議論できる人、できない人(PART 1)

めれんげさん、はじめまして。
気になることがあって、コメントいたします。
2月12日の記事(裏切りはやさしく)で、
(心の恋人)と名乗っておられる方のコメントに、
差別用語が含まれていることに、気づいていますか?
それは、障害を持つ方を、意味する言葉です。
インターネットを利用して、差別用語を書くことは、
テレビなどで、差別的発言をすることと同様です。
あのようなコメントを、放置しておくべきではないと思います。
発言された方は、ご年配の方なのでしょうか。
相当、古い感覚を、お持ちなのでしょうか。
現代的感覚と、知識を持っている人間ならば、
公共の場、不特定多数の相手の面前で、
あのような言葉を吐くことなど、ありえません。
言葉狩りをするつもりはありませんが、
他人(めれんげさん)のブログに、コメントするのであれば、
最低限のマナーと常識を持つのが当然だと考えます。
めれんげさんは、当該の発言者を野放しにせず、
アクセスを制限すべきではないでしょうか。
長文失礼いたしました。
なつみ
2009/04/14 3:56 PM
『即興の詩 青空』のコメント欄より
『未熟な判断と稚拙な批判 (2009年4月22日)』に掲載。
デンマンさん。。。また、なつみさんのコメントを持ち出したのですか?
いけませんか?うへへへへ。。。
なつみさんのコメントが今日のタイトルと関係あるのですか?
ありますよう。大いに関係ありますよう。
どのように。。。?
僕にとって議論できない人と言うのは、まさに「なつみ」に成りすました漢字馬鹿のような人間ですよう。
漢字馬鹿さんとは議論になりませんか?
議論するだけ時間の無駄です。
どうしてですか?
2ちゃんねるに居るような気持ちで議論する人を僕は信用できないのですよう。
どうして。。。?
だってぇ、つぎの漢字馬鹿が「アザイゲ」に成りすまして書いたコメントを読んでくださいよう。
上の「アザイゲ」も「なつみ」も漢字馬鹿が成りすまして書いたのですよう。
マジで。。。?
もちろんですよう。
僕のことを次のように書いている。
頭は固いがチ○コは柔い粘着自演ジジイ
漢字馬鹿さんは“ネットのイジメ”をしているつもりなのですか?
その通りですよう。この愚か者の“ネットのイジメ”について知りたい人は次の記事を読んでみてください。
■ 『馬鹿の一つ覚え (2009年5月22日)』
「なつみ」さんは次のように書いていますよね。
言葉狩りをするつもりはありませんが、
他人(めれんげさん)のブログに、
コメントするのであれば、
最低限のマナーと常識を持つのが
当然だと考えます。
そうですよう。そのような事を書いておきながら、めれんげさんのサイトに次のように書く。
頭は固いがチ○コは柔い
でも、「アザイゲ」も「なつみ」も本当に漢字馬鹿さんが成りすましているのですか?
信用できないのならば、めれんげさんの『即興の詩』サイトへ行ってコメントを見てください。
■ 『即興の詩』
めれんげさんのサイトのコメントを見て何が分かるのですか?
4月15日に『青空』という短歌にコメントを書いたのを最後に、ピタッとコメントを書くのをやめましたよう。
どうしてですか?
自分の愚かさにやっと気づいたのですよう。
愚かさって。。。?
漢字馬鹿はかつて2ちゃんねるで次のように書いていたのですよう。
54 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー! :2005/06/04(土) 14:47:51 ID:Hw/3q6yV
しかし漏れは不思議なんだが・・・
「レンゲのフォーラム」に「Feces of Gold」とか「DEMPA55」とかの名前で書き込んでるのは本人か?
