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2012年01月20日

無投票で…?

 
無投票で…?





デンマンさん。。。「無投票で…?」ってぇ、いったいどういうことでござ〜♪〜ますか?



ちょっと次の「検索キーワード」のリストを見てくださいよ。


(wp20116c.gif)



1月16日に延べ102人の訪問者がGOOGLEや Yahoo!の検索エンジンに、上のリストに表示されている検索ワードを入れて検索して僕の Denman Blog にやって来たのですよ。



つまり、検索エンジンに延べ10人のネットサーファーが「おばさんパンツ」を入れて、ジューンさんや、めれんげさんの「おばさんパンツ」姿を見にDenman Blog へやって来たのでござ〜♪〜ますか?


(june510.jpg)


(rengepan2.jpg)



ジューンさんや、めれんげさんばかりでなく卑弥子さんの「おばさんパンツ」姿を見にやってきた人も居るのです。 だから、卑弥子さんも喜んでいいのですよ。





あらっ。。。そうなのでござ〜♪〜ますか? うれしいわあああァ〜。。。んで、無投票であたくしの「おばさんパンツ」姿が人気でトップになったのでござ〜♪〜ますか?



残念ながら、そうではないのですよ。 あのねぇ〜、リストの「おばさんパンツ」ではなく3番目の次の検索キーワードを見て欲しいのです。


埼玉県 行田市 工藤市長 黒い霧          4


上のキーワードで検索してDenman Blog にやって来た人が延べ4人居るということですか?

そのとおりですよ。

上のリストの延べ102人の人たちが、どの検索エンジンを使ってやって来たのかも判るのでござァ〜ますか?

判るのですよ。 次のリストを見てください。


(wp20116b.gif)



これは1月16日の「リンク元URL」を調べたものです。 検索エンジンを使ってやって来た人が103名居るということが記録されている。



4つの検索エンジンのうちではYahoo!がトップなのでござ〜♪〜ますわね。

そうです。 103人のうち 64人がYahoo!の検索エンジンを使って Denman Blog にやって来たのです。

。。。んで、「埼玉県 行田市 工藤市長 黒い霧」を入れて検索してやって来た人はどのページを読んだのでござ〜♪〜ますか?

次のリストを見てください。


(wp20116.gif)



これは1月16日に Denman Blog で読まれたすべての記事のリストです。



あらっ。。。「埼玉県 行田市 工藤市長 黒い霧」を入れて検索した人は次の記事を読んだのでござァ〜ますわね。

『行田の黒い霧と工藤市長』

その通りです。

でも、上の記録では延べ4人のうちの一人だけが上の記事を読んだということでしょう?

そうです。

あとの3人は、どの記事を読んだのでござ〜♪〜ますか?

僕もそれを調べようとしてGOOGLEで検索してみたのですよ。 その結果を見てください。


(gog20117.gif)



あらっ。。。トップに表示されているのが上の記事ですわね!?



そうです。 検索結果が 10,900件もあるので探す気になれませんでした。 とにかく、『行田の黒い霧と工藤市長』が読まれたことは確かですよ。 他の3つの記事も上の 10,900件のタイトルの中に出てくるはずです。 時間があったら卑弥子さんも探してみてください。

赤枠で囲んであるのはデンマンさんが書いた記事ですか?

そうです。 ただし、トップと2番目の記事は Denman Blog に掲載されているけれど、他の記事は別のサイトに投稿したものです。

。。。んで、どうして工藤市長を取り上げる気になったのでござァ〜ますか?

検索キーワードのリストを見たら「埼玉県 行田市 工藤市長 黒い霧」が出ている。 記事はずいぶん以前に書いたのに、どうして今頃。。。? と僕は思ったわけですよ。

その理由は。。。?

だから、僕もそう思って考えたのです。 すぐに思いついたのは、そろそろ行田市の市長選挙が行われる頃だ。。。だから、行田市民の有権者が現職の工藤市長について詳しく知ろうと思って検索エンジンに向かったのに違いない。

。。。んで、行田市の市長選挙が近々行われるのでござ〜♪〜ますか?

だから、僕も行田市長選挙について検索してみたのです。 その結果を見てください。


【統一地方選2011】

行田市長選 工藤氏が無投票再選


2011年4月18日

行田市長選は、無所属現職の工藤正司氏(60)=民主、自民、公明推薦=が、無投票で再選を果たした。
選挙事務所に集まった支持者らに喜びの報告をした工藤氏は「行田ならではのまちづくりを市民と進めたい」と抱負を語った。

工藤氏は一期目の四年間で、計画から約六十年経過していた市の幹線道路を全線開通させた。
市内の実話を基にした歴史小説「のぼうの城」の映画化を視野に、観光都市づくりを推進し、市の借金を約四十億円削減するなど財政健全化にも取り組んだ。

実績が評価され、民主、自民、公明の各党や各種団体から相次いで推薦を取り付けた。
四人による激しい選挙戦だった前回とは打って変わり、盤石の態勢で臨んでいた。

(柏崎智子)




出典: 『東京新聞(2011年4月18日)』




あらっ。。。もうすでに終わっていたのですわね。



そうなのですよ。 現職の工藤市長が無投票で再選されたのですよ。

デンマンさんは不満なのでござ〜♪〜ますか?

あのねぇ〜、前回の市長選は四人による激しい選挙戦だった。 しかも、当時現職だった横田昭夫市長が再出馬を断念し、群馬県の温泉旅館で首吊り自殺までした。 

デンマンさんは個人的に横田市長をご存知だったのですか?

あのねぇ〜、横田市長が10代、20代の前半に住んでいた家と僕の実家は直線で20メートルも離れていなかった。 僕は小さかったので当時の横田さんと話したことはなかったけれど、何度も目にしたことがあるのですよ。 行田高校を卒業しただけの学歴で市長になるなんて当時では考えられなかった。 市役所に勤務しながら一歩一歩着実に頑張って、やがて元・山口市長に才能を認められたらしい。

それで市長選に出馬して行田市長に初当選なさったのでござァ〜ますか?

その通りですよ。 前回の市長選では工藤派の応援団が「2ちゃんねる」を利用して汚いやり方で横田市長を追い落とそうとした。 それに対して横田市長は、まるで古武士のように自分の意思を貫き通してネットで反論を一切しなかった。 要するに「黒い霧」に嫌気がさしたようだった。

つまり、選挙戦の汚いやり方に悲観して自殺なさったのですか?

それも自殺の一つの要因だったかもしれません。 僕は何千キロも離れたバンクーバーに居たから詳しいことは判らなかったけれど、とにかく、「2ちゃんねる」のバカ面白いやり取りを読んで、工藤派の応援団による汚いやり方にムカついて記事を書いたのですよ。

いくつぐらい書いたのでござァ〜ますか?

「行田市 工藤市長 デンマン」と入れてGOOGLEで検索してみました。 その結果を見てください。


(gog20120.gif)
『あなたが読んでいる現時点での検索結果』



あらっ。。。10,400件も表示されていますわね。



もちろん、10,400件すべてが僕が書いた記事だというわけじゃない。 タイトルだけがリストに載っていたり、同じ記事が他のサイトに掲載されたりしているので、ずいぶん水増しされた数字になっている。

。。。んで、デンマンさんは行田市政の何が問題だと思っているのでござ〜♪〜ますか?

あのねぇ〜、実は、2008(平成20)年に工藤市長の行田市でアンケートを実施したのですよ。 その中で「行政に力を入れてほしい政策」という項目があるのです。 その集計結果を見てください。


(gyoda901.gif)



あらっ。。。「保険や医療の充実」を望んでいる人が最も多いのでござ〜♪〜ますわね。



そうです。 2番目に要望の高いのが「社会福祉の充実」なのですよ。

行田市も高齢者が増えているのでござ〜♪〜しょうね。

そういうことですよ。。。 でもねぇ、相変わらず強く要望されているのが「市財政の健全化、行政の合理化」ですよ。 工藤市長チームが市の借金を約40億円削減したと書いてあるけれど、行田市の負債は僕が記事を書いていた頃は 約800億円近くあった。 40億円減らしたとしても、まだ、かなりの借金が残っているのですよ。

その借金が今後増えるようなことがあれば工藤市長の政治生命は亡くなるということでござ〜♪〜ますか? 

そうですよ。。。そうならないように工藤市長には更に借金を減らして欲しいですよ。 それに、去年の9月に僕が行田に規制した時には本町通りや新町の商店街が更に寂(さび)れていた。 上のリストにも「商業の活性化」という要望がある。 これは、間違いなく僕と同じような印象を持った人がかなり居るという証拠です。 新しいビジョンやアイデアで行田市の中心街の商店活性化を図(はか)れば、当然、行田市の金庫も潤(うるお)うのですよ。 工藤市長が次の4年の任期で「商業の活性化」をどれだけ進めることができるか? 市長の手腕の見せ所です。


【卑弥子の独り言】



ですってぇ〜。。。
難しいでしょうね。
「保険や医療の充実」や「社会福祉の充実」にはお金がかかりますわ。
しかも、借金を減らさねばならない。
行田市民は工藤市長の手腕をじっくりと見守っていると思うのでござ〜♪〜ます。
工藤市長には、責任を持ってしっかりとやっていただきたいと思います。

とにかく、次回も興味深い記事が続きますわ。
だから、あなたも、また読みに戻ってきてくださいね。
じゃあ、また。。。








ィ〜ハァ〜♪〜!

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こんにちは。ジューンです。

行田市は埼玉県にとってなくてはならない町です。

どうしてだか判りますか?

行田市大字埼玉(さきたま)は、

古くは『万葉集』に「さきたまの津」という記述があります。

『風土記』にも「武蔵国埼玉郡(さきたまごおり)」とあります。

つまり、「埼玉県」という地名の発祥地なのです。

戦前には行田市は全国の足袋の

7割から8割近くも生産していたそうです。

江戸時代中期より、

下級武士の内職として足袋の生産が始まり、

明治時代を迎えて機械化され一大産地となりました。

戦後は洋装化が進んだため衰退しました。

今でも生産は行われていますが、

足袋から転じた繊維産業が地場産業として

一定の地位を占めています。
 

 
ところで、卑弥子さんが面白いサイトを

やっています。

興味があったら、ぜひ次のリンクをクリックして

覗いてみてください。



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とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょう。

じゃあね。バーィ





2012年01月07日

牛たんとずんだ

 
 
牛たんとずんだ










仙台駅に降りたのは、ちょうどお昼。
ガイドブックを見ると、どうやら「牛たん」が名物らしい。
嫌な予感がビンビンするが、牛たん、食べよう!

早速、駅構内の「牛たん通り」というレストラン街に行ってみた。
人がたくさん並んでいる店が2軒あったので、店内を外から偵察してみる。
ひとつはアットホームな雰囲気で、ひとつはファミリーレストランみたいな派手な感じだ。
迷わずファミリーレストラン系を選び、15分ほど並んで「牛たん定食」を注文した。



予感どおり、ダメだった。
こんな肉厚の牛たん、絶対無理……。
わたしが知っている牛たんは、厚さ2ミリみたいなのだけれど、仙台のは5ミリくらいある。
歯ごたえもコリコリで、コリコリのもんが苦手なわたしには、もはや地獄である。

そもそも、牛たんは、好きじゃなかったのだ。
念のためにファミリーレストラン風の店を選んどいて良かったと胸をなでおろす。
残しても目立たないっていうか……。
時間に余裕がない人の「ふり」をしながら、逃げるように店を出る。
そんなら、並んでまで食うな! と思われていたことだろう。
美味しそうに食べていた人が羨ましい。

気を取り直し「ずんだ」である。
「ずんだ」とは、枝豆をつぶして砂糖を混ぜたもので、これをもちにからめた「ずんだ餅」も仙台の名物なのだという。
ずんだ餅、ずんだシェイク、ずんだ大福。







いろいろ食べたが全部美味しかった。
豆とか野菜とか米とかパンとか。
そういうのどかな食材にわたしは安心する。
分厚い牛たんとか、海鮮丼とかシャコとか、自己主張しているのはどうも……。





赤字はデンマンが強調のため。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)




101 - 102ページ
『47都道府県女ひとりで行ってみよう』
著者: 益田ミリ
2008年6月25日第1刷発行
発行所: 幻冬舎




デンマンさんは「牛たん」と「ずんだ」が好物なのですか?



いや。。。特に好物というわけではないのですよ。

それなのに、どうして「牛たん」と「ずんだ」を取り上げたのですか?

あのねぇ〜、実は、上の本をバンクーバー図書館で借りて読んだのですよ。 





僕も、せっかく日本で生まれて育てられたのだからと思い、学生時代、日本全国を旅する計画を立てて、夏休みを利用してバイクで無銭旅行したことがあるのですよ。



デンマンさんも47都道府県を一人で駆け巡ったのですか?

