欧米を見習って明治維新を断行したように。。。

でも、考えてみれば、戦争だって無くす事ができるのですわよねぇ〜。
だって、欧米では、「お受験」が無いのですもの。

日本では、現在、「お受験」を無くす事ができないだろうと考える人が圧倒的多数を占めていると思うのですわよねぇ〜。
でも、欧米には無い!

戦争も、多分、同じ理屈でなくならないのでしょうね。
つまり、戦争が無くなると困る人たちが居るのでござ〜♪〜ますわよう。
そういう人たちと有力な政治家が結びついているのですわよう。
あなたも、そう思いませんか?

とにかく、デンマンさんのお話は、まだ面白くなるようでござ〜♪〜ますわ。
どうか、あなたも、またあさって読みに戻ってきてくださいましね。
では、またねぇ。。。






ィ〜ハァ〜♪〜!

メチャ面白い、

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『また、オマエか! (2009年7月3日)』

『成りすまし馬鹿 (2009年7月5日)』

『スカンクと宮本武蔵 (2009年7月6日)』

『絶望的な愚か者 (2009年7月7日)』



 
こんにちは。ジューンです。

「お受験殺人」

そうですよね。

欧米では考えられない事ですわ。

「お受験」がまったく無いわけではありませんけれど、

日本のような過激な「受験戦争」はありませんわ。

考えてみれば、

欧米には「受験戦争」が無いのですから、

考えようによっては、

本物の「戦争」だって、やる気になれば

無くす事ができるのですわよね。

でも、無くならない。

つまり、無くそうとしない政治家が居るのですわ。

だから、無くそうとする政治家を

一人でも多く国会に送り込めばいいのですわ。

それを世界レベルでやる必要がありますよね。

あなたも、そう思いませんか?



ところで、卑弥子さんが面白い記事をまとめました。

時間があったらぜひ読んでみてくださいね。

■ 『笑って幸せな気分になれるサイト』

では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。





2009年09月06日

弘中先生と熊谷


  
弘中先生と熊谷





Subj:グルメの小百合さんが

ウハウハ喜んで読めるような

グルメな記事を書きましたよう。

\(*^_^*)/ キャハハハ。。。




Date: 25/08/2009 9:34:01 PM
Pacific Daylight Saving Time
(日本時間:8月26日 水曜日 午後1時34分)
From: green@infoseek.jp
To: domini@yahoo.co.jp
CC: barclay1720@aol.com


夏休みも残り少なくなりました。
小百合さんにとっては夏休みが長引けば、家での仕事が多くなり、うれしいような、うれしくないような、複雑な気持ちでしょうね。

ヽ(´ー`)ノ キャハハハ。。。

でも、軽井沢で夏休みが過ごせたのだから、プラスマイナスゼロでしょう。
いや。。。それだけやる事がたくさんあったのだから、思い出多い夏休みになったことでしょう。



『セドリックのオナラの話』

【軽井沢タリアセン夫人と馬鹿犬】


 (2009年9月2日)


ところで、しつこいようだけれど、セドリックのオナラのような面白い話でもある?

\(^▽^;)/ うしししし。。。

“デンマンさんも秋ですね。”



そうです。。。そうです。。。
バンクーバーは小百合さんが言うようにめっきり秋の気配に包まれていますよう。
もう夏は終わりました!

今日、8月25日の最高気温は21度です。
ラーメンが食べたくなるような涼しさです。



ところで、小百合さんの「麦わら帽子」から『人間の証明』のことでたくさん記事を書きました。
小百合さんからインスピレーションをたくさんもらいました。
ありがとね。



『人間の証明 (2009年8月19日)』

『女の証明 (2009年8月21日)』

『母の証明 (2009年8月25日)』


森村誠一さんの経歴から熊谷生まれだと知り、
さらに、12歳のときに熊谷空襲を体験したということから。。。
僕の母校・熊谷高校をウィキペディアで調べることになったのでした。

旧制熊谷中学時代に19年間も教えた弘中又一先生が、なんと、『坊っちゃん』のモデルだったと知り、僕の興味も『人間の証明』から『坊っちゃん』に移って行ったのでした。

松山中学の生徒の間で歌われていたものに「教師数え歌」があるのです。
「一つ弘中シッポクさん」で始まっており、7番目に「七つ夏目の鬼がわら」とあるのですよう。
このシッポクとは、シッポクうどんのこと。



グルメの小百合さんのために、調べましたよう。
9月2日の記事の中で書きました、
題して『坊っちゃん再訪』

『坊っちゃん再訪 (2009年9月2日)』

熊谷時代の弘中先生の好物がどじょう。
それで「柳川鍋」も調べました。

小百合さんは、多分、泥鰌(どじょう)が嫌いでしょうね?





でもねぇ〜、「柳川鍋」はうまそうだよう。
うまそうな写真を載せてあるから、ぜひ読んでみてね。

子供の頃、お袋が「柳川鍋」風どじょうドンブリを作って食べさせてくれたけれど、
“うまい!”と思って食べたことはついに一度もありませんでした!

\(^▽^;)/ きゃはははは。。。
 
じゃあ、ゆっくりと読んでみてね。
小百合さんも、きっと、よだれが出てくると思うよう。

(//\/i/i__/)
(+'.'+)
(")_(")


じゃあねぇ〜






松山の町の雰囲気。。。、それに、松山中学校の雰囲気に。。。、『坊っちゃん』のモデルの弘中先生が堅苦しいものを感じた、とデンマンさんはおっしゃいましたわねぇ〜!?



そうですよう。シッポクうどんを4杯食べただけで生徒の間で有名になってしまった。



しかも先生をからかう数え歌にまでなってしまう。これはやっぱり当時の松山の町が、いかに単調で狭い世界だったかと言う事を暗示しているような気がするのですよう。

弘中先生が滞在していた頃の熊谷の町は、そうではなかったのでござ〜♪〜ますか?

それわねぇ〜、熊谷の町の歴史をちょっとばかり遡(さかのぼ)っただけでもすぐに分かりますよう。

どのように。。。?



再建された忍城

あのねぇ、隣の行田市は忍の城下町として発展したのですよう。松山市も松山城の城下町として発展してきた。やっぱり、どこか城下町特有の狭苦しくて堅苦しい雰囲気があるのだと思うのですよう。

。。。んで、熊谷は。。。?

熊谷は交通の要所として発展してきたのですよう。また、商業も盛んだった。昔、忍城主から木綿販売の許可をもらい、木綿産業が盛んになり、さらに商取引が発展した。江戸時代には、熊谷は中仙道の宿駅となった。秩父・東松山に通じる要地という事もあって、人が集まる場所だったのですよう。

つまり、人の往来が激しかったのでござ〜♪〜ますわね?

そうですよう。でも、それだけではなかった。江戸時代の主要な運搬は、水運によってなされていた。熊谷は、利根川には酒巻と葛和田、荒川には久下と新川という四つの河岸があり、運搬に恵まれていた。それを経由して米や材木や肥料の取り引きが盛んに行われた。

つまり、商売人もたくさん集まって来たのでござ〜♪〜ますわね?

そうなのですよう。宿場町としての熊谷は、本陣が2軒(竹井家と鯨井家)脇本陣が1軒あった。街並みは1665年には210軒だったのが、1730年には380軒と増えた。その内で旅籠屋は27軒、茶屋が26軒あった。

つまり、たくさんの人がやって来て泊まったのですわねぇ〜?

そうですよう。1800年には937軒となり、めざましい増加ぶりが分かるのですよう。天保年間には浦和宿の2倍以上の人口が集まり、中仙道随一の宿場と言われた。熊谷には商家が今でも多いのですよう。明治6年から9年までの3年間には熊谷県が置かれたことでも、町の繁栄ぶりが分かるのですよう。この当時、埼玉県では、川越に次いで2番目に人口の多い町だった。明治の半ばには、養蚕と麦作が盛んになり、信州の資本などで製糸工場がつくられた。明治16年には高崎線の前身が引かれ、明治34年には上武鉄道(秩父鉄道の前身)が引かれた。つまり、弘中先生が居た頃は熊谷は最も栄えていた。

つまり、たくさんの人が集まるので自由と活気にあふれていたとデンマンさんはおっしゃりたいのでござ〜♪〜ますか?

そうですよう。たとえ弘中先生が「柳川鍋」を4人前食べたとしても、その程度の事ではニュースにならないほどに活気と覇気(はき)にあふれた町だったのですよう。



それで弘中先生はその自由な雰囲気がすっかり気に入ってしまったとデンマンさんはおっしゃりたいのでござ〜♪〜ますか?

そうですよう。でも、そればかりではなかった。学校の雰囲気も自由で弘中先生の性格にバッチシ合ったのですよう。

どのように。。。?

あのねぇ〜、それを説明する前に、まずウィキペディアの「熊谷高校」の項を読んでみてくださいよう。


熊谷高校



1895年(明治28年)、埼玉県第二尋常中学校として創設された。
県下の公立校としては埼玉県第一尋常中学校(現埼玉県立浦和高等学校)に次ぐものである。
戦後、新制埼玉県立熊谷高等学校となった。
開学以来男子校である。
早くから私服での登校が認められており、校風は極めて自由である。

校訓

「質実剛健」
「文武両道」
「自由自治」
部活動への加入率は高く、また自由な校風を有している。

校風

自由な校風を有することが特徴である。
その中のひとつとして、「カクト」と呼ばれる制度がある。
これは、担当教員の出張などにより授業が休講となる場合に出される自習時間のことであり、「各自図書館自習」の略称である。
しかしながら、実質的には何をしても良い時間であり、自習時間の利用方法は生徒各々の自主性に任される。
また、カクトの時間を最終時限目と入れ替え、放課を早めることができる場合もある。
この行為は「トを上げる」と呼称される。
このため、同校においては生徒が授業時間中に校内を歩いていたり食堂で食事をしていたとしても、教員がそれをとがめることは通常ない。

このほかの同校の自由な校風を象徴するものとして以下のようなものがある。
例えば文化祭の出し物はクラス単位で行われることが一般的であるが、同校の熊高祭においては仲の良いグループを募って「サークル」を形成し、そのサークル単位で行うことが恒例となっている。
また、修学旅行に関してもほとんどがグループ単位での行動であり、宿泊地もグループ単位で異なる。
また、服装検査や頭髪検査、持ち物検査などの校規検査は一般的に行われない。

このほか、小規模な行事であろうと肩を組んで校歌を斉唱する習慣がある。
文化祭や体育祭、生徒集会や全校集会などの行事では必ず肩を組んで校歌が斉唱される。
生徒が自ら好んで校歌を歌うことが多い。

40キロハイク

毎年5月中旬から下旬ごろに行われる行事。
熊谷の荒川河川敷から秩父線上長瀞駅までのおよそ40キロを歩いたり、走ったりする。
服装は基本的に自由であるが、大半の生徒は仮装をして参加する。
仮装の内容は社会風刺や下ネタなどがある。
完歩率は高く、例年90パーセント以上を維持している。

臨海学校

1年次の7月中旬に行われる行事。
新潟県柏崎市の鯨波海岸で、主に遠泳が行われる。
県内では浦和高校と蕨高校と同校の3校のみでみられる行事である。
開始以来無事故。これまで毎年行われてきたが、2007年度は開始予定前日に発生した新潟県中越沖地震の影響で初めて中止となった。

熊高祭

毎年9月に行われる、文化祭と体育祭の総称である。
前者については、先述の通り仲の良い者同士や部活動単位で「サークル」を形成し、そのサークル単位で出し物を行うことが特徴である。
また、応援団による「勝利の伝統」や、「秩父支部劇」、女装してパフォーマンスなどを行う「ミス熊高」などが行われる。
体育祭に関しては、珍棒(ちんぼう)を用いる「珍百足」(ちんむかで)や、水泳やタイヤ引きなどを連続して行い体力と気力を試す個人競技「鉄の男」といった特徴的な種目がみられる。

修学旅行

2年次の11月頃に行われる。
例年の行き先は関西地方や九州地方、北海道などであるが、行き先は1年次に決定される。
このほか、先述の通り宿泊地をグループ毎に各自選択することができることが大きな特徴である。
例えば、行き先が関西地方の場合は、初日の広島が宿泊地として指定されているのみで、それ以降の宿泊地は岡山、神戸、高松、大阪などからグループごとに選択することができる。
初日が広島、2日目が岡山、3日目が大阪、4日目が京都というグループがある一方、初日が広島、2日目が神戸、3日目が高松、4日目が京都、というグループがあるなど、自由に選択できる幅が広い。

部活動

「文武両道」の精神にのっとり、部活動への加入率は高い傾向にある。
なお、2008年度における部活動への加入率は、運動部が63.8%、文化部が14.6%、愛好会(サークル)が15.6%であり、これらを合計するとのべ94%である。
2つ以上の部活動を兼部することもできる。

硬式野球部が1951年、1982年などに3回夏の甲子園に出場しており、うち1951年の大会においては準優勝した。
このほか、剣道部、陸上部、軟式野球部、ラグビー部、水泳部、弓道部、ソフトテニス部、バレーボール部、山岳部、将棋部なども県大会や全国大会へ出場を果たしている。

主な出身者・関係者

政治・行政 (略)

経済 (略)

 (中略)

芸術・雑

弘中又一: 夏目漱石の小説「坊っちゃん」の主人公のモデルとなった第二中学の教員
小林秀三: 田山花袋『田舎教師』モデル
須田剋太: 日本画家

(後略)




出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

『坊っちゃんと熊谷 (2009年8月29日)』に掲載




。。。んで、この紹介記事がデンマンさんは、どうだと言うのでござ〜♪〜ますか?



あのねぇ〜。。。、読んでみて、いかにも自由な校風だと卑弥子さんも思いませんか?

そうですわねぇ〜。

僕自身、上の紹介文を読んでみて、改めて自由だったと気づかされたのですよう。東大に○○人、京大に○○人、慶応に○○人、早稲田に○○人。。。と言うような事が誇らしげに書かれてない。僕が在学中も大学に進学する生徒がほとんどだったけれど、有名大学に進学するだけが人間の目標だと考える生徒も先生も、僕が居た頃は少なかった。そのことを僕は自由な校風だと感じたものですよう。

デンマンさんは受験戦争に問題があると思っているのでござ〜♪〜ますか?

そうですよう。未だに日本の教育界は受験に引きずられているように思えるのですよう。現在の教育は非常に間違っていると僕は思う。去年の11月に日本に居た時に「漫画喫茶みるみる」のお持ち帰りコーナーで手に入れた『週間ポスト 2008年11月14日号』をパラパラめくってみたのですよう。次のようなタイトルが目に付いた。


母親たちが「越境入学」で走る、走る。

「学力」「環境」がこんなに違う!

お受験「名門公立小学校」ブームを追う!

シーズン到来!

