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2010年12月18日

「放浪記」林芙美子

放浪記 (新潮文庫)
放浪記 (新潮文庫)
  • 発売元: 新潮社
  • 価格: ¥ 780
  • 発売日: 1979/09
  • 売上ランキング: 30919


桐野夏生さんの「ナニカアル」を読んで、ああこれは「放浪記」読まないとな、と
「ナニカアル」の世界を深めるつもりで購入。「浮雲」も購入済み。
本をこれだけ読んでても、やっぱり文豪、とか言われてる人の本は敷居が高く、
恥ずかしながら林芙美子氏も初めてだった。夏目漱石はけっこう読んだのに、
私の時代と近い昭和に生きている林芙美子や太宰治や三島由紀夫を
まだまだ読めていないってのは何故だろう。別に時代は関係ないか。

「ナニカアル」では、作家になって有名になってから戦地に出向いた頃の
林芙美子が描かれていたが、この「放浪記」は有名になるまでの極貧生活が
赤裸々に描かれていて、同一人物として想定しづらかった。
もちろん桐野夏生の方はだいぶ創作が入っているのはわかってるんだけど。

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2010年03月02日

ガリレオの苦悩 東野圭吾

『探偵ガリレオ』『予知夢』と同じ、短篇集。長篇では脇に回りがちな湯川が、短篇では堂々の主役。必ずしも積極的に警察に協力し、喜んで謎を解いているわけではない湯川の“苦悩”が描かれ、彼の人間性が窺えます。【ガリレオ特設サイトより】

久しぶりのガリレオシリーズ。映像化され、ガリレオ=福山雅治というイメージが先行して、読みつつ何度も福山を連想してしまいました。さらに、内海薫(柴崎コウ)も登場!
なんだか映像に合わせて、作品ができた感がありますね。
でもでも内容は、「容疑者Xの献身」の流れですか、より人間味が出てきた感がありますね。

「落下る」…一人住まいの女性がマンションから転落して死亡。自殺ではない。内海は、被害者の恋人が犯人であると直観する。しかし鉄壁のアリバイが。

「操縦る」…「メタルの魔術師」の異名をとった友永。帝都大学では湯川の師でもあった。おりしも友永家に招かれた湯川。そこで殺人が。

「密室る」…湯川のバドミントン部での友人、藤村はペンション経営者。そのペンションで泊まり客が、不審な死。ガリレオが密室トリックに挑む。

「指標す」…留守番中の老婦人が殺された。現場からは十キロの金塊が消えたという。関わりのあった保険外交員の女性の娘は奇妙な行動を取り始める。

「撹乱す」…「悪魔の手」と名乗る者によって、警視庁に怪文書が送りつけられてきた。手紙に記されていた被害者は実在し、建築現場で転落死を遂げていた。現場に姿を現さず、指の一本も触れることなく人を死なせる手段とは。

5編の短編がおさめられており、書き下ろしもあります。
ガリレオシリーズはまさに奇想天外。そのトリックが度肝を抜くものですよね。さらに、オカルト的な事象を見事、科学が解き明かしていくという。その論理的思考が快感なのですね。今回も例外ではなく、「操縦る」での凶器。「密室る」での密室のトリックなどまさに度肝を抜くものとなっています。
オカルトは、「指標す」のダウジングでしょうね。

どの短編も、ガリレオの様々な悩みが現れていますね。個人的には、「操縦る」の師のトリックを暴かざるを得ない状況になって、その真相を解き明かす時。友永の苦悩がガリレオの苦悩になっていきます。
優しい一面も顕著になってきたかな。特に子供に対して。

イメージが先行してきましたが、どれも面白いです。
「人の心も科学です。とてつもなく奥深い」
だからこそ「科学を殺人の道具に使う人間のことは、絶対に許せない」のですね。ラストの悪魔の手は映像化されるかな。対決が見ものです。

2010年02月11日

夜のピクニック 恩田 陸

みんなで、夜歩く。ただそれだけのことがどうしてこんなに特別なんだろう。並んで一緒に歩く。ただそれだけのことなのに、不思議だね。立ったそれだけのことがこんなに難しくて、こんなに凄いことだったなんて。
毎年行われる高校の行事、「歩行祭」。ただ昼夜を通して歩くというこの行事。高校三年最後の歩行祭がさまざま思いをこめ、スタートする。
甲田貴子は最後の歩行祭にある賭けをする。それは同級生、西脇融に対して持っていたものを打ち明けるために。果たして賭けは、成就するのか。