沖縄を除いて、ほとんど行きましたよ。 それで本棚にあった上の本のタイトルを背表紙で見て、懐かしくなって借りて読む気になった。 ところが上の箇所を見たら「牛たん」と「ずんだ」が仙台の名物と書いてあるじゃないですか! 僕は仙台で6年近く暮らしたのだけれど、僕にとって仙台の名物というのは「笹かまぼこ」と「仙台味噌」と「五右衛門ラーメン」だったのですよ。









振り返って思い出してみると「ずんだ」は食べたことがあるけれど、「牛たん」は一度も食べた記憶がない。



「牛たん」が嫌いだったのですか?

いや。。。嫌いじゃないけれど、僕は子供の頃から豚肉の臭いが嫌いで。。。、その影響で肉類はあまり食べたいとは思わなかった。 もちろん、好き嫌いは特にないから下宿では、出された物は何でも食べましたよ。 でも、下宿で「牛たん」を食べた記憶がない。 肉類は魚が主で豚肉や牛肉を食べた記憶がほとんどない。 牛肉や豚肉が好きな人には耐え難い食事だっただろうけれど、僕は魚が好きだから別に不満とは思わなかった。

その事が言いたかったのですか?

いや、ちがいますよ。。。益田ミリさんがコリコリのもんが苦手と書いた。。。つうことは、「かずのこ」が苦手ということになる。 僕にとって「かずのこ」は大好物で、苦手な人が居るということが考えられなかった。 その事がかなり意外だったのですよ。 しかも益田ミリさんは「海鮮丼」や「シャコ」も苦手だという。 僕は「海鮮丼」も「シャコ」も大好物ですよ。

あらっ。。。デンマンさんには好き嫌いがないのではありませんか?

もちろん、特に好き嫌いがあるわけじゃない。 出されたものは何でも食べますよ。 でもねぇ〜、どれから食べるかと聞かれたら、「かずのこ」、「海鮮丼」、「シャコ」、。。。海の物から食べ始めますよ。 無くならないうちに。。。(微笑)

デンマンさんは海のものが好きなのですか?

そうですね。 「牛丼」、「親子どんぶり」、「肉ジャガ炒め」、「海鮮丼」が出されたら、迷うことなく「海鮮丼」をいただきますよ。

つまり、その事が言いたかったのですか?

いや、違いますよ。 実は、元旦にお袋に年賀状を書いたのですよ。 長くなるけれど、ちょっと読んでみてください。




2012年1月1日 (日曜日)

母上様、明けましておめでとうございます。
バンクーバーは午後3時半で気温が5度です。
どんよりとした曇り空です。

午後2時半に恒例の「ポーラーベア・スウィム」がありました。
「ポーラーベア・スウィム」というのは日本語では「寒中水泳」のことです。
「白熊のように元旦の寒い海でも泳ごう!」という1月1日の行事です。







小生がバンクーバーに住み始めた頃には、すでに行われていた行事だから、少なくとも20年以上も続いています。
カフェオレとクロワッサンで昼食を済ませてから数年ぶりにイングリッシュ・ベイ(海岸通り)を越えた砂浜に見に行きました。
歩いて10分ほどの距離です。
2時半に始まるのに午後2時には、すでに100人ぐらいの若者が水着になって海に飛び込んでいました。
水温は8度でしたから気温よりも暖かいのですよ。

小生も20代であれば水泳パンツをはいて駆け出すところですが、
さすがにその気力はありません。



見ているだけで体が震えだしました。 (微笑)
見物人が2000人近く浜辺に出て眺めていました。

12月は雪が降らずに雨ばかりで、日本から戻って、まだ初雪を見ていません。
クリスマスも小雨が降っていました。
地球温暖化の影響でバンクーバーも年々暖かくなっているようです。

カナダではバンクーバーだけが「寒中水泳」をやっているのかと思ったら、
ラジオのニュースで、小生がかつて住んでいたトロント市でも、またその他のカナダの都市でも元旦に「寒中水泳」をやっていると報じていました。

その後のニュースで「東京から南西に600キロのところで大きな地震があったけれど津波の心配はない」とアナウンサーが伝えていました。
元旦に近畿地方か四国あたりで地震があったのだろうと小生は思いましたが、アナウンサーは地名を言わなかったので、どの場所だかは正確に判りませんでした。
それでも、関東地方ではないと判ったのでホッとしましたよ。

それにしても、日本には自然災害が多すぎます。
それに付随して原子力発電所の事故なども起こるし、放射線の心配までしなければならない。



しかも更に悪いことには日本の政治家は自分のことばかり考えて、国民のための政治をしていない。
年金問題は年毎に悪くなっている。
日本の将来は暗すぎますよ。

20代で日本を脱出して海外に目を向けたことは、むしろ正解だったと自分で自分を褒めているしだいです。(微笑)

ところで、カナダでは元旦よりもクリスマスが大行事です。
クリスマスにはほとんどの店が休みますが、
元旦は日曜日にもかかわらず10軒のうち6店が店を開けていたのには驚かされました。

「寒中水泳」を見た帰りに、すぐそばのスーパーマーケットによって豆腐を2丁ばかり買ってきました。



中国人が作っている豆腐です。子供の頃に行田で食べた豆腐と味も形もそっくりですよ。
考えてみれば豆腐は中国から伝わった食べ物だから中国が本場ということになるでしょう!
それにしても、行田の下町の「角屋」の豆腐とすっかり同じ物をバンクーバーで食べていることが不思議です。
世界は狭いものだとつくづく思いますよ。

最近では、カナダ人が経営するスーパーマーケットへ行っても醤油や豆腐、即席ラーメンなどを売っているので便利になりました。
しかし、味噌や納豆は日本人の店か韓国人の店へ行かないとありません。



納豆はカナダ人の目には「腐った豆」としか見えないようです。
とても食べられるモノとは思えないそうです。

初めて納豆を食べたに日本人は、多分、餓死寸前だったのでしょうね。
食べられるものはすべて食べつくしてしまった。
たまたま「ネバネバした腐った豆」があったので、どうせ死ぬなら腐った豆でもいいから食べて、胃袋を満たして死のうと思ったのでしょう!?
でも、死なずに生き残ったので、それから「納豆」が普通の食べ物になったのでしょう!?

カナダ人は、納豆を食べる気になりません。
見た目が「腐った豆」だから仕方がないでしょう。

松茸(マツタケ)も、あれほど取れるのに食べません。
日本人ならば、マツタケの香りは上品で食欲をそそるいい匂いがしますが、
カナダ人の鼻には、マツタケの香りは1週間洗わない靴下の匂いだと言って、あんなものを食べるオマエの気が知れないと言います。 (爆笑) 



世界は狭くなっても食べ物の好き嫌いは、その人がどこの国で生まれ育ったか?
その事によってずいぶんと左右されるようです。

これから2月に向かって、日本はまだまだ寒くなることでしょう。
風を引かないように気をつけてください。
母上様は、特に階段の上り下りに気をつけてくださいね。
「長生きするのも芸のうち」と申します。
「階段の上り下りも芸のうち」です。

東行田駅の近くの「かどや」のおばあさんは2011年の7月に103歳になりました。
「看板娘」で有名でしたから小生も知っていました。
焼きそばを食べていたら「わたし、いくつだと思いますゥ?」と声をかけてきたことがありました。
「85歳ぐらいでしょう」といったら、マジで喜んでいましたよ。 (爆笑)
元気な人でテレビにも出ました。
母上様もテレビに出られるように長生きしてください。

日本から戻ってきたばかりだと思っていたのに、
思えば、すでに2012年の1月1日です。
光陰矢のごとし!
今年も10月に帰省する予定です。
また、「とんでん」と「おおぎや」で美味い物を食べましょう。



あの世に逝くのは、いつでも逝けます。
この世で美味い物を家族と共に楽しく食べることを夢見ながら長生きした方が得です。

なぜ?

あの世から帰ってきて、あの世の方が良かったと言った人は、まだ居ないのですから。。。(爆笑)

では、また連休の頃にでも手紙を書きます。
お元気で。。。

バンクーバーのデンマンより




デンマンさん。。。これってぇ、マジでお母様に書いた手紙なのですか?



もちろんですよ。 僕の創作ではありません。

デンマンさんはお母様のことをお手紙では「母上様」と書いて、ご自分のことを「小生」と書くのですか?

うししししし。。。いけませんか?

なんだか、夏目漱石や森鴎外の手紙のようですわ。 (微笑)

そうなのですよ。。。夏目漱石や森鴎外の影響を受けていますよ。 (爆笑)

。。。で、この手紙と「牛たん」と「ずんだ」が関係あるのですか?

あのねぇ〜、うちのお袋はイモ類と豆類が好物なのですよ。 僕が仙台に居る頃は働くことばかりで、僕は海外に出るまでにお袋と一緒に外食したことが一度もない。

あらっ。。。お母さんとレストランで食事をしたことが一度もなかったのですか?

一度もないのですよ。 しかも、お袋は当時、僕が居る仙台にやって来ることもなかった。

働くのが忙しくて。。。?

そうなのですよ。 兄弟3人居ましたからね。 教育費を蓄(たくわ)えなければならないという気持ちが強くて旅行する気分どころではなかったと、最近僕に語っていました。 確かに良く働いたのですよ。 保険外交員をやっていたのだけれど、一時は教頭先生をやっていたオヤジよりも給料が良くなって、東邦生命で社長賞をもらい本社まで出かけたことがある。

あらっ。。。それほど頑張ったのですか?

そうなのですよ。 社長賞に輝いたのは女性外交員3人だったのだけれど、そのうちで「私が一番みすぼらしかったわよ」とぼやいていたことを僕ははっきり思い出したのですよ。 自分の身なりなどあまり構わずに仕事を一生懸命やっていましたからね。。。だから、同情されて成績を上げたのだと僕は思うのですよ。

その当時デンマンさんは大学生だったのですか?

そうですよ。 僕が海外に飛び出してから、会社の慰安旅行で仙台を訪ねたことがあったのだれど、「あんたが仙台に居る間にどうして行く気にならなかったのかと。。。本当にあの時には後悔したわ」。。。お袋は、そう言ったのですよ。







判りますわ。 デンマンさんのお母さんの気持ちが。。。 お母様もデンマンさんと仙台で美味しい物を食べたかったでしょうね?



僕もそのことを思い出してね。 イモ類と豆類が好きなお袋が「ずんだ餅」を僕と仙台で一緒に食べたら本当に感激したと思うのですよ。




「ずんだ」とは、枝豆をつぶして砂糖を混ぜたもので、これをもちにからめた「ずんだ餅」も仙台の名物なのだという。
ずんだ餅、ずんだシェイク、ずんだ大福。







いろいろ食べたが全部美味しかった。




「コリコリしたものが苦手」な益田ミリさんも、このように書いていたほどでしたからね。。。



今年、行田に帰省したらお母様を仙台に連れて行ってあげればよいではありませんか?

いや。。。これまでにも何度か言ったのだけれど、もう旅行するのがしんどいと言うのですよ。 それで、近くのお店で美味い物を食べるようにしているのですよ。

だったら、仙台から「ずんだ餅」を取り寄せたらいいですわ。

今年の10月に帰ってら、そうしますよ。


【卑弥子の独り言】



ですってぇ〜
母親というものは男の子にとって、いくつになってもいいものなのでござ〜♪〜ましょうね?
女の子にとっては父親の方が良いと言う人も居ますわ。
あたくしは、母親も父親も、どちらもいいですわ。
ご馳走になったときには特にそう思うのでござ〜♪〜ます。 
うふふふふふふ。。。

とにかく、次回も、面白い話題が続きそうでござ〜♪〜ますう。
あなたも、どうか、また読みに戻ってきてくださいましね。
では。。。






ィ〜ハァ〜♪〜!

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こんにちは。ジューンです。

食べる事が嫌いな人って居ませんよね。

でも、同じ食べるのでも、国によって

その考え方はさまざまなようです。

アメリカ人やカナダ人も食べる事は好きですが、

食べ物は喜びと言うよりも

生命維持と関連付けて考える事が多いです。

フランス人は食の喜びを大切にします。

人生の楽しみは食べることだと

豪語するフランス人も居ます。

他のものは節約しても、

食べ物にはお金を惜しまない。

そう言うフランス人をよく見かけます。

日本ではお礼の気持ちを

「物」や「お金」で表すことが多いようですが、

フランスでは食事でもてなすことによって

お礼の気持ちを表すことが多いようです。

お寿司を見るとわたしは思うのですけれど、

日本人は「食」を単に空腹を満たすものではなく、

立派な芸術と見なしているのではないでしょうか?



ところで、英語の面白い話を集めました。

時間があったら覗いてみてください。

■ 『あなたのための愉快で面白い英語』

では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょう。

じゃあね。





2011年12月26日

読書の冬



 
読書の冬



こんにちは。みゆきです。
お元気ですか?

