結構前の話であるが、小説を書いてみようと思ったことがある。僕は年号に弱いので正確には分からないけど、たぶん3・4年くらい前の話だ。
その頃僕はかなり参っている状態で、社会に対して恐ろしく後ろ向きだったために、僕はもはや作家として生きていくしかない、というわけのわからない発想の元、アホみたいに文章を羅列していたのである。
僕は記憶力にすこぶる自信がないのでこれまた正確なことは覚えていないのだが、確かほとんど誇張なしに一日中キーボードを叩き続ける生活を一ヶ月くらい続けていたような気がする。そうやって確か、原稿用紙500枚くらいの文章を書き上げたのだ。
一応僕としてはミステリのつもりであって、その前に小説を書いているつもりだった。しかし、読み返して思ったのは、なんじゃこりゃ、ということであった。もしこれを小説と読んでいいなら、ドブネズミさえミッキーマウスと呼んでいいことになるだろうと思えるくらいだったのである。
まあそのくらい酷い代物だったわけで、その後僕はなんとかその酷い代物を、細かい部分を改変することでなんとか小説に近づけることは出来ないものだろうか、と苦心惨憺したものであるが、しかし貧弱な土台の上に高層マンションは建たないように、僕の文章もどうあがいたところで小説という名前を冠することが出来るようなものには変わらなかったのである。まあ当然だ。自転車をポルシェに変えるようなものだ。
そのデータファイルは未だにパソコンのどこかに眠っているし、紙に印刷した状態でも確かどこかにあるはずだが、しかしもう全然見ていない。おぞましいくらいである。消し去ってしまいたい過去であるが、生来の貧乏性なので、どうもデータを消せないでいたりするのだ。
まあそんなわけで以後一度も小説を書こうとしたことはないのだが、しかし今でも作家への希望というのは持ち続けている。もちろん、なれるとは思っていない。なれたらいいな、という程度のものである。アイデアを書き溜めているわけでもなければ、文章の練習をしているわけでもない。本当に何もしていないのである。まあ、作家はデビューが遅いのが結構普通であるから、そこまで急ぐことはないだろう、と最近では思っている。
さてというわけで、当時僕がどうやって小説もどきを書いていったのかを思い出してみるのだが、手法とかスタイルとかそんなものがあるわけでもなく、ものすごく適当であった。起こる事件の大体の概要を考え、主人公の大体の動きを考え、それから特に何をまとめるでもなくいきなり書き始めたのだったような気がする。そんな状態だから、書いている間も矛盾だらけで、あれここはどうすればいいのだろう、と困ってさらに深みにはまったことも何度もあるのだ。
作家はよく、プロットというものを作る。プロットとは、初めから最後までこういう流れで物語が進んでいく、とううものを書いたもので、僕が知っている中では、プロットを1000枚書く人もいるらしい(つまりプロットを何度も書き直すことでそのくらいの枚数になる、ということだと思う)。しかし、僕にはどうしてもプロットが書けると思わないのである。なぜなら、僕が飽きっぽいからだ。僕の場合、もし万が一プロットが作れたとしたら、そこからの執筆が急にめんどくさくなるような気がするのだ。なんだ、もうこのプロットで物語は完成ではないか。じゃあ書かなくてもいいや、という感じである。なんか、物語の先の先まであらかじめ決まっているというのは、どうにも面白くないものだ、と思ってしまうのだ。しかし恐らく、凡人であればプロットを作るしかないのだろうな、とも思う。
世の中にはなかなかすごい作家がたくさんいて、プロットを作らないという人もいる。例えば伊坂幸太郎は、現在どうかは知らないが、「重力ピエロ」や「ラッシュライフ」などの作品はプロットなしで、あんまり構想も固まっていないまま書き始めたのだそうだ。
もっとすごいのは森博嗣で、森博嗣が自身で書いているところによると、頭の中にトリックも何もない状態から物語を書き始める、という。とにかく1行目を書く。書きながら次の行を考える。そうやって書いていくうちに登場人物が決まり、事件が起こり、トリックが浮かぶのだそうだ。無茶苦茶としかいいようがないが、しかしそういう作家も実在するのである。
まあそんなわけで、作家にもいろんなやり方があるということだ。それぞれ違うと言ってもいいだろう。誰か一人の手法を学ぶことが有効であるかは分からないが、多くの人の手法を知ることは、限りなく有効ではないか、と僕は思う。
そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、アメリカ探偵作家クラブ(恐らく日本で言うところの日本推理作家協会みたいなものなのだろう)に所属する人気ミステリ作家達が、自分たちの執筆の秘訣を出来る限り書いたもの、である。
世の中には、小説の書き方、みたいな本が結構あるけど、中でもミステリの書き方について書かれた本というのは有効だ。何故なら、他のジャンルはそうでもないが、ミステリというジャンルはかなり形式を持った分野だからだ。つまり、暗黙のルールのようなものが存在するジャンルなのである。そういう限定された条件の中で書かれてきたジャンルであるからこそ発展してきたのだし、また素晴らしいミステリ作家を生み出し切磋琢磨することでこミステリというジャンルをより発展させようという気持ちの元で、本作が生まれたのである。
本作が日本で出版されたのが1984年で、だからアメリカで出たのがもっと古いと思うのだが、とにかく内容的にちょっと古いことは否めないだろうと思う。また、日本での話ではなくアメリカでの話ということで、原稿応募や文法などの話でどうしても日本の事情と合わないこともある。しかしそれを抜きにしても、全体として非常に有益な作品であると僕は思う。
本作は、大きく二つの種類の文章に分けられる。
一つは、クラブに所属する作家達へのアンケート結果をまとめた項である。「何故作家になったのか」「テーマはどうやって決まるのか」「いつ執筆するのか」というようなことについてのアンケート結果について、編者であるトリート氏が厳選し載せているわけである。
もう一つは、ある作家があるテーマについてその手法を書いている項である。プロットの作り方や会話の運び方などありとあらゆることについて、それについて論じるのに適当であるとされた人々が真摯に自らのやり方を語っている。
本作が特に素晴らしいと思うのは、一人の人間のやり方が載っているわけではない、ということだ。
僕は、世の中に出回っているハウツー本についていつも感じていることがある。それは、「そのやり方はあなただからこそ成功したのですよね?」ということだ。
例えばダイエットを例にしてみよう。まあ株でも資格取得でもなんでもいいのだが。
世の中には様々なダイエット本があるが、それらはほとんど、「私はこうしたら成功しました」という話である。まあ確かに、誰かの成功体験を知るというのは無益なわけではない。しかしいつも思ってしまうのだ。それは、あなたの場合だからこそ成功したのでしょう?と。人はそれぞれ違いがあるわけで、一つのやり方で世の中の人すべてが成功するわけがないのである。それなのに、そういう思想で生み出されるハウツー本が世の中には多すぎると思う。
それに比べ本作は素晴らしいではないか。本作はとにかく、ありとあらゆる作家のありとあらゆるやり方が載っている。当然、それぞれのやり方同士に矛盾が出てくることもあるし、相容れない意見もたくさんある。しかしそれは全然構わないのである。いい作家になる唯一の方法などあるわけがないので、多くの人のやり方を知り、その中から自分に合いそうなものを選択出来るというのが非常に素晴らしいと僕は思いました。
本作に載っていることは、実際に書こうと思ってプロットなりなんなりを作っている人間でないとあまり実感できないようなものもあるのだけれども、今の僕の段階でもなるほどと思うようなこともある。中でも、「削除」という題の文章があり、そこではとにかく文章を削れと言っているのだけど、この手の話は何度も聞いたことがあるのに、やはりなるほどと思ってしまう。とにかく、削って削って削って削って削らなくてはいけないのである。また、一人称と三人称などの視点の問題や、あるいはワトソン役は必要だろうかという話もあって、非常に面白い。
ミステリに限らず、小説を書こうと思っている人にはかなり有益な作品ではないかと思います。ここに書かれていることを実践するかどうかはともかく、こういう考えの人がいて成功をしているのだ、ということを知るだけでも充分に意味があると思います。また、実際にすぐに自分のやり方に取り入れることが出来ることもあるでしょう。他の「小説家になるには」的な本をあんまり読んだことがないので比較は出来ないのだけれども、本作はかなりオススメできると思います。