親子で必読 PART II


「中学受験に有利」「設備が充実」「自由な校風」
入学のためには「住民票の貸し借り」までも。。。

小学校は自宅から最も近いところへ徒歩で通う
そんな“常識”は通用しなくなりつつある。
親たちのあくなき教育熱は、私立を目指す「お受験戦争」のみならず、人気公立小への「越境入学ブーム」を生んでいる。




45ページ 『週間ポスト 2008年11月14日号』


いつのことでござ〜♪〜ますか?

ついさっき、トイレで読んだのですよう。うへへへへへ。。。

なぜ。。。?

週刊誌はトイレに入っている時に読むものだと思い、社会勉強のために日本からわざわざ持ってきたのですよう。うしししし。。。

「お持ち帰りコーナー」の週刊誌をわざわざカナダへ持っていったのでござ〜♪〜ますか?

だから、こうして引用できるじゃないですかア!こういう事もあるのじゃないか?そう考えて、わざわざバッグに入れたのですよう。

つまり、「お受験戦争」は、デンマンさんが学生時代よりもさらにエスカレートしているのでござ〜♪〜ますか?

そうですよう。しかも僕が驚いたのは、去年の11月に熊谷高校同窓会の有志から手紙が来ていた。

どのような。。。?


最近、東大に進学する熊校生がゼロになってしまった。これを何とかしたい。つきましては、寄付をお願いします。補習授業をサポートして有名大学進学者を増やしましょう。

同窓生有志一同


。。。んで、デンマンさんは、どうしたのでござ〜♪〜ますか?



東大進学者の数で教育を計(はか)るな!

バ〜♪〜カァ〜!


僕はマジでムカつきましたよう。

。。。んで、いつものように厳しい批判文を書いて返信したのでござ〜♪〜ますか?

そうしようと思ったけれど、止めましたよう。

なぜ。。。?

あのねぇ〜、話せば長くなるけれど、僕は熊谷市の循環器・呼吸器病センターの医者と事務長を相手に医療と予約システムのことで苦情とともに批判したことがあるのですよう。次の記事の中で書いたことだから詳細はここには書きません。

『鼾と妊娠 (2008年6月9日)』

日本で厳しく批判したりすると、回りまわって、僕の親族に迷惑が及ぶことがある。上の場合には、センターの医師がお袋のホームドクターに八つ当たりしたので、今度はホームドクターがお袋に苦情を言ったのですよう。馬鹿馬鹿しい話だけれど、日本では本音と建前があるから、このようなことが実際に起こる。僕に直接反論しないで、弱い立場の者をやり込める。

つまり、デンマンさんが同窓生有志一同に厳しく批判しようものならば、親族のどなたかに迷惑が及ぶかもしれないと思ったので、批判することをお止めになったのでござ〜♪〜ますか?

そうなのですよう。僕の従兄弟や親戚の者で熊校同窓会に関係している者が結構居るのですよう。迷惑がかかると思うと厳しく批判することもできない。それに、お袋から僕は言われましたよう。

なんて。。。?

「日本では日本のやり方があるのだから、あまり余計な事を言うもんじゃないよう。『郷に入れば郷に従え』と言うだろう」。。。お袋は、そう言ったものですよう。うしししし。。。

つまり、同窓生有志一同からのお手紙を無視したのでござ〜♪〜ますわね?

そうですよう。日本では、それがもっとも無難なやり方のようですよう。

でも、もし無視したことを同窓生有志一同から追求されたら、デンマンさんはどうなさるのでござ〜♪〜ますか?

だから、そのためもあって、僕はこうして記事を書いているのですよう。うしししし。。。。同窓生有志一同から追求されたら、この記事を読むようにお願いしますよう。

要するに、東大進学者を増やすために補習授業をサポートするような寄付には意味がないとデンマンさんは断言するのでござ〜♪〜ますか?

もちろんですよう。そんなのは教育じゃないですよう。「お受験戦争」に参加するようなものですよう。

。。。んで、その事と弘中先生が関係あるのでござ〜♪〜ますか?

ありますよう!。。。あのねぇ〜、熊谷高校には旧制熊谷中学からの伝統がある。

それは何でござ〜♪〜ますか?

「質実剛健」

「文武両道」

「自由自治」


弘中先生が気に入ったのも、まず間違いなく旧制熊谷中学のこの伝統と気風なのですよう。卑弥子さんも、これまでの弘中先生の奇行やエピソードを読んできて、そう思いませんか?

そうでしょうか?。。。しかし、デンマンさんは「お受験戦争」に反対しているついでに故意に次の項目を上の説明から除外していましたわ。


進学実績

例年、一橋大学、東北大学などの国公立大学に現役で数名の生徒が合格する。
また、私立大学に関しても早稲田大学、慶應義塾大学、上智大学などの難関大学に合格する生徒もいる。
伝統的に難関大には浪人の割合が高く、4年制高校などと罵倒されていることもある。

 
あれっ。。。、卑弥子さんは鋭い目をしていますねぇ〜。。。見つけ出したのですかァ〜?

デンマンさんは隠そうとしたのでござ〜♪〜ますわねぇ〜!

そうゆう疑いの眼差(まなざ)しで僕を見つめないでくださいよう。隠したって、すぐに分かってしまうでしょう。。。僕は、「進学実績」などと言う項目に意味を見出せなかった。だから、書かなかったのですよう。

。。。んで、デンマンさんにとって意味のあるモノとは何でござ〜♪〜ますか?

だから。。。人とか伝統ですよう。もちろん、伝統がすべて意味があるとは言わないけれど。。。

それで、具体的には。。。?

だから、田山花袋が書いた『田舎教師』のモデルになった旧制熊谷中学の卒業生・小林秀三さんだとか。。。当時、数学を教えていた弘中先生とか。。。僕に良い影響を与えてくれた先輩。。。それに、僕の恩師の先生方などですよう。

。。。んで、伝統って、具体的には。。。?

「自由自治」

僕には魅力的な伝統ですよう。

だから、具体的にはどのようなことでござ〜♪〜ますか?

僕が熊谷高校に入学して5月か6月頃だったと思います。

何があったのでござ〜♪〜ますか?

地区ごとに分かれて新入生歓迎会のような催しがあったのですよう。

つまり、あのォ〜。。。料理屋か、キャバクラに出向いてお酒を飲んで女の子と面白おかしく騒いだのでござ〜♪〜ますか?

卑弥子さん!。。。いい加減な事を言わないでくださいよう!まだ16才になるかならないかの未成年ですよう!当時、キャバクラなんてものはありませんでしたよう。

。。。んで、どのような事をしたのでござ〜♪〜ますか?

確か、午後からの授業が休講になって、生徒は各地区ごとに教室が割り当てられて、そこで自治的に新入生歓迎会が行われたのですよう。

具体的には、どのような事をしたのでござ〜♪〜ますか?

僕は、てっきり地区担当の先生が来るものと思ったのですよう。

先生は誰も出席しなかったのですか?

一人として来ない。全く生徒の自主的な運営に任されたのですよう。小学校、中学校の経験では全く考えられない事でした。

それで。。。?

行田市出身の生徒には理科の実験室が割り当てられて、そこに50人ばかり集まったのですよう。

それで。。。?

中学校ならば、生徒が集まれば、ガヤガヤするだけで、まとまりが取れないと思うのだけれど、さすがは伝統ある“熊校”だけのことはありました。3年生はそれまでに、やり方を見ているから知っている。

それで、隠し芸大会のようなものが始まったのでござ〜♪〜ますか?

いや。。。違うのですよう。。。行田市出身だから、顔見知りが多くて、今更、自己紹介でもないのだけれど、3年生が所信を述べると言うような趣旨で一人づつ教壇に立って順番に話し始めたのですよう。

どのようなお話でござ〜♪〜ますか?

3年生の中で一人だけ僕に強烈な印象を与えた人が居ました。その人の話を読んでみてください。


はなし



ちょいと、わいのはなし、聞いてえな。

どないしたんや?

昨日、警察署へ行ってきたんや。

どないしてん?盗みでもやらかしたんか?



そんなケチなことやらかすかいな。

銀行強盗か?

ちゃうわい。殺人事件のことでな。

さ、殺人、殺人事件? お前、そんなだいそれた事したんか?



チャウチャウ。わいが人を殺せるわけないやろ。

それもそうやな、お前のような気ィの小さい奴が人を殺せるわけないなァ。

わいのこと、そんなに気ィが小さいと思うてんのか?

まあ、いいがな。それでどないしてン?なんで警察なんぞに呼ばれたんや?

だから、ゆうたやろ殺人事件やて。

でもお前、やらんやったんやろ?

やらん、やらん。人など殺すかイナ。

それがどうして殺人事件と結びつくんかいな?

わいに嫌疑がかかったんや?

警察は、お前がやったんやと思うとんのか?どないして?

たまたま被害者が最後に会(お)うたんがわいなんや。

被害者って誰なんや?

それが、わい、よう知らん人なんや。

よう知らん?それなのに、どうして警察がお前を呼んだりすんのや?

わいの名前と住所を書いた紙切れがハンドバックから出てきたんやがな。

ハンドバック?お前、被害者というのは女か?

そうなんや。

若いんか?

若い。まだ30になっとらんやろ。



それで、どないなんや?その人別嬪(べっぴん)か?

それが、ごつうーィ別嬪なんや。

うそつけー!お前の知り合いにそんな別嬪いやへん!

だから、言うたやろ。わいのよう知らん人やて。

そのよう知らん人がどうしてお前の名前と住所を書いた紙切れを持っていたんや?

わいが一月前に実家に帰ったのん知ってるやろ?

ああ、そういえばお前、帰ってたな?金をせびりに行ってたんやろ?

何を言うてんのや?金などせびりに行くかいな。わいな、おかァはんの病気見舞いに行ったんや。

実家でその女の人に会(お)うたんかいな?

実家とちゃゥ。駅でな。わいの帰りがけに駅で会(お)うたんや。

お前、また妙なことをしたんやろ?おいどを触ったり。

ばか言うな。そんな嫌らしいことするかいな。

それで、どないしてその女の人と知り合(お)うたんや?

それがな、わいが駅のフォームでぼんやりとタバコを吸うとるとなァ、「あのう、もうし。。。」と話しかけてきたんやがな。

それで。

「あのう、見ず知らずの人に、つかぬ事をお願いするようで心苦しいのですが、わたくし、路銀が少なくて困っております。もし、お差し支えなければ今夜の宿賃ほど、お貸し願えないものでしょうか?」こう言うンやがな。

そうか?しかし、初めて会(お)うたんやろ?あまりにもあつかましいがな。

そう思うやろ。わいも、そう思うたんやがな。しかしなあ、その人、ごつーイ別嬪やがな。わいが今まで見たうちでも飛びぬけて別嬪なんや。しかも、悪気のある人には見えへん。なんかこう、ほんまに困っとる様子なんや。

お前、別嬪に弱いんや。そら、だまされたんやで。

わいも、そのこと考えたんや。けどな、断るに断れないような風情があってな。

それ程別嬪かァ?

そうなんやがな。よう昔話に天女(てんにょ)というのが出てくるやろ。わい、これまでに天女と言うのはどんな女の人だろうと思ったことが何べんもあった。それが、その人を見た時に、なぜか知らん、わい、天女というのは、こういう人のことやと、そう思うてしもうたくらいや。そのぐらイごつーィ別嬪やがな。

そうなんかァ〜。わしもその時お前と一緒に実家に行くべきやったなあ。

何をあほなこと言うてんねん。一緒に行ったかてしょうもないやろ。

それでどうしたんや?

わいなァ、ちょうど昔話の中に出てきよる、ちょっと抜けた人のようにな。お金のことなど、もうどうでもいいような気になってしもうたんや。とにかく、世にも不思議な人に出会っているような気ィになってしもうたんや。それでわし言うたんや。「一万円ぐらいでよければ貸してあげてもいいんやけど。。。」

一万円?一万円か?お前、百円でもわしに貸す時には出し惜しみするやないか?それが見ず知らずの人に一万円か?

そうやがな。そういう気ィになってしもうたんや。

ああァ、あほくさ。それで、一万円貸したんか?

そうなんや。戻ってこんやろなァ〜とは思うたで。そやけど、世にも不思議な人と出会(お)うた気ィになって、一万円の値打ちがあると思うたんや。

それで別れてしもうたんか?

そうなんや。でも別れる前に言うたな。「あのう。お名前とご住所を控えさせていただきたいのですが」どうせ書いたって、戻ってコンとは思うたけれど、せっかくそう言うもんだから、わい、書いたんや。

それが、ハンドバックの中から出てきよったわけか?

そうなんや。

それで警察署でどうしたン?

とりあえず、被害者がわいの会(お)うた人と同一人物かどうか確かめるというてな、死体置き場までわいを連れて行きおった。

それで死人を見たんか?

そうなんや。あまり見とうなかったな。でも、警察の言うことやからな、さからエン。

そいで?

ィやあ、死に顔もきれいヤッタでェ。ちィっとも死んでいるとは思えなんだ。

それで何かァ、お前裸の全身を見たんかァ?

何で裸なんや?

そやかて、死体置き場には裸にしておいて置くんやろ?

そうなんか?

そうなんか、って。裸やったんやろ?

裸やったんかも知れん。でも白い布で覆われていたから、顔だけしか見えヘンだったで。

なんや。詰まらんな。それじゃあ、一万円の価値ないがな。

何もストリップ見ィにいったんと違うで。

それはそうや、警察の人と一緒やからな。でも貸した金は何らかの方法で返してもらわんとかなわへんでェ。それで、どうしたんや。それだけか?

警察の人がなァ、「どこか変わったところがないか」聞くねん。

変わったところがあったんか?

いいや、ちょっと見ただけでは分からんかった。

ということは、あったんやな。変わったところが。

そうなんやがな。

どこがァ、変わってたんや?

それがなあ、前歯が一本欠けてたんや。歯が一本なかったんや。つまりな、はなしだったわけや。

はなし?

そう、はなしや。

なにか?この「はなし」をわしに聞いてほしかったというわけか?

ははは。そうなんや。これがわいの「はなし」や。

あああァ〜、アホくさァ!






『はなし (2005年4月7日)』より


この話をした3年生の名前をはっきりとは覚えていないのですよう。確か春田さんと呼ばれていたような気がするのです。僕よりは2年先輩だけれど、行田市立中央小学校では一緒でした。春田さんは忍中学校へ行き、僕は行田中学でした。

でも、上のお話は2人が漫才のように賭(か)け合っていますわ。

実は、春田さんは一人称で話したのです。もちろん標準語を使って話したのです。大阪弁を使って漫才形式にしたのは僕なのですよう。春田さんの話を基に4年前に上の記事を書いたのです。

20年以上も前の話をデンマンさんは覚えていたのでござ〜♪〜ますか?

そうなのですよう。それほど強烈な印象を僕に与えたのですよう。かなり受けた話で、話のうまさに同級生同士でも感心したことを良く覚えていますよう。当時の春田先輩は17才ですからね。

つまり、早熟な生徒が多かったのですか?