ええっ?“読書の冬”じゃなくて、“読書の秋”じゃないの?
あなたは、そう突っ込むのですか?
うふふふふふ。。。

確かに、“読書の秋”と言う方が多いですよね。
でも、読書は秋だけに限りませんわ。

雨の日には外に出るのが億劫(おっくう)になります。
たまにはパソコンから離れて本でも読んでみたらいかがですか?
ええっ?面白そうな本でもあるのかって。。。?

ありますわ。
でも、あなたの性格や、あなたの興味の向かうところに応じて、あなたの読みたい本は私とは異なってきますよね。
今日は、あなたのためにお薦めのジャンルを診断します。

ええっ?そういう事ができるのかって。。。?
それが、できるのですわよ。

読書とは全く関係ない質問をあなたにします。
ちょっと馬鹿ばかしいと思うかもしれませんが、
半分、お遊びのつもりで答えてくださいね。

では、質問ですよ。
フランスから日本に初出店したという噂のケーキ屋さんがあるので、あなたも出かけることにしました。
ニュースで報道されたのでかなりの人がケーキ屋さんの前に並んでいます。
おいしそうなケーキもショーケースにたくさん並んでいます。





どれもおいしそうですが、あなたはモンブランを食べる事に決めました。
やっとテーブルについて一口食べました。
さて、そのお味の感想は。。。?

直感的にあなたの口を出る言葉を次の中から選んでみてください。


A: 噂どおりの美味しさで感動!

B: 並んで食べる程かしら?

C: 美味しいけどカロリー高そう
   
D: 並ばないで食べられるといいのに




どうですか?
選びましたか?
では、診断にまいります。


○ Aを選んだあなたは 【環境問題の本】 が最適です。

  「噂どおりで感動!」を選んだあなたは、自然に関する興味が強い人です。
  なので、環境問題などをテーマにしたノンフィクションの本がおすすめです。

■ 『あなたが読みたくなる環境の本』




○ Bを選んだあなたは 【ファッション雑誌】 か 【インテリア雑誌】 がふさわしいと思います。

  「並んで食べる程かしら?」を選んだあなたは、おしゃれで流行に敏感な人です。
  そう言う訳で、この秋のファッション情報や、インテリアの雑誌がおすすめです。

■ 『あなたが読みたくなるファッション & インテリア雑誌』




○ Cを選んだあなたは 【料理本】 が読みたくなると思います。

  「カロリー高そう」を選んだあなたは、健康にとても気を遣っている人です。
  だから、流行りのスローフードや、マクロビオティックなどの料理本がおすすめです。

■ 『あなたが読みたくなる料理の本』




○ Dを選んだあなたは 【ホテル紹介の旅行雑誌】 がいいと思います。

  「並ばなければいいのに」を選んだあなたは、普段の生活にうるおいが欲しい人です。
  なので、優雅な海外のホテルを紹介している旅行雑誌がおすすめです。

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ええっ?本もいいけれど、じっとしているのがつまらないの?
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■ 『バンクーバーの寒中水泳』

■ 『漢字馬鹿の恋 (2009年2月25日)』

■ 『馬鹿のモデル (2009年2月27日)』

■ 『軽井沢タリアセン夫人 - 小百合物語』




おほほほほ。。。。

また現れて、

くどいようでござ~♪~ますけれど。。。

あたくしも平安の昔に戻って

懐かしい京都に行ってみたいので

ござ~♪~ますのよ。

京都の訛りが懐かしいわあああ~~

でもね、デンマンさんが生まれ育った

行田にも行きたいのですわよ。

ええっ?どうしてかって?

それはね、デンマンさんは

もちろんですけれど、

あたくしにとって行田とは

切っても切れない縁が

あるのでござ~♪~ますのよ。

どうしてだか、お分かりになりますか?

行田は古代ハスの

ふるさとなのでござ~♪~ますのよ。



きれいでしょう?

あたくしの初恋の花でござ~♪~ますのよ。

ええっ?そんな事はどうでもいいから、

何か面白い話をしろ!

あなたは、そのような事をあたくしに

強要するのでござ~♪~ますかぁ?

分かりましたわぁ~。

では、あなたのために、メチャ面白いサイトをご紹介しますわ。

あたくしがマスコットギャルをやっている

『面白い新しい古代日本史』サイトでござ~♪~ますわ。

面白い記事がたくさんありますことよ。

ええっ?日本史以外にはないのかって。。。?

あなたは、いろいろと口うるさいのですわね。

だったらこれはどうよ?



ええっ?何かって。。。?

あたくしのおトイレざ~♪~ますわよ。

おほほほほ。。。

どう?絶対に読みたくなってきたでしょう?

次のリンクをクリックして読んでみてね。

■ 『平助さんが卑弥子さんに

恋をしたのがウンのつき』


絶対に面白いのだから読んでね。

あなたが面白いものって言ったから紹介するのよ。

生返事して、ごまかそうとしちゃあダメよ。

お願いだから読んでね。

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。





2011年11月26日

ありがとうさん

 
ありがとうさん






画映田蒲

社会式株マネキ竹松

作成康端川

んさうたがり有

化画映宏水清





主演: 上原謙
黒襟の女: 桑野通子
売られゆく女: 築地まゆみ
その母親: 二葉かほる

1936年 制作





デンマンさん。。。出演者以外はすべて右から左へと書いてますわね。 どうしてですか?



あのねぇ、たまたま夕べ、バンクーバー図書館から借りてきたDVDを観たのですよ。

それが上の日本映画だったのですか?

その通りですよ。 まさに上のように右から左へと書いてあったのですよ。

そういえば、私の子供の頃には館林でもお店の看板に右から左へ書いてあるものがありましたわ。

マジで。。。? 小百合さんは1965年生まれでしょう? 僕はそれ以前に生まれているけれど、行田では「右書き」の看板は見かけたことがありませんよ。

よ〜く探せば今でもありますわよ。 デンマンさんが気づいてないだけですわ。

そうかなァ〜?

それにしても1936年に作られた映画がDVDになってバンクーバー図書館にあるのですか?

もちろんですよ。 だから、僕は借りて観ることができたのですよ。 おそらく日本では、めったに観ることができないのでは。。。?

無声映画ですか?

いや。。。トーキーですよ。 日本映画界が本格的にトーキー時代を迎えたのが1936年だったそうです。 この年に清水監督が『有りがたうさん』を発表したのですよ。

どのような内容なのですか?

伊豆の街道を昔のボンネット型の乗り合いバスで走りながら、その中の乗客のやり取り、乗客と“有りがとうさん”と呼ばれている運転手とのやり取り、バスが通る道筋の人々と運転手さんのやり取りなどを全編ロケーションで撮った映画ですよ。

運転手さんがどうして“有りがとうさん”と呼ばれているのですか?





この当時の伊豆の街道は舗装されてなくて、しかも狭い道なのですよ。 だから、人が歩いていたり対向車が来たりすると道を譲ってもらわなければならない。 そのたびに、この運転手さんが「有りがとう、有りがとう」と叫ぶので、土地の人々から“有りがとうさん”と呼ばれるのですよ。



デンマンさんは、なぜこの映画を観る気になったのですか?

たまたま図書館の棚に、このDVDを見かけたのですよ。 すべて英語で書いてあるのだけれど、説明を読んでみたら面白そうなので観る気になったのです。

デンマンさんは題名や映画監督の名前を知っていたのですか?

いや、全く知らなかった。 でもねぇ、調べてみたら清水監督は『小原庄助さん』という映画を1949年に作っていたのですよ。 僕は監督の名前を知らずに、ずっと後になって、この映画を観ていた。





『小原庄助さん』という映画はそれほど有名だったのですか?



いや、映画よりも「小原庄助さん」の名前が有名でしょう!?

小原庄助さん、

何で身上(しんしょう)つ〜♪〜ぶした?

朝寝、朝酒、朝湯が大好きで、

それで身上つ〜♪〜ぶした。


小百合さんだってこの歌を知っているでしょう?

確かに聞いたことがありますわ。

1922年に清水さんは蒲田撮影所に入社した。 その翌年に、あの有名な小津安二郎さんが松竹に入社し、清水さんと小津さんは終生の親友となったというのですよ。 先輩の助監督に成瀬巳喜男さんがいた。 それなのに、なぜか清水監督の影が薄いのですよね。 僕も知らなかったのだから。。。




没後も一定の評価はあったが、忘れられた過去の巨匠の側面が強かった。
例えば、俳優の笠智衆は、自著で「僕は、清水監督の作品が実に好きで、自分が出してもらったのを含め、いいシャシンがいっぱいあったと思います。
小津先生の作品は、いろんな人があれこれ言いますが、清水オヤジのシャシンをきちんと評価する人がいないのが不思議でなりません。」
(「先生の親友・清水オヤジ」『大船日記 小津安二郎先生の思い出』扶桑社、1991年)と述べていた。

1990年代前半に松竹から清水宏作品のビデオが発売され、90年代半ば頃から松竹時代を中心に清水宏の再評価の機運が高まった。

その後、2003年、第4回東京フィルメックス国際映画祭において特集上映企画「清水宏 生誕100年」(東京国立近代美術館フィルムセンター共催)が開催され、『港の日本娘』など10作品が上映。清水宏作品の『簪』が同映画祭の観客賞を受賞した。

また、2004年には、第54回ベルリン国際映画祭のフォーラム部門で「清水宏監督特集」、第28回香港国際映画祭でレトロスペクティヴ「清水宏101年記念展」が開催された。

同時期に活躍した小津安二郎や溝口健二と比べると現在でも知名度は不当に低いが、2007年、代表作の一つである『按摩と女』が、草?剛主演、石井克人監督でカヴァー作品『山のあなた〜徳市の恋〜』として製作されることが発表、2008年に東宝系列で公開された。




出典: 清水宏 (映画監督)
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




でも、知る人は知っているのでしょうね。



そうです。 だから、バンクーバー図書館にも清水監督の作品がDVDになって貸し出されているのだから。。。だけど一般的には小津さんや成瀬さんと比べると清水監督のカナダでの知名度は低いですよ。

なぜですか?

あのねぇ〜、「有りがたうさん」は「実写的精神」と呼ばれ、当時、絶賛を浴びたらしい。 つまり、全編ロケで撮っている。 要するに、自然の情景の中で、わざとらしいセリフ、演技、演出を除いて清水監督は撮影するのですよ。 「役者なんかものをいう小道具」だと監督は言っていたらしい。

役者の芝居くささを嫌ったのですか?

そうらしいですよ。 伊豆を中心に自然な情景を好んだようです。 だから、役者の演技で感心させるような映画にはならなかった。 それで、映画評論家の受けもよくなかったのじゃないか? 僕はそう思うのですよ。

。。。で、「有りがたうさん」はつまらなかったのですか?

いや、面白かったですよ。 面白くなければ僕はこの記事で取り上げなかったですよ。

どんな所が面白かったのですか?

もし1936年当時に見ていたとしたら、あまり面白くもない映画だったかもしれないけれど、75年後の現在観ると、失われた風景と失われた人情がバスの中と外にあるのが観ていて懐かしかったですよ。

失われた風景というのは判るような気がしますけれど、失われた人情ってどのようなものですか?

途中で結婚式に出席する夫婦が乗ってくるのですよ。 それから間もなくして、今度は「お通夜(つや)」に出席する男が乗ってくる。 そうすると結婚式に出席する夫婦が「結婚式に出席するのに、通夜に出席する人とバスで一緒に行くのでは、縁起がよくないから、ここで降ろしてもらって歩いてゆこう」と言って降りてしまう。 現在ならば、そのような事を考える人はいないでしょうね。

そうでしょうか?

だってぇ、山手線を考えてくださいよ。 そのような事を考えたら電車で結婚式には行けなくなってしまいますよ。

それもそうですわね。 (微笑) でも、山手線の中で、乗客がそのような話をしませんわ。

さらに、その続きがあって、通夜に行く男は、夫婦が降りて歩いてゆくのを見て、「オラが乗ってきたために、あの夫婦を降ろして歩かせてしまって申し訳が立たない。 オラもここで降りて歩いてゆくことにするべ」と言ってバスから降りて歩き出すのですよ。

確かに、そういう人も今は居ないでしょうね。(微笑)

当時は昭和の不景気の時代で、東京へ娘を身売りにだす母親と、その娘がバスの最後部に座っているのですよ。 





この上の写真の後ろ座席に座っているのがその娘と母親なのですか?



そうです。 待合所の茶屋で、身の上話を聞いて同情した親切なおばあさんが「バスの中で食べなさいな」と言って箱に入った羊羹を渡す。 バスが峠を越した頃に、その羊羹を母親が他の乗客の人たちに「おすそ分け」に一つづつ上げるのです。 





団体旅行の観光バスの中ならばともかく、普通の乗り合いバスの中でそのような事をする人は現在では、もう見かけませんよ。



そうですわね。

それで僕は思い出したことがあるのですよ。

何をですか?

同じような情景を僕は韓国へ行った時に見かけたのですよ。。。と言うよりも体験したのです。

いつ頃のことですか?

確か、1990年頃だと思います。

韓国のどちらへ行ったのですか?