この小説は恋愛や友情、青春、成長などが網羅した素晴らしい作品です。
ただ歩くという団体行動が不思議な連帯感を呼び、夜歩くことが「告白」に導き、夜明けが「決心」を導きます。そしてゴールは「友情」で結ばれる。

何とうらやましい行事なのでしょうか。こんな行事があればいいなあと思ったのは私だけでしょうか。
そして、その中でさまざまな一人ひとりの思いが交錯します
西脇融の思いと甲田貴子の思いは人と人との友情や恋愛にも通じます。
お互い同じ感覚を持ち合わせた二人のわだかまりは、少しイライラしますが、ゴールに向かっていきます。

随所に名言もあり、そうだそうだ、あるいはそうだった。うんうんとうなづいてしまいました。
歩くということが人生を示唆し、今後の道をそれぞれが考えていきます。でも、ただそれだけではありません。
友情、恋愛をちりばめ、そして伏線として、謎を宿している。去年もいたという見知らぬ少年…。融へのラブレター。忍のデートの目撃などなど。

そして、ゴールに向かっていく。ラストはもどかしくもなりますが、ロック少年が気を利かせます。なんて素敵な友情。このシーンで涙してしまいました。
貴子は賭けを実行する。それは今後の自分の人生の賭けでした。思いと思いが交錯し、やっと本音で正直にお互いの気持ちを語り合う。

本当に「歩行祭」があったら、夜通し歩きたいそんな素晴らしい作品でした。しかし、恩田さんにしては異質の作品ですよね。
素晴らしい、青春小説の傑作です。

2009年12月31日

「白い薔薇の淵まで」中山可穂

白い薔薇の淵まで (集英社文庫)発売元: 集英社価格: ¥ 460発売日: 2003/10売上ランキング: 53245おすすめ度 posted with Socialtunes at 2009/12/31 中山可穂さんの小説って、いつもある意味同じ。 出会い方や性別はちがうかもしれない、ミステリー的要素があったり...

2009年12月13日

「新参者」

俺はまだ異動してきたばっかりで、正直いうとこのあたりのことをちっとも知らない。それでまず街を観察することから始めているわけだ。

「新参者」東野圭吾著(講談社) ISBN: 9784062157711

江戸風情を残す東京・人形町。所轄に異動してきた刑事・加賀恭一郎が、ある殺人事件の謎を解く。

巧いなあ。ひたすら観察する者、加賀の繊細さが魅力的だ。注意深くて、人の気持ちがよくわかる。だから事件関係者のささいな行動を何一つ見逃さず、こつこつと真実に近づいていく。
9章まで1章ごとに、決して大仰ではないけれど泣かせる人間ドラマがあり、それぞれ短編として十分に楽しい。そしてすべてがジグソーパズルのピースをはめるようにすっきりとつながって、最終章の謎解きに至る。初出は月刊誌での連載。今さらだけど、読みやすさと構成力は並大抵でない。

加賀が歩き回る人形町の情景が、全編を味わい深くしている。聞き込み先にいちいち、おせんべいやら人形焼きやらを手土産を持っていくのが微笑ましい。個人的には、女将が格好良い「料亭の小僧」が好みかな。

…と感嘆していたら「このミステリーがすごい!2010年版」(宝島社)で国内1位に。思えば「白夜行」があり「容疑者Xの献身」があり、なおこうして支持される本を書き続けるのはさすがだなあ。(2009・12)

2009年12月07日

「空飛ぶ馬」

解いてもらったのは謎だけではない。私の心の中でも何かが静かにやさしく解けた。

「空飛ぶ馬」北村薫著(創元推理文庫) ISBN: 9784488413019

女子大生の私と、噺家の円紫さんが「日常の謎」を解く連作短編集。

ついに2009年、直木賞を受賞した著者の、1989年のデビュー作。SNS「やっぱり本を読む人々。」選出100冊文庫の1冊を読んでみた。

謎というより、ささいな行動の裏にある人間心理を読み解く筋立て。爽やかな筆致で、デビュー作というには相当な完成度だ。今では相当年季の入ったミステリファンで、高校教師で、という経歴を知っていて読むから、あまり驚かない。けれど発表当時は覆面作家で、ペンネームや内容から女子大生説もあったそうだから、読む人はさぞ感嘆しただろうなあ。

