「生命がかかったような大事な対局のときでも、そういう、勝負とは無関係な、無意味の位置に石を打てる者は、わしの知る限り唯一人」
「ほう、それが、おそらく問題の」
と劉備がノると、龐徳公はガッと拳を突き出して、
「ご賢察の通りだ。諸葛孔明! やつは、必要があれば(いや、べつに無くても)碁盤の外の床の上に涼しい顔をして石を並べることも厭わぬ男である」
「泣き虫弱虫諸葛孔明」酒見賢一著(文藝春秋) ISBN:9784163234908 (416323490X)
清廉潔白、冷静沈着の知将、孔明。実はものすごく、いけすかない奴だったのかも… 豊富な古典の知識と、軽妙な語り口で読み解く酒見版三国志。
吉川英治歴史時代文庫「三国志」全8巻(講談社)を読んだことがある。「序」の書き出しはこうだ。「三国志は、いうまでもなく、今から約千八百年前の古典であるが、三国志の中に活躍している登場人物は、現在でも中国大陸の至る所にそのままいるような気がする」。
日本がまだ卑弥呼の時代の昔、大陸で繰り広げられた戦闘劇は今も生き生きと光を放ち、様々な故事として生活に定着している。それは歴史としての壮大さ、ロマンの力だけではないだろう。暴れ回る英雄たちの人物の魅力、過剰なまでの強さ、過剰なまでの情熱や心意気の魅力に負うところが大きそうだ。
中でも「三顧の礼」は、一つのクライマックスともいえる著名な逸話。ここに著者はあえて疑問を差し挟む。なぜ劉備は、一見うだつの上がらない孔明に目を付けたのか、会ったこともない彼を軍師に迎えるため、三度も足を運んだのか…。ほかにも「常識」に当てはめてしまうと、英雄たちがとる行動には、どうにも納得いかないことが多すぎるぞ。
そんな疑問に対する回答は、主に三つ。「大昔だから」「中国だから」「登場人物が実は変人だから」。長編を読み進むうちに、この三つ目の理由の比重がどんどん大きくなっていき、物語は前代未聞の変わり者同士の対決劇、「三顧の礼」へとなだれ込む。
口調はあくまで講談調。難しい史書の解説なども、「のり」と「つっこみ」を間断なく繰り出してこなしていく。講談というより、なんだか人気のある塾講師みたいだ。荒唐無稽で、結構難解なところもあるが、リズムの軽さにからめとられ、思わず吹き出しながら読み進む。そんな読者も、たぶん著者も、立派に孔明の術中にはまっている。「中国の話は、何でもだいたい日本の五倍」というくだりが、妙に印象的。(2007・7)
「泣き虫弱虫諸葛孔明」 酒見賢一 本を読む女。改訂版