バンクーバーから行田へ帰省したついでに九州旅行を思いつき出かけたのですよ。 でもねぇ、途中で気が変わって下関からフェリーで釜山へ行ったのです。

どうして九州旅行が釜山旅行になったのですか?

あのねぇ〜、新幹線の中で、たまたま歴史の本を読んでいた。 ちょうど「文禄・慶長の役」の話に興味を覚えたのですよ。

どのようなお話ですか?

普州城(チンジュソン)の戦いの時のエピソードなのですよ。


普州城の戦い



晋州城攻防戦は、文禄の役における2回の攻城戦。

朝鮮半島の晋州城、現在の晋州市)を守る朝鮮軍を日本軍が攻撃、文禄元年(1592年)10月4日から10日までの第一次晋州城攻防戦では朝鮮軍が守りきり、文禄2年(1593年)6月21日から29日までの第二次晋州城攻防戦では日本軍が攻城に成功した。

攻防戦の背景

開戦以来、快進撃を続けた日本軍は有効な朝鮮軍の抵抗をほとんど受けないまま約2ヶ月で平壌・咸興などまで急進撃をした。
漢城(ソウル)を起点に朝鮮各地へ展開していた日本軍であったが、慶尚道の釜山から漢城を結ぶ三路の後方基幹ルートの確保や全羅道方面に至る西進作戦には積極的でなく、朝鮮軍が活発に後方攻撃を繰り返すにつれて連絡路がしばしば遮断されることがあった。
このため漢城方面への補給が滞り、補給路の安全確保のために朝鮮軍の策源地と見られていた晋州城を攻略する必要が生じた。
それ以前の晋州城は釜山から漢城へのルートから外れていたため大規模な侵攻を受けていなかった。
また朝鮮では晋州城と平壌城が堅城との評価を受けていた。

第一次攻防戦

10月4日、咸安を経由して到着した日本軍の晋州城包囲が始まり6日より攻撃が始まった。
晋州城では金時敏を中心に昆陽県監・李光若らが指揮する約3800人の兵士に加え、多くの避難民が城内で防戦に努めた。
また城外では郭再祐の配下などの慶州道義兵約1200が日本軍の背後を攻撃し、7日の夜からは崔慶会・任啓英などの全羅道義兵約2500が到着して城外で遊撃戦を行った。
日本軍は一時攻城を中断して遊撃軍を牽制し、10日朝より攻撃を再開したが晋州城は容易に攻略できないと判断し、長期戦を厭って退却した。

第一次攻防戦における日本・朝鮮両軍の編成

細川忠興 3500人
長谷川秀一 5000人
木村重茲 3500人
新庄直定 300人
糟屋武則 200人
太田一吉 160人
等 総勢20000人

朝鮮軍

晋州城守備軍 3800人

第二次攻防戦

秀吉は約9万の晋州城攻略軍を編成し、前回の教訓から攻城正面は宇喜多秀家、加藤清正、小西行長などに担当させ、毛利秀元、小早川隆景を城外の遊撃対応の担当にした。

攻城戦前、晋州城東北方の星州一帶に明将劉綎は数万の明、朝鮮援軍を集結、その対応のため、第六軍の立花宗茂と小早川秀包とともに兵4千で星州へ行ったが、6月13日、劉綎配下の琳虎というの武将が明、朝鮮軍4万を率いて晋州城の西南の河東郡へ進軍、立花と小早川軍は転進して撃退している。
この戦闘については『懲?録』では明軍は朝鮮の救援要請に対して、動かなかったとあるので疑問がある。

対する守城側では意見がまとまらず、籠城を主張する倡義使・金千鎰(義兵)に対し、明軍は晋州城防衛に不同意であり、朝鮮軍でも方針は分裂し西人派は籠城を主張し東人派は消極的だった。
最終的に晋州城内へ集結した兵力は朝鮮軍約7000と避難民だけであった。

6月14日、日本軍は昌原より進撃を開始し、咸安を経由して宜寧に集結していた平安巡辺使・李賓(正字は草冠に賓)、全羅巡察使・権慄、全羅兵使・宣居怡などの朝鮮軍を敗走させた。

21日に日本軍は晋州城を包囲すると、攻城用の高櫓を作り、濠の水を南江に落とす土木工事を始める。
22日から本格的な攻城戦が始まり、以後城内は猛攻にさらされる。
東面からは加藤清正ら一番隊が、北面からは小西行長ら二番隊が、西面からは宇喜多秀家ら三番隊が攻撃し、毛利秀元の四番隊と小早川隆景らの五番隊は周囲の山に陣取り、城外からの遊撃部隊による襲撃を警戒した。
27日には宇喜多秀家が降伏勧告を行ったが朝鮮軍には容れられず、29日には亀甲車を用いて城壁を突き崩すと、黒田長政配下の後藤基次や加藤清正配下の森本一久らが先を争って突入し晋州城を攻略した。
軍民を巻き込んで落城した晋州城では倡義使・金千鎰、その子・象乾、慶尚右兵使・崔慶会、忠清兵使・黄進、晋州府使・徐礼元、義兵将・高従厚、金海府使・李宗仁、巨済県令・金俊民などの武将が戦死した。

晋州城攻略後の動向

晋州城を攻略した日本軍は直ちに全羅道へ進撃し、7月5日には求礼、7日には谷城へ進出し、明軍及び朝鮮軍を撃破した。しかし、南原の守りが堅いと見ると9日には晋州城へ撤退した。
この攻略戦以後、日本軍は和平交渉中の在陣のために朝鮮半島南岸に拠点となる城の築城を開始したが晋州城は守備範囲外とされ撤退時に破却された。

第二次攻防戦における日本・朝鮮両軍の編成
日本軍 92972人

第一隊 黒田長政・加藤清正・島津義弘・鍋島直茂等 25624人
第二隊 小西行長・細川忠興・宗義智等 26182人
第三隊 宇喜多秀家・石田三成等 18822人
第四隊 毛利秀元 13600人
第五隊 小早川隆景・立花宗茂等 8744人

朝鮮軍

晋州城守備兵 約7000人




出典: 「普州城の戦い」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




「文禄の役」に、こういう2回の激しい戦闘があった。



。。。で、デンマンさんを九州旅行から韓国旅行へと駆り立てたという歴史エピソードとは、どのようなものなのですか?

あのねぇ、第2回目の攻防戦で日本軍は勝った。 それで加藤清正をはじめとして武将やその家来が祝宴を開いたのですよ。 当然のことながら武将たちを喜ばせるために妓生(キーセン)がたくさん集められた。 その中に朱論介(チュ・ノンゲ)と呼ばれる女性がいたのですよ。





この人が論介(ノンゲ)さんですか?



そうです。 豊臣軍が「矗石楼」で祝宴の最中、論介(ノンゲ)さんもその祝宴の中に居た。 そこに俗に「加藤十六将」の一人とされる貴田孫兵衛(きだ まごべえ)という武将がいたのです。 鉄炮衆四十名を率いて従軍した。 孫兵衛の一族は、加藤家改易の後には細川藩士となっている。 この人は別名毛谷村六助の名で知られている人です。

有名な武将なのですか?

江戸時代の軍記本『豊臣鎮西軍記』に、貴田孫兵衛は前名を毛谷村六助といい、女の仇討ちを助太刀したという物語が載せられ、これが天明年間に人形浄瑠璃『彦山権現誓助剣(ひこさんごんげんちかいのすけだち)』として上演されて流行した。 その後、歌舞伎の演目にもなり、大正時代には映画化もされた。

この孫兵衛さんとキーセンの論介(ノンゲ)さんが関係あるのですか?

あるのですよ。 この祝宴の席で酔った孫兵衛さんを「矗石楼」の外の岩場に連れ出し、孫兵衛さんを抱きかかえて、共に南江の川淵に身を投げたというのですよ。





復讐のためですか?



おそらく身内の者や知人が晋州城の戦いでたくさん殺されたのかもしれない。 詳しいことは書いてなかった。

でも、それは事実なのですか?

朱論介(チュ・ノンゲ)さんが加藤清正の家臣の武将を酒に酔わせて共に身を投げたというのは事実なのですよ。 その証拠に今でも朱論介(チュ・ノンゲ)を祀った「義妓祠」という祠(ほこら)が建っている。





この祠の奥に上の論介(ノンゲ)さんの絵が掛けられている。 でも、相手の武将は孫兵衛さんではない可能性がある。



どういうわけで。。。?

大分県中津市には貴田孫兵衛の前名である毛谷村六助の墓がある。 地元ではこの地で62歳で亡くなったと伝えられている。 つまり、人形浄瑠璃や歌舞伎で有名になったので、1960年代に韓国の論介(ノンゲ)伝説と結び付けられ、晋州城で殺されたことにされたのではないか!?と言われているのですよ。 しかも歌舞伎になっている「彦山権現誓助剣(ひこさんごんげんちかいのすけだち)」では、女ながらも武道の達人である吉岡家の娘お園が、許婚(いいなずけ)の毛谷村六助の助勢を得て父の敵・京極内匠(たくみ)を討つ物語になっている。 それに、六助のモデルは宮本武蔵、内匠は佐々木小次郎と言われている。

いろいろとごちゃ混ぜになっているのですわね?

そうなのですよ。 朱論介(チュ・ノンゲ)さんは実在の人物なのだけれど、そのお相手になった武将は現在では伝説の人物になっている。 歌舞伎の主人公の六助は英彦山の山里毛谷村に育ち、樵(きこり)の生活と信仰の中から剛力と武芸を豊前坊天狗から修得したというのです。 やがて加藤清正軍の武将として文禄の役に出陣し、晋州城の攻略に奮闘したが、戦勝の祝宴で妓生(キーセン)の論介(ノンゲ)さんが身を捨てて六助を掻き抱き、共に南江の川淵に沈んだことになっている。

でも、その身投げした場所ははっきりしているのですか?

はっきりしているのですよ。 今でも「矗石楼」の近くに「義岩」として残っているのです。





。。。で、デンマンさんは、その真相を突き止めるために急遽(きゅうきょ)、九州旅行から韓国旅行に切り替えたのですか?



そうなのですよ。





下関で新幹線から降りて、関釜フェリーで釜山へ行き、丸1日釜山の名所を観て回って、翌日、フェリーで普州へ行ったのですよ。



それにしても、予定も何も無しでよく韓国へ出かける気になりますね。

あのねぇ〜、僕は人生の半分以上を海外で暮らしているのですよ。 カナダから比べれば、韓国は隣町のようなものですよ。 それに僕の祖先も小百合さんの祖先も百済からやって来たのですからね。 ふるさとを訪ねるようなものです。

。。。で、普州はどのような町なのですか?





小さな町だと思っていたけれど、結構、都会なのですよ。 驚いたのは日本語を流暢に話す人とたくさん出会いました。 考えてみたら戦前、小学生だった人は学校では日本語で教えていましたからね、昭和一桁生まれの韓国人たちは日本語がぺらぺらなのですよ。



それで朱論介(チュ・ノンゲ)さんの事をその人たちに尋ねたのですか?

そうです。 普州市の人は誰でも論介(ノンゲ)さんの事を知っていました。 とにかく「義妓祠」という立派な祠(ほこら)まで建っていて、その中には論介(ノンゲ)さんの絵までが祀(まつ)られているのだから、市民で知らない人が居ないのもうなずけましたよ。

。。。で、真相は判ったのですか?

出会った人に尋ねても論介(ノンゲ)さんの事を知っていても相手の武将の事まで詳しく知っている人は誰も居なかった。 詳しい人でも豊臣秀吉と加藤清正ぐらいしか知らない。 相手の武将は加藤清正だと言った人も居て、まるで真相究明にはなりませんでしたよ。 (爆笑)

それはそうと、デンマンさんの体験と言うのはどのようなものなのですか?

あのねぇ〜、釜山に帰るのにまたフェリーではつまらないので帰りは乗り合いバスに乗ったのですよ。

そのバスが映画に出てくる伊豆の山道を走るようなクラシック・バスだったのですか?

いや。。。道路もバスも現在の日本のものとほぼ変わらなかったですよ。 高速道路を走りながらバスの中から見る風景も広島県や山口県を新幹線の車窓から見た風景とそれほど変わっていたわけじゃない。

。。。で、何が変わっていたのですか?

あのねぇ〜、僕は一番後ろの窓際の席に座ったのですよ。 釜山までの長距離高速バスで田舎のおばさんやおじさんたちが乗っていて、8割がた座席が詰まっていた。 最後部の席には僕を含めて3人。 その真ん中に年恰好は、ちょうど映画に出てくる身売りされる娘の母親と同じぐらいのおばさんが乗っていたのですよ。 

着物を着ていたのですか?

いや。。。もちろん日本の着物などは着ていませんでしたよ。 チマチョゴリでもなかった。 日本の田舎で見かけるおばさんと変わらないような服装をしていましたよ。 もんぺのようなスラックスをはいてセーターを着ていた。

それで何があったのですか?

