例えば子供の頃、いろいろ夢みたいなものを持っていたのではないかと思う。それが将来の夢という形であれば、いつか実現すればいいというものであると思う。しかし中にはそうでないものもある。
例えば、ケーキを1ホール丸々食べたい、という夢を持っていたとしよう。これはなかなか子供の頃は実現することは出来ない。親が1ホール丸々自分のために買って来てくれれば別だが、そんなことはなかなかない。自分で買おうにも、なかなかそれだけのお金はないし、それだけのお金があってもケーキ1ホールに使ってしまうのはもったいないと思ってしまう。だから子供のうちにこれを経験することはなかなか出来ないものだ。
しかし、大人になって自分で生活するようになれば、恐らく誰でも実現できるだろうと思う。ケーキ屋に行って、自分で買って来て食べればいい。お金にもかなり余裕があることだろう。何の問題もなく実現できてしまう。
しかし、大人になってから実現できたそれは、やはり何となく味気ないものになってしまうような気が僕にはするのだ。やっぱりそれは、是非とも子供の内に叶えておきたかった夢なのだ。夢というのは、叶えばいいというものではなく、いつどのようなタイミングで叶うかということも非常に重要になってくる。
結局のところそれは、どれだけハードルが高く見えるのか、ということと関係してくるのだと思う。子供の頃にケーキ1ホールというのはとんでもなくハードルが高いものだ。しかし大人になるとそのハードルはぐんと下がる。そうなると、達成した喜びというのもかなり減ってしまう。そういうことなのだろうと思う。
そもそも、何かやりたいと思うようなことは、それが出来ない環境の中で生まれる感情である。出来ないけどなんとか実現しようとするからこそ面白いのであり、それが簡単に出来るようになってしまってからでは、もはややりたいという気持ちも薄れてしまうものだろう。
さてまた、やりたいことというのはいつでもやれるわけでもないものである。先ほどは大人になればすぐ出来る話を書いたけど、今度はその逆である。
大人になるということは余分なものをいろいろと抱えるということである。まるで脂肪のように、僕らの体にまとわりついて離れない。
それは、常識だったり家族だったり自立だったり責任だったり会社だったりとまあいろいろあるのだけど、とにかくそういう様々なものが僕らにベタベタとくっついてくる。
僕はとにかくそういうものが全然ダメな人間で、そういうものからとにかく逃げようと努力しながら生きてきたのだけど、やっぱり逃げ切れるものではないなとも思う。僕は大学も辞めて普通の社会人の道も捨て家族とも疎遠になり自発的に人と交流を持つことをせずふらふらとバイトをしながら日々だらだら本を読んでいるようなダメ人間なのだけど、それでもそういう常識だとか自立だとか責任だとか言ったものからは完全に逃れることは出来ていないと思う。これは本当に難しくて、日本で生きている限り恐らく振り切ることは出来ないだろう。最近出た新書で、「日本を降りる若者たち」というのがあって、要するに日本を出て外国に「外こもり」する若者について書いた本らしいのだけど(未読です)、そういう風にして日本を降りでもしない限り、恐らく振り切ることは出来ないだろうと思います。
そういう大人になるとぶよぶよ纏わりついてくるようなものたちは、まさに脂肪のように僕らの動きを制限します。常識的に考えて常に正しい行動を取ることを求められるものだし、自立することが求められるので何でもかんでも自分でやらないといけなくなります。言動に責任を取れるようにしなくてはいけないし、何よりも会社や家族に迷惑を掛けないことが求められるわけです。これらをすべて満たしながら、なおかつ自分のやりたいことをやるというのは、本当に困難であると言わざるおえません。
まあかと言ってじゃあ子供の頃はどうかと言えば、これもなかなか難しいものです。一番の問題はお金で、とにかく何をするにもお金がありません。まあ昨今の子供は、一人っ子であることもあって小遣いが多かったり、あるいは株をやったり援助交際をやったりカツアゲをしたりで収入源があってかなりお金を持っているのかもしれないのだけど、まあそういうのはまだ特殊でしょう。大抵の子供は金欠にあえいでいるはずです。
それにまた、子供というのは責任が取れない存在でもあって、親が責任を取れる範囲でしか行動をすることが出来ないという制限もあります。親がどれだけ懐が広いのかによっても制限されてしまうわけです。
まあ子供の場合、やる子はやるという感じで、例えば前にテレビで見たことがあるのは、小学六年生の女の子が会社を興した、という話です。何でもある商品を発明したらしく、その商品を作って売る会社まで作ってしまったらしいのです。もちろん家族の協力あってのことなんでしょうけど、すげーなとか思いました。とは言え、そんなことが出来る子供も本当に少ないと言えるでしょう。