そうですよう。春田さんの話は特に印象的だったので覚えてたけれど、他の3年生の話はすっかり忘れてしまいましたよう。

それで、先生にも弘中先生と同じようにユニークな先生方が居たのでござ〜♪〜ますか? 

そうですよう。その事は9月10日に話します。楽しみにしていてくださいね。


【卑弥子の独り言】



ですってぇ〜。。。
高校三年生。当時17才の春田少年は、大人も顔負けなお話をしたのでござ〜♪〜ますわ。
デンマンさんたち新入生が感心するのも分かるような気がいたします。
あなたにも、同じような思い出がありますか?

あったら、ぜひコメントに書いてくださいね。
とにかく、デンマンさんのお話は、まだ面白くなるようでござ〜♪〜ますわ。
どうか、あなたも、またあさって読みに戻ってきてくださいましね。
では、またねぇ。。。






ィ〜ハァ〜♪〜!

メチャ面白い、

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こんにちは。ジューンです。

“郷に入れば郷に従え” 

良く耳にする諺ですよね。

さて、英語でなんと言うのでしょうか?

考えてみたことがありますか?

次のように言います。

“When in Rome,

do as the Romans do”


多分、あなたも知っていたと思います。

このことで、デンマンさんとレンゲさんが

とっても面白い対話をしています。

『不倫とヌードはいけませんか?』

(2006年9月13日)


なんだか、面白そうでしょう?

せひ、上のリンクをクリックして

読んでみてくださいね。



ところで、卑弥子さんが面白い記事をまとめました。

時間があったらぜひ読んでみてくださいね。

■ 『笑って幸せな気分になれるサイト』

では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。





2009年08月29日

坊っちゃんと熊谷


  
坊っちゃんと熊谷





Subj:軽井沢で水着になって

はしゃいでいますか?

ストレスを解消しながら

ルンルン気分で楽しんでね!

\(*^_^*)/ キャハハハ。。。




Date: 17/08/2009 8:47:44 PM
Pacific Daylight Saving Time
(日本時間:8月18日 火曜日 午後12時47分)
From: green@infoseek.jp
To: domini@yahoo.co.jp
CC: barclay1720@aol.com


いま、8月25日の『小百合物語』の記事をライブドアで予約投稿したところです。
題して『母の証明』ですよう。



『母の証明 (2009年8月25日)』



日付: Mon, 10 Aug 2009 08:24:47 +0900 (JST)
差出人: "domini@yahoo.co.jp"
宛先: "green@infoseek.jp"



件名:「麦わら帽子」のフレーズが

ずーっと気になってました

\(*^_^*)/



「人間の証明」で麦わら帽子を 渓谷で落して亡くした、
あのフレーズを ずーっと 気になっていて
やっと 霧積(きりづみ)温泉へ 行けました。


8月10日の小百合さんからのメールを使って
たくさん記事を書くことができました。

「人間の証明」

麦わら帽子

霧積温泉


いつものように小百合さんからインスピレーションをもらいました。
ありがとう!



『人間の証明 (2009年8月19日)』

『女の証明 (2009年8月21日)』


すでに上の2つの記事を書いて予約投稿してあります。
これから、まだまだ書けそうです。
小百合さんも時間があったら読んでみてね。

バンクーバーは、もう秋になった感じですよう。
今日の最高気温は23度でした。
7月30日が記録的な暑さでしたが、夏らしく暑い日は8月3日まででした。
8月4日からは最高気温が23度以上になってません。

もちろん、その方が僕にとってはうれしいですよう。
汗をタラタラたらしながらパソコンに向かうのはキモいですからね。。。

\(^δ^)/ キャハハハ。。。



じゃあ、小百合さんも元気で軽井沢を楽しんできてね。
バカ犬のような面白い話をたくさん仕入れてきてね。

室生犀星の文学碑を僕の分まで眺めてきてね。
癒されて、身も心も充電して、元気にたくましく栃木に帰ってきてちょうだいね。

\(^_^)/キャハハハ。。。

(//\/i/i__/)
(+'.'+)
(")_(")


じゃあねぇ〜






デンマンさん。。。、今日はどうして急に「坊っちゃん」なんでござ〜♪〜ますか?



あのねぇ〜、僕は次の記事の中で熊谷空襲を調べたのですよう。

『母の証明 (2009年8月25日)』

熊谷空襲



それで。。。?

それで、ついでだと思って懐かしい母校の「熊谷高校」が『ウィキペディア』で、どのように紹介されているのだろうかと思って覗いてみたのですよう。ちょっと読んでみてください。


熊谷高校



1895年(明治28年)、埼玉県第二尋常中学校として創設された。
県下の公立校としては埼玉県第一尋常中学校(現埼玉県立浦和高等学校)に次ぐものである。
戦後、新制埼玉県立熊谷高等学校となった。
開学以来男子校である。
早くから私服での登校が認められており、校風は極めて自由である。

校訓

「質実剛健」
「文武両道」
「自由自治」
部活動への加入率は高く、また自由な校風を有している。

校風

自由な校風を有することが特徴である。
その中のひとつとして、「カクト」と呼ばれる制度がある。
これは、担当教員の出張などにより授業が休講となる場合に出される自習時間のことであり、「各自図書館自習」の略称である。
しかしながら、実質的には何をしても良い時間であり、自習時間の利用方法は生徒各々の自主性に任される。
また、カクトの時間を最終時限目と入れ替え、放課を早めることができる場合もある。
この行為は「トを上げる」と呼称される。
このため、同校においては生徒が授業時間中に校内を歩いていたり食堂で食事をしていたとしても、教員がそれをとがめることは通常ない。

このほかの同校の自由な校風を象徴するものとして以下のようなものがある。
例えば文化祭の出し物はクラス単位で行われることが一般的であるが、同校の熊高祭においては仲の良いグループを募って「サークル」を形成し、そのサークル単位で行うことが恒例となっている。
また、修学旅行に関してもほとんどがグループ単位での行動であり、宿泊地もグループ単位で異なる。
また、服装検査や頭髪検査、持ち物検査などの校規検査は一般的に行われない。

このほか、小規模な行事であろうと肩を組んで校歌を斉唱する習慣がある。
文化祭や体育祭、生徒集会や全校集会などの行事では必ず肩を組んで校歌が斉唱される。
生徒が自ら好んで校歌を歌うことが多い。

40キロハイク

毎年5月中旬から下旬ごろに行われる行事。
熊谷の荒川河川敷から秩父線上長瀞駅までのおよそ40キロを歩いたり、走ったりする。
服装は基本的に自由であるが、大半の生徒は仮装をして参加する。
仮装の内容は社会風刺や下ネタなどがある。
完歩率は高く、例年90パーセント以上を維持している。

臨海学校

1年次の7月中旬に行われる行事。
新潟県柏崎市の鯨波海岸で、主に遠泳が行われる。
県内では浦和高校と蕨高校と同校の3校のみでみられる行事である。
開始以来無事故。これまで毎年行われてきたが、2007年度は開始予定前日に発生した新潟県中越沖地震の影響で初めて中止となった。

熊高祭

毎年9月に行われる、文化祭と体育祭の総称である。
前者については、先述の通り仲の良い者同士や部活動単位で「サークル」を形成し、そのサークル単位で出し物を行うことが特徴である。
また、応援団による「勝利の伝統」や、「秩父支部劇」、女装してパフォーマンスなどを行う「ミス熊高」などが行われる。
体育祭に関しては、珍棒(ちんぼう)を用いる「珍百足」(ちんむかで)や、水泳やタイヤ引きなどを連続して行い体力と気力を試す個人競技「鉄の男」といった特徴的な種目がみられる。

修学旅行

2年次の11月頃に行われる。
例年の行き先は関西地方や九州地方、北海道などであるが、行き先は1年次に決定される。
このほか、先述の通り宿泊地をグループ毎に各自選択することができることが大きな特徴である。
例えば、行き先が関西地方の場合は、初日の広島が宿泊地として指定されているのみで、それ以降の宿泊地は岡山、神戸、高松、大阪などからグループごとに選択することができる。
初日が広島、2日目が岡山、3日目が大阪、4日目が京都というグループがある一方、初日が広島、2日目が神戸、3日目が高松、4日目が京都、というグループがあるなど、自由に選択できる幅が広い。

部活動

「文武両道」の精神にのっとり、部活動への加入率は高い傾向にある。
なお、2008年度における部活動への加入率は、運動部が63.8%、文化部が14.6%、愛好会(サークル)が15.6%であり、これらを合計するとのべ94%である。
2つ以上の部活動を兼部することもできる。

硬式野球部が1951年、1982年などに3回夏の甲子園に出場しており、うち1951年の大会においては準優勝した。
このほか、剣道部、陸上部、軟式野球部、ラグビー部、水泳部、弓道部、ソフトテニス部、バレーボール部、山岳部、将棋部なども県大会や全国大会へ出場を果たしている。

主な出身者・関係者

政治・行政 (略)

経済 (略)

 (中略)

芸術・雑

弘中又一: 夏目漱石の小説「坊っちゃん」の主人公のモデルとなった第二中学の教員
小林秀三: 田山花袋『田舎教師』モデル
須田剋太: 日本画家

(後略)




出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


。。。んで、最後の方で「坊っちゃん」に出くわしたのでござ〜♪〜ますか?

そうなのですよう。僕は知らなかった。小林秀三は在学中に良く話に出ていたのですよう。田山花袋が書いた『田舎教師』のモデルだと言う事が知れ渡っていた。校長室の前の廊下にガラスケースがあって、その中に埼玉県第二尋常中学校の第2回か3回目の卒業写真が飾られてあって、僕も何度かその記念写真に写っていた小林秀三の姿を見たことがあった。

弘中又一さんの事は話に出てこなかったのでござ〜♪〜すか?

誰からも聞いた覚えが無いのですよう。。。『田舎教師』よりも小説「坊っちゃん」の方が良く知れわたっていると思うのに、どう言う訳か僕は弘中又一先生の話を聞いたことがない。実に意外だったのですよう。

それで、今日の記事で取り上げる気になったのでござ〜♪〜ますか?

そうなのですよう。

小説「坊っちゃん」の方が良く知られているのに、なぜ弘中先生のお話が出なかったのでござ〜♪〜ましょうか?

あのねぇ〜、僕は思うのだけれど、小林秀三が田山花袋が書いた『田舎教師』のモデルだと言うことは、ほぼ間違いないのですよう。つまり、文学に多少関心がある人の間では、誰も認めている事実なんですよう。

弘中先生が「坊っちゃん」のモデルだと言う事は夏目漱石ファンの誰もが認めているわけではないのでござ〜♪〜ますか?

僕も夏目漱石のファンだけれど、僕は知らなかった。夏目漱石自身が「坊っちゃん」のモデルだと、僕は素朴に思い込んでいましたよう。

なぜでござ〜♪〜ますか?

ただ素直に、そう思い込んでいた。「坊っちゃん」の主人公と夏目漱石が僕のオツムの中では重なり合っていた。

つまり、私小説だとデンマンさんは思っていたのでござ〜♪〜ますか?

志賀直哉が書くような私小説だとは思わなかったけれど、「坊っちゃん」の主人公は、明らかに夏目漱石の生い立ちや経歴に基づいて書かれていますよう。

たとえば。。。?

『ウィキペディア』の作品解説には次のように書いてあるのですよう。


作者(夏目漱石)が、高等師範学校(後の東京高等師範学校)英語嘱託となって赴任を命ぜられ、愛媛県尋常中学校(松山東高校の前身)で1895年4月から教鞭をとり、1896年4月に熊本の第五高等学校へ赴任するまでの体験を下敷きに、後年書いた小説である。


つまり、漱石の松山時代の体験に基づいて書かれた小説なのですよう。だから、私小説とは言わないまでも、漱石自身の体験がそこ、ここに書かれている。

例えば。。。?

漱石が子供の頃に一緒に居た女中のお清さん。孫が書いた本にも次のように紹介されている。


漱石の『坊っちゃん』には、父親に嫌われる主人公を無条件に愛する使用人の清という女性が描かれる。
清が「まっすぐで、よいご気性です」と坊っちゃんをほめると、坊っちゃんは「おれはお世辞は嫌いだ」といいかえす。
が、「それだから、よいご気性です」といわれて閉口するのである。
そこで愛されているのは、坊っちゃん本人であり、彼自身の気性である。
彼の生まれた家柄や、父親といった、彼自身に選べない属性ではない。
だからこそ坊っちゃんも清を愛し、恩を返そうと思う。これは「ひいき」ではない。
漱石自身は、坊っちゃんではない。
もっと複雑で多重人格的な人だが、清のようなまっすぐな愛情を尊ぶ性向は、明らかに漱石のものだったと思う。





148ページ 『漱石の孫』 著者・夏目房之介
2003年4月22日 初版第一刷発行
発行所・株式会社 実業之日本社


確かに、漱石自身は坊っちゃんではない。でも、漱石自身も坊っちゃんの姿に自分自身のあるべき姿を見ていたはずですよう。

どうしてデンマンさんは、そのような事をおっしゃるのでござ〜♪〜ますか?

孫の房之介さんは、更に次のように書いていた。


本当の自分を持つ



「真に目覚める日本」とは、個人におきかえれば「本当の自分」を自覚することになる
いわば「坊っちゃん」のように、内面と外面が一致する偽善のない姿を意味するのだろう。
これを問うことが漱石の文学的主題にもなったが、一方で、つねに自分の内面に問い続ける、資質的で内面的な視線を強化することにもなった。
また漱石は、その主題を「個人主義の確立」という公共社会的な課題にして、本当に「中身」のある近代を視野に入れようとした。

 (中略)

ともあれ漱石は、日露戦争直前の、明治国家が世界における存亡を強く意識して極度に緊張した時期に留学したのである。
自己肥大どころか、自分は、日本は、貧弱な猿真似をしているに過ぎないのではないか、という意識を心に抱いて帰った。
そのことが、以後の日本の自己肥大化から距離をおいた文明論的な場所を漱石に与えたともいえる。

 (中略)

「国家は大切かもしれないが、そう朝から晩まで国家国家といってあたかも国家に取り付かれたような真似はとうてい我々にできる話ではない。(略)
事実出来ないことをあたかも国家のためにするごとく装うのは偽りである。(略)
国家的道徳というものは個人的道徳に比べると、ずっと段の低いもののように見えることです。
元来国と国とは辞令はいくらやかましくっても、徳義心はそんなにありゃしません。
詐欺をやる。誤魔化しをやる、ペテンにかける、滅茶苦茶なものであります。」
(夏目漱石 『私の個人主義』 135-137ページ所収)

見事な指摘である。これを漱石は、日露戦争(1904−1905年)および第一次世界大戦(1914−1918年)の戦勝国となった日本で語っている。
国家と個人、国家と国家の関係において、この言葉は今でも説得力を持つ。

日本は、そののち「朝から晩まで国家国家」といわねばならない、「出来ない事」をできるといいはる国になり、「徳義」もないくせに「徳義」ヅラして(この点は欧米だって同じだが)、そして手ひどく(太平洋戦争で)負けた。
漱石の文明論的な視点は、そのあたりまで届いていた。




131−134ページ 『漱石の孫』 著者・夏目房之介
2003年4月22日 初版第一刷発行
発行所・株式会社 実業之日本社

『夏目漱石と成りすまし馬鹿 (2009年8月11日)』に掲載。


つまり、僕は『漱石の孫』の上の部分を読んで、夏目漱石は当時の自己肥大しつつある日本帝国という国に居て、本当の自分を持つために苦悩していた。その事を赤裸々に小説化したのが「坊っちゃん」だと思えたのですよう。

つまり、苦悩する自分の姿を坊ちゃんになぞらえて書いたとデンマンさんはおっしゃるのでござ〜♪〜ますか?