喉が渇いたのか袋を取り出して、おばさんはみかんを食べ始めた。 僕は別に物欲しそうに見ていたわけじゃないけれど、袋いっぱいにみかんが詰まっていた。 「喉が渇いたでしょう? あなたもお一ついかがですか?」 こう言って僕にみかんをくれたのですよ。 反対側の窓際に座っていたおばあさんにも一つあげましたよ。

日本語で話しかけてきたのですか?

もちろん韓国語ですよ。 僕はちょっと疲れていたので、そのおばさんとは始発のバス停から一言も言葉を交わしていなかった。

デンマンさんは韓流ブームで韓国語も勉強したのですか?

いや。。。僕は韓流ブームとは無縁ですよ。 でも日常会話ぐらいならば、何とか話せます。

それでデンマンさんは論介(ノンゲ)さんの事も尋ねたのですか?

いや。。。どうせ尋ねても加藤清正ぐらいしか出てこないと思ったから、僕はカナダに住んでいて日本のふるさとに帰省して、九州旅行に行くつもりが論介(ノンゲ)さんの事を知り、「義妓祠」にお参りに来たと話したのですよ。 そしたら、「わざわざカナダからやって来たのですか?」と、感激されましたよ。

マジで。。。?

だから、新幹線の中で歴史の本を読んでいて論介(ノンゲ)さんの事を知ったので、カナダからわざわざ出かけてきたのではないと念を押しましたけどね。。。(微笑) そうしたら、そのおばさんは日本語で話し始めたのですよ。 ぺらぺらですよ。 日本人と変わらない日本語を話すのですよ。 その人も昭和一桁生まれでした。

面白い話でも聞けたのですか?

聞けましたよ。 そのおばさんが小学生の頃は、もちろん学校では日本語だけだけれど。。。日本人と話す時には論介(ノンゲ)さんの話は禁物だと言ってました。。。で、僕の先祖は「白村江(はくすきのえ)の戦い」で唐と新羅の連合軍と戦い、百済が負けてしまったので九州に落ちのび、それから奈良に行き、挙句の果てに現在、東京がある関東地方まで下って、そこに落ち着いたのですよ、と話したらビックリしていましたよ。



『デンマンの祖先は百済からやって来た』

(2010年8月4日)




デンマンさんは、また上のお話を普州のおばさんにしたのですか?



いけませんか?

だってぇ、根拠があやふやじゃありませんか!?

でもねぇ〜、根も葉もない出鱈目(でたらめ)ではないのですよ。 ちゃんと海外飛躍遺伝子というものを小百合さんも僕もDNAに持っているのですよ。

それが根拠があやふやだと言うのですわ。

とにかく、おばさんは僕の話を聞いて2度ビックリしていましたよ。 「面白い話を聞かせていただきました。 喉が渇いたでしょうから今一つどうぞ。。。」ともう一つみかんをいただきましたよ。 (微笑)

でも「有りがたうさん」という映画から、どうして韓国の論介(ノンゲ)さんの話になるのですか?

あのねぇ〜、この映画の中にも白いチョゴリを着た、きれいな韓国の娘さんが出てくるのですよ。 たぶん、そのグループは朝鮮から徴用で日本へ連れてこられたのでしょうね。 伊豆の道路工事に従事させられ、お父さんが病気で亡くなり、これから他の工事現場に行くという事を、休憩中の運転手の“有りがとうさん”に話すのですよ。 「私は他の工事現場に行って、父はすぐそこのお墓に残してゆくけれど、たまには父のためにお花を供(そな)えてあげてくださいね」 朝鮮人の娘さんは“ありがとうさん”にそう言うのですよ。

。。。で、“ありがとうさん”は娘さんの願いを聞いてあげるのですか?

上原謙が扮する運転手さんは“ありがとうさん”と呼ばれるほどだから、村人たちの人気者で心の優しい人なのですよ。 それで、娘さんの願いを聞いてやるのです。

つまり、現在の日本で忘れられている義理人情のお話が映画の中にたくさん出てくると言いたいのですか?

その通りですよ。 小百合さんもレンタルショップで探してDVDを観てみるといいですよ。

そのうち時間ができたら探してみますわ。


【卑弥子の独り言】



ですってぇ〜
なんだか、あたくしも『有りがたうさん』を観てみたくなりましたわ。
あなたも、お近くのレンタルショップでDVDを探してみてはいかがでござ〜♪〜ましょうか?

デンマンさんの祖先が百済からやって来たというお話は眉唾物(まゆつばもの)ですけれど、面白いからぜひ次のリンクをクリックして読んでみてくださいまし。

『デンマンの祖先は百済からやって来た』

次回も面白い話題が続きそうでござ〜♪〜ますう。
あなたも、どうか、また読みに戻ってきてくださいね。
では。。。






ィ〜ハァ〜♪〜!

メチャ面白い、

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こんにちは。ジューンです。

旅は道ずれ世は情け

日本にはこのような諺がありますわね。

でも、最近の日本では危険が多すぎて

どこの馬の骨とも判らない人物とは

道ずれにはならないような雰囲気があります。

そうでしょう? うふふふふ。。。

英語にも、これにあたる諺がありますよ。

どのように言うか考えてみた事がありますか?

文字通りに英訳すれば次のようになります。

just as it is reassuring

to have a companion when traveling,

it is important for us

to care for each other

as we pass through this life.


もっと短く諺らしく言えば次のようになります。



No road is long

with good company.


あなたも、時には旅に出て

普段会えないような人たちと触れ合って

人の輪を広げてくださいね。

世界の平和と幸福のためにも。。。



ところで、デンマンさんと卑弥子さんが

宮城県鬼首(おにこうべ)温泉郷にある

吹上温泉の湯滝について書いています。

男女混浴の露天風呂なんですよ。

興味があったら次のリンクをクリックして

覗いてみてくださいね。

■ 『落ちる人が死んでから乗ってけーさい』

■ 『七夕の起こりって?』

では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。





2011年10月15日

悔恨の気おくれ (PART 1)

  
悔恨の気おくれ (PART 1)







Subj:グルメの小百合さんが

ウハウハ喜んで読めるような

グルメな記事を書きましたよう。

\(*^_^*)/ キャハハハ。。。




Date: 25/08/2009 9:34:01 PM
Pacific Daylight Saving Time
(日本時間:8月26日 水曜日 午後1時34分)
From: green@infoseek.jp
To: domini@yahoo.co.jp
CC: barclay1720@aol.com




“デンマンさんも秋ですね。”



そうです。。。そうです。。。
バンクーバーは小百合さんが言うようにめっきり秋の気配に包まれていますよう。
もう夏は終わりました!

今日、8月25日の最高気温は21度です。
ラーメンが食べたくなるような涼しさです。



ところで、小百合さんの「麦わら帽子」から『人間の証明』のことでたくさん記事を書きました。
小百合さんからインスピレーションをたくさんもらいました。
ありがとね。



『人間の証明 (2009年8月19日)』

『女の証明 (2009年8月21日)』

『母の証明 (2009年8月25日)』


森村誠一さんの経歴から熊谷生まれだと知り、
さらに、12歳のときに熊谷空襲を体験したということから。。。
僕の母校・熊谷高校をウィキペディアで調べることになったのでした。

旧制熊谷中学時代に19年間も教えた弘中又一先生が、なんと、『坊っちゃん』のモデルだったと知り、僕の興味も『人間の証明』から『坊っちゃん』に移って行ったのでした。

松山中学の生徒の間で歌われていたものに「教師数え歌」があるのです。
「一つ弘中シッポクさん」で始まっており、7番目に「七つ夏目の鬼がわら」とあるのですよう。
このシッポクとは、シッポクうどんのこと。



グルメの小百合さんのために、調べましたよう。
9月2日の記事の中で書きました、
題して『坊っちゃん再訪』

『坊っちゃん再訪 (2009年9月2日)』

熊谷時代の弘中先生の好物がどじょう。
それで「柳川鍋」も調べました。

小百合さんは、多分、泥鰌(どじょう)が嫌いでしょうね?





でもねぇ〜、「柳川鍋」はうまそうだよう。
うまそうな写真を載せてあるから、ぜひ読んでみてね。

子供の頃、お袋が「柳川鍋」風どじょうドンブリを作って食べさせてくれたけれど、
“うまい!”と思って食べたことはついに一度もありませんでした!

\(^▽^;)/ きゃはははは。。。
 
じゃあ、ゆっくりと読んでみてね。
小百合さんも、きっと、よだれが出てくると思うよう。

(//\/i/i__/)
(+'.'+)
(")_(")


じゃあねぇ〜






『弘中先生と熊谷 (2009年9月6日)』に掲載




デンマンさん。。。ずいぶん古いメールを持ち出してきましたわね。



以前の記事を読んでいたら急に懐かしいメールに出くわしたので、ここに書き出したのですよ。

その記事というのはどのような内容でしたの?

あのねぇ〜、僕が熊谷高校に入学してまもなく、行田地区の生徒が理科の実験室に集まって、新入生歓迎の談話会を催(もよお)したという話なのですよ。

面白そうですわね。

当時、高校三年生の春田少年が、大人も顔負けの話をしたのですよ。 僕も含めて新入生は春田さんの話にすっかり感心したものですよう。

それで、20年以上経っているのにデンマンさんはお話の内容をほとんどすべて覚えていたのでますか?

そうですよう。 僕はねぇ〜、大学に入ってから集まりがあって、何か話せと言われたら春田さんがしたような話を内容を少し変えて話そうと、そう考えて記憶にとどめていたのですよう。

。。。んで、お話しする機会があったのですか?

松下産業の新入社員研修で、その機会があったのですよう。 でも、どう言う訳か、その時はすっかり忘れていたのです。

それで、お話しする機会が無いままに、20年以上経って思い出した時に次の記事を書いたのですか?

『はなし (2005年4月7日)』

そうなのですよう。。。結局、今まで人前で話したことは一度も無かった。

それで今日は、デンマンさんが在学中に感銘を受けたユニークな先生のお話をしてくださるのですか?

うん、うん、うん。。。そうですよう。 実は、夏目漱石の『坊ちゃん』のモデルになった弘中先生が旧制熊谷中学で19年間も教えたのです。 松山中学では滞在期間が1年にも満たなかったのだけれど。。。

デンマンさんが在学当時でも、そのお話は有名だったのですか?

いや。。。聞いた覚えはあるのだけれど、それほど在校生が話題にする話でもなかった。

。。。で、当時の熊谷高校にも名物先生がいらしたのですか?

いましたよ。。。旧制熊谷中学・新制熊谷高校には、先生が長く留(とど)まるよう、そんな自由な雰囲気があったのですよ。 僕は“坊っちゃん”があこがれるような自由な雰囲気を在学中にマジで感じたものでした。

その自由な雰囲気とは。。。?

『坊っちゃん』の次の「あらすじ」を読めば見当がつきますよう。


あらすじ



旧制松山中学に赴任した

21才頃の弘中先生

(坊っちゃんのモデル)


人を小馬鹿にしたような赤シャツを着ている教頭「赤シャツ」、たくましい面構えの同僚教師「山嵐」、調子のいい芸人のような画学教師「野だいこ」など、個性豊かな教師たちと生意気な生徒たちに囲まれて始まった坊っちゃんの教師生活。
でも、わずか1ヵ月あまりで終わりを迎えます。
教頭の赤シャツと同僚の山嵐との争いに巻き込まれたのです。
出世ばかりを気にして教師に責任をなすりつける。うらでこそこそする。そんな赤シャツの振る舞いに怒った山嵐と坊っちゃんは、ついに、赤シャツと赤シャツに従う教師たちに立ち向かう決意をします。

赤シャツたちを待ち伏せした坊っちゃんと山嵐。
坊っちゃんは袂(たもと)から取り出した生玉子を野だいこの顔をめがけてたたきつけ、山嵐は赤シャツをさんざんになぐりつけました。
その夜、二人は学校を辞め、松山を離れます。
松山を離れていく船上で、晴れ晴れとした気分に浸る坊っちゃん。
生まれ育った東京に戻り、「漸(ようや)く娑婆(しゃば)へ出たような気がした」と、やっと煩わしさから解放された自由な気分に浸ったのです




『坊っちゃん再訪 (2009年9月2日)』より




つまり、弘中先生も自由な気分に浸りたかったのでしょうか?



そうだと思います。 「坊っちゃん」にとっても、弘中先生にとっても、町の雰囲気や学校の雰囲気に、窮屈で煩わしく、息苦しいものを感じて松山の教師生活を終わらせたのですよう。

。。。つうことわ、熊谷での生活は自由な雰囲気にあふれていたと言うことですか?

そう言う事です。 モデルになった弘中先生は、事実、19年間も熊谷中学で教えたのですからね。 弘中先生の愛した自由な雰囲気があったのに間違いないのですよう。

デンマンさんには、どうして分かるのですか?