ローレンス・トリート「ミステリーの書き方」

ミステリーの書き方文庫
その頃僕はかなり参っている状態で、社会に対して恐ろしく後ろ向きだったために、僕はもはや作家として生きていくしかない、というわけのわからない発想の元、アホみたいに文章を羅列していたのである。
僕は記憶力にすこぶる自信がないのでこれまた正確なことは覚えていないのだが、確かほとんど誇張なしに一日中キーボードを叩き続ける生活を一ヶ月くらい続けていたような気がする。そうやって確か、原稿用紙500枚くらいの文章を書き上げたのだ。
一応僕としてはミステリのつもりであって、その前に小説を書いているつもりだった。しかし、読み返して思ったのは、なんじゃこりゃ、ということであった。もしこれを小説と読んでいいなら、ドブネズミさえミッキーマウスと呼んでいいことになるだろうと思えるくらいだったのである。
まあそのくらい酷い代物だったわけで、その後僕はなんとかその酷い代物を、細かい部分を改変することでなんとか小説に近づけることは出来ないものだろうか、と苦心惨憺したものであるが、しかし貧弱な土台の上に高層マンションは建たないように、僕の文章もどうあがいたところで小説という名前を冠することが出来るようなものには変わらなかったのである。まあ当然だ。自転車をポルシェに変えるようなものだ。
そのデータファイルは未だにパソコンのどこかに眠っているし、紙に印刷した状態でも確かどこかにあるはずだが、しかしもう全然見ていない。おぞましいくらいである。消し去ってしまいたい過去であるが、生来の貧乏性なので、どうもデータを消せないでいたりするのだ。
まあそんなわけで以後一度も小説を書こうとしたことはないのだが、しかし今でも作家への希望というのは持ち続けている。もちろん、なれるとは思っていない。なれたらいいな、という程度のものである。アイデアを書き溜めているわけでもなければ、文章の練習をしているわけでもない。本当に何もしていないのである。まあ、作家はデビューが遅いのが結構普通であるから、そこまで急ぐことはないだろう、と最近では思っている。
さてというわけで、当時僕がどうやって小説もどきを書いていったのかを思い出してみるのだが、手法とかスタイルとかそんなものがあるわけでもなく、ものすごく適当であった。起こる事件の大体の概要を考え、主人公の大体の動きを考え、それから特に何をまとめるでもなくいきなり書き始めたのだったような気がする。そんな状態だから、書いている間も矛盾だらけで、あれここはどうすればいいのだろう、と困ってさらに深みにはまったことも何度もあるのだ。
作家はよく、プロットというものを作る。プロットとは、初めから最後までこういう流れで物語が進んでいく、とううものを書いたもので、僕が知っている中では、プロットを1000枚書く人もいるらしい(つまりプロットを何度も書き直すことでそのくらいの枚数になる、ということだと思う)。しかし、僕にはどうしてもプロットが書けると思わないのである。なぜなら、僕が飽きっぽいからだ。僕の場合、もし万が一プロットが作れたとしたら、そこからの執筆が急にめんどくさくなるような気がするのだ。なんだ、もうこのプロットで物語は完成ではないか。じゃあ書かなくてもいいや、という感じである。なんか、物語の先の先まであらかじめ決まっているというのは、どうにも面白くないものだ、と思ってしまうのだ。しかし恐らく、凡人であればプロットを作るしかないのだろうな、とも思う。
世の中にはなかなかすごい作家がたくさんいて、プロットを作らないという人もいる。例えば伊坂幸太郎は、現在どうかは知らないが、「重力ピエロ」や「ラッシュライフ」などの作品はプロットなしで、あんまり構想も固まっていないまま書き始めたのだそうだ。
もっとすごいのは森博嗣で、森博嗣が自身で書いているところによると、頭の中にトリックも何もない状態から物語を書き始める、という。とにかく1行目を書く。書きながら次の行を考える。そうやって書いていくうちに登場人物が決まり、事件が起こり、トリックが浮かぶのだそうだ。無茶苦茶としかいいようがないが、しかしそういう作家も実在するのである。
まあそんなわけで、作家にもいろんなやり方があるということだ。それぞれ違うと言ってもいいだろう。誰か一人の手法を学ぶことが有効であるかは分からないが、多くの人の手法を知ることは、限りなく有効ではないか、と僕は思う。
そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、アメリカ探偵作家クラブ(恐らく日本で言うところの日本推理作家協会みたいなものなのだろう)に所属する人気ミステリ作家達が、自分たちの執筆の秘訣を出来る限り書いたもの、である。
世の中には、小説の書き方、みたいな本が結構あるけど、中でもミステリの書き方について書かれた本というのは有効だ。何故なら、他のジャンルはそうでもないが、ミステリというジャンルはかなり形式を持った分野だからだ。つまり、暗黙のルールのようなものが存在するジャンルなのである。そういう限定された条件の中で書かれてきたジャンルであるからこそ発展してきたのだし、また素晴らしいミステリ作家を生み出し切磋琢磨することでこミステリというジャンルをより発展させようという気持ちの元で、本作が生まれたのである。
本作が日本で出版されたのが1984年で、だからアメリカで出たのがもっと古いと思うのだが、とにかく内容的にちょっと古いことは否めないだろうと思う。また、日本での話ではなくアメリカでの話ということで、原稿応募や文法などの話でどうしても日本の事情と合わないこともある。しかしそれを抜きにしても、全体として非常に有益な作品であると僕は思う。
本作は、大きく二つの種類の文章に分けられる。
一つは、クラブに所属する作家達へのアンケート結果をまとめた項である。「何故作家になったのか」「テーマはどうやって決まるのか」「いつ執筆するのか」というようなことについてのアンケート結果について、編者であるトリート氏が厳選し載せているわけである。
もう一つは、ある作家があるテーマについてその手法を書いている項である。プロットの作り方や会話の運び方などありとあらゆることについて、それについて論じるのに適当であるとされた人々が真摯に自らのやり方を語っている。
本作が特に素晴らしいと思うのは、一人の人間のやり方が載っているわけではない、ということだ。
僕は、世の中に出回っているハウツー本についていつも感じていることがある。それは、「そのやり方はあなただからこそ成功したのですよね?」ということだ。
例えばダイエットを例にしてみよう。まあ株でも資格取得でもなんでもいいのだが。
世の中には様々なダイエット本があるが、それらはほとんど、「私はこうしたら成功しました」という話である。まあ確かに、誰かの成功体験を知るというのは無益なわけではない。しかしいつも思ってしまうのだ。それは、あなたの場合だからこそ成功したのでしょう?と。人はそれぞれ違いがあるわけで、一つのやり方で世の中の人すべてが成功するわけがないのである。それなのに、そういう思想で生み出されるハウツー本が世の中には多すぎると思う。
それに比べ本作は素晴らしいではないか。本作はとにかく、ありとあらゆる作家のありとあらゆるやり方が載っている。当然、それぞれのやり方同士に矛盾が出てくることもあるし、相容れない意見もたくさんある。しかしそれは全然構わないのである。いい作家になる唯一の方法などあるわけがないので、多くの人のやり方を知り、その中から自分に合いそうなものを選択出来るというのが非常に素晴らしいと僕は思いました。
本作に載っていることは、実際に書こうと思ってプロットなりなんなりを作っている人間でないとあまり実感できないようなものもあるのだけれども、今の僕の段階でもなるほどと思うようなこともある。中でも、「削除」という題の文章があり、そこではとにかく文章を削れと言っているのだけど、この手の話は何度も聞いたことがあるのに、やはりなるほどと思ってしまう。とにかく、削って削って削って削って削らなくてはいけないのである。また、一人称と三人称などの視点の問題や、あるいはワトソン役は必要だろうかという話もあって、非常に面白い。
ミステリに限らず、小説を書こうと思っている人にはかなり有益な作品ではないかと思います。ここに書かれていることを実践するかどうかはともかく、こういう考えの人がいて成功をしているのだ、ということを知るだけでも充分に意味があると思います。また、実際にすぐに自分のやり方に取り入れることが出来ることもあるでしょう。他の「小説家になるには」的な本をあんまり読んだことがないので比較は出来ないのだけれども、本作はかなりオススメできると思います。
ローレンス・トリート「ミステリーの書き方」

ミステリーの書き方文庫


