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2012年01月21日

ブチギレる時(PART 2)


  
ブチギレる時(PART 2)



それで、あんさんは最後には支店長代理にピストルを突きつけて脅迫しやはったん?



そないな愚かな事をするかいなア!。。。支店長が堅物だと、規則を破ったことがバレて支店長代理がクビにされる可能性も無いとは言えへんから「家族を路頭に迷わせる覚悟で30万円を出せ!」とは言えへんかった。

つまり、あんさんは諦めはったん?

しゃあないやないかいなァ。 わては仕方なく、近くの「埼玉りそな銀行」の行田市店の口座から当座の費用に当てる5万円を引き出して間に合わせたのやァ。


(risona02.jpg>)



それで10日後に取りに行きはったん?



そうやァ。 その時の対話も、めれちゃんに読んで欲しいねん。




あなたは口先だけで誠意の無い人ですね。



デンマン様は、どう言う訳でそのような事をおっしゃるのですか?

あのねぇ〜、あなたは僕の話を聞いてよく理解することができたと言ったではありませんか!

その通りです。 そう申し上げました。 実際、デンマン様のお話はもっともだと納得できました。 しかし、日本の銀行にはルールや規則がございまして。。。

カナダの銀行にもありますよ。 しかし、あなたのように融通(ゆうずう)の利(き)かない支店長代理は少ないですよ。 支店長でも、もう少し誠心誠意を込めて客に対応するものですよ。

。。。と申しますと。。。?

あのねぇ〜、次のような事があったのですよ。


本当に法の下で

平等になっているか?


日本国憲法の下では、日本人は法人も含め、法の下に平等です。
例え国を訴えても、日本国憲法の下では公人も私人も平等です。
法律的にはそうなっています。

しかし、現実には“縦社会”の日本は、なかなかそのようにはゆかない。
なぜなら、江戸時代の“負の遺産”である身分制度の名残があって、上で僕が説明したように“縦社会”に生まれ育ったスマットさんは無意識のうちに“縦社会”的思考にすっかりはまっています。

じゃあ、“横社会”では

どうなっているのか?


僕のエピソードをここでお話します。
カナダには全国に支店網を持っている大きなカナダの銀行が7つあります。
その一つがノバ・スコシア銀行です。

バンクーバーのロブソン・ストリートの支店に僕はアカウントを持っているのですが、ここで働いている女子行員と借入金の限度額について交渉していた時の話です。
担当の女性は“オフィサー”という肩書きを持っていましたから、日本流に言えば個室を持っている課長級の人でしょう。

ところが、電話したのに折り返しの返事はよこさない。
僕がその事を追求したら、対応の仕方がふざけている。
僕と電話で話している最中に、同僚と冗談言って笑ったりしている。
僕が常識を持ち出して相手の非を説明したのに全く取り合おうとしない。

僕はかなり頭にきたので、本社の人事・教育担当の副社長にタラタラと苦情の手紙を書きました。
要するに訓練・教育の不行き届きですよ!と書いたわけです。
“お上”にお伺いを立てたのではありません。
僕と法の下で平等同等な副社長の責任を追求したのです。

もちろん僕はその副社長と面識はありません。
彼は僕の事も知りません。
でも、2ページに亘(わた)る丁重な手紙をもらいました。
翌日、支店長から謝罪の電話をもらいました。

つまり法の下での平等ですよ。対等ですよ。
どこの馬の骨だか分からないような僕が手紙を書いたからって、無視しません。


(hitler2.gif)

ところが“縦社会”では、このようには行きません。
ナイトメア・ネッツ(仮名)というブログサービスを運営している会社があります。
中国地方の小さな会社ですよ。
この社長がナイトメア・ブログの管理人をしています。

もちろん、“お上” の “縦社会思考” にどっぷりとつかっている“田舎侍”は“武士気取り” で “問答無用!”と言って、僕のブログを丸ごと“切り捨て”てしまいました。

問答無用!のあとの削除です!




『縦社会と横社会 (再考)』より
(2006年2月25日)




つまりねぇ、客の言うことがよく理解できたのならば、それなりの行動で誠意を示してくださいよ。 あなたは口先だけで全く誠意がありませんよ!



そうでしょうか?

確かに、あなたはこうして僕に粗品のサランラップとテッシュ・ペーパーをくれたけれど、こんなのは「貯金加入キャンペーン」の時にお客さんに配った時の余り物でしょう!? 何も貰わないよりはいいかもしれないけれど、僕としては、こんな物よりも30万円を一日でも早く引き出すことが重要なのですよ。 ところが、あなたは僕の要望を知っていながら本社に電話して「できるだけ処理を早めるように。。。」と言ってない。 どうですか?

。。。

黙っているところを見ると言ってないのでしょう!? だから、あなたには誠意が無いと言ったのですよ! 僕が諦めて出て行ったので、それ以上の事をあなたはしなかった! ところがノバ・スコシア銀行の本店の副社長は僕の返信に丁寧に手紙を書き、支店長は僕に電話をかけて寄越して誠意を示した。 それに比べると、あなたは口先だけですよ。 本店に電話して1日でも2日でも僕のために処理を早めてもらう。 そうすべきだったのですよ! 2時間半近く僕の話を聞いて「理解した」と言いながら、あなたは何もしなかった。 きっかり10日後に通帳が届いた。 それも僕が支店まで取りに行ったのですよ。 規則はねぇ〜、人の上に君臨するものではないのですよ!




あんさんは支店長代理に向かって、こないな事まで言わはったん?



あのなァ〜、相手が支店長代理やろうが、支店長やろうが、副社長やろうが、会長やろうが。。。言うべきことは言わんと、ヒトラーみたいな愚か者が世にのさばってくるねん。


【レンゲの独り言】



ですってぇ〜。。。
怖いですわア〜!
このような事まで書かれては尾花 隆様は迷惑すると思うのです。

でも、「ブログに書きますから」と言うデンマンさんに「どうぞ。。。、構いません」とおっしゃったのですから覚悟があったのでしょうね。
あなたは、どう思われますか?
ぜひ、コメントに書いてくださいね。

ええっ。。。IPアドレスを書かれて反論されるので、とても書く気にならないのですか?
あなたも、意気地の無い人なのですわね?

ええっ。。。「デンマンは非常識だから付き合いきれない」と、おっしゃるのですか?
うふふふふふ。。。
確かにデンマンさんは平均的な日本人ではありませんわよね。

とにかく、次回も興味深い話題が続くと思います。
また読みに戻ってきてくださいね。
じゃあ、また。。。






ィ〜ハァ〜♪〜!

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こんにちはジューンです。

日本の金融業界は1980年代に

驚くべき発展を遂げました。

バブル景気を迎えると、

日本のビジネス界の権力構造も変わってきました。

証券業界や建設業界、

それに不動産業界が台頭する一方で

経団連や銀行の地位が下がってきたのです。

ビジネス界の力関係が急速に変化すれば

既存の体制までが変わってしまうと、

財界のドンと大蔵省の上層部は

不安を掻き立てられました。

それで大蔵省の証券局が

野村證券スキャンダルの仕掛け人になったわけです。

ところで、卑弥子さんが面白いサイトを

やっています。

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とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょう。

じゃあね。バーィ





2012年01月16日

レモン戦争

 
 

レモン戦争






レモンほど政治がらみの食品はなかった。
その「政治」が、私たちの健康を害している。

 (中略)

1990年春、カリフォルニアで何日も待った後、サンキストのレモン処理場を見学することができた。
そこでは、コンテナで運び込まれたレモンは、塩素剤のプールに落とされ、引き上げられるとアルカリ剤で洗われ、さらに植物ホルモンの2・4-Dをスプレーしてから、冷蔵倉庫に入れていた。
2・4-Dは、ベトナム戦争で用いられた枯葉剤の主成分で、発ガン性のある農薬だ。



一方、倉庫から出してきたレモンには、発ガン性カビ剤のOPP、催奇形性のある防カビ剤TBZをかけて出荷していて、そのシーンを写真とビデオに収めることができた。

日本でレモンを買って検査すると2・4-Dが検出された。
そのデータをつけて、8月に映像を公表したら大問題になり、レモンの価格は暴落した。
日本人は忘れやすいから、通常なら3ヶ月で価格は元に戻る。

だが、われわれが『ポストハーベスト農薬汚染』というビデオを製作してアピールしたところ、レモンの価格名なかなか上がらず、消費量は回復しなかった。

農薬オレンジジュース!?

(ポストハーベスト農薬)




当時は、日本で売られているレモンはすべてサンキストだったから、一社だけが大損したわけである。

1994年にサンキストの会長が来て1300億円も損したと、日本子孫基金を非難して回った。
しかし、損害賠償請求などの措置はとらなかった。
自分たちが日本の食品衛生法に違反しているのだから、そんなことはできなかったのだ。

 (中略)

最近では、香料が違反添加物と認定され、食品の大回収事件が起きた。
違反香料は、自然界にも存在する物質で、しかも微量なので、検査しても添加したのかどうかわからない。
それが、内部告発で違反使用が判明し、大回収事件になったのである。

アメリカも EU も、FAO や WHO の専門家委員会もこの香料を認めていて、安全性に問題がないことがわかっていても、回収されたのだ。

それに対して、2・4-Dは、発ガン性や催奇形性のある違法な有害物質である。
レモンの木にかけると枯れる除草剤だから、レモンの実から検出されたのは、収穫後に使用されたものだ。

しかし、厚生省は、規制するとアメリカから政治的は反発を食うので違反にはしなかった。


マスコミでは「日米レモン戦争」と書かれたが、日本側は市民団体とマスコミが違反レモンを追求し、日本政府は何もしなかったのである。

赤字はデンマンが強調。
読み易いように改行を加えました。
写真はデンマン・ライブラリーより)




94-95ページ
『食べるな、危険!』
著者: 日本子孫基金
2002年12月20日 第5刷発行
発行所: 株式会社 講談社




ケイトー。。。昨日(1月15日)は「スカートをはいた兵隊」で今日は「レモン戦争」なのォ〜?



いけませんか?

また、スカートの話が出てくるの?

いや、今日はスカートの話は全く関係ないのですよ。 「レモン戦争」と言っても実際に人が殺されたわけではないのです。 でも、昨日の話と少しは関係あるのですよ。

どのようなところが。。。?

次の箇所ですよ。






乱歩先生が書いた小説『お勢登場』は映画の中では発禁処分にされているのだけれど、実際には『大衆文芸』の1926(大正15)年7月号に掲載された。 この時期は「大正デモクラシー」の言わば最後の年ですよ。



「大正デモクラシー」って何よ?

1910年代から1920年代にかけて、つまり、大正年間に日本で起こった、政治・社会・文化の各方面における民主主義、自由主義的な運動や風潮や思潮のことですよ。 それがやがて軍国主義になってゆき、映画"The Mystery of Rampo"の中で描かれているような愚かな言論統制をやりだす。 ところが統制の真っ只中にも拘わらず丸亀連隊報道部の香川進大将や大本営の永井八津次・大佐のような良心的な人が居た。

だから。。。?

それにも拘らず日本では愚かな言論統制をやったり、何よりも太平洋戦争という負けるのが判りきったような戦争を無理矢理始めてしまった。

どうして、そうなってしまったの?

つまり、丸亀連隊報道部の香川進大将や大本営の永井八津次・大佐のような良心的な人がもっとたくさん居たのだけれど、時代に押し流されるままに声を上げなかったのですよ。

だから。。。?

だから、正しいと思う事は、そう思っているうちに言わなければならない。 そうしないと、悪い奴の言う事がだんだんと正論になってしまう。 だからこそ言論の自由・表現の自由は大切だと、僕はしみじみと思ったのですよ。 うししししし。。。

マジで。。。?

もちろんですよ。。。このような話の最後にウソやデマカセが言えるわけがないでしょう!? (微笑)




『スカートをはいた兵隊』より
(2012年1月15日)




つまりねぇ、正しいと思うことは日本人の一人一人が声を大きくして言わねばならないのですよ。 そうじゃないと自分勝手な政府の役人に馬鹿にされたままで終わってしまう。 結局、愚かな役人のために馬鹿を見るのは日本国民なのですよ。



ベトナム戦争で用いられた枯葉剤の主成分である2・4-Dが輸入品のサンキストのレモンのポスト収穫処理に使われていたのに政府が対策を取らなかったので民間団体の「日本子孫基金」が独自に調査してその危険性を公表したのね。

その通りですよ。 それにもかかわらず厚生省は、規制するとアメリカから政治的な反発を食うので違反にはしなかった、というのですよ。 本当に日本国民のために仕事をするならば、アメリカのプレッシャーよりも日本国民の健康の方が大切なのですよ。 そのような分かり切った事が政府の役人には分からない。 いや、分かっているのだけれど、役人は自分の首が切られるのが心配だから「事なかれ主義」に処理しようとする。

つまり、長い物(アメリカ)に巻かれるわけね。

そうなのですよ。 「触らぬ神(アメリカ)に祟り無し」と思ったのでしょうね。 日本の役人は日本国民を馬鹿にしているのですよ。 

。。。で、この「日本子孫基金」はどういう団体なの?

消費者が会費を出して基金を作り、危険な化学物質の調査や検査をしようと1984年に設立された市民団体なのですよ。 これまでに次のような活動をしてきたのです。


日本子孫基金の活動

● 2002年・ベストセラー『食べるな、危険!』

2002年に講談社から『食べるな、危険!』を出版、23万部のベストセラーに。
2005年の『新・食べるな、危険!』が10万3000部なので、計33万部を超えた。
本の内容が支持されたので、抗生物質・抗菌剤を使わない畜産が増加し、スーパーで簡単に安心できる肉を買うことができるようになった。

● 2004年・排気のきれいな掃除機

ヨーロッパの高級掃除機は、排気中の微細なチリ(0.3μm)をゼロにして排出しているのに、日本の掃除機はすべて排気が汚く、3μmのチリも排出していて、ぜんそくや肺炎の原因になっていると警告。
この排気問題を冒頭に取り上げた『使うな、危険!』(講談社)を2005年に出版。
販売部数は9万部を超えたが、テレビが家電メーカーに遠慮して、この情報が一切流されなかったので、日立など一部のメーカーの、ごく一部の機種しか排気はきれいになっていない。
韓国では、小若が行っている方法で掃除機の排気実験がテレビで取り上げられ、現在は各社の高級機種はヨーロッパ並みのきれいな排気になっている。

● 2007年・エコロジー建築の事務所

相根昭典、早田之彦、深沢良仁、山賀康弘を始めとするエコロジー派の一級建築士、木材研究家の見尾貞治、木村木材工業の木村司社長などの助言を得ながら、さいたま市与野本町に、丈夫な基礎の上に、内部は無垢の木材、外部は金属のガルバリウムで被い、水道はステンレス管を用いた超耐久性エコロジー事務所を建設。

● 2008年・中国産冷凍毒ギョーザ事件

2008年1月、中国産冷凍ギョーザを食べた人に命にかかわる被害が出ていることが判明。
(事務局長の)小若は、事件が判明した日、21時からのNHKニュースウオッチ9に出演し、食品テロ説が最も有力と解説。
事件は判明するにつれて小若の予想したとおりの展開となり、テレビ各局に1週間で30回ほど出演した。

● 2008年・ミネラル不足への取り込み

中国産毒ギョーザ事件でテレビ出演中、「水煮食品」の取材映像を見て、輸入食品を多く食べる日本人はミネラル不足になっていると小若は確信し、それからは食品のミネラル不足問題に取り組んでいる。
2008年9月、『無添加白だし(三合わせ)』によるモニター調査を開始 2008年10月、『無添加白だし』を飲み始めたアスペルガー症候群の「こうちゃん」が劇的な改善を始める。
2010年2月、必須微量ミネラル不足を警告した『食べなきゃ、危険!』を出版し、この本を読んで、心身の健康を回復した人が次々と現れている。
2010年8月、現代の各種食品を実測し、主要ミネラルが共通して不足していることを立証。
データをまとめて、1ヵ月くらい現代的な食事をしていると、高い確率で病気にかかることを警告したポスター『ミネラル不足の食事』を発表した。
2010年12月、各人気商品の主要5ミネラルの実測値を掲載した『食事でかかる新型栄養失調』を出版。




出典: 「小若順一」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




あらっ。。。食品だけじゃないのね。



アメリカのラルフ・ネーダーのように消費者を守るために立ち上げた市民団体なのです。

。。。で、ケイトーも関わっているの?

いや、僕は全く関わっていません。 こうして記事を書いているだけです。

。。。で、今日は何が言いたいのよ。

あのねぇ〜、消費者を守る市民団体が政府の役人に対して正しいと思う事をするのは良いのだけれど、農薬に関して言えば消費者自身にも問題があるのですよ。

たとえば。。。?

次の箇所を読むと良く分かります。




ミカンにも、想像以上の農薬が使われている。 ... ミカン栽培は病気や虫との闘いだからだ。
日本ではポストハーベスト農薬の使用はないが、栽培中は大量の農薬が使われるのだ。
すなわち、年間述べ10回から20回に及ぶ薬剤散布が行われている。

 (中略)

では、農薬の使用を減らすとどうなるか。
無茶々園の宇都宮広さんによると、見てくれが悪くなって、市場出荷の時点で評価が低くなり、買い叩かれるという。

もともと、ミカン栽培に農薬はあまり必要ではない。
土作りがきちんとされて樹が健康に育っていれば、多少の菌や虫でやられてしまうことはないのである。
ただ、外見が悪くなる。
それを嫌って農薬が使われるのである。

 (中略)

消費者が外観にこだわらなければ、農薬は減らせるのである。
 
赤字はデンマンが強調。
読み易いように改行を加えました。
写真はデンマン・ライブラリーより)




98-99ページ
『食べるな、危険!』
著者: 日本子孫基金
2002年12月20日 第5刷発行
発行所: 株式会社 講談社




消費者が見てくれを気にして買うので、生産者が大量に農薬を使って「見てくれ」の良いみかんを作ろうとする。



日本人には内容よりも外観が大切なの?

欧米人比べると、そう思う人が多いのですよ。

マジで。。。?

シルヴィーも日本へ行けば判りますよ。 バンクーバーあたりでは、家にいるままの服装でロブソンストリート(バンクーバーの銀座)に出かける人が多いけれど、東京の近郊では「よそ行きの仕度(したく)」をして銀座に出かけるのですよ。 そうじゃないと「みっともない格好をしていると思われはしないだろうか?」 どうしても他人の眼を気にする習慣が日本人にはできている。

ミカンも、だから見てくれの良いものを買うの?

そうですよ。 見てくれの悪いものはお客さんに出せない、とまず、そういう思いがオツムに浮かぶのですよ。 とにかく日本人はカナダ人と比べたら、食べ物だけじゃなく、すべてのものに対して圧倒的に「見てくれ」を気にします。


【卑弥子の独り言】



ですってぇ~。。。
考えてみたら、そうですわよね。
家にいる服装のままで銀座には行けませんわ。
あなただって、そうでござ〜♪〜ますでしょう?

ええっ。。。あなたはスッピンのままで出かけるのォ〜?
まさかァ〜。。。?

最近では、日本人の男でも化粧すると言うじゃありませんか?

ええっ。。。それはニューハーフですってぇ。。。

なるほどねぇ〜。。。

ところで、シルヴィーさんのことをもっと知りたかったら次の記事を読んでくださいね。

『シルヴィー物語(2011年4月27日)』

『波乱の半生(2011年4月29日)』

『シルヴィーとネット革命(2011年5月6日)』

『シルヴィーとデヴィ夫人(2011年5月30日)』

『シルヴィーとケネディ夫人(2011年6月15日)』

『バンクーバー暴動と平和(2011年6月25日)』

『ビルマからの手紙(2011年7月3日)』

『ブッシュの戦争(2011年7月7日)』

『国際的愚か者(2011年7月11日)』

『あばたもえくぼ(2011年7月14日)』

『あなたも国際市民(2011年7月18日)』

『リビエラ夫人のハンバーグ(2011年7月22日)』

『芸術とブルックリン(2011年7月26日)』

『思い出のパリ(2011年7月30日)』

『海外志向とおばさんパンツ(2011年8月5日)』

『地球の平和(2011年8月9日)』

『愚かな写真狩り(2011年8月13日)』

『死の写真狩り(2011年8月17日)』

『キモい写真狩り(2011年8月21日)』

『生パンツと床上手(2011年8月25日)』

『ヌードと写真狩り(2011年8月29日)』

『あなたの平和と幸福(2011年9月2日)』

『あなたの平和な日々(2011年9月7日)』

『奈良の鹿と憲法9条(2011年9月11日)』

『文は人なり(2011年9月15日)』

『キモい戦争(2011年9月19日)』

『バカの歴史(2011年9月23日)』

『ムカつく検査(2011年11月1日)』

『アッシジからの平和(2011年11月5日)』

『中国からの怪電話(2011年11月9日)』

『気になる英単語(2011年11月18日)』

『戦争を知らないの?(2011年11月23日)』

『熟女ヌードとデンマン(2011年11月29日)』

『山形とバンクーバー(2011年12月8日)』

『ねえ、ねえ、ねえ見て(2011年12月10日)』

『URL スパマー(2011年12月20日)』

『坂の上の平和(2012年1月4日)』

『平和と武士道(2012年1月10日)』

『スカートをはいた兵隊(2012年1月15日)』


とにかく次回も面白くなりそうですわ。
あなたも読みに戻ってきてくださいましね。
じゃあ、また。。。






ィ〜ハァ〜♪〜!

メチャ面白い、

ためになる関連記事





■ 『きれいになったと感じさせる

下着・ランジェリーを見つけませんか?』


■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

■ 『面白くて楽しいレンゲ物語』



■ 『軽井沢タリアセン夫人 - 小百合物語』

■ 『今すぐに役立つホットな情報』

■ 『 ○ 笑う者には福が来る ○ 』



『夢とロマンの横浜散歩』

『愛とロマンの小包』

『下つきだねって言われて…』

『銀幕の愛』



『パリの空の下で』

『夢の中華パン』

『愛の進化論』

『漫画家と平和(2011年3月6日)』



『漫画家の壁(2011年3月10日)』

『漫画家と奴隷(2011年3月12日)』

『畳の上の水練(2011年3月15日)』

『パール判事とゴーマン(2011年3月18日)』

『軍隊のない国(2011年3月21日)』

『士風と「葉隠」(2011年3月23日)』





こんにちは。ジューンです。

枯葉剤はベトナム戦争中に

米軍と南ベトナム軍によって撒かれました。

用いられた枯れ葉剤には数種類あり、

それぞれの容器に付けられる縞の色から

オレンジ剤(Agent Orange)、ホワイト剤、

ブルー剤などと呼ばれました。



成分のうちのTCDDは非常に毒性が強く、

動物実験で催奇形性が確認されています。

ベトナム戦争帰還兵の枯葉剤暴露と

その子供の二分脊椎症の増加については

このTCDDとの関連が示唆されています。

枯葉剤の散布は、名目上はマラリアを媒介する

蚊や蛭を退治するためとされましたが、

実際はベトコンの隠れ場となる森林の枯死、

およびゲリラ支配地域の農業基盤である

耕作地域の破壊が目的でした。

枯葉剤は1961年から1975年にかけて

ゲリラの根拠地であったサイゴン周辺や

タイニン省やバクリエウ省のホンダンなどに

大量に散布されました。

アメリカ復員軍人局の資料によれば

確認できるだけで8万3600キロリットルの

枯葉剤が散布されたそうです。

散布強化された1966年以降、

先天性口蓋裂が激増していること、

奇形出産率がサイゴンで1000人中26人、

集中散布地域のタイニンで1000人中64人に

のぼった事が報告されました。

2・4-Dも、ベトナム戦争で

用いられた枯葉剤の主成分です。

これがサンキスト・レモンの

ポストハーベスト農薬として使われたのです。

日本の役人がアメリカとの貿易摩擦を恐れて

このレモンの輸入を認めていたというのは

日本人の健康と生命をないがしろにする

許せない態度だと思います。

あなたは、どう思いますか?