なんかやり取りが不自然でバークレーの脳内問答のように見えなくもない。
56 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー! :sage :2005/06/06(月) 00:11:19 ID:PS/5OL9U
>>54
「Feces of Gold」はソーシャルネットのFC2Nでバークレーの追い出ししてたメンバーの一人の名前だけど、
フォーラム内での発言がそこからの転載かどうかまでは判らんっす。
57 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー! :sage :2005/06/06(月) 21:51:07 ID:04yaK1wV
>>56
転載ではないよ。
新しく書かれたものだが、「Feces of Gold」氏の書く文章にしてはなんか不自然だな、と。
谷口君にだけからむというのがイマイチ理解できないし、そもそも同氏を勝手に女性だと決め付けてるのは場暮れ君だし。
ま、どうでもいいがなー。
58 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー! :sage :2005/06/07(火) 03:40:40 ID:07nT/eIr
>>57

そっか。実は私が「Feces of Gold」でし。(>>56のカキコも私)
ま、FC2Nから消えたから、私もどうでもいいし。
レンゲのフォーラムは、またアク解されてるかと思うと踏みたくないしww
2ちゃんねる
『【毒舌】バークレーのブログのヲチ【自己増殖】』より
『小泉純一郎と名乗る漢字馬鹿 (2009年4月20日)』に掲載。
58番を書いたのが漢字馬鹿です。つまり、『レンゲのフォーラム』ではアクセス解析されているのでコメントを書いたら漢字馬鹿だということがすぐにバレてしまうのですよう。
それで、漢字馬鹿さんはデンマンさんのサイトにはコメントを書かずに、めれんげさんのサイトにコメントを書いたのですか?
そうなのですよう。ところが、めれんげさんは有能なシステムエンジニアなのですよう。漢字馬鹿よりも、コンピューターのことやネットのことに詳しい。その事を愚か者は知らなかった。漢字馬鹿は“メンヘルの女”として、めれんげさんを馬鹿にしていたのですよう。
“敵を知り己を知れば百戦危うからず”
つまり、漢字馬鹿は自分も知らなければ、めれんげさんの事も知らない。このような愚か者だから、「アザイゲ」に成りすましたことも、「なつみ」に成りすましたことも、見え見えになってしまったのですよう。
じゃあ、漢字馬鹿さんは、めれんげさんのサイトに、もうコメントを書かないのですか?
IP アドレスを変えて、そのうち書きますよう。見ていてください。
でも、デンマンさんには漢字場かさんだと特定できるのですか?
できます。
マジで。。。?
その時には、また記事を書きますよう。うしししし。。。
つまり、漢字馬鹿さんが何をしても、漢字馬鹿さんだと分かってしまうのですか?
そうですよう!
“敵を知り己を知れば百戦危うからず”
僕は自慢するわけではありませんが、漢字馬鹿のことも、漢字馬鹿が知らない事まで知っているし、もちろん、僕自身の能力や限界も知っているつもりです。だから、漢字馬鹿と面と向かっても、つまり、百戦しても99戦まで安心して居られるのですよう。
分かりましたわ。漢字馬鹿さんがめれんげさんのサイトにコメントを書くのを楽しみにしていますわ。。。それで、漢字馬鹿さん以外では、どのような人が議論できないのですか?
長くなるけれど、徳保(とくほ)さんが書いた記事をもう一度読んでください。
はてなダイアリーで更新していた
日記のアーカイブ
by 徳保隆夫
2005-12-08
(中略)
2.
■
誤読としての批判への批判〜都合のいいときばかり「子ども」を持ち出す大人〜
コメント欄より転載。
徳保隆夫
『少し反論しますと、satoshi さんは「大人になると」間違いを指摘されなくなる、と書きました。ということは、「子どもの頃は」は間違いを指摘されたわけですよ。くどい表現を避けて、省略されているだけ。私は書かれていないことを勝手に推測しているのではない。当然の読解を行っているのです。
そうして私は、子どもの頃に間違いを気軽に指摘されたのは「尊敬されない」ことと引き換えだったとして、子どもの頃を安直に古きよき時代として思い起こすことを否定したのでした。』 (2005/12/08 01:00)
■
大人だから間違いを指摘してくれない時もある。
問題は、satoshi さんこと snakajima さんのコメント。
snakajima 『life is beautiful のSatoshiです。私も「間違いを指摘しないのは聞いてる側の選択の結果」で、「自称ワイン通」氏の責任ではないと思います。
つまり、大人になると特に負のオーラを出していなくても、間違いは指摘してもらえないんですね。しかし、それでは悲しいので、何とかして「間違いを指摘しやすい」人になりたい、なる方法はないかな、という宣言であり問いかけなんです。』
umeten さんのところでは、以下の通り。
snakajima 『 私のエントリーに関して、こんなに深く分析していただき、ありがとうございます。このエントリーは、ご指摘されているように、「度量のある懐の深い人間になろうと思う」という宣言であるとともに、私の知り合いやブログの読者に対しての「もし、私が間違っていることを言っていたら、教えてください」というお願いでもあります。「子供のころは、まわりの人が親切に色々と教えてくれた」というノスタルジーに浸っているだけでは何も得るところはありませんからね。』 (2005/12/08 01:55)
