親との関係だったら、僕だってそうは負けてはいないと思う。
もう既にこの感想で何度も書いているけども、また書いてしまおう。
僕は今では、親とはほとんど連絡を取っていない。時々ポツリと父親からメールが来るくらいで、それに僕もポツリとした返事を返すくらいである。母親とのやり取りはない。最後に母親と何らかのやり取りを交わしたのは、去年の夏くらいの祖父の葬式のために地元に戻った時である。ここ5年間くらいで、母とやり取りを交わしたのはその時くらいではないだろうか。
僕にはいまいち、家族というものの存在が理解できないでいるのだ。もしかしたら今後、万が一にも結婚するようなことがあり、自分自身の家族を持つようなことがあれば何らかの形で理解できたりすることなのかもしれないが、しかし物心ついた頃から今現在まで、家族のありがたみやその確かさみたいなものについて何か意味のあることを感じたことは一度もない。
出来るだけ家族とは深入りしたくはなかったし、出来る限り関わりたくないと思っていた。
特別何があったというわけではなかったと思う。確かに子供の頃、両親はよく喧嘩をしていた。子供の判断であったのでなんとも言えないが、僕にはその喧嘩は、母親が理不尽な理由で父親を一方的に責めているように感じられた。もしかしたら僕が知らないなんらの事情があったのかもしれないが、その印象が消えることは決してないだろう。
しかし、僕への接し方は普通だったし、あるいは普通以上に優しいものであったかもしれない。僕には妹と弟がいるのだが、恐らく僕が一番ちゃんと扱われていたと思うし、恐らく何らかの形で期待をしていたのではなかったかと思う。つまり、僕自身親に何か厭なことをされたということは決してなかったということである。
しかしそれでも僕は、気づけば親のことが嫌いだった。
それは、単純な反抗期というものとは違うように今でも思う。というか表面上、僕には反抗期はなかったはずだ。親に反抗したことはほとんどないし、親の前では幾重にも仮面を被ってはいい子を演じていた自信がある。後年、子供の頃から親のことが嫌いだったと両親に告白したのだが、心底驚いたような顔をしていたものだ。
ただ反抗したかったから嫌いになったというような単純なものではない。僕は冷静に自分自身の内面を見据え、本当の意味で親のことが嫌いであるということを何度も確認したくらいである。そうやって僕は、ゆっくりとしかし確実に、内心では親への態度を硬化させていったのだ。
今では当時のことを振り返ることはほとんどないが、しかし考えてみると、僕は○○(母の名前)と○○(父の名前)が嫌いだったというのではなく、親という存在そのものを嫌悪していたのだろう、と思うようになった。僕の両親と、親ではない別の形で知り合っていたとしたら、恐らく嫌いになることはなかったのではないか、と思う。○○と○○が残念ながら僕の両親であったがために、僕は彼等を嫌いになってしまったのだろうな、と。
僕にとって家族というのは、どうしても近すぎる存在なのである。生きてきた背景も年齢も価値観も積み重ねてきたものもすべて違うのに、ただ血が繋がっているというだけで近い関係にまとめられてしまうことにどうしても僕は納得がいかないのだ。僕にとって家族というのは、いつまでも分かり合うことが出来ない永遠の他人でしかないのに、社会が勝手に親族という括りでまとめあげてしまうのだ。恐らく僕はそれに反発したかったのだし、今でも反発し続けているのだろうと思う。人間の関係性は、与えられるものでは決してないのだということを、なんとか証明しようとしているのかもしれない。
そう考えると、多少ではあるが両親に申し訳ないという気持ちも生まれてくる。はっきり言ってしまえば、僕の子供じみた張り合いのせいで、僕は両親と対峙しているということになる。こんな馬鹿馬鹿しいことに巻き込んでしまうのは、悪いのかもしれない。しかし、僕にはそれを改善しようという意思は全然ないし、どうやったって親を好きになったり近い存在であると認識することは出来ないのである。まあ運が悪かったと思って諦めてもらうしかない。
親とこのままの関係を続けていってもどこにもたどり着かないことは分かっている。それでも僕は、このままの道をまっすぐ進み続けることだろう。
そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、そのまんま東が「僕」という一人称で書いた自伝的小説です。長いこと会っていない父親を探しに行くというのが大筋の話です。
僕はある日、ニュースに自分の名前が出てきて大層驚いた。そのニュースは、とある風俗店で未成年が働いていたというものだったが、その風俗店に通っていたということで僕の名前が出たのだ。
以来僕の居場所はなくなった。家に帰ればマスコミが寄ってくるのでホテルを転々とした。母や姉にこれでもかと詰られた。仕事もこなくなった。ただ街をあてどもなく歩くしかなかった。
父親を探しに行こうか。
ふと思ったことだった。今息子が8歳になった。父親と離れ離れになったのも8歳の頃だった。今息子が自分を見たら、それは僕が父親を見るようなものなのだろうか。そんな連想もあった。
飛行機に乗り、故郷である宮崎へと向かった。父親の足跡を辿りながら、僕は子供の頃を思い出していた。
土地を持っていたために裕福であった父親と、その「妾」として生きていくことを決めた母、そして僕と姉の生活だった。
世話好きで話が面白く、山に詳しかった父。お金はあるのにいつも下女のような格好で生活をしていた母。父に気に入られていた姉。そして僕。金銭的には裕福であったが何故か余裕のなかった日々。両親の激しい喧嘩。妾という立場の母と、妾の子という立場の自分。そうした果てにあった、父親との別離。
今の自分を乗り越えるためには、父親を探し出して殺すしかない。そう決意し、宮崎の地を駆け回る…。
というような話です。
僕は正直、かなりキワモノの本かと思っていたんですけど、全然そんなことはなく、むしろ結構レベルの高い小説だなと思いました。例えば芸人が書いた本ということで比較をすれば、千原ジュニアの「14歳」や品川ヒロシの「ドロップ」なんかよりは全然いいと思います。まあ、劇団ひとりの「陰日向に咲く」にはやはり劣ると思いますが。
また、自分の過去を親というテーマで自伝的に語るという構成が、リリー・フランキーの「東京タワー」に少し似てるなという風にも思いました。もちろん「東京タワー」には及ばないですけど、でもなかなかいい作品だと思います。
ほとんど回想がメインの小説なのだけど、その回想部分が非常にいい雰囲気をかもし出している作品です。一つ一つの出来事が非常に繊細に描かれていて、一つ一つのエピソード自体はなんということもないのだけど、それらをいくつもいくつも積み上げていって当時のことを描き出しているうちに、次第に過去が現在を侵食してくるようなそんな感触がありました。それくらい細かなエピソードをいくつも積み上げていて、しかもそれら一つ一つのエピソードについて、自分がどう感じたのかということを丁寧に描写していて、なかなかのものだなと思いました。
しかしまあ思うことは、よくもまあそんなに昔のことを覚えているな、ということです。本作は恐らく自伝的な小説であって、書いてあることも概ね実際のことなんだろうと思うんですが、昔のことなどからきし忘れてしまっている僕としては驚くばかりです。まあもしかしたらほとんど創作だったりするのかもしれないけど、でもそれだったらそっちの方がさらにすごいですね。普通に作家としてやっていけると思います。
また文章そのものがなかなかうまくて、びっくりしました。的確に物事を表現しているなと思わせる文章が多くて、しかも無駄がないな、と思いました。作家以外の人が書いた小説というのは、話自体は面白くても文章が結構致命的だったりするんだけど、本作は全然そんなことがなくて僕はうまいな、と思いました。まあ、心のどこかで、芸人の文章にしてはうまいな、とか思っているのかもしれませんけど。
あと読んでいて、あぁこれは僕と同じだなと感じた部分があるので抜き出して書いてみます。