ところで、卑弥子さんにもちょっと信じがたいような

恋物語がありますわ。

関心があったらぜひ次のリンクをクリックして

じっくりと読んでみてくださいね。

『平助さんが卑弥子さんに

恋をしたのがウンのつき』


では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。





2012年01月15日

スカートをはいた兵隊 (PART 1)

 

スカートをはいた兵隊 (PART 1)







太平洋戦争中のチャンギー捕虜収容所

占領前、チャンギー要塞の中にあった刑務所が、現在は捕虜収容所になっている。
その中で、捕虜どうしの慰安のために、園芸や芝居が行われているという。
進藤に収容所長に連絡して貰い、翌日、小津(安二郎)は厚田と浜田を連れてチャンギーに行った。
「日本側としては見てもらっても結構なのですが、自治組織になっている捕虜の委員たちが、一応お会いしてからご返答するといっています」
少将の階級章をつけた所長はそういうと、案内役もつとめる通訳の大尉を呼んだ。

12畳ほどの部屋に案内されると、ソファーから3人の男たちが立ち上がった。
通訳の紹介によれば、イングランド、スコットランド、オーストラリア各軍の将校だという。
「大尉、皆さんの階級を教えてくれませんか。 失礼があるといけない」
「ジュネーブ協定によって、将校と兵は区別しています。 しかし、この3人は元の階級は持っていても、現在は捕虜です。 階級の区別を知る必要はないでしょう」
小津はやんわりとした物言いで答えた。
いや、それは君の考え方で、こちらの人々には通じないだろう
捕虜は捕虜です
「私は軍人という人間に会いに来たんだ。 捕虜だろうとなんだろうと、軍人を紹介する場合に階級をいわないのは失礼だよ。 そのことを私は最初に遠廻しに言ったはずだよ」
3人は客である小津が立ったままでいるので座れない。
しかも、小津と通訳との間に激しい調子の言葉のやりとりが行われている。 驚いたように、2人の顔を見くらべていた。
「君は今私に敬語で話している。 それはなぜだい」
「あなたは左官待遇の軍属だと聞きました」
「つまり、軍属であっても、軍に関係ある人間である以上、階級を心得てものをいわなければならないと思っているからじゃないかい」
通訳は詰まった。

突然、女のスカートのような軍服を着ていた男が、英語で2人に何か説明しはじめた。
そのしぐさで、小津がこういい、通訳がこう答え、小津がこう反論したといっていることがわかった。
説明された2人が驚きの表情を浮かべて小津を見た。
「小津さん、私はマッコーミック中佐、こちらはハーリントン少佐、それからこちらがタッパー大尉です」
幾分発音に外人特有のアクセントはあったが、完璧に近い日本語だった。
「私は昭和15年まで京都の大学で英語を教えていました。 あなたの映画も見ています。 お会い出来て嬉しいです

赤字はデンマンが強調。
読み易いように改行を加えました。
写真はデンマン・ライブラリーより)




397-398ページ
『絢爛たる影絵-小津安二郎』
著者: 高橋治
2003年3月6日 第1刷発行
発行所: 株式会社 講談社




ケイトー。。。「スカートをはいた兵隊」というのは「キルト」をはいたスコットランドの兵隊さんのこと?



当然そうでしょうね。

「スカート」なんて言ったら、スコットランド兵を侮辱することになるんじゃない?

僕が言ったのじゃありませんよ。 上の本の中に、そう書いてある。

ケイトーは、もちろん「スカート」ではなく「キルト」だと知っていたのでしょう?

もちろんですよ。 カナダにいればキルトをよく見かけますよ。 お祭りと言えば必ずと言っていいほどキルトをはいたスコットランド人が登場してバッグパイプを演奏しますからね。 もう何度も目にしていますよ。 カナダでキルトのことをスカートなんて言う人はまず居ませんよ。


キルト(kilt)

キルトはスコットランドのスカート状の伝統衣装。
通常はタータン柄である。
キルトは英語名で、ゲール語ではフェーリア(Feileadh)と呼ばれる。
もともとはタータンの大きな布を独特の方法で腰に巻き、紐やベルト、ピンで留めていたもので、ハイランドの男性用衣装であった。
元来ハイランド人はゲール語を話したので、単にフェーリアと呼ばれていたが、この古典的なスタイルのキルトは現在フェーリア・モール(Feileadh Mor)またはベルテッド・プラッド(Belted Plaid)、ときにブレアカン・モールと呼ばれている。

18世紀中盤以前のハイランドではキルト=フェーリアを普段から身に着けることは一般的だったが、ハイランド人がみなキルトを着ていたわけではなく、ズボンの類を着用していた記録も少なくない。

1746年、カロデンの戦いの勝利によってジャコバイトの反乱を制圧したものの、反乱の再発を恐れた政府は、ジャコバイト軍の中心となっていたハイランダーの結束を弱めるためにクランの解体を図り、クラン姓の使用やバグパイプの演奏の禁止と共に、キルトやタータンを含む民族衣装の着用を禁止していた。
但し、ジャコバイトの反乱の際政府軍に与するハイランダーによって編成され、反乱の鎮圧にも貢献した第42ハイランド連隊(42nd Highland Regiment)は禁止の対象外とされ、この時代を通して同連隊の制服としてキルトは使用され続けていた。

現在のスコットランドにおいてはハイランド、ローランドを問わず、キルトは催しや祭礼で用いられる民族衣装となっており、最近は女性も身に着けるようになった。
ほとんどの場合はフェーリア・ベックであるが、フェーリア・モールを好んで着る人も見受けられる。
軍隊でのキルトは、ダンケルクの戦いに於いてクィーンズオウン・キャメロン・ハイランダーズ連隊が着用したのを最後に戦場では着られなくなったが、現在でもスコットランドの連隊の正装や礼装及び常装には使用されている。



赤字はデンマンが強調。
読み易いように改行を加えました。
写真はデンマン・ライブラリーより)




出典: 「キルト (衣装)」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




。。。で、どうしてキルトをはいたスコットランド兵を取り上げたの?



本の中に面白いことが書いてあったのですよ。

面白い事ってどういうことよ?

このページの冒頭の箇所に引き続いて次のような会話が出てくるのですよ。


「浜ちゃん、今夜、進藤さんと町に出て、5,6枚パンツを買ってきてくれや」
「え?」
「気がつかなかったのか。 マッコーミックさんソファーに座る時、スカートの下からこのくらいのものが見えたんだよ。 余程、困ってるんだな」
小津は2本の人差し指を立てて、10センチほどの間隔を作ってみせた。
「いえ、優にこのくらいはありましたよ」
全く聞いていないような顔をしていた厚田が20センチほどの長さに指を開いてみせた。

 (中略)

浜田はマッコーミックに小津がそれをどう渡すのかと、興味津々の思い出2人を見まもっていた。
小津はマッコーミックに連れられて、収容所の中を歩いている時を選んだ。
「えーと、……その……マッコーミック中佐、その……気を悪くして頂くと困るのですが、実はですね……さんざ考えたのですが、……どうも、その、……これという、うまい方法がないので……これですが、……受けとって頂けると、本当に有難いと……」
小津は人眼をさけるように、素早く紙包みを鞄から出すとマッコーミックに押し付けた。
「くれるんですか、私に。 なんですか」
マッコーミックは堂々たるものだった。 外人の習慣で、貰ったたものはすぐにあけて見る。
紙包みを破り、中の白い布で作られたものをとり出すと、ぱっと振った。
「おう……」
といったなり、そこに立ち止まってしまった。
見る見る中(うち)に顔が真っ赤に染まってくる。

小津も小津で眼のやり場がないように、その場所に釘づけになったままで顔を真っ赤にしていた。
厚田と浜田は困り果てた。
2人とも、お互いが必死になって笑いをこらえるために体が震えていたのがわかるのだ。
自分もさることながら、相手がそうしていることが、またおかしい。
我慢しきれなくなった浜田がついに吹き出した。
厚田が笑い、当の本人マッコーミックまでが笑い出した。
小津だけがまだ耐えている。
それが、今度は、3人におかしい。
「小津さん……あなた、武士の情け、武士の情け」 そういいながら、マッコーミックが肩を叩いた。
突然、小津が火山が爆発するように笑い声を上げた。



太平洋戦争中のチャンギー捕虜収容所

これには後日譚(ごじつだん)がある。
後年、あの下にはなにもはかないのが正式だと聞かされて、小津は顔色を変え、それは本当なのかと何度も問いただした。
好意でしたことが、マッコーミックを侮辱したことにはなりはしないか、マッコーミックが自分をかばってくれたのではないかということが気になったのだ。

赤字はデンマンが強調。
読み易いように改行を加えました。
写真はデンマン・ライブラリーより)




399-401ページ
『絢爛たる影絵-小津安二郎』
著者: 高橋治
2003年3月6日 第1刷発行
発行所: 株式会社 講談社




うふふふふふ。。。おかしいわねぇ。。。



シルヴィーもおかしいと思う?

それはそうよ。。。うふふふふふ。。。でも、あの下にはなにもはかないのが正式なの?

いや、僕は絶対にそう思いませんよ。 第一、キルトの下に何も穿かないとしたら、クイーンと並んで写真を撮った時に、丸見えになってしまうことだってありますよ。





そうよね。。。クイーンの向かって左に座っている兵隊さんが、もし何も穿いてないのならば、長いものがビローンと垂れ下がって見えてしまうわァ。 うふふふふふ。。。



でしょう!? だから、正式な時には絶対にパンツ穿かなければならないはずですよ。 そうでないとクイーンに対して失礼になりますよ。





だから、ちゃんとこうしてパンツを穿いているのですよ。 (微笑)



そうよねぇ〜。 クイーンが写真を見た時にキルトの中が丸見えになっていたら、やっぱり失礼よね。 うふふふふ。。。で、ケイトーは、このことを言うために「スカートをはいた兵隊」を取り上げたの?

やだなあああァ〜、違いますよ。

。。。で、何が言いたいのよ。

あのねぇ〜、実は、上の場面は大本営の依頼を受けて小津監督が国策映画を作ることになった。 それで日本軍が占領中のシンガポールへ行ったわけです。 英国軍の兵隊を映画の中で使わなければならないので、その役者を探しにチャンギー捕虜収容所に行ったわけです。 そのときのエピソードが上で引用した挿話です。

それで。。。?

僕はバンクーバー図書館でDVDを借りて "The Mystery of Rampo" を観たのですよ。


 


この映画については、すでに2つの記事を書きました。

『拝啓、乱歩先生』

(2011年12月29日)

『スケートリンクと乱歩』

(2011年12月28日)




この映画がどうだと言うの?



この映画の中に日本帝国政府の検閲官が登場して乱歩先生が書いた小説『お勢登場(おせいとうじょう)』を発禁処分にするのですよ。

なぜ。。。?

実は、この小説は『大衆文芸』の1926(大正15)年7月号に掲載された。 でも、映画の中では検閲官が乱歩先生に発禁処分を言い渡す。 その結果、その内容は世間に公開されてないという設定になっている。 それにも拘らず当時の日本で、不倫している妻が病弱な夫を「長持ち」に閉じ込めて殺すという小説と同じ内容の事件が持ち上がる。 その殺人犯である静子という女性が映画のヒロインなのですよ。

映画の中では『お勢登場(おせいとうじょう)』がどういう理由で発禁処分になったの?

要するに妻の夫殺しが当時の日本の風紀を乱すというような理由なのですよ。

でも、そのような内容のミステリーならば欧米の推理小説には数え切れないほどあるじゃない。

その通りですよ。 ところが日本では、愚かとも思える言論統制が真面目に行われたのですよ。 太平洋戦争中に実際に行われた。 その良い例が「竹ヤリ事件」です。


島国根性に凝り固まっていた

帝国政府の政治家と役人は

英語を使うのを禁止した!




知っていますか?
太平洋戦争時代、日本帝国政府は今から考えれば愚劣と言えるほどの言論統制で国民をがんじがらめにしたのです。

その良い例が英語を使うな、という規制です。
野球で英語が使えなかった。
ストライクと言ってはダメなんですね。
じゃあ、何と言ったか?

「当たり」「一本」「良し」とか言ったらしい。
「ボール」も使えない。
「はずれ」とか「ダメ」とか言ったらしい。

愚かと言うより、こうなるともう滑稽ですね。
しかし、戦争当時、みんなが真面目にこう言いながら野球したらしい。
いっそのこと野球も敵性スポーツとして禁止すればよかったと思うのですが、帝国政府の親玉の中に野球の好きな人がいたらしい。

それなら、英語も使わせればよいと思うのに、そうはしなかった。こういうところが片手落ちなんですよね。

アメリカはどうだったか?
すっかり逆でした。

日本人が昔から親しんだ「敵を知り己を知れば百戦危うからず」という『孫子の兵法』の中の有名な格言を忠実に守ったんですね。つまり、戦争に勝つためには日本人を知らなければならない。そのためには日本語を大いに学ばねばならない。と言う事でアメリカ政府は日本語学校を作ってそこで日本語を徹底的に学ばせて、日本人の研究人材を養成したわけです。

『菊と刀』で有名な著者ルース・ベネディクト(Ruth Benedict)さんも政府から依頼を受けて「お国のために」日本人と日本文化の研究をしたんですね。彼女がレポートを提出した時には戦争が終っていた。それで、その研究に基づいて1946(昭和21)年に出版されたのが『菊と刀』です。この本の事を全く知らない人は次のリンクをクリックして僕の書評を読んでみてください。

■ 『「菊と刀」 書評』

現在でも読まれています。すでに90版以上を重ねているはずです。僕は6度程読みましたが、読むたびに新たな感動を受けています。このべネデクトさんは日本で暮らしたことが一度もない人なんですね。もちろん日本へ行ったこともない。そういう人があれだけの研究成果を出したんですから、日本研究がどれだけ進んでいたかが良く分かるんです。アメリカ政府の採った政策は日本帝国政府がやった言論統制と比べると雲泥の差です。

しかし、日本にだって良識を失わない人たちも居たんですね。極めて少なかったですが。。。太平洋戦争下で唯一といってよい言論抵抗事件がありました。このことについて、ちょっと詳しく語ろうと思います。1944(昭和19)年2月23日の『毎日』新聞の竹ヤリ事件というのがこれです。

この記事を書いたのは37歳の新名丈夫記者でした。「竹やりなんかでアメリカに徹底抗戦なんてどうかしている」と言うような趣旨の事を書いてしまったんですね。もちろん、覚悟して書いたんです。うっかりして書いてしまったわけではないんです。

でも、当時の東条英機首相はこれを読んで激怒した。

それで、頭にきたものですから、できれば書いた記者を死刑にしたい。でもいくらなんでもそんな無茶な事は出来ませんから、赤紙で徴兵して南方戦線に送り込もうとしたわけです。当時の常識として、南方戦線に送り込まれれば生きて帰れないということが分かっていました。つまり事実上の「死刑」です。いづれにしても、無茶な事をしたんですね。

当時軍部と帝国政府に真っ向から反対すれば、このような仕打ちが待っていたんです。だから、分かっていた人もおとなしく黙っていた。でも、新名記者はメディア人としての良識を持っていたわけです。アメリカを例に取れば、あのニクソン大統領を退陣に追い込む事になったウォーターゲート事件を暴露したワシントンポスト記者のボブ・ウッドワード(Bob Woodward)のような人だったわけです。

最近、命を懸けて記事を書くような新聞記者が日本にはいなくなりましたね。残念です。

この記事が発表された頃には、もう戦局は悪化していました。問題の記事が発表された前年、1943(昭和18)年には、まず2月、ガダルカナル島で日本軍の撤退が開始されました。これを契機に、米軍は一挙に攻勢に転じたわけです。以後、5月にアッツ玉砕、11月にはマキン・タラワ全滅と戦局は日々悪化していきました。1944年2月17日には「日本の真珠湾」と米軍から呼ばれた作戦の最重要拠点、トラック諸島が米軍の手に落ちてしまいました。

軍部でも、帝国政府でも太平洋戦争の敗北はすでに決定的となったと考える人がでてきました。しかし国民には「勝った、勝った」という虚偽の情報以外は一切知らされていなかったんですね。そのためにも言論は厳しく統制されたわけです。

新名さんは海軍記者となって以来半年間にわたって主力艦隊に乗り組み、戦況を自分の目で確かめていた。戦況が悪くなっていた事も充分に知っていた。陸海軍が対立し、飛行機生産のためのジュラルミン三十万トンの大部分を陸軍が本土決戦用に抑えて出さないという内幕もキャッチしていたほどです。

マーシャル陥落の発表を大本営が20日間もためらって大騒動を演じているのを見た新名記者は決意を固め、一大プレスキャンペーンを社に上申しました。メディア人としての良識です。「日本の破滅が目前に迫っているのに、国民は陸海軍の醜い相克を知りません。今こそわれわれ言論機関が立ち上がるほかはありません」
そのように便せんに書いて、吉岡文六編集局長に上申したのでした。
「よし、何とかして国民に知らせるほかない」と決意した吉岡局長は社外の大物に書かせようと、まず元中国駐劉大使・本多熊太郎氏に交渉しました。しかし、「検閲があっては書けない」と断わられてしまいました。

結局、編集会議の結果、新名さんが指名されました。当時の記事は、もちろん検閲を受けなければならなかったのです。しかし、海軍担当の新名記者が執筆したものは海軍省の検閲だけでよく、各社のキャップの書くものは無検閲でよいという紳士協定になっており、その特典を利用したのです。

「書けば東条から懲罰召集を喰らうかも知れない。社もつぶされるかも知れない。殺されるかも知れない」
新名記者は悲壮な覚悟で執筆したのでした。実際、その通りになってしまい、ハチの巣をつついたような騒ぎとなったのです。新名記者は責任を感じ辞表を提出しました。しかし、吉岡局長は突き返し、逆に金一封の特賞を出したのです。その代わり、3月1日に吉岡局長、加茂勝雄編集次長兼経理部長は責任をとって辞任しました。

しかし、こんなことで東条首相はおさまりません。東条さんは情報局次長村田五郎を呼びつけて「竹ヤリ作戦は陸軍の根本作戦ではないか。毎日を廃刊にしろ」と指示したのです。村田さんは答えました。「廃刊するのはわけありません。紙の配給を止めれば、毎日は明日から出ません。ただし、よくお考えになってはいかがですか。毎日と朝日は、いまの日本の世論を代表しています。その新聞の一つがあのくらいの記事を書いた程度で、廃刊ということになりますと、世間の物議をかもす、ひいては外国から笑われることになるでしょう」

東条首相も馬鹿ではありませんから、この説得が効いたのでしょう。廃刊は引っ込めました。しかし、陸軍からの新名さんへの執拗な処罰要求が出されたのです。そういうわけで、新名記者に対して陸軍から懲罰召集が強行されたわけです。

極度の近視ですでに徴兵検査で兵役免除になっていた37歳の新名さんへの再度の徴兵でした。海軍省は「新名は報道班員としてパラオ派遣が決定しているので、召集を延期されたい」と陸軍省に申し入れたのです。陸軍省はこれを突っぱねました。しかし、海軍も負けてはいられないと大運動を展開して、なんとか召集を解除させたのです。

ところが、陸軍中央から絶対に還すなという厳命がきており再度召集があり、丸亀連隊へ一人だけの中年二等兵の入隊になったのです。これはもう、海軍と陸軍の対立というところまでエスカレートしてしまったわけです。

これに対して海軍が再び抗議しました。「なぜ、中年二等兵が一人だけ入隊するのか?」
陸軍も黙っては居ません。何とかしようという事で、新名さんと同じく大正生まれの兵役免除者二百五十人を召集したのです。つじつまを合わせたわけですね。「新名記者憎し」の陸軍の執念はすごかった。

さらに、陸軍中央は新名さんを最激戦地の沖縄、硫黄島方面の部隊へ転属させろと厳命してきたのです。やることが汚いです。生きて帰さぬ方針を取ったわけです。こうなると、もう、無茶苦茶ですね。

しかし、陸軍の思い通りには行きませんでした。三ヵ月がたち、結局新名さんは他の戦友と除隊になりました。丸亀連隊報道部の香川進大将は 「この召集は東条大将の厳命だったんだよ。新名は絶対に還すな、重労働を課せとね。海軍や軍令部からもなんども人がきた。われわれは自分らの正しいと思う判断で君を扱った。善通寺師団司令部でも見て見ぬふりをしてくれた」と除隊の真相を説明したのです。

海軍は直ちに新名さんを報道班員としてフィリピンへ送り、陸軍の再召集を防いだのでした。新名記者がフィリピンに出発した直後、新名さんの“とばっちり”を喰らって再召集された丸亀連隊の中年二等兵たち二百五十人は硫黄島に送られ、全員玉砕してしまったのです。全くこれでは、この二百五十人の人たちの魂は泣き切れないでしょうね。ひどいものです。

言論統制から、人の命までが軽々しく一部の人間の思うように処分されてゆく。死ななくても良い人たちまでが、とばっちりを受けて250人もが硫黄島のチリとなって消えてしまう。もし、あなたがこの250人の中に選ばれたとしたらどう思いますか?

ええっ?現在、そんな馬鹿げた事は起こらない?
そうでしょうか?
太平洋戦争が終って戦争放棄を謳(うた)った憲法が出来た時、いったい誰が自衛隊が出来ると考えたでしょうか?
その自衛隊が、イラクに派遣されると誰が考えたでしょうか?

ええっ?でも徴兵なんて日本には絶対にないから、戦争で死ぬ事はない?
そうでしょうか?
あなたと私が声を大きくして、表現の自由と言論の自由のもとで戦争反対を訴えない限り、
一体、誰が徴兵の無い時代を保障しますか?

これまで読んできて、表現の自由と言論の自由の大切さが分からないとしたら、あなたも、あの250人の中に選ばれて硫黄島へ送られるということが、また起こるかもしれないですよ。
そう思いませんか?
ええっ?あなたは女だから心配ない?

しかし、アメリカを見てくださいよ。
アメリカ女性兵士がイラクで救出されたことがありましたよね。あなただって知っているでしょう?
日本はアメリカの真似をしますからね、志願だけではなく女性だって徴兵される時代が来るかもしれませんよ。現在の日本の自衛隊にも男性と同様に実戦訓練を受けている女性自衛官が結構たくさん居るんですよ。

ええっ?もう兵隊にとられるような年齢じゃない?
あなたの子供の事、あなたの孫の事を考えてくださいよ!
表現の自由、言論の自由のもとで、平和な国にしようと主張しましょうね。
とにかく、表現の自由、言論の自由を守りましょうね。




『少しでも日本を良くしたいと思いませんか?』より
(2005年7月3日)




確かに太平洋戦争中に行われた上のような言論統制はムチャよねぇ。 人間無視の言論統制じゃないの。



その通りですよ。 「スカートをはいた兵隊」の挿話は、ちょうどこの時期にシンガポールのチャンギー捕虜収容所でのエピソードなのですよ。

人間的にぬくもりのある交流がなされていたとケイトーは言いたいの?