そうですよう。漱石は1900(明治33)年の9月に横浜からイギリス留学に向けて出発した。完璧を望む漱石は文学者として苦悩しノイローゼになってしまった。でも、その経験があったからこそ、漱石は日本帝国を、そして自分自身を客観的に見ることができた。そして、よくよくイギリスと比較してみたら、日本帝国は夢中で自己肥大しようとしていた。

狂っているのは漱石ではなく、当時の日本帝国の方が病的に自己肥大しようとしていたとデンマンさんはおっしゃるのでござ〜♪〜ますか?

そうですよう。日本帝国は「朝から晩まで国家国家」と言うようになっていった。「出来ない事」をできると言いはるような国になりつつあった。そういう中で漱石は『坊っちゃん』を書き上げて1906(明治39)年に「ホトトギス」に発表した。

つまり、「真に目覚める日本」とはどう言う事か?を考えながら、漱石自身が「本当の自分を持つ」ために書き上げたのが『坊っちゃん』だとデンマンさんはおっしゃるのでござ〜♪〜ますか?

その通りですよう。そう思っているところで、『ウィキペディア』の母校「熊谷高校」を覗いてみたら次のようなことが書いてあった。

弘中又一: 夏目漱石の小説「坊っちゃん」の

主人公のモデルとなった

第二中学(現・熊谷高校)の教員


意外だったのでござ〜♪〜ますか?

実に意外だった。

どうして。。。?

夏目漱石は自分自身を俎板(まないた)の上に乗せて、これから自分をどのように料理しようか?そう考えながら書いたのが『坊っちゃん』だと思えたのですよう。

ところが、「坊っちゃん」の主人公のモデルが外に居たと『ウィキペディア』に書いてあったのでござ〜♪〜ますわね?!

そうですよう。まるでバケツの冷水を頭からぶっ掛けられたような気分でしたよう。

マジで、それ程意外だったのでござ〜♪〜ますか?

もし、それが事実であるならば、弘中又一先生は、夏目漱石が真に理想としていたような人物ではなかったのか?。。。僕は、ふと、そう思ったのですよう。

。。。んで、調べ始めたのでござ〜♪〜ますか?

そうです。まず弘中先生の略歴を読んでください。


弘中又一 略歴



21才頃の弘中先生

・明治6年(1873)12月10日、山口県都濃郡湯野村第287番屋敷(現、山口県徳山市大字湯野4152番地)で、父弘中伊亮、母タメの長男として生まれる。

・明治12年(1879)7月 現湯野小学校入学。 明治18年8月18日卒業。

・明治23年(1890)1月 同志社普通学校入学。明治27年6月29日卒業。
その間、明治26年12月 山口県の柳井小学校高等科英語の代用教員を務める。
又、12月28日に戸澤タカと結婚。明治28年5月22日長男(進)出生。

・明治28年(1895)5月27日 愛媛県尋常中学校へ単身赴任。
なお、夏目漱石が同校へ赴任したのは、同年4月10日である。

・明治29年(1896)4月1日4月1日 愛媛県尋常中学校東予分校へ転任。
この時、漱石も尋常中学校を去った。

・明治29年(1896)11月24日徳島県尋常中学校第二分校(現 富岡西高等学校)へ着任。

・明治33年(1900)4月4日 埼玉県第二中学校(現 埼玉県立熊谷高等学校)着任。

・大正8年(1919)5月8日同校離任。大正8年5月同志社中学校へ赴任。

・昭和7年(1932)3月31日同校退職。

・昭和13年(1938)8月6日永眠。墓は菩提寺湯野常照院にある。




『湯野温泉郷ガイド 弘中又一先生』より


漱石先生の生まれは1867年の2月だから、弘中先生の方が6才若いのですよう。

松山の中学校で一緒に居たのはわずかに1年程なのですわね。

そうなのですよう。漱石先生は当時28才で、弘中先生が赴任した時は21才ですよう。

弘中先生は若かったのでござ〜♪〜ますわね

あのねぇ〜、僕が弘中先生のことを調べ始めて驚かされたのは、旧制熊谷中学の卒業生の間で弘中先生の事は結構知られていたのですよう。

どうして分かったのでござ〜♪〜ますか?

1975年に熊谷高校は創立80周年を迎えたのですよう。その記念行事として「熊谷高校八十周年誌」を出版したのです。

その八十周年誌に卒業生が寄せた弘中先生のエピソードがたくさん書いてあったのでござ〜♪〜ますか?

そうなのですよう。そう言えば僕も買わされて、親父が懐かしそうに手にとって読んでいたのを今でも思い出しますよう。

でも、デンマンさんのお父様は小学校だけしか出ていなかったのでしょう?

卑弥子さんは、そのようなどうでもよい事はよく覚えているのですねぇ〜。。。確かにそうなのですよう。でも、親父だって家が貧乏でなければ、当時の熊谷中学へ入りたかったのですよう。

。。。んで、お父様はどうしていたのですか?

昔の忍尋常小学校で給仕をしながら独学で教員検定試験を受けてパスしたそうですよう。18才で小学校で教え始めたと言うのだから驚きます。でも、中学校に行けなかったので、小学校の頃の同級生の名前を探しながら、懐かしそうに読んでいましたよう。

デンマンさんは、読まなかったのでござ〜♪〜ますか?

親父が独占してしまったので、僕は初めにざっと目を通したぐらいで、とりわけ面白いとも思わなかったから、それ以後読まなかったのですよう。

そうしたら、「熊谷高校八十周年誌」に弘中先生の面白いエピソードがたくさん書かれていたのでござ〜♪〜ますか?

そうです。ネットで、同窓生のページを調べていて知ったのですよう。

。。。んで、どのようなエピソードがあったのでござ〜♪〜ますか?

教科は『坊っちゃん』の中に書かれているように、熊谷中学でも数学を教えていたのですよう。博学で、英語の原書を授業で用いることもあったそうです。しかも、「坊っちゃん」のような破天荒ぶりも見せたそうですよう。

どのような。。。?

弘中先生は“泥鰌(どじょう)”が好物だったらしいのです。ある時、安いのでどじょうを買ったのだけれど、あいにく入れ物がないので、かぶっていた山高帽の中に入れて持ち帰ったというのですよう。グルメの小百合さんが聞いたら絶対に大喜びしそうな話ですよう。うしししし。。。

その他には。。。?

またある時は、荷車を引いて歩くのに山高帽にフロックコートをはおって引いていたというのですよう。面白いでしょう?!

まだあるのでござ〜♪〜ますか?

修学旅行で京都に行ったとき、先生方は皆モーニングにネクタイを締めて引率していたが、弘中先生はネクタイを忘れたらしく、モーニングにネクタイ無しで引率していたというのですよう。

他には。。。?

中学の先生にしては周囲の視線を気にしないで、ひょうひょうとして、あまり身なりには構わなかったそうです。

あだ名はあったのでござ〜♪〜ますか?

「エグス」というのですよう。

卵の英訳でござ〜♪〜ますか?

違うのですよう。出席簿の教師名欄に弘中の「弘」を書く代わりに数学記号「x」を書き、「エグス」と発音していたと言うのです。それで「エグス」と呼ばれるようになったとか。。。面白いのは、先生の名前をエグスだと思い込んでしまって、卒業しても本名を知らない生徒が居たとか。。。

マジで。。。?

「熊谷高校八十周年誌」に、そう書いてあるらしい。住んでいたのは、学校から南東へ約1キロ、さいたま地裁熊谷支部の南側にある「明石医院」の隣の貸家だった。

今でもあるのでござ〜♪〜ますか?

その貸家は取り壊されて、今では駐車場になっているそうです。市街地の中心部にありながら、熊谷空襲でも焼けずに残った地区だったそうで、そのあたりは、今でも古い民家が立ち並ぶ狭い通りだそうです。

何か面白いお話でも伝わっているのですか?

あのねぇ、大家だった明石千代子さん(92)は、「弘中先生が酔って道ばたで寝ていた」と、お母さんから聞かされたそうですよう。

中学校の先生が酔って道端で寝ていたなんてマジでござ〜♪〜ますか?

覚えている女性の名前と年齢までがはっきりしているのだからマジですよう。しかも驚いたことに、「漱石の『坊っちゃん』先生旧居跡」という看板が、ブロック塀に今でも掲げられているのですよう。次のサイトへ行くと、その写真を見ることができます。

『小説「坊ちゃん」の主人公が居た熊谷市』



弘中先生は色白で背が高くて、学校近くへ写生に出かけると、青縞織(あおじまおり)の女子工員たちが一斉に工場の窓から首を出すほど「ハンサム」だったそうですよう。でも、『坊っちゃん』の主人公のモデルだ、と語ることはほとんどなかったらしい。

弘中先生が教えていた頃の校舎は今でも残っているのですか?

旧制熊谷中の校舎は改築されて、今では見ることができません。でも、当時からあったくぬぎ林は今でも残っていますよう。林の奥にある同窓会館「くぬぎ会館」で、弘中先生写っている集合写真を見ることができます。

それ程ハンサムなら、あたくしも一度弘中先生が写っているお写真をぜひ見たいものでござ〜♪〜ますわ。

あのねぇ〜、僕が更に驚いたのは、田山花袋の小説『田舎教師』の主人公のモデルになった小林秀三(1884―1904; 熊谷中2期生)も、弘中先生に教わった生徒の一人だと言うのですよう。

しかし、これだけ有名なのに、どうしてデンマンさんは弘中先生のお話を覚えていなかったのでござ〜♪〜ますか?

いま、振り返ってみても、僕自身が不思議でならないのですよう。。。やっぱり、どのように思い出そうとしても記憶に無い。どう言う訳か僕にとって『田舎教師』の主人公のモデルになった小林秀三の印象が強烈で、弘中先生の話は、多分聞いたと思うのだけれど、全く記憶に無いのですよう。

そのような事があるのでござ〜♪〜ましょうか?

あるのですよう。何が強烈に印象に残るのかは、人によってさまざまですからね。

でも、『田舎教師』の主人公のモデルになった小林秀三の印象が強烈だとデンマンさんはおっしゃいましたけれど、何が強烈だったのでござ〜♪〜ますか?

実は、その事で僕はかつて記事を書いたことがあるのですよう。これから探してみます。記事が長くなったので、その事については、あさって話しますよう。


【卑弥子の独り言】



ですってぇ〜。。。
いつもの事でござ〜♪〜ますわ。
でも、どうしてデンマンさんにとって『坊っちゃん』よりも『田舎教師』の主人公のモデルになった小林秀三の印象がそれ程強烈だったのでござ〜♪〜ましょうか?
あなたも知りたいと思いませんか?

とにかく、デンマンさんのお話が面白くなりそうですわ。
どうか、あなたも、またあさって読みに戻ってきてくださいましね。
では、またねぇ。。。






ィ〜ハァ〜♪〜!

メチャ面白い、

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では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。





2009年08月29日

坊っちゃんと熊谷


  
坊っちゃんと熊谷





Subj:軽井沢で水着になって

はしゃいでいますか?

ストレスを解消しながら

ルンルン気分で楽しんでね!

\(*^_^*)/ キャハハハ。。。




Date: 17/08/2009 8:47:44 PM
Pacific Daylight Saving Time
(日本時間:8月18日 火曜日 午後12時47分)
From: green@infoseek.jp
To: domini@yahoo.co.jp
CC: barclay1720@aol.com


いま、8月25日の『小百合物語』の記事をライブドアで予約投稿したところです。
題して『母の証明』ですよう。



『母の証明 (2009年8月25日)』



日付: Mon, 10 Aug 2009 08:24:47 +0900 (JST)
差出人: "domini@yahoo.co.jp"
宛先: "green@infoseek.jp"



件名:「麦わら帽子」のフレーズが

ずーっと気になってました

\(*^_^*)/



「人間の証明」で麦わら帽子を 渓谷で落して亡くした、
あのフレーズを ずーっと 気になっていて
やっと 霧積(きりづみ)温泉へ 行けました。


8月10日の小百合さんからのメールを使って
たくさん記事を書くことができました。

「人間の証明」
麦わら帽子
霧積温泉

いつものように小百合さんからインスピレーションをもらいました。
ありがとう!



『人間の証明 (2009年8月19日)』

『女の証明 (2009年8月21日)』


すでに上の2つの記事を書いて予約投稿してあります。
これから、まだまだ書けそうです。
小百合さんも時間があったら読んでみてね。

バンクーバーは、もう秋にあった感じですよう。
今日の最高気温は23度でした。
7月30日が記録的な暑さでしたが、夏らしく暑い日は8月3日まででした。
8月4日からは最高気温が23度以上になってません。

もちろん、その方が僕にとってはうれしいですよう。
汗をタラタラたらしながらパソコンに向かうのはキモいですからね。。。

\(^δ^)/ キャハハハ。。。



じゃあ、小百合さんも元気で軽井沢を楽しんできてね。
バカ犬のような面白い話をたくさん仕入れてきてね。

室生犀星の文学碑を僕の分まで眺めてきてね。
癒されて、身も心も充電して、元気にたくましく栃木に帰ってきてちょうだいね。

\(^_^)/キャハハハ。。。

(//\/i/i__/)
(+'.'+)
(")_(")


じゃあねぇ〜






デンマンさん。。。、今日はどうして急に「坊っちゃん」なんでござ〜♪〜ますか?



あのねぇ〜、僕は次の記事の中で熊谷空襲を調べたのですよう。

『母の証明 (2009年8月25日)』

熊谷空襲



それで。。。?