だから、僕の経験した自由な雰囲気を書き出してみますよう。 まず手始めに英文法の先生と漢文の先生の話をします。


自由で開放的な

授業の雰囲気




英文法の先生で、とてもユニークな先生が居ましたよ。ユニークと言っても、このエピソードがあったから、僕はこの先生がユニークだと思うようになったのですよう。寺田先生と呼ぶ事にします。僕は名前を忘れてしまったのですよ。思い出せません。まだ入学して日の浅い頃でした。春から夏になる頃の話です。



その寺田先生は女性でござ〜♪〜ますか?

もちろん、男の先生ですよ。女性の先生は一人も居ませんでした。当時、埼玉県の有名校は別学だったのですよ。熊校(県立熊谷高校)は男子校でした。

その先生は、どのような感じの先生でござ〜♪〜ますか?

山岳部の顧問をしている先生でした。また、油絵を描くのが趣味でしたよ。どちらかと言えば寺田先生は、あまりパッとしない先生なのですよ。40代だったでしょうか。。。山岳部の顧問と言う響きから山男か?というと、そういう印象でもない。がさつな感じでもない。そうかと言って繊細で洗練されている印象でもない。ざっくばらんで自然体、と言う感じでしたね。

。。。んで、どのような事があったのでござ〜♪〜ますか?

いつものように、とりわけ変わった事もなく授業は進んでいったのですよ。僕は、寺田先生の教え方がうまいと思った事もなく、とりわけ魅力的な授業をする先生だ、と思ったこともない。いわば、いつもどおりにマンネリ化した、興味のあまり感じられない授業を進めていましたよ。

それで。。。?

ふと、先生は窓の外に眼をやったのですよ。当時の校舎は木造で、僕のクラスは学校で最も古い昭和の初期に建てられた木造平屋の教室だったのですよ。寺田先生は、しばらく黙って外を見ていた。生徒の幾人かは、オヤっと思って先生の目線の行き着くところを見定めるような風でした。でも、ほとんどの生徒は無関心に教科書を見たりノートに落書きをしているようでした。僕は先生が何を見ているのだろか?と思って窓の外を見たのだけれど、僕の座席からでは窓の外の風景は垣根と空だけしか見えない。

それで。。。?

先生は、感極まったように言ったものですよ。

“う〜〜ん。。。いい尻をしているなあぁ〜”

つまり、先生は窓の外を通る女性を眺めていたのですか?

そうですよ。生垣(いけがき)の向こうは砂利道になっていて、そこを女性が歩いてゆくのが見えたのでしょうね。僕の座席からでは人が通る様子は全く見えないのですよ。先生は窓辺に立っていたから見えたのでしょう。

それで。。。?

“オイ、いいケツだとよォ〜” クスクスっと笑って、僕の後ろに居た原島君などは、ポルノ雑誌を見たようなエロい笑いをもらしながら、僕の背中を小突(こづ)いたものですよ。教室の、そこここで、くすくす笑いが起こりました。先生も皆に聞こえるような声を出した事に初めて気づいたかのようにニヤニヤしながら、教壇の方に歩いてゆきました。

デンマンさんは、どう思ったのでござ〜♪〜ますか?

女性の尻を見て、その素晴しさに感極まるような感嘆を漏らす人が僕以外にもやっぱり居るものだ、と僕は半ば同志に巡り会ったような気持ちでしたよ。

つまり、高校1年生のデンマンさんは、すでに女性のお尻を見て“う〜〜ん。。。いい尻をしているなあぁ〜。。。”と、感嘆したことがあったのでござ〜♪〜ますか?

ありましたよ。声には出さなかったけれど、まさに声に出てしまうほど感嘆したことが何度もありましたよ。

。。。んで、そのように感嘆してしまう素晴しいお尻って、一体、どのようなお尻なのでござ〜♪〜ますか?

これは個人、個人によってだいぶ違うと思うのですよゥ。美意識の問題ですからねぇ。でも、卑弥子さんが僕にマジで尋ねるのならば、僕はシャロンさんの次の写真を見せる他に思い浮かびませんよう。





うふふふふ。。。このようなお尻が素晴しいのでござ〜♪〜ますか?



卑弥子さんは、同性として何か感じるものはないのですか?

確かにシャロンさんは、きれいな方だとは思いますわ。でも、特にお尻に魅力を感じる事はござ〜♪〜ませんわ。

そうですかぁ〜。。。でも、着こなしがセクシーだとか。。。そのように思うことはありませんか?

う〜♪〜ん。。。確かに、着こなしが洗練されていると思いますわ。でも、芸能人の写真を見るようで、身近な美しさを感じませんわ。

なるほどねぇ〜。。。そういうものですかぁ〜。。。確かに人体の一部に感じる魅力は人によって違うのでしょうね。寺田先生も、クスクス笑う生徒を見て次のように言ったものですよ。

“まだ、君らには分からないかもしれないなぁ〜”

「いえ、先生、僕には分かりますよ」 僕は手を上げて寺田先生に、そう言いたい衝動に駆られたものですよう。

そのようなエピソードがあったので、デンマンさんは寺田先生がユニークだと思うようになったのでござ〜♪〜ますか?

そうですよ。思っていても、なかなか生徒の前で口に出せるものではないですよ。それを自然体で感嘆し、自然に口に出す。凡人には、なかなかできない事だと僕はその時に思ったものですよ。考えてみたら、寺田先生は油絵をやりましたからね、当然デッサンなどで女性のヌードを描いていたと思うのですよ。

つまり、生垣の外を歩く女性を、寺田先生はヌードをデッサンするような目で眺めていたと。。。デンマンさんは、そう思うのでござ〜♪〜ますか?





そうですよ、常日頃から美術的に女性の美しさを見出そうとしているような習慣ができていない限り、授業中に窓から見えた女性の尻の美しさに感嘆できる人はまず居ないですよ。しかも、生徒の前で、自然に感嘆の言葉を漏らすのですからね。



その事がデンマンさんには、とっても感動的だったのでござ〜♪〜ますか?

そうですよ。ちょうど女性の美しさの話題が出たので、僕はもう一つ心に残るエピソードを思い出しましたよ。

また、女性のお尻でござ〜♪〜ますか?

いや、今度のエピソードは女性の体の一部ではありませんよ。歴史的に超有名な美人の話ですよ。

クレオパトラでござ〜♪〜ますか?

いや、中国の楊貴妃ですよ。このエピソードは、高校1年生の時の漢文の先生のことです。名前がどうしても思い出せません。仮に大島先生としましょう。当時50才を越していたと思うのですよ。校長先生にしても可笑しくないような貫禄のある先生でした。小柄な先生でしたが、威厳があって、どこと無く近寄りがたいオーラを感じたものですよ。

つまり、あまり親しみを感じるようなお人柄ではなかったのでござ〜♪〜ますわね?

そうです。見た目は怖い感じでしたよ。でも、大島先生は教え方が実にうまかった。これほど情熱を込めて教える先生を僕は見たことがありませんでしたよ。

デンマンさんは、何をそれほどまでに感動したのでござ〜♪〜ますか?

大島先生の『長恨歌』の授業ですよ。今でも一週間前の出来事のように鮮明に思い浮かべる事ができますよ。

どう言う所がそれ程素晴しかったのでござ〜♪〜ますか?

この先生自身が、若い頃『長恨歌』の授業に感銘を受けて漢文の先生になろうと決めた、と言うのですよ。だから、とりわけ『長恨歌』には思い入れがあったのでしょうね。実際、素晴しい授業でしたよ。僕も引き込まれるように、この先生の熱のこもった説明に魅了されたものでした。まるで人間国宝級の講談師が講釈をしているような熱の入れ方なのですよ。卑弥子さんも『長恨歌』を知っているでしょう?

もちろん、名前だけは知っておりますわ。でも、あたくしの専門は平安時代の源氏物語でござ〜♪〜ますから、中国文学はイマイチでござ〜♪〜ますわ。おほほほほ。。。


長恨歌(ちょうごんか)



華清池は秦の時代(前221〜前207年)から続く温泉地で、唐代(618〜907年)中期には玄宗皇帝がここに華清宮を建てた。
華清池の中には華清池という池があるわけではなく、この楊貴妃の像は九龍湖の中に立っていた。
(この時、2006年3月、池は改修中で楊貴妃像は引っ越して陸に上がり、花壇の真ん中に立っていた)

九龍湖は規模としては湖と言うより池である。
上の写真の奥には、九龍橋や龍石舫がある。
背後の驪山にはロープウエイが山頂に向かって伸びている。

中国の四大美人(西施,王昭君,貂蝉,楊貴妃)の1人として名高い楊貴妃が華清池で温泉に入り、皇帝の寵愛を受けたことで知られる。
1986年には2人が使用したと思われる浴槽が発掘された。
現在残っている建物は、清朝末期に西太后が築いたもの。

華清池があるのは西安市。
日本語読みでは「せいあん」
中国語では「しーあん」と呼ばれる。
中華人民共和国陝西省の省都であり、古くは中国古代の諸王朝の都となった長安である。

【解説】

長恨歌は中国・唐の時代、白居易(白楽天)によって作られた長編の漢詩である。
唐代の玄宗皇帝と楊貴妃のエピソードを歌い、平安時代以降の日本文学にも多大な影響を与えた。
806年(元和元年)、白居易(白楽天)が盩厔県(陝西省周至県)尉であった時の作。
七言古詩(120句)。

【あらすじ】

漢の王は長年美女を求めてきたが、どの女性にも満ち足りないものを感じていた。
ところが、ついに探し求めていた美女に出会った。楊家の娘だった。
それ以来、王は彼女にのめりこんで政治を忘れたばかりでなく、その縁者を次々と高位に取り上げる。

その有様に反乱(安史の乱)が起き、王は宮殿を逃げ出す。
しかし楊貴妃をよく思わない兵は動かず、とうとう王は兵をなだめるために楊貴妃殺害を許可する羽目になる。
結局、楊貴妃は殺されてしまった。

反乱が治まると王は都に戻ったが、楊貴妃を懐かしく思い出すばかりでうつうつとして楽しまない。
道士が術を使って楊貴妃の魂を捜し求め、苦労の末、ようやく仙界にて、今は太真と名乗る彼女を見つけ出す。

太真は道士に、王との思い出の品とメッセージをことづける。
それは「天にあっては比翼の鳥のように」「地にあっては連理の枝のように」
かつて永遠の愛を誓い合った思い出の言葉だった。

【史実との相違】

時代が唐代から漢代に変えられている。
長恨歌が発表されたのは安禄山の蜂起に始まった安史の乱が終結して間もなくのことであり、現政権に遠慮してのことであろう。
楊貴妃は、そもそもは玄宗皇帝の子息の一人の妃であった。
さすがに息子から妻を奪うのをはばかり、いったん道士となった後で玄宗の後宮に迎え入れられている。
太真は楊貴妃の道士時代の名。

【楊貴妃の美】

■ 「温泉水滑洗凝脂」「雪膚」

温泉の湯水がなめらかに凝脂を洗う、と表現されるように、むっちりとした白い肌の持ち主だった。 



■ 「雲鬢花顏」「花貌」「芙蓉如面柳如眉」

ふんわりとした髪の生え際、芙蓉の花のような顔だち、柳のようなほっそりとした眉、など顔のパーツも重要であったようだ。

■ 「侍兒扶起嬌無力」「金歩搖」

侍女に助け起こされてもぐったり、歩くに連れてかんざしがしゃらしゃらと揺れる、といった感じで、北宋ごろから流行しだした纏足(てんそく)という習慣にも見られるように、いかにもなよなよとした頼りなげな様子が女性らしいしぐさとして愛されたらしい。




出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




「漢詩」と言うのは、日本の若者の間では「浪花節」とか「浪曲」ぐらい人気が無くなっていると思うのですよね。卑弥子さんも『長恨歌』と言う名前は知っていても、内容までは良く知らない。。。そうでしょう?



デンマンさんは、大島先生の授業で聞いたお話を未だに感銘深く覚えていたのでござ〜♪〜ますか?

そうですよ。だから僕は中国に行ったら、ぜひとも古代中国の長安の都で楊貴妃に会いたいものだと思っていたのですよ。

それで、ついにその思いをかなえた訳なのでござ〜♪〜ますか?

そうなのですよ。ついに楊貴妃の像にお目にかかりましたよ。ちょうど小百合さんが中学生の頃『エマニエル夫人』を見て、その時の感動が忘れられずに、パリではなく、バンコクに行ったようなものですよ。





つまり、デンマンさんにとっては、エマニエル夫人よりも『長恨歌』の中の楊貴妃に、すっご〜♪〜く惹かれたのでござ〜♪〜ますか?

そうなのですよ。卑弥子さんだって知らずに、この『長恨歌』の影響を受けているのですよう。




『あっちかち (2008年3月25日)』より




面白いユニークな先生がいたのですわね。 うふふふふ。。。でも、タイトルには「悔恨の気おくれ」と書いてありますけれど、いったい何が「悔恨の気おくれ」なのですか?