その通りです。 そればかりではない。 次のようなエピソードも上の挿話に引き続いて書いてある。


 (すぐ下のページへ続く)



2012年01月15日

スカートをはいた兵隊 (PART 2)



スカートをはいた兵隊 (PART 2)


その夜、高木が主(あるじ)の名をあかさない招待の話を小津に持って来た。
「先方はお会いになればわかるといっておられます。 小津さんの旧知の方のようです」
小津は招待を受けた。
場所を聞くと、芸者の入る高級将校用の料亭で「近松」という家だった。
近松門左衛門の子孫が経営しているといわれ、シンガポールの日本料亭の中では格式の高さを誇っていた。
中国従軍時代の小津を知っている人だろうと斉藤はいったが小津には思い当たる人間がなかった。

ふすまを開けると、床の間を背負う席を開けて座っていたのは、あの紬(つむぎ)を着て撮影所の前で小津を待っていた男だった。
参謀飾諸(しょくしょ)を吊り、大佐の階級章をつけている。
「大本営第四班長の永井八津次です。 あの折は」
言葉は短かったが、丁寧な物腰の挨拶だった。
名前を聞いて、咄嗟に小津は思い出した。
外務大臣・松岡洋介がドイツからロシアを廻った時、随行武官として同行した永井の名を何度か新聞で見ている。
 
 (中略)

「とうとう大本営が姿を現したと思ってらっしゃいますな」
小津はくすっと笑った。 正体のない“大本営”を、小津が巧みに利用していることを、相手は知っているのだ。
「前線視察の途中に寄ったのですが、大本営が来た以上、ユニオン・ジャックだろうが星条旗だろうが上げさせます」
 
 (中略)

「...堂々と外国人に見せられる映画にしてほしい、そのことだけです」
「忘れてはおりません」
「あとのことは全部おまかせします」
 ...
「来たついでに、ひとつ、お土産(みやげ)を用意しておきました」
「はあ」
「キャセイ・ホテルのあの劇場の倉庫に、軍が押さえたアメリカやヨーロッパの映画が山と積んであります。 なにかの御参考になるかと思って、あなたが御覧になりたいものは全部お見せしろといっておきました



キャセイ・ホテルと劇場があった

キャセイ・ビルディング


赤字はデンマンが強調。
読み易いように改行を加えました。
写真はデンマン・ライブラリーより)




384-386ページ
『絢爛たる影絵-小津安二郎』
著者: 高橋治
2003年3月6日 第1刷発行
発行所: 株式会社 講談社




太平洋戦争中にも拘らず大本営には永井八津次・大佐のような「表現の自由」を理解している軍人が居たのですよ。 ちょうど竹ヤリ事件の時の丸亀連隊報道部の香川進大将のように。。。



つまり、この事が言いたかったの?

そうですよ。 この時期、小津監督はシンガポールでジョン・フォード、ウイリアム・ワイラー、ウオルト・ディズニーの映画を観まくった。 もちろん、この当時日本では誰も米国映画を観ていない。

小津監督はこの時期に充電していたわけね?

その通りですよ。 敗戦になり、帰国した後で小津監督は3作目の『晩春』で自分の世界を作り上げ、死ぬまで日本映画最高の位置を誰にも譲らなかった。 むしろ死後10年経ち、20年経って、ますます国際的に有名になったのですよ。

この事が言いたかったの?

いや。。。違いますよ!

何が言いたいのよ?

あのねぇ〜、乱歩先生が書いた小説『お勢登場』は映画の中では発禁処分にされているのだけれど、実際には『大衆文芸』の1926(大正15)年7月号に掲載された。 この時期は「大正デモクラシー」の言わば最後の年ですよ。

「大正デモクラシー」って何よ?

1910年代から1920年代にかけて、つまり、大正年間に日本で起こった、政治・社会・文化の各方面における民主主義、自由主義的な運動や風潮や思潮のことですよ。 それがやがて軍国主義になってゆき、映画"The Mystery of Rampo"の中で描かれているような愚かな言論統制をやりだす。 ところが統制の真っ只中にも拘わらず丸亀連隊報道部の香川進大将や大本営の永井八津次・大佐のような良心的な人が居た。

だから。。。?

それにも拘らず日本では愚かな言論統制をやったり、何よりも太平洋戦争という負けるのが判りきったような戦争を無理矢理始めてしまった。

どうして、そうなってしまったの?

つまり、丸亀連隊報道部の香川進大将や大本営の永井八津次・大佐のような良心的な人がもっとたくさん居たのだけれど、時代に押し流されるままに声を上げなかったのですよ。

だから。。。?

だから、正しいと思う事は、そう思っているうちに言わなければならない。 そうしないと、悪い奴の言う事がだんだんと正論になってしまう。 だからこそ言論の自由・表現の自由は大切だと、僕はしみじみと思ったのですよ。 うししししし。。。

マジで。。。?

もちろんですよ。。。このような話の最後にウソやデマカセが言えるわけがないでしょう!? (微笑)


【卑弥子の独り言】



ですってぇ~。。。
確かに、そうですわよね。
『お勢登場』は大正デモクラシーの時代には出版できたのでござ〜♪〜ます。
それが軍国時代になると出版できなくなるのですわよ。

どうして。。。?

“無理が通れば道理が引っ込む!”

だから、無理が通る前に正しいと思うことを主張しなめればならない。
デンマンさんは、そう言いたいのでござ〜♪〜ますわ。

ええっ。。。そうじゃないと、あなたはおっしゃるのでございますか?
どうして。。。?




今の日本が軍国主義の時代に向かっているのだよ!
戦後、日本国憲法ができた時に、いったい誰が自衛隊ができるだろうと思ったことかア?
その自衛隊が湾岸戦争後の1991(平成3)年に自衛隊法第99条を根拠に海上自衛隊の掃海部隊がペルシャ湾に派遣されるだろうと誰が想像しただろうか?



そして、原子爆弾の唯一の被害国である日本の、ノーベル平和賞をもらった首相が、密約で原子爆弾を持ち込むことを許していたなんて、いったい誰が想像していただろうか!?
さらに今、アメリカの一州のようになった日本がアメリカの世界戦略の一翼を担って極東におけるアメリカの尖兵のようになってしまっている現実を日本人の多くが半ば認めてしまっている。
日本はすでに危機的な進路を知らずに歩き始めているのだよ!
もう手遅れかもしれないのだよ!んもおおおおォ〜。。。




なるほどねぇ〜。。。
あなたの言っていることはマジで正しいかもしれませんわよ。
だから、無理が通る前に正しいと思うことを主張しなめればならないのでござ〜♪〜ますわ。

そう思ったら、あなたもコメントを書いてね!

ところで、シルヴィーさんのことをもっと知りたかったら次の記事を読んでくださいね。



『シルヴィー物語(2011年4月27日)』

『波乱の半生(2011年4月29日)』

『シルヴィーとネット革命(2011年5月6日)』

『シルヴィーとデヴィ夫人(2011年5月30日)』

『シルヴィーとケネディ夫人(2011年6月15日)』

『バンクーバー暴動と平和(2011年6月25日)』

『ビルマからの手紙(2011年7月3日)』

『ブッシュの戦争(2011年7月7日)』

『国際的愚か者(2011年7月11日)』

『あばたもえくぼ(2011年7月14日)』

『あなたも国際市民(2011年7月18日)』

『リビエラ夫人のハンバーグ(2011年7月22日)』

『芸術とブルックリン(2011年7月26日)』

『思い出のパリ(2011年7月30日)』

『海外志向とおばさんパンツ(2011年8月5日)』

『地球の平和(2011年8月9日)』

『愚かな写真狩り(2011年8月13日)』

『死の写真狩り(2011年8月17日)』

『キモい写真狩り(2011年8月21日)』

『生パンツと床上手(2011年8月25日)』

『ヌードと写真狩り(2011年8月29日)』

『あなたの平和と幸福(2011年9月2日)』

『あなたの平和な日々(2011年9月7日)』

『奈良の鹿と憲法9条(2011年9月11日)』

『文は人なり(2011年9月15日)』

『キモい戦争(2011年9月19日)』

『バカの歴史(2011年9月23日)』

『ムカつく検査(2011年11月1日)』

『アッシジからの平和(2011年11月5日)』

『中国からの怪電話(2011年11月9日)』

『気になる英単語(2011年11月18日)』

『戦争を知らないの?(2011年11月23日)』

『熟女ヌードとデンマン(2011年11月29日)』

『山形とバンクーバー(2011年12月8日)』

『ねえ、ねえ、ねえ見て(2011年12月10日)』

『URL スパマー(2011年12月20日)』

『坂の上の平和(2012年1月4日)』

『平和と武士道(2012年1月10日)』


とにかく次回も面白くなりそうですわ。
あなたも読みに戻ってきてくださいましね。
じゃあ、また。。。






ィ〜ハァ〜♪〜!

メチャ面白い、

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こんにちは。ジューンです。

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ブッシュ家は、軍産複合体を生業としてきました。

第43代米大統領の曽祖父のサミュエル・ブッシュは

オハイオ州で兵器を製造していた

バッキー・スティール・キャスティング社を

経営していました。
 
 

 
東京大空襲で焼け野原になった江東区
 
 
祖父のプレスコット・ブッシュは東京大空襲で

大量に使用された焼夷弾である

集束焼夷弾E46の製造を

行なっていたドレッサー・インダストリーズ社に

関与していたのです。

第41代ブッシュ大統領は

このド社の石油部門で働いていたのです。

その後、第41代ブッシュ大統領はCIA長官、

副大統領、大統領時代において、

海外との兵器貿易を押し進めており、

副大統領時代には

イラン・コントラ事件が起きています。

この事実だけを見ても、

「軍産複合体」の動きが見えてきますよね。

では、ここで面白いジョークをひとつ。


その大統領は誰?

アメリカのある高官が、イラク戦争についてのラジオ番組に出演した際に、こう語った。

「大量破壊兵器を使用した歴史を持つ恐怖の独裁国家は、国際社会から排除しなければならない。 あの強欲で無能な大統領を拘束することに成功した今、全世界はより安全で幸せになった」

番組終了後、ラジオ局には次のような問い合わせが殺到した。



「いつブッシュが捕まったんだ!?」




『バカの固定観念』より
(2011年5月26日)




ところで、卑弥子さんにもちょっと信じがたいような

恋物語がありますわ。

関心があったらぜひ次のリンクをクリックして

じっくりと読んでみてくださいね。

『平助さんが卑弥子さんに

恋をしたのがウンのつき』


では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。





2012年01月10日

平和と武士道

 
 

平和と武士道







小村寿太郎

日本は、外相小村寿太郎を指揮者としてうごいている正規の外交機関のほかに、元老の伊藤博文の手もとから派遣した陰の舞台演出家ももっていた。
米国へは金子堅太郎がゆき、英国へは末松謙澄(けんちょう)が行っていた。
金子はこの戦争中、ほとんどワシントンに居っきりであった。 ... かれはルーズヴェルト大統領とはハーヴァード大学でのクラスメートで、その後も親交が深かった。 伊藤は金子を同大統領に接触させることによって、米国に講和への口火を切る役をつとめてもらおうとしたのである。



ルーズヴェルト大統領



金子堅太郎

この金子堅太郎の派遣と活動は成功した。
ただし、英国へ行った末松謙澄の場合は、成功といえるような結果はえられなかったといっていい。
末松は、幕末における長州藩の革命史である「防長回天史」の著者として知られている。
明治型のはばのひろい教養人で、文学博士と法学博士のふたつの学位をもっている。



末松謙澄

かれは「源氏物語」を英訳してはじめて日本の古典文学を海外に紹介したことでも知られ、さらには新聞記者時代に多くの名文章を書き、つづいて官界に転じ、伊藤博文に見こまれてその娘むこになり、つづいて衆議院に出、のち逓信大臣や内務大臣にも任じたといういわば一筋縄ではとらえがたい生涯をもっているが、外交をやる上での最大の欠点はその容姿が貧相すぎることであった。
さらにこの小男が説くところが誇大すぎるという印象を英国の指導層や大衆にあたえた。 末松は、
「昇る旭日(きょくじつ)」
といったふうの日本宣伝をぶってまわった。 不幸なことに英国人は日本が「昇る旭日」のごとく成長することを好まなかった。 末松はその講演速記を本にして刊行した。 無邪気で楽天的な明治男子の文章であり、元来、日本国家が末松が説くほど栄光にみちた過去をもち、またいかに将来への希望にみちた国であろうとも、英国人には関係のないことであった。 英国人はかれの無邪気さを冷笑し、ほとんど黙殺した。

赤字はデンマンが強調。
読み易いように改行を加えました。
写真はデンマン・ライブラリーより)




202-204ページ 『坂の上の雲(七)』
著者: 司馬遼太郎
2009年11月20日 第29刷発行
発行所: 株式会社 文藝春秋




僕は司馬遼太郎さんの考え方には賛成できることが多いのだけれど、司馬さんの人の容姿に対する印象は僕とはだいぶ違うのですよ。



どのように。。。?

末松謙澄さんの写真を見てくださいよ。 司馬さんは外交をやる上での最大の欠点はその容姿が貧相すぎることであったと書いているけれど、僕の目には容姿が貧相とは見えない。 シルヴィーにはどう見える?

他の日本人とあまり変わりがないように見えるわ。 ケイトーと比べても、それほど変わってないわよ。 うふふふふ。。。

そうでしょう。。。正直言って、僕にも末松謙澄さんは他の日本人と大して変わりがないように見える。 つまり、司馬さんは日本人というのは欧米人に比べて容姿が貧相に見えるという固定観念を持っていたのかもしれない。

つまり、司馬さん自身も自分の容姿に対しても劣等感を持っていたのかしら?



司馬さんも末松謙澄さんも日本人としてそれほど変わりがないように僕には見えますよ。

つまり、ケイトーはその事が言いたかったの?

もちろん、違いますよ。 容姿のことは付けたしですよ。

。。。で、何が言いたいのよ。

あのねぇ〜、末松謙澄さんは人間としてすごい人だと僕は思うのですよ。 文学博士と法学博士のふたつの学位を持っている。 しかも、日本の元勲でもある伊藤博文は末松さんの人物を評価して自分の娘の婿にさえしている。 つまり、末松さんは才能でも人格の上でも相当な人物のはずですよ。 それにもかかわらず、英国人に日露戦争の講和をしてもらうことに成功していない。 結果として成功したのは金子堅太郎の方だった。


ロシアはすでにそうと察し、開戦後ほどなく、駐米ロシア大使カシニーに対し、アメリカにおいて同情世論を形成せよ、と命じた。
カシニーの世論形成法は、いかにもロシア風であった。 米国における新聞という新聞を片っぱしから買収してかかったのである。
たとえば、ロシアに買収されたワールド紙などは露骨な反日論を掲載した。日本人のことを、
「Yellow little monkey」
とよび、日本人がいかに卑劣で、とるにたりない国力しかもっていないかということを書き、日本人はわれわれキリスト教徒の敵である、といったふうの、かつての十字軍時代の布告文をおもわせるような論説まで書いた。

金子がサンフランシスコに上陸したのが、あたかもルーズヴェルト大統領の局外中立の宣言が出たときであった。 金子はもともとこの根まわしに自信がなかったため、上陸早々この宣言を読んで失望し、
「とうてい任務を全うできない」
とおもった。
かれは日本としては精一杯の機密費をもってきたが、しかしロシアのように全米の新聞を買収しようというほどの金ではなく、もっとも有力な日本宣伝の武器としてかれが携えてきたのは、二冊の書物だけであった。 新渡戸稲造が英文で書いた「武士道」とイーストレーキの「勇敢な日本」であり、このたった二冊の本で全米に親日世論をまきおこさねばならないかと思うと、勇気よりもむしろ自分のみすぼらしさがさき立って、気おくれがした。

(赤字はデンマンが強調)




213-214ページ 『坂の上の雲(七)』
著者: 司馬遼太郎
2009年11月20日 第29刷発行
発行所: 株式会社 文藝春秋


日露戦争概略



日露戦争物語





僕の目には末松さんよりも金子さんの方が怖そうに見える。 末松さんの写真の方が親しみ易く感じられるのですよ。 それにもかかわらず、末松さんは英国で目的を成し遂げられなかった。 堅物(かたぶつ)でとっつきにくそうな印象を与える金子さんの方がアメリカで成功している。 なぜか・・・?



アメリカ人よりも英国人の方が表面的にはどうであれ、内心では日本人を馬鹿にしていたからじゃない?

でも、この時、英国と日本は日英同盟を結んでいたのですよ。

それはロシアが巨大になるのを恐れて英国と日本が手を組んだだけでしょう!? 要するにお互いの利益が共通していたからよ。 でも、だからと言って英国人が日本人を尊敬していたわけではないわ。

つまり、アメリカ人の方が日本人に対して親密感を抱いていたとシルヴィーは思うの?

そう思うわ。 だから、ルーズヴェルト大統領は金子さんの申し出に応じたのよ。

それはないと思うな。 上の引用の中でも日本人を Yellow little monkey と書いたアメリカ人が居たのですよ。 ロシアの皇帝ニコラス2世と変わりがないのですよ。 しかも、やがてアメリカでも排日運動が盛んになるのですよ。

じゃあ、才能もあり人格的にもすぐれている末松さんが英国で失敗したのに、相手に対して怖そうな印象を与える金子さんがアメリカで成功した要因は何だとケイトーは言うの?

あのねぇ〜、これまでの顔写真を見て一番怖そうな印象を与えるのは広瀬さんなのですよ。 僕にはそう見える。 それにもかかわらず、当時ペテルブルグの貴族の娘のなかで、きっての美人と言われたアリアズナ・コヴァレフスカヤが広瀬さんに熱烈な好意を抱いた。 なぜか。。。?

広瀬さんが我が身を捨てて国家のために働こうとか、誠心誠実に任務を遂行しようという真摯な考え方を持っていたからでしょう!? それに当時のロシアの腐りかけている貴族の男と比べて勇敢で誠実なサムライに見えたのよ。

僕もそうだと思うのですよ。

でも、だから、どうして金子さんがアメリカで成功したと言うのよ?

つまりねぇ、ルーズヴェルト大統領と金子堅太郎はハーヴァード大学のクラスメートだった。 要するに、学生時代にルーズヴェルトは金子堅太郎の人物の中に「勇敢で誠実なサムライ」を見ていたに違いない。 つまり、二人の間に友情が芽生えた。 そうでもなければ、ルーズヴェルト大統領が金子さんの申し出を素直に受け入れる理由がない。 日英同盟を結んでいた英国でも末松謙澄さんの申し出はむしろ反発を受けるほどだった。

要するに、末松さんの場合には英国人の中に真の友人が居なかったのね?

その通りですよ。 でも、ルーズヴェルト大統領と金子堅太郎の友情だけではなかった。

他にどのような理由があるの?

新渡戸稲造が英文で書いた「武士道」ですよ。

その本がどうだというの?

あのねぇ〜、僕が知りえたエピソードの中で面白いのは、ルーズヴェルト大統領は旧友の金子堅太郎に日露戦争講和の仲介を頼まれた時に初めは断ったというのですよ。 堅太郎さんが思ったとおりタイミングが悪かった。 ルーズヴェルト大統領の局外中立の宣言が出たときだった。 だから、彼はどうせ無理だろうと思った。 案の定、ルーズヴェルト大統領は断ったのですよ。

。。。で、堅太郎さんはどうしたの?

せっかく二冊の本を持ってきたのだから、これだけは置いてゆこうと思った。 「君には断られてしまったけれど、君がこの二冊の本を読めば少しは日本人を理解してくれるだろうと思う。 ロシアに買収された新聞の反日論などに毒されないためにも、暇がある時にこの二冊の本を読んでもらいたい。 それで、もし気が変わったら、改めて講和の仲介のことを考えて欲しい」 そう言って二冊の本を手渡したのですよ。

それで、ルーズヴェルト大統領の気が変わったの?

大統領は旧友の申し出を断ってしまったので、多少後ろめたいものを感じたのでしょう。 せっかく二冊の本を持ってきれくれたので捨てるのも申し訳ないと思って、読み始めたのですよ。

それで。。。?

ルーズヴェルト大統領は『武士道』を読んでマジで感銘を受けたのですよ。 それで彼は堅太郎さんに言ったのです。 「私は日本人を見直したよ。 このような精神を持っている国民であるならば、私も仲介の労を惜しまない」

マジで。。。?

このような時ウソや冗談を言えませんよ。

『武士道』という本がそれ程の感銘を大統領に与えたの?

もちろんですよ。 だからこそ大統領は考え方を改めたのですよ。

いったい、どういうところに大統領は感銘を受けたの?

次の箇所を読んでみれば判ります。


善良な読者の何人かを驚かす危険を冒して、私はシェイクスピアのいったように「落ちぶれた主君の仕えてその苦難を共にする」そして「物語の中に名を残している」人について話そう。
その話とは日本史上、特筆すべき存在の一人である菅原道真にかかわる物語(『菅原伝授手習鑑』)である。
道真は嫉妬と讒言の犠牲になって京の都を追放された。
だが無慈悲な彼の敵はそれだけでは満足せず、今や道真の一族を根絶やしにせんものとたくらんだ。
そしてまだいたいけな道真の幼な子を厳しく探索し、かつて道真の従者であった武部源蔵の寺子屋にその子がかくまわれていることをつきとめた。



その結果、源蔵に幼い罪びとの首を定められた日に届けるように、との命令が伝えられた。
そのとき源蔵がまず考えついたことは、その子の身替りを見つける、ということであった。
源蔵は寺子屋の名札を思案し、そこへやってくる幼童たちの一人一人を吟味した。
だがその地生まれの幼童の中には、誰一人として源蔵がひそかに護りぬこうとしているあの若君に似ている者はいなかった。
しかし源蔵の絶望はほんのひとときであった。

見よ、品のいい物腰の母親に伴われて顔立ちの整った、年の頃もかの大臣(おとど)の幼君と同じ少年がこの寺子屋に入門してきたのだ。



さて、幼君と幼い従者がよく似ていることに、その母とその子自身が気付いていた。
そこでその家の人目に触れぬ場所で、母子はみずからを神仏の祭壇に捧げる決意をした。
子はその生命を、そして母はその心を。
だが母と子はそれらしき覚悟を露一筋だに表わさなかった。


一方で源蔵はこの母子二人の間に行われたことに気付かずに、身替りのことを考えていたのである。
そしてここに生けにえの山羊が決まったのだ。

この話の残りの部分は手短に述べよう。
定められた日に若君の首級を確かめ、受け取るように命じられた役人(松王丸)がやってきた。 彼は果たしてその贋首(にせくび)に気が付くだろうか。
哀れにも源蔵はその刀の柄に手をかけ、もしこのたくらみが検視の役人の取調べによって見抜かれたならば、即座にその役人か、あるいは自分自身に白刃の一閃を加えんものと決意していた。
検視役、すなわち松王丸は前に置かれた身の毛のよだつ物体を取り上げ、一つ一つその特徴をごく冷静に吟味した。



そしておごそかに、かつ手馴れた調子でその首がまちがいなく本物であることを述べた。

その夜、あの母親は人気のない家でなにかを待ち受けていた。
その母はわが子の運命を知っているのであろうか。
母親が表戸があくのを身じろぎもせずに見守っているのは息子の帰宅を待っているのではない。
その母親の舅(しゅうと)は長きにわたって道真公から恩寵を受けていた。
だが公の配流後、その夫たる人はやむを得ぬ成り行きから一家の御恩を受けた人の敵(藤原時平)に仕えねばならなくなっていた。

しかし世のならいとして、自分の主君に対して不忠であることは許されなかった。
だからこそ、息子を立派に祖父の主君に役立てたのだ。
そして、なんと流謫(るたく)を受けた一族と顔見知りであるという理由によって、その夫、すなわち父(松王丸)が年端もいかぬわが子の首実検の役目を命じられたのである。

その一日の、いやその人生にとってもっとも過酷な役目をおえて、夫は帰宅した。
そして敷居をまたいで戸をぴっしゃり閉めた瞬間、「我らがいとけし倅(せがれ)は立派にお役に立ったぞ。悦べ女房」と叫んだ。

「なんという残酷な物語!」
「なんとまあ、他人の子の生命を救うために、なんのとがもない自分たちの子を無残にも犠牲にするとは!」
という読者の声が聞こえるようだ。
だがこの子はおのれの死ぬ理由を知って、みずから進んで犠牲(いけにえ)となったのである。 しかもこれは身替りの物語である。

アブラハムがわが子イサクを神のいけにえにしようとした話とまったく同じくらいに重苦しいが、それ以上に忌むべき話ではない。
これらの場合、いずれも犠牲(いけにえ)は目にすることができる天使に与えられたのだろうか。
または心の耳でそれを聞いたのか。
いずれにしても義務の命ずるところに対する従順、そしてより高い世界から発せられる命令に対する絶対的な従順が存在したのだ。

赤字はデンマンが強調。
読み易いように改行を加えました。
写真はデンマン・ライブラリーより)




84-88ページ 『武士道』
著者: 新渡戸稲造 訳: 奈良本辰也
2004年3月15日 第41刷発行
発行所: 株式会社 三笠書房




松王丸のことは知らなくても菅原道真は日本人ならばほとんど誰でも知っている。 「天神様」と呼ばれて入学試験に受かるように菅原道真が祀(まつ)られている神社におまいりする人が現在でも居るほどですよ。



要するに松王丸という人は父親が菅原道真の恩を受けたので道真さんの敵(菅原時平)に仕えていたにもかかわらず、道真さんの子供の身替りに自分の子供を寺子屋に入学させて、源蔵に首を切られるように手はずを整えたというの?

