さて今日は、我が天敵コミックの担当者について書こうと思います。
ウチには社員が三人いて、そのウチの一人がコミックの担当者なんですけど、あとの二人が最近社員としていろいろ頑張ろうと思っているようです。今までの仕事ぶりが酷かったんで、まだまだ普通の社員並みの仕事が出来ているとは言い難いんですけど、それでもやる気になったというのはいいことかなと思います。
でその社員二人が、コミックの担当者を何とかしようと思っているんだそうです。これまでは完全にほったらかしだったのに、さすがにマズイと思ったんでしょうか。まあ実際、コミックは売上も売場も酷いんですけどね。
最近僕は終礼で、コミックは何とかした方がいいと思うよ、という話をしました。
きっかけは、僕のいる店が入っているグループの本部の人との会話でした。以前に、革命的に文庫の売上を伸ばす方法を考えてくれと言われていて、それであるアイデア(文庫本三冊買うと中古本一冊プレゼントキャンペーン)をメールで送ったところ、電話が来ました。
そこで、そのアイデアについて話をしたり、あるいはウチの店のことについて話したりしたんだけど、そこでコミックの話になりました。で、その本部の人は、その店はコミックの担当者を変えないとどうにもならないね、と言いました。
まあそれについては僕も同感で、とにかくコミックの担当者というのは絶望的に酷いんです。どう酷いかというのは売場を見ればたぶん伝わると思うんだけど、普段の仕事を見ていてもそれは分かります。新刊しか売る気がないし(だから月毎の売上の差が激しい)、棚や平台の品揃えが最悪。売り場のメンテナンス(棚から抜けた本をストックから補充するとか、新刊台で売り切れているコミックを補充するとか)みたいなことも全然出来ないし、棚のラインナップも一向に変わらない。
まあいろいろ問題はあるけど、何よりも酷いのは、すべてのシュリンク(袋詰め)を自分でやる、という点です。最近は、あるスタッフにもやってもらうようになりましたが、その人だけ。他の人にはとにかくやらせない。シュリンクが汚くなるから、という理由みたいだけど、アホすぎますね。とにかく、社員の仕事もほとんどせずに、仕事時間の7~8割くらいはずっとシュリンクをしています。そんな担当者が、売上を伸ばせるわけがないんですね。
まあそれもあって、店全体の売上を伸ばそうと思っているならコミックをまずなんとかするしかない、という話を終礼でしたところ、社員としても今考えているんだ、という話でした。しかし、コミックの担当者は頑固ですからね。一筋縄ではいかない。論理的には僕の圧勝でも、僕の論理なんか完全に無視した反論(でも、私はそうしたくない、みたいな感じ)をしてくるからどうにもならないんだよなぁ。
僕はだから考えましたよ。今僕は文庫と新書のタ担当をしていますけど、それをやりながらコミックの担当を兼任することは出来るかどうか、と。
結論としては、誰かが新刊さえ出してくれ、かつ遅番のスタッフを全員コミックの手伝いに回してくれるなら、たぶんやれるなという感じでした。僕は指示だけ出して、後はすべて他のスタッフにやらせる、というスタイルで、恐らくコミックの売場を最低限のレベルに持っていくことは可能なんではないかなと思います。
まあそんなわけで、コミックの担当者を何とかしようとは思っているようです。まあ変わるとは思えないけど、頑張ってなんとかして欲しいものだなと思います。
そろそろな内容に入ろうと思います。
本書は、かつて相当話題になった日本語についての本です。今世間では(ウチの店でもですけど)、「日本人が知らない日本語」という本がバカ売れしていますけど、本書は結構真面目に日本語の正しさについて考える、という感じの本です。
著者は昔「KY式日本語」という本も出しています。「KY(空気読めない)」みたいな略語について解説した本です。また、「明鏡国語辞典」の編者でもあるようです。
凄いと思うのは、もう既に70代なのに、若者の言葉の使い方とかにもきちんとアンテナを張っているということですね。「KY式日本語」も若者言葉でしたが、本書でも若者が使っているちょっと変な言葉遣いについても多々触れていて、よく観察しているんだなぁと思いました。
本書は、一般の人から寄せられた、最近気になる日本語の使い方についての質問がまず載っていて、それに答える形で日本語についての説明が進んでいく形になります。
例えばこんな質問があります。
『「全然いい」「全然平気だ」などの言い方をよく聞きますが、「全然」を肯定表現に使うのは間違いではないのでしょうか?』
これはよく言われますね。僕も、全然を肯定表現で使うことに特に抵抗がない人間だったりします。「全然余裕だよ」みたいな感じですね。