それで、ついでだと思って懐かしい母校の「熊谷高校」が『ウィキペディア』で、どのように紹介されているのだろうかと思って覗いてみたのですよう。ちょっと読んでみてください。


熊谷高校



1895年(明治28年)、埼玉県第二尋常中学校として創設された。
県下の公立校としては埼玉県第一尋常中学校(現埼玉県立浦和高等学校)に次ぐものである。
戦後、新制埼玉県立熊谷高等学校となった。
開学以来男子校である。
早くから私服での登校が認められており、校風は極めて自由である。

校訓

「質実剛健」
「文武両道」
「自由自治」
部活動への加入率は高く、また自由な校風を有している。

校風

自由な校風を有することが特徴である。
その中のひとつとして、「カクト」と呼ばれる制度がある。
これは、担当教員の出張などにより授業が休講となる場合に出される自習時間のことであり、「各自図書館自習」の略称である。
しかしながら、実質的には何をしても良い時間であり、自習時間の利用方法は生徒各々の自主性に任される。
また、カクトの時間を最終時限目と入れ替え、放課を早めることができる場合もある。
この行為は「トを上げる」と呼称される。
このため、同校においては生徒が授業時間中に校内を歩いていたり食堂で食事をしていたとしても、教員がそれをとがめることは通常ない。

このほかの同校の自由な校風を象徴するものとして以下のようなものがある。
例えば文化祭の出し物はクラス単位で行われることが一般的であるが、同校の熊高祭においては仲の良いグループを募って「サークル」を形成し、そのサークル単位で行うことが恒例となっている。
また、修学旅行に関してもほとんどがグループ単位での行動であり、宿泊地もグループ単位で異なる。
また、服装検査や頭髪検査、持ち物検査などの校規検査は一般的に行われない。

このほか、小規模な行事であろうと肩を組んで校歌を斉唱する習慣がある。
文化祭や体育祭、生徒集会や全校集会などの行事では必ず肩を組んで校歌が斉唱される。
生徒が自ら好んで校歌を歌うことが多い。

40キロハイク

毎年5月中旬から下旬ごろに行われる行事。
熊谷の荒川河川敷から秩父線上長瀞駅までのおよそ40キロを歩いたり、走ったりする。
服装は基本的に自由であるが、大半の生徒は仮装をして参加する。
仮装の内容は社会風刺や下ネタなどがある。
完歩率は高く、例年90パーセント以上を維持している。

臨海学校

1年次の7月中旬に行われる行事。
新潟県柏崎市の鯨波海岸で、主に遠泳が行われる。
県内では浦和高校と蕨高校と同校の3校のみでみられる行事である。
開始以来無事故。これまで毎年行われてきたが、2007年度は開始予定前日に発生した新潟県中越沖地震の影響で初めて中止となった。

熊高祭

毎年9月に行われる、文化祭と体育祭の総称である。
前者については、先述の通り仲の良い者同士や部活動単位で「サークル」を形成し、そのサークル単位で出し物を行うことが特徴である。
また、応援団による「勝利の伝統」や、「秩父支部劇」、女装してパフォーマンスなどを行う「ミス熊高」などが行われる。
体育祭に関しては、珍棒(ちんぼう)を用いる「珍百足」(ちんむかで)や、水泳やタイヤ引きなどを連続して行い体力と気力を試す個人競技「鉄の男」といった特徴的な種目がみられる。

修学旅行

2年次の11月頃に行われる。
例年の行き先は関西地方や九州地方、北海道などであるが、行き先は1年次に決定される。
このほか、先述の通り宿泊地をグループ毎に各自選択することができることが大きな特徴である。
例えば、行き先が関西地方の場合は、初日の広島が宿泊地として指定されているのみで、それ以降の宿泊地は岡山、神戸、高松、大阪などからグループごとに選択することができる。
初日が広島、2日目が岡山、3日目が大阪、4日目が京都というグループがある一方、初日が広島、2日目が神戸、3日目が高松、4日目が京都、というグループがあるなど、自由に選択できる幅が広い。

部活動

「文武両道」の精神にのっとり、部活動への加入率は高い傾向にある。
なお、2008年度における部活動への加入率は、運動部が63.8%、文化部が14.6%、愛好会(サークル)が15.6%であり、これらを合計するとのべ94%である。
2つ以上の部活動を兼部することもできる。

硬式野球部が1951年、1982年などに3回夏の甲子園に出場しており、うち1951年の大会においては準優勝した。
このほか、剣道部、陸上部、軟式野球部、ラグビー部、水泳部、弓道部、ソフトテニス部、バレーボール部、山岳部、将棋部なども県大会や全国大会へ出場を果たしている。

主な出身者・関係者

政治・行政 (略)

経済 (略)

 (中略)

芸術・雑

弘中又一: 夏目漱石の小説「坊っちゃん」の主人公のモデルとなった第二中学の教員
小林秀三: 田山花袋『田舎教師』モデル
須田剋太: 日本画家

(後略)




出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


。。。んで、最後の方で「坊っちゃん」に出くわしたのでござ〜♪〜ますか?

そうなのですよう。僕は知らなかった。小林秀三は在学中に良く話に出ていたのですよう。田山花袋が書いた『田舎教師』のモデルだと言う事が知れ渡っていた。校長室の前の廊下にガラスケースがあって、その中に埼玉県第二尋常中学校の第2回か3回目の卒業写真が飾られてあって、僕も何度かその記念写真に写っていた小林秀三の姿を見たことがあった。

弘中又一さんの事は話に出てこなかったのでござ〜♪〜すか?

誰からも聞いた覚えが無いのですよう。。。『田舎教師』よりも小説「坊っちゃん」の方が良く知れわたっていると思うのに、どう言う訳か僕は弘中又一先生の話を聞いたことがない。実に意外だったのですよう。

それで、今日の記事で取り上げる気になったのでござ〜♪〜ますか?

そうなのですよう。

小説「坊っちゃん」の方が良く知られているのに、なぜ弘中先生のお話が出なかったのでござ〜♪〜ましょうか?

あのねぇ〜、僕は思うのだけれど、小林秀三が田山花袋が書いた『田舎教師』のモデルだと言うことは、ほぼ間違いないのですよう。つまり、文学に多少関心がある人の間では、誰も認めている事実なんですよう。

弘中先生が「坊っちゃん」のモデルだと言う事は夏目漱石ファンの誰もが認めているわけではないのでござ〜♪〜ますか?

僕も夏目漱石のファンだけれど、僕は知らなかった。夏目漱石自身が「坊っちゃん」のモデルだと、僕は素朴に思い込んでいましたよう。

なぜでござ〜♪〜ますか?

ただ素直に、そう思い込んでいた。「坊っちゃん」の主人公と夏目漱石が僕のオツムの中では重なり合っていた。

つまり、私小説だとデンマンさんは思っていたのでござ〜♪〜ますか?

志賀直哉が書くような私小説だとは思わなかったけれど、「坊っちゃん」の主人公は、明らかに夏目漱石の生い立ちや経歴に基づいて書かれていますよう。

たとえば。。。?

『ウィキペディア』の作品解説には次のように書いてあるのですよう。


作者(夏目漱石)が、高等師範学校(後の東京高等師範学校)英語嘱託となって赴任を命ぜられ、愛媛県尋常中学校(松山東高校の前身)で1895年4月から教鞭をとり、1896年4月に熊本の第五高等学校へ赴任するまでの体験を下敷きに、後年書いた小説である。


つまり、漱石の松山時代の体験に基づいて書かれた小説なのですよう。だから、私小説とは言わないまでも、漱石自身の体験がそこ、ここに書かれている。

例えば。。。?

漱石が子供の頃に一緒に居た女中のお清さん。孫が書いた本にも次のように紹介されている。


漱石の『坊っちゃん』には、父親に嫌われる主人公を無条件に愛する使用人の清という女性が描かれる。
清が「まっすぐで、よいご気性です」と坊っちゃんをほめると、坊っちゃんは「おれはお世辞は嫌いだ」といいかえす。
が、「それだから、よいご気性です」といわれて閉口するのである。
そこで愛されているのは、坊っちゃん本人であり、彼自身の気性である。
彼の生まれた家柄や、父親といった、彼自身に選べない属性ではない。
だからこそ坊っちゃんも清を愛し、恩を返そうと思う。これは「ひいき」ではない。
漱石自身は、坊っちゃんではない。
もっと複雑で多重人格的な人だが、清のようなまっすぐな愛情を尊ぶ性向は、明らかに漱石のものだったと思う。





148ページ 『漱石の孫』 著者・夏目房之介
2003年4月22日 初版第一刷発行
発行所・株式会社 実業之日本社


確かに、漱石自身は坊っちゃんではない。でも、漱石自身も坊っちゃんの姿に自分自身のあるべき姿を見ていたはずですよう。

どうしてデンマンさんは、そのような事をおっしゃるのでござ〜♪〜ますか?

孫の房之介さんは、更に次のように書いていた。


本当の自分を持つ



「真に目覚める日本」とは、個人におきかえれば「本当の自分」を自覚することになる
いわば「坊っちゃん」のように、内面と外面が一致する偽善のない姿を意味するのだろう。
これを問うことが漱石の文学的主題にもなったが、一方で、つねに自分の内面に問い続ける、資質的で内面的な視線を強化することにもなった。
また漱石は、その主題を「個人主義の確立」という公共社会的な課題にして、本当に「中身」のある近代を視野に入れようとした。

 (中略)

ともあれ漱石は、日露戦争直前の、明治国家が世界における存亡を強く意識して極度に緊張した時期に留学したのである。
自己肥大どころか、自分は、日本は、貧弱な猿真似をしているに過ぎないのではないか、という意識を心に抱いて帰った。
そのことが、以後の日本の自己肥大化から距離をおいた文明論的な場所を漱石に与えたともいえる。

 (中略)

「国家は大切かもしれないが、そう朝から晩まで国家国家といってあたかも国家に取り付かれたような真似はとうてい我々にできる話ではない。(略)
事実出来ないことをあたかも国家のためにするごとく装うのは偽りである。(略)
国家的道徳というものは個人的道徳に比べると、ずっと段の低いもののように見えることです。
元来国と国とは辞令はいくらやかましくっても、徳義心はそんなにありゃしません。
詐欺をやる。誤魔化しをやる、ペテンにかける、滅茶苦茶なものであります。」
(夏目漱石 『私の個人主義』 135-137ページ所収)

見事な指摘である。これを漱石は、日露戦争(1904−1905年)および第一次世界大戦(1914−1918年)の戦勝国となった日本で語っている。
国家と個人、国家と国家の関係において、この言葉は今でも説得力を持つ。

日本は、そののち「朝から晩まで国家国家」といわねばならない、「出来ない事」をできるといいはる国になり、「徳義」もないくせに「徳義」ヅラして(この点は欧米だって同じだが)、そして手ひどく(太平洋戦争で)負けた。
漱石の文明論的な視点は、そのあたりまで届いていた。




131−134ページ 『漱石の孫』 著者・夏目房之介
2003年4月22日 初版第一刷発行
発行所・株式会社 実業之日本社

『夏目漱石と成りすまし馬鹿 (2009年8月11日)』に掲載。


つまり、僕は『漱石の孫』の上の部分を読んで、夏目漱石は当時の自己肥大しつつある日本帝国という国に居て、本当の自分を持つために苦悩していた。その事を赤裸々に小説化したのが「坊っちゃん」だと思えたのですよう。

つまり、苦悩する自分の姿を坊ちゃんになぞらえて書いたとデンマンさんはおっしゃるのでござ〜♪〜ますか?

そうですよう。漱石は1900(明治33)年の9月に横浜からイギリス留学に向けて出発した。完璧を望む漱石は文学者として苦悩しノイローゼになってしまった。でも、その経験があったからこそ、漱石は日本帝国を、そして自分自身を客観的に見ることができた。そして、よくよくイギリスと比較してみたら、日本帝国は夢中で自己肥大しようとしていた。

狂っているのは漱石ではなく、当時の日本帝国の方が病的に自己肥大しようとしていたとデンマンさんはおっしゃるのでござ〜♪〜ますか?

そうですよう。日本帝国は「朝から晩まで国家国家」と言うようになっていった。「出来ない事」をできると言いはるような国になりつつあった。そういう中で漱石は『坊っちゃん』を書き上げて1906(明治39)年に「ホトトギス」に発表した。

つまり、「真に目覚める日本」とはどう言う事か?を考えながら、漱石自身が「本当の自分を持つ」ために書き上げたのが『坊っちゃん』だとデンマンさんはおっしゃるのでござ〜♪〜ますか?

その通りですよう。そう思っているところで、『ウィキペディア』の母校「熊谷高校」を覗いてみたら次のようなことが書いてあった。

弘中又一: 夏目漱石の小説「坊っちゃん」の

主人公のモデルとなった

第二中学(現・熊谷高校)の教員


意外だったのでござ〜♪〜ますか?

実に意外だった。

どうして。。。?

夏目漱石は自分自身を俎板(まないた)の上に乗せて、これから自分をどのように料理しようか?そう考えながら書いたのが『坊っちゃん』だと思えたのですよう。

ところが、「坊っちゃん」の主人公のモデルが外に居たと『ウィキペディア』に書いてあったのでござ〜♪〜ますわね?!

そうですよう。まるでバケツの冷水を頭からぶっ掛けられたような気分でしたよう。

マジで、それ程意外だったのでござ〜♪〜ますか?

もし、それが事実であるならば、弘中又一先生は、夏目漱石が真に理想としていたような人物ではなかったのか?。。。僕は、ふと、そう思ったのですよう。

。。。んで、調べ始めたのでござ〜♪〜ますか?

そうです。まず弘中先生の略歴を読んでください。


弘中又一 略歴



21才頃の弘中先生

・明治6年(1873)12月10日、山口県都濃郡湯野村第287番屋敷(現、山口県徳山市大字湯野4152番地)で、父弘中伊亮、母タメの長男として生まれる。

・明治12年(1879)7月 現湯野小学校入学。 明治18年8月18日卒業。

・明治23年(1890)1月 同志社普通学校入学。明治27年6月29日卒業。
その間、明治26年12月 山口県の柳井小学校高等科英語の代用教員を務める。
又、12月28日に戸澤タカと結婚。明治28年5月22日長男(進)出生。

・明治28年(1895)5月27日 愛媛県尋常中学校へ単身赴任。
なお、夏目漱石が同校へ赴任したのは、同年4月10日である。

・明治29年(1896)4月1日4月1日 愛媛県尋常中学校東予分校へ転任。
この時、漱石も尋常中学校を去った。

・明治29年(1896)11月24日徳島県尋常中学校第二分校(現 富岡西高等学校)へ着任。

・明治33年(1900)4月4日 埼玉県第二中学校(現 埼玉県立熊谷高等学校)着任。

・大正8年(1919)5月8日同校離任。大正8年5月同志社中学校へ赴任。

・昭和7年(1932)3月31日同校退職。

・昭和13年(1938)8月6日永眠。墓は菩提寺湯野常照院にある。




『湯野温泉郷ガイド 弘中又一先生』より


漱石先生の生まれは1867年の2月だから、弘中先生の方が6才若いのですよう。

松山の中学校で一緒に居たのはわずかに1年程なのですわね。

そうなのですよう。漱石先生は当時28才で、弘中先生が赴任した時は21才ですよう。

弘中先生は若かったのでござ〜♪〜ますわね

あのねぇ〜、僕が弘中先生のことを調べ始めて驚かされたのは、旧制熊谷中学の卒業生の間で弘中先生の事は結構知られていたのですよう。

どうして分かったのでござ〜♪〜ますか?