89年といえばバブル経済絶頂。それなのに主人公ときたら、美人なのに化粧っけもなく、落語と文学を愛し、家事をよく手伝う理想的な女の子だ。こういう温かい人物造形が、長く愛される秘訣なのかな、と妙に納得。(2009・12)

2009年06月29日

問題な日本語 どこがおかしい?何がおかしい?(北原保雄)

さて今日は、我が天敵コミックの担当者について書こうと思います。
ウチには社員が三人いて、そのウチの一人がコミックの担当者なんですけど、あとの二人が最近社員としていろいろ頑張ろうと思っているようです。今までの仕事ぶりが酷かったんで、まだまだ普通の社員並みの仕事が出来ているとは言い難いんですけど、それでもやる気になったというのはいいことかなと思います。
でその社員二人が、コミックの担当者を何とかしようと思っているんだそうです。これまでは完全にほったらかしだったのに、さすがにマズイと思ったんでしょうか。まあ実際、コミックは売上も売場も酷いんですけどね。
最近僕は終礼で、コミックは何とかした方がいいと思うよ、という話をしました。
きっかけは、僕のいる店が入っているグループの本部の人との会話でした。以前に、革命的に文庫の売上を伸ばす方法を考えてくれと言われていて、それであるアイデア(文庫本三冊買うと中古本一冊プレゼントキャンペーン)をメールで送ったところ、電話が来ました。
そこで、そのアイデアについて話をしたり、あるいはウチの店のことについて話したりしたんだけど、そこでコミックの話になりました。で、その本部の人は、その店はコミックの担当者を変えないとどうにもならないね、と言いました。
まあそれについては僕も同感で、とにかくコミックの担当者というのは絶望的に酷いんです。どう酷いかというのは売場を見ればたぶん伝わると思うんだけど、普段の仕事を見ていてもそれは分かります。新刊しか売る気がないし(だから月毎の売上の差が激しい)、棚や平台の品揃えが最悪。売り場のメンテナンス(棚から抜けた本をストックから補充するとか、新刊台で売り切れているコミックを補充するとか)みたいなことも全然出来ないし、棚のラインナップも一向に変わらない。
まあいろいろ問題はあるけど、何よりも酷いのは、すべてのシュリンク(袋詰め)を自分でやる、という点です。最近は、あるスタッフにもやってもらうようになりましたが、その人だけ。他の人にはとにかくやらせない。シュリンクが汚くなるから、という理由みたいだけど、アホすぎますね。とにかく、社員の仕事もほとんどせずに、仕事時間の7~8割くらいはずっとシュリンクをしています。そんな担当者が、売上を伸ばせるわけがないんですね。
まあそれもあって、店全体の売上を伸ばそうと思っているならコミックをまずなんとかするしかない、という話を終礼でしたところ、社員としても今考えているんだ、という話でした。しかし、コミックの担当者は頑固ですからね。一筋縄ではいかない。論理的には僕の圧勝でも、僕の論理なんか完全に無視した反論(でも、私はそうしたくない、みたいな感じ)をしてくるからどうにもならないんだよなぁ。
僕はだから考えましたよ。今僕は文庫と新書のタ担当をしていますけど、それをやりながらコミックの担当を兼任することは出来るかどうか、と。
結論としては、誰かが新刊さえ出してくれ、かつ遅番のスタッフを全員コミックの手伝いに回してくれるなら、たぶんやれるなという感じでした。僕は指示だけ出して、後はすべて他のスタッフにやらせる、というスタイルで、恐らくコミックの売場を最低限のレベルに持っていくことは可能なんではないかなと思います。
まあそんなわけで、コミックの担当者を何とかしようとは思っているようです。まあ変わるとは思えないけど、頑張ってなんとかして欲しいものだなと思います。
そろそろな内容に入ろうと思います。
本書は、かつて相当話題になった日本語についての本です。今世間では(ウチの店でもですけど)、「日本人が知らない日本語」という本がバカ売れしていますけど、本書は結構真面目に日本語の正しさについて考える、という感じの本です。
著者は昔「KY式日本語」という本も出しています。「KY(空気読めない)」みたいな略語について解説した本です。また、「明鏡国語辞典」の編者でもあるようです。
凄いと思うのは、もう既に70代なのに、若者の言葉の使い方とかにもきちんとアンテナを張っているということですね。「KY式日本語」も若者言葉でしたが、本書でも若者が使っているちょっと変な言葉遣いについても多々触れていて、よく観察しているんだなぁと思いました。
本書は、一般の人から寄せられた、最近気になる日本語の使い方についての質問がまず載っていて、それに答える形で日本語についての説明が進んでいく形になります。
例えばこんな質問があります。