k3jaco さんが結論に困ってしまったのは当然で、Satoshi さんの主張は袋小路への道である。ワイン通に問題がないとすれば、Satoshi さんにできることは何もない。闇雲に「改善」を目指しても、空虚な宣言にしかならない。
しかも驚くべきことに、Satoshi さんは間違いを指摘する側に問題の原因を見出している。だったら、そもそも Satoshi さんの記事は転倒しているわけだ。「大人に対して大人は間違いを指摘できない」というところから、話を展開するのが本来の筋だったはずだ。
おそらく、子どもに対してであれば、仮に少々態度が生意気でも、Satoshi さんは「きみの説明は、間違っているんじゃないかな?」といえたろう。そうであればこそ、
「大人になると誰も間違いを指摘してくれなくなる」という言葉が出てくる。
もし Satoshi さんが正しく記事を書き始めていたのなら、必ずこの問題に行き当たったはずだ。そして、なぜ子ども相手なら根拠不十分でも間違いを指摘できてしまうのか、考えたはずだ。
私は「間違いを指摘されるようになること」について、ひとつの回答を暗示した。ここは補足記事だから、はっきり書こう。
● 指摘がほしければ、ガキ扱いされるような人間になればいいのだ。
● 大人が大人であり続ける限り、指摘する側は躊躇する。
だから、大人であり続けることを前提とすれば、有効な解を発見できない。
「子供のころは、まわりの人が親切に色々と教えてくれた」というノスタルジーに浸っているのでは、残酷な結論に気付かない。
おいしいところだけ、
つまみ食いすることはできない
大人たちは、大人になりたいから、大人になった。子どものままでいたければ、そうすることもできた。
大人たちの、子どもに対する「間違い」の指摘は、なるほど親切心から出たものかもしれない。だが、親切心はどのような場面で発現するか。そして大人たちは、本当に親切にされたいのか。なぜ、大人たちは、子どもであることをやめたんだ?
子どもは、いくつかの特権と引き換えに、非常に多くの忍耐を強いられる。親切な指摘を無数に受ける特権は、本来、ノスタルジーを感じ、羨むようなものではない。大人たちに精神的にも物理的にも支配されている、血涙の滲むような服従の記憶とともにある。何をいっても簡単には信じてもらえない、正しい主張も簡単には通らない、それが子どもの支払っている犠牲である。
ある種の間違いだけを、プライドの傷つかないような形でピンポイントで指摘される、そんなつまみ食いは、不可能だ。
根拠不十分でも気軽に指摘されるようになれば、間違っていないことまで指摘されるようになる。気軽に指摘されるような状態では、異論・反論が気軽に提出され、自分の意見がなかなか通らない。そのつらさ、悲しさに、耐える覚悟はありますか。
(中略)
4.
文体を変えます。
■
間違いを指摘される事の重要性を理解できない人
謙虚な人柄と間違いを指摘してもらえるようになる事は同義ではない。何をどうとったらそういう帰結になるのか?
まず「謙虚」という言葉の定義が必要。
常識的に考えて十分な根拠が提示されている場合に、間違いの指摘を受け入れる人は、少なくともその点において「謙虚」である、と私は表現します。
自信過剰な人は、例えばメルローの件についていえば、「百科事典のミスかもしれないじゃないか!」「ワイン専門店の店員にだって間違いはあるぞ!」と強情を張るでしょう。
さて、
このエントリーは、ご指摘されているように、「度量のある懐の深い人間になろうと思う」という宣言だと
いったのは Satoshi さんです。度量があって懐が深い、とは即ち、間違いを認める謙虚さを持つ、ということでしょう。そして Satoshi さんは、それが「間違いを指摘される大人」になるための道だと考えていらっしゃる。
私は、Satoshi さんの主張には一定の理を認めます。しかし、あまり本質的ではないと思う。そしておそらく、無意識的には Satoshi さんもそのことに気付いているはずだと思いました。その根拠が、Satoshi さんが「大人になると誰も間違いを指摘してくれなくなる」と書いたことです。
これは、前段の主張と矛盾した主張なんです。子どもに対する幻想を捨てて、子どもの実際の姿を見れば、それは明らかとなります。
1. 大人は子どもより、度量が広く懐が深い。
2. 大人になると、間違いの指摘が減る。
第1項が、逆なら、話は合う。でも、現実はこうなんです。だから、間違いを認める謙虚さを持つことは、あまり重要ではないことに気付いていい。
そして多くの場合、謙虚さは特定の局面のみで発揮されるものではない。したがって、他者の指摘に対して謙虚に対応する人は、自分が他者に対して指摘することにも慎重になります。tomozo3 さんは kanose さんを例示されましたが、
デンマンさんと比較してくださいよ。kanose さんは謙虚です。傲慢な
デンマンさんとは態度が全然違う。
ここで Satoshi さんの最初の事例に戻れば、パーティ会場において、不確実な根拠でしかワイン通の事実誤認を指摘できる人しかいなかったとしたならば、みなが謙虚である限り、誰も何もいえなかったのは当然なのです。したがって、Satoshi さんがいろいろ考えるきっかけとなった事例は、謙虚さでは解決されないことになります。
そしてまた
デンマンさんが各所で批判されていることから、あれほど傲慢であっても「間違い」の指摘は行われることがわかります。
以上の推論から、私は「度量のある人間を目指す」という Satoshi さんの結論は、的外れだと考えました。
よろしいですか、私は
謙虚な人柄と間違いを指摘してもらえるようになる事は同義ではないと考えているのです。同義だと思っているのは Satoshi さんであって、私はその主張を批判する立場なのです。
5.