1975年に熊谷高校は創立80周年を迎えたのですよう。その記念行事として「熊谷高校八十周年誌」を出版したのです。

その八十周年誌に卒業生が寄せた弘中先生のエピソードがたくさん書いてあったのでござ〜♪〜ますか?

そうなのですよう。そう言えば僕も買わされて、親父が懐かしそうに手にとって読んでいたのを今でも思い出しますよう。

でも、デンマンさんのお父様は小学校だけしか出ていなかったのでしょう?

卑弥子さんは、そのようなどうでもよい事はよく覚えているのですねぇ〜。。。確かにそうなのですよう。でも、親父だって家が貧乏でなければ、当時の熊谷中学へ入りたかったのですよう。

。。。んで、お父様はどうしていたのですか?

昔の忍尋常小学校で給仕をしながら独学で教員検定試験を受けてパスしたそうですよう。18才で小学校で教え始めたと言うのだから驚きます。でも、中学校に行けなかったので、小学校の頃の同級生の名前を探しながら、懐かしそうに読んでいましたよう。

デンマンさんは、読まなかったのでござ〜♪〜ますか?

親父が独占してしまったので、僕は初めにざっと目を通したぐらいで、とりわけ面白いとも思わなかったから、それ以後読まなかったのですよう。

そうしたら、「熊谷高校八十周年誌」に弘中先生の面白いエピソードがたくさん書かれていたのでござ〜♪〜ますか?

そうです。ネットで、同窓生のページを調べていて知ったのですよう。

。。。んで、どのようなエピソードがあったのでござ〜♪〜ますか?

教科は『坊っちゃん』の中に書かれているように、熊谷中学でも数学を教えていたのですよう。博学で、英語の原書を授業で用いることもあったそうです。しかも、「坊っちゃん」のような破天荒ぶりも見せたそうですよう。

どのような。。。?

弘中先生は“泥鰌(どじょう)”が好物だったらしいのです。ある時、安いのでどじょうを買ったのだけれど、あいにく入れ物がないので、かぶっていた山高帽の中に入れて持ち帰ったというのですよう。グルメの小百合さんが聞いたら絶対に大喜びしそうな話ですよう。うしししし。。。

その他には。。。?

またある時は、荷車を引いて歩くのに山高帽にフロックコートをはおって引いていたというのですよう。面白いでしょう?!

まだあるのでござ〜♪〜ますか?

修学旅行で京都に行ったとき、先生方は皆モーニングにネクタイを締めて引率していたが、弘中先生はネクタイを忘れたらしく、モーニングにネクタイ無しで引率していたというのですよう。

他には。。。?

中学の先生にしては周囲の視線を気にしないで、ひょうひょうとして、あまり身なりには構わなかったそうです。

あだ名はあったのでござ〜♪〜ますか?

「エグス」というのですよう。

卵の英訳でござ〜♪〜ますか?

違うのですよう。出席簿の教師名欄に弘中の「弘」を書く代わりに数学記号「x」を書き、「エグス」と発音していたと言うのです。それで「エグス」と呼ばれるようになったとか。。。面白いのは、先生の名前をエグスだと思い込んでしまって、卒業しても本名を知らない生徒が居たとか。。。

マジで。。。?

「熊谷高校八十周年誌」に、そう書いてあるらしい。住んでいたのは、学校から南東へ約1キロ、さいたま地裁熊谷支部の南側にある「明石医院」の隣の貸家だった。

今でもあるのでござ〜♪〜ますか?

その貸家は取り壊されて、今では駐車場になっているそうです。市街地の中心部にありながら、熊谷空襲でも焼けずに残った地区だったそうで、そのあたりは、今でも古い民家が立ち並ぶ狭い通りだそうです。

何か面白いお話でも伝わっているのですか?

あのねぇ、大家だった明石千代子さん(92)は、「弘中先生が酔って道ばたで寝ていた」と、お母さんから聞かされたそうですよう。

中学校の先生が酔って道端で寝ていたなんてマジでござ〜♪〜ますか?

覚えている女性の名前と年齢までがはっきりしているのだからマジですよう。しかも驚いたことに、「漱石の『坊っちゃん』先生旧居跡」という看板が、ブロック塀に今でも掲げられているのですよう。次のサイトへ行くと、その写真を見ることができます。

『小説「坊ちゃん」の主人公が居た熊谷市』



弘中先生は色白で背が高くて、学校近くへ写生に出かけると、青縞織(あおじまおり)の女子工員たちが一斉に工場の窓から首を出すほど「ハンサム」だったそうですよう。でも、『坊っちゃん』の主人公のモデルだ、と語ることはほとんどなかったらしい。

弘中先生が教えていた頃の校舎は今でも残っているのですか?

旧制熊谷中の校舎は改築されて、今では見ることができません。でも、当時からあったくぬぎ林は今でも残っていますよう。林の奥にある同窓会館「くぬぎ会館」で、弘中先生写っている集合写真を見ることができます。

それ程ハンサムなら、あたくしも一度弘中先生が写っているお写真をぜひ見たいものでござ〜♪〜ますわ。

あのねぇ〜、僕が更に驚いたのは、田山花袋の小説『田舎教師』の主人公のモデルになった小林秀三(1884―1904; 熊谷中2期生)も、弘中先生に教わった一人だと言うのですよう。

しかし、これだけ有名なのに、どうしてデンマンさんは弘中先生のお話を覚えていなかったのでござ〜♪〜ますか?

いま、振り返ってみても、僕自身が不思議でならないのですよう。。。やっぱり、どのように思い出そうとしても記憶に無い。どう言う訳か僕にとって『田舎教師』の主人公のモデルになった小林秀三の印象が強烈で、弘中先生の話は、多分聞いたと思うのだけれど、全く記憶に無いのですよう。

そのような事があるのでござ〜♪〜ましょうか?

あるのですよう。何が強烈に印象に残るのかは、人によってさまざまですからね。

でも、『田舎教師』の主人公のモデルになった小林秀三の印象が強烈だとデンマンさんはおっしゃいましたけれど、何が強烈だったのでござ〜♪〜ますか?

実は、その事で僕はかつて記事を書いたことがあるのですよう。これから探してみます。記事が長くなったので、その事については、あさって話しますよう。


【卑弥子の独り言】



ですってぇ〜。。。
いつもの事でござ〜♪〜ますわ。
でも、どうしてデンマンさんにとって『坊っちゃん』よりも『田舎教師』の主人公のモデルになった小林秀三の印象がそれ程強烈だったのでござ〜♪〜ましょうか?
あなたも知りたいと思いませんか?

とにかく、デンマンさんのお話が面白くなりそうですわ。
どうか、あなたも、またあさって読みに戻ってきてくださいましね。
では、またねぇ。。。






ィ〜ハァ〜♪〜!

メチャ面白い、

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もし、興味があったら次のリンクをクリックして

ぜひ読んでくださいね。



『本当に寂しくて死にたいの?』

 (2005年10月24日)


ところで、卑弥子さんが面白い記事をまとめました。

時間があったらぜひ読んでみてください。

■ 『笑って幸せな気分になれるサイト』



では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。





2009年03月18日

杜の都と女の学園 PART 1

  
杜の都と女の学園 PART 1




体操着とか 1年ぐらい

持ち帰らなかったり…





女子高って 男子いないから すごいよー
体操着とか 1年ぐらい 持ち帰らなかったり、
忘れたら 人のを かりて そのまんま とか

お昼を外に買いに出て、カップめん持って戻ったら
ころんで正門に ちらかして 片付けイヤだから
そのまま 逃げて。 んー 小百合のイメージ
ぶち壊しィー。

小百合より




うん、うん、うん。。。
そういう女子高の話を僕は何度か聞かされたことがありますよう。
女だけの世界って、すごいらしいよね。

うん、うん、うん。。。
この事で記事が書けますよう。
以前、似たようなライブドアニュースの記事を保存してありました。
そのうち書きたいと思います。
小百合さんも、ぜひ期待していてくださいね。








投稿日時: 2008/06/13 09:35 (ロンドン時間)
日本時間: 6月13日 午後5時35分
バンクーバー時間: 6月13日 午前1時35分

『ステータスシンボル (2008年6月17日)』より




今日は、なんだかヤ〜らしい話題でござ〜♪〜ますわねぇ?



ん。。。?タイトルの“杜も都と女の学園”がヤ〜らしいのですか?

なんだか、ポルノ映画の題名のようでござ〜♪〜ますわ。うふふふふ。。。

あのねぇ〜。。。、卑弥子さんは、ちょっとヤ〜らしい事にこだわりすぎているのではないですか?

あたくしがですかぁ〜?。。。あたくしではなく、デンマンさんこそヤ〜らしい事に、こだわっているのでござ〜♪〜ますわ。デンマンさんは、とうとう奈緒子さんを裸にしてしまったのでござ〜♪〜ますわア。

やだなあああぁ〜。。。もう少し口を慎んでくださいよう。卑弥子さんのような不注意な言い方を初めて聞く人は、誤解してしまいますよう。んも〜〜

だってぇ〜。。。誤解も6階もござ〜♪〜ませんわ。奈緒子さんはデンマンさんの目の前で素っ裸になったのでござ〜♪〜ますでしょう?

“素っ裸になった”という言い方は、この場合、不適切ですよう。

。。。んで、なんと言えば良いのでござ〜♪〜ますか?

僕が裸婦をデッサンするので、奈緒子さんはモデルになろうと申し出た。。。そう言ってくださいよう。

同じ事ではござ〜♪〜ませんか!

受ける印象が全く違いますよう。

デンマンさんは、とうとう奈緒子さんを

裸にしてしまった。


デンマンさんが裸婦をデッサンするので、

奈緒子さんはモデルになろうと申し出た。


このように、受ける印象が全く違うでしょう?

分かりましたわ。それで、どう言う訳で体操着を持ち出してきたのでござ〜♪〜ますか?


女子高って 男子いないから すごいよー
体操着とか 1年ぐらい 持ち帰らなかったり、


実は、恵子さんと奈緒子さんのように、小百合さんも女子高出身なんですよう。


群馬県立館林女子高等学校

群馬県立館林女子高等学校は、群馬県館林市にある県立高等学校であり、全日制普通科(女子校)と英語科(女子校)が設置されている。
略称は「館女」と書き、「かんじょ」と読む。
デンマン注: 卒業生である小百合さんは「たてじょ」と言っていたような気がする。
英語教育に力を入れている。
元日本社会党副委員長の武藤山治が教員として赴任したことがある。

所在地

〒374-0019 群馬県館林市尾曳町6-1

略歴

大正 6年 4月 館林町立実科高等学校として開校(二年制)。4月14日開校式
   7年    大正7年度より四年制になる
  11年 4月 館林町立高等女学校に改称
  12年 4月 館林町立高等女学校を県に移管し、群馬県立館林高等女学校と改称
(四年制) 所在地:館林町大字館林字稲荷郭甲57−1
昭和22年 4月 修業年限5年となる
   23年 4月 学制改革により県立館林女子高等学校と改称
定員 全日制課程普通科600名、家庭科300名、計900名
       9月 館林町立館林高等家政女学校を分校(家庭科)とする
  24年 4月 定時制課程(4年制)開設、普通科50名
  26年 4月 分校を分教室とする。昭和29年4月本校定時制に収容
  40年 4月 全日制課程家庭科を廃止、普通科8学級となる
  42年11月 住居表示変更により所在地は館林市尾曳町6番1号となる
  56年 4月 定時制課程廃止
平成 4年 4月 普通科英語コース(1学級)設置、1学級減で7学級になる
  12年 4月 普通コースが1学級減で、普通コース5学級、
          英語コース1学級の計6学級になる

卒業者数(平成18年3月現在)

実科高等女学校・高等女学校        3,023名
館林裁縫女学校・館林高等家政女学校  2,194名
館林女子高等学校            20,146名
          計            25,363名
 
有名出身者

『小百合物語』のヒロイン − 小百合さん
あらいすみれ
見城美枝子




参考資料: 館林女子高等学校ホームページ
        フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


小百合さんも女子高時代に体操着を1年ぐらい学校に置きっぱなしにしたのかどうか?その事は明確に書いてないけれど、例え、そうだとしても小百合さんは高校時代の自分を変えようとしたのですよう。

どうして、デンマンさんに、そのような事が分かるのでござ〜♪〜ますか?

小百合さんは次のように書いていたのです。


[793]RE:夢とロマンの女神、万歳!
Name: さゆり
Date: 2008/12/10 15:46
Pacific Standard Time
(バンクーバー時間:2008年12月9日 午後10時46分)
 


小さい頃 小学生時代は ケンカは負けが多く くやしかった。
菊ちゃんなんて 大人になっても くやしい事 多かったかも。
高校生 になると ガがつよくなり ケンカをして
負けても くやしい などと 顔にも 出さない。
冷たい冷淡な子 に成ろう と思っていた。
 

そんな 高校時代を経て 
今 大人。 子供や大切な人に 愛情をそそげる自分になった。





『ほっかほっかパンツ (2008年12月20日)』より


確かに小百合さんは変わったのですよう。

どうしてデンマンさんに分かるのでござ〜♪〜すか?

簡単な事ですよう。ネットですぐに調べられます。

どうするのでござ〜♪〜ますか?

次のようにして検索してみると、すぐに分かりますよう。

■ 『“洗濯 小百合 デンマン”と入れてGOOGLEで検索した結果 (すべてを表示)』
  (2009年3月15日午後4時現在で 474件の記事が見つかる。)

記事の中で僕は小百合さんのメールを何度も引用したのですよう。女子高時代に体操着を1年も持ち帰らなかった事があったとしても、現在の小百合さんは、毎日のように洗濯しているのが上の記事を読むと良く分かりますよう。

“これから洗濯します”と言う事が、小百合さんのメールの中に、しばしば表れるのでござ〜♪〜ますか?

そうなのですよう。

。。。んで、その事と奈緒子さんがデンマンさんの目の前で一糸まとわずにヌードモデルになる事と関係があるのでござま〜♪〜すか?

ありますよう。小百合さんは高校を卒業してから自分の性格や習慣を意識的に変えようと努力したのですよう。実際、僕の知っている小百合さんは「子供や大切な人に 愛情をそそげる」 女性になっていた。 だから、手間と暇とお金をかけて、僕が懐かしがって喜ぶだろうと「仙台辛味噌ラーメン」を栃木県の佐野からカナダのバンクーバーまで、わざわざ送ってくれたのですよう。



また。。。、また。。。、そうやって、あたくしがデンマンさんに、京都の名物「生八ツ橋」を送っていない事をあてこすっているのですわねぇ〜。



やだなあああぁ〜。。。違いますよう。僕は、卑弥子さんが今まで京都の名物「生八ツ橋」を送らなかったからと言って、恨(うら)んでいませんよう!