『「全然いい」「全然平気だ」などの言い方をよく聞きますが、「全然」を肯定表現に使うのは間違いではないのでしょうか?』

これはよく言われますね。僕も、全然を肯定表現で使うことに特に抵抗がない人間だったりします。「全然余裕だよ」みたいな感じですね。
ここの話はなかなか面白かったです。「全然」という言葉には、「まったく」「まるっきり」などというような肯定表現で使われる意味もあって、夏目漱石や芥川龍之介の作品なんかにも出てくるとか。
一方で、最近の若者が使っているような肯定表現についてだけど、これも肯定表現に対して使っているのか、という疑問を呈します。例えばさっき僕が書いた「全然余裕だよ」という言葉も、次のような状況で使います。
「あんた宿題大丈夫なわけ?」
「全然余裕だよ」
これを著者は、否定的な状況あるいは心配な状況・懸念をくつがえし、まったく問題がないという場合に使う、と説明しています。つまり、まるっきり肯定的な使い方をしているというわけでもないんです。
著者のいる大学で昔ある学生がこの「全然」について使用の実態をレポートにしたことがあるらしいですけど、そこでその学生は、<あなたが思っていることとは違って>という限定で使うのだ、と書いていたようで、著者は優れた着眼だと感心したらしいです。
そういうわけで、肯定表現に「全然」を使っているように思えるからと言って、すぐさま誤用だと断じるのはいかがなものか、ということが書かれています。
こういう風に、ただ間違っている合っているということを書くだけではなくて、問題を細分化して答えたり、あるいは誤用である場合にしても、じゃあ何故そういう風な誤用が生まれたのかという背景についても説明をしていて面白いなと思いました。
バイト先でスタッフが言っていて僕が結構気になるのが、「~の方」という表現で、それも本書に載っています。よくスタッフが、「お会計の方が○○円になります」とか言っているのを聞いて、突っ込みどころが二つもあるなぁ、と思うんだけど、この「~の方」も、状況によってはオッケーだそうです。ただやっぱり、「お会計の方が○○円になります」はダメですけどね。
「お会計の方が○○円になります」のもう一つの突っ込みどころである「~なります」という表現についても載っています。
これについては、誤用かどうかというよりも、両者の解釈の違いによる誤解が生まれやすい表現だ、と書いています。
「こちら和風セットになります」という文章で考えてみます。
提供側としては、「~なります」という表現によって、自信満々に提供するのではなくて「これではたしてお客様のご期待に添えるかどうかわかりませんが」という謙虚な姿勢を示しているし、仮にお客さんの予想から外れてもその客だけ特別扱いしているわけではなく、それがその店の既定の和風セットであるということも示すことが出来ます。
しかしお客さんの方としては、自分が注文したメニュー通りのものが提供されることを期待しています。そのような場面で「なる」が使われると、何か新しい状況が生じるのかと思い、何か変化が起こるのだろうかと考えます。それなのに、注文した通りの和風セットがくるのでおかしいと感じる、というような説明でした。
なので、上記のような場合だと、明らかに誤用だとは言いにくいようですね。ただ「お会計の方が○○円になります」は明らかに誤用ですね。そこは自信満々に言ってもらわないとお客さんとしても困るでしょう。また、「雰囲気」の話も載っています。これ、僕もそうなんですけど、どうしても「ふいんき」って読んじゃうんですよね。なかなか「ふんいき」とは読めない。さすがにパソコンで書くときなんかはちゃんと「ふんいき」って書いてから変換しますけど、読むときは「ふいんき」って変換されちゃいます。
本書に載ってたエピソードで、ワープロソフトの会社に「「ふいんき」で漢字変換できないなんておかしい」という若者らしいユーザーからのメールが来たことがある、というのも載っていました。その若者は、本当に「雰囲気」を「ふいんき」だと思っているんでしょうね。
ただ本書は面白い例が載っていました。
例えば「山茶花」っていう花がありますよね。今僕も「さざんか」って書いて変換すると「山茶花」になりましたけど、これってもともと「さんざか」って名前だったみたいです。それがいつの間にか「さざんか」で定着したのだとか。だから、「雰囲気」についても、いつか読みが「ふいんき」で定着する日が来るかもしれません。
まあそんな感じで、いろいろと日本語について詳しいことが分かる本です。特に、最近の若者の言葉の使い方に納得のいかない人なんかが読んだらいいかなと思います。若者が使っている言葉でも、明らかに誤用とは言い難いものもあるんだ、ということが分かって面白いんじゃないかなと思います。まあ、間違っているものの方がやっぱり多いですけどね。
敬語の本とかも一回ぐらい読んでみようかな。ちゃんと敬語喋れないしなぁ。こういう本を読むと、日本語ってのもなかなか面白いなと思います。興味がある人は読んでみてください。