言葉の定義の問題
tomozo3 さんの追記部分について。
過ちを認めるのは、謙虚ではなく、素直。
謙虚と素直を全く別の概念とみなすべき場面と、そうでない場面があると私は思います。
ご批判のかなりの部分は、言葉の定義の問題に過ぎません。tomozo3 さんは、ミクロの差異を決定的な差異とみなして、私の主張を過剰に否定されているのです。
私の記事では、謙虚と素直を同類の概念として扱っています。謙虚な人は素直なことが多い。謙虚な人、度量の大きい人、素直な人、これらは似たような人物像を想像させますよ。私は「それらの言葉で形容されるタイプの人」という大きな括りで話をしているんです。私が謙虚と書いた部分を、エディタで全部「素直」に書き換えたって、私の主張は変わりません。その語義の違いが影響しない領域で、それらの言葉を用いているからです。
それは逆
デンマンさんに過ちを指摘する人が少なく、加野瀬さんに意見や異論を述べる人が多くいるのは、加野瀬さんが指摘に対して、詭弁で返したり、何も言わずにこっそり変更修正したりはしないから。
これは意図が逆。私は
デンマンさんを「強情な性格でも異論・反論をもらうことに成功した事例」として示したのです。
デンマンさんに間違いの指摘をしたのは kiya2014 さんだったと記憶しています。
本題
中島氏が言わんとすることは、間違いの指摘にも異論にも意見にも率直に耳を傾ける姿勢を見せることにより、早期に間違いを修正することが、大事、と言うこと。
2.に書きましたが、Satoshi さん自身、今回の事例は、指摘される側ではなく指摘する側の問題だと、k3jaco さんのところのコメント欄で認めているんです。
であれば「ああ、どうしてあの時、私は間違いを指摘できなかったのか。指摘を躊躇してしまう自分を改善したい」と、考えるのが自然でしょう。指摘する側(が指摘を躊躇したこと)に問題がある、だけど私は指摘される側の立場で自省するぞ、というのは話が転倒していますよね。
「やっぱり躊躇するのは仕方ないな」とか、「これからは躊躇せずにどんどん行こう」とか、そうやって最大の問題に結論を出してから、瑣末な問題である、指摘される側のあり方について考えるべきなんですよ。
デンマンさんでさえ、間違いを指摘されるのです。大人社会に間違いの指摘が少ない決定的な理由は、指摘する側にある。そして、指摘する側が、指摘を躊躇する理由は何か。Satoshi さんが気付いている通り、大切なのは、そこなんです。
加野瀬さんの間違いを指摘する一般人は、常連読者さんです。ある程度気安い印象が醸成されていて、それで指摘しているのです。加野瀬さんとこは数千人が見ているからいいですが、ふつうはこのタイプの指摘だけでは大半のミスが見過ごされます。
これに対して、初めて見たサイトの間違いをいきなり指摘する人がいる。これはモヒカン族に近い立場で、
otsune さんが書いている通り、
気遣いせずに間違いを指摘する文化を持っているから、そんなことができるのです。
気遣い無しのコミュニケーションは、日本の大人社会では珍しい。しかし少なからぬ人は、子どもの頃、モヒカン族的だった。「王様は裸だ」といえたんです。で、人々は何故、気遣いを重視するようになったのですか? 大人は、物語としては「裸の王様」のラストに登場する子どもに憧れますが、本気でそうなりたいとは思っていない。
ところが、大人は子どもに対しては気遣いよりも教育指導を優先します。だから大人は子どもの「間違い」を指摘する際にはモヒカン族的な行動を取る。つまり、大人は子ども相手にはモヒカン族、大人相手にはムラ社会の住人を演じています。
こうした背景を踏まえて、私は、大人が大人に対して気軽に指摘できるメンタリティとはどのようなものか、想像するべきだし、想像できるはずだと主張しているのです。
(中略)
2005-11-28
明日から寒くなるそうだ。今年の秋は、今日までか。
伝文体
議論できる人、できない人 (?B)
yosiyama さんが