あのねぇ〜、実は熊谷高校に在学している時に、ほろ苦(にが)いような、後悔が未だに心の片隅に残っている思い出があるのですよ。

もしかして。。。デンマンさんも教室から外を眺めている時に素敵なお尻に目が留まったのですか?

まさか!。。。素敵な尻とは関係ないのです。 確か1年生の時だと思いました。 このページの冒頭に現在の熊谷高校の正面玄関の写真を貼り出したけれど、僕が1年生の時にはまだ古い2階建ての校舎だったのですよ。 1年生時代の教室は大正時代に建てられたようなマジで古い校舎で、1階建てだったのです。 本館とは離れていて僕の居たホームルームの教室は一番西側にあった。 そこから本館の一番東側の脇玄関が見えたのです。

玄関が重要な意味があるのですか?

そうなのですよ。 休み時間だと思ったけれど、僕はぶらりと教室から出て本館の脇玄関が見えるところで日向(ひなた)ぼっこをしていた。

一人でですか?

他にクラスメートが居たという記憶がない。

それで。。。?

一人のお母さんが脇玄関の前で入ろうかどうしようかと迷っているのが目に入った。

その日は、父兄参観日でしたの?

いや。。。違いますよ。 なぜなら他に父兄は誰も居ないのですよ。 そのお母さん一人でした。 どうやら子供のことで先生に何か相談があるというような風情なのですよ。

でもどうして、そのお母さんの事が気になったのですか?

あのねぇ〜、かなり上品な和服を着ていた。 しかも、その姿には気品があった。 ちょうど原節子さんが和服を着ているような姿ですよ。

 (すぐ下のページへ続く)




初出: 2011年7月25日






2011年10月08日

白鳥はどこに?

  
白鳥はどこに?





デンマンさん。。。どうして白鳥のことなど持ち出してきたのですか?



あれっ。。。小百合さんは白鳥の思い出を忘れてしまったのですか?

白鳥の思い出ってぇ何ですの?

やだなああァ〜。。。僕にとっては忘れることのできない思い出ですよ。

だから。。。どのような思い出ですの?

あのねぇ〜。。。小百合さんがそのような聞き方をしたので僕はちょっと落ち込みましたよ。

その程度のことで落ち込むデンマンさんではないでしょう!? うふふふふ。。。

分かりました。。。とにかく次の小文を読んでください。 読めば小百合さんも思い出しますよ。




朝吹登水子さんが生前、夏を過ごしたという山荘“睡鳩荘(すいきゅうそう)”を小百合さんと見に行った時のことですよう。 現在、その山荘は中軽井沢の塩沢湖の畔(ほとり)に移築されて建っているのだけれど、その睡鳩荘の前で2羽の番(つがい)の白鳥が僕と小百合さんを出迎えてくれたのですよう。 もう。。。何と言うか。。。できすぎているとしか言いようが無いですよう! 小百合さんも、そう思いませんか?









でも、それって。。。やっぱり偶然だと思いますわ。



偶然にしては、できすぎていませんか?

そうですね。



もちろん、睡鳩荘の前で出迎えてくれた2羽の白鳥が行田の実家の近くに居た2羽の白鳥だったと言うつもりは無いですよう。。。でも、妙にロマンチックと言うか。。。違う白鳥だとしても、なんだか小百合さんと僕の再会を祝福してくれているようで。。。

デンマンさんって、何でも美化してしまうのですね?

いや。。。美化しているつもりではないのですよう。。。でも、これまで小百合さんとどこへ行っても2羽の白鳥に縁があるのですよう。

だから。。。それって。。。私は偶然だと思いますわ。

小百合さんは、ロマンチストではないのですね?

だってぇ〜、現実と向き合う時、夢のようなお話は消えてしまいますから。。。

しかし、これだけ白鳥との縁を思うと、なんとなく2羽の番(つがい)の白鳥が僕と小百合さんを象徴しているような。。。うしししし。。。そんな風に感じられるのですよう。。。小百合さんは、そう感じませんか?

別にィ〜。。。とりわけロマンに結び付ける気持ちはありませんわ・・・

そうですか。。。小百合さんは僕と再会できた事をそれほどロマンチックだとは思っていないのですね?

ロマンチックだと言う意味がデンマンさんと私では少し意味合いが違っているのだと思いますわ。 でも、私はデンマンさんと再会して十分に楽しんでいますわ。

ほう。。。そうですか・・・でも、ロマンチックではないのですか?

デンマンさんはロマンにこだわっているのですね?

そうですよう。 もう何度となく書いているけれど、小百合さんは僕にとって夢とロマンの女神なんですからね。

夢とロマンの女神

小百合さん、バンザ〜イ!




それって、絶対に私を美化していますわ。

小百合さんは僕の気持ちや考え方が分かっていますよね?

分かっているつもりですわ。 でも、ブログでこのように書いても、誰もこのような会話がデンマンさんと私の間でなされたと信じる人は居ませんわ。




『乙女の夢とロマン』より
(2008年11月22日)

『軽井沢再訪』にも掲載
(2011年9月14日)




小百合さんってぇ、マジでドライですね?



いいえ、私はとりわけ自分がドライな性格だとは思いませんわ。。。ごくありふれた中年女だと思いますわ。

いや。。。小百合さんは、ごくありふれた平均的な中年女ではありませんよ。

そうかしら?。。。カナダに13年間別荘を持っていたことが特別だとデンマンさんが言うのなら、私が普通の日本人のおばさんと変わっているのはそれだけですわ。

でもねぇ、ロマンを持っていなかったらカナダで13年間も別荘を持ちませんよ。

要するに何が何でもデンマンさんは私をロマンを持っている女と決め付けたいのですわね?

ロマンのない人生なんてつまらないでしょう?

でも、ロマンだけを持て暮らせるわけではありませんわ。

もちろんですよ。。。でもねぇ、現実の中にもロマンは転がっているのですよ。

そうかしら。。。?

次の小文を読んでくださいよ。


夢のような話



昨日、(2008年)10月30日はゆっくりしました。
僕は旅慣れているから、それほど旅の疲れは残らない。
でも、飛行機の中で一睡もしなかったから。。。
。。。で、何をしてたの?

ビデオを見飽きてオーディオの落語を聴いたあと、BOSSA NOVA特集を聴いたら
他に何もすることがなくなってしまった。
さて、何をしようか?

リモコンをしみじみと手にとって弄(いじ)り回したら、コンピューターゲームが付いていた!
機内で、初めてマージャンゲームを久しぶりにリモコン操作をしながら楽しみました。
これが面白くて、成田に着くまで夢中でハマッテしまいました!

帰りは機内ではマージャンだけをしようと思います!
うしししし。。。


成田に着くのがメチャ早すぎたと思って、
あと4時間ぐらい成田の上空で飛んでいてくれたらいいのにィ〜、とマジで思ったほどですよう!
それほどコンピューターゲームのマージャンが面白かった!

結局ゲーム疲れで、昨日はなんとなく首の後ろ辺りに少しばかり頭痛が残っていた。
でも、今朝は、もう元気いっぱいに目覚めて、メールをチェックしなければと思って、
いつものように「久下」近くの「ミルミル」にやって来たのですよう。



久下橋から見た富士山

やっぱり、日本へ来ると最も日本らしいと思うのは富士山を見ることですよう!
でも、今朝は空は完全な曇り空!
富士山はまったく見えない!

残念でしたア!

ところで、僕は「ミルミル」へ来る途中の橋の上から、
例年のように懐かしい“カモたち”を1年ぶりで見ようとしたのですよう。



そうなのですよう。バーナビーのDeer Lakeにはカモが仲良く泳いでいる。
そうです!この“鹿の湖”の畔(ほとり)に小百合さんの“山の家”があったのですよう!
(もちろん、今でもあります。でも、小百合さんは長期リースを解約したから、もう、この“山の家”の住人ではありません。)





小百合さんの“山の家”から眺めたカモを思い出すように、
僕は、いつものように橋の袂(たもと)に来ると
自転車を止めて川面を見下ろすのですよう。
1年ぶりです。

川といっても“どぶ川”のように小さなものですよう。
川幅は3メートルほどです。
付近には、まだ“田んぼ”がたくさんある!

毎年10月か11月に日本へ帰省すると僕はこの川面を見下ろしてカモが泳いでいるのを見るのが楽しみでした。

子供の虐待。
娘の監禁。
パワーセクハラによる中学校女教師の自殺。
嫌なニュースが多い日本の中に、このような自然がまだあって、カモがのんびりと泳いでいるのを見ると心が和(なご)むのですよね。
大げさに言えば、心が癒されるのですよう。
ゆったりと川面を泳ぐカモたちを10分ぐらい眺めたものでした。

ところが今朝は驚いたことに、白鳥が優雅に一羽泳いでいたのですよう。
僕は自分の目を疑いました!
白鳥?!
行田市近辺に白鳥が飛んでくるのか?
そんな事をこれまでに見たことも聞いたこともない!

しかし、間違いなく白鳥なんですよう!
僕は白鳥を何度も見たことがあるから、見間違いと言うことはない!
もちろん、野生の白鳥!

僕は行田市で白鳥をこれまで一度として見たことがない!
いや、埼玉県で白鳥を見たことがない!
埼玉県に白鳥が飛んで来るなんて聞いた事もない!



ところが間違いなく白鳥なんですよう!
夢じゃないのか!
もちろん、夢じゃない!
目の前に、5メートル下に、その白鳥が泳いでいる。

おそらく、小百合さんも信じることができないだろうし、
これを読んでいるあなただって、信じることができないでしょう!
デジカメを持っていればと僕は後悔したほどです。
でも、読んでいる人の中には野鳥研究家、あるいは白鳥研究家が居るかもしれません。

僕が白鳥を見た場所だけでも、ここにはっきりと書いておこうと思い立ったのですよう。



あんな小さな川が地図に書いてあるだろうか?
僕が以前に引用した地図を調べてみたら、
上の地図に載っていました!
この地図は次の記事の中で使ったものです。

■ 『ルート66のフライと小百合さん』

(2007年11月29日)

地図では左下に“下忍小”と書いてありますが、そのすぐ左に引いてある水色の線が僕が白鳥を見たという川です。
川の名前はわからない!
多分、無いのでは。。。?
川というよりも水田に水を引くための用水路です。
川幅は3メートル程でしょう。
上越新幹線がすぐ北を走っていますが
僕が見た場所は、その新幹線のすぐ南の橋の下です。
県道ルート66(20年程前には“産業道路”と呼ばれていた)とその用水路が交わる所です。
その橋の上から、いつものように川面を見たら白鳥が優雅に泳いでいたのですよう。
まったく夢のような話です。




『小百合さんとの再々会』より
 (2008年11月2日)

『懐かしい久下橋』にも掲載
(2009年5月19日)




僕は、この時生まれて初めてふるさとの行田市で白鳥を見たのですよ。



白鳥を生まれて初めて見たことがそれほどロマンチックなのですか?

もし、それがロマンチックでないのなら、少なくとも感動的ではありませんか?

そうかしら?

だから、そのような淡白な受け留め方を見ていると、小百合さんがマジでドライだと思うのですよ。 でもねぇ、実は、心の奥にロマンを求めている小百合さんが居ると僕には思えるのですよ。

そのように考えながらデンマンさんは自分勝手に私を美化しているのですわ。 私は現実的な女ですわ。

小百合さんは、そのように自分のことを考えているけれど、しかし、客観的に小百合さんの生き様を見ていると僕はロマンを感じるのですよ。

つまり、その事を言うためにこの記事を書き始めたのですか?

いや。。。その事だけではありません。 あのねぇ、日本ではロマンを持ちにくい世の中になっていると思ってね。

どう言う訳で。。。?

先日、僕は小百合さんにメールを書きました。 読んだでしょう?





件名:ワカメとシメジが入っている

味噌汁は「お袋の味」でした

きゃはははは。。。

♪┌(・。・)┘♪




日付: Tue, Oct 4, 2011 8:51 am
(日本時間)
差出人: "denman@coolmail.jp"
宛先: "sayuri@hotmail.com"
CC: "barclay1720@aol.com"


今日、火曜日(10月4日)行田は快晴ですよ。
これ以上素晴らしい秋晴れはないと思えるほどすっきりと晴れ渡った良い日です。
きゃはははは。。。
インターネットカフェ「自遊空間」は、つぶれていると思っていたのだけれど、やっていましたよ。
うれしい驚きでした。

今朝は5時50分に目が覚めてNHKの「おはよう日本」を見ながら朝食を食べました。
お袋が作っておいてくれたワカメとシメジが入っている味噌汁は「お袋の味」でした。
久しぶりに。。。つうかァー、1年ぶりに納豆を食べましたよ。
うまかった!