『僕はこの頃、外敵から自分を守る手段として、成績優秀というバリアを張ることを決めていた。有無を言わせない圧倒的成績がきっと僕を守ってくれるに違いないと信じていた。「たなか」の姉さんたちの匂いのように。
お陰で、国家の子を育成しようとするだけの無能な教師達は、僕に有能とか俊才とかいう称号を持ちきれない程与えてくれたが、代わりに僕は幾つか重要なものを無くした。具体的に言えば、澄んだ空を謳歌する気持ちとか風を素直に感じる心とか人の死を心から悼むといった、抽象的だけど何かまっすぐなもの…上手く説明できないが、周りの「風景」とかそういったものを感じる心だった。』

なるほど、と思いました。確かにそうだ、と僕も思いました。
かつては芸人として、そして今では知事として活躍しているわけですが、その陰にこれだけの少年時代があったのかという感じがします。感動というのとは少し違うけど、じわじわとした何かが押し寄せてくるようなそんな作品だと思いました。薄い本だし、結構オススメです。読んでみてください。
それにしても一番納得いかないのは本作の装丁です。帯がある状態ならいいんだけど、帯を外した時の本のマヌケさといったら…。これはちょっと失敗でしょう。

そのまんま東「ゆっくり歩け、空を見ろ」


ゆっくり歩け、空を見ろ文庫

ゆっくり歩け、空を見ろ文庫
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