なんだか。。。なんだか。。。催促しているように聞こえますわア〜♪〜。

それは、卑弥子さんの被害妄想ですよう。。。とにかく、小百合さんが「仙台辛味噌ラーメン」を送ってくれたおかげで、懐かしい仙台の思い出が鮮やかに甦(よみがえ)って、僕は、こうして恵子さんと奈緒子さんの思い出を書き綴っているのですよう。

その事をおっしゃりたかったのでござ〜♪〜ますか?

違いますよう。小百合さんが女子高時代の嫌な性格から脱皮して、努力して、心の優しい、洗濯を毎日する明るく陽気で、きびきびしたお母さんになった事を言おうとしているのですよう。

それで。。。、その事が奈緒子さんと、どう関係しているのでござ〜♪〜ますか?



だから、奈緒子さんは「鳩胸でっちリ」と言われて中学生の頃からイジメられていた。大きなおっぱいと大きな尻は奈緒子さんにとって、けっして喜べるような体の特徴ではなかったのですよう。でも、自分の体型を恨(うら)めしいと思っても、小さな胸にする事も、小さな尻にする事もできない。何と言ったって、食べ盛りの女子高生ですからね。

奈緒子さんは喰い意地も張っていたのでござ〜♪〜ますか?

うへへへへ。。。そうなのですよう。モデルになってくれたお礼に文化横丁の五右衛門ラーメンをご馳走したのですよう。その食べるのが早かったことォ〜〜!。。。卑弥子さんとイイ勝負ですよう。



マジで。。。?

もちろん!これは冗談なんかじゃありません。僕が1杯食べる間に2杯食べましたよう。おっぱいも尻も小さくならないはずですよう!んも〜〜

じゃあ、ダイエットなど、とてもできませんわねぇ〜!?

無理ですよう。そういう感じだから、何事においても奈緒子さんは目立つのですよう。でしゃばりで、生意気な女だと思われやすい。それで中学と高校を通してイジメにあった。それを助けてくれていたのが恵子さんだった。だから、奈緒子さんは常に恵子さんと行動を共にするようになったのですよう。

奈緒子さんは恵子さんのことを親友と思っていたようですわねぇ。

でもねぇ、奈緒子さんは、心のどこかで恵子さんに常に引け目と負い目を感じていたようです。

そうでしょうか?

だって、そうでしょう。本当ならば、恵子さんの方が奈緒子さんよりもずっと背が高く、当然のことだけれど、おっぱいも尻も奈緒子さんよりも目立つのですよう。でも、恵子さんはイジメの対象にならなかった。

どうしてでござ〜♪〜ますか?



まず、第一に恵子さんはクラスで一番背が高くて体格も良かった。だから、中学1年生の時に、意地の悪いガキ大将と1対1で対決しても負けなかった。ビンタを喰らわせて、そのガキ大将を泣かせてしまったほどですよう。でもねぇ、恵子さんがイジメにあわなかったのは、ただ背が一番高くて体格が良いだけではなかった。

他に何が。。。?

頭の良い恵子さんは、自分が目立つ事を良く知っていたから、なるべく物静かで目立たない生徒になろうと努めていたのですよう。

奈緒子さんは違うのですか?

映画『ベンハー』を見た時のことを考えれば、奈緒子さんの性格がよく分かりますよう。とにかく、目立ちたがって、何でも出しゃばって、人よりは多くしゃべるような性質(タチ)なのですよう。だから、“生意気な女”だと思われて、イジメにあったのだろうと僕は思ったのですよう。

そう言えば、デンマンさんだって、恵子さんと二人きりになりたくって喫茶店『詩仙』で奈緒子さんを仲間はずれにしようとしましたよね!?

もちろん、僕は奈緒子さんをイジメるつもりはなかったけれど。。。でも、分かるでしょう?。。。僕は恵子さんと二人だけで『ベンハー』を観たかった。それなのに、一緒についてくる。しかも、映画館の中で、いいところになると、あらすじをベラベラしゃべってしまう。そういう性格だからイジメにもあうのですよう。

だから。。。その事と小百合さんが洗濯を毎日する心の優しいお母さんになった事と、どのように関係しているのでござ〜♪〜ますか?

小百合さんは自分の嫌な性格を変えようとした。奈緒子さんは恵子さんのように“好かれる人”になりたかったのですよう。高校3年生になって、やっと奈緒子さんは、その事に気づいたのですよう。

それで、奈緒子さんは自分の性格を変えようとしたのでござ〜♪〜ますか?

実は、奈緒子さんは充分に誰からも好かれる素質を持っている。けれど、でしゃばって、目立ちたがって、ベラベラしゃべる奈緒子さんは、恵子さんと比較されると、とても太刀打(たちう)ちができない。

奈緒子さんは、少しオツムが足りなかったのでござ〜♪〜ますか?

イヤ、そんなことはありません。宮城三女に入学できたのだから。。。でも、でしゃばって、目立ちたがって、ベラベラしゃべる性格がイジメの原因だとは思わなかったらしい。

奈緒子さんは、何が原因だと思っていたのでござ〜♪〜ますか?

「鳩胸でっちり」と言われてイジメられたから、大きなオッパイと大きな尻がイジメの原因だ決めていたようです。

恵子さんだって、オッパイが大きくて、お尻も大きかったのでござ〜♪〜ますでしょう?

その点では恵子さんの方が、奈緒子さんよりも、もっと目立ちましたよう。でも奈緒子さんに言わせると、恵子さんは体が大きくて腕力でも男に負けない。そのために意地悪な男も恵子さんをイジメなかったと思い込んでいた。

でも、デンマンさんは、奈緒子さんの性格に問題があると思っていたのでござ〜♪〜ますか?

そうですよう。

。。。んで、奈緒子さんがデンマンさんのモデルになると決めた事と性格を変えようとしていた事と関係があるのでござ〜♪〜ますか?

性格は半年や1年で変わるものじゃない。それに自分で変えようとしたって、それまでの奈緒子さんを知っている人は、急に態度を変えるわけじゃない。だから、性格を変えようとしたら、誰も知らない土地へ行って、性格を変えない限り、回りの人間が変わったと思わないし、新しい性格を受け付けない。

それで。。。?

だから、性格はすぐには変えられないから、奈緒子さんは性格を変えるよりも自分に自信をつけようとしたようです。

どのようにして。。。?

恵子さんはオッパイも大きいし尻も大きい。それなのにイジメにあわないで、好かれる。奈緒子さんは、そこに注目したようです。

だから、どのようにして自信をつけようとしたのでござ〜♪〜ますか?

大人の世界を見れば、オッパイが大きくて尻が大きい、いわゆるグラマーな女性はもてはやされている。例えば、朝丘雪路さん。アメリカで言えばマリリン・モンロー。





それなのに、奈緒子さんはオッパイが大きくて尻が大きいのでイジメにあっている。自分では、そう思い込んでいたのですよう。

。。。んで、デンマンさんが奈緒子さんに高校1年生の時の「お尻のエピソード」を話して聞かせ、その後で奈緒子さんの質問に答えて、奈緒子さんのお尻が「イイ尻だと思った」と言ったのですよねぇ〜。。。その事で奈緒子さんは自信をつけたのでござ〜♪〜ますか?

あのねぇ〜、奈緒子さんは後で僕に言ったのだけれど、「尻が大きくて、馬鹿にされたりイジメられたりしたことはたびたびあったのォ。でも、素敵だと言われたのは初めてだったのォ〜 うふふふふ。。。」 こう言ったのですよう。

それで。。。?

だから、自分がモデルになると申し出なければ、僕が恵子さんをモデルにしてデッサンすると思ったそうですよう。

それでぇ〜。。。それを防ぐためにィ〜。。。恵子さんに先を越される前に、デンマンさんのために裸になると決心したのでござ〜♪〜ますか?

その時は、もちろん、僕はそこまで知らなかった。僕が社会人になって再会した時に奈緒子さんが僕に、そう告白したのですよう。

。。。んで、デンマンさんは断らなかったのでござ〜♪〜ますか?

ど。。。どう。。。どうして。。。僕が断らなければならないのですか?

だってぇ。。。デンマンさんはウソをついたのでござ〜♪〜ますわ。

ん。。。?僕がウソをついたぁ〜。。。?

そうですわ。本当は石膏で造られたギリシャのビーナス像をモデルにしてヌードを描いただけだったのに、いかにも実物の女性をモデルに描いたように奈緒子さんに話したのでござ〜♪〜ますわア。

あのねぇ〜。。。それはウソをついたのではなく、奈緒子さんが「鳩胸でっちり」と言われても、気にする必要はない。むしろ、奈緒子さんの尻は魅力的なんだ。それを実感を込めて言うには、石膏のビーナス像では説得力がない。だから、僕は奈緒子さんが実物の女性をモデルにして描いたと思い込んでいるのを否定せずに、奈緒子さんを勇気付け、自信を持たせる意味で、否定せずに魅力的な尻を持った実物のモデルさんを使って描いた事にしたのですよう。しかし、その時、僕は奈緒子さんをモデルにして裸婦のデッサンをしようなどとは考えてもいなかった。

そうでしょうか?。。。デンマンさんには下心があったのだと、あたくしは思いますわ。

それは、卑弥子さんの考えすぎですよう。奈緒子さんはデッサンのモデルになる事で自分に自信をつけようとしたのですよう。

それで。。。それで。。。奈緒子さんは、どんな下着を身につけてデンマンさんの目の前に立ったのでござ〜♪〜ますか?

その前に、ジューンさんが書いた次の記事を読んでくださいよう。


ランジェリーの美学
 


こんにちは。
ジューンです。

卑弥子さんが言ってましたよね。


“贅沢な素材を使った、
ちょっと高めのランジェリーを
身に着けると、
なんとなく自分がいつもよりも
きれいになったような
感じがしませんか?”


確かに、そう言われてみると
そんな気がしますよね。

わたしはランジェリーには
余りお金をかけないのですけれど、
例えば、2倍も高いランジェリーを
買って身に着けると、
その分だけ自分が引き立つような気分になりますよね。

でも、実際には外からでは見えないのだから、
ランジェリーを身に着ける人の気分の問題ですよね。

ところで、私が仲良くしているお友達にパリからやってきたフランス人が居るのです。
カトリーヌさんというのです。
彼女はびっくりするほどランジェリーにお金をかけるのですよね。



カトリーヌさんはミス・フランスのラナーアップになったくらいの人だから、
確かにきれいな人なのですけれど、
それ程の人が、なぜ高価なランジェリーにこだわるのか?

きれいな人だから、普段外では目に見えないランジェリ−などにお金をかけなくても、美人として充分に目立つ人です。
そういう人が高価なランジェリーにこだわるのですよね。
私はカナダ生まれでカナダ育ちですから、生粋のカナダ人です。
だから、外からでは見えないランジェリーにお金を使うのが馬鹿馬鹿しいと思えるのですよね。

パリからやってきたカトリーヌさんから見ると私は田舎者に見えるかもしれません。
でも、聞くは一時の恥だと思って、尋ねてみたのです。
そうしたら、何と答えたと思いますか?

“ファンデーションに高いお金をかけたら、その上にダサいものは着れないじゃない。”

つまり、カトリーヌさんは美人なのですが、
ファンデーションにお金をかけると、その上に着るものは、みっともないものは着れないと言うのですよね。
つまり、さらに服装で自分を際立(きわだ)たせようとする。
パリジャンヌというのは、そうやって“美しさ”にこだわるようです。

カトリーヌさんに刺激されて、私もいつもよりも高めのランジェリーを買ってみました。





どうでしょうか?

少しは際立って見えるでしょうか?

下着とランジェリーは

女の繊細さと美しさを

際立たせる

最後の砦ですわぁ〜


卑弥子さんが上のような事を言いましたけれど、
平安時代の女性は、さすがに奥深い事を言うものですわね。

あなたも、たまにはこのような可愛いランジェリーで
勝負してみてはいかがでしょうか?

では、あなたのためにハイセンスなランジェリーを紹介しますね。
もちろん、あなたが身に着けてみたいサンプルをたくさん見ることができますよ。

■ 『あなたのためのセンスある、ナウい下着を選んでくださいね』

では、あなたも、美しいと感じさせるランジェリーを身に着けて、
あなたの意中の人のハートを射止めてください。
幸運を祈っています。






『ランジェリーの美学 (2006年8月8日)』より


 (すぐ下のページへ続く)

2009年03月18日

杜の都と女の学園 PART 2

  
杜の都と女の学園 PART 2



あらっ。。。あたくしがカッコいい事を言ったのをジューンさんが紹介していますわねぇ〜 うふふふふ。。。



卑弥子さんも、なかなか含蓄(がんちく)のあることを言うのですねぇ〜?

あらっ。。。デンマンさんはマジでそう思ってくださるのでござ〜♪〜ますか?

卑弥子さんが「下着とランジェリーは女の繊細さと美しさを際立たせる最後の砦ですわぁ〜」と言うとは、僕は思ってもみませんでしたよう。

デンマンさん!。。。な〜♪〜んかぁ、奥歯に物が挟まったような言い方をなさりますわねぇ〜?

つまり、下着とランジェリーは、マジで卑弥子さんの女の繊細さと美しさを際立たせる最後の砦ですか?

あたくしが、そのように言っては可笑しいのでござ〜♪〜ますか?。。。いけませんか?

いや。。。いけない事はないけれど。。。

なんだか、不満なご様子でござ〜♪〜ますわねぇ。。。言いたいことがおありでしたら、ご遠慮なく、どうぞズバリとおっしゃってくださいましなぁ〜。

あのねぇ〜、実は、僕も女性がどのようなパンツを穿いているのか?とっても興味があるのですよう。

それで、奈緒子さんは、どのようなパンツを穿いてデンマンさんの前に立ったのでござ〜♪〜ますか?

僕は三つのケースを考えていたのですよう。



卑弥子さんのお気に入りの「おばさんパンツ」か?



あるいは、かわゆいレンゲさんが穿くような「ちいっちゃなパンツ」か?

。。。んで、3つめは。。。?




女子高って 男子いないから すごいよー
体操着とか 1年ぐらい 持ち帰らなかったり、
忘れたら 人のを かりて そのまんま とか

小百合より




小百合さんが上のように書いていたけれど、女子高生って、中にはすごい女生徒が居ると思うのですよう。

つまり。。。、つまり。。。、1週間とか、2週間とか洗濯しないで穿きっぱなしで、シミが付いているパンツとか。。。?そうゆう不潔なパンツでござ〜♪〜ますか?

いや。。。そう言う事はないと思いますよう。奈緒子さんは、少なくとも2日か3日穿けば洗濯すると思うのですよう。

だから、3つ目は、どうゆうパンツなのでござ〜♪〜ますか?