実家に戻っているのだという思いをしみじみと噛み締めながら朝ごはんを済ませたのでした。
それから散歩がてら、ゆっくりと自転車をこいで「自遊空間」へやって来たのです。

金曜日(9月30日)には1年ぶりに小百合に会えて、また10年若返ったような気がしますよ。
うしししし。。。
それにしても日本は大変ですよね。
東日本大震災と津波の被害、それに福島の原発問題。

ゆうべ鶴瓶の「家族で乾杯」を見たら、ちょうど宮城県の塩釜市で元プロ野球の佐々木選手と鶴瓶が被災者と再会しているエピソードを放送していました。
災害にもめげずに元気で明るく頑張っているのを見ると、ほっとさせられますね。





あの津波災害、それに原発事故はバンクーバーのカナダ人の友人たちもかなりの衝撃を受けていましたよ。
津波のYouTubeを見て僕のカナダ人の友人たちは誰もが衝撃を受けた様子で僕にいろいろと訪ねてきたものです。
他人事とは思えないというような表情を浮かべて心配していたものでした。

もちろん、僕の家族や親戚はほとんどが埼玉県に住んでいるから直接の被害は受けていなかったのだけれど。。。、
それでも、3.11の地震では天井から垂れている蛍光灯がすごく揺れたと言って、今でもお袋が驚きの表情を浮かべて話しますよ。

僕の直接の被害と言うならば、あの福島原発の放射線の汚染です。
行田に帰省した翌日の「おはよう日本」を見ていたら行田市の浄水場の残滓物が規定以上に汚染されていて捨てるに捨てられず青いビニールシートか何か被(かぶ)せられて一時保管されていましたよ。
放射線セシウムが雨水に含まれ、それが行田市の浄水場で飲み水にされる。
でも、その為に浄水された後に残った残滓物には規定以上の放射能が蓄積されている。



考えてみれば、つうかァー、厳密に言えば、行田市の飲料水も汚染されているわけですよ。
危険な基準値以下だから人体に及ぼす影響がないとニュースでは言っているけれど、
これだって、人体内にやがて蓄積されて、数十年すれば人体内に影響が出てくるのは明らかなことですよ。
僕はバンクーバーに戻るから行田市に長年住む人と比べれば放射線セシウムの影響は受けないだろうけれど、行田市に長年住む人には確実に放射線セシウムの影響が出てくる。

この問題はもっと深刻に考える必要があると僕は思いますね。
今後、日本に長年住む人はマジで深刻に考える必要がありますよ。
小百合さんだってそのうちの一人です。

叔母も、その重要性に気づいて心配していたけれど、
「でも、仕方がないわよねぇー」と諦めていました。
日本人の悪い面ですよ。
「仕方がない」「デモなんてしたって日本政府は動かない」「長いものには巻かれろ。。。諦めるしかない。。。」

カナダなら、アメリカなら、市民はもっと深刻に政府や東電に対して抗議しますよ。
ちょうど、ニューヨークで若者たちが、ごく最近、貧富の格差や経済の混乱に対してデモをかけたように。。。
ニューヨークのデモが全米に広がりを見せています!

日本の市民も、もっと草の根運動で政府の施策や態度に対して抗議行動をとるべきだと思いますね。

だいたい、原発などは危険きわまりない!
即刻、日本で稼動している原発をすべて廃止すべきです!

このような事を小百合さんに話したとて、どうせ「でも、仕方がないわよねぇ」と叔母と同様な答えが返ってくるでしょうね。
うへへへへへ。。。

僕も、1ヵ月後にはバンクーバーに戻るから、どうでもよいことなんだけれど、しかし、僕の家族は行田市でこれからも長年にわたって暮らしますからね。
だから、僕はブログでこの問題について考えてゆこうと思っていますよ。

不吉な話はこれぐらいにして。。。
とにかく、日本の自然は巣晴らしい。
この素晴らしい日本の自然を放射能で汚染して欲しくない!





放射能汚染がひどくなる前に、また「さきたま古墳公園」の休息パビリオンで小百合さんと一緒に“アイリッシュ・クリーム・コーヒー”を飲みましょうね!





すでに飲んで見ましたか?
小百合さんも懐かしいでしょう?!
今度はパビリオンの向かいにあるうどん屋で「田舎っぺうどん」を小百合さんと一緒にぜひ食べたいものです。



子供のことで小百合さんは、いろいろと頭を悩ませているようだけれど、たまには息抜きをするつもりで、癒しも兼ねて、のんびりと“アイリッシュ・クリーム・コーヒー”の味をを楽しんでね。
それに、思い出を作る愉快なプランも考えておいてね。
楽しみにしています。
じゃあね。。。

(V__/)
(+'.'+)
(")_(")







『日本は汚染される』より
(2011年10月4日)




読ませていただきましたわ。



だったら、僕の言おうとしている事が分かるでしょう?

ワカメとシメジが入っている味噌汁がロマンと関係しているのですか?

やだなああァ〜、違いますよ。 日本の自然が放射能で汚染されているのですよ。 今朝ねぇ、自転車をこぎながら白鳥を見た用水路の橋の上で止まって川面を5分ぐらい眺めたのだかれど、鴨は12匹ぐらい気持ち良さそうに泳いでいたのに白鳥の姿が見えない。

まだシベリアから渡って来てないのですわ。

そうだといいのだけれど、放射能の汚染、自然の破壊が広がっているので白鳥が日本ではなく韓国の方へ行ってしまったのではないか? 昨日のニュースを見ていたら千葉県の君津市で、原木を使って栽培したシイタケを調べたら放射性セシウムが1Kgのシイタケに 734ベクトル見つかった。 つまり暫定基準値以上の値だそうですよ。

放射性物質に汚染されているということですか?

そうですよ。 行田市だって浄水場の残滓物が規定以上に汚染されていて捨てるに捨てられずに困っている。 つまり、川の水や飲み水も放射性物質に汚染されている。

白鳥が放射性物質を避けるために今年は用水路にやって来ないのではないかと、デンマンさんは考えているのですか?

そう考えると、なんだかロマンチックではありませんか!? (微笑)

ちっともロマンチックではありませんわ! (苦笑)

あのねぇ、とにかく東日本は神奈川県から東北地方すべてに渡って多かれ少なかれ汚染されていますよ。 この汚染が全国規模で広がるのは時間の問題ですよ。

要するに日本にある原子力発電所はすべて閉鎖すべきだとデンマンさんは考えているのですか?

あのねぇ、どのように防ごうとしても必ずまた同じような原発事故が起こります。 可能性は大いにある。 米谷ふみ子さんは、すでに10年以上前に原発事故の危険性を次の本の中で警告していたのですよ。


石原「元帥」の人気を憂う



石原慎太郎東京都知事が2000年4月9日、陸上自衛隊練馬駐屯地で「不法入国した多くの三国人、外国人が非常に凶悪な犯罪をですね、繰り返している。 もはや東京における犯罪の形は過去と違ってきた。 (中略) こういうものに対処するには、なかなか警察の力をもっても限りとする。 ならばですね、そういう時に皆さんに出動願って、都民のですね災害の救援だけではなしに、やはり治安の維持も、一つ皆さんの大きな目的として遂行していただきたい」などと発言した、と新聞で読んだ時、私はアメリカにおける少数民族の自分をそれに当てはめてみて身震いをした。

 (中略)

この後、真夜中に大阪で迷い回ってやっと摑まえたタクシーの私ぐらいの年恰好の運転手が石原知事の発言を誉めたもんで、「あなたは戦争を覚えているでしょ。 彼のような国粋主義者が天下を取って、兵役を敷いたら、あの人に投票した人はみな年齢を問わず兵隊に行ってもらうから」と怒鳴ったら、彼は「へえ、行きまっせ。 国のためやったら敵ぐらい何ぼでも殺したる」と言ったので私は恐ろしくなって降りようと思ったが、真夜中に不案内なところでタクシーを摑まえるのも怖いしで、そのままホテルに着いた時も怒鳴り合いの最中だった。 ドアマンがいなかったのが幸いだった。

(注: 赤字はデンマンが強調
写真はデンマン・ライブラリーより)
 



44 - 46ページ
『なにゃ、これ? (アメリカと日本)』
著者: 米谷ふみ子
2001年6月5日 第2刷発行
発行所: 株式会社 岩波書店

『あなたの平和な日々』に掲載
(2011年9月7日)




でも、この上の文章の中では原発事故のことに触れていませんわね?



そのうちに書こうと思いながら原発事故の箇所をメモしておかなかったのですよ。 バンクーバーに戻ったら、また原発事故について書こうと思うのですよ。

どうして日本では書けないのですか?

本がないでしょう?

行田市の図書館で借りればいいではありませんか?

あるかなァ〜?

探せばありますよ。 司書の人に尋ねればすぐに分かるではありませんか! ネットで行田の市立図書館のカタログを調べることもできるのではありませんか?

そうかもねぇ、調べてみますよ。

ところで、デンマンさんはマジで旧吹上町のインターネットカフェ「自遊空間」で、この記事を書いているのですか?

そうですよ。 次の画像を見てください。





この上のスクリーンは次のリンクをクリックして表示させたものなのですよ。



『From Gyoda to Vancouver』

(2011年10月6日)




上のページの下の方にたくさんのリンクが貼ってある。 その中から次のリンクをクリックしたのです。



『Livedoor Blog - 徒然ブログ』



ライブドアのデンマンさんの『 徒然ブログ』を開いたのですか?



その通りです。





Feedjit のリストの中にデンマンさんのアイコンが表示されてますわね。



そうです。 詳しいリストは次のようなものです。





http:/denman705.wordpress.com/ をクリックして『徒然ブログ』を開いたということですか?



その通りです。

でも、これだけではデンマンさんがインターネットカフェ「自遊空間」で記事を書いているということが判りませんわ。

だから小百合さんが分かるように次の画面をソフトカメラで撮りましたよ。 じっくりと見てください。





ツールバーのすぐ下に「自空ポータル」と書いてあるでしょう! これが「自遊空間ポータル」で、いわば「自遊空間」専用のメニューです。 その隣のDMMチャネルというのがアダルト映画を見るための年齢認証ページです。 つまり、上のページが年齢認証ページですよ。



要するにデンマンさんはアダルト映画を観たのですわね?

いや。。。それが目的ではなくて、小百合さんの疑問に答えようとして、たまたまアダルト映画のページをソフトカメラで撮ったのですよ。 うへへへへへ。。。

。。。で、どのような映画を観たのですか?

次の映画ですよ。







あらっ。。。これってぇ、かなりエロいですわね?



小百合さんは、そう思うのですか?

だってぇ、そうとしか思えませんわ。。。で、どうして上の映画に惹かれたのですか?

「悶絶美熟女」というキャッチフレーズに惹かれたのですよ。 それに、この志村玲子というAV女優が小百合さんに似ているように見えたのですよ。

夢とロマンの女神

小百合さん、バンザ〜イ!






つまり、ヒロインが私だと想像しながらデンマンさんは上のアダルト映画を観たのですか?



いけませんか?

要するに、デンマンさんのロマンは私を「悶絶美熟女」としてイメージすることなのですか?

いや。。。僕は、そのように意識して観たわけではないのですよ。 ただ、放射性セシウムの汚染よりもずっと健康的だと思いながらじっくりと鑑賞しました。 (微笑)


【卑弥子の独り言】



ですってぇ〜。。。
確かに、放射性セシウムの汚染よりもずっと健康的だと思うのでござ〜♪〜ますわ。
でも、小百合さんにしてみれば、迷惑なことでしょうね。

だけど、どうしてデンマンさんは小百合さんではなく、あたくしを想い描きながらロマンに浸ってくださらないのでしょうか?
とにかく、また、次回が面白くなりそうですわ。
あなたも、どうか読みに戻ってきてくださいましね。
じゃあ、また。。。






ィ〜ハァ〜♪〜!

メチャ面白い、

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こんにちは。ジューンです。

チェルノブイリ原発事故は、

1986年4月26日に起きました。

後に決められた国際原子力

事象評価尺度 (INES) において

最悪のレベル7(深刻な事故)

に分類される事故です。

他にレベル7に分類される事故が

2011年の福島第一原発事故です。

ですから、福島第一原発事故は

大変な事故なのですね。

2000年4月26日の14周年追悼式典での

発表によれば、

ロシアの事故処理従事者86万人中

5万5000人が既に死亡しているのです。

さらにウクライナ国内(人口約5000万人)の

国内被曝者総数342.7万人の内、

作業員は86.9%が病気に罹っています。

また、周辺住民の幼児・小児などの

甲状腺癌の発生が高くなっているのです。

IAEAの記録によると、

この事故による放射性物質の放出と

それに伴う汚染は広島に投下された

原爆による汚染の約400倍だそうです。

いずれにしても福島原発事故の影響は今後も

関心を持って見守ってゆく

必要があると思いますわ。

あなただって、そう思うでしょう?



ところで、卑弥子さんが面白い記事をまとめました。

時間があったらぜひ読んでみてくださいね。

■ 『笑って幸せな気分になれるサイト』



では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょう。

じゃあね。






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