北原保雄「問題な日本語 どこがおかしい?何がおかしい?」

2009年06月25日

沼地のある森を抜けて

沼地のある森を抜けて (新潮文庫)沼地のある森を抜けて (新潮文庫)
(2008/11/27)
梨木 香歩

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ひとことで言うなら、「ぬか床から始まる壮大な命の物語」


時子叔母が亡くなったせいで、先祖伝来の「ぬか床」を引き継ぐことになった久美。
それは、久美の曾祖父母が駆け落ちする際に、故郷の島から持って来たという曰く付きのシロモノ。
毎朝毎晩掻き回すという世話を怠れば悪臭を放ち、時には呻き声を上げ、稀に卵(!)が生まれたりする。
そんなもの捨ててしまえばいいと思うのだが、どうやらそうはいかない理由があるらしい。


…こんなぬか床を引き継いだら、あなたならどうしますか?


私なら捨てます。
毎朝毎晩掻き回すって、旅行とか出張中はどうするんですか?
卵から人が湧いてくるって、ホラーですよ、それは。
結婚相手にはなんて説明するんですか?
一生ぬか床に縛られて生きるなんてごめんだー!!!

…と、普通は思うはずで、久美もそうだったのですが、ぬか床の世話と引き換えに時子叔母のマンションをもらうことで、何とか折り合いをつけたのでした。
当初は「呻く」とは聞いていても、卵のことはまだ知りませんしね。


そして、ぬか床を引き取って一週間あまり経った頃、卵発見!
最初の卵から孵ったのはきれいな男の子で、半分透き通っていたその子は、久美が世話を焼いているうちに段々と実体化してきます。
久美の幼馴染のフリオには、その子が小学校時代の親友「光彦」に見えるけれど、久美には、幼い頃のフリオに見えるのです。

どうやら、ぬか床から生じる人々には、見る者(あるいはぬか床に関わった者)の心理が投影されるらしく。


次の卵から孵ったのは、和服姿に三味線をかき鳴らす「カッサンドラ」
のっぺらぼうに口だけの顔、二次元的な両眼は蛾のようにひらひらと部屋の中を飛び回るという、不気味な姿をした女性です。

面白いのは、久美がすぐにこの状況に慣れてしまったこと。
半分透き通っていた「光彦」が徐々に実体化してきた例から、のっぺらぼうの「カッサンドラ」も人間として出来上がる途上なのでは…なんて考えます。


カッサンドラは、おそらく「母性」の中のいちばん暗い部分、どろどろとした情念で構成されたような、そんな印象を受けます。
例えば、聖母のイメージが「正」であるなら、カッサンドラは「負」
全ての女性の中に普遍的に在る、正体の見えない黒い「何か」


やがてカッサンドラは久美が消滅させてしまいますが、消える間際にやっと、かつての優しい母の顔になるのでした。



この「ぬか床」とは、いったい何なのか?


時子叔母の友人から叔母の伝言を聞き、叔母が遺した日記を読んでも、謎はやはり謎のまま。
久美は、両親や叔母の死の真相と「ぬか床」の正体を知るためには、曾祖父母の故郷の島に行くしかないという結論に至ります。

やがて久美は、同じ会社の研究所で酵母の研究をしている風野さんと共に、ぬか床を故郷の島に返しに行くことになるのですが…。


この風野さんという男性が、非常に個性的でユニークです。
女言葉を話し、変形菌に「ケイコちゃん」「タモツくん」「アヤノちゃん」と名前をつけて愛でるような可愛い人ですが、決してニューハーフではありません(笑)
彼が「男」であることを捨て、「無性」であることを選んだ背景は実に壮絶で。