その通りですよ。

ちょっと信じられないわね?

道真の子供は菅秀才(かんしゅうさい)というのですよ。 源蔵に首を切られる子供は小太郎という。 松王丸と妻の千代の子供です。 菅秀才とよく似ていたので松王丸と千代は菅秀才の身替りにしようとしたわけなのですよ。

松王丸の父親が菅原道真の恩を受けたという、ただそれだけのために。。。?

実は、松王丸も含めて、兄弟の梅王丸と桜丸は道真さんに就職の世話にもなっていた。

でも、だからといって自分の子供を犠牲にするなんて、ちょっと考えられないわ。

もちろん、僕は松王丸ならば、絶対に自分の子供を犠牲にしないでしょう。 でもねぇ、そのような時代に生きていたら、そうしなければならないような風潮があった。 つまり、義務の命ずるところに対する従順、そしてより高い世界から発せられる命令に対する絶対的な従順が存在したのですよ。

その事にルーズヴェルト大統領が感銘を受けたとケイトーは言うの?

そうですよ。

その根拠は。。。?

次の箇所を読むと判りますよ。


ロシアの官吏は文官であれ武官であれ、もっともかれらが怖れるところのものはその国家の専制者---皇帝---とその側近者(皇后もふくめて)であり、かれらはつねに対内的な関心のみをもち、その専制者の意向や機嫌をそこなうことのみを怖れ、「人がなんと言おうともロシア国家のためにこれが最善の方法である」といったふうな思考法をとる高官はまれであった。
専制の弊害はここにあり、ロシアが敗戦する理由もここにあり、さらにはニコライ二世皇帝がついにはその家族とともに革命の犠牲になり果てるのもここにあった。



「自分はロシア人を愛するが、しかしロシア帝国の政体を忌(い)みきらっている。 さらにはロシア政府の当路者の言などはつねに信じることができない。 一方、日本人については自分は将来、文明の重要な分子として尊重してゆきたい」
と、ルーズヴェルトが、5月13日付で、サー・ジョージ・オット・トレヴェルセンに書いた手紙のなかにある言葉も、ロシアという国とその高官がどういうものであるかをよく穿(うが)っている。

赤字はデンマンが強調。
読み易いように改行を加えました。
写真はデンマン・ライブラリーより)




219-226ページ 『坂の上の雲(七)』
著者: 司馬遼太郎
2009年11月20日 第29刷発行
発行所: 株式会社 文藝春秋




金子堅太郎のように日本国家のために、これが最善の方法であると信じてルーズヴェルト大統領に仲介を頼んでいる。 その金子堅太郎の姿勢と熱意、それに『武士道』のより高い世界から発せられる命令に対する絶対的な従順を読むと、ルーズヴェルト大統領は、当時のロシアの高官と日本人を比較しないではいられない。



つまり、大統領は金子堅太郎や新渡戸稲造の人物に感銘を受けて日本人を見直し、ロシア戦争の講和の橋渡しをしようと心に決めた、とケイトーは言うの?

その通りですよ。 それ以外に考えられませんよ。 そのきっかけを作ったのが『武士道』だったのですよ。

でも、ケイトーは「自分が松王丸ならば、絶対に自分の子供を犠牲にしない」と言ったじゃない!

もちろんですよ。 ロシア戦争が行われていた当時『武士道』に書かれていたことはルーズヴェルト大統領を説得するに充分な比較対象があったのですよ。

その比較対象が、腐りかけていた帝政ロシアの政治体制と、腐敗していた政府の高官たちだったと言うの?

そうですよ。 命を賭けて、自分の利益ではなく、日本人の国を守ろうとする真摯な思いをルーズヴェルト大統領は金子堅太郎の中に、そして『武士道』の中に感じ取ったのですよ。 僕は、そう思いますよ。

でも、ケイトーは「自分が松王丸ならば、絶対に自分の子供を犠牲にしない」の?

あのねぇ〜、現在、「オマエの子供を犠牲にしろ!」なんてぇ強要する人が居たら「時代錯誤だ!」と僕は叫びますよ! 特攻隊に志願しろ!と言うのと同じですよ。 現在はロシア戦争の時代ではないし、太平洋戦争の時代でもないのですよ。

とにかく、絶対に自分の子供を犠牲にしないの?

シルヴィーはどうして「子供の犠牲」にこだわるの? だったら、シルヴィーは自分の子供を犠牲にしても、お国のために特攻隊に志願させるの?

もちろん、しないわよ。

僕だってぇ、同じですよ。


【卑弥子の独り言】



ですってぇ~。。。
確かに自己犠牲を無理強いするのはどうかと思いますわ。
あなただってぇ、自分の子供を犠牲にするのはいやでござ〜♪〜ましょう?

ええっ。。。お国のためならば、あなたはゼロ戦に乗って桜の花びらのように潔(いさぎよ)く散ってゆくのォ〜?

だったら、住所と名前を書いてこの記事にコメントを書きなさいよ! んもおお〜♪〜

ところで、シルヴィーさんのことをもっと知りたかったら次の記事を読んでくださいね。



『シルヴィー物語(2011年4月27日)』

『波乱の半生(2011年4月29日)』

『シルヴィーとネット革命(2011年5月6日)』

『シルヴィーとデヴィ夫人(2011年5月30日)』

『シルヴィーとケネディ夫人(2011年6月15日)』

『バンクーバー暴動と平和(2011年6月25日)』

『ビルマからの手紙(2011年7月3日)』

『ブッシュの戦争(2011年7月7日)』

『国際的愚か者(2011年7月11日)』

『あばたもえくぼ(2011年7月14日)』

『あなたも国際市民(2011年7月18日)』

『リビエラ夫人のハンバーグ(2011年7月22日)』

『芸術とブルックリン(2011年7月26日)』

『思い出のパリ(2011年7月30日)』

『海外志向とおばさんパンツ(2011年8月5日)』

『地球の平和(2011年8月9日)』

『愚かな写真狩り(2011年8月13日)』

『死の写真狩り(2011年8月17日)』

『キモい写真狩り(2011年8月21日)』

『生パンツと床上手(2011年8月25日)』

『ヌードと写真狩り(2011年8月29日)』

『あなたの平和と幸福(2011年9月2日)』

『あなたの平和な日々(2011年9月7日)』

『奈良の鹿と憲法9条(2011年9月11日)』

『文は人なり(2011年9月15日)』

『キモい戦争(2011年9月19日)』

『バカの歴史(2011年9月23日)』

『ムカつく検査(2011年11月1日)』

『アッシジからの平和(2011年11月5日)』

『中国からの怪電話(2011年11月9日)』

『気になる英単語(2011年11月18日)』

『戦争を知らないの?(2011年11月23日)』

『熟女ヌードとデンマン(2011年11月29日)』

『山形とバンクーバー(2011年12月8日)』

『ねえ、ねえ、ねえ見て(2011年12月10日)』

『URL スパマー(2011年12月20日)』

『坂の上の平和(2012年1月4日)』


とにかく次回も面白くなりそうですわ。
あなたも読みに戻ってきてくださいましね。
じゃあ、また。。。






ィ〜ハァ〜♪〜!

メチャ面白い、

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こんにちは。ジューンです。

『菅原伝授手習鑑』(すがわらでんじゅてならいかがみ)は、

義太夫節、またそれに合せて演じられる

人形浄瑠璃(文楽)と歌舞伎の演目です。

1746年9月に大坂の竹本座で初めて演じられました。

平安時代の菅原道真失脚事件と

彼の周囲の人々の生き様を描いた物語です。



今日でも四段目を中心によく上演される人気の演目です。

歌舞伎では四段目の一部『寺子屋』が

独立して上演されることが多く、

上演回数で群を抜く代表的な演目となっています。

学問の神として広く崇敬を受けていた

天神様としての姿を見せたこと、

また三つ子を貴族に仕える舎人として配置し、

庶民にも政治の混乱が及ぶ様を描いたことが

大きな評判を呼び、

義太夫狂言の人気を大いに高めました。

後世、『義経千本桜』、『仮名手本忠臣蔵』と共に

義太夫狂言の三大名作と評価された作品のうちの

最初のものとなりました。



ところで、愛とロマンに満ちた

レンゲさんのお話をまとめて

『レンゲ物語』を作りました。

もし、レンゲさんの記事をまとめて読みたいならば、

次のリンクをクリックしてくださいね。

■ 『愛とロマンのレンゲ物語』



とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。



2012年01月04日

坂の上の平和

 
 

坂の上の平和


 
 


ケイトー、。。。上の写真は日本の風景ではなさそうね?



あれっ。。。日本に行ったこともないシルヴィーにどうして判るの?

船が香港の昔の絵葉書によくあるジャンクのようじゃない!?

なるほどォ〜。。。確かに日本では上の写真にあるような船は使わない。 でも、香港でも中国でもない。

じゃあ、いったいどこの国なの?

韓国ですよ。 朝鮮半島の南端にある晋州市の昔のお城があったところですよ。

どうして晋州市のお城の跡などを持ち出してきたの?

あのねぇ〜、去年の11月26日に次の記事を書いたのですよ。



『ありがとうさん』

(2011年11月26日)




上の記事の中で晋州市の昔のお城について書いたの?



そうです。 豊臣秀吉が16世紀の末に朝鮮を攻めたことがあった。 正確には文禄元年(1592年)10月4日から10日までの第一次晋州城攻防戦では朝鮮軍が勇敢に戦って城を守った。 日本軍は諦めずに翌年(1593年)6月21日から29日までの第二次晋州城攻防戦を戦い晋州城を落城させた。 朝鮮は日清戦争でも戦場になったし、日露戦争でも日本の第一軍(黒木軍)が朝鮮半島に上陸し、4月30日-5月1日、安東(現・丹東)近郊の鴨緑江岸でロシア軍を破った。 考えてみれば、朝鮮も中国も日露戦争ではえらい迷惑だったでしょうね。 言ってみれば赤の他人が裏庭に入ってきて大喧嘩を始めたのに、出てゆけとも言えずに手をこまねいて見ている他になかったのだから。

そうね。。。それで現在、晋州市の城跡の坂の上に平和が訪れたというので「坂の上の平和」というタイトルにしたの?

違うのですよ。 実はバンクーバー図書館から『坂の上の雲』という小説を借りて今、読んでいるところなんですよ。





カナダで初めて読んだの?



いや、15年ほど前に一度読んだことがある。

それなのに、どうしてまた読む気になったの?

あのねぇ〜、去年の9月に日本のふるさとに帰省した時にNHK総合テレビで『坂の上の雲』を観たのですよ。 4回ぐらいに分けて放映した内の2回目か3回目だったと思うのです。 その時、ロシアの首都・ペテルブルグで広瀬武夫とロシア美人・アリアズナのロマンスを放映していたのです。








広瀬武夫



明治27年(1894年)の日清戦争に従軍し、同28年(1895年)には大尉に昇進。
明治30年(1897年)にロシアへ留学してロシア語などを学び、貴族社会と交友する。
旅順港などの軍事施設も見学する。
その後ロシア駐在武官となり、明治33年(1900年)に少佐昇進。
明治35年(1902年)に帰国する。
明治37年(1904年)より始まった日露戦争において旅順港閉塞作戦に従事する。
第2回の閉塞作戦においては閉塞船福井丸を指揮する。
撤退時に行方不明となった部下杉野孫七上等兵曹を助けるため船内を3度捜索した後、救命ボート上で頭部にロシア軍砲弾の直撃を受け戦死。
享年36。即日中佐に昇進した。

流れ着いた遺体はロシア軍により埋葬された。
日本初の「軍神」となり、出身地の大分県竹田市には昭和10年に広瀬を祀る広瀬神社が創建された。
また文部省唱歌の題材にもなる。

直撃を受けたさい、近くにいた兵のそばを飛び散った肉片がかすめていった。その痕跡がくっきりと残った兵の帽子が靖国神社遊就館に奉納されており、時折展示されている。

ロシア駐在中に社交界ではロシア海軍省海事技術委員会であり、機雷敷設の専門家であったアナトリー・コワリスキー大佐の娘・アリアズナ・アナトーリエヴナ・コワリスカヤと知り合い、文通などを通じた交友があったことも知られている。
武夫の戦死を聞いた彼女は喪に服したといわれる。

エピソード

•海軍兵学校時代、大運動会のマラソンで左足を骨膜炎に冒されながら完走する。一時は左足切断を宣告されたが、最終的には安静にすることで完治した。ただし、その後も時折左足の痛みには悩まされていたらしい。

•日清戦争後、捕獲艦鎮遠の清掃活動で「一番汚い箇所からやるものだ」と便所掃除へ向かう。躊躇する部下を尻目に、広瀬は爪で汚れを擦り落として部下に模範を示した。

•見習い士官だった頃、駿州の清水港に上陸する機会があった。この時、広瀬を含む50名程度の海軍軍人が名代の侠客清水次郎長を訪ねた。次郎長は座中一同を見渡し「いや、こう見たところで男らしい男は一匹もいねぇな」と言い放ったため、座中の中から広瀬が現れ「おうおう、そう言うなら、一つ手並みを見せてやるから、びっくりするな」と言って、いきなり鉄拳を固めて自分のみぞおちを50、60発続けざまに殴った。これには次郎長も「なるほど、お前は男らしい」と感心し、お互いに胸襟を開いて談話をしたという逸話が残されている。

•講道館紅白戦で柔道の5人抜き(6人目で引き分け)により、二段に昇段する。旅順閉塞戦で戦死すると、嘉納治五郎から忠勇を称えられ四段から六段へ昇段した。講道館殿堂入りもしている。

•生涯独身であり、女性関係はあったものの極めて真面目で、遊郭に出入りすることも社交界で交際することも皆無だった。唯一の女性との関係はアリアズナとの文通であったという。また女性とデートしても、部下への体面があるとして手を出さなかったという手紙が残っており、その手紙を石原慎太郎が所有している。

•長い間、アリアズナの父親はロシア海軍のコヴァレフスキー少将とされてきたが、平成22年(2010年)になって日露の研究者により、実際の父親は別の人物であったことが明らかとなった。




出典:
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




そのロマンスがケイトーにとって印象的だったの?



そうですよ。 丸5年ほどロシアに駐在し帰国命令を受けて広瀬は日本へ帰る。 その送別会でアリアズナが荒城の月を演奏するのだけれど、それを聴いていたロシアの紳士淑女が「その曲は日本人の作曲したものではありえない」と、日本人を馬鹿にしている。 ロシアでは皇帝のニコラス2世までが日本人を「猿(マカーキ)」と呼んでいたので、当然、社交界の紳士淑女も日本人を馬鹿にしていた。

つまり、ケイトーは、それでムカついたのね?

いや。。。当時の日本人が欧米でどのように見られていたのかという事を僕は知っていたから、別にムカつきませんでしたよ。 僕が感銘を受けたのは、そういう社会的風潮の中にあって、そのようなロシアの社交界に出入りしていたアリアズナが広瀬武夫に好意を寄せたということですよ。

広瀬武夫の人物に人種を超えた「素晴らしさ」のようなものをアリアズナが見出したという事にケイトーは感銘を受けたのォ〜?

その通りですよ。 僕の経験から言って5年ぐらい海外で暮らしたからといって、異国の女性にそれほどの好意をもたれるなんてちょっと考えられない。 しかも、広瀬少佐の戦死を聞いて喪に服したという。





広瀬少佐の写真を見ると、決して女性にもてるようなハンサムではない。 やさしいというよりも、むしろ怖い印象を与えるのですよ。 要するに、広瀬武夫には、それだけ女性を魅了する性格的な何かを持っていたのですよ。



その性格的な何かってぇ、どのようなものなの。。。?

あのねぇ〜、当時の帝政ロシアは、言ってみれば熟れた柿が腐りかけて木から落ちる寸前だった。 やがて革命が起きて皇帝のニコラス2世は惨殺される運命にある。 でも、そういう事を予感する人が少数いたけれど、大多数の社交界の人たちは、熟して腐りかけた社交界にあって、旨(うま)みのある話を求め、甘い汁を吸いたいという考えの人ばかりが居た。 我が身を捨てて国家のために働こうとか、誠心誠実に任務を遂行しようという真摯な考え方を持っている人などほとんど見当たらない。

つまり、アリアズナは広瀬武夫という人物の中に「熟して腐りかけた社交界」には居ないタイプの誠実で男らしい姿を見ていた。 ケイトーはそう言いたいの?

多分、そう言う事だと思うのですよ。 とにかく、雪に覆われたペテルブルグでのアリアズナと広瀬武夫の別れのシーンがなんともロマンチックでしたよ。

。。。つまり、そのシーンを見て『坂の上の雲』をまた読む気になったの?

そうです。 そのようなシーンが『坂の上の雲』にはなかったのですよ。 少なくとも僕の記憶からスルリと抜けていた。 そのようなシーンならば、絶対に読み飛ばすはずがないのに、どういうわけか僕の記憶にないのですよ。

それで、確かめるためにもバンクーバー図書館から本を借りたの?

そうですよ。

ケイトーも物好きね?

シルヴィーだって、僕の立場にあったら、そうしたと思うよ。

。。。で、『坂の上の雲』を読んで、そのシーンがあったことを確かめたの?

確かめましたよ。 だけど、アリアズナと広瀬武夫が登場するのは次の箇所だけでした。


これより少し前、海軍少佐広瀬武夫は、ロシア駐在武官の任務を解かれて、日本に帰ってきた。
この時期、秋山真之は、海軍大学校教官をつとめている。
... 広瀬のロシア駐在はながかった。足かけ六年におよび、その間、おおぜいのロシアの海軍武官につきあってきたが、広瀬はかれらのあいだでもっとも人気のある外国武官だった。
海軍士官のあいだだけでなく、宮廷の婦人たちのあいだですら、広瀬は人気があり、そのなかで、当時ペテルブルグの貴族の娘のなかできっての美人といわれたアリアズナ・コヴァレフスカヤという娘に熱烈な求愛をうけたりした。 が、独身主義者の広瀬は、ついにそれをうけることなく、帰任命令とともに露都を離れた。
それやこれやのペテルブルグでの生活が、広瀬の感じをすこし変えていたのかもしれない。
 



110-111ページ 『坂の上の雲(三)』
著者: 司馬遼太郎
2009年11月20日 第29刷発行
発行所: 株式会社 文藝春秋




やっぱり、テレビで見た別れのシーンは無かったのですよ。 おそらくテレビでドラマ化するに当たって、視覚的なロマンスが無いというのもイマイチなので、おそらく島田謹二さんが書いた『ロシヤにおける広瀬武夫』という本からロマンスの部分を抜き出して脚色したのだと思うのですよ。



つまり、その事が言いたかったために、この記事を書き始めたの?

もちろん違いますよ。 『坂の上の雲(七)』に次のような箇所があった。 




小村寿太郎

日本は、外相小村寿太郎を指揮者としてうごいている正規の外交機関のほかに、元老の伊藤博文の手もとから派遣した陰の舞台演出家ももっていた。
米国へは金子堅太郎がゆき、英国へは末松謙澄(けんちょう)が行っていた。
金子はこの戦争中、ほとんどワシントンに居っきりであった。 ... かれはルーズヴェルト大統領とはハーヴァード大学でのクラスメートで、その後も親交が深かった。 伊藤は金子を同大統領に接触させることによって、米国に講和への口火を切る役をつとめてもらおうとしたのである。



ルーズヴェルト大統領



金子堅太郎

この金子堅太郎の派遣と活動は成功した。
ただし、英国へ行った末松謙澄の場合は、成功といえるような結果はえられなかったといっていい。
末松は、幕末における長州藩の革命史である「防長回天史」の著者として知られている。
明治型のはばのひろい教養人で、文学博士と法学博士のふたつの学位をもっている。



末松謙澄

かれは「源氏物語」を英訳してはじめて日本の古典文学を海外に紹介したことでも知られ、さらには新聞記者時代に多くの名文章を書き、つづいて官界に転じ、伊藤博文に見こまれてその娘むこになり、つづいて衆議院に出、のち逓信大臣や内務大臣にも任じたといういわば一筋縄ではとらえがたい生涯をもっているが、外交をやる上での最大の欠点はその容姿が貧相すぎることであった。
さらにこの小男が説くところが誇大すぎるという印象を英国の指導層や大衆にあたえた。 末松は、
「昇る旭日(きょくじつ)」
といったふうの日本宣伝をぶってまわった。 不幸なことに英国人は日本が「昇る旭日」のごとく成長することを好まなかった。 末松はその講演速記を本にして刊行した。 無邪気で楽天的な明治男子の文章であり、元来、日本国家が末松が説くほど栄光にみちた過去をもち、またいかに将来への希望にみちた国であろうとも、英国人には関係のないことであった。 英国人はかれの無邪気さを冷笑し、ほとんど黙殺した。

(写真はデンマン・ライブラリーより
赤字はデンマンが強調)




202-204ページ 『坂の上の雲(七)』
著者: 司馬遼太郎
2009年11月20日 第29刷発行
発行所: 株式会社 文藝春秋




僕は司馬遼太郎さんの考え方には賛成できることが多いのだけれど、司馬さんの人の容姿に対する印象は僕とはだいぶ違うのですよ。



どのように。。。?