紹介してた記事だけど、飄々とした書きようがいい感じ。こういう文体、私もうまく使えたらいいな、と思う。伝文体を道具として埋め込む手法には、いろいろ可能性がありそう。
(中略)
2005-11-21
ぐったり。
更新のルール
コメント欄は開放しない。トラックバックは受け付けない。キーワードリンクしない。カテゴリは設定しない。ときどき記事をバッサリ消す。ときどきプライベートモードへ移行する。
メモ
ノリのいい人には近づかないに限る。
『はてなダイアリーで更新していた日記のアーカイブ』より
『好ましい批判 (2009年5月12日)』に掲載。
また、この長い記事ですか?あたしは、もうウンザリしましたわ。
そう言わないでくださいよう。初めて読む人だって居るのだから。
。。。で、この上の記事の中に議論できない人が出てくるのですか?
そうですよう。
誰ですの?
yosiyama さんですよう。僕が彼と議論できないのじゃなくて、yosiyamaの方から、もう議論できないと思い込んで撤退してしまったのですよう。次のやり取りを読んでみてください。

yosiyamaさん、
あなたは中学三年生なら優等生ですよ。
でも、頭が固く原則として他の人の意見を聞かない!
国際化をかたくなに認めようとしない!
しかし、何度も言うように国際化は現実ですよ!
あなたの好き嫌いに関係なく、
あなたは国際化に飲み込まれている!
あなたには選択の余地は無いんですよ!
なぜなら、こうして僕と意見の交換している事が、
国際化の一端だからですよ!
だから、国際化は一部の人間のすることだ
というような考え方を改めないなら、
ネットをやめて瀬戸内海の無人島で
暮らしたほうが無難ですよ!
何のためのネットか?
ネットは多方向多重通信手段ですよ。
だから、お互いに意見を出し合って、
良いものは吸収して行く!
そこに世界の進歩と平和があるんですよ!
やがては“世界のネット市民”
という考え方が常識になって、
戦争がなくなると僕は信じていますよ。
現在、アメリカが“戦争インフラ”を
かたくなに捨てようとしないから
戦争がなくならない!
かつてミノア文明の1200年間は
戦争が無かった。
嘘だと思ったら次の記事を
読んでみてくださいね。
■ 『戦争はなくす事ができるものです』
(2005年10月10日)

早い話が通勤するのに現在、和服を着て会社に行く人が一体幾人いるか?
yosiyamaさん、あなたは歴史を本格的に勉強した事が無いですね。
あなたの文章から、これまでに歴史観のかけらも感じ取る事が出来ませんでしたよ!
歴史の中にこそ真理が隠されています!
CNNのニュースを聞いていたら、現在世界でパソコンを持っている人が、大雑把に言って10人に一人だそうですよ!
文明開化の明治10年代の事を考えてみてください。
その当時洋服を着ていた日本人が一体幾人居たか?
恐らく10人に一人も居なかったでしょう。
100人に一人程度だったかもしれません。
パソコンを洋服だと考えれば、このことはよく分かります。
いづれ世界の10人に9人までがパソコンを持ってネットをやるようになるでしょうね。
世界における“洋服”の普及を歴史的に見れば、その程度のことは容易に判断が付きますよ。
そう思いませんか?
“国際化” は “洋服” と全く同じですよ!
ところが、yosiyamaさん、あなたにはこんな分かりきったことが分からない!
歴史を本格的に勉強した事が無いからですよ!
それで、このようなトンチンカンな事を恥ずかしげも無く書いている!
国内のネット記事を読めば分かると思います。
今は一部の人間だけが国際的なネットをするべきであって、底の人々も国際化するべきではないと思いますよ。
。。。
過ちを正そうとしても限がない。限がないから私は絶望しています。
だから「デンマンさんの言う正しい国際化」も浸透しないだろうなとも思いました。
by yosiyama
だから、yosiyamaさん、あなたは中学生程度の精神と教養しか持って居ないんですよ!