末期癌の母に、死ぬ直前まで家事一切を負わせ、死後に母のことを「結納金のわりには案外もたなかった」と、まるで消耗品のように言う祖父に、怒りのあまり日本刀を抜こうとしたそうです。
父権社会の横暴さに怒りを覚えての行動だったのに、その自分の抗議の仕方が男そのものだったことに愕然として、自分もまた母の死の遠因だったのかもしれないと思い至ったのだとか。



そんな彼もまた、知らないうちにぬか床の影響を受けていて、呼び寄せられるように島へと渡ったわけです。
その島で、ふたりは意外な人物に出会い、久美のルーツや、両親と叔母の死の真相も明らかになるのでした。



本編の二章おきに一章ずつ挟まる「かつて風に靡く白銀の草原があったシマの話」というのは、「ぬか床」あるいは島の沼地の中のミクロの世界の出来事を寓話のように書いているのかと思いましたが、説明がないのではっきりとは分かりません。
でも、現実で起きていることと微妙にリンクしている部分があって、そういうキーワードに出くわすと、それが妙に頭の隅に引っかかります。
「シマの話」の「僕」が得意なパンフルートは、本編の「光彦」も出現してすぐに吹いていたし、「僕」につけられた「ロックオープナー」という名前は「水門を開ける者」のことで、これは久美の行動に重なるような気がする…。


梨木さんは、エッセイの中でしばしば「境界」とか「壁」について書かれていたように思います。
解りやすいところでは家の敷地と外を隔てる生垣であったり、意識の上での自己と他者との境界であったり。
「隔てる」というか、逆に言うなら内と外を「作る」もの。

この小説にも、細胞膜、細胞壁、ウォール…といった具合に、自己と他者、内と外とを隔てる(作る)もの、自己規定の拠り所として、あらゆる「壁」が出てきました。

梨木さんがエッセイの中で展開していた思考をもっともっと拡げていくと、こういう小説になるんですね。すごいなぁ…。


あと、風野さんが語る様々な菌の話が、興味深くて面白かったです。
植物の根と共生している外生菌根が作るネットワークとか、風野さんがジョーカーに例えたキラー酵母のこととか。
思えば、あの「キラー酵母=ジョーカー」というのも伏線だったのでした…。



風野さんの「解き放たれてあれ」という言葉と共にもうひとつ、印象深かったある人物の言葉。


世界は最初、たった一つの細胞から始まった。
この細胞は夢を見ている。
ずっと未来永劫、自分が「在り続ける」夢だ。
この細胞は、ずっとその夢を見続けている。
さて、この細胞から、あの、軟マンガン鉱の結晶のように、羊歯状にあらゆる生物の系統が拡がった。
その全ての種が、この母細胞の夢を、かなえようとしている。




この小説のはじまりが「ぬか床」だったことに、読了後あらためて感嘆しました。



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2009年06月05日

「f植物園の巣穴」梨木香歩

f植物園の巣穴
f植物園の巣穴
  • 発売元: 朝日新聞出版
  • 価格: ¥ 1,470
  • 発売日: 2009/05/07
  • 売上ランキング: 1577
  • おすすめ度 3.5


ずいぶん久しぶりの梨木さんの新作。出ると聞いて嬉しかった。
「家守綺譚」を読んでから梨木さんは私にとって特別な作家さんになり、
「家守・・」と「村田エフェンディ・・」は、文庫を買って人に無理矢理貸しまくっています。

この本も、ちらっとみたら台詞にかぎかっこがついていなくて、文体も似ていたので、
今回も「家守・・」っぽい感じなのかなと思ってたら、結局まるで違う感想を持ちました。
「沼地のある森を抜けて」も思い出すような、梨木さんの今までの作品の系列につながる、
でも読んだことのないような新しい物語。また1冊大切な本ができました。
こちらは万人にお薦めするのは難しいような気もしますが、でも薦めまくります。

2009年05月28日

りかさん

りかさん りかさん
(1999/12)
梨木 香歩

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リカちゃん人形が欲しいと言ったようこの元に、おばあちゃんから送られてきたのは古い市松人形のりかさん。