末松謙澄さんの写真を見てくださいよ。 司馬さんは外交をやる上での最大の欠点はその容姿が貧相すぎることであったと書いているけれど、僕の目には容姿が貧相とは見えない。 シルヴィーにはどう見える?

他の日本人とあまり変わりがないように見えるわ。 ケイトーと比べても、それほど変わってないわよ。 うふふふふ。。。

そうでしょう。。。正直言って、僕にも末松謙澄さんは他の日本人と大して変わりがないように見える。 つまり、司馬さんは日本人というのは欧米人に比べて容姿が貧相に見えるという固定観念を持っていたのかもしれない。

つまり、司馬さん自身も自分の容姿に対しても劣等感を持っていたのかしら?



司馬さんも末松謙澄さんも日本人としてそれほど変わりがないように僕には見えますよ。

つまり、ケイトーはその事が言いたかったの?

もちろん、違いますよ。 容姿のことは付けたしですよ。

。。。で、何が言いたいのよ。

あのねぇ〜、末松謙澄さんは人間としてすごい人だと僕は思うのですよ。 文学博士と法学博士のふたつの学位をもっている。 しかも、日本の元勲でもある伊藤博文は末松さんの人物を評価して自分の娘の婿にさえしている。 つまり、末松さんは才能でも人格の上でも相当な人物のはずですよ。 それにもかかわらず、英国人に日露戦争の講和をしてもらうことに成功していない。 結果として成功したのは金子堅太郎の方だった。


ロシアはすでにそうと察し、開戦後ほどなく、駐米ロシア大使カシニーに対し、アメリカにおいて同情世論を形成せよ、と命じた。
カシニーの世論形成法は、いかにもロシア風であった。 米国における新聞という新聞を片っぱしから買収してかかったのである。
たとえば、ロシアに買収されたワールド紙などは露骨な反日論を掲載した。日本人のことを、
「Yellow little monkey」
とよび、日本人がいかに卑劣で、とるにたりない国力しかもっていないかということを書き、日本人はわれわれキリスト教徒の敵である、といったふうの、かつての十字軍時代の布告文をおもわせるような論説まで書いた。

金子がサンフランシスコに上陸したのが、あたかもルーズヴェルト大統領の局外中立の宣言が出たときであった。 金子はもともとこの根まわしに自信がなかったため、上陸早々この宣言を読んで失望し、
「とうてい任務を全うできない」
とおもった。
かれは日本としては精一杯の機密費をもってきたが、しかしロシアのように全米の新聞を買収しようというほどの金ではなく、もっとも有力な日本宣伝の武器としてかれが携えてきたのは、二冊の書物だけであった。 新渡戸稲造が英文で書いた「武士道」とイーストレーキの「勇敢な日本」であり、このたった二冊の本で全米に親日世論をまきおこさねばならないかと思うと、勇気よりもむしろ自分のみすぼらしさがさき立って、気おくれがした。

(赤字はデンマンが強調)




213-214ページ 『坂の上の雲(七)』
著者: 司馬遼太郎
2009年11月20日 第29刷発行
発行所: 株式会社 文藝春秋


日露戦争概略



日露戦争物語





僕の目には末松さんよりも金子さんの方が怖そうに見える。 末松さんの写真の方が親しみ易く感じられるのですよ。 それにもかかわらず、末松さんは英国で目的を成し遂げられなかった。 堅物(かたぶつ)でとっつきにくそうな印象を与える金子さんの方がアメリカで成功している。 なぜか・・・?



アメリカ人よりも英国人の方が表面的にはどうであれ、内心では日本人を馬鹿にしていたからじゃない?

でも、この時、英国と日本は日英同盟を結んでいたのですよ。

それはロシアが巨大になるのを恐れて英国と日本が手を組んだだけでしょう!? 要するにお互いの利益が共通していたからよ。 でも、だからと言って英国人が日本人を尊敬していたわけではないわ。

つまり、アメリカ人の方が日本人に対して親密感を抱いていたとシルヴィーは思うの?

そう思うわ。 だから、ルーズヴェルト大統領は金子さんの申し出に応じたのよ。

それはないと思うな。 上の引用の中でも日本人を Yellow little monkey と書いたアメリカ人が居たのですよ。 ロシアの皇帝ニコラス2世と変わりがないのですよ。 しかも、やがてアメリカでも排日運動が盛んになるのですよ。

じゃあ、才能もあり人格的にもすぐれている末松さんが英国で失敗したのに、相手に対して怖そうな印象を与える金子さんがアメリカで成功した要因は何だとケイトーは言うの?

あのねぇ〜、これまでの顔写真を見て一番怖そうな印象を与えるのは広瀬さんなのですよ。 僕にはそう見える。 それにもかかわらず、当時ペテルブルグの貴族の娘のなかで、きっての美人といわれたアリアズナ・コヴァレフスカヤが広瀬さんに熱烈な好意を抱いた。 なぜか。。。?

広瀬さんが我が身を捨てて国家のために働こうとか、誠心誠実に任務を遂行しようという真摯な考え方を持っていたからでしょう!? それに当時のロシアの腐りかけている貴族の男と比べて勇敢で誠実なサムライに見えたのよ。

僕もそうだと思うのですよ。

でも、だから、どうして金子さんがアメリカで成功したと言うのよ?

つまりねぇ、ルーズヴェルト大統領と金子堅太郎はハーヴァード大学のクラスメートだった。 要するに、学生時代にルーズヴェルトは金子堅太郎の人物の中に「勇敢で誠実なサムライ」を見ていたに違いない。 つまり、二人の間に友情が芽生えた。 そうでもなければ、ルーズヴェルト大統領が金子さんの申し出を素直に受け入れる理由がない。 日英同盟を結んでいた英国でも末松謙澄さんの申し出はむしろ反発を受けるほどだった。

要するに、末松さんの場合には英国人の中に真の友人が居なかったのね?

その通りですよ。 でも、ルーズヴェルト大統領と金子堅太郎の友情だけではなかった。

他にどのような理由があるの?

あのねぇ〜、こちらの理由の方が大きいのだけれど、時間がないので別の機会に話をしますよ。

仕方がないわねぇ〜。。。 それまで待ってあげるわ。


【卑弥子の独り言】



ですってぇ~。。。
もう一つの理由って何でござ〜♪〜ましょうか?
あなたに想像がつきますか?

でも、なんとなく判る気もしますわ。
新渡戸稲造が英文で書いた「武士道」が出てきたのですもの、きっとこの本に関係しているのですわ。

とにかく、あなたも楽しみにして待っててね。

ところで、シルヴィーさんのことをもっと知りたかったら次の記事を読んでくださいね。



『シルヴィー物語(2011年4月27日)』

『波乱の半生(2011年4月29日)』

『シルヴィーとネット革命(2011年5月6日)』

『シルヴィーとデヴィ夫人(2011年5月30日)』

『シルヴィーとケネディ夫人(2011年6月15日)』

『バンクーバー暴動と平和(2011年6月25日)』

『ビルマからの手紙(2011年7月3日)』

『ブッシュの戦争(2011年7月7日)』

『国際的愚か者(2011年7月11日)』

『あばたもえくぼ(2011年7月14日)』

『あなたも国際市民(2011年7月18日)』

『リビエラ夫人のハンバーグ(2011年7月22日)』

『芸術とブルックリン(2011年7月26日)』

『思い出のパリ(2011年7月30日)』

『海外志向とおばさんパンツ(2011年8月5日)』

『地球の平和(2011年8月9日)』

『愚かな写真狩り(2011年8月13日)』

『死の写真狩り(2011年8月17日)』

『キモい写真狩り(2011年8月21日)』

『生パンツと床上手(2011年8月25日)』

『ヌードと写真狩り(2011年8月29日)』

『あなたの平和と幸福(2011年9月2日)』

『あなたの平和な日々(2011年9月7日)』

『奈良の鹿と憲法9条(2011年9月11日)』

『文は人なり(2011年9月15日)』

『キモい戦争(2011年9月19日)』

『バカの歴史(2011年9月23日)』

『ムカつく検査(2011年11月1日)』

『アッシジからの平和(2011年11月5日)』

『中国からの怪電話(2011年11月9日)』

『気になる英単語(2011年11月18日)』

『戦争を知らないの?(2011年11月23日)』

『熟女ヌードとデンマン(2011年11月29日)』

『山形とバンクーバー(2011年12月8日)』

『ねえ、ねえ、ねえ見て(2011年12月10日)』

『URL スパマー(2011年12月20日)』


とにかく次回も面白くなりそうですわ。
あなたも読みに戻ってきてくださいましね。
じゃあ、また。。。






ィ〜ハァ〜♪〜!

メチャ面白い、

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こんにちは。ジューンです。



本の紹介ページ: 『英訳源氏物語』

『源氏物語』は、1882年に

末松謙澄さんが英訳して

ロンドンで刊行されました。

デンマンさんもこの事で

次の記事を書いています。

『ヴィクトリア女王と源氏物語』

ヴィクトリア女王は

「源氏物語」を読んだでしょうか?

ヴィクトリア女王が亡くなったのは

1901年です。

だから、読んだかもしれません。

ただ、「源氏物語」を読まないとしても、

紫式部の名前を知っていたかもしれません。

ええっ。。。どうしてかって。。。?

ヴィクトリア女王は「紫」が好きだったそうです。

うふふふふ。。。

人類が最初に発明した合成染料は

紫色だったのです。

1856年にイギリスの化学生パーキンが

解熱剤を合成する実験中に

偶然発見したそうですよう。

その薄い紫はモーヴと名付けられたのです。

モーヴ(mauve)とはフランス語で

葵(アオイ)の意味です。

ヴィクトリア女王は、その紫色が好きだったのです。

1862年に開かれたロンドンの万国博に

ヴィクトリア女王がこの合成染料モーヴで染めた

ドレスを着て現れたのです。



【合成染料モーヴで染めた

ヴィクトリア朝のドレスを着た女性】


そのような訳でモーヴはヴィクトリア朝の

流行色となりました。

ところで、愛とロマンに満ちた

レンゲさんのお話をまとめて

『レンゲ物語』を作りました。

もし、レンゲさんの記事をまとめて読みたいならば、

次のリンクをクリックしてくださいね。

■ 『愛とロマンのレンゲ物語』



とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。



2011年12月23日

島国根性の管理人

   
 
島国根性の管理人
 


 
あなたも島国根性に

なってるんじゃないの?





デンマンさん。。。、またオイラをお呼びですか?



そうだよ。。。オマエにいい物を見せてあげようと思ってね。

うへへへへへ。。。エロい写真か? またヌードですか?

オマエは、また写真狩りでもしようと言うのォ〜? オマエの生きがいは写真狩りなのかア?

よく判りますね。 うへへへへへ。。。3度の飯(めし)よりも写真狩りが好きなんすよ。 どうしてデンマンさんは、そう思われたのですか?

次の検索結果を見れば一目瞭然じゃないか!





デンマンさんも、くどいですねぇ〜。。。



愚かな事を言うなよ! くどいのはオマエだろう!?

その根拠は。。。?

同じようにして検索した次の結果を見てみろよ!



『あなたが読んでいる現時点での検索結果』
( ↑ ここをクリック!)




判るだろう?。。。「amebaの健全なサイト運営にふさわしくない表現」を入れて12月12日に検索したら 1、560,000件も引っかかったのだよ。 同じようにして12月22日に検索した結果は 1,730,000件。 つまり、わずか10日しか経ってないのに、オマエは くどいことに 170,000件も写真狩りをした。 1日にすると 17,000件なんだよ! オマエと部下が 1日8時間働いたとして、 1時間当たり 2,125件の写真狩り! 僕が12月19日に書いた『めれちゃんと玲子さん』もオマエの写真狩りの犠牲になった。





『めれちゃんと玲子さん』

(2011年12月19日)




上のエッチな写真はダメですよ! これってノーパンでしょう!?



それはオマエのエッチな妄想なんだよ! バカバカしい! 小笠原玲子さんはちゃんとパンツを穿いてるよ! んもおォ〜。。。 オマエの所だけだよ! こうして写真狩りしているのは!

その根拠は。。。?





他のサイトでは、こうして 『めれちゃんと玲子さん』は公開されているのだよ! とにかく、アメブロではオマエと部下が 1時間に 2,125件も写真狩りをしている。 休憩時間や無駄話をしている時間を考えたら、写真狩りをするのに平均5分はかかるだろうよ。 僕の記事は特に長いから上の記事を隅から隅まで見て、それから記事を未公開にするまでに、5分以上かかるかもしれない。 とにかく、平均5分かかるとすると、一人が1時間に写真狩りできるのは 12件。。。という事は、 1時間に 2,125件の写真狩りをするためには、約180人必要なのだよ。

デンマンさんは算数が得意なのですね? (微笑)  

この程度では算数が得意とは言わないんだよ!

180人もかかって写真狩りをしてませんよ。

でも、少なくとも10人は必要だよ!?

まあ。。。そんなところですね。

オマエは僕の次の2つの記事を読んだのだろう?




『ファシスト管理人(2011年12月13日)』

『続・ファシスト管理人(2011年12月17日)』




下らない事が書いてあるので読んでませんよ。



読んでないのに、どうして下らないと判るのォ〜?

直感ですよ。。。直感!

それを愚か者の直感と言うのだよ!。。。あのなァ〜。。。僕の書いた記事がネットで存在感を増しているのだよ!

その証拠は。。。?

証拠が見たいの? だったら見せるよ!





見れば分かるだろう? オマエの事を書いた記事がネットには 2、070件出回っている。



だから、デンマンさんはどうだと言うのですか?



『あなたが読んでいる現時点での検索結果』
( ↑ ここをクリック!)




『ファシスト管理人』は12月13日に書いたものだけれど、3日後に検索したら デンマン・シンディケートを通じて すでに 1,140件の記事がネット上に公開されている。 それから 6日が経って 現在、2、070件に増えている。



デンマンさんがムキになってオイラのことを書いているからですよ。 でもねぇ〜、ネットにデンマンさんの記事が増えたからって読まれているとは限らない!

あのなァ〜。。。だから、オマエは愚かだと言うのだよ! 僕の記事を読んでないから、そのような愚かな事を言っている! 僕の記事は読まれているのだよ!

その証拠は。。。?
 
 
“灯台もと暗し”
 
 
オマエのオツムは、まさに、この諺どおりだよ! オマエのサイトでやっているアクセス解析の結果を見てみろよ!





このアクセス解析のどこを見ろと言うのですか?



12月13日に注目して欲しいのだよ!

12月13日が何だとデンマンさんは言うのですか?

この日に僕が書いた記事が『ファシスト管理人』なのだよ!

写真狩りが忙しくってデンマンさんの記事をじっくりと読む気もおこりませんよ!

そうだろうなァ〜。。。だから、オマエも、オマエの社長も愚か者だと僕は言うのだよ!

どうしてオイラと社長が愚か者なのですか?

ついでに、次のアクセス解析を見てみろよ!





判るだろう! 12月13日に書いた『ファシスト管理人』がダントツで読まれたのだよ!

『ファシスト管理人』

(2011年12月13日)




ダントツで読まれたから、どうだと言うのですか?

だから、オマエの愚かな社長も遅かれ早かれ上の記事を読むのだよ!

ダントツと言ったってぇ、たかだかアメブロで 104人が読んだだけじゃないですか!

だから、オマエは愚か者だと言うのだよ! オマエは自分のサイトでやっているアクセス解析について全く理解してないんだね。 トップの 1062人、 2番目の 272人、そして3番目の 250人もホームページに掲載されていた『ファシスト管理人』を読んだのだよ!

デンマンさんの言うことが正しいとしても、せいぜい合計で 1,688人ですよ。

だから、オマエは愚か者だと言うのだよ。

デンマンさん! 愚か者だ、愚か者だ!と馬鹿にしないでくださいよ! どうして、そのような事を言うのですか?

次の検索結果を見てごらんよ!



『あなたが読んでいる現時点での検索結果』
( ↑ ここをクリック!)




『ファシスト管理人』は12月13日に書いたものだけれど、3日後に検索したら デンマン・シンディケートを通じて すでに 1,140件の記事がネット上に公開されている。



だから、どうだと言うのですか?

それがすぐに判らないから、オマエは愚か者なのだよ! あのなァ〜、この記事はアメブロのメンバーだけじゃなく、これからブログをやろうとしている人もたくさん読んでいる。

だから、どうだと言うのですか?

アメブロのメンバーは、おそらく今後、他のサイトにブログを移すだろうし、これからブログを始めよとする人は、『ファシスト管理人』、『続・ファシスト管理人』、そして『島国根性の管理人』を読めば、アメブロでは絶対にブログを始めないだろうよ!

独断と偏見ですよ! とにかく、それはデンマンさんだけの個人的な意見ですよ。 ところで、オイラがどうして“島国根性の管理人”なのですか?

あのさァ〜。。。もし、オマエが僕のこれまでの記事を読んでいれば、すぐに理解できるんだよ! くどいけどさァ、オマエのために、もう一度ここに書くから、お願いだからじっくりと読んでね。


写真狩りをする

未熟な精神構造は、

日本に何をもたらすのか?




島国根性に凝り固まっていた

帝国政府の政治家と役人は

英語を使うのを禁止した!




知っていますか?
太平洋戦争時代、日本帝国政府は今から考えれば愚劣と言えるほどの言論統制で国民をがんじがらめにしたのです。

その良い例が英語を使うな、という規制です。
野球で英語が使えなかった。
ストライクと言ってはダメなんですね。
じゃあ、何と言ったか?

「当たり」「一本」「良し」とか言ったらしい。
「ボール」も使えない。
「はずれ」とか「ダメ」とか言ったらしい。

愚かと言うより、こうなるともう滑稽ですね。
しかし、戦争当時、みんなが真面目にこう言いながら野球したらしい。
いっそのこと野球も敵性スポーツとして禁止すればよかったと思うのですが、帝国政府の親玉の中に野球の好きな人がいたらしい。

それなら、英語も使わせればよいと思うのに、そうはしなかった。こういうところが片手落ちなんですよね。

アメリカはどうだったか?
すっかり逆でした。

日本人が昔から親しんだ「敵を知り己を知れば百戦危うからず」という『孫子の兵法』の中の有名な格言を忠実に守ったんですね。つまり、戦争に勝つためには日本人を知らなければならない。そのためには日本語を大いに学ばねばならない。と言う事でアメリカ政府は日本語学校を作ってそこで日本語を徹底的に学ばせて、日本人の研究人材を養成したわけです。

『菊と刀』で有名な著者ルース・ベネディクト(Ruth Benedict)さんも政府から依頼を受けて「お国のために」日本人と日本文化の研究をしたんですね。彼女がレポートを提出した時には戦争が終っていた。それで、その研究に基づいて1946(昭和21)年に出版されたのが『菊と刀』です。この本の事を全く知らない人は次のリンクをクリックして僕の書評を読んでみてください。

■ 『「菊と刀」 書評』

現在でも読まれています。すでに90版以上を重ねているはずです。僕は6度程読みましたが、読むたびに新たな感動を受けています。このべネデクトさんは日本で暮らしたことが一度もない人なんですね。もちろん日本へ行ったこともない。そういう人があれだけの研究成果を出したんですから、日本研究がどれだけ進んでいたかが良く分かるんです。アメリカ政府の採った政策は日本帝国政府がやった言論統制と比べると雲泥の差です。

しかし、日本にだって良識を失わない人たちも居たんですね。極めて少なかったですが。。。太平洋戦争下で唯一といってよい言論抵抗事件がありました。このことについて、ちょっと詳しく語ろうと思います。1944(昭和19)年2月23日の『毎日』新聞の竹ヤリ事件というのがこれです。

この記事を書いたのは37歳の新名丈夫記者でした。「竹やりなんかでアメリカに徹底抗戦なんてどうかしている」と言うような趣旨の事を書いてしまったんですね。もちろん、覚悟して書いたんです。うっかりして書いてしまったわけではないんです。

でも、当時の東条英機首相はこれを読んで激怒した。

それで、頭にきたものですから、できれば書いた記者を死刑にしたい。でもいくらなんでもそんな無茶な事は出来ませんから、赤紙で徴兵して南方戦線に送り込もうとしたわけです。当時の常識として、南方戦線に送り込まれれば生きて帰れないということが分かっていました。つまり事実上の「死刑」です。いづれにしても、無茶な事をしたんですね。

当時軍部と帝国政府に真っ向から反対すれば、このような仕打ちが待っていたんです。だから、分かっていた人もおとなしく黙っていた。でも、新名記者はメディア人としての良識を持っていたわけです。アメリカを例に取れば、あのニクソン大統領を退陣に追い込む事になったウォーターゲート事件を暴露したワシントンポスト記者のボブ・ウッドワード(Bob Woodward)のような人だったわけです。

最近、命を懸けて記事を書くような新聞記者が日本にはいなくなりましたね。残念です。

この記事が発表された頃には、もう戦局は悪化していました。問題の記事が発表された前年、1943(昭和18)年には、まず2月、ガダルカナル島で日本軍の撤退が開始されました。これを契機に、米軍は一挙に攻勢に転じたわけです。以後、5月にアッツ玉砕、11月にはマキン・タラワ全滅と戦局は日々悪化していきました。1944年2月17日には「日本の真珠湾」と米軍から呼ばれた作戦の最重要拠点、トラック諸島が米軍の手に落ちてしまいました。

軍部でも、帝国政府でも太平洋戦争の敗北はすでに決定的となったと考える人がでてきました。しかし国民には「勝った、勝った」という虚偽の情報以外は一切知らされていなかったんですね。そのためにも言論は厳しく統制されたわけです。

新名さんは海軍記者となって以来半年間にわたって主力艦隊に乗り組み、戦況を自分の目で確かめていた。戦況が悪くなっていた事も充分に知っていた。陸海軍が対立し、飛行機生産のためのジュラルミン三十万トンの大部分を陸軍が本土決戦用に抑えて出さないという内幕もキャッチしていたほどです。

マーシャル陥落の発表を大本営が20日間もためらって大騒動を演じているのを見た新名記者は決意を固め、一大プレスキャンペーンを社に上申しました。メディア人としての良識です。「日本の破滅が目前に迫っているのに、国民は陸海軍の醜い相克を知りません。今こそわれわれ言論機関が立ち上がるほかはありません」
そのように便せんに書いて、吉岡文六編集局長に上申したのでした。
「よし、何とかして国民に知らせるほかない」と決意した吉岡局長は社外の大物に書かせようと、まず元中国駐劉大使・本多熊太郎氏に交渉しました。しかし、「検閲があっては書けない」と断わられてしまいました。

結局、編集会議の結果、新名さんが指名されました。当時の記事は、もちろん検閲を受けなければならなかったのです。しかし、海軍担当の新名記者が執筆したものは海軍省の検閲だけでよく、各社のキャップの書くものは無検閲でよいという紳士協定になっており、その特典を利用したのです。

「書けば東条から懲罰召集を喰らうかも知れない。社もつぶされるかも知れない。殺されるかも知れない」
新名記者は悲壮な覚悟で執筆したのでした。実際、その通りになってしまい、ハチの巣をつついたような騒ぎとなったのです。新名記者は責任を感じ辞表を提出しました。しかし、吉岡局長は突き返し、逆に金一封の特賞を出したのです。その代わり、3月1日に吉岡局長、加茂勝雄編集次長兼経理部長は責任をとって辞任しました。

しかし、こんなことで東条首相はおさまりません。東条さんは情報局次長村田五郎を呼びつけて「竹ヤリ作戦は陸軍の根本作戦ではないか。毎日を廃刊にしろ」と指示したのです。村田さんは答えました。「廃刊するのはわけありません。紙の配給を止めれば、毎日は明日から出ません。ただし、よくお考えになってはいかがですか。毎日と朝日は、いまの日本の世論を代表しています。その新聞の一つがあのくらいの記事を書いた程度で、廃刊ということになりますと、世間の物議をかもす、ひいては外国から笑われることになるでしょう」

東条首相も馬鹿ではありませんから、この説得が効いたのでしょう。廃刊は引っ込めました。しかし、陸軍からの新名さんへの執拗な処罰要求が出されたのです。そういうわけで、新名記者に対して陸軍から懲罰召集が強行されたわけです。

極度の近視ですでに徴兵検査で兵役免除になっていた37歳の新名さんへの再度の徴兵でした。海軍省は「新名は報道班員としてパラオ派遣が決定しているので、召集を延期されたい」と陸軍省に申し入れたのです。陸軍省はこれを突っぱねました。しかし、海軍も負けてはいられないと大運動を展開して、なんとか召集を解除させたのです。

ところが、陸軍中央から絶対に還すなという厳命がきており再度召集があり、丸亀連隊へ一人だけの中年二等兵の入隊になったのです。これはもう、海軍と陸軍の対立というところまでエスカレートしてしまったわけです。

これに対して海軍が再び抗議しました。「なぜ、中年二等兵が一人だけ入隊するのか?」
陸軍も黙っては居ません。何とかしようという事で、新名さんと同じく大正生まれの兵役免除者二百五十人を召集したのです。つじつまを合わせたわけですね。「新名記者憎し」の陸軍の執念はすごかった。

さらに、陸軍中央は新名さんを最激戦地の沖縄、硫黄島方面の部隊へ転属させろと厳命してきたのです。やることが汚いです。生きて帰さぬ方針を取ったわけです。こうなると、もう、無茶苦茶ですね。

しかし、陸軍の思い通りには行きませんでした。三ヵ月がたち、結局新名さんは他の戦友と除隊になりました。丸亀連隊報道部の香川進大将は 「この召集は東条大将の厳命だったんだよ。新名は絶対に還すな、重労働を課せとね。海軍や軍令部からもなんども人がきた。われわれは自分らの正しいと思う判断で君を扱った。善通寺師団司令部でも見て見ぬふりをしてくれた」と除隊の真相を説明したのです。

海軍は直ちに新名さんを報道班員としてフィリピンへ送り、陸軍の再召集を防いだのでした。新名記者がフィリピンに出発した直後、新名さんの“とばっちり”を喰らって再召集された丸亀連隊の中年二等兵たち二百五十人は硫黄島に送られ、全員玉砕してしまったのです。全くこれでは、この二百五十人の人たちの魂は泣き切れないでしょうね。ひどいものです。

言論統制から、人の命までが軽々しく一部の人間の思うように処分されてゆく。死ななくても良い人たちまでが、とばっちりを受けて250人もが硫黄島のチリとなって消えてしまう。もし、あなたがこの250人の中に選ばれたとしたらどう思いますか?