あなただって、中学校や高校で歴史を勉強したでしょう。
しっかり勉強していたら、現在の“国際化”が明治時代の“洋服”とすっかり変わらない事があなたにも理解できるんですよ!
20年もしないうちに、携帯に現在のパソコンの機能が加わりますよ。
パソコンは小型化して、やがては携帯もパソコンも区別がなくなるでしょうね。
そうなれば、日本人の100人のうち95人までが“パソコン兼携帯”を持つようになりますよ。
つまり、ネットの世界がボーダレスになっている。少なくとも僕はボーダレスでやっている。
僕のような人間が年々増えていますよ。
それは僕がネットを20年やっていて肌で感じてきた事です。
現実です!
僕の体験です!
それに基づいて僕は記事を書いている!
あなたのように観念論で書いているわけじゃない!
一口で言えば、あなたは“島国根性に凝り固まった井の中の蛙”なんですよ!
貴方も縦社会にどっぷりと浸(つ)かっているので、僕のようにズケズケと批判する人がこれまでに居なかった。
だから、分かっていない!
国際化と言うのは、このようなことも言うわけですよ!
要するに、さまざまな意見があなたの頭の中に入ってゆく!
あなたがボーダレスのネットで僕の記事を読んでいる!
僕はカナダのバンクーバーでこれを書いている!
これが国際化ですよ!
僕は自分の目と足で20カ国以上を歩いている。
さまざまな人たちと現地語で話をして、その人たちと生活をともにしたこともある!
これからは、ますますネットの世界も現実の世界もボーダレスになってゆきます。
これは、現実なんですよ。
あなたにその認識が無いだけの話です。
何度も僕が書いているように旧ソ連が崩壊したことだってボーダレスになりつつあったネットの影響があったのです。
つまり、あなたや僕のような世界のネット市民が健全な西側の情報を、情報鎖国を敷(し)いていた旧ソ連に流していたのですよ。
良識を持った旧ソ連市民と活動家が西側のサポートを得て立ち上がったわけです。
歴史を振り返って、そこに真理を見たら、誰がなんと言おうが信念を持ってあきらめない事ですよね。
僕はそう信じていますよ。
日本で受け入れられないのなら、世界に飛び出せばよいだけの話ですよ!
僕は何度も書いたように、“健全な批判精神”が分からない、“ボーダレス”がどういうことか知らない、“国際化”がどのようなものなのか理解できない、島国根性に凝り固まった日本の田舎者の管理人によってすでに10以上のブログを削除されました。
でもね、僕はあなたのように“石頭の中学3年生”ではないんですよ!
だから、あなたのように次のような事は死んでも言いたくないんですよ!
過ちを正そうとしても限がない。限がないから私は絶望しています。
だから「デンマンさんの言う正しい国際化」も浸透しないだろうなとも思いました。
by yosiyama
そういう考え方だから、いつまでたっても中学校3年生の精神と教養だけしか持てないんですよ!
そういう考え方じゃダメなんですよ!
あなたの人生だから、好きなように生きればいいけれどね、
せっかく国際化のネットで、バンクーバーに居るデンマンと日本に閉じこもっているyosiyamaさんが出会ったんですよ!
これが、国際化ですよ!
あなたがね、国際化の進むネットをやっていなければ、こんな事を言うデンマンという並外れた“キチガイ”に、あなたは出会うことは無かったんですよ!
あなただって、腹の中ではそう思っているでしょう?
でもね、キチガイと天才は紙一重なんですよ!へへへ。。。。
あなたは、辛抱強く努力する前から、投げ出していますよ!
過ちを正そうとしても限がない。限がないから私は絶望しています。
だから「デンマンさんの言う正しい国際化」も浸透しないだろうなとも思いました。
by yosiyama
誰も絶望しろ!とは言ってないでしょう?
どうして、自分で可能性の芽を摘んでしまうの?
あなたはこれまでに本当の苦労をしたことがないから、そのような甘ったれた事を言ってんだよ!
死ぬつもりでやれば、ある程度のことは出来るものですよ!
でも、100メートルで新記録を打ちたててみろ!と言われても、僕はやりませんけれどね。。。。へへへ。。。。
人生の選択の問題が絡んできますからね!
しかし、僕が言った事には真実がこもっていると思いますよ。
実際、そう思って僕自身がやってきましたからね。。。。
(すぐ下のページへ続く)
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