あのねぇ〜、僕が小学生、中学生の頃には、女生徒は体育の時間には黒いブルマーを穿いたのですよう。

つまり、3つ目はブルマーパンツでござ〜♪〜ますか?

いや、ブルマーにもいろいろあるんですよう。

そんな事はござ〜♪〜ませんわ。ブルマーはブルマーですわよう。

あのねぇ〜、ブルマーの脚が入るところのスソの所にゴムひもが入っているのですよう。あのゴムがあるので、ブルマーと言うのはキャベツやたまねぎの形のように、ふわっとした感じになるんですよう。

そうでござ〜♪〜ますわ。

ところが、僕が小学生のとき、女の子で体操着を家に持ち帰らないで、置きっぱなしの子が居たのですよう。小百合さんが書いたものを読んで、なるほど、家に持ち帰るのが面倒なのか?!そう思ったのですよう。

じゃあ、デンマンさんは持ち帰ったのでござ〜♪〜ますか?

あのねぇ〜、僕が洗濯するんじゃないから、持ち帰っても別に面倒な事はない。お袋が時々洗濯するから持ち帰るようにと僕に言いましたよう。だから、言われれば体操着を持ち帰りました。

でも、その女の子は持ち帰らなかったのですか?

持ち帰らなかった。

どうして、デンマンさんに分かるのでござ〜♪〜ますか?

ブルマーの片方のゴムが切れていた。

つまり、片方だけがビローンと伸びきっていたのでござ〜♪〜ますかぁ〜?

そうなのですよう。あの片方だけがビローンと伸び切ったブルマーぐらい可笑しなものはない。小学校の体育の時間にはドッジボールをやる事が多かった。だから、僕は、その女の子をめがけてボールを投げたものですよう。

どうしてでござ〜♪〜ますか?

あのねぇ〜、その子は今では東京の女子大学の古典文学の教授をやっているのですよう。

じゃあ、あのォ〜。。。あたくしと同様に源氏物語を講義しているのでござ〜♪〜ますか?

そうなのですよう。“おたふく”という仇名(あだな)があって、僕は“おたふくちゃん”と呼んでいたのだけれど、僕の隣に座っていたのですよう。だから、僕は一度ならずおたふくちゃんに言ったものですよう。「あのなぁ〜、そのブルマー、可笑しすぎるからカアチャンに直してもらえよう」

。。。んで、おたふくちゃんは持ち帰って直してもらったのでござ〜♪〜ますか?

この“おたふくちゃん”は素直じゃないところがあって、僕がブルマーの可笑しさを指摘したために意地になって持ち帰らなかった。

。。。んで、おたふくちゃんは、どうしていたのでござ〜♪〜ますか?

ビローンと伸び切ったスソをくるくると丸め上げてブルマーの中に突っ込んでいたのですよう。普通の状態であれば、それでビローンとなる事はなかった。しかし、ドッジボールの時には、おたふくちゃんは、じっとしている訳には行かない。逃げないとボールが飛んできて痛い目にあう。だから、おたふくちゃんも必死になって“キャ〜キャ〜”言いながら逃げ回ったのですよう。そうなると、ブルマーの片方がビローンとなって伸びきったものを丸め上げている暇がないのですよう。そうなると、皆が面白がって笑う。うしししし。。。

デンマンさん!。。。それって。。。それって。。。イジメですわよう!

とにかく、そうゆう思い出があったので、ブルマーパンツだけは奈緒子さんが穿いてないようにと祈ったものですよう。

。。。んで、もし穿いていたら?

おたふくちゃんのようなゴムが切れたブルマーパンツを穿いていたら、多分、僕は、笑い出してデッサンする気力がなくなってしまうと思ったものですよう。

分かりましたわ。。。もう前置きは、その程度で結構ですわ。それで、一体、奈緒子さんは上の3つのうちのどのパンツを穿いていたのでござ〜♪〜ますか?

ところが、どのパンツでもなかったのですよう。

じゃあ。。。あのォ〜。。。あのォ〜。。。ノーパンでござ〜♪〜ますか?

あのねぇ〜。。。いくらなんでも、奈緒子さんがノーパンでやって来るはずがないじゃないですかア!。。。卑弥子さんも、いい加減にしてくださいよう!んも〜〜



だってぇ〜、上のどのパンツでもないとしたら。。。他にないでしょう?

まだまだ、いろんなパンツがありますよう。

。。。んで、いったい、どのようなパンツだったのでござ〜♪〜ますか?

次のようなパンツだったのですよう。



あらっ。。。なんかぁ。。。、すっご〜くユニークで素敵でござ〜♪〜ますわア。

ホットパンツとでも言うのだろうか?とにかく予想外のパンツでしたよう。

。。。んで、デンマンさんは、どう思ったのでござ〜♪〜ますか?

だから、卑弥子さんが言ったことを思い出したのですよう。

下着とランジェリーは

女の繊細さと美しさを

際立たせる

最後の砦ですわぁ〜


僕は、「ああ。。。、これが世間でよく言うところの勝負のパンツか!?」。。。僕は、一瞬、そう閃(ひらめ)いたものですよう。

あのォ〜。。。あのォ〜。。。奈緒子さんは。。。奈緒子さんは。。。デンマンさんと勝負したのでござ〜♪〜ますか?

卑弥子さん!。。。興奮しないでくださいよう!。。。ウェブカムに近づきすぎていますよう。。。画面が暗くなっていますよう。

余計な事をおっしゃらないで、その勝負の様子を!。。。勝負の様子をお話しくださいなア!

卑弥子さん!。。。んも〜〜。。。そんなに身を乗り出さないでくださいよう。。。ウェブカムから離れてねぇ。

。。。それで。。。それで。。。どうしたのでござ〜♪〜ますか?

僕は、女子高生の心理とはどう言うものなのか?高校時代に教わった事がない。僕は男子校出身だから、女子高生の心理をじっくりと観察する事もなかった。。。でも、今では理解しているつもりですよう。卑弥子さんも興味があるだろうから、次の記事を読んでみてください。


なんかにおう

「女子校育ちの女たち」


2008年1月3日

「女子校育ちのにおい」というのがあります。
いえね、私も小学校から高校まで、かれこれ12年間女子校に通っていましたから、同じ種族の者どもを見分ける目は確かなんです。

女社会で生きていくのは大変です。
嫌われ者にならないために、浮いちゃったりしないために、女の子たちが身につけた鎧(よろい)みたいなもんがあるんだな。
それが同じ女子校育ち同士、透けて見えることがあるのです。

たとえば…

● 女の子のランクを一瞬で見分ける

  鋭い「目」を持っている


「はじめまして〜」とお互いペコリと挨拶するとき、女子校女はすでにその1秒で、女性を観察しつくします。
自分より年上か年下か、セレブなのかアンセレブなのか、ぶっちゃけ女なのか鉄仮面女なのか。
もろもろの証拠を集めて瞬時に「敵か味方か」を判断することができるのです。
その目の確かさはけっこうなもんだと思います。

● 女の子の本音に

  敏感な「鼻」を持っている


「え〜、それかわいいっ」
「今日のA子超キレイ」
「やさしそうな彼だねえ」など、女の子は綿菓子のように甘い言葉で社交します。
が、女の巣窟、あけすけトークの連続技にまみれて生きてきた女子校女は、その言葉の真実度がピピッとわかっちゃうのです。
うわ〜、かなり上辺だけで言ってるよねえ。
うわ〜、かなり上から目線だよねえ……。
衝撃的な本音を受け止めつつ、私ら女子校育ちも負けじと、綿菓子にチョコレートを盛りつけたような甘い言葉で女友だちと仲よくしております。

● では男に対してはどうなのか?

ようやく女の牢獄から抜け出した19歳の春。
予備校に通いはじめた私は、男性とうまく話せませんでした。
照れてるんじゃなくて、口開くとよだれが出ちゃうから。
男性に対しては、2パターンあるようで、
不自然にサバサバっとして「私男みたいってよくいわれるのぉ」というタイプになるか、
妙にかたくなになり、男の人におごってもらうと翌日プチプレゼントを渡さないと気がすまなかったり、
いつまでたっても男の人を「さん付け」でしか呼べないような不器用タイプになるかです。
どちらも意識しすぎですな。
青春時代、男の子が日常風景にいなかった結果でしょう。

女子校育ちというと、意味なく「お嬢さんね」などと言われますが、いえいえとんでもない。
みんなかなりシタタカで
、不器用なところを抱えています。
ま、そういうところがかわいらしさでもあるんですけどね。
最近では、同じ女子校育ちを見つけると、なんとなく親愛のまなざしを注いでしまうのです。

(霊屋たま/studio woofoo)

『20代働く女子の実態』より


どうですか、卑弥子さん。。。? 思い当たる事がありますか?

ありますわよう。。。んも〜〜。。。本当に、そうなのでござ〜♪〜ますわよう。。。あたくしなんて、小学校から大学まで。。。もう、ずう〜っと、女ばかりでござ〜♪〜ましたでしょう。。。

それで。。。?

だから、あたくし、デンマンさんに初めてお目にかかった時、うまく話す事ができなかったのでござ〜♪〜ますわ。。。うふふふふ。。。もお。。。もお。。。照れてるんじゃなくて、口を開くとよだれが出ちゃうから。。。うしししし。。。

マジで。。。?

大マジでござ〜♪〜ますわよう。あたくしは、デンマンさんの前で妙にかたくなっちゃって。。。もう、とっても、意識してしまったものですわア〜〜。

そうだったかなあああぁ〜。。。?卑弥子さんは、かな〜り、男性の付き合いに慣れているように見えたのだけれどなあああぁ〜

そのような事はござ〜♪〜ませんでしたわ。あたくしはデンマンさんの前では常に男を意識して。。。もう、大変でござ〜♪〜ましたわア。

しかし。。。しかし。。。あの箱根の時には、卑弥子さんは、かたくなっているどころではありませんでしたよう。かな〜り柔らかでモチモチしていましたよう。

そうでござ〜♪〜ましたかしら。。。うふふふふ。。。

思い出してくださいよう。


ヨガの秘法 - 「鶴の舞」



この「鶴の舞」はスートラ・ヨガの秘法なのでござ〜♪〜ますわ。
古代インドのヨガ呼吸法の奥義や、宇宙エネルギーとの合一の秘法から編み出された型なのですわ。
呼吸を整えながら10分間、上のように静止した姿勢で居ることは、奥義の域に到達した者でない限りできないものなのでござ〜♪〜ます。
あたくしは10年間修行を積んで、やっとこの秘法を会得(えとく)したのでござ〜♪〜ますわ。
しかも、この「鶴の舞」を殿方にご覧に入れれば、その方の心を引き寄せてしまうと、言い伝えがある秘伝の奥義なのですわぁ。




『ルート66のフライと小百合さん』より
 (2007年11月28日)


あたくしがせっかく「鶴の舞」をデンマンさんにご覧に入れたのに、デンマンさんは無感動どころか、その後で、あたくしを無視しようとなさったのですわ。

卑弥子さんを僕が無視したと。。。?

そうでござ〜♪〜ますわア。この「鶴の舞」を好きな殿方にご覧に入れれば、その方の心を引き寄せてしまうという言い伝えのある取って置きの秘法でござ〜♪〜ますわ。ところが、その晩、あたくしがデンマンさんとお布団を並べて寝物語をしようとしたら、デンマンさんはあたくしのお布団とデンマンさんのお布団の間に“ついたて”を立ててしまったのでござ〜♪〜ますわ。

また。。。、また、卑弥子さんは、その話を持ち出すのですかぁ〜?

だってぇ〜、ヨガの秘法も効き目がなかったのでござ〜♪〜ますわア。。。あたくしは清水(きよみず)の舞台から飛び降りるつもりで。。。決死の覚悟をしてデンマンさんに、あたくしのむき出しの姿をお目にかけたのでござ〜♪〜ますわア。ところが。。。、ところが、アンナさんのヌードにはデンマンさんが呆れるほどのこだわりを示したのにィ〜、あたくしの“おヌード”には拒絶反応を示したのでござ〜♪〜ますわア。これは。。。これは。。。あたくしの「鶴の舞」を“はしたない姿”だと見下して目をそむけたのでござ〜♪〜ますわ。醜い姿、もう二度と見たくない醜態(しゅうたい)だと思ったのでござ〜♪〜ますわね?

やだなあああぁ〜。。。もうずいぶん前の事ですよう。

アンナさんの事は20年も前の事ですわ。それから比べれば箱根の事は、つい最近の出来事でござ〜♪〜ますう。。。んもお〜〜 あたくしは、女として。。。アンナさんと変わらぬ女としてデンマンさんに侮辱されたような気がいたしましたわア。

あのねぇ〜、卑弥子さんは、かなりオーバーに反応してしまっていますよう。。。。それも。。。それも。。。卑弥子さんの誤解ですよう。

誤解ではありませんってばあああぁ〜。。。んもお〜♪〜!

卑弥子さん!。。。いい加減にしてくださいよう!。。。今日は卑弥子さんの話ではないのですよう! 

あらっ。。。ついつい、箱根の事が強烈に思い出されてきて、あたくしは。。。あたくしは。。。夢中になってしまったのでござ〜♪〜ますわア。。。ごめんあそばせぇ〜、おほほほほ。。。それで。。。それでぇ〜。。。奈緒子さんは、どのような勝負をなさったのでござ〜♪〜ますか?

勝負などしませんよう。僕のモデルになるだけだったのだからぁ〜。。。

分かりましたわ。。。とにかく、余計なところはいいですからクライマックスの部分だけをお話しくださいませぇ。

あのねぇ〜、ちょっと記事が長くなりすぎたので、また、あさって話しますよう。

また。。。また。。。お預けでござ〜♪〜ますかぁ〜?

延ばせば延ばすほど楽しみが大きくなるものですよう。


【卑弥子の独り言】



ですってぇ〜。。。
いつもの事ですわ。
本当に面白くなる所で止めてしまうのですわよう。 

奈緒子さんは、あたくしのように清水の舞台から飛び降りたのでござ〜♪〜ましょうか?
なんだか、ドキドキ、ヒヤヒヤいたしますわア〜♪〜。

あなたも、またあさって、読みに戻ってきてくださいね。
では。。。






ィ〜ハァ〜♪〜!

メチャ面白い、

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こんにちは。ジューンです。

日本では公立高校でも別学がありますが、

カナダでは公立高校は共学と決まっています。

わたしは幼稚園からずっと共学でしたから、

「女の学園」って、全く経験した事が無いのです。

なんかにおう

「女子校育ちの女たち」


この記事を興味深く読ませてもらいました。

女ばかりの学園で育つと

いろいろと面白い経験もするのでしょうね。

あなたはいかがでしたか?

高校は共学でした?

それとも別学?

面白いエピソードがあったら、

ぜひコメントに書いてくださいね。



ところで、卑弥子さんが面白い話をまとめました。

興味があったら読んでみてください。

■ 『あなたも笑って幸せになりませんか?』



では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。






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