ええっ?現在、そんな馬鹿げた事は起こらない?
そうでしょうか?
太平洋戦争が終って戦争放棄を謳(うた)った憲法が出来た時、いったい誰が自衛隊が出来ると考えたでしょうか?
その自衛隊が、イラクに派遣されると誰が考えたでしょうか?

ええっ?でも徴兵なんて日本には絶対にないから、戦争で死ぬ事はない?
そうでしょうか?
あなたと私が声を大きくして、表現の自由と言論の自由のもとで戦争反対を訴えない限り、
一体、誰が徴兵の無い時代を保障しますか?

これまで読んできて、表現の自由と言論の自由の大切さが分からないとしたら、あなたも、あの250人の中に選ばれて硫黄島へ送られるということが、また起こるかもしれないですよ。
そう思いませんか?
ええっ?あなたは女だから心配ない?

しかし、アメリカを見てくださいよ。
アメリカ女性兵士がイラクで救出されたことがありましたよね。あなただって知っているでしょう?
日本はアメリカの真似をしますからね、志願だけではなく女性だって徴兵される時代が来るかもしれませんよ。現在の日本の自衛隊にも男性と同様に実戦訓練を受けている女性自衛官が結構たくさん居るんですよ。

ええっ?もう兵隊にとられるような年齢じゃない?
あなたの子供の事、あなたの孫の事を考えてくださいよ!
表現の自由、言論の自由のもとで、平和な国にしようと主張しましょうね。
とにかく、表現の自由、言論の自由を守りましょうね。




『少しでも日本を良くしたいと思いませんか?』より
(2005年7月3日)




分かるだろう!? 本来ならば、オマエは新名丈夫記者のように言論の自由・表現の自由・報道の自由を守らなければならない立場にあるんだよ。 それなのに、オマエは島国根性に凝り固まっていた東条英機・元首相の真似をして下らない言論統制・写真狩りをしている。



オイラは東条英機・元首相の真似をしてませんよ!

でもなァ〜。。。オマエがやってる事は、戦争中に英語を使うのを禁止したような愚かな事なんだよ! この情報化時代に写真狩りをしたり、言論統制をするのは、鎖国を強制していた徳川時代に逆戻りしようとしている時代錯誤もはなはだしい馬鹿げた事なんだよ!! そのことをオマエは全く理解してない!

じゃあ、デンマンさんはオイラにどうしろと言うのですか?

写真狩りや言論統制をしたいのならば、民主的にやれよ!

民主的にやるというのは、どうやればいいのですか?

だから、僕がすでに書いたように GOOGLE のようにやればいいんだよ!



(■『キモい写真狩り(2011年8月23日)』より)



あのさァ、実はGOOGLEでも写真狩りをやっているのだよ。 でもなァ、GOOGLEが民主的なのは検索利用者に判断を任せている。 アメブロ(http://ameblo.jp/)の愚かな管理人のオマエのように島国根性的で独善的な写真狩りをしているわけじゃない! つまり、検索利用者が見て嫌悪感を催すもの、ネット上に公開されて不快感を与えるような画像を報告できるようにしてある。



画像検索結果の下の方に赤枠で囲んであるところですか!?

そうだよ。 検索利用者が表示された画像を見て、特定の画像が好ましくないと思ったら報告できるのだよ。 GOOGLEの担当者が報告者の数を調べて、例えば100人を越えたとすれば、その画像を表示されないようにする。 これこそ、民主的なものだよ。

つまり、オイラがやっているような写真狩りは島国根性的でファシスト的だとデンマンさんはおっしゃるのですか?

その通りだよ! でもなァ、僕がオマエを厳しく批判して書いた記事『ファシスト管理人』と『続・ファシスト管理人』をオマエは、まだ削除してない。 僕はオマエの良識を認めるよ!




わァ〜〜 うれしいなあああァ〜。。。

デンマンさんがオイラの良識を

認めてくれました!

オイラは、もしかすると

東条英機・元首相のように

えらい人になれるかもしれない!

マジで褒められたような気分。。。

ワぁ〜♪〜 うれしいなあああァ〜。。。

もうスキップしてしまおう!

ルンルンル〜♪〜ン

ランランラ〜♪〜ン




馬鹿ですよねぇ〜。 ちょっとおだてると、すぐに調子に乗って喜んでしまうのですよ! 愚か者がスキップしながら帰ってしまいましたよ。 全く反省してません。 まだしばらくの間、写真狩りが続くようですよ。 だから、あなたも、もし Ameblo で写真狩りされたら他のサイトへ移る事も考えてくださいね。


【卑弥子の独り言】



ですってぇ〜。。。
いつまでも写真狩りになんて付き合っていられないのでござ〜♪〜ますわ。

とにかく、今年も残り少なくなりましたわね。
新年には、お餅を焼くのが楽しみです。



そして、美味しいお雑煮もいただきたいと思うのでござ〜♪〜ますう。
いくつになってもお正月は待ちどおしいものですわ。
あなたも、そうでしょう?



そしてジューンさんのように雪見をしながら温泉につかりたいと思います。

とにかく、次回も興味深い記事が続きますわ。
だから、あなたも、また読みに戻ってきてくださいね。
じゃあ、また。。。








ィ〜ハァ〜♪〜!

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こんにちは。ジューンです。

デンマンさんのパソコンが約1年ぶりに立ち上がったそうです。

でも、マウスは動かないままですって。



マウスなしで、どうやってパソコンを使うのかしら?

わたしが尋ねたらキーボードのテンキーをマウスとして使うのですって。



このテンキーをどうやってマウスとして使うのかしら?

あなたも知りたいでしょう?

次の記事を読んでみてくださいね。

『キーボードをマウスとして使う』

では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょう。

じゃあ、また。。。



 

2011年12月13日

ファシスト管理人

   
 
ファシスト管理人
 


 



デンマンさん。。。、オイラがどうしてファシスト管理人なのですか?



どうしてだか?オマエには理由が判らないのだろう?

そうです。。。だから、こうしてデンマンさんにお尋ねしているのですよ。

あのなァ〜。そもそも、その理由が判らないところに、オマエの人間としての教養が疑われるのだよ。

つまり、オイラには教養が欠けているとデンマンさんはおっしゃるのですか?

ほらねぇ〜。。。オマエは自分では教養があると信じ込んでいるのだろう?

もちろんですよ。 オイラはこれでも名前の知られているメイジャーのブログ提供サイトの管理人をやっているのですよ。 言っちゃあなんだけれど、平均的な日本人よりも、よっぽど教養があると自尊しているのですよ。

だから、オマエは教養がないと僕は言うんだよ。

どうしてですか?

それが判らないから教養がないと言うんだよ。

つまり、オイラには教養が欠けているという確固とした根拠があって、デンマンさんは、こうしてオイラを呼び出してお説教をしようというのですか?

いや。。。オマエにお説教しようと言うつもりじゃないのだよ。 僕の信条に基づいてオマエと友好的な対話を持ちたいと思っているだけだよ。

デンマンさんの信条とは何ですか?

批判のないところに進歩なし

愛なき批判は空虚にして

批判なき愛は盲目なり


また、これですか?

あれっ。。。オマエは僕の信条を知ってるの?

知ってますよう。。。デンマンさんは何度も何度も記事の中で書いたでしょう?

オマエは僕の記事を読んでるくせに、相変わらず教養の一欠片(ひとかけら)もない写真狩りをしているの?

いけませんか?

あのなァ〜。。。オマエは自分で自分の首を絞めているのが判らないの?

オイラは自分で自分の首を絞めるような愚かな事をはしてませんよ。

マジで。。。?

そのような愚かな事をしてないから、こうして生きてるのです。

あのなァ〜、僕はオマエが生物学的に生きている事をとやかく言っているのじゃないのだよ。。。オマエは精神的にも、ビジネス運用上でも死にたえようとしている。

それだけの事を言うのだから、デンマンさんには確固とした根拠があるのでしょうね?

もちろんだよ! 根拠もなく憶測でものを言うことは誹謗中傷だからね。。。そのような事をすると名誉毀損で東京地方裁判所に訴えられてしまう恐れがある。。。うへへへへへ。。。僕は、そのような愚かな事をしたくない。

御託(ごたく)はこのぐらいで結構ですから、その根拠とやらを見せてくださいな。

オマエがそう言うならば、まず次の検索結果を見て欲しい。



(■『無駄な写真狩り(2011年8月23日)』より)



これは、「amebaの健全なサイト運営にふさわしくない表現」を入れて今年の8月7日に検索した結果だよ。



この検索結果がどうだと言うのですか?

つまり、オマエは今でも愚かな写真狩りを続けている。 僕の記事がこうして写真狩りにあってオマエのサイトでは未公開にされてしまった。





もちろんですよ。 デンマンさんのように、健全なサイト運営にふさわしくない表現を続けている人が居るからですよ。。。



オマエは健全なサイト運営をやっているつもりでも、実は、オマエがやっている愚かな写真狩りは、とりもなおさず不健全なサイト運営をやっている何よりの証拠なのだよ。

それだけの事を言うからには、その証拠があるのでしょうね!?

もちろんだよ。 



『露天風呂の女神』

(2011年12月11日)


この上の記事はオマエのサイトだけで写真狩りにあった。 他のどのサイトでも公開されている。

でも、それだけでは、オイラがやっている写真狩りが不当だと言う証拠にはなりませんよ。

だったら、次の検索結果も見て欲しい。



『あなたが読んでいる現時点での検索結果』
( ↑ ここをクリック!)




判るだろう?。。。8月7日には 614,000件だったものが 4ヶ月後の12月12日には 1、560,000件に増えている。



当然ですよ! オイラと部下が一生懸命に写真狩りをやっているのですから。。。 うへへへへへ。。。



だから、オマエは愚かだと言うんだよ! 精神的にもビジネス的にも自分で自分の首を絞めて死のうとしている。

だから、その証拠を見せてくださいよ。

まず次の検索結果を見て欲しい。



『あなたが読んでいる現時点での検索結果』
( ↑ ここをクリック!)




愚かな管理人が精神的にもビジネス的にも自分で自分の首を絞めて死のうとしている、と僕はこうして記事に書いた。



そうやってデンマンさんが書いた記事がネット上に 7月24日現在で 2、410件存在していたと言うことですか?

その通りだよ。

。。。で、現在ではデンマンさんが書いた同じような記事がどの程度に増えているのですか?

次の検索結果を見てみろよ。





12月12日現在で アメブロの管理人が愚かな言葉狩り・写真狩りをしているという記事が 5、930件に増えている。



デンマンさんがムキになって書いているだけで うちのブログの会員には何の影響も出てませんよ!

だからオマエは愚かだと言うんだよ!

どうしてですか? その根拠でもあるのですか?

根拠もなくオマエを愚か者呼ばわりしたら東京地方裁判所に訴えられるからね。。。うへへへへへ。。。ちゃんと根拠はあるんだよ。

だから、その根拠とやらを見せてくださいよ!

あのさァ〜。。。オマエのブログの会員は名前だけの会員が半分以上なんだよ。 たぶん 70%以上の会員は全く活動していないか、ブログを残したまま他のサイトへ鞍替(くらが)えしてしまった。 つまり、登録しているけれど活動していない会員がほとんどなんだよ!

だから、その証拠を見せて欲しいのですよ!

じゃあ、まず、めれんげさんのブログを見て欲しいんだよ。



http://ameblo.jp/merange/



ページに収まるように編集してあるけれど、数字には手を加えていない。 上のリンクをクリックすれば数字を確かめることができる。



。。。で、上の数字がどうだと言うんですか?

[総合ランキング]の「デイリー」を見て欲しいのだよ。 なんと、めれんげさんのブログは 14、896、544位なのだよ。

そうですね。

つまり、会員が2011年12月12日現在で、 少なくとも 14,895,544人居ると言う事だよ!

そうですよ。 どうして 14、896、544位になったかと言うと、めれんげさんは 2010年2月を最後にブログを更新してないからですよ。

そうだと僕も思うよ。 でもなァ、それならば、月間順位を見て欲しいんだよ。

3、701、839位ですね。

そうだよ。。。つまり、14、896、544位 − 3,701,839位 = 11,193,705 ブログは、めれんげさんのブログのように全く更新していないと言うことじゃないか!

あれっ。。。デンマンさんは、そのように考えるのですか?

オマエはアホだねぇ〜。。。それ以外に考えようがないじゃないか!!

つまり、アメブロでは、 14,895,544のブログのうち、 11,193,705のブログは全く更新されてないとデンマンさんは考えるのですか?

だってぇ、そうだろう!? それ以外に説明の仕様がないじゃないか! オマエは、一体どのように説明するの?

たぶん、統計の数字が間違っているとか。。。うへへへへへ。。。

笑い事じゃないだろう!? オマエはアメブロの管理人なんだよ!

でも、人間ならば誰でも完璧な人は居ないと、デンマンさんも常々言っているではないですか! (微笑) だから、何事も完璧ではないのですよ。うししししし。。。 つまり、統計の数字も間違うことがあるのですよ。

(苦笑) あのなア〜。。。そうかもしれないけれど、そのような事を言ったら、この記事を読んでいる人は、管理人として、オマエはいい加減な奴だと思うよ。 しかも、アメブロの統計も、いい加減だという印象を持ってしまうよ。

そうでしょうか?

だってぇ、そうだろう!? オマエは、写真狩りをしたり言葉狩りをしたりしているファシスト管理人だから、この記事を読んでいるネット市民の皆様も、そろそろオマエのことを信用しなくなっているだろうけれど、統計の数字が間違っているなんて言い始めたら、ますますアメブロの信用はなくなってしまうよ。

そうでしょうか?

やだなあああァ〜。。。少しは常識を持てよ! 大体、アメブロの会員が 1千万人以上居るなんて考えられない! 僕のこれまでの経験から、アメブロの会員は150万人も居ないと思うんだよ。

どうしてですか?

だってぇ、アメブロでは写真狩りを未だにやっているからさ。 僕の記事がこうして写真狩りにあっている。 





しかも 僕だけじゃないよ! おそらく Ameblo の百万のブログで写真狩りが行われている。 これがその証拠だよ!





つまり、オイラが写真狩りをやっているので、会員がアメブロから離れて行っているとデンマンさんはおっしゃるのですか?

その通りだよ。

憶測でものを言うのは止めてください。 その証拠でもあるのですか?

あるから、このように記事まで書いてファシスト管理人の愚かなオマエに、しつこく言っているのだよ!

だからクダクダ言わずに、その証拠を見せてくださいよ!

じゃあ、次の統計を見てみろよ!





オマエも管理人ならば知っているだろうけれど、これは僕がやっているアクセス解析じゃない。 第三者の Hit Graph が実施しているアクセス解析の一部だよ。



ええ。。。知ってますよ。

だったら、話は早いよ。 トップは僕の Denman Blog のアクセス数だけれど、このブログだけは2009年12月から記録が採られ始めた。 だから、ダントツ! それ以外のブログについては、つい最近、12月になってから僕が登録したばっかりなんだよ。

つまり、統計を採り始めてから、まだ2週間も経ってないとデンマンさんは言いたいのですね。

その通り! 青枠で囲んだ 2番目の GOO のブログの記録を見て欲しい。

アクセス数が 596ですね。

そうだよ。次に GOO のブログの数を次の統計で見て欲しい。





12月8日現在で GOO のブログの総数が 1,661,695 ですね。



そうだよ。 しかも、訪問者も アメブロのブログよりも格段に多い。 Hit Graph の記録では GOO の 596 に対して Ameblo では、わずか 171 なんだよ。

オイラは Hit Graph の統計を信用しません。

だったら、Ameblo で記録した統計があるから見てごらんよ!





これは11月1日から11月30日までの訪問者の数を記録したものだよ。 やっぱり、GOO の訪問者と比べると少ない!



でも、GOO では他のサイトからの訪問者があるのですよ。 うへへへへへ。。。

いや。。。僕の経験から、そのようなことはない。 GOO でも Ameblo でも、ほとんどの訪問者は、それぞれの会員なんだよ。 例えば、Ameblo の記録を見てごらんよ!





すべての訪問者のうち、89%、 4、350人がお気に入りやブックマークからアクセスしている。 この人たちはAmeblo の会員なんだよ。 GOOでの記録はないけれど、僕のこれまでの経験から、GOO でも同じように会員が お気に入りやブックマークからアクセスしている。



要するに GOO の会員数と比べて Ameblo の会員数は事実よりも多すぎると言いたいのですか?

いや。。。そのような事を言おうとしているのではないのだよ! もしAmeblo の会員が 14、896、544人なら、実際に活動している会員は GOO の 1,661,695よりも少ない。 そう言いたいだけだよ。 これまでの統計を比較して、おそらく 活発にブログを更新している Ameblo の会員は多くても百万人、たぶん 80万人ぐらいだと僕は思っている。

つまり、残りの人たちは自分のブログを放棄して、GOO のような他のブログ提供サイトへ移ってしまったとデンマンさんは言いたいのですか?

当然だよ!





未だに、オマエは愚かな写真狩りを続けている。 このような事を続けていれば Ameblo の会員はさらに他のサイトへ移ってしまうだろうよ!



オイラは、そうは思いませんけれど。。。

そのうち、愚かなオマエにも判る時がやって来るよ。。。

でも、どうしてデンマンさんはオイラを“ファシスト管理人”と呼ぶのですか?

オマエは僕の記事を読んでいるのだろう?

ときどき。。。うへへへへへ。。。

オマエ。。。実は読んでないのだろう!? 読んでいたとしたら、全く理解してないんだよ! 他の読者にはくどくなるけれど、オマエのために、もう一度ここに書き出すからじっくりと読むんだよ! いいね。。。


写真狩りをする

未熟な精神構造は、

日本に何をもたらすのか?




生命の危機と

言論の自由・表現の自由




知っていますか?
太平洋戦争時代、日本帝国政府は今から考えれば愚劣と言えるほどの言論統制で国民をがんじがらめにしたのです。

その良い例が英語を使うな、という規制です。
野球で英語が使えなかった。
ストライクと言ってはダメなんですね。
じゃあ、何と言ったか?