「からくりからくさ」に登場した市松人形のりかさんが、蓉子(この本では「ようこ」)の家に来た経緯と、その後のお話です。


まさか半紙に「りかちゃん」と筆で書いて、古い抱き人形の箱に入れて来るとは想像だにしなかった。


ようこの落胆は手に取るようにわかるのに、なぜかここのところを読むと、つい笑ってしまいます。
でも、私の友人の中には、「リカちゃんが欲しいって言ったのに、おばあちゃんが買ってくれたのはボーイフレンドのケンだったよ!」という、もっと気の毒なエピソードの持ち主がいるんですよ。
どう慰めてよいのやら。だって、ケンって…。バービーのボーイフレンドですよ。
もはやリカちゃんファミリーですらないよ…。


それに比べたら、市松人形のりかさん、良いじゃありませんか。
何組かの着替えの着物に、りかさん専用の箱膳までついてきて。
おまけに、驚くなかれ、りかさんはようこと言葉を交わすことが出来るのです。


ようこは、りかさんを介して様々な人形の声を聴き、それぞれの物語に耳を傾けます。


「りかさん」は児童書という体裁なので、「からくりからくさ」に比べると、子どもにも解りやすい平易な文章なのですが、だからといって読者を子ども扱いはしていません。

ようこのお友だちの登美子ちゃんの家に飾られた、たくさんの人形たちの話す内容も言葉遣いもすごい!

例えば、昔、盗まれて竹藪に捨てられ、その後、遊郭へ通う途中の男に拾われて遊女への土産になったという官女は、「あちきの巣は…」と、遊女のような語り口。

ほかの人形からも、「疎いやつよの。格式のある家では…」とか「もったいないこと御意あそばす」とか、そういった時代がかった言葉があたりまえに出てきます。


フランス生まれのビスクドールは、自分を抱いて奉公先を逃げ出した年若いメイドのことを語り、
「汐汲(しおくみ)」という舞踊人形の台座に隠されていた「アビゲイル」の記憶は、不思議な映像となって ようこの前に現れます。

アビゲイルは、かつて日米親善使節の役目を負わされて、日本に送られた人形でした。
たくさんの少女たち、女性たちに愛された美しい青い瞳の人形が辿った運命は、推して知るべし。


まるで、様々な人形の記憶を通して、連綿と続く女性たちの歴史を見ているようでした。


「いいお人形は、吸い取り紙のように感情の濁りの部分だけを吸い取って行く。
これは技術のいることだ。なんでも吸い取ればいいというわけではないから。
いやな経験ばかりした、修練を積んでない人形は、持ち主の生気まで吸い取りすぎてしまうし、
濁りの部分だけ持ち主に残して、どうしようもない根性悪にしてしまうこともあるし。
だけど、このりかさんは、今までそりゃ正しく大事に扱われて来たから、とても気だてがいい」



おばあちゃんの言う通り、りかさんは、おばあちゃんのところに来る前から、ずっとずっと大事にされてきたお人形でした。
だからこそ、ようこに力を貸して、アビゲイルの中に残る思いを昇華させることもできたのでしょう。
それはまた、ようこにも言えること。ようこだから、できたのではないかと。

そして、りかさんがアビゲイルから預かった使命は、「からくりからくさ」へと続いていきます。



屈託、という言葉はようこにはよく分からなかったが、その意味するものは瞬時に悟った。
ようこはそういうふうに自分の中に言葉を増やして行く子だった。


というのを読んだ時、もしかして、作者の梨木さんご自身がそういうお子さんだったのではないかなと、ちょっと思いました。
しかも、ほんとに人形と話が出来るひとだったりして…。
そんなことを思ってしまうほど、人形たちの物語には説得力がありました。


人形が話すとか、人形に魂が宿っているとかいう設定のお話は、実のところ苦手です。いえ、苦手でした。
それはきっと、昔読んだその手のマンガが、子ども心にはひどく恐ろしいものばかりだったから。


でも、内田善美さんの漫画「草迷宮・草空間」に出てくる「ねこ」という名の市松人形は、それはそれはチャーミングだったし、このお話の「りかさん」は、賢くて気だてが良いのです。
認識を改めました。



結末もまた、うすみどりの風が吹き抜けるような爽やかさです。



文庫版「りかさん」には、書き下ろし短編「ミケルの庭」も収録されています。
こちらは、「からくりからくさ」の続編。
かつてのおばあちゃんの家をアトリエに、草木染作家となった蓉子と、与希子、紀久、そして、マーガレットの赤ん坊「ミケル」のお話。

りかさん (新潮文庫) りかさん (新潮文庫)
(2003/06)
梨木 香歩

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