だから僕は本当に思うのだけど、やりたいことをやるのはタイミングが重要だよなということです。僕の場合、やりたいことというのは本当にないので実感としては乏しいのですけど、でも本作のような本を読んだりするとやっぱり思います。本作では、大学の探検部のメンバーで、コンゴというアフリカの小国で、ムベンベという幻獣を探そうとする話なのだけど、これは本当にタイミングがばっちりと合っていたからこそ実現できたのだろうと思うわけです。
まず探検部が刺激的な活動を求めていたということ。最近どうもこじんまりとした活動ばかりに終始していた感があったわけです。そこに、ムベンベという幻獣についての情報を持ってきた高野と高橋という男が出てくる。そしてその話に乗っかってくる連中がどんどん増えてくる。コンゴという国はなかなか外国人を入れたがらないのだけど、しかし入国も許可された。いろんな企業がスポンサーになってくれた。行ったら行ったで、メンバーそれぞれが個性的な役割を果たして、結果オーライでいろんな物事がそれなりにうまくまとまった。
というような流れが出来たからこそ、このムベンベ探しの冒険というのが実現したわけです。恐らく高野氏が今現在大学生だったとしたら、このムベンベ探しは実現しないのではないかと思います。というのも、この計画に名乗りを挙げそうな心意気のある若者がいなそうな気がするからです。とにかく仲間に恵まれたというのが一番のポイントだったかもしれません。
大抵やりたいことというのは実現しないまま終わってしまうような気がします。世の中では、やりたいと思い続ければいつかは実現する、みたいな綿菓子みたいなふわふわしたメッセージが流れることがよくありますが、それは成功者が話をしているからそうなるだけの話で、じゃあその影にどれだけ挫折した人がいるんだよ、と僕はいつも思うわけですけど、とにかくやりたいことを実現するのは難しいです。ただそれでもやりたいことがあるなら、それに向かって無理矢理にでも前進するしかありません。最近の若者はそういう熱さを持っていない人が多いような気がしますが、どうせ無理だろという諦めみたいなものがあるのかもしれません。まあこれだけ荒んだ社会なら仕方ないのかもしれませんけどね。いくらでも夢を持つことが出来た時代に生まれたというのもまた、彼らの成功の要因だったのかもしれません。
そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、その後日本で唯一の<辺境ライター>になる高野秀行の初の著作です。これは著者がまだ早稲田大学の学生だった頃に、当時在籍していた探検部のメンバーで行ったムベンベ探しの顛末を一冊の本にまとめたものです。
当時探検部では、もっと探検という名に相応しいことをしようではないか、という空気がありました。小っちゃいことじゃなくて、これぞ探検だ!と言えるものをやろうと。そこに、ムベンベの情報を手にした高野と高橋が演説を打ちます。コンゴまでムベンベを探しに行こうではないか!
ムベンベというのは、コンゴのテレ湖に棲むと言われている謎の生き物で、過去二度ほど調査隊が組まれたことがあります。その時にそのムベンベの姿を目撃したという話もあり、また現地の人も度々見かけているというのです。しかし何しろコンゴという国がまだよく分かっていない国であり、さらにその奥地にあるというテレ湖については正直全然何も分かっていないというようなありさまです。まさに秘境と言ってもよく、そんなところになら未知の生物もまだ残っていそうではないか、と思われたのだ。
高野と高橋はその後探検部内に「コンゴ・ドラゴン・プロジェクト(CDP)」を立ち上げ、本格的にコンゴ行きへ向けて準備をしていくことになる。探検部ないでメンバーを募り(また探検部外からも参加者が出てくるのだが)、日本で手にすることが可能なコンゴやムベンベに関する情報をとにかく集めた。しかし日本ではどうしても情報が少ない。そこでフランス語の本を集めて(コンゴはかつてフランスの植民地だったらしい)辞書を片手になんとか読み込んでいく。それでもコンゴやムベンベについてはよく分からない。とにかく情報が少なすぎるのである。
一方で、機材や医療品なんかも方々から集めた。水中音波探知機や高指向性マイク、ビデオカメラやトランシーバーなどの高性能な機材を、松下電器やソニーといった大企業と交渉して手に入れ、また専門家に話を聞いて必要だと思われる医療品を確保する。また動物学者に話を聞いたところ、コンゴでの生物の生態は未だによく分かっていないので、どんな生き物でも持ち帰ったら価値があるとのことなので、メンバーの一人は標本のやり方を学んだりもした。さらに最大の難関であるコンゴへの入国の交渉も続け、なんとか許可を得ることが出来た。