「当たり」「一本」「良し」とか言ったらしい。
「ボール」も使えない。
「はずれ」とか「ダメ」とか言ったらしい。

愚かと言うより、こうなるともう滑稽ですね。
しかし、戦争当時、みんなが真面目にこう言いながら野球したらしい。
いっそのこと野球も敵性スポーツとして禁止すればよかったと思うのですが、帝国政府の親玉の中に野球の好きな人がいたらしい。

それなら、英語も使わせればよいと思うのに、そうはしなかった。こういうところが片手落ちなんですよね。

アメリカはどうだったか?
すっかり逆でした。

日本人が昔から親しんだ「敵を知り己を知れば百戦危うからず」という『孫子の兵法』の中の有名な格言を忠実に守ったんですね。つまり、戦争に勝つためには日本人を知らなければならない。そのためには日本語を大いに学ばねばならない。と言う事でアメリカ政府は日本語学校を作ってそこで日本語を徹底的に学ばせて、日本人の研究人材を養成したわけです。

『菊と刀』で有名な著者ルース・ベネディクト(Ruth Benedict)さんも政府から依頼を受けて「お国のために」日本人と日本文化の研究をしたんですね。彼女がレポートを提出した時には戦争が終っていた。それで、その研究に基づいて1946(昭和21)年に出版されたのが『菊と刀』です。この本の事を全く知らない人は次のリンクをクリックして僕の書評を読んでみてください。

■ 『「菊と刀」 書評』

現在でも読まれています。すでに90版以上を重ねているはずです。僕は6度程読みましたが、読むたびに新たな感動を受けています。このべネデクトさんは日本で暮らしたことが一度もない人なんですね。もちろん日本へ行ったこともない。そういう人があれだけの研究成果を出したんですから、日本研究がどれだけ進んでいたかが良く分かるんです。アメリカ政府の採った政策は日本帝国政府がやった言論統制と比べると雲泥の差です。

しかし、日本にだって良識を失わない人たちも居たんですね。極めて少なかったですが。。。太平洋戦争下で唯一といってよい言論抵抗事件がありました。このことについて、ちょっと詳しく語ろうと思います。1944(昭和19)年2月23日の『毎日』新聞の竹ヤリ事件というのがこれです。

この記事を書いたのは37歳の新名丈夫記者でした。「竹やりなんかでアメリカに徹底抗戦なんてどうかしている」と言うような趣旨の事を書いてしまったんですね。もちろん、覚悟して書いたんです。うっかりして書いてしまったわけではないんです。

でも、当時の東条英機首相はこれを読んで激怒した。

それで、頭にきたものですから、できれば書いた記者を死刑にしたい。でもいくらなんでもそんな無茶な事は出来ませんから、赤紙で徴兵して南方戦線に送り込もうとしたわけです。当時の常識として、南方戦線に送り込まれれば生きて帰れないということが分かっていました。つまり事実上の「死刑」です。いづれにしても、無茶な事をしたんですね。

当時軍部と帝国政府に真っ向から反対すれば、このような仕打ちが待っていたんです。だから、分かっていた人もおとなしく黙っていた。でも、新名記者はメディア人としての良識を持っていたわけです。アメリカを例に取れば、あのニクソン大統領を退陣に追い込む事になったウォーターゲート事件を暴露したワシントンポスト記者のボブ・ウッドワード(Bob Woodward)のような人だったわけです。

最近、命を懸けて記事を書くような新聞記者が日本にはいなくなりましたね。残念です。

この記事が発表された頃には、もう戦局は悪化していました。問題の記事が発表された前年、1943(昭和18)年には、まず2月、ガダルカナル島で日本軍の撤退が開始されました。これを契機に、米軍は一挙に攻勢に転じたわけです。以後、5月にアッツ玉砕、11月にはマキン・タラワ全滅と戦局は日々悪化していきました。1944年2月17日には「日本の真珠湾」と米軍から呼ばれた作戦の最重要拠点、トラック諸島が米軍の手に落ちてしまいました。

軍部でも、帝国政府でも太平洋戦争の敗北はすでに決定的となったと考える人がでてきました。しかし国民には「勝った、勝った」という虚偽の情報以外は一切知らされていなかったんですね。そのためにも言論は厳しく統制されたわけです。

新名さんは海軍記者となって以来半年間にわたって主力艦隊に乗り組み、戦況を自分の目で確かめていた。戦況が悪くなっていた事も充分に知っていた。陸海軍が対立し、飛行機生産のためのジュラルミン三十万トンの大部分を陸軍が本土決戦用に抑えて出さないという内幕もキャッチしていたほどです。

マーシャル陥落の発表を大本営が20日間もためらって大騒動を演じているのを見た新名記者は決意を固め、一大プレスキャンペーンを社に上申しました。メディア人としての良識です。「日本の破滅が目前に迫っているのに、国民は陸海軍の醜い相克を知りません。今こそわれわれ言論機関が立ち上がるほかはありません」
そのように便せんに書いて、吉岡文六編集局長に上申したのでした。
「よし、何とかして国民に知らせるほかない」と決意した吉岡局長は社外の大物に書かせようと、まず元中国駐劉大使・本多熊太郎氏に交渉しました。しかし、「検閲があっては書けない」と断わられてしまいました。

結局、編集会議の結果、新名さんが指名されました。当時の記事は、もちろん検閲を受けなければならなかったのです。しかし、海軍担当の新名記者が執筆したものは海軍省の検閲だけでよく、各社のキャップの書くものは無検閲でよいという紳士協定になっており、その特典を利用したのです。

「書けば東条から懲罰召集を喰らうかも知れない。社もつぶされるかも知れない。殺されるかも知れない」
新名記者は悲壮な覚悟で執筆したのでした。実際、その通りになってしまい、ハチの巣をつついたような騒ぎとなったのです。新名記者は責任を感じ辞表を提出しました。しかし、吉岡局長は突き返し、逆に金一封の特賞を出したのです。その代わり、3月1日に吉岡局長、加茂勝雄編集次長兼経理部長は責任をとって辞任しました。

しかし、こんなことで東条首相はおさまりません。東条さんは情報局次長村田五郎を呼びつけて「竹ヤリ作戦は陸軍の根本作戦ではないか。毎日を廃刊にしろ」と指示したのです。村田さんは答えました。「廃刊するのはわけありません。紙の配給を止めれば、毎日は明日から出ません。ただし、よくお考えになってはいかがですか。毎日と朝日は、いまの日本の世論を代表しています。その新聞の一つがあのくらいの記事を書いた程度で、廃刊ということになりますと、世間の物議をかもす、ひいては外国から笑われることになるでしょう」

東条首相も馬鹿ではありませんから、この説得が効いたのでしょう。廃刊は引っ込めました。しかし、陸軍からの新名さんへの執拗な処罰要求が出されたのです。そういうわけで、新名記者に対して陸軍から懲罰召集が強行されたわけです。

極度の近視ですでに徴兵検査で兵役免除になっていた37歳の新名さんへの再度の徴兵でした。海軍省は「新名は報道班員としてパラオ派遣が決定しているので、召集を延期されたい」と陸軍省に申し入れたのです。陸軍省はこれを突っぱねました。しかし、海軍も負けてはいられないと大運動を展開して、なんとか召集を解除させたのです。

ところが、陸軍中央から絶対に還すなという厳命がきており再度召集があり、丸亀連隊へ一人だけの中年二等兵の入隊になったのです。これはもう、海軍と陸軍の対立というところまでエスカレートしてしまったわけです。

これに対して海軍が再び抗議しました。「なぜ、中年二等兵が一人だけ入隊するのか?」
陸軍も黙っては居ません。何とかしようという事で、新名さんと同じく大正生まれの兵役免除者二百五十人を召集したのです。つじつまを合わせたわけですね。「新名記者憎し」の陸軍の執念はすごかった。

さらに、陸軍中央は新名さんを最激戦地の沖縄、硫黄島方面の部隊へ転属させろと厳命してきたのです。やることが汚いです。生きて帰さぬ方針を取ったわけです。こうなると、もう、無茶苦茶ですね。

しかし、陸軍の思い通りには行きませんでした。三ヵ月がたち、結局新名さんは他の戦友と除隊になりました。丸亀連隊報道部の香川進大将は 「この召集は東条大将の厳命だったんだよ。新名は絶対に還すな、重労働を課せとね。海軍や軍令部からもなんども人がきた。われわれは自分らの正しいと思う判断で君を扱った。善通寺師団司令部でも見て見ぬふりをしてくれた」と除隊の真相を説明したのです。

海軍は直ちに新名さんを報道班員としてフィリピンへ送り、陸軍の再召集を防いだのでした。新名記者がフィリピンに出発した直後、新名さんの“とばっちり”を喰らって再召集された丸亀連隊の中年二等兵たち二百五十人は硫黄島に送られ、全員玉砕してしまったのです。全くこれでは、この二百五十人の人たちの魂は泣き切れないでしょうね。ひどいものです。

言論統制から、人の命までが軽々しく一部の人間の思うように処分されてゆく。死ななくても良い人たちまでが、とばっちりを受けて250人もが硫黄島のチリとなって消えてしまう。もし、あなたがこの250人の中に選ばれたとしたらどう思いますか?

ええっ?現在、そんな馬鹿げた事は起こらない?
そうでしょうか?
太平洋戦争が終って戦争放棄を謳(うた)った憲法が出来た時、いったい誰が自衛隊が出来ると考えたでしょうか?
その自衛隊が、イラクに派遣されると誰が考えたでしょうか?

ええっ?でも徴兵なんて日本には絶対にないから、戦争で死ぬ事はない?
そうでしょうか?
あなたと私が声を大きくして、表現の自由と言論の自由のもとで戦争反対を訴えない限り、
一体、誰が徴兵の無い時代を保障しますか?

これまで読んできて、表現の自由と言論の自由の大切さが分からないとしたら、あなたも、あの250人の中に選ばれて硫黄島へ送られるということが、また起こるかもしれないですよ。
そう思いませんか?
ええっ?あなたは女だから心配ない?

しかし、アメリカを見てくださいよ。
アメリカ女性兵士がイラクで救出されたことがありましたよね。あなただって知っているでしょう?
日本はアメリカの真似をしますからね、志願だけではなく女性だって徴兵される時代が来るかもしれませんよ。現在の日本の自衛隊にも男性と同様に実戦訓練を受けている女性自衛官が結構たくさん居るんですよ。

ええっ?もう兵隊にとられるような年齢じゃない?
あなたの子供の事、あなたの孫の事を考えてくださいよ!
表現の自由、言論の自由のもとで、平和な国にしようと主張しましょうね。
とにかく、表現の自由、言論の自由を守りましょうね。




『少しでも日本を良くしたいと思いませんか?』より
(2005年7月3日)




判るだろう! オマエは東条さんがやった言論統制の真似をして「写真狩り」をしている。 だから「ファシスト管理人」というのだよ。



あれっ。。。デンマンさんは元日本国首相の東条英機さんとオイラを同じだと言うのですか?

そうだよ。




わァ〜〜 うれしいなあああァ〜。。。

デンマンさんが東条さんとオイラを

同じだと言ってくれた。

オイラは、もしかすると

首相になれるかも。。。

マジで褒められたような気分。。。

ワぁ〜♪〜 うれしいなあああァ〜。。。

もうスキップしてしまおう!

ルンルンル〜♪〜ン

ランランラ〜♪〜ン




馬鹿ですよねぇ〜。 僕の書いた文章を読んで完全に内容を自分勝手に取り違えて喜んでしまっているのですよ! 馬鹿だから、すぐに、ああやって喜んでしまうのです。 愚か者がスキップしながら帰ってしまいましたよ。 全く反省してません。 まだしばらくの間、写真狩りが続くようですよ。 だから、あなたも、もし Ameblo で写真狩りされたら他のサイトへ移る事も考えてくださいね。


【卑弥子の独り言】



ですってぇ〜。。。
いつまでも写真狩りになんて付き合っていられないのでござ〜♪〜ますわ。

とにかく、今年も残り少なくなりましたわね。
新年には、お餅を焼くのが楽しみです。



そして、美味しいお雑煮もいただきたいと思うのでござ〜♪〜ますう。
いくつになってもお正月は待ちどおしいものですわ。
あなたも、そうでしょう?



そしてジューンさんのように雪見をしながら温泉につかりたいと思います。

とにかく、次回も興味深い記事が続きますわ。
だから、あなたも、また読みに戻ってきてくださいね。
じゃあ、また。。。








ィ〜ハァ〜♪〜!

メチャ面白い、

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こんにちは。ジューンです。

デンマンさんのパソコンが約1年ぶりに立ち上がったそうです。

でも、マウスは動かないままですって。



マウスなしで、どうやってパソコンを使うのかしら?

わたしが尋ねたらキーボードのテンキーをマウスとして使うのですって。



このテンキーをどうやってマウスとして使うのかしら?

あなたも知りたいでしょう?

次の記事を読んでみてくださいね。

『キーボードをマウスとして使う』

では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょう。

じゃあ、また。。。



 


2011年12月08日

山形とバンクーバー

 
 
山形とバンクーバー



山形城・霞城公園の花見





ケイトー、。。。山形ってどこにあるのよ?



もちろん日本ですよ。

だから、日本のどこなの? 私は日本へ行ったことがないのよ。

次の地図の中に書いたから見てください。





これってぇ、アクセス解析の結果を基にして描いた地図でしょう?



シルヴィーにも分かるの?

この程度のことならばすぐに判るわよ。 それにしても山形県からのアクセスがめっぽう少ないじゃないの?

シルヴィーもそう感じるでしょう!? でもねぇ〜、山形から僕のブログにアクセスしているリピーターが居るのですよ。

どうしてそのようなことが判るの?

次の解析結果を見てください。





ただの棒グラフじゃないの! これで何が判るのよ?



これは11月26日から12月5日までの10日間のアクセス数を調べたものですよ。 赤枠で囲んだ2番目のバーに注目してください。 このホスト名から次のような事が判るのですよ。


ホスト名:

softbank126127126***.bbtec.net



IPアドレス: 126.127.126.***
IPアドレス割当国: 日本 ( jp )
市外局番: 該当なし
接続回線: 光
都道府県: 山形県




つまり、この IPアドレスからアクセスした人が上の写真に写っているきれいなお嬢さんの中に居るとケイトーは言うの?



シルヴィーにも判りますか? うししししし。。。

思わせぶりに、わざわざ写真を貼り付けてるじゃない!。。。で、3人のうちの誰なの?

真ん中の小柄で可愛い山形由美(仮名)さんですよ。

マジで。。。?

。。。で、上のグラフの中の 1番目のアクセスがトップの人は誰よ?

やだなあああァ〜。。。とぼけないでくださいよ! 。。。これがシルヴィーですよう。

私がアクセストップなのォ〜?

そうですよ。 IPアドレスから次のような事が判る。


IPアドレス:

207.102.255.230


ホスト名: 対応するホスト名がありません。
IPアドレス割当国: カナダ ( ca )





プロバイダー:
TELUS Communications Inc.

NetRange:
207.102.0.0 - 207.102.255.255

Address: 10 - 3777 Kingsway
City: Burnaby
Prov: BC
PostalCode: V5H-3Z7
Country: CA

Phone: +1-877-310-8324
e-mail: IPadmin@telus.com

AbuseName: Abuse at TELUS
AbusePhone: +1-877-945-8220
e-mail: abuse@telus.com




あらっ。。。私がバンクーバー市立図書館からアクセスしているのlが判ってしまうのォ〜? マジで。。。?



そうですよ。

日本ばかりじゃなく、世界からアクセスしているネット市民まで判ってしまうの?

そうですよう。。。ネットの世界はグローバルな国境のない世界ですからね。





あらっ。。。いろいろな国の名前が書いてあるじゃない? でも。。。、でも。。。、リストの中にカナダがないじゃないの!?



あのねぇ〜、このリストは11月1日から12月5日までの35日間にアクセスしたネット市民が、いったいどこの国からアクセスしたかを調べたものなのですよ。 でもねぇ、このアクセス解析のプログラムでは、対応するホスト名が判らない場合にはそれ以上詳しく調べない。 シルヴィーが使った IPアドレスから、調べる気になれば カナダからアクセスしていることが簡単に判る。 でも、残念ながら上のアクセス解析のプログラムでは、そこまで調べない。 だから アメリカもリストに載ってない。

カナダとアメリカはどこに含まれているの?

2番目の (IP address only) に含まれているのですよ。 それに、3番目と4番目にも含まれている。 

でも、山形由美さんがケイトーのブログを見たと、どうして判るの?

あのねぇ〜、由美さんは可愛いきれいな女の子だけれど、見かけによらずに郷土史を研究しているのですよ。





この上の写真は山形城・霞城公園で撮ったものですよ。


山形城

山形城は山形県山形市霞城町にあった城である。
別名で霞城(かじょう)、霞ヶ城(かすみがじょう)と呼ばれる。
また、吉字城とも呼ばれた。
国の史跡に指定されている。

おおよそ基礎は、最上義光の時代につくられ、鳥居忠政の時代に現在の形に整えられたものである。
江戸時代には山形藩の政庁が置かれた。

現在は、そのほとんどが失われ、二の丸跡が霞城公園として残されている。
建造物では、大手南門が、市内の万松寺山門として移築され現存する。
また、市内八日町宝光院の本堂は、御殿の建物を移築したものといわれている。

山形市は、平成21年度(2009年)までに本丸一文字門の枡形および高麗門、本丸土塀を復元する計画である。
しかしながら、本丸一文字門は写真資料、設計資料ともに残っていない。
本丸北不明門の設計資料は山形市内に現存している。

明治時代、城が売りに出されると、山形市が購入し、陸軍の駐屯地を誘致した。
歩兵三十二連隊の兵営敷地となり、城内の櫓や御殿は破却され、本丸は埋め立てられた。
三の丸の堀も埋め立てられ耕作地として利用された。
日露戦争凱旋を記念して歩兵三十二連隊の帰還将兵が、明治39年に周囲にソメイヨシノを植林。
以降桜の名所となった。


第2次大戦後、二の丸の内側を霞城公園、二の丸の外側は市街地化が進み、三の丸の濠も埋め立てられた。
2006年(平成18年)4月6日、日本100名城(10番)に選定される。



  
出典:
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




あらっ。。。桜の名所なのね!?



シルヴィーも日本へ行く機会があったらぜひ訪れてね。

でも、どうして由美さんがケイトーのブログを訪ねるようになったの?

あのねぇ〜、さっきも言ったように由美さんは見かけによらず郷土史を研究しているのですよ。 それで山形市にある立石寺についても調べていた。

山寺立石寺




立石寺 (りっしゃくじ)



立石寺は、山形県山形市にある天台宗の寺院。
山号は宝珠山。
本尊は薬師如来。
寺号は詳しくは宝珠山阿所川院立石寺(ほうじゅさんあそかわいんりっしゃくじ)と称する。
山寺(やまでら)の通称で知られ、
古来より悪縁切り寺として信仰を集める。
寺名は古くは「りうしゃくじ」と称した。
蔵王国定公園に指定されている。

歴史

立石寺の創建について、寺伝では貞観2年(860年)に清和天皇の勅命で円仁(慈覚大師)が開山したとされている。
当寺の創建が平安時代初期(9世紀)にさかのぼることと、円仁との関係が深い寺院であることは確かであるが、創建の正確な時期や事情については諸説あり、草創の時期は貞観2年よりもさらにさかのぼるものと推定される。

鎌倉時代には幕府の保護と統制を受け、関東御祈祷所となり寺は栄えたが後に兵火により焼失し、13世紀中頃には幕府の政策により禅宗に改宗となったが、延文元年(正平11年・1356年)斯波兼頼が羽州探題として山形に入部した後、兼頼により再建され天台宗に戻った。

立石寺は山形城主であった最上家(斯波兼頼を祖とする)と関係が深く、同家の庇護を受けていた。
最上義守の母・春還芳公尼(しゅんげんほうこうに)は荒廃した堂宇の再興に努め、その孫(最上義守の子)にあたる最上義光(よしあき)も立石寺を援助した。
義光の時代の分限帳によれば、立石寺には寺領1,300石が与えられている。

元禄2年(1689年)に松尾芭蕉が旅の途中で訪れ、その時のことが『おくのほそ道』に書かれている。
また、当地で名句「閑さや 巖にしみ入る 蝉の声」を詠んでおり、参道に句碑がある。




出典:
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




あらっ。。。なんだか中国にあるようなお寺だわね。



シルヴィーもそう思う?。。。もともと仏教は中国を経由して渡ってきたものだから。。。中国の寺とも似ているのですよ。

。。。で、由美さんが立石寺を調べていて検索結果の中からケイトーの書いた記事を読んだと言うの?

その通りですよ。

いったい、どの記事を読んだの?

次の記事ですよ。





Subj:小百合さん、おはよう!

明日か、あさって、

また会いたいですね。

デンマンより愛を込めて…

きゃはははは。。。




From: denman@infoseek.jp
To: sayuri@hotmail.com
Cc: barclay1720@aol.com
Date: 2011年10月24日
(月曜日)午前11時53分


小百合さん元気ですか?
10月22日の土曜日には叔母が北鴻巣からやって来ました。
翌日23日の日曜日に来るものだと思い込んでしまっていた僕は朝ごはんをゆっくりと食べてから8時半に実家を出ました。
それで自転車をこいで「自遊空間」へ行ったのです。

午後4時に実家に戻ったら
お袋は応接室で昼寝をしており、誰かがキッチンでカタカタと料理しているのでした。
誰かな?と思ったら叔母がポテトサラダを作り、天ぷらを揚げ、サツマイモの煮込みを作り、割子ソバを茹でていました。

叔母は何もせずにお客さんで居ればよいのですが、お袋が自由に動けないので代わりに夕食の用意をしていたのでした。
僕のお袋が長女で叔母は10人兄弟姉妹の一番下です。
僕よりも6歳年上なだけなのです。

僕にとって親戚中で誰よりも話が分かる叔母です。
僕のお袋がやきもちを焼くほど叔母と僕は仲が良いのですよ。

僕がまだ大学生の頃、
叔母と二人だけで日光へ旅したのだけれど、
その旅は日帰りだったのです。

ところが、お袋の記憶の中で僕と叔母は日光で一泊したと思い込んでいるのですよね。
それほど僕と叔母の間が親密だと思い込んでいるのですよ。
今回もお袋がその話しをするのですよ!んもお〜〜!

もちろん近親相姦などあるはずもないのですが。。。(苦笑 & 爆笑)
お袋が心のどこかで、そう思い込むほどに僕と叔母の関係が親密なのですよ。

そのような訳で夕食が済んだ後で、しばらく皆で和気藹々(わきあいあい)とオシャベリしたのでした。
そのあと僕と叔母だけで大長寺のすぐそばの「馬車道」へ行ったのでした。



叔母はポテトグラタン。



僕はヴォンゴレ・ロッソを食べました。


ヴォンゴレ



ヴォンゴレ (vongole) は、アサリなどの二枚貝を使ったイタリア料理(本来はナポリ料理)のパスタ料理である。

イタリア語の vongole は、本来はアサリ類・ハマグリ類などのマルスダレガイ科の二枚貝を指すヴォンゴラ (vongola) の複数形で、料理のことはイタリアでは spaghetti alle vongole(ヴォンゴレスパゲッティ)などとよぶ。

種類

代表的なものにナポリ名物のイタリア料理「スパゲッティ・アッレ・ヴォンゴレ」(spaghetti alle vongole)がある。

本場イタリアでは地中海産のガリアハマグリ (Chamelea gallina) やヨーロッパアサリ (Venerupis decussata) などが使用されるが、近年では日本から移入されたアサリも多く利用され、日本でもアサリを用いるのが一般的であるが、どれもマルスダレガイ科の二枚貝である。

トマトソースを使ったヴォンゴレ・ロッソ(ロッソ=赤)と、使わないヴォンゴレ・ビアンコ(ビアンコ=白)にわけられるが、トマトを潰していない中間的な物も良く見られる。
ペスト・ジェノヴェーゼなどのバジリコを使った「ヴォンゴレ・ヴェルデ」(ヴェルデ=緑)やイカスミを使った「ヴォンゴレ・ネロ」(ネロ=黒)を供する店も出てきている。

使用するパスタは、スパゲッティやスパゲッティーニ、ヴェルミチェッリ、リングイネ等のロングパスタである。




出典: ヴォンゴレ
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


午後6時半から9時半まで話が弾(はず)んでシャベリまくりました。
実家に戻ったら、またお袋が「一晩中でも話を続けているだろうね」とヤキモチを焼くのでした。(爆笑)

日曜日は、のんびりとテレビを見て過ごしました。
NHK総合テレビで午後1時50分から「私が選んだあの番組」をやっていましたよ。
ゲストは森村誠一さんで
1989年に放映された画家の池田満寿夫が解説する「みちのく紀行」を再放送しました。
もちろん僕は1989年の放送を見ていない。

芭蕉がたどった奥の細道を池田満寿夫が画家の目線でたどってゆくという番組でした。
なかなか見ごたえがありました。





 
 
山寺や
 
 
岩にしみいる
 
 
セミの声



山形県の「立石寺」が出てきて懐かしい風景を映し出していたけれど、やはり日本の風景の中でも日本をしみじみと感じさせてくれる風景でした。



森村誠一さんは「写真俳句」というのをやっている。
写真と俳句を合わせて表現するのは邪道だという人も居るらしい。

「表現方法は無限だから写真と俳句を組み合わせても良いではないか!」

森村さんはそう言っていたけれど、もっともだと思いながら聞きましたよ。

番組の最後の方で東日本大震災で被災した人の印象に残る俳句を森村さんは挙げていました。



 
 
抱きしめて
 
 
君の瞳に
 
 
夏の雲


大震災に遭い、死んでしまったのではないかと諦めていた。
しかし、お互いに生存していたと知って再会し、抱き合った時に詠んだ人の句なのですよ。

う〜〜ん。。。いいですよね。

僕も上の句をしみじみと味わいながら1年ぶりで小百合さんと再会して、Hよりも感じるハグをした時を思い出しながら詠んでみました。



 
 
抱きしめる
 
 
きみのぬくもり
 
 
秋の空
 
 



どうですか、さゆりさん。。。?
いいでしょう!?