ここの話はなかなか面白かったです。「全然」という言葉には、「まったく」「まるっきり」などというような肯定表現で使われる意味もあって、夏目漱石や芥川龍之介の作品なんかにも出てくるとか。
一方で、最近の若者が使っているような肯定表現についてだけど、これも肯定表現に対して使っているのか、という疑問を呈します。例えばさっき僕が書いた「全然余裕だよ」という言葉も、次のような状況で使います。
「あんた宿題大丈夫なわけ?」
「全然余裕だよ」
これを著者は、否定的な状況あるいは心配な状況・懸念をくつがえし、まったく問題がないという場合に使う、と説明しています。つまり、まるっきり肯定的な使い方をしているというわけでもないんです。
著者のいる大学で昔ある学生がこの「全然」について使用の実態をレポートにしたことがあるらしいですけど、そこでその学生は、<あなたが思っていることとは違って>という限定で使うのだ、と書いていたようで、著者は優れた着眼だと感心したらしいです。
そういうわけで、肯定表現に「全然」を使っているように思えるからと言って、すぐさま誤用だと断じるのはいかがなものか、ということが書かれています。
こういう風に、ただ間違っている合っているということを書くだけではなくて、問題を細分化して答えたり、あるいは誤用である場合にしても、じゃあ何故そういう風な誤用が生まれたのかという背景についても説明をしていて面白いなと思いました。
バイト先でスタッフが言っていて僕が結構気になるのが、「~の方」という表現で、それも本書に載っています。よくスタッフが、「お会計の方が○○円になります」とか言っているのを聞いて、突っ込みどころが二つもあるなぁ、と思うんだけど、この「~の方」も、状況によってはオッケーだそうです。ただやっぱり、「お会計の方が○○円になります」はダメですけどね。
「お会計の方が○○円になります」のもう一つの突っ込みどころである「~なります」という表現についても載っています。
これについては、誤用かどうかというよりも、両者の解釈の違いによる誤解が生まれやすい表現だ、と書いています。
「こちら和風セットになります」という文章で考えてみます。
提供側としては、「~なります」という表現によって、自信満々に提供するのではなくて「これではたしてお客様のご期待に添えるかどうかわかりませんが」という謙虚な姿勢を示しているし、仮にお客さんの予想から外れてもその客だけ特別扱いしているわけではなく、それがその店の既定の和風セットであるということも示すことが出来ます。
しかしお客さんの方としては、自分が注文したメニュー通りのものが提供されることを期待しています。そのような場面で「なる」が使われると、何か新しい状況が生じるのかと思い、何か変化が起こるのだろうかと考えます。それなのに、注文した通りの和風セットがくるのでおかしいと感じる、というような説明でした。
なので、上記のような場合だと、明らかに誤用だとは言いにくいようですね。ただ「お会計の方が○○円になります」は明らかに誤用ですね。そこは自信満々に言ってもらわないとお客さんとしても困るでしょう。また、「雰囲気」の話も載っています。これ、僕もそうなんですけど、どうしても「ふいんき」って読んじゃうんですよね。なかなか「ふんいき」とは読めない。さすがにパソコンで書くときなんかはちゃんと「ふんいき」って書いてから変換しますけど、読むときは「ふいんき」って変換されちゃいます。
本書に載ってたエピソードで、ワープロソフトの会社に「「ふいんき」で漢字変換できないなんておかしい」という若者らしいユーザーからのメールが来たことがある、というのも載っていました。その若者は、本当に「雰囲気」を「ふいんき」だと思っているんでしょうね。
ただ本書は面白い例が載っていました。
例えば「山茶花」っていう花がありますよね。今僕も「さざんか」って書いて変換すると「山茶花」になりましたけど、これってもともと「さんざか」って名前だったみたいです。それがいつの間にか「さざんか」で定着したのだとか。だから、「雰囲気」についても、いつか読みが「ふいんき」で定着する日が来るかもしれません。
まあそんな感じで、いろいろと日本語について詳しいことが分かる本です。特に、最近の若者の言葉の使い方に納得のいかない人なんかが読んだらいいかなと思います。若者が使っている言葉でも、明らかに誤用とは言い難いものもあるんだ、ということが分かって面白いんじゃないかなと思います。まあ、間違っているものの方がやっぱり多いですけどね。
敬語の本とかも一回ぐらい読んでみようかな。ちゃんと敬語喋れないしなぁ。こういう本を読むと、日本語ってのもなかなか面白いなと思います。興味がある人は読んでみてください。
北原保雄「問題な日本語 どこがおかしい?何がおかしい?」
| このブログのURL
|この記事のURL