さてこれでやっとコンゴに行ける!ムベンベを探しに行けるぞ!探検部のメンバーは意気揚揚とコンゴへと向かうのだが、まあもちろんトラブルは尽きないのである。
という話です。
これまで読んだ高野秀行の作品の中では一番落ち着きのある(破天荒さに欠ける)作品ではありましたが、それでも充分に面白い作品だなと思いました。
とにかくすごいなと思ったのは、やはり著者である高野秀行ですね。当時大学生だったとは思えないほどの行動力と交渉力には本当にお見事というしかありません。
まずムベンベを探しに行こうと言った言い出しっぺであるし、もちろんCDPのリーダーです。コンゴという国と交渉したり、また企業と交渉して機材を揃えたりなんていうことも、なかなか出来るものではないと思います。しかし何よりも僕がすごいなと思ったのは、高野氏がフランス語を学ぶ件です。
ムベンベを探しに本格的に行動をするようになったのだけど、そもそもコンゴという国は公用語がフランス語である。高野氏は辞書さえあればフランス語は読めたが、会話はさっぱりダメだった。フランス語で会話が出来るようにならなくては、と思った高野氏はどうしたか。
ちょうど乗っていた電車で隣に座っていた女性がたまたまフランス人であることに気づいたので、その女性にフランス語を教えてもらえるように頼み込んだ、というのである。
このフランス語を学ぶ件は、本作の中でもたった10行程度しか触れられていないのだけど、これは凄くないか?と僕は思いました。だって、電車の中のまったく見知らぬ人に突然フランス語を教えて欲しい、と頼み込むわけです。普通の日本人ならまず無理でしょう。電車の中にいる見知らぬ人に、煙草を一本くれというのだってほぼ無理でしょう(まあ僕は煙草は吸いませんけど)。有名人とかであればまだ声を掛けられるかもしれないけど、ホントこの行動力には凄まじいものがあるなと僕は思いました。
あともう一つすごいなと思ったことが、コンゴに行ってからのある決断に関する話です。
コンゴのテレ湖に着くや、田村というメンバーの一人が恐らくマラリアであると思われる病気に罹ります。結局田村はテレ湖にいる間ずっとマラリアに苦しむことになるのですが、そこで高野氏を初めメンバーの誰も帰ろうという決断を下さないというのがすごいなと思いました。
テレ湖というのはとにかく一番近い村からも相当離れている場所で、もちろん医療機関なんか全然ありません。だから選択肢としては、テレ湖での調査をすべて諦めて田村を医療機関に入れる(様々な要因があって、田村だけを医療機関に入れるという選択肢は取れないわけです)か、あるいは田村には薬などを与えて何とか頑張ってもらうという二つの選択肢しかありません。
その中でメンバーは後者を選ぶわけです。これはちょっとすごいなと思いましたね。薄情というのでは決してないと思います。それよりも、テレ湖での調査をどうしても続けたい、どうしても諦め切れないという執念みたいなものが異常に強かったということなんだと思います。それにしても、マラリアで死ぬかもしれないメンバーをそのまま放置して(時々薬を与えるだけで、誰も話相手になってあげなかったらしい。田村も、あまりに日々ぼーっと湖を眺めているだけなので、一週間ぐらいで考えることもなくなってしまった、と述懐しているほど)、自分達はムベンベの調査を続ける神経というのもなんかすごいなと思いました。
また他のメンバーもなかなかすごくて、企業に機材を提供してもらう際、ソニーは広報の段階で断られたのだけど、当時会長だった井深大に直訴し許諾をもらったとか、楽天的なメンバーの中にあって唯一細かなところにまで気を配る男とか、コンゴ人に「あいつは宇宙人だよ」とまで言わしめた変人であるとか、とにかくどのメンバーもひと言で言えば「濃い」です。そんな奴等が10数人からいるわけで、とんでもない探検隊だなという感じです。
しかし本当にやりたいことを無邪気に実現しちゃったという部分ではとにかくすごいです。とにかくすごい。現地で様々なトラブルに見舞われるのだけど、それを高野が現地の言葉を操って無理矢理押さえ込んだりする。そうやってなんとかやりたいことを完遂させる。その真っ直ぐな熱みたいなものは羨ましいなと思いました。
現代では失われつつあるものが本作には残っているような気がします。まあそれを取り戻したいかは別として、是非読んで欲しいと思います。冒険魂に火がつくかもしれません。
高野秀行「幻獣ムベンベを追え」

幻獣ムベンベを追え文庫



