明日か、あさって、また会いたいですね。
楽しみにしています。
じゃあね。






『抱きしめて』より
(2011年10月24日)




キザな記事を書いたのね。



いけませんか?

キザすぎて、なかにはダサいと思う人もあるわよ。

10人10色ですからね。。。世界のネットでも表現の自由・言論の自由が許されているのですよ。 だから、戦争を始めるよりも、たとえキザと言われようが、ウザイと言われようが。。。こおうしてブログを書いて表現の自由を謳歌することは平和な世界に貢献することなのですよ。

御託(ごたく)はいいから、その証拠でもあるの?

あのねぇ〜、このページにアクセスした記録を調べると由美さんの IPアドレスが載っていた。

だから、それをここに貼り出しなさいよ。

由美さんが上の記事を読んだのは10月下旬だった。 つまり、アクセス記録は 35日以上経ってしまったので、もう保存されてない。 でも、次の記録の中に残っている。





これは11月18日から12月5日までの記録だけれど、由美さんは 10〜19回アクセスしている7人のリピーターのうちの一人です。



“リピート回数(1時間以内を除く)”と書いてあるけれど、これはどういうことなのよ?

だから、1時間以内のリピート回数は次のリストの中で表示されているのですよ。





あらっ。。。こんな事まで調べられるの?



そうです。。。面白いでしょう?。。。1分間に、また思い直して別の記事を読みにやって来る人が延べ 132人も居るのですよ。

マジで。。。?

だから、次のように信じられないような事も起こるのですよ。





あらっ。。。12月4日に 434人の人が述べ 10、664ページを読んだのォ〜? いったい、どのページを読んだのよ?







"Taliesin Banzai"

(December 2, 2011)




Denman Blog では上の記事を12月2日に投稿したのだけれど、 GOOのブログには 12月3日に 文字制限の関係で 3部に分けて投稿したのですよ。



これは英語で書いてある記事でしょう?

うん。。。でもねぇ、記事の中に出てくる YouTube のビデオクリップにショッキングな映像がある。 それが中学校の生徒の間で 口コミで広がったのですよ。 “ねえ、ねえ、ねえ、。。。ちょっと、この YouTubeを見てよ。。。” そう言う訳で、結果として 上の記事が 述べ 10、664ページ読まれたのですよ。 うへへへへへ。。。

つまり、ケイトーは自慢したかったのね?

いや。。。自慢したいわけじゃない。。。たまには、こういう記事を読むのもいいでしょう? うへへへへへ。。。


【卑弥子の独り言】



ですってぇ~。。。
このお話ってぇ、マジかしら?

でも、いろいろな事がアクセス解析で判るものなのでござ〜♪〜ますわね。
なんだか、ネットってすごいところですわ。
あなたも、そう思うでしょう?

ところで、シルヴィーさんのことをもっと知りたかったら次の記事を読んでくださいね。



『シルヴィー物語(2011年4月27日)』

『波乱の半生(2011年4月29日)』

『シルヴィーとネット革命(2011年5月6日)』

『シルヴィーとデヴィ夫人(2011年5月30日)』

『シルヴィーとケネディ夫人(2011年6月15日)』

『バンクーバー暴動と平和(2011年6月25日)』

『ビルマからの手紙(2011年7月3日)』

『ブッシュの戦争(2011年7月7日)』

『国際的愚か者(2011年7月11日)』

『あばたもえくぼ(2011年7月14日)』

『あなたも国際市民(2011年7月18日)』

『リビエラ夫人のハンバーグ(2011年7月22日)』

『芸術とブルックリン(2011年7月26日)』

『思い出のパリ(2011年7月30日)』

『海外志向とおばさんパンツ(2011年8月5日)』

『地球の平和(2011年8月9日)』

『愚かな写真狩り(2011年8月13日)』

『死の写真狩り(2011年8月17日)』

『キモい写真狩り(2011年8月21日)』

『生パンツと床上手(2011年8月25日)』

『ヌードと写真狩り(2011年8月29日)』

『あなたの平和と幸福(2011年9月2日)』

『あなたの平和な日々(2011年9月7日)』

『奈良の鹿と憲法9条(2011年9月11日)』

『文は人なり(2011年9月15日)』

『キモい戦争(2011年9月19日)』

『バカの歴史(2011年9月23日)』

『ムカつく検査(2011年11月1日)』

『アッシジからの平和(2011年11月5日)』

『中国からの怪電話(2011年11月9日)』

『気になる英単語(2011年11月18日)』

『戦争を知らないの?(2011年11月23日)』

『熟女ヌードとデンマン(2011年11月29日)』


とにかく次回も面白くなりそうですわ。
あなたも読みに戻ってきてくださいましね。
じゃあ、また。。。






ィ〜ハァ〜♪〜!

メチャ面白い、

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『軍隊のない国(2011年3月21日)』

『士風と「葉隠」(2011年3月23日)』





こんにちは。ジューンです。

ブッシュ前大統領は歴代の大統領の中でも

特に YouTube で取り上げられているようです。

でも、決して優秀な政治家として話題にされているようではありません。

ええっ。。。どうしてかてぇ〜。。。?

だってぇ、ネットをサーフィンしていると

ブッシュ前大統領をコケにしているビデオクリップが

あまりにも多いのですわよ。

ケネディー大統領をコケにしているクリップは

まずゲットできませんわ。

ええっ。。。ブッシュ前大統領の可笑しなビデオクリップを

あなたも見たいの?

じゃあねぇ、ここに2つだけ貼り付けるから、

じっくりと見てね。

George Bush Idiot



George Bush is funny!

Video BLOOPERS!






ところで、卑弥子さんにもちょっと信じがたいような

恋物語がありますわ。

関心があったらぜひ次のリンクをクリックして

じっくりと読んでみてくださいね。

『平助さんが卑弥子さんに

恋をしたのがウンのつき』


では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。





2011年11月19日

かぐや姫異聞


  
 
かぐや姫異聞
 
 

 
 


デンマンさん。。。あんさんは意外に少女趣味的なところがおまますのやなァ〜?



どないなわけで、めれちゃんはそないな事を言うねん?

そやかてぇ、今どき「かぐや姫」なんて大人の男が口にするもんとちゃいますやん。

めれちゃんともあろう知能指数が140もある知的な女性が、そのような非文学的な事を言うのんかァ〜?

IQには関係あらへん。

いや。。。知能指数が140もある女性が「かぐや姫は少女趣味的やん」、と言うのは可笑しいでぇ〜。。。

わたしは、あんさんのレベルまで知性を落として言うてるねん。 うしししし。。。

さよかァ〜。。。?

。。。んで、あんさんは、どないな訳で「かぐや姫」などを取り上げる気になりはったん?

あのなァ〜、「かぐや姫」と入れてYouTubeで検索してみィ〜なァ。。。ぎょうさんヒットするでぇ〜。。。まず、わては実物の俳優が出てきて劇的なドラマを演じるFSじみたビデオクリップをゲットしたのやァ。 めれちゃんも、じっくりと腰をすえて観たらええやん。

かぐや姫の別れ





あらっ。。。マジですごいやん。。。ホンマに平安時代のサイエンス・フィクションになってますやん。



そうやろう? 20世紀になって月に人間が着地したのやけど、平安時代にも現代の世の中を先取りして物語を考え出した人が居(お)るねん。

単なる空想やと思いますわ。

めれちゃんのような文学的、詩的な才能のある女性が「竹取物語」を「単なる空想の産物」だと言って欲しくないねん。

どうして。。。?

どうしてもこうしても「かぐや姫」は平安の昔から未だに世界の文学界ならずアニメ世界にも大きな影響を与えているのやでぇ〜。。。

それはオーバーとちゃうの?

いや。。。決してオーバーなことはあらへん。。。実際に次のビデオクリップを観れば判るように素晴らしいアニメもできておるねん。

アニメ竹取物語





あらっ。。。ホンマに幻想的で素晴らしいアニメやんかァ!



そうやろう? めれちゃんかて、そう思うやろう?

そやけど、世界の文学界とアニメ界に影響を与えていると言うのは、どう考えてもオーバーやと、わたしは思うねん。 日本だけとちゃうん?

それは、めれちゃんが大阪という日本の限られた世界に住んでいるからやでぇ〜。。。わてのように人生の半分以上を海外で暮らしている者にとって、「竹取物語」は世界的な傑作やという事がしみじみと実感できるねん。

そのように言う事がオーバーやと、わたしは言うてるねん。

そやから、めれちゃんが大阪という小さな世界に住んでいるからやでぇ〜。。。

あんさんは、そないに言うけれど何か証拠でもおますのォ〜?

わては根拠のない事は、よう言わん。。。証拠が欲しいのならば次のアニメを観たらええやん。 ちゃんと国際語である英語を使ってアニメが作られておるねん。 めれちゃんも目の玉をムキムキしてじっくりと観たらええやん。

「かぐや姫」アニメ in English





あらっ。。。ホンマに英語で面白く作られてますやん。



めれちゃんにも英語が分かるんかァ〜?

この程度の英語なら、わたしでも分かりますう。

さよかァ〜。。。さすがに知能指数が140やなァ〜。。。

あんさん!。。。いい加減にしいいやあああァ〜。。。IQは関係ないと言うてますやん。

そう謙遜しなくてもええがなァ!

謙遜しているのではおまへん。 あんさんは、少しくどいのですねん。 そんなことよりも、あんさんはYouTubeを観やはって「かぐや姫」を取り上げる気になりはったん?

ちゃうねん。 わてはバンクーバー図書館から『葬られた王朝』という梅原猛さんが書いた本を借りてきたのや。

その本の中に「かぐや姫」が出てきたん?

そうなのや。 引用するから、めれちゃんもじっくりと読んでみたらええやん。


『古事記』は、神話の名において諸氏の勤務評定をしたようなものである。 そしてその勤務評定において百点を取ったのは藤原氏のみである。 このような勤務評定を行い、かつ藤原氏に百点を付けるのは、権力者、藤原不比等以外にはあり得ず、(稗田)阿礼像と不比等像は全く重なり、稗田阿礼すなわち藤原不比等と断定して差し支えないと私は思う。



中央が父親の鎌足、

左が次男の藤原不比等

右が長男の定慧(じょうえ)


以上の推論から、稗田阿礼が不比等である可能性ははなはだ大であることが明らかになったわけである。 最後に、不比等がそのように手の込んだ容易には発見されない詐術を行う人間であったことを照明する物語を紹介しよう。 それは『竹取物語』である。

...前半は五人の「色好み」の貴公子たちがかぐや姫に「世にも珍しい宝物」をとって来てほしいいと頼まれ、いずれも失敗する話であり、滑稽な喜劇といえよう。 後半は、かぐや姫の昇天の話であり、悲劇と言えよう。
この前半部に注目してみたい。

前半部に登場する五人の「色好み」の貴公子とは、「石つくりの御子」「くらもちの皇子」「右大臣あべのみむらじ」「大納言大伴のみゆき」「中納言いそのかみのまろたり」である。
実は、この五人の登場人物はそれぞれ、持統朝から文武朝にかけての実在の重臣をモデルにしている。
「石つくりの御子」が丹比島(たじひのしま)、「右大臣あべのみむらじ」が阿部御主人、「大納言大伴のみゆき」が大伴御行、「中納言いそのかみのまろたり」が石上麻呂、

そして「くらもちの皇子」が藤原不比等である。 なぜ「くらもちの皇子」かというと、不比等の母は車持(くるまもち)氏の出自で、彼は車持の皇子と呼ばれていた。 皇子とよばれているのは、彼が天智天皇の子であるという噂によるものであろう。
車持が「くらもち」になったのは、彼が金持ちであったことを示そうとしたのであると思われる。

かぐや姫は自分に求婚してくるこの五人に、聞いたこともないような「宝物」をとってくるようにと、無理難題を押し付けるのである。 まず石つくりの御子には「仏の石の鉢」を、阿部みむらじには「火鼠(ひねずみ)の皮衣」を、大伴のみゆきには「龍の頸(くび)の珠(たま)」を、いそのかみのまろたりには「燕の子安貝」を、くらもちの皇子には「蓬莱(ほうらい)の白珠(しろたま)の枝」を取ってきてほしいという。 もちろん取ってきたら、その男の求婚を受けるとの暗黙の了解があった。

(注: 赤字はデンマンが強調
読み易いように改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)




279 - 280 『葬られた王朝』
著者: 梅原猛
2010年6月20日 第9刷発行
発行所: 株式会社 新潮社




あらっ。。。面白い解釈やんかァ。



そうやろう!? 「竹取物語」を平安時代の政治的批判の書だと言うてるねん。

そやけど、何を批判してるん?

そやから藤原不比等の詐欺的政治手法を批判してはるわけやァ。

そう言えば、あんさんは「新しい古代史」サイトで、マキアベリもビックリするような政治的策略の書『六韜(りくとう)』を藤原氏が代々受け継いで読んできやはった“聖書”やと言うてましたなァ。



『マキアベリもビックリ、藤原氏のバイブルとは?』

(2006年2月11日)




めれちゃんは、よう覚えておるなァ〜。。。?



そやかてぇ、この事では、あんさんがくどくどとブログにも書いてましたやんかァ!

そうやァ。 藤原不比等が権勢を欲しいままにして影で暗躍し、藤原氏の基礎固めをしたと、わても思うてるねん。 その過程で、権力の座から追いやられてしまった人たちの恨みを買ったのや。 そやから文学書と言われている作品の中に、藤原氏のあくどいやり方をその人たちが書き残したという事も十分に考えられるわけやなァ。

そやけど、それは仮説とちゃうん?

あのなァ〜、アインシュタインの特殊相対性理論かて、初めは仮説やったのやでぇ〜、そやけど太陽の後ろにある星が太陽の影になって地球から見えんはずやのに見えている。 どうしてか? それは太陽の重力によって光が曲げられている。 そやから見えないはずの星が見えるという事実を他の学者が相対性理論を使って証明した。 それによってアインシュタインの理論が真理として広く認められるようになったのやでぇ〜。

あんさんは、そのような事まで知ってはるのォ〜?

物理学の本に書いてあるがなァ。 そやけど現在では、そのアインシュタインの理論も真理ではあらへん。

ウソやということォ〜?

いや。。。ウソではないねん。 真理に極めて近い仮説やけど、アインシュタインの理論では説明つかない事実がいろいろと発見されてるねん。 それで最近ではアインシュタインの理論も含めた、もっと真理に近い「統一理論」があるはずやということになって、理論物理学者がやっきになって新しい理論を構築しようと頑張ってるねん。

つまり、絶対真理はあらへん、とあんさんは言わはるの?

そうやァ。。。限りのう真理に近づくけど、絶対真理はあらへん。 そういう考え方が現在広まってるねん。

。。。で、藤原不比等が悪賢い人間であったということが「竹取物語」の中で、どないに書かれてはるねん?

次のように書いてある。


「蓬莱(ほうらい)の白珠(しろたま)の枝」を求められた彼は、他の二人とは全く違う方法で宝物を手に入れる。 ここでくらもちの皇子は「心たばかりある人」であると書かれている。 その言葉どおり、彼は甚だ手の込んだ詐術を見事に行うのである。

まず彼は、宮中には「筑紫の国に温泉に入りに行く」といい、またかぐや姫の家には「珠の枝をとりに行く」といって、家来全てに船の出発する難波まで送らせた。 そして近臣の者を少し連れて彼は船に乗るには乗ったが、二日ばかりで家に帰ってきてしまう。 その後、彼は当時随一の鋳物師六人を召して、彼らと共に容易に人の来ないような家に閉じこもって、かぐや姫の言うような「珠の枝」を作らせたのである。 ようやくそれを作り終えると、彼はそっとその家を出て、難波に取って返し、彼の留守宅に「今帰った」と知らせた。 知らせを聞いた大勢の人が迎えに来て、「くらもちの皇子が優曇華(うどんぐゑ)の花をもって帰った」と大声でいい広めた。

そしてくらもちの皇子は、その珠の枝を長櫃(ながびつ)に入れ、旅姿のままかぐや姫の家に来て、「命を捨てて、かの珠の枝を持ってきました。 かぐや姫に見せてください」と竹取の翁に献上した。





見れば、立派な珠の枝である。 翁は「この上はこの人柄もよい皇子と結婚してください」と床入りの用意まで整えた。 その様子を見て、くらもちの皇子に嫁ぎたくなかったかぐや姫は深く嘆く。 



(中略) 彼は宝の島を見つけた喜びを語り、目前に迫った絶世の美人、かぐや姫との逢瀬をよだれをたらして期待していたのである。

ところが、しばらくしてどんでん返しが待っていた。 「くもん司(づかさ)の匠、あやべのうち麿」という者がある文を持ってかぐや姫の家に訪ねて来た。 そして、いうことには「私ども六人は五穀を絶って珠の枝を作りました。 皇子は官位をも下さるといわれましたのに、お給金もいただいていません。 かぐや姫がくらもちの皇子の妻妾ということを聞いたので、お給金をもらいにきました」と、その証拠を突き出したのである。 それを聞いて、かぐや姫の顔が、思わず明るくなった。 くらもちの皇子の嘘がばれたからである。 そして、喜んで匠らに給金を遣わした。 だが、我慢ならなかったのは、くらもちの皇子である。 匠らを帰る道で待ち構え、血の出るまで打ち懲らしめたのであった。 そして皇子は、恥をかいたと深い山に身を隠したという。

くらもちの皇子は、嘘を本当に見せかけることに天才的な才能を持っていた。 そしてまた金をたくさん持ち、官位を出すような権力も持っていたのである。 しかしどこかケチでかつ残酷でもあった。 これは不比等という政治家のまことに辛辣な風刺である。




281 - 284 『葬られた王朝』
著者: 梅原猛
2010年6月20日 第9刷発行
発行所: 株式会社 新潮社




。。。で、この「竹取物語」はどなたはんが書きはったん?



いろんな学者が好き勝手な事を言うてるねん。

学界の定説ではどうなってるん?

作者については不詳である、ということになってるでぇ。 そやけどなァ、当時の推定識字率から考えて庶民が書いたとは思えん。 作者は貴族階級に属しており、情報がゲットし易い平安京に住んでいたと考えられる。 しかも、物語には反体制的な要素があるよってに、当時権力を握っていた藤原氏の者ではあらへん。

。。。となると、権力の座から追い落とされた人やね?

そう言う事になるがなァ。 しかも、作者は漢学や仏教や民間伝承にも詳しい人やァ。 和歌の才能もあり、貴重であった紙もゲットできるような経済的にもさほど困ってない人物やと思われる。

すると、どのような人が考えられるん?

候補者に上がっているのは源順、源融、遍昭、紀貫之、紀長谷雄。。。というところやなァ。

その中で誰が一番「竹取物語」を書いた可能性が高いん?

最近の研究では作者は紀貫之である可能性が高いと言われてるねん。 文才があり時代的にも合い、藤原氏に恨みを持つ要因を持っている。

どのような訳で紀貫之は藤原氏に恨みを持ってるん?

あのなァ〜、紀氏は「応天門の変(貞観8年、866年)」により藤原氏の謀略で失脚してしもうたのやァ。 以後、政界から遠ざかって紀氏は文人の道へと進んだのやがなァ。

あんさんも、そう思うてるん?

いや、わては大伴家持(718年頃-785年)やと思うてるねん。 通説では、平安時代前期の貞観年間 - 延喜年間、特に890年代後半に書かれたと言われておるねん。

大伴家持は『万葉集』を編纂した人ですやろう?

その通りや。 『万葉集』も政治批判の書だと、わては思うねん。 この事で、わては記事を書いたこともある。



『万葉集は政治批判の書か?』

(万葉集の謎と山上憶良)

【2006年7月1日】




つまり、大伴家持は藤原氏に紀貫之以上に恨みを持っていると、あんさんは言わはるの?



もちろんやァ! 大伴家持は天平宝字元年(757年)に発生した橘奈良麻呂の乱には参加しなかったものの、藤原良継・石上宅嗣・佐伯今毛人の3人と藤原仲麻呂暗殺計画を立案したと藤原氏から睨まれた事があるねん。 暗殺計画は未遂に終わり、天平宝字7年(763年)に家持を含めて4人は逮捕されてしまう。

それど、どうなったん?

藤原良継一人が責任を負ったことから、家持は罪に問われなかったのや。 そやけど、翌年、薩摩守への転任と言う報復人事を受けてしもうた。

それで大伴家持は藤原氏に恨みを持ちはったん?

そうや。。。そればかりではあらへん。 桓武天皇の時代、つまり天応2年(782年)正月には氷上川継の乱への関与を疑われてしもうたのやァ。

それで、どうなったん?

一時的に解官されて都を追放されてしもうた。 でもなァ、同年4月には罪を赦され参議に復帰したのやァ。 3年後(延暦4年8月28日)に家持は亡くなってしまうねん。 そやけど災難は死亡後にもやってきた。

どないな災難やのォ〜?

家持が亡くなってまもなく、9月23日の夜に藤原種継暗殺事件が起きたのや。 造営中の長岡京で発生、家持も関与していたと疑われてしもうた。 そのため、家持の死体の埋葬も許されぬままに除名されてしもうた。 子供の大伴永主も隠岐国に配流になってしもうたのや。 家持は大同3年(806年)に、死後20年近くたってから一応、罪を赦されて従三位に復帰したけど、これだけの事件を見ても家持が政治家として藤原氏に対する反骨精神を持っていたことがよう判るねん。 そうでもなければ、藤原氏に、これほどまでに事件の関与を疑われることはなかったのやァ。

つまり、文学の書だと思わせながら大伴家持は『万葉集』にも『竹取物語』にも藤原氏の批判を込めたと、あんさんは言わはるのォ〜?

その通りやァ。 中国の歴史を見ても文学は政治とは切っても切れないものなんやァ。


【レンゲの独り言】



ですってぇ〜。。。
デンマンさんの独特の史観ですわ。
あなたは、どう思いますか?
かぐや姫のお話に、このような政治批判が込められていたと考えてみたことがありますか?

ところで、紅葉(もみじ)狩りに出かけましたか?
もう見ごろを過ぎているでしょうか?
あなたの地方ではいかがですか?
紅葉を見て癒されてくださいね。

あたしは久しぶりに京都の法然院を訪ねてみました。







紅葉が見ごろでしたわ。
あなたもお近くの森に紅葉狩りに出向いてはいかがですか?

とにかく、次回も興味深い話題が続くと思います。
あなたも、また戻ってきてくださいね。
じゃあ、また。。。






ィ〜ハァ〜♪〜!

メチャ面白い、

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うふふふふふ。。。

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減量してスマートになったら、

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とにかく、今日も一日楽しく